表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星草物語  作者: 東陣正則
98/149

襲撃計画


     襲撃計画


 シャンが診療所のあるベコス地区に帰り着いた頃、鉄床島では、ビアボア商会の構成員の全員、二十五名が鍾乳洞のホールに集められていた。

 焚かれた篝火がホールの壁面をゆらゆらと赤く染めるなか、中央の樽にボスのビアボアが腰を落とし、その横には骨杖の大番頭ハオ、後ろには刺青の中頭ボッシュと女装の小頭グリッチが、腕組みをして立っている。グリッチが着こんでいるのは、目にも鮮やかな真紅のロングドレスだ。

 緊急の招集だったのか、集まった一同に落ち着きがない。

 ビアボアが閉じていた目をカッと上下に見開くと、声を張り上げた。

「者ども、よく聞け」

 低い声が、たっぷりと弛んだ頬の内側で反響、手下たちの耳を揺さぶる。

「巷では裏商人と呼ばれている俺たちだが、元来は海賊だ。しけた時代に生まれたおかげで、金銀財宝をめぐって命の遣り取りをするはずが、麻薬や武器を扱う裏商人としてお茶を濁してきた。この世界には、海賊の心を揺さぶるお宝を積んだ船も、美女や金銀を貯えた港の商館も、何もないからだ。しかしついに本来の海賊の仕事をやる時がきた。いいか者ども、俺たち海賊が、こんな川とも海ともつかねえ、半端な場所に根城を構えたのは何のためだか分かるか」

 語気も鋭くそう言い放ったビアボアが、ギョロリとした眼で手下たちを睨みつけた。カエルの体についたヘビの目に、一同、弾かれたようにゾクッと背筋を震わす。

「それは、これから話す作戦のためだ」

 ビアボアが鋭い眼光を目にたぎらせると、これが本題とばかりに声を高めた。

「いいか、昔から海賊仲間に伝えられた噂がある。モア教の聖地、湖宮の地下に、莫大な財宝が眠っているという話だ。これまでに何度となく手筋の者が探りを入れたが、未だに真相を明かした者はいない。事実、俺が忍び込ませた手練れの手下も、三人が三人とも消息を絶った。これがどういうことか分かるか。祈りのためにある聖地が、なぜそれほどまでに侵入者に対して防備を固める」

「そうだ、なぜだ!」

 タイミングを計ったように、大番頭のハオが鋭く合いの手を入れる。

 ビアボアは大番頭の声にゆっくり頷くと、

「それは、あそこには守るべき何か、隠すべき何かがあるということだ。いいか、教典の山があったとして、それを隠す必要がどこにある。聖者の遺灰が残っていたとして、それを人目から遠ざける必要がどこにある、人が人目を避けて隠すものは、ただ一つ」

「そうだ、ただ一つ!」

「それは、人の欲望をそそる黄金色の塊に、八方輝く宝玉の山しかない。宗教の聖地などというのは周りを欺くための隠れ蓑、古来より真実は噂の中にある。湖宮には財宝が眠っている」

「そうだ、眠っている!」

「今回の計画は、それを暴き、奪う、いいか湖宮の秘密を暴き、財宝を奪う」

「そうだ、暴き、そして、奪う!」

 ホールに集まった一同は、みな唖然としてビアボアの話を聞いていた。

 突飛な計画だった。日頃から一味の事業計画を練るのは、ビアボアと幹部三人で、決行の直前まで手下たちに計画が知らされることはない。唐突なのは慣れている。近々、海賊本来の大仕事をやるという話に、手下一同、今度の獲物は何かと、酒を片手に噂し合っていたのだ。それが、よりによってモア教の聖地、湖宮を襲うとは。

 湖宮はこの時代の聖地中の聖地である。そこを襲う……。

 ホールに集まった面々のほとんどは、唖然とした面持ちで、ビアボアの言い放った、湖宮を襲撃するという言葉を、頭の中で繰り返していた。

 手下たちの反応を予想していたのだろう、ビアボアはキセルを取り出すと、あとは任せたとばかりに、大番頭のハオに前に出るよう顎をしゃくった。促されて前に出たハオが、右手に持った金属製の杖を石の床にガンと打ちつけ、「作戦を説明する!」と、取り囲んだ男たちを一喝した。

 ビアボアと同じく太く重量感のある声。しかし、ビアボアの声がねっとりと濡れて体にまとわりつくのに対して、ハオのそれは参謀役らしく乾いている。ハオは話しながら、アクセントを付けるように杖を床に打ちつける。その杖が打ち鳴らされる度に、聞いている者たちが、背中にナイフを突きつけられたように背筋を伸ばす。

 作戦は単純。

 数年前から配下の者を僧官に仕立て、貢朝船に乗組員として乗りこませるべく画策してきた。その手下が、ようやく貢朝船の随行僧の一員に選ばれ、五カ月前に遠路はるばる湖宮を目指して出発。そして明日、湖宮に入宮することになった。つまり先ほどグンバルディエルを下っていた貢朝船、春香がパバフの操る馬頭船から見た、動く翡翠宮である。

 都合良く今夜は霧になる。

 手順としては、夜の闇と霧に紛れて包湖に沖泊まりをしている貢朝船に近づき、同乗している手下の手引きで船を乗っ取る。あとは船員の僧官たちを人質にするか、状況次第で首を刎ねて川に沈める。おそらくは水先案内人数人を残して沈めることになるだろう。そして持参した武器を積み込み、払暁を待って湖宮に乗り込む。

 地図が広げられ、話が具体的な手筈と各自の持ち分に移る。

 すると、そこまで漫然とハオの話を聞いていた子分たちも、ようやくこれから行おうとしている事が、現実の作戦であると分かってきたのだろう、緊張が高まってきた。

 それでもまだこの段階で、ほとんどの手下たちは、今回の計画を半信半疑の面持ちで聞いていた。どこか仮想の計画のように考えていた。それほどに聖地を襲うということは、海賊上がりの裏商人をもってしても常識外れの計画だった。

 そんな部下たちの想いなど構うことなく、大番頭のハオは作戦の細部を説明、子分たちを名指ししながら、各自の役割持ち分を指示していく。

 一般に賊と呼ばれ、汚い仕事に手を染める者たちの世界にも、一定の仁義なり戒律のようなものがある。その最たるものが、親殺しの戒めと、宗教施設への不介入だ。

 賊とは、財を奪うことを目的とする者で、命を奪うことを目的とする者ではない。殺しそのものを嗜好する変質者ではないのだ。ただそれでも、策謀渦巻く日々のなか、人を殺め、血潮に手を染めることも多い。その血塗られた人生が、逆に一般の人たちよりも心に救いを求めさせる。ところが、社会の食み出し者として烙印を押された賊を、社会は疎みこそすれ、救いの手を差しのべたりはしない。差しのべる振りをして突き放すのが、現実の社会だ。

 俗世に救いはない。賊は表面的には信心など無縁と嘯いていても、その内実、信仰に救いを求める。世俗を離れた存在という意味では、聖と賊は相通ずる部分も多く、コインの表と裏とも言える関係だからだ。

 それ故、こそ泥は別として、誇りある賊を生業とする者にとって、宗教施設を襲うことはタブーの際たるもの。いや思い付きもしないというのが正解だろう。この時代の一般の人々の感覚としては、町なかの経堂でさえが、侵すべからざる聖域なのだ。

 だから賊でありながらも祈りを欠かさない一味の何人かは、憮然とした面持ちで大番頭の説明を聞いていた。またそれとは別の意味で、大番頭を凝視している者がいた。それが新入りの一人、小頭のグリッチに重用されている三色のまだら髪の青年、水路の開閉を担当している赤鬼に手を貸した青年である。

 人垣の後ろのそれも一番端で、まだら髪の青年は、掃除用の箒を握りしめたまま、怒りを込めた目つきで大番頭を睨みつけていた。聖地を襲撃する、賊といえども人の為すべきことではない。その思いに肩が震えた。鉄床島に来て半年、裏商人たち、いや一皮剥けば海賊という人非人たちが、その蛮行とは別に、日々祈りを欠かさないのを見て、海賊といえども、人としての道を完全に踏み外しているのではないのだと、変に感心したりもしていた。その矢先のこの計画である。

 全身が怒りで火照る、がその怒りを理性が抑える。

 自分がこの鉄床島に潜り込んだのは、目的があってのこと。その目的のためには、この聖地襲撃は絶好のチャンスだ。今は怒りよりも、冷静に今回の聖地襲撃の計画を把握しなければならない。そう思って、まだら髪の青年は、怒りで膨れあがった脳髄を宥めつつ、一味の連中に目を走らせ、その若さに似合わない冷静な目で、今回の計画の分析を始めた。

 そもそもモア教とは……、

 今この大陸で一番力を持つモア教は、清貧と忍耐を説く教えである。人は体にまとった富欲の衣を、苛酷な勤行を通して一枚二枚と脱ぎ去っていく。その勤行の過程にこそ、来世の救いがあるとする教えだ。教義で説く清貧とは、現世の欲望を一切脱ぎ去る事を指している。その清貧を達成した者のみが、その証として晒布の僧衣に身をつつみ、聖地に法悦することが許される。そこでは、救済を求めて祈ることでさえが、現世の欲望とみなされ、人はひたすら虚であることを求められる。

 噂では聖地の拝殿は、何もない、ただ何もない空間だという。あるのは光だけ。現世を現世と有らしめている光だけが存在する空間で、人はひたすら無に徹する。それが清貧に到達した僧に与えられた、最後の修業になる。

 人は光の中において無に至る。それが聖地の役割だった。

 ビアボアはそこに財宝があるという。何という塗説。彼の地に、俗欲の結晶たる財宝があるだろうか。よしんば財宝があったとして、それは金銀財宝などではなく、モア教の教義の記された教典ではないのか。いやたぶんそれも存在しないだろう。モア教は口伝布教を基本としている。人は条文化された教義によって変わるのではなく、人は人と相対することによってのみ変わると、モア教は考える。地方の経堂では、未だ古い布教の名残で経典を重用する向きもあるが、清貧の教えは紙や印刷物やペンの使用も嫌うのだ。

 まだら髪の青年は、大番頭の話に耳をそばだてながら、さらに注意深くホールに集まっている面々の様子を探った。

 二十人余りの一味の手下のほとんどは、顎を突き出さんばかりの姿態で、大番頭の話を聞いている。まさに寝耳に水という感じだ。平然と聞いている幹部の三人以外は、誰もが驚きの表情も露わ。おそらくいつものように、ビアボアと幹部の三人で準備してきた計画なのだろう。

 それにしても、あまりにも突飛な発想だった。この時代この大陸で、ほとんど唯一最大の勢力を誇る宗教の聖地を蹂躙する計画とは。たとえ財宝目当てとはいえ、常識的には思いつくはずのない計画である。

 モア教がこの世界で力を持ち得たのは、それが日々の生活が清貧であることを余儀なくされるこの世界に適合していたからだが、それと同時に、モア教の教えに反する事が災いをもたらすことから、モア教が畏敬の念を持たれ、怖れ崇め奉られたことがある。人は霊峰を崇め、神木を敬い、雷に怖れ慄くのと同じ心情でモア教を崇拝している。一般の人々にとってすれば、モア教の祭殿を穢すなどは、現世の禁忌の最たるもの。タブーを破ればどんな災いが降りかかってくるか分からない。それがこの時代の、敬虔な教徒であるなしに関わらず、すべてのモア教の信徒が抱く想いだった。そんな時代に、モア教の聖地を襲撃する、これが常軌を逸した考えでなくて何だろう。

 頭のなかを整理する、視点は二つ。

 聖地を襲撃するということは、たとえ百万の富を得たとしても、その後、当事者たちがこの世界で生きていくことを極めて困難にする。宗教界よりも一般の人々がその行為を許さないからだ。金持ちから金を奪う限りにおいては、表面上はどうあれ、市井の人々は内心その行為に拍手喝采を送る。それが義賊の側面を持つからだ。しかし聖地を穢すとなると話は別。誰も彼らに餅一つ売ろうとしなくなるだろう。計画を実行するとなると、少なくともこの大陸で生きていく場所を失うくらいの覚悟を決めなければならない。

 ビアボアがその危険を冒してまで財宝を得ようとするのはなぜか。

 そしてもう一つ。

 果たして本当に財宝が湖宮の地下にあるのかどうか。この湖宮を襲撃するという計画の目的が、本当に財宝の強奪にあるのかということ。財宝の強奪という目的の裏に、別の目的が身を潜めている可能性である。もしあるとしたらその可能性は何か。

 その考えを見極めようと、まだら髪の青年が大番頭の話から逸れて眉の間にしわを寄せた瞬間、新入りの密偵としての本能が、自分に近づいてくる鋭い視線を察知した。

 ビアボアのヘビのような視線が自分を捉えた。間一髪、まだら髪の青年は、自身の表情を何かを探るような目つきから、新入りらしい計画に唖然とした目つきに戻した。気をつけなければならなかった。ビアボアの目は、相手を金縛りにして心を盗み取る。まだら髪の青年は、口をあんぐりと開け、話に聞き入るふりをした。

 激しく波打つ呼吸を整えながら青年は自戒した。今は自分に与えられた責務を果たすのが先だ。そしてその上で……、そう思って、ビアボアの目の届かないところで拳を握りしめ、再度大番頭の話に集中。そしてあることに気づいた。最初は唖然とした顔をしていた男たちの表情が、話が進むうちに変わってきたことに……。

 話にリズムをつけるように、大番頭のハオは杖で床を打ち鳴らす。

 そして「分かったか、者ども!」と、語気鋭く気合いを入れる。

 最初は小さな返事しか返ってこなかったのが、次第に大番頭の「分かったか!」という掛け声に、「おう!」という、威勢のいい返事が返ってくるようになった。

 掛け声に反応しないと首を刎ねられそうな、そんな雰囲気に押されて、みな仕方なく声を唱和する。ところがそれを繰り返すうちに、だんだんと声は大きくなり、やがてホールの中に興奮した熱気のようなものが漂い始めた。

 唱和する声に力がこもり、その声の熱気が更なる力を生んでいく。

 扇動だ……。

 次第に盛り上がっていく興奮を感じながら、まだら髪の青年の頭の中をある考えがよぎった。もしかすると、この襲撃は襲撃すること自体が目的であるのかもしれない、と。

 この鉄床島と呼ばれる岩山を根城に活動する裏稼業の連中に共通しているのは、社会の爪弾き者という点だ。みな社会に対して、怨念にも似た憤怒の念を持っている。

 潜入して半年、少しずつ仲間の身の上話なども耳にするようになってきた。

 一味の構成員のなかには、殺しの嫌疑をかけられて町を追放された者、事故で片腕を失いそのまま補償も貰らえず職を解かれた者、犯罪者の家に生まれ子供の頃から盗人の烙印を押されて育った者、騙され借金を抱えて紙切れ一つでジンバに売られた者、などなど。

 小頭のグリッチは、その女装趣味ゆえに、商務官の任を解かれたという。それも長官の賄賂疑惑の責任を押しつけられる形でだ。

 経歴は様々だが、一つ共通しているのは、みな社会に捨てられ、押し出されてここに流れ着いたということだ。自分たちを摘み出した社会への怨念を共有する集団といってもいい。裏の商品を扱っているが、表の商品を扱えないから裏に転じたのではない。自分たちの扱う商品が、今の社会を内側から蝕みぐずぐずの骸にしていく、そのことに喝采を叫ぶ心があるから裏の商品を商うのだ。

 裏の商売とは、商売の形を借りた社会や時代に対する復讐の側面を持っている。

 そこにあるのは現世に対する恨みであり、願わくば今の社会など崩れて無くなれば良いと願う、屈折した願望である。そして口には出さないが、心を巣くって離れないのは、崩れ落ちていく自分を押し留めることが出来なかった、己の弱さへの呪咀の言葉である。

太平の枕にうつつを抜かすやつらを目覚めさせ、業火で炙り、泣き叫ぶ姿をこの世に曝させる。それが快感でなくてなんだろう。

 海賊を自認する者たちにとって、目障りな者は二つ、それは豪奢な生活をする者でも権力の座に座る者でもない。彼らの嫉妬の対象は、もっと卑近な存在、平穏な日々慎ましやかな生活に事足れりと太平楽を決め込む小市民たちだ。そして更には、笑って信仰のために死ぬことを善とする宗教人たち。この世に受けた生を嘲笑うかのように、清貧の祈りの日々を送る宗教人たちだ。

 彼らは享楽の日々を至上とする海賊の人生観とは対極のものだ。人の生きる快楽とは、食べることであり、異性とまぐわうことであり、そして人が人を贖うことである。この欲望と快楽を抑圧することこそ宗教の是であり、それ故、最も海賊にとって唾棄すべき思想となる。その信仰などというものに人生を売り渡したやつらの聖地を踏みにじる。これほど快哉を叫ぶことがこの世にあるだろうか。

 掛け声を唱和し、大番頭の聖地襲撃の手はずに耳を傾けながら、一味の男たちの心がどんどん高揚していく。これまで心に体に鬱積していた恨み辛みを一気に解放できそうな予感で、心臓の鼓動が早まり、顔が紅潮して阿修羅のように変わっていく。

 まだら髪の青年には、手下たちが上手く扇動され興奮していく様子が、手に取るように分かった。自分がここの連中と同じ立場なら、やはり気持ちを揺さぶられたかもしれない。自分の中にも、社会から押し出された、その恨みに似た感情はあるからだ。

 しかし、自分の場合は……、

 浮かび上がってくる個人的な感情を心の奥に押し戻すと、まだら髪の青年は拳を振り上げ、掛け声を唱和しながら、そっと視線を周りに振り向けた。

 すると、ホールを包んだ高揚感に、いま一つ乗り切れずに、醒めた目をしている男がいるのに気づいた。一人は、女装癖の小頭。今日は黒い炎樹模様の真紅のドレスに身を包んでいる。小頭のグリッチは、裏稼業の商務を一手に仕切っている。単に物を強奪するだけなら、こういう男は一味に必要なかったかもしれない。しかし曲がりなりにも裏の物品とはいえ、商取引を行うとなると、その実務を実践できる人物が必要となる。そのため、商務に長けたグリッチが幹部に納まっている。

 現世に対する怨嗟という点では皆と思いを共通にするが、元々が政府官僚のため、一味の中では毛色の変わった異端分子である。金への執着は強いが、殺戮や強盗といった犯罪まがいのことには、余り興味がないように見受けられる。

 そして、もう一人の醒めた目の人物。

 小頭からその人物に視線を移そうとした時、篝火番の若者が、大番頭に尋ねた。

 まだら髪の青年と同じ時期に一味に加わった新入りで、腰にこれ見よがしの大ぶりの短刀を差している。その雑用係をしている若者が、大番頭に恐る恐るといった体で尋ねた。

「大番頭、前に何度か仲間が忍びこもうとして失敗したって聞いたんですが、それが噂じゃ、帰ってこなかったんじゃなくて、帰ってきたが気が狂っていたと……」

 隣にいるもう一人の新入り、雑用係の下っぱが、間延びのした声で続けた。

「そうだ、それはおらも聞いた、それに湖宮には強え僧兵がいるってこともだ。財宝は欲しいが、おいらたちだけで勝てるだか」

 大番頭のハオは、それをフンフンと聞いている。ハオは、二人の新入りの質問が終わると、鈎腕に命じて傍らに積んである箱を運ばせ、質問をした二人に開けるよう命じた。中に入っていたのは僧衣だ。

 ハオが笑顔で二人に話しかける。

「お前ら、僧衣など着たことがないだろう、そこにお手本がいる。真似して着てみろ」

 そう命令すると、ハオは中頭のボッシュの背後に控えた男を指さした。

 仲間たちの視線がその男に集まる。

 右目に黒い眼帯を付けた隻眼の男が立っていた。坊主頭に、足先まで隠れる淡い青灰色の僧衣をまとっている。作戦を説明する際、情報収集と手引きのために配下の者を何名か僧に仕立て、僧会に送りこんだとの話がでた。その一人は今貢朝船に乗っている。そしてもう一人、濠都ゴルの経堂で助経司に成りすましていたのが、この隻眼の男である。本来ならこの男も今回の貢朝船に乗りこみ、ゴーダム国の経堂の関係者として拝宮に参加する予定だった。それが突然、貢朝船が予定を変更、ゴーダム国に寄港せずに水路を下ったため、急遽、追いかけるように鉄床島に戻ってきたところだった。

 男のまとう僧衣をちらちらと横目で見ながら、新入りの二人が、たどたどしく衣装を身につける。裾が長いため、何度も踏みつけては、前のめりに倒れそうになる。その度にホールの中に野次と笑いが起きる。ようやく僧衣をまとった二人に、大番頭が篝火の前に出るよう命じた。ところが、僧衣を着ているものの似合わないこと甚だしい。

 人は頭を剃れば僧になれるのではない、ましてや僧衣を着れば僧になれるのでもない。長い修業の月日が僧を作る。体形、仕草、顔つき、何もかもが僧とは程遠いものだった。思わず周りから失笑が起きた。

「笑うな、作戦の際には、全員、この格好をしてもらうのだからな」

 その僧衣姿の新入り二人を前にして、大番頭が杖を床に打ちつけた。

「いいか、湖宮に関する情報が万全という訳ではない。だがこの世に万全な計画などはない。作戦に大切なのは、それを是が非でも遣り遂げようという気迫だ。いいか気迫だ。強力な僧兵がいるかもしれん。手に入れた地図と現場が違っているかもしれん。しかしそんなことがなんだ。予測不能の事態というのは、いつの場合にも起きる。聖地といえど、たかが鉄床島の七倍ほどの広さ。大切なのは、財宝を何がなんでも見つけ出し、我が物にするという執念だ。そして聖地など糞くらえという気迫だ」

 そこで話を区切ると、ハオは、ちらりとボッシュに視線を送った。

 その瞬間、ボッシュが携えていた細身の長剣を鞘から抜き払いざま、目の前の僧衣の若者の首を断ち切った。細身の剣で首を落とすのは難しい。正確に首の頸椎と頸椎の間を狙わなければならない。しかしビアボアの燻らすキセルの煙を乱すほどの揺るぎもなく、大気と共に剣は頭部と肩の間で振り払われた。

 一瞬の出来事……。

 静まり返ったホールに、篝火の燃える音と、血の噴き上がる音が耳を打つ。

 ゴトリと鈍い音をたてて、目を見開いたままの若者の首が石の床に落ち、主の頭を失った肉体が、自身の頭を探すように手を前に差しのべたままの格好で倒れた。

 ボッシュが舞いにも似た動きで剣を回すと、腰の布でさっと血糊を拭って鞘に収めた。

 不謹慎を承知で、それは血飛沫の落ちる位置まで計ったような、美しくかつ無駄のない動きだった。

 ハオが、怒気鋭く言い放つ。

「いいか、たとえ僧といえど中身は同じ人間。僧兵であろうが僧官であろうが、首を落とせばただの肉の塊だ。肉の塊が、祟りだの罰だのを当てることができると思うか」

一同を見渡し小頭のグリッチと眼が合うと「そうだな、小頭」と、ハオが念を押す。

 間髪を入れずグリッチが、「もちろん、悪漢が信用するのは金と財宝だけだ」と、重石の効いた声で答える。

 ボッシュが「おまえはどうなんだ」と、もう一人の僧衣姿の新入りを睨んだ。

 ところが出っ歯の新入りは、歯をガチガチと言わせるだけで答えない。声が出てこない。ここでハイ以外の答えが何を意味するのか、それは誰の目にも明らか。もちろん新入りも、そんなことは百も承知している。しかし自分の足には、首をなくした死体が寄りかかっている。喋ろうにも口が言うことを聞いてくれなかった。

 後方からその様子を見ていたまだら髪の青年が、表情を曇らせた。

 頭の弱い先の新入りを血祭りにするのは、最初から予定していたことだろう。理由をつけて誰かを血祭りにする。そのことによって、腰の引けている連中にカツを入れるつもりだったのだ。ボッシュにしてみれば、二人とも切るくらい造作もないはず。残ったもう一人の若手が、倒れた死体を見て「この血のように聖地を赤く染めてやりましょう」とでも言ってくれれば、笑って次の段取りに移れた。それが歯の根も合わない顔で怯えている。

 これでは全くの逆効果だ。

 ここから見ていても、大番頭よりも、中頭の目が冷ややかな目付きに変わったのが見て取れる。こんな無能なやつが一味にいるということに、腹を立てている目だ。

 参謀役で理の勝つタイプの大番頭と比べて、中頭のボッシュは、一味の中でも情けがあり兄貴分として人望がある。だが優れた上司は部下を選ぶもの。冷徹な目を持ってだ。それは足手まといになりそうな部下を、ばっさりと切り捨てる非情さを兼ね備えているということだ。ボッシュの重心が前足にかかる。

 まだら髪の青年が、首の飛ぶ様子を想像して思わず目を閉じる。

 と中頭が剣の柄に手を伸ばそうとする間合いを見切ったように、隻眼の男が、中頭の前に足を踏みだした。そして坊主頭を指先でボリボリと掻きながら、

「中頭、差し出がましいことを言って済みませんが、僧衣の数に限りがあるんで、そいつの首を落とすなら、一つ僧衣を脱がしてからにして下せえ。この二十着の僧衣を集めるだけでも大変だったもんで」

 話しながら、隻眼の男は、腰砕けになった新入りの尻を思い切り蹴飛ばした。

「ほら、てめえ、さっさとその着ている僧衣を脱げ」

 その一撃で我に返ったのか、新入りが慌てて僧衣の帯を解きながら、命乞いをするように中頭に頭を下げた。

「ええい、血を見て震えるわ、命乞いをするわ、海賊の恥曝しめ。さっさと失せろ」

 隻眼の男は、そう怒鳴りつけると、再度新入りの横腹を足で蹴りあげた。

 慌てて僧衣を脱ぎ始めた新入りを見ることなく、隻眼の男が毛のない頭を撫で上げた。「出すぎたことを聞くようですが中頭、今夜は霧になりそうです。霧というやつは一見襲撃に好都合のように見えて、その実、こちらも手足を縛られていけやせん。そこのところの対策を、みんな気にしているようですが」

 すでに剣の柄から手を離していたボッシュは、意を得たりとばかりに頷くと、大番頭に目を向けた。その説明を自分がしてもいいかという目配せだ。装備や武器はボッシュの担当である。ハオは骨杖を軽く床に打ちつけた。

「いいところに気づいたな、しかし目障りな者がまだそこにいるが……」

 その言葉を待たず「失せろ!」と、隻眼の男が腰砕けの新入りを蹴り上げた。

 這うようにその場を立ち去ろうとする新入りを、隻眼を男がどやしつける。

「死体から僧衣を脱がして洗っておけ。夜出発するまでに洗って乾かしておくんだ。今のお前にはそれが似合いの仕事だ」

 緊張していた周囲から、どっと笑いが起きた。

 後方のまだら髪の青年は、その様子を感心して見ていた。隻眼の僧衣の男が、巧妙にあの若手を救ったのが分かったからだ。もちろん、そうでなかったかもしれない。しかし、いま一度見直すと、あの隻眼の男も油断のならない目をしている。どこかこの一味の連中とは違う雰囲気を持っている。隻眼ということを抜きにしてだ。

 その隻眼の男に注意を向ける青年の背筋に、また電流のような緊張が走った。

 視線を感じた。

 とっさに、しかしさり気なく、顔つきを新入りらしいおどおどした表情に戻す。感じた視線はビアボアのものに違いない。なめるような視線が自分の体を通り越して隣に移るのを見極めながら、青年は心の中で汗を拭った。確証はないが危なかった。今はひたすら海賊になり切っていないと、化けの皮が剥がれ、自分の首が落とされるかもしれない。少なくとも自分の首が、ビアボアの首よりも先に落ちることだけは、あってはならない。そのために苦労してこの一味に潜入したのだから。

 そう自分に言い聞かせると、まだら髪の青年は、今度こそ海賊になり切って、ホールに響く中頭の話に意識を集中させた。

 中頭のボッシュが、今回湖宮を襲撃するに当たって入手した新しい装備の説明をする。

 レーダーを装着した無反動ロケット砲。霧に埋もれることの多い湖宮ゆえに、特別に調達した古代の兵器だ。それに船上で使える小型の榴弾砲も三門。みな聖地を襲撃することに不安があったようだ。しかし眼の前に引き出されてきた兵器を見て、歓声が上がった。これなら安心して聖地を襲えるというものだ。ボッシュが景気付けに酒を振る舞おうぞと声を上げた。その一言で更に歓声が膨らむ。

 酒が注がれ、一同に回り始める。酒が一巡する度に、歓声が湧き、ボルテージが上がっていく。その興奮のなか、ボスのビアボアは、分厚いカエル目を細め、ある人物を注視していた。隻眼の男である。

 男は周りの連中たちと一緒に、新式のロケット砲を囲んで嬉しそうに話をしている。

 ビアボアは、斜め横から男の目をじっと見つめた。今まで隻眼であることに気を取られていたが、海賊に身を落とすような連中にはない、澄んだ目をしている。確か、地方の僧房で修業中に間違いを犯して追放され、この地に流れてきたという触れこみだった。それが三年前のことだ。ちょうど湖宮に潜り込ませる手合いを探していたので配下に組み入れた。刺青のボッシュに預けたが、坊主崩れのくせに肝も座っているし、頭の回転もいいとの評だった。

 もう一度じっくりと、その黒い目を見る。すぐに脳裏に、意志という言葉が浮かんできた。自分の人生に目的を持った、それも強固な目的を持った意志が、目の奥にうかがえる。

 その瞬間、同じ目の光をどこかで見たことを思い出した。


「ボス、どうかなさいましたか?」

 大番頭のハオが脇から声をかけてきた。

 ビアボアは目を細めると「なに、面白い物を見つけたんでな」と、指を鳴らした。

 ビアボアがハオに耳打ちをしているところに、当の隻眼の男が、杯を持って近づいてきた。ボスに一杯献じようというのだ。顔が少し赤い。

 ビアボアは杯を受け取り、音もなく酒を吸い上げると、隻眼の男に話しかけた。

「お前、名前をカーンとか言ったな、さっきは上手く人助けをしたな」

「はっ?」

 さらに一杯献じようと杯を差し出した姿勢で、隻眼の男カーンは、意外そうな表情でボスのビアボアを見た。

「隠さなくてもいい、海賊にだって血を見るのが趣味じゃねえって輩もいる。もっともそういうやつは、たいがい、血をたくさん見過ぎて血が嫌いになったやつなんだが、おまえさんの場合はどうなんだ」

 ビアボアが酒の入った壺と杯を、返杯とばかりにカーンの前に突き出す。

 杯を受けながら、カーンがよどみなく答えた。

「ボス、坊主というのは、血の流れた後に行く商売でして、その場で血の流れるのを見るのは得意じゃねえんで、それでさっきは失礼をいたしやした」

 カーンの手にする空の杯に、ビアボアが並々と酒を注ぐ。

「いいってことよ、でかい仕事の前だ、無闇に手を減らすもんじゃねえ」

「まったくで」

 杯から零れそうになる酒を、カーンが口ですするように飲む。その仕草をじっと見ていたビアボアが言った。

「それはそうと、おめえ、一度その眼帯を取ってみてくれねえか」

 唐突だが、しかし有無を言わせぬ抑えた声だ。

「はっ、眼帯をですか」

 カーンは口元に寄せた杯を止めると、杯が揺れて酒が零れるのを誤魔化すように、一息に冷たい酒を飲み乾した。

「そうだ、眼帯を、今ここでだ」

 杯を逆さにして大番頭のハオに返すと、カーンが頭を掻いた。

「いやあ、ビアボア親分の願いでも、眼帯を取るのはご勘弁願いたい。潰れた目を人前に曝したくないもんですから」

「そうかい、じゃあそのままでいいや。その代わり、人改めでもやるか。海賊というのも因果な商売でな。分かっているとは思うが、この世界は常に下剋上の危険と隣合わせなんだ。危険なやつを仲間に入れておく訳にはいかねえんでな」

 意外そうな顔でカーンがビアボアを見返した。

「そうですか。あっしはここに拾って貰っただけでも、感謝してるんですが」

「そうかい、それは良かった」

 ゆったりと相槌を打ちながら、ビアボアはカーンの後ろにいるハオに合図の視線を送った。そして目の前のカーンに向かって面白そうに話しだした。

「この辺りにユルツ国のお尋ね者が潜んでいるということで、手配の写真が出まわっていてな。ただ問題なのは、そのお尋ね者は顔を変えているというんだ。しかし残念なことに、そのお尋ね者も、悪党の世界では素人なんだろう。ユルツ国の手配書には、二枚写真が付いていて、一つは普通の正面からの写真。うんお前さんと骨格は似ているが、まるで別人だ。そしてもう一枚、それが何の写真かわかるか。拡大鏡で覗かなければ分からないような指紋とかじゃねえ、もっと簡単なもんだ」

 後ろからハオがビアボアの手に写真を乗せた。

 なめるようにビアボア写真を眺めると、「素人は整形をするときに忘れるんだ、耳の形をな」と言って、これ見よがしに自分の耳を引っ張ってみせた。

「知っているかい、耳の形は指紋と同じように一つとして同じ形はないってことを」

 ハオの手渡した写真は、横顔の耳の部分の拡大写真だった。

 獲物を丸呑みする蛇の恍惚とした眼差しにも似たビアボアの視線に、カーンは仕方ないとばかりに、「分かりましたボス、そこまで言うなら調べてもらいやしょう」と横を向く。そして耳を差し出しながら、すっと僧衣の間に手をいれた。

 それを待っていたように、ボッシュの剣の柄がカーンの手首を打ちすえる。石の床にガチャンと派手な音がして短銃が転がり落ちた。

 ボッシュに続いて、ハオがカーンの腹部を蹴りあげ、鈍い音がホールに響き渡る。

 何が起きたのかと酒を酌み交わしていた手下どもが、ビアボアの方を振り向く。

 構わずボッシュは、筋肉の浮き出た太い腕で、カーンの首根っこを押さえると、上からのしかかるようにして問い糾した。

「おい、どういう用件で、学者先生がこんな商売に首を突っこんだ。まさか裏稼業のやり方を論文にまとめるつもりでもあるめえ」

「中頭、学者って?」

 横からカーンを覗きこんだ十文字傷が、不思議そうに聞く。

「こいつがバドゥーナの情報部がしゃかりきになって捜している、ユルツ国のハンとかいう学者だ」

 ビアボアは、長い舌でズルリと唇を嘗めると「そいつの眼帯を取ってみな」と、十文字傷に命じた。

 直ぐに眼帯をむしり取る、とそこには何の変哲もない、ありふれた黒い目があった。

 狐目が酒の入った充血した目で雄叫びをあげる。

「ボス、この学者野郎を、どうするんです。ゴーダム国に売り渡すんですか、それとも襲撃前の景気づけに、首を落としますか」

「隻眼の真似をしているんだ、隠してあった右目を抉りましょう」

 割り込むように別の手下が拳を振りかざす。

 口々にわめき始めた男たちを一喝するように、ハオが床に杖を打ちつけた。

 とたん静かになった手下たちの輪に、ビアボアがヌメッとした声を投じる。

「お楽しみは仕事が終わってからだ、地下の水牢に放り込んでおけ」

 カーンと名乗ったハン博士が地下牢に連行され、また気分直しに酒が振舞われる。

 座が一段落すると、大番頭が杖を三度床に打ち鳴らした。ボスの話が始まるという合図だ。一瞬にして座は静まり、皆の視線がビアボアの肉塊のような体に集中。

 ビアボアの太く湿った声が、篝火で照らされたホールの岩壁に巻くように響き渡った。

「いいか、貢朝船を奪い、ありったけの武器を積み込んで攻撃をしかける。これこそ海賊という戦いを見せるんだ、いいか、分かったな、者ども!」

 鍾乳洞のホールに「オーッ!」と、男臭い声の渦が沸きあがった。


 湖宮襲撃の準備は手下に任せて、ビアボアは鉄床島最上部の自室に戻った。

 ビアボアは手の中の黒い石を、うっとりとした目で眺めていた。玉璽に用いられる貴石であるということが、ビアボアには分かっていた。自身のコレクションに相応しい一品だった。その黒い石を濡れたような眼でねめまわしつつ、ビアボアが呟く。

「フフ、幸先がいい、母種も法外な値で買い取らせた。懸案の古代船も手に入れた。溜め込んである武器も上手く値を吊り上げながら捌けている。おまけにこの玉璽の貴石、全ての運が俺様に向いてきたというところか」

 黒い石をワイングラスの中に落としこむ。

 その音に反応でもしたかのように、入口脇の豚鼻の置物が耳障りな声を喚きたてる。

「この匂いは何だ。男か、女か、これは……」

 ビアボアは手元のリモコンで豚鼻の電源を落すと、ワイングラスを飾り棚の上に置いた。そして「悪いな、カエルには男も女もないんだ」と、うそぶいた。

 部屋の奥の隠し扉を開く。

 巨体を揺せながら中の階段を上ると、ビアボアは天井の扉を押し開け外に出た。

 鉄床島の屋上には、球技場のように平らな岩のテラスが広がっている。雪が凍って滑りやすいが、そんなことは構いなく、ビアボアは軽い足取りでテラスを横切り、断崖の縁に立つと、腕組みをして、どんよりと曇った湿原の彼方に目を細めた。

 遙か先に亀甲大地から流れ出るオールベの流れが横たわり、その向こうに霞むようにしてセリ・マフブ山系の山が鎮座する。

「ふふ、永年の夢がこれで叶う、待っていろよ」

 自分に言い聞かせるように呟くと、ビアボアは、ヒヒヒヒと湿った笑い声を上げた。



次話「包湖」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ