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星草物語  作者: 東陣正則
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耳飾り


     耳飾り


 会議二日目。昨日から延々と、バドゥーナ国の首府、盤都バンダルバドゥンの政府庁舎では会議が続けられていた。

 何とか自国が母種の入札を勝ち取りたいという想いは、対岸のゴーダム国側も同じである。しかし、日輪洋行が示した最低入札額は二億ボルだが、その値段が競争入札によってどこまで上がるのか、その判断が難しかった。

 二億ボルという額は、バドゥーナ国でいえば、自国の国家予算の三パーセントほどに相当する。そのような大金を素性の知れない裏稼業の商人グループに支払うこと自体が、ばかげたことだという者もいれば、国家の将来を決める母種ゆえに、正に正鵠を射た金額だという者もいる。しかし問題は、やはりそれが競争入札によって決まるということだろう。

 今の国勢に合わせて幾らなら払うことができるのか、幾らならゴーダム国の提示する金額を上回ることができるのか。

 各自各様の意見が飛び交い、会議は紛糾。母種の買い取りに予算を割きすぎると、来夏の苗の植えつけまでの間に行わなければならない水路掘削などの資金が不足する。それに力の拮抗を維持する軍需品の買い付けを続行しなければ、母種は買い取ったものの、ゴーダム国に力づくで母種を奪われてしまう可能性も出てくる。最低限、隣国の圧力を押し返すだけの力は整備しておかなければならない。

 国家の財政は運用する額は大きいが、融通の利く資金というものは意外と少ない。全ては年度初めに使途を決めてあり、まとまった額を変更しようとすると、ほとんど一から予算を組み立て直さなければならなくなる。個人の財布なら、それを手にした者の一存でどうにでもなるが、国家の財布は、それに依存する人の数だけ様々な使途があり、複雑に絡み合う利害の調整を必要とするものだ。

 あからさまに言えば、戦争も国家の遂行する事業で、必要なのは綿密な財政運営である。財政の規模を越えた戦争は不可能だし、最低限行わなければならない基本的な国家の運営費を割いてまで行う戦争は、まず失敗に帰する。臨時の国債をこの夏から、すでに三度に渡って発行、それはもう全額を武器調達に回すことで結論がでている。

 それに頭の痛い問題がある。流入する避難民対策の費用が、年度初めの予想を越えてウナギ昇りに増加していることだ。新たな税制を発布して、新規の水上警邏隊の整備にあてているため、これ以上の増税は、国民の相当な反発を買うだろう。

 予算の何を削って母種を入手するための費用を捻出するか。少々高くとも母種を購入すべきということで、全員の意見は一致している。ところが、財源をどこから捻出するかとなると意見が割れる。各大臣は、みな自分の所轄の財源を削ることは避けたがった。

 総論賛成、各論反対である。

 意見の収拾がつかない場合は、統首に判断が委ねられるが、歳若い統首のパパルボイは、議論が煮詰まっていないとして、なかなか自身の判断を下さない。結論が出ないまま、議題は継続審議となって明朝に持ち越された。

 財源確保の議論をどこに収束させれば良いのか、全く見通しが立っていなかった。当初は日輪洋行の指定した四日後の初回入札までの時間が中途半端に長く、意見の集約は二日もあれば十分ではないかと、誰もが思っていた。しかし実際に会議を始めてみると、とてもその時間で意見を集約させることが難しく思えてきた。

 悔しいかな日輪洋行は、バドゥーナ国の政府内部の意志決定機構の脆弱さ、とくに統首の統率力のなさを見透かした上で、四日という猶予期間を指定してきたのだ。


 深夜。迎賓館別館のガラス室。

国務大臣のガヤフが、丸二日に及ぶ会議で疲れた体を休めにガラス室に入ってきた。

 と、禽鳴舎にポツリと明かりが灯っている。不審に思って覗くと、園丁のホロが円卓に向って無心に指先を動かしていた。忍び足で近寄り、背中越しに声をかける。

「精がでるな、ホロ、何を作っておる」

「あ、これはガヤフ様」

 顔を上げたホロが、悪戯を見つけられた子供のように、手元に置いてあったものを手で覆った。

「いい歳をして子供みたいに隠すな、見せろ」

 目の前にがっしりとした手を突き出されて、ホロは仕方なく被せてあった手をどけた。

 顔を近づけたガヤフが、机の上のものを覗き込んでオッと感嘆の声をあげる。

「なんだ耳飾りではないか。ホロ、内職でも始めたか。それとも誰か良い人でもできたか」

「ご冗談を。見られてしまいましたから白状しますが、それはお嬢様に頼まれたものです」

「ジャーバラに?」

 ホロが耳留め用の金具を付けたばかりの石をガヤフに差し出した。片面が灰色だった石の欠けらは、磨き上げられて全面漆黒の色合いに変わっている。

「知り合いから貰った石で、すごく気に入っているので、これで耳飾りが作れないかとおっしゃいまして」

 受け取ったガヤフが「フム」と、顎の短いひげを撫で上げた。

「ジャーバラのやつ、わしの嫌がる顔を見るのが楽しくて、これ見よがしにチャラチャラしたピンクの飾り物を身に付けよる。あいつも反抗期だからな、しかし……」

 ガヤフは胸のポケットから老眼鏡を取り出すと、それを虫眼鏡のようにして耳飾りに視線を注いだ。

「ほおーっ、真っ黒な石か。これを娘が気に入っていると。亡くなった女房も、落ち着いた黒のアクセサリーを愛用しておったが、やはりあいつの娘だな」

 娘の秘密を知ったことが嬉しいのだろう。ガヤフはゴツゴツした岩のような顔を綻ばせると、黒い石を目の前の白灯の明かりにかざした。

 触れるほどに顔を寄せると、石の黒さが表面的なものではなく、奥行きを持ったものであることが分かる。目を凝らすと、細かい紋様が折り重なって並んでいる様子が見えてくるのだ。声紋石の紋様だが、一般に流布している声紋石のそれとは密度が違う。見つめるほどに、小さな石の中に吸い込まれて、海溝の奥底か、何億光年もの宇宙の果てに抜け出てしまいそうな錯覚を覚える。

 ブルッと体を震わせたガヤフに、ホロが「いかがしました」と声をかけた。

 ガヤフは答えず、もう一度その石を喰い入るように見つめた。闇に浮かび出た声紋の重なりを、どこかで見たことがあるような気がしたのだ。

 数回首を回すと、ガヤフは記憶の川原から小さな黒い印を拾い上げた。

 今から三十年以上も前のこと、宿郷の若頭だったガヤフは、北のアルン・ミラ国へ商取引の勉強にやらされた。その帰り、見聞を拡げるために様々な土地に立ち寄り、晶砂砂漠の古都ヒシスにもしばらく逗留した。そこで満都の遺跡を管理するゲルバ族の古老から、発掘品の古代の印を見せられた。数百個はあった印の中で、一番に目に留まったのが、光をも吸いこみそうな黒い石で作られた印、何十万個に一つあるかないかという、漆黒の声紋石で作られた印だ。

 古老は、満都歴代の王に継承された印だと説明した。

 古の時代、王政華やかなりし頃、王のみが持つことが許された玉璽。古老は説く。王たる者、清濁合わせて呑み乾す器の広さと深さを持たねばならない。それを意味するものとして、漆黒の声紋石で彫られた玉璽を王は携える。今はもうガヤフの記憶のなかに、印の鑑は、おぼろにも残っていない。それでも、その玉璽の闇を湛えたような黒い肌理と、その奥底に垣間見えた声紋の重なりは、脳裏にこびりついている。

 ゲルバ族の古老は続ける。王の玉座は自らの手で奪い取るものであり、印は与えられるものであると。王は玉座を奪い取る。だがそれで王が王たれるのではない。同時に、王は王であることが臣民によって祝福されねばならない。その臣民の祝福を象徴するものとして、王は印を授かる。もし王ならざる者が、姦計を弄して印を得た時、漆黒の玉璽はその者に大いなる災いをもたらすであろう。

「王の印は授かるものである」と、古老は繰り返した。

 じっと耳飾りの黒い石を手にして考えこんでいる大臣に、「ガヤフ様……」と、ホロが心配げに声をかけた。

 ガヤフは我に帰ったように石から顔を上げると、

「何でもない。ジャーバラは、その石を貰ったと言ったのだな」

「ええ、確かに、そうおっしゃいました」

 耳飾りを園丁に返すと、ガヤフは脇の椅子に腰を落とした。

 そして思い出語りに話しだした。

「もう都の創建当時からの生え抜きの仲間も少なくなった。ホロも、その数少ない一人だ」

 テーブルの脇に足をそろえ、直立不動の姿勢のホロが恐縮したように返す。

「仲間だなどと怖れ多いこと。わたくしは労夫の衛士上がり、下働きの身分ですから」

 姿勢を正す園丁に、ガヤフは座るよう命じると、

「それでも昔を知っている者が身近にいてくれることは、心強いものだ」

 そう言って、疲れた目を揉み解すように眉に指を当てた。長時間の会議で老眼の進んだ目が疲労の極にある。

 遠慮がちに椅子に座ったホロが、「ガヤフ様でも、気弱になることが、おありになるのですか」と、気遣うように尋ねる。

 目尻のしわを白灯の明かりに浮かび上がらせつつ、ガヤフが首を振った。

「もう都の上層部もほとんど人が入れ替わった。宿郷時代からの人材で残っているのは、ほんの一握り。政府の要職では俺ともう一人。そいつももう、引退を宣言している」

「ガヤフ様は宿郷の若頭でいらしたそうで」

「ああ、あとは皆、都が繁栄し始めてからこの地に移り住んできた者たちだ。瘴癩の地と言われたこの地で暮らす苦労など、何も知らない。この地の繁栄の湯船に生まれた時からどっぷりと浸かってきた連中だ。だから何か事が起きると、今の自分たちの生活を守ることが優先してしまう。問題意識はあるのだが、悪くいえば自分のことしか考えない。何でも与えられると思っている」

「それはガヤフ様、致し方のないことでしょう。坊ちゃんやお嬢ちゃんに、泥に塗れ、蛭や虻の大群に血を吸われながら火炎樹の苗を植える、あの辛さを理解しろという方が無理な話。樹液搬送の樽船の入る水路だって、今は機械が掘ってくれますが、あれも昔はみな手掘りでした。何でも楽になることが良いというものではない、そう思います。物の有り難みが分からなくなってしまいますから」

 身分は違えど同じ世代の話に、我が意を得たりとばかりにガヤフが話を言い募る。

「命じられた仕事をこなすだけの世界ならそれもいい、樹液を掻き取ったり、伝票を整理したり。しかし、政治の世界は自分の力で道を切り開く仕事だ。無数の道の中から一つの道を選び取る仕事だといってもいい。それも背中に何十万という国民の命運を背負ってだ。日々決断を強いられ続ける苛酷な仕事なのだ。その厳しさが、今の若手の政治家たちにはない。足下三寸の世界から顔を上げようともしない」

「仕方ありますまい、商売の世界でも創業者と二代目では、よくあることと聞きます」

「ある程度こういうことを予想していたから、わしは有能な政治家や行政官を育てる養成機関の設置をと、事あるごとに提案してきた。ところが、自分たちの立場が脅かされるかもしれないと考える保身家の輩たちによって、いつも廃案にされてしまった」

 ホロが大臣を慰めるように言葉をつなげた。

「そう思って、ガヤフ様は、ジャーバラお嬢様に、英才教育をなされたのでしょう」

「ああ、もちろん娘にその才能があると思ってだ。もっとも当人は、いい迷惑と思っているかもしれんが……」

「満更でもなさそうですが」

 ホロの一言に、ガヤフが意外そうな顔をした。ガヤフ自身、娘には期待と負担を掛け過ぎているのではないかと案じていたのだ。親の教育方針が裏目に出ることは、往々にしてよくあることだ。

「そうか、それは意外だった」

「いいお嬢様だと思います。人には生まれ持っての器がある。逃れられない業のようなもので、一介の園丁が言うのも変かもしれませんが、ジャーバラお嬢さまは、誰も人が並んでいないところでも、ひょいと自分がその行列の先頭に立って並んでしまえる素質を、お持ちのようです。下々からすれば、どこかその人の後ろを付いて行きたくなるような安心感とでも言うんでしょうか。たとえ結果として道を外れることになろうとも、この方の後ろに並んでおきたいというような雰囲気をです。私が思うに、それは政治家に向いているということではないでしょうか」

「なるほど、行列の先頭か」

 遠くから深夜の読経が流れてきた。

「お嬢様は、歌を習いたいとおしゃっていました」

 染み入るように流れてくる就寝前の経楽のコーラスを耳にしながら、ガヤフは机の上にある黒い耳飾りに目を落とした。そして思った。もしこの石が娘を選んだのであれば、もう自分がとやかく言う必要はないのかもしれない。

 年が明ければ娘も成人、娘のやりたいようにやらせることだ。

 経楽のコーラスが止み、迎賓館に静寂が戻ってきた。



次話「洗濯」

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