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星草物語  作者: 東陣正則
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ジーク


     ジーク


 十二月六日正午、最終入札の金額は、当初の予想通りゴーダム国が六億ボル、バドゥーナ国が五億二千万ボルに合わせて八千万ボル分の美術奇覯品、という形で結末を見た。あとは日輪洋行がこれをどう判断するかだ。じりじりとした時間が過ぎ、入札から二十四時間後、十二月七日、正午。入札の結果が相対する二つの国家政府に電送される。

 結果は、条件付きで母種をバドゥーナ国に売却するというものだった。その条件とは、バドゥーナ国の所蔵している古代船を支払いの代価に追加するというもので、それが同意されない場合は、母種の落札権はゴーダム国に譲るとあった。

 指定された古代船とは、大陸西の古代遺跡で発見された、ジークと呼ばれる小型の船のことだ。エンジンに拠らない特殊な推進装置を装備した船で、それをバドゥーナ国は数年前に古代技術の研究のために高額で入手していた。ジークの推進機関の原理が解明されれば、それは船舶のみならず、新たな動力機関の開発につながる可能性を秘めている。いまユルツ国が取り組んでいるエネルギー発生装置とともに、時代の救世主となるやもしれない動力機関だった。

 返答は明日の正午とあるが、ここまでくれば話を進めるしかない。

 優柔不断の統首パパルボイも、ほぼ即決で日輪洋行の出した提案を呑むことを了承、その旨がすぐに返信された。半刻ほどして、日輪洋行から正式の売り渡し了解の通知と共に、母種の引き渡し方法の指示が届く。それによると、「明日の深夜、ジークを走行可能な状態にした上で、契約の代価である金品と美術品を積み込み……」と、手順が逐一明記されていた。また実際の引き渡し場所は直前に連絡するとあった。

 すぐに引き渡し作業の準備が進められる。

 機扇船よりも遙かに優れた航行速度を持つジークを指定してきたということは、日輪洋行が取引終了後の身の安全を考えた上での策だろう。

 そして深夜の零時、暗夜走行の可能なジークは、日輪洋行の指示に従い、立会人としての国務大臣のガヤフと操舵手の二人を乗せて闇に消えた。情報管制が取られていたにも関わらず、ゴーダム国の警邏艇がジークを追走しようとしたようだが、あっと言う間にジークはグンバルディエルの波間に消えた。

 実は画像通信によって指示された引き渡し方法に加えて、もう一つ重要なことが日輪洋行からバドゥーナ国側に伝えられていた。ガヤフに書面の形で届けられたその指示は、実際の母種の引き渡しを、ジークの携帯型の遠隔操縦器との交換で行うというもので、このことを知っていたのは、国務大臣のガヤフと統首のパパルボイだけである。

 身代金と人質の交換のように、慎重かつ煩雑な過程を経て、母種と金品を積んだジークは交換された。実際の交換はジークが高速でグンバルディエルを下った河口付近で行われたらしいが、受け渡し方法の詳細や、その場所からどういう方法でガヤフが戻ってきたのかは、一切明らかにされなかった。

 しかし十二月七日深夜、耐塩性の火炎樹の母種は、確かにバドゥーナ国に持ちこまれた。


 翌、十二月八日、午前十時。

 バドゥーナ国、警邏隊関連施設の地下某所。耐塩性の火炎樹の母種は、分厚いクリスタルケースに納められた状態で公開された。ただし、実際にそれを目にすることができたのは、政府の限られた高官のみである。

 見つめる高官たちの前で、白銀色の母種は紫外線を当てられ、とても植物の種とは思えない、青海色の鉱物のような輝きを見せていた。保管室では、すでに母種を振動培養法によって増殖させる準備が進められている。

 しかし無事に母種を入手したにも関わらず、バドゥーナ国の政府関係者に安堵の表情はなかった。母種を手に入れるために多大な犠牲を払ったことを、誰もが理解していたからだ。次に為すべきは、デルタ地帯の開発を安全に推し進めるために、ゴーダム国側が力の行使に踏み切れないだけの力を整備することである。幸いにもユルツ国が古代兵器の売却に際して拘わっていた条件、母種を入手して低地下流域の開発を現実のものとすること、言葉を代えれば、移民の受け入れを絵に書いた餅でなくすることはできた。

 あとは古代兵器の代価としての樹油や食料を運ぶ搬送隊をユルツ国に向かって出発させれば、先方からも古代兵器を積んだ飛行機が、バドゥーナ国に向けて飛び立つ予定である。そのユルツ国との兵器譲渡に関する事務作業の詰めは、母種の入手後直ちに、外渉局が進めている。そして古代兵器が実際にバドゥーナ国に配備されれば、対立するゴーダム国のみならず、押し寄せる避難民にさえも怯える必要はなくなるだろう。

 ところが……、

 事態はバドゥーナ国の思惑よりも早い展開を見せた。

 バドゥーナ国が母種を入手したその日の夜半、南部門京、烽火杭に集結していた避難民が、大挙して水路を渡り、バドゥーナ国の南部ラビス郡に侵入してきたのだ。


 翌早朝、迎賓館隣の政府庁舎四階会議室。

 重苦しい空気が会議室を支配していた。緊急の呼び出しを受けた幕閣の面々と警邏隊の幹部が、円卓を囲んでいる。情報局の報告を待つ間でもなく、粗方の状況は皆の耳にも届いていた。ただ補足と確認の意味で、進行しつつある事態の概略並びに避難民流入の現状を、情報局の局長が説明する。

 バドゥーナ国の国土は、川や水路によって九つの郡に区分されている。避難民の流入が発生したラビス郡は、南西部の辺縁に位置する小さな郡で、水路を挟んで門京の一つ烽火杭と、背後に広がる避難民キャンプに対座している。キャンプの避難民数は十四万、中規模の避難民キャンプである。

 そのキャンプの避難民が、昨夜の日没直後、烽火杭の荷船問屋を襲い、四十艘余りの荷船や馬頭船を奪って水路を渡河し始めた。水上には常時水上警邏隊の甲機船がエンジン音もけたたましく巡回している。ところが、重機関銃を装備した甲機船が、水路を渡河してラビス郡に上陸してくる避難民を全く押し留めることができなかった。

 避難民の中に銃で武装している者が混じっていたことも一因だが、それ以上に、避難民の乗る馬頭船に、バドゥーナ国の民間人が人質として乗せられていたことが、その理由である。警邏隊が手を出せなかったのだ。避難民のグループは、奪った船の舳先で篝火を焚き、そこに人質のバドゥーナ国の市民を立たせていたという。

 避難民は夜じゅう船を往復させて、対岸のキャンプに集結していた避難民をラビス郡に運び続けた。その結果、今朝の段階で、ほぼ四千人の避難民が水路を渡ったという。夜のうちに上陸した避難民は、上陸地点付近の樹液の貯蔵施設や浄油場を占拠、そこが後から渡河してくる者の収容センターとなり、そこを拠点に、さらに周辺の関連施設を次々と接収、新しい僑保地を作りながら、ラビス郡の中に侵入を続けている。

現在、避難民の先頭に立っている集団は、銃だけでなく迫撃砲で武装、ラビス郡の地域保衛隊と散発的に交戦を行っている。ただ武装集団は交戦よりも郡内の混乱を目的としているようで、各地で火炎樹に放火、今朝六時の段階で、ラビス郡の南東部を中心に火炎樹が真っ黒な黒煙を上げて炎上、その炎と林立する黒煙を見て、郡都エルアンバドゥンに避難した郡内の住人たちが、争って隣接するロワ郡に脱出を始めている。

 とにかく流れ込んでくる避難民の数に、ラビス郡の地域警邏隊では対処し切れないのが現状で、このままいけば、ラビス郡が避難民に完全に占拠されてしまうのは時間の問題だった。

 朝八時の時点で、避難民の渡河は一旦停止状態。だが対岸に待機している避難民の数はさらに膨れ上がっている。おそらくは夜を待って、新たに奪った船舶も加えて一斉に渡河してくるつもりだろう。武装グループが郡都エルアンバドゥンに攻撃をしかけるべく、郡都近郊の囲郷に集結を始めたという情報も先ほど入ってきた。もしそうだとすれば、ラビス郡を完全に占拠制圧するつもりに違いない。

 円卓を囲んだ十一人のバドゥーナの重鎮たちに、重苦しい空気が流れた。

 ラビス郡は南部の小郡とはいえ、歴としたバドゥーナ国の一部である。そこに避難民たちは警邏隊や住人を押し退けて侵入してきたのだ。少数の避難民が闇に紛れて河岸の窮民街に紛れこんだのとは訳が違う。武力と人的圧力でもって押し入ってきた。これをそのまま放置しておくことはできない。

 当初、情報局から一報があった時、統首のパパルボイは、四十五名の評議員全員を招集しようとした。それをガヤフは押し留め、大臣だけを呼集するよう進言した。事態は緊急を要する。評議員全員を集めて悠長な議論をやっている暇はない。対応策をすぐに決定し、トップダウンで指令を下す必要があった。

 到着の遅れている警邏隊総統のガンボジを待つ時間を惜しむように、議論が始まる。

 誰が見ても、こちらが農園開発に乗り出す余裕をなくさせるために、ゴーダム国が裏で避難民たちをけしかけたのだと見て取れる。未確認だが、艀が使われたという情報も入っている。烽火杭に艀はない。もしあるとすれば、他の渡河地点から、はるばる曳航してきた物だ。それに避難民が自前で迫撃砲を用意するということも考え難い。誰かがそれを用意し、お膳立てをして渡河をけしかけたに違いない。

 若手の閣僚の一人が、女性とは思えない荒げた声で机を叩いた。

「入札の結果が出たとたんの避難民の流入。ゴーダム国は入札に破れた際の次の手として、避難民をこちらの領域に送り込む準備をしていたに違いないわ。とにかく早急にゴーダム国に抗議の……」

 発言が終わらない内に、同期の男性閣僚が声を上げた。

「ゴーダムのやつらが後ろで糸を引いているかどうかよりも、とにかく今は一刻も早く、渡河してきた避難民を、ラビス郡の外に追い返すことだ」

「そうだ、周辺三郡の地域警邏隊をラビス郡に送りこんで」

「それは違うでしょう、送り込むなら都の警邏隊。都の警邏隊は、地方八郡全ての警邏隊を合わせた規模がある」

「しかし、都の警護を手薄にするのは……」

 次々と被さるように、発言が飛び交う。

 議論は沸騰し、混迷した。それは現場の状況把握と指示に手間取り、会議に遅れた警邏隊総統のガンボジが姿を見せても同じだ。

 それでも議論を進めるうちに見えてきたこともある。

 それは直ちに侵入してくる避難民に歯止めをかけ、厳罰の上退去させないと、対岸にいる膨大な数の避難民が押し寄せてくるということだ。その歯止めのためには、現在バドゥーナ国が有する警邏隊の最低半分を差し向けなければならない。それは郡部の警邏隊だけでなく、都の隊も出動させるということだ。

 問題は、都の警邏隊を地方に回した隙に、ゴーダム国が都のバンダルバドゥンに何らかの軍事的な行動を仕掛けてくるのではということ。そうでなくとも、警邏隊の装備人員は、ゴーダム国がバドゥーナ国を凌駕している。水上警邏隊の船舶数では特にそうだ。

 それに避難民を対岸に押し返したとして、その後、ゴーダム国に対してどう意志表示をするかが問題になる。こちらが直接ゴーダム国に明確な意志を示さない限り、ゴーダム国は更なる挑発を続けるだろう。

 独立した国家として、隣国の挑発には厳粛に臨むべきである。しかし、もしこちらがゴーダム国の挑発に明確に異議を唱え、実力を行使したとしたら、その先にあるのは……。

 喧嘩の誘いに乗るのか乗らないのか、現実は乗りたくなくとも乗らざるを得ない状況になりつつある。そして喧嘩を売ってきた相手は、体力的に自分たちよりも優れ、かつ切羽詰まった状況にあるのだ。そして、こちらに飛びかかろうと身構えている。一応不意討ちだけは遠慮して、こちらが振り向くのを待っている、そういう状況である。

 どう対応するのが、最善の策となるか。

 意見は、都の警備を解いても避難民の不法入国に厳正に当たる、つまり侵入してきた避難民をもう一度ラビス郡の外に追い返すという立場と、ラビス郡を放棄、そこより都寄りの領界内への避難民の侵入は断固として阻止するという、二つの立場に分かれた。後者の場合なら、都の警備を解かずに事態を収拾することができる。

 大臣全員が、円卓の右中央に席を占める統首のパパルボイに顔を向けた。

 緊急の問題や意見の割れた問題は、統首に判断が委ねられる。円卓の座席は十一。採決は十名の閣僚が先に行い、最後に残りの一票を統首が投じる。つまり意見が割れた場合は、統首が決定権を持つ。

 その統首のパパルボイは、会議が始まって以降、未だ自分の意見を口にしていない。全員が、統首が口を開くのを待っていた。パパルボイは前任の父親の偉業を背負って、昨年から国の代表の座に座っている。父親譲りの太い眉と突き出た顎が特徴だ。が、いかんせんまだ三十二歳で若い。

 隣に座っている国務大臣のガヤフは、机の下に目を走らせた。

 統首の椅子の下から、カタカタと音が聞こえる。足が小刻みに震えている。

 一見泰然と構えているが、情勢にどう対応すべきか、全ての責任を自分が負わなければならないことへの不安といらだちが、足の震えに現れている。不安なら不安であると率直に言えば助け船も出せる。自分で判断できないなら、皆に決定権を差し戻せばいいものを、名首と言われた父の威光があってそれができない。見栄が強い。国や国民のことよりも、自分の見栄が優先してしまう。親の威光でちやほやされて育った弊害が、大事な局面での決断力の無さに出ていた。

 なかなか判断を下さない統首に、国土保全省のマタバッキ女史が、その大柄な胸を揺するようにして迫った。

「統首、ゴーダム国とは、この後いくらでも交渉の余地はあるでしょう。ですが避難民へは、いま断固とした対応をしておかなければ、取り返しのつかないことになります。四千の川を渡った避難民の後ろには、塁京周辺にテントを張る二百万の避難民が控えているのですよ」

 母親が子供に言い聞かせるような女史の物言いに、パパルボイが眉を毟るような指の動きを止め、重い口を開いた。

「分かっている、しかし、私はゴーダム国の挑発に乗って、盤都の市民を危険に曝したくない。盤都バンダルバドゥンあってのバドゥーナ国だからな」

 言い訳がましくそう言うと、パパルボイは円卓を囲んだ一同をぐるりと見回した。

「盤都の警備は今まで通りとする。余分な警邏隊を差し向けることはしない。ラビス郡の問題は、周辺三郡の地域警邏隊で対処してもらう」

「ですがそれでは、なし崩し的に避難民が流れこんで……」

 慌てて身を乗り出す難民対策の特命大臣を手で制すると、パパルボイが「土竜を使う」と、それを口にした。

 一瞬、座が静まり返った。

 土竜とは埋設型の小型爆弾、つまり地雷である。

「しかし、あれは塁京八国間で不使用協定を結んでいます」

 円卓の全員を代表するように、厚生大臣が正した。

 三年前のこと。塁京八国の小国シャンパ国が、水路を渡って侵入してくる避難民に手を焼き、土塁沿いに小型の土竜弾を設置した。効果はてき面で、避難民の流入はピタリと止んだ。ところがちょうどその年、夏の増水期に塁堤が壊れるほどの洪水が発生、埋設してあった土竜弾が土とともに流され、それが塁京各地に流れ着いて、あちこちで悲惨な誤爆事故を引き起こした。そのことがきっかけとなって、塁京内部の国々では、避難民対策に土竜弾を使うことを禁止するという協定が結ばれた。そして避難民の流入に悩む塁京内の小国に対しては、バドゥーナとゴーダムの二大国が、警邏艇の配備と、電流鉄柵敷設への融資を行うということで、この問題は一応の決着をみている。

 その協約のことが頭にあったために、誰も土竜弾のことを、考えはしても口にしなかった。土竜弾の使用は、自分たちにも災厄をもたらすことになりかねない。

 ところが、そんなことは百も承知とばかりに、パパルボイが上気した声を上げた。

「今は都の存亡に関わる緊急時。土竜弾、あれは最も安価で効果のある兵器だ。土竜弾をラビス郡に隣接する二つの郡の土塁に埋設する。そうすれば、都の警備体制を崩すことなく、さらには財政に負担をかけずに、避難民のこれ以上の侵入を防ぐことができる。効率よく避難民に対処するには、この方法しかない」

 言われてみれば頷ける部分もある。それでも肝心のラビス郡のことが気にかかるのか、ラビス郡出身の中堅大臣が、「ではラビス郡は……」と、伺いを立てるように問うと、パパルボイは躊躇なく、「放棄する、いまバドゥーナ国に、流入する避難民を押し返す余力はない」と断じた。あっさりとした思い入れも何も感じられない口ぶりだった。

 統首の発言に唖然とする年配の閣僚とは対照的に、若手の議員たちは一斉に頷く。

 中堅以上の閣僚にとって、ラビス郡は火炎樹の農園開発で最も手を焼いた地域で、思い入れも強く、とてもそれを切り捨てるなどということは考えられない。対して、若手の閣僚にすれば、ラビス軍は全九郡の中で最も狭い一小郡に過ぎなかった。

 淡い紅を引いた唇に手の甲を当て、思案気に首を傾けていたマタバッキ女史が、歳若い統首に念を押すように言った。

「統首、土竜弾はいずれ自分の身に降りかかってきますよ。三年前の時も、流れ着いた土竜弾が盤都近辺の河岸に埋もれていたために、除去が完了するまで、水路沿いの道が半年に渡って不通になったこと、覚えておいでですよね」

 分かっているとばかりに、パパルボイが女史を見返した。

「埋設の詳細なマップを作っておけばよい。今は緊急時、代替の避難民対策を講じるまでの暫定的な策だ。代替策が準備できれば、土竜弾は来夏の増水期までに掘り上げればよい。とにかく、今は国の体制が整っていない。いま必要なのは、ゴーダム国との衝突に備え、国防の準備を進めることだ。今もしゴーダム国の警邏隊が幣舎橋を渡り始めれば、当方に勝ち目はない。見よ、ゴーダム国は狭い分水路一つを隔てて、そこにあるのだ。辺境の郡一つのために、亡国の徒となるなかれ」

 興奮したのか統首のパパルボイは、拳を握りしめ、立ち上がって喋っていた。

 そのことに自分でも気づいたのか、パパルボイは大きく咳払いをして腰を落とすと、窓の彼方に横たわる対岸のゴーダム国の都、濠都ゴルに腕を差し向けた。

 クルドス分水路を挟んで赤い瓦の都が見えている。目を向けた円卓の閣僚たちの中に、今しもゴーダム国で、こちらに兵を差し向ける話が交わされているかもしれないという不安がよぎる。若手議員が憑かれたようにパパルボイの提案に拍手、年嵩の数人の閣僚が、表情を渋めつつも追随の手を打った。


 会議終了後、閣僚の去った会議室で、マタバッキ女史が、国務大臣のガヤフに声をかけた。お互い生え抜きの、この地に都がなかった時代からの知己である。

 大きな胸を派手に上下させると、女史が苦虫を噛みつぶしたような顔で言った。

「どうやら、私の一言が、パパ・パパルボイの息子にあの決定をさせたようね」

 パパ・パパルボイとは現統首の父親、このバドゥーナ国の建国の父で、国の祖ということで名前の前にパパを付けて呼ばれる。それに対する息子は、ボン・パパルボイである。

 ガヤフは、不要になった資料を勢いよく破くと、一つ大きな咳をついた。

「いや、マタバッキ、おまえの意見がなくとも、パパルボイの坊やは、あの決定を下しただろう。なかなか自分の意見を言い出さなかったのは、土竜弾の使用をためらっていたのではなく、都の警邏隊の派遣を拒否して、弱腰と思われないか心配していたからだ。

 しかし土竜弾の使用は結論を先送りする対症療法にすぎん。土竜弾も形は違えど水路や塁堤と同じで、越えようと思えば越えられる。外から入ってくるものに守りを見せたのでは、いずれ入られる。押し返すだけの気迫を見せない限りはな。それに国の一部が切り捨てられたのを知った国民の反応が怖い。いざとなれば都以外の郡部は切り捨てられる、そう国民は考えるだろう」

「そうね……」

 深いため息とともに、マタバッキが言った。

「パパ・パパルボイは息子の教育に失敗したのかしら」

「教育しようと思っている間に、あの世に逝ってしまったんだろう」

 椅子を立ち上がったガヤフが、窓の外に目を向けた。

「政治家にとって、あの内向きの姿勢は致命的だ」

「いつも偉大な父親の顔色を窺って育ったのがよく分かるわ。まあ、親の威を笠に着ないのが救いではあるけど」

「あれには重すぎて着ることもできんのだろう」

 餅太りの体を揺すりながら立ち上がると、女史がガヤフの横に並ぶ。二人の胸に、木製のスコップを模ったバッジが付けられている。都創建当時、誰もが水路の掘削と都の地盤の嵩上げ作業でスコップを手にした。その労を労う意味も込めて、開都の式典の際に配られたバッジだ。だがそれを胸に付けた大臣も、今はガヤフとマタバッキの二人になった。

 ガヤフが窓越しに盤都の黄色い甍の波を見やった。人口十六万の都。おそらくは古代の光の世紀の都市に較べれば、ささやかな都だろう。それでも今の時代では、紛れもなく繁栄の地だ。そしてこの繁都は、交易商人の真似事をしていた宿郷の旦那や女将たちが、手探りで作り上げた都だった。

 建国の際、どういう国にするか、暗中模索で議論が交わされた。

 古代の歴史をひもとき、ゴーダム国が集中民主政を敷いたのに対抗して、バドゥーナ国は絶対民主制を選んだ。その象徴があのルーレット型の円卓だ。統首も円卓についた者として、同じ権限しか与えられていない。しかしその絶対民主制が意見の分裂ばかり生んで国政が滞り、かつ都の地盤整備に予算を掛け過ぎたおかげで、ゴーダム国との開発競争に遅れを取ってしまった。それが今も国土の広さの違いとなって残っている。

 その後、バドゥーナ国も権力の一極集中を図り、統首パパルボイに権限を集中して、一種のカリスマを意図的に作り上げた。大陸全土から移り住んでくる雑多な出自の連中を束ね治めるには、思い入れのできる国家の顔が必要だったのだ。パパ・パパルボイはその作られたカリスマに相応しい器の男だった、だからそれが上手く機能した。ところが、器のない、いやこれからその器を作っていかなければならない息子のボンにとっては、負担になっている。

 都を作ると同様、人を作るとは難しい作業だと思う。今のボン・パパルボイに多くを望むのは酷なことなのだろう。

 横に立ったマタバッキ女史が、やはり都を眺めながら言う。

「仕方ないわね、あれでも民主選挙で選ばれし者なのだから」

「しかし、さっきの決定で、この国は滅びるかもしれん」

 口には出さなかったが、心の中でガヤフは「堰は切れた」と言いたかった。

 二人とも分かっていた、決壊した堤には元以上の土を盛らなければ、流れこむ水を止めることはできない。一度不法移民を入れてしまえば、あとは推して知るべしだ。当面は境界線上の塁堤に土竜弾を埋設、水路に水上警邏隊を配して、避難民の侵入をラビス郡だけに押し留めることも可能だろう。しかしそれがいつまで持つか。

マタバッキが窓に手をつき、彼方に目を向けた。

「もう考えるのは止すわ。どの道このドバスの地に二百万を越える避難民が押し寄せてきた以上、経過はどうあれ行き着くところは同じ。そう考えていたからこそ、あなたもあえてボンの策に異議を唱えなかったのでしょう」

 自分の考えが読まれていることが、しゃくに触る反面、自分の気持ちを分かってくれる者のいることが嬉しくもある。そんな喜び半分といった微妙な顔で、ガヤフが言った。

「もう十歳若ければジタバタしたかもしれんが、この歳になると、結果の見えてしまったことには気力が湧かなくてな。古代風に言えば『作物を荒らす飛蝗に打つ手なし』ということだ」

「飛蝗はまだいいけど。ゴーダム国にやりたいようにやられるのには、腹が立つわね」

「ソー家のバクシットか?」

「きっとね」

 バクシットとは、今のゴーダム国の元老で、ガヤフにとっての宿郷時代のライバル、濠楽の筆頭若頭だった男だ。昔、修業時代に、ガヤフは船から落ちた荷を氷水に入って回収するゲームで、バクシットと最後まで競い合って溺れかけた経験がある。

「しぶとさで、あなたといつも張り合っていたわ」

「南からの上りの荷を扱っているくせに、北の荷まで手を出してきた業突く野郎だ。今回、避難民たちを焚きつけているのも、おそらくあいつだ。こちらが土竜を使えば、またすぐに何か次の手を打ってくるだろう」

「ボンで相手が務まるかしら」

「まさか、あの古狸に、ひよこのボンが太刀打ちできるか」

 そうばっさり言い切ったガヤフが、泰然と窓の外を眺めている。

 そのふてぶてしさに呆れた表情を見せたマタバッキだが、直ぐにピンときたのか「あなた、何か企んでるでしょ」と、老いた悪友の肘を突いた。

 女史の抉るような視線をかわしたガヤフが、分水路対岸に視線を張り付け言った。

「俺は、あの氷水で溺れそうになったことを忘れてはいない。それだけのことだ」

「国民を巻き添えにしないでよ」

「分ってる、しかし、隣の国の民のことまでは保証できんがな」

 そう嘯くとガヤフは、マタバッキの耳に顔を寄せ、何事か耳打ちした。

 マタバッキが目を見開き、そして用心深く周囲に視線を這わせた。

「まったく、あなたの悪知恵をボンに分けてやりたいわ」

「政治家の仕事は国を残すことだ。俺は国破れて山河在りなどという、仙人のような考えはしない。商売人の子だ。赤字にはしない、絶対に一ビスカでも利潤を出してみせる」

 やや、間があってマタバッキが女史らしい長い息を吐いた。

「そうでしょうね、でも私は、その切り札を使わずに済むようになることを祈るわ」

「ああ、もちろん。俺だってそうさ」

 ガヤフがいつもの豪放な笑い声を会議室に響かせた。



次話「点福様」

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