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星草物語  作者: 東陣正則
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調光シャッター


     調光シャッター


 霜都ダリアファルで、ダーナの画策したイベントが行われている同じ頃、ユルツ国の北方、氷床の只中にあるファロスサイトでは、施設内の個室に閉じ込められたウィルタが、退屈な毎日を過ごしていた。

 閉じ込められてからちょうど一週間、起きて食べて眠る以外は、時間の止まったような生活である。暑くも寒くもない部屋の中は、何の刺激もない。唯一の楽しみといえば、窓の外を眺めることだ。

 ウィルタは朝起きると、一番に窓の調光シャッターを透明にする。分厚い透明な板は、外からの光を完全に遮断することもできれば、部屋の中に差し込む光の量を変化させることもできる。おまけに色調の調整や増感処理まで可能で、昼間でも光量を絞り、色調を暗い青紫色にすると、いかにも夜という感じになる。

 朝遅く起きた時には、色調を黄色に変えて、窓から差し込む光量を少しずつ増やしていけば、今が夜明けだという気分に浸れる。最後に色調を白に戻して起床時間とするのだ。

 その日も目覚めたのは朝の七時、夜明けを一時間以上過ぎていた。

 窓の外では雪が激しく舞っていた。氷床と岩盤をくり貫いた場所から見て、この雪の降り方だと、氷床上では猛烈な吹雪となっていることだろう。

 もっとも調光シャッターが防音構造になっているために、外の音は全く伝わってこない。それは音を消したスクリーンの映像を見ているのと同じで、実感が湧かなかった。音のない映像は、無味乾燥な食物を舌に乗せるようなもので、五感が麻痺して、身も心も所在なく宙を漂ってしまう。

 朝の七時半、時間きっかりに部屋の扉の横にある配給口が開いて、食事が届けられる。四角い盆に、粒餅入りのミルク粥と、小皿に乗ったズヴェルと小魚の佃煮、そしてスポンジ状の揚げ餅が二本乗せてある。これに昼と夜は食巧品の果物が一個つく。ウィルタは窓際の机に朝食を運ぶと、調光シャッターの向こうの雪を見ながら粥を食べ始めた。

 ファロスサイトは、氷床を階段状に掘り下げ、その下に現れた岩盤を更に掘削、サイトを覆うガラス質の外殻を刳り貫いて、中の施設本体を露出させている。ウィルタのいる場所から見上げると、質量転換炉上の天井が円形に取り払われたように見える。サイトの天井が開閉式になっているのだ。この一週間、ウィルタも一度だけ、天井中央部の開閉部分が、半分ほど閉じられたのを目撃した。

 その施設上面に開いた開口部から、雪が吹きこんでいる。

 朝食を食べているうちに、吹雪が疎らになり、前方に黒いグロテスクな化物が見えてきた。閉じ込められて数日は、他にすることもないため、この古代の炉を眺めて過ごした。それが調光シャッターのリモコンを弄っているうちに、シャッターを上から下に向かって段階的に調光、下三分の二を磨硝子のようにぼやけさせることを覚えた。そうすれば、窓際に椅子を寄せて上を見上げている分には、ドーム天井の天蓋部分だけが見える。

 不気味な炉は日に数回チラッと確認するだけで、あとは天蓋の向こうの空を眺めて過ごす。天気が良ければ、そこに真っ青な空が覗く。部屋の中に閉じ込められていて、唯一心の安らぐことが、その切り取られた空を眺めることだった。

 それが今日は灰色の空が拡がる雪模様で、とても青空には、お目にかかれそうにない。実はもう三日もこの空模様が続いている。今日も灰色の空を眺めて過ごすのかと、ウィルタがうんざりしたように頬杖をついた。

 椅子にどっぷりと腰かけ、頭を上に向けて灰色の空を眺める。しかし一時間もやっていると、どうしようもなく心が苛立ってくる。

 音がなく、自分以外に動いているものもなく、そして喋る相手のいないということが、これほど耐え難いことだとは、ウィルタは思ってもいなかった。

 しかし苛立っても、どうすることもできない。一番の楽しみは食事だが、それがいつも判で押したようなメニュー。そのせいだろう、この数日で、みるみる食欲が落ちてきた。昨日と一昨日の昼食についていた食巧品の果物、林檎とバナナもどきが、手もつけないままに机の上に転がっていた。

 ほとんど体を動かしていない。そう思って部屋の中を歩き回るが、広々とした屋外ならいざ知らず、狭い部屋で、それも一人で体を動かしていても、気が滅入るか、余計に苛立つだけだ。

 余りに退屈なので、試しに自分の透視の能力を使って、壁の向こうを覗いてみようとした。ところが、それができない。透視しようとすると、暗闇の中で固い壁にぶつかったような感覚が沸いて、視界が暗転してしまうのだ。四方八方、ドアも含めて部屋のどちらを向いても結果は同じ。理由は分からないが、これではベッドに横になっているしかなかった。何も考えず、とにかく寝てしまうのが、一番ストレスを感じなくて済む方法だった。

 ベッドの上に寝転がりウトウトする。目が覚めれば、外の灰色の空を眺め、部屋の中を動き回り、そしてウトウト。それの繰り返し、ひたすら繰り返し。

 いったい自分は今日だけでも、何回ウトウトしただろう……。

 横になって夢うつつの世界に逃げ込んでいたウィルタの耳に、かすかに音らしきものが聞こえた。物を削っているような音だ。音の方向に意識を集中させる。

 音は仰向けに寝ている自分の頭のすぐ横、右側から聞こえてくる。

 夢の中で考える、右側にあるのは机だ。リモコンは毛布の上に転がしてあるから、机の上にある物といえば、赤と黄色の食巧品の果物と、昼食の際に食べ残した揚げ餅である。

 食べ物が音を出すはずがない……。

 ウィルタの耳に、動く物の気配が伝わってきた。

 ハッとしてウィルタは目を開いた。

 素早く毛布の上のリモコンに手を伸ばし、キーに指を触れる。

 明かりがついた瞬間、淡いピンク色のものが視界の隅をよぎり、机の下に逃げ込んだ。ピンクの平べったい体に、刺のある折れ曲がった長い足、豚虫だ。

 体を起こし、急いで机の下を覗きこむ。ベッドの下も。ところが豚虫の姿はない。

 ウィルタはベッドから起き上がると、狂ったように部屋中のあらゆる場所に頭を突っこんだ。置いてある物を動かし、裏を確認。ベッドのシーツも剥がす。ところが確かに見たと思った豚虫の姿は、どこにもない。

 気を落ち着けるようにベッドに座って考える。あれは夢だったのだろうか。

 そう思って、何げなく机の上に転がっている揚げ餅に目をやり気づいた。表面に筋状の抉れた跡が残っている。豚虫の噛り跡だ。

 豚虫はいる。寝惚け眼で見た夢ではなかった。何度かタタンの家で目にした豚虫と比べても、さっき見たやつはかなり大きかった。釣り人が逃がした魚を大きく思うのとは違う。自信がある。自分が見た豚虫は、大人の親指くらいの大きさをしていた。

 でも本当にいたのなら、どこに隠れたのだろう。

 閉じ込められてから、ちょうど一週間。もし部屋の中にいたのなら、今までに気がついたはずだ。ということは、揚げ餅の匂いに魅かれて、外から入ってきたということになる。この密閉された部屋のどこかに、親指大の豚虫の出入りする隙間か、穴があるのだ。

 元気が沸いてきた。豚虫を探すという目的ができたのだ。

 そして豚虫の出入りする穴探しが始まる。

 最初は天井の通風口ではないかと考えた。しかし通風口には目の細かい金属の網が填め込まれ、豚虫が出入りすることはできない。続いてベッドの後ろや洗面所の台の下など、覗けそうなところを虱つぶしに隈なくチェックする。

 三時間、延々と探し回ったあげく、ウィルタは机の後ろの壁、床から手の平ほどの高さに、細いひび割れを見つけた。長さ三センチほどの糸のような三日月型の割れ目で、その縁に豚虫の黒い糞がついていた。

 ウィルタは嬉しくなった。自分以外の生き物がこの部屋に出入りしている。きっと揚げ餅の匂いにつられて、この隙間から這い出してきたのだ。豚虫は普段ならあまり歓迎される虫ではない。それでも話し相手のいない、外の音も聞こえないこの部屋では別。

 とにかく動くものなら何でも良いから側にいてほしい。そう思ってウィルタは、豚虫が三日月型の隙間から顔を出さないか、観察を始めた。

 その細い隙間を見ているうちに、あることに気づいた。部屋に閉じ込められた直後、退屈しのぎも兼ねて、部屋の壁という壁は、食事の時に使う金属製のスプーンで叩いて、壁の厚みやひび割れのあるなしを確かめてある。それで分かったことは、この部屋の壁が、金属のスプーンでは傷一つ付かない固い壁だということだ。表面の塗料の下は、どこも一様に固い壁材で塗り込められている。ならその固い壁にどうして三日月型の穴が……、

 試しに三日月型の割れ目周辺の塗料を、スプーンで削ってみる。

 すると三日月の形に囲まれた内側の材質が、壁のそれと違っていた。よく見ると円形部分の中央が、ほんの少しだけ窪んでいる。たわみ程度のへこみだ。

 実はその窪みは、部屋の内と外をつなぐ配線や配管を通すための穴の跡だった。使われなかった穴は、工事の後に充填剤を入れて塞がれる。通常なら充填剤の収縮によってできた隙間も再度充填剤で埋められるのだが、なぜかその作業の前に塗料が吹きつけられてしまった。その結果、塗料の薄い皮膜の後ろに隙間が残され、そこを壁の内側から豚虫が噛り取って出てきたのだ。

 むろん、そんな事情はウィルタには分からない。しかし誰がみても、材質の違う円形の部分は、壁の穴を塞いだ跡のように見える。ウィルタは指でその円形の部分を押した。すると円形の部分が奥に向かって滑るように動き、ぽっかりと穴が開いた。大人の親指よりも一回り太い穴だ。中は真っ暗で何も見えない。

 豚虫の気配がしないか、耳を穴に当てる。

 何か聞こえる。豚虫……と思い、直ぐに首を振った。豚虫は鳴かない。

 床に腹ばいになって、もう一度穴にしっかりと耳を当てなおす。すると耳の奥、聴覚のセンサーが、明らかに人の声と分かる音を捉えた。女性の声、それも歌声だ。

 誰かが穴の向こうで歌を歌っている……。

 歌声は海岸に打ち寄せる波のように、ゆっくりと大きくなったり小さくなったりする。

 声に何か叩くような音も混じる。歌いながら踊っているようだ。音が大きくなったり小さくなったりするのは、部屋の中を行ったり来たりしているからだろう。

 穴の向こうに誰かいる。

 これまで何度か壁を叩いてみたが、何の反応もなかったので、隣には誰もいないものと思いこんでいた。いや隣に部屋があるのかどうかさえ不確かだった。それが隣にも部屋があって、自分と同じように誰かが閉じこめられている。その閉じこめられた女性が、退屈な時間を紛らわすために歌を歌っている。そうに違いない。

 ウィルタは元気づけられるとともに、すぐに歌の主に自分がここにいることを知らせることができないか考えた。しかし完全防音の部屋だ。簡単に音が伝わるとは思えない。それは壁の向こうから聞こえてくる歌声のか細さからも分かる。遠いホールから漏れ伝わってくるような音なのだ。

 それでも、何とかして自分がここにいることを知らせたい。

 まずは思い切り手で壁を叩いた。予想していたが、叩いた後すぐに耳を穴に当てても、歌声は何事もなかったかのように続いている。手で叩くのが駄目なら次は椅子。背もたれを力任せに折り取ると、座面を両手で掴んでバンッと壁に打ちすえる。そして穴に耳を押し当てる。歌は変わらず続いている。

 三度四度とぶつけても、打ちつける場所を変えても、反応は感じ取れない。

 しかし叩く以外の方法を思いつかなかった。仕方なく同じことを繰り返す。そうするうちに手にまめが出来てしまった。これ以上同じことをしても無駄だ。

 そこで、最後ものは試しと、部屋の反対側の壁を叩いてみた。

 すると、なんと穴の向こうで音が消えた。歌が止んでいる。

 コレは……と思い、同じ場所を叩く。叩いて素早く身を翻し、穴に向かって叫ぶ。

 この一週間で溜まっていたうっぷんを晴らすように、ぶつけては身を翻して叫ぶ。さらに、ぶつけて叫び……。

 穴の向こうで、声とは違う何か物が転がるような音が鳴った。一度、二度……。

 少し考えて、向こうでも壁に何か物をぶつけているのだと気づいた。きっと思い切りぶつけているのだろうが、壁を通すとあのくらいの、洗濯物を叩くほどの音になってしまうのだ。でもとにかく壁の向こうにいる人が、こちらに気づいて返事を返そうとしている。

 ウィルタは飛び上がりたくなるほど嬉しくなって、穴に向かって叫んだ。

 幸いなことに、壁の向こう側にも同じような穴があったらしく、半刻後には、壁の穴に当てたウィルタの耳に声が届いた。女性の声だ。

 雰囲気からして、その女性も叫んでいるようだが、遠い谷の向こう側で叫んでいるようにしか聞こえない。それでも、日に一度、通信パネルを通して聞く保衛官の事務的な声とは違う、人の人らしい声だ。

 ただどうにも声が遠い。それに床から十センチほどの位置にある穴に向かって叫ぶのは、骨が折れるし、声を出し難い。あれこれ試しているうちに、紙のラッパを使って声を遣り取りする方法に行き着いた。壁に貼ってあった古代の紙のカレンダー、その紙をラッパのように丸めて穴に突っこみ、寝転がって横半身の態勢でラッパに口を当て、声を張り上げるのだ。身を屈めて中途半端な姿勢で穴に向かって叫ぶよりは、この方が声を張り上げやすいし疲れない。女性側がどういう体勢で叫んでいるのか分からないが、しばらくすると女性の声も、聞き取りやすくなった。

 そうやって、隣の部屋にいたバニアという女の子との会話が始まった。

 気がつくと、すでに夜の九時、外では相変わらず雪が吹雪いていた。


 日づけが変わって朝。

 昨日まで、ウィルタはできるだけゆっくりと食事を食べた。食事以外に何もすることがなかったからだが、今朝は急いで掻き込む。

 てきぱきと食事を終え、トレーを入り口脇の配給口に戻して、顔を洗って歯を磨き、朝の儀式トイレを済ませる。準備万端、窓際の椅子に腰かけ、机の上の時計を確認。八時五分前、少し早いかなと思ったが、ウィルタは窓を背に右側、机の置いてある側と反対側の壁に近づき、壊れた椅子の座板で壁を大きく三度叩いた。そして身を翻して机のある側の壁に取りつき、穴に耳を当てる。

 数秒おいて、微かにだが壁を三度叩く音が返ってきた。

 待ちわびていたように、ラッパ型に丸めた紙の先端を穴に差しこみ、思い切り大きな声で「おはよう、マル」と叫ぶ。

 そして、直ぐにラッパの広がった口に耳を当てる。

 ほとんど間を置かず、ラッパから「おはよう、ウィルタ、くん、今日も、すごい、雪だね、マル」という声が返ってきた。次はウィルタの番、さっきと同様、ラッパに向かって叫ぶ。そして叫び終えると、最後にマルと付け加える。

「マル」が、話し終えたことのサインだ。

 そしてまた、ラッパの口に耳を当て……、

 隣の部屋のバニアという女の子との、壁を挟んだ会話だった。

 寝っ転がって壁の穴に突っこんだラッパに向かって喋る。「マル」と言って話を区切ると、今度は向こうが喋る。面倒だがそれが一番効率的な話し方だった。寝転がり体の右半身を床に着けているので、右腕が痺れてくる。それに離れた山と山の間で声を掛け合うような喋り方なので、あっという間に声が潰れてしまう。

 昨日の夜、九時頃から本格的に話を始め、五時間喋ったところで続きは明日にということにして話をいったん中断。それでも昨夜だけで、ウィルタは随分と色々な事をバニアから教わった。 

 窓の向うに見える黒いグロテスクな円塔が、通称『竜のはらわた』と呼ばれる物質から光を取り出す質量転換炉で、その古代の炉を取り囲むようにして、他の施設がドーナツ状に配置されている。ちょうど自分たちがいるのと反対側に位置するのが、核力炉のブロックで、質量転換炉は、その核力炉で生み出される電力を使って稼動する仕組みになっている。ただそれ以上の炉の仕組みについては、バニアは解らないという。

 話をして感じたのは、バニアの興味が、施設の構造や理論よりも人にあるということだ。すぐに話の内容は、サイトにいる人たちに移った。

 バニアの話では、いまファロスサイトの施設内に閉じ込められている民間人は十一人。今回の計画に反対する活動家か、活動家の親族で、燭甲熱の感染の疑いをかけられ、氷床上の隔離施設に収容するという名目で、ここに連行されてきた。

 これは実力で臨界実験を阻止しようとしている反対派のメンバーに圧力をかけるために行われたことで、反対派のメンバーや、その家族をサイトに収容することで、もし妨害によって事故でも起きれば、一番に身に危険が及ぶのは、あなたたちの家族や仲間なのですよと、示威しているのだ。またその十一名の他にも数名、計画に非協力的な専門家の家族が収容されているらしい。

 ただそういった人質的な収容者とバニアは、少し違う立場にいる。

 十年前の惨事の時、バニアは五歳。

 父親がサイトで働いていたバニアは、スタッフの家族として臨界実験に招待され、事故に巻き込まれた。爆発の際に逃げ遅れて、全身に火傷を負ってしまったのだ。今も体中にその跡が、ケロイド状の皮膚となって残っている。

 その悲惨な怪我が、バニアを惨事の被害者として著名な人物に仕立て上げた。

 実は同じ事故でバニアの妹が亡くなっている。そのこともあって、バニアの母親は惨事の後、政府の責任を追及する活動に参加し、やがて活動の中心人物となる。

 惨事の責任追及グループは、世論に訴えるために、被災者が都の人々の前に直接姿を見せて惨状を語るという方法を取った。言葉で訴えるのも良いが、肉親を失った人の生の言葉や、実際、体に障害を受けた人の姿ほど効果的なものはない。なかでも、まだ年端もいかないバニアの無惨な姿ほど、大衆に訴えるものはなかった。

 本来なら自分の意志で人前に出る出ないを判断できる年齢の者が街頭に立つべきだが、バニアの母親は、下の娘を亡くした無念さも手伝って、事故の悲惨さを訴えるために、五歳のバニアを衆目の環境の元に連れ出した。バニアは人々の好奇の目に曝されることになり、やがてバニアは責任追及グループのシンボルとなっていく。

 補償金目当て、売名行為という嫌がらせにも耐え、バニアは十年の間、熱で爛れた腕や顔を人前に曝しながら、グループの運動に協力してきた。不満を抑えてそれを続けさせたのは、妹の供養と、やはり惨事に対する怒りがあったからだ。

 しかしバニア自身は、十年の節目の年で、自身の活動に区切りをつけるつもりにしていた。もう追及運動は十分だし、十六歳である。これ以上自分の体を人前に曝すことは、耐えられなかった。その自分の決意は、責任追及グループの人たちにも表明してあった。

 それが……、

 事もあろうに、事故の責任が曖昧なまま、十年前の計画が再び第二次ファロス計画として再開されることが決定。責任追及グループは、そのまま計画再興反対グループとなり、バニアを新しく始まった反対運動のシンボルに祭り上げようとした。ただ今回は、それを事前に察知した推進派が、先手を打ってバニアの身柄を拘束、ファロスサイトの現場にバニアを幽閉してしまった。それだけ影響力があると判断しての措置だった。

 ところが、バニアが拉致同然に連れ去られ、サイトに幽閉されても、計画再興に反対する人たちがそれに抗議することはなかった。救援の手も差し伸べなかった。

 その訳は、彼女の父親が、今回の計画にスタッフとして参加しているということ。バニアの父と母は惨事の後に離婚している。もし反対派がバニアの拉致監禁を暴露しても、政府側は、彼女が父親の世話で現場に赴いているとしか説明しないだろう。バニアのような者を身内に持ちながら、それでも計画再開に協力して奮闘している父親、そのことが、計画推進のために利用される怖れがあった。そのこともあってか、反対派は敢えてバニアの拉致の問題に頬かむりをしたのだ。

 今はバニアの代理として、別のもう少し年上の、四肢に障害を負った女性をシンボルに祭り上げて、反対運動を展開している。

 バニアからすれば、惨事を引き起こした関係者は、当然唾を吐きかけてやりたい存在だが、それと同時に、惨事の責任追及グループ、今の計画再興反対グループの連中も、結局は自分を利用しただけであり、不愉快以外の何物でもなかった。そして自分の母親はというと、何も分からない少女だった自分を公衆の曝しものにした張本人だ。

 そして今、自分の父親は、今回の計画再開の中心スタッフとして、この事業地に入り浸っている。そのことに関しては、はらわたが煮えくり返る思いがする。妹が亡くなり、さらには残った娘の顔を二目と見られないほどに変えてしまった、そんな計画の再興に協力しているのだ。父は前回の計画にも参加している。単なる電気技師としてだ。それが今回は専門家が払底していることもあって、中心スタッフとして参加を要請され、その誘いを二つ返事で引き受けた。復興計画が上手く行けば、相応の地位が技術院で保障される。その甘言に乗せられたとしか思えない。

 バニアにとっては、何もかもが腹立たしいことだった。

 父親の姿は、ここに連れてこられた当初、一度だけ見かけた。

 吐き気がした。父親は十年前の惨事の後、古代の炉を復活させる計画は間違いであったと、はっきり明言。計画の再興が取りざたされ始めた時も、危険性を考慮して疑問を呈していたのだ。それが仕事の声がかかったとたんに、はいはいと餌に食いついた。本当に反対なら、舌でも噛み切って死ぬばいい。嫌々ながらでも計画に協力するのは、成功して大きな報酬を得ることや、その後の自分の役職に下心があるからだ。

 父親を罵倒する言葉が続く。

 壁の向こうから聞こえてくる遠い声にも、バニアの怒りは充分に感じられた。

 話を聞いていてウィルタは思った。何もかもが、バニアにとっては腹の立つことなのだろう。まさに世を呪うという有り様だ。

 バニアは毒づく。毎日出される食事にも、私にこんな食事を出すくらいなら、都の貧しい人たちの配給を増やすのが筋だと。無機質な音の聞こえない部屋にも、何を考えて、こんな非人間的な部屋を作ったのだと、八つ当たり。バニアの荒んだ話しぶりに、ウィルタは、惨事が人の体だけではなく、心にも深い傷を残すのだということを感じていた。

 バニアの話が、ファロス計画を遂行する側の人物に移った。

 ファロスサイトでは、現在四百名ほどの人が働いている。褐炭発電関連の施設や揚水所の建設中は倍の人間がいたが、作業が終わった今は、施設内の保守点検の人員が中心である。食事や福利厚生、警備の人なども入れての数字なので、専門家だけでみると思ったよりも少ない人数である。

 計画の中心スタッフは、官制室のある建物に詰めている。その数三十名ほど。前の惨事の経験者は五名、バニアの父、ジャブハ技監もその中の一人である。

 バニアが一人一人の名前を上げて説明する。

 ウィルタがオバルのことを聞くと、黒炭肌のノッポ……、という言葉だけですぐに分かったようだ。サイト1の計画の際は、情報解析班の助手兼、広報部の写真記録係を担当していた人物と、すらすらと役職名まで出てくる。広報部の主官がダーナで、オバルがその下で働いていたということを聞かされた時には、さすがにウィルタも驚いた。

 あの仮面をつけたダーナ、彼女の正式の肩書きは、ユルツ国評議会議員兼、国土復興省の第二次復興計画事業総監督、つまりファロスサイトの現場の責任者だ。ちなみにこの第二次ファロス計画の包括責任者は、復興省大臣のズロボダになる。

 ダーナは名門政治家一族の出で、前回の復興計画の際は、官僚としてファロス計画の広報を任され、そして今回の第二次の計画では、自身の父親、前国務大臣の強力なコネで計画の事業総監督となった。細腕ながらもその辣腕で計画を強力に推し進めている。

 女が顔を失った怨念で計画を進めているとの評判で、あの仮面をつけた顔で詰め寄られると、みな反論できなくなるという。当初は政府内部にも計画に反対の立場を表明する者がいたが、今では表だって計画に異を唱える者はいなくなった。俗に女の武器という言い方があるが、ダーナは仮面の顔を武器に人を動かしているといえる。女帝バハリの後継者になるのではとの、もっぱらの噂だ。

 バニアの人物評は、計画の推進に携わる政府関係者から、果てはサイト内の食事を配給している人にまで及ぶ。バニアがあまりにサイトで働いている人たちに詳しいので、ウィルタが不思議に思って尋ねる。するとバニアは、あっさりと種を明かした。

 バニアの部屋にもウィルタの部屋同様、保衛官に連絡を取るための通信パネルが設置されている。その通信パネルが故障しているのだという。

 どういう仕組みになっているのか、押すスイッチによっては、保衛官の控室の会話が筒抜けで聞こえる。不思議だがそういう状態になるのは、一日でかっきり午後の十五分だけ。それでも二人いる保衛官同士の話や、保衛官が他の部署の者と交す通信を聞くことができる。それを盗み聞きすることで、バニアはファロスサイトの情報を仕入れたのだそうだ。

 バニアが、サイトに閉じ込められている計画反対派の人質のことを話しだした。

 一人一人名指しで、どういう活動をしているのかを説明。だがその口ぶりは、計画を推進している側の人たちに対するよりも手厳しい。扱き下ろしていると言ってもいい。同じ立場で活動していただけに、許せない点があるのだろう。

 ただ、バニアがそう思うのも何となく分かるような気がした。たくさんの人が命を失い、家族をなくし、人生を狂わされたのだ。事故で自分の体をめちゃくちゃにされ、反対派に協力させられて、人前に曝されることで、今度は心まで引っ掻きまわされた。推進派と反対派、どちらも自分の人生を台無しにしたという点では、同じ穴の狢なのだろう。

 ウィルタの知らない名前が続く。それをウィルタは口を挟まず、相槌を打つだけで聞いていた。

 一通りサイトにいる人物を説明した後、バニアは一人大物を忘れていたと言って、ハンという名前を出した。

 バニアが、この男が全ての諸悪の根源なのだと吐き捨てた。

 今このサイトにはいないが、前回の計画時の技術部門の最高責任者で、惨事の後、責任を放り投げて姿を隠した卑怯者。この男がちゃんと前回の事故の落とし前をつけて、真相を明らかにしていれば、今回の計画の再開はなかったはず。いやそれ以前に、この男が最初の計画に協力しなければ、サイトの事業は行き詰まり、結果自分が惨事に巻き込まれることもなく、今ここに閉じこめられることもなかった。三千人近い人が亡くなり、今も多くの人が後遺症に苦しむこともなかった。全てはこのハンという男の責任なのだ、と。

 バニアのハン博士に対する呪咀の言葉が続く。

 興奮しながら喋るバニアの話を耳で受け止めながら、ウィルタは机の足の隙間から窓の外に目を向けた。調光シャッターは、朝一番で全面透明な状態にしてある。サイトの穴に吹き込む雪が薄れ、黒い炉がぼんやりと姿を見せ始めていた。

 バニアの言葉が紙の筒を通って、自分の右耳から左耳へと素通りしていく。

 自分は父親に会いにいくために旅に出た。それが結局、本当の居場所も分からないまま、ここに連れて来られた。父さんはどこにいるのだろう。まだ塁京のどこかにいるのだろうか。それとも捕まってユルツ国に来ているのだろうか。

 独房のような部屋の中にいると、外で何が起きているのか全く分からない。今この瞬間にも、あの『竜のはらわた』という炉が暴走を始め、人から何度も聞かされた爆発が起きようとしているのかもしれない。そう思うと胸の鼓動が早まる気がする。外の音が聞こえないということが、余計に不安を掻き立てるように思う。

 ウィルタがぼんやり窓の外を眺めていると、耳に当てたラッパの向こうで、バニアが大声を上げた。

「ウィルタ、聞こえる、聞こえてるなら相槌くらい打ってよ、マル」

 慌ててウィルタが、ラッパに向かって声を張り上げた。

「ごめんごめん、ちゃんと聞いているから。久しぶりに窓の外の雪が晴れてきたから、そっちに気を取られていただけだよ、マル」

 すぐにラッパの中に返事が返ってきた。

「わたし、聞いてなかったけど、ウィルタがその部屋に閉じ込められているってことは、何か理由があるの、スタッフの中に誰か関係者がいるの、マル」

 ウィルタは、ハッとして声に詰まった。顔が見えなくて良かったと思う。顔が見えれば、顔色が変わったのを気づかれてしまっただろう。

 ウィルタは「ぼくは……」と口ごもると、「ぼくの両親は計画のスタッフで、でも母さんは、事故に巻き込まれて亡くなって……」と、ようやくそれだけを答えた。

 とても自分の父親がハン博士だとは言えなかった。ウィルタがそのまま黙っていると、バニアはもうそれ以上、そのことについては聞いてこなかった。反対派としての監禁ではなく、協力的でないスタッフを働かせるための人質だと考えたのかもしれない。

 ウィルタは話題を人から他の物に変えたくなって、調光ガラスの向こうに見えてきた巨大な炉がどういうものかと聞いた。

 バニアは、一言「化物よ」と、口に出すのも憚るように切って捨てた。

 もっともどんなに声を張り上げ、声を荒げて話そうが、細い穴を通して紙のラッパの中に聞こえてくる音は、ぼんやりとして緊迫感は汲み取れない。ウィルタはバニアが話した後にマルと言わなかったので、そのままラッパに耳を押し当てていた。しばらくしてバニアは、自分がマルを言わなかったことに気づいたのだろう、また喋りだした。

 そしてバニアの声を聞きながら、ウィルタは今度こそ顔の見えない状態で喋っていたことに感謝した。

 バニアは言う。

「ここに閉じ込められた後で知ったんだけど、この秋に提出された、事故原因の再調査の報告書には、伏せられた一項があったっていうの。それは、事故当時、ハン博士には目の悪い子供がいて、その子のいたずらが原因で、あの惨事が引き起こされたっていうものなの。色々あって、結局、正式の報告書には盛り込まれなかったっていうんだけど、どうやらそれが、あの惨事の原因の一番の真相だったらしいの、どう思う、マル」

 バニアの話すマルという言葉が、ウィルタの頭の中をグルグルと回っていた。

 ウィルタの耳にバニアの声が再び聞こえた。

「ねっ、ウィルタ聞いてるの、マル」

 ウィルタが慌てて返事を返した。

「うん、聞いているよ、ラッパを巻き直してたんだ、ごめんごめん」

 咄嗟にそんなことを口にしながら、それでもウィルタの頭の中では、バニアの言葉が、頭の中を掻き乱すように回り続けていた。

 自分があの惨事の原因……?

 完全に雪が止み、『竜のはらわた』がその重苦しい姿を露わにしていた。



次話「ジーク」

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