奏海
奏海
午前九時半、迎賓館隣の政府庁舎三階。
時間を間違え、少し早く会議室に入った国務大臣のガヤフは、一人窓から、盤都バンダルバドゥンの家並みと、その向こうに広がる広大な火炎樹の農園を眺めていた。迎賓館の展望台ほどではないが、それでも都周辺が一望にできる。隣のゴーダム国との関係、それに押し寄せる避難民の問題は、日に日に逼迫の度を増しているが、政府庁舎から見る限り、とくにそんな気配は感じられない。
時計に目をやり、まだ会議まで二十分ほど時間があるのを確かめると、ガヤフは書類の束を投げだし、窓際の椅子に腰を落とした。黄色い甍の波と塁壁の向こうに、火炎樹の農園が地平線の先まで続いている。不思議なものだと思う。ほんの三十年前まで、この一帯は、ただひたすらヨシの原が拡がる湿原だった。それが泥樹と呼ばれる湿地性の火炎樹の導入によって、あっという間に何もかもが変わってしまった。
もし泥樹の発見がなく、この地で火炎樹農園の開発が行われなければ、自分は一生をただの荷船相手の宿郷の主人で終わっていたに違いない。それが今は一国の行政を束ねる国務大臣を任されている。建国以来途切れることなくだ。その責任ある職が果たして自分に相応しいかどうか、今でもそれを疑問に思うことがある。自分がそれを望んだというよりも、この地の歴史が自分にその仕事を与えた、今はそう思うようにしている。
ガヤフは外の風景をぼんやりと眺めながら、都の歴史に想いを馳せた。
新種の湿地性の火炎樹は、湿った泥土に育つことから、通称を泥樹と呼ばれる。その泥樹の母種が、晶砂砂漠の遺跡から掘り出されたのが、今から三十年前。それによって大陸各地の低湿地、河岸などで、新たな火炎樹の栽培が始まる。その泥樹の最も大規模な農園開発が推し進められたのが、大陸中東部に位置するこのドバス低地だった。
元来この地は、大河グンバルディエルの河口に拡がる浅海の大陸棚が、寒冷化による海水面の低下によって露出した土地で、陸から流れ出た肥沃な土壌が厚く堆積。じめじめと沁みだすように流れる水と、肥沃な土壌、それが泥樹の生育に適していた。
ただ同じドバス低地でも、海寄りのデルタ地帯は海水の影響を受ける塩性湿地であり、泥樹は苗を植えつけても、ほとんど生長しないままに枯れてしまう。
三十年前、泥樹による農園開発の始まった当時、ドバス低地の中心部を流れるグンバルディエルの中洲には、水上交易のための宿郷を経営する商人が、少数ながら住みついていた。それ以外の住人といえば、ヨシ船を使って川魚の漁に携わるアンユー族と呼ばれる漁労民が、低地全域に家族単位で離れて暮しているだけで、いわばこの地は見捨てられた土地、湧水のある川の中洲を除けば、人ひとり住むことのない見渡す限りのヨシの湿原が、どこまでも広がっている未開の地だった。
これは、不思議なことである。
人が生きていくうえで不可欠な物は、水と食料である。水域ゆえに水は当たり前として、食料は豊富な魚介類と水鳥がいくらでも手に入る。おまけに日々の煮炊きと暖を取るための燃料として、無尽蔵ともいえるヨシが生えているのだ。この人が生きて行く上での好条件にも関わらず、川の中洲を越えて、ヨシの湿原に人が居を構えることはなかった。後述するが、それは湿地帯特有の風土病に原因がある。
それでも泥樹の導入により、この瘴癘の地で火炎樹農園の開発が始まる。
開発の窓口となったのが、クルドス分水路の中洲沿いに設営されていた、二つの宿郷である。上流に向かって左岸の宿郷が、川の上流からの下りの荷、主に北の諸都市からの荷を扱い、対して右岸の宿郷が、海から川を遡ってくる上りの荷、主に沸砂平原からの荷を扱っていた。二つの宿郷はそれぞれ宿郷名を、『盤楽』『濠楽』と称し、交易商人のための宿を提供するとともに、宿郷自らも荷の取引に関わっていた。
二つの宿郷に暮らす人々は、共に先祖を辿れば、この地に先住のアンユー族に系をなす人々であったが、扱う荷の関係上、それぞれ盤楽は北の熱井戸に依存する人々と、濠楽は南の牧人との繋がりが深かった。そのため、後年この地で火炎樹農園の開発が始まり、大陸各地からの入植者や技術者を受け入れる際も、盤楽は北部からの移民を、濠楽は南部からの移民を受け入れることになった。
この二つの宿郷が、後に塁京の中心となる二つの国家、バドゥーナ国とゴーダム国である。繁栄を約束された首府の繁都名を、それぞれの宿郷名から字を取り、盤都バンダルバドゥン、濠都ゴルと命名した。
宿郷名の盤楽の盤は、船宿に掲げられる黄色の商旗の中に用いられている紋様、八宝の一つの盤腸紋様に由来する。永遠を意図する無限紋様に商売繁盛の願いを込めたことと、盤石をもって商売を為す商売の気風も表わしている。この気風とも関係するが、盤楽は宿郷をしっかりとした土盛りの上に築いた。それが後の都の造営の際にも反映され、濠都ゴルが無数の堀割の上にそのまま造営されたのに対して、バドゥーナの都である盤都バンダルドゥンは、都の造営を地盤の入念な底上げから始めた。
一方、対岸の宿郷の濠楽だが……、
一般に宿郷は、良質の水が手に入る場所に設けられる。
湿地と水路の走る低地帯であるが、ドバス低地で良質な真水の手に入る場所は限られる。その真水が豊富に湧く砂洲、それが濠楽の宿郷が設営された場所である。このドバス低地最大の湧水量を誇る泉を活かすために、ゴルの都は、泉の水を流す堀割を都のなかに縦横に組み込むように造営された。バドゥーナ国のように土盛りなどせずにだ。
ちなみに濠楽の商旗には、赤い布地の中央に、泉に住むという水蛸の精を紋様化した湧水紋があしらわれている。
盤楽の黄色い商旗と濠楽の赤い商旗、これが後に、塁京二都の風景、盤都の黄瓦、濠都の赤瓦に繋がっていく。それはそれとして、三十年の昔、二つの宿郷主導による火炎樹農園の開発は、かなりの迅速さで展開されることとなった。
一般に資源の眠る土地の所有権あるいは開発権は、その裏で血で血を洗う争奪戦を必定とするものだ。ところが二つの宿郷主導によるドバス低地中上流部の開発は、さしたる軋轢もなく進んだ。これには二つの理由がある。
一つは、開発の中心にいたのが宿郷の経営者、つまり商人であったということ。
この地の開発に指導的な役割を果たした宿郷の面々は、漁労に生きるアンユー族の出とはいえ、長く宿営業と交易を糧として活動してきた生粋の商人である。すでにその血は、獲物を求めるよりも、財貨の移動に反応するようになっていた。
商人は名誉や権威のために事業を起こすのではない、算段の中に生きている。彼らは命を賭すような力による土地の分割競争を避け、農園の開発を、当時のそれぞれ宿郷の人的、経済的、あるいは開発の技術力の差に任せた。つまり先に土地の開発に着手した者、火炎樹の苗を植えつけた者が、その土地を火炎樹の農地として利用できることを是としたのだ。
もちろんそういう牧歌的ともいえる土地の分割が可能になるには、開発のための土地が膨大にあるということが前提となる。そして言うまでもなく、人口希薄な土地に、開発可能な湿地帯は無限と思えるほどあった。
そして二つ目の理由、実際には、こちらの方が重要になるのだが……、
開発の始まった当初、このドバス低地には他の地域からの人の流入がほとんどなかった。この貧窮の時代、よほどの障害がなければ、農園開発によって繁栄を約束された地に、人は雪崩を打って流れ込んでくるはず。それが無かった。移住を望む人々の足は、ほとんどが別の地域の湿地帯に向かった。
流れ込む人々の障壁となったのが、風土病の存在である。ドバス低地の広大なヨシの湿原は、過湿な地域特有の風土病の巣窟だった。
長くこの地に住んでいる少数民のアンユー族は、その風土病への対処法を心得ていたし、病気に対して多少なりとも耐性を持っていた。ただそのアンユー族にして、この地で恐れられているいくつかの風土病、とりわけ発病すれば高熱を発してほんの数日で死に至るマリア熱によって、恒常的に多くの者が命を落としていた。このマリア熱に対する恐怖心こそが、余所者がこの地に足を踏み入れるのを躊躇させた最大の理由である。
開発は二つの宿郷の商人とアンユー族、そして一部の命知らずの風土病をも厭わない喰いつめた流民たちによって進められた。園丁のホロは、その流民に含まれる。
当然のことながら、ドバス低地周辺の国家は、湿地性の火炎樹、つまり泥樹の発見以後、この地の開発に参入するべく、マリア熱の治療薬の開発に着手してはいた。しかしながら、そんなものが一朝一夕にできるはずもない。各国が薬の開発に悪戦苦闘している間に、二つの宿郷は悠々と開発を進め、さしたる競合相手も現れないまま、約七年という短期間でドバス低地中上流部の隅々にまで、火炎樹の苗を植えつけた。
ちなみにマリア熱の予防兼治療薬である抗マリア剤が、ユルツ国の技術復興院で開発されたのは、農園開発が山場を越えた後のことになる。
開発に着手してほぼ十二年で、低地帯の淡水湿地域の基本的な開発は終了。ドバス低地中上流部の七割が濠楽、二割が盤楽の領有する火炎樹の農園となった。その段階をもって、二つの宿郷は開国を宣言。濠楽は国名をゴーダム国、盤楽はバドゥーナ国と自国を命名した。塁京二都の成立である。また開発された農園の一割を、ゴーダム国とバドゥーナ国周辺に成立した小国六か国が分け合う。それとは別に、利用価値のないデルタ中下流域の塩性湿地は、手つかずの誰の物でもない土地、共栄地として残されることに。
それはともかく、実はこの短期に大量の苗を植えたことが、その後のこの地の命運を左右することになるのだが、この時点でそのことを切実な問題として考えている者はいなかった。
今にして振り返ればと、ガヤフは思う。
この地での農園開発は、宿郷上がりの田舎商人が、どんぶり勘定で土地を分け合い、開発の真似事をやったようなものに過ぎなかったと。それは当然のことだろう、誰も火炎樹農園の開発、あるいは農園経営などやったことがなかったのだから。
この農園経営……、
火炎樹は苗を植えてから木が一定の大きさに生長し、樹液が採取されるようになるまでに十年弱を要する。この十年を目処にして、ドバス低地の人口は一気に膨れ上がる。
湿地帯での火炎樹栽培は、乾いた内陸の農園と比べると手間がかかる。例えば、無数に走る水路が障害となって馬車が使えないために、樽に入れた樹液を逐一肩夫が担いで運ばなければならない。それに水路の保守管理だけでも、相当数の人手を要する。樹液の採取に始まり、搬送、加工、製品化、物が生産されればネズミ算式に仕事は増える。
幸運にも火炎樹農園の開発が始まって十一年後、樹液採取の開始を見計らったように、懸案だったマリア熱の特効薬が完成。待っていたかのように、大陸中から仕事を求める人々が、ドバス低地を目指して移住を始めた。
さらに時代は下り、開発が始まってから二十年。短期間に湿地帯を農園に変えた結果が、この頃から目にみえる形で現れ始めた。
火炎樹は苗を植えてから十五年から二十五年で樹液生産のピークを迎える。膨大な量、この地ではとても消費できないほどの樹液が生産され始めたのだ。余剰の樹液はもちろん製品に加工され、交易のルートに乗せられる。そのため大陸中にドバス低地産の餅やウォト樹脂製の製品が出回り、輸出された製品と入れ替わるように、様々な富がこの地に集まるようになった。とはいえ富の少ない時代である。樹液は余り、その余った樹液の一部は発電に回され、二つの都を不夜城のような電照の明かりで照らし出す。
その過剰なまでの繁栄ぶりが、さらに各地から人を呼び寄せる呼び水となった。
そうして農園開発が始まってから三十年、すでに樹液の生産量は今がピークで、数年後には漸減のカーブを描き始める。それを見越して、当初は火炎樹を植えなかった地味の悪い土地にも植林が段階的になされてはいたが、それでも樹液全体の生産量が今を超えることはない。それに反して、人の流入は相変わらずである。それはそう、熱井戸の蒸気の絶えた地域や、一年のほとんどを氷に埋もれた土地、あるいはガラスに覆われた砂漠などに較べれば、この地の暮らしは天国のようなものだからだ。
泥樹の樹液滲出量は、ピーク後、徐々に漸減を始め、植林後約五十年で寿命を終えて晶化が始まる。そして六十年後には、晶砂砂漠で春香たちが目撃したような、ガラスの骸になってしまう。
試算では、あと十年後には、ドバス低地全体の樹液生産量は現在の一割減、四十年後には半減すると推定される。その時までに火炎樹に代わる代替の生活手段を考えなければならない。だがそれが容易でないことは自明のこと。なぜなら、ガラスの砂に没した満都も、その他の火炎樹によって支えられて繁栄した中小の都のことごとくが、代替手段を見つけられずに滅んでいったからだ。巷では、今までにこの大陸に栄えた都のなかで、塁京二都が最も短命に終わるのではと噂された。
問題は樹液の生産量の低下だけではない。
今までの都では考えられなかったほどの流民や避難民が、大量に流れ込んでいることだ。加えて現在の塁京の住人は、農園開発が進み、都の繁栄の基礎が固まって以降に生まれた世代が半数以上を占めている。暖房と照明と溢れるような食料に囲まれた享楽の暮らしの中で育った人間に、生活の有り様を変えろというのも酷な話だった。将来に目を瞑り、今を楽しむ退廃的な空気が二つの都を覆っていた。
それでも、塁京二都の指導者たちも、この状況に対して手をこまねいていた訳ではない。ゴーダム国は海の資源の利用に活路を見出そうとしていたし、バドゥーナ国はユルツ国と同様、古代の技術の中に生き残りの策がないか探っていた。
ところが、そんな試みを吹き飛ばす事件が起きる。一昨年、大陸南部の沸砂平原で発生した家畜の大量死と、それによって引き起こされた膨大な数の避難民の流入である。
元来、牧人とつながりの深いゴーダム国は、都の創建当時から、大陸南部からの移民を積極的に受け入れてきた。それゆえ南の牧人の間には、食うのに困れば塁京のゴーダム国を目指せという、安易な風潮のようなものができていた。それが家畜の大量死によって発生した膨大な飢えた人々の足を、ドバス低地のゴーダム国へ向かわせる原動力となった。
この避難民の問題が、ゴーダム国に深刻な事態を引き起こす。
長きに渡って移民希望者を無制限に受け入れてきた結果、領域の川沿いは、どこも窮民街で埋め尽くされる状態になっている。そこに、この十年の間に流れ込んできた移民のほぼ倍にあたる避難民が一挙に流れ込んできたのだ。当然ながら、先に移り住んで何とか生活を成り立たせていた人々と、後から流れこんできた人々の間に対立が起きる。
この期に及んでゴーダム国政府は、無制限に等しかった移民や避難民の受け入れに、厳しい条件を設けるようになった。だがそのことによって、今度は塁京入り口の門京に避難民が溢れ、足止めを食った避難民の天幕が、果てしなく波のように張られることになる。それでも避難民は後から後から途切れることなく押し寄せてくる。
キャンプを視察したゴーダム国の避難民対策の専門家たちは、思わず後ずさりしたという。それほどの数の人が集まっているのだ。その数推定二百十万、ゴーダム国の住人は、塁壁の内側に暮らす四十二万に周辺郡部の囲郷の住人、歴代の移民、窮民街の人口と合わせても現在百七十八万。自国の住人以上の人間がキャンプにひしめいている。
かつて世界の人口が軽く百億を超え、人口一千万を超えるメガロポリスが乱立していた人口爆発時代の古代と比較することなかれ。資源が枯渇、緑が消滅してしまった時代の人口である。
この数年というもの、都の街灯を減らし、食料を配給制にするなどして、なんとか遣り繰りはしてきた。しかしそんなことで対処できる人の数ではなかった。あと半月でこのドバス低地は厳冬期に入る。どれだけの餓死、凍死者が出るか想像もつかなかった。門京で足止めを食っている人たちは、皆この地に来れば救われるのではと、希望を抱いて遠路はるばるやって来た人たちである。いずれその不満が爆発するであろうことは、火を見るよりも明らかだった。
その避難民への対応に頭を抱えるゴーダム国と較べて、北からの移民が中心のバドゥーナ国には、まだ幾許かの余裕があった。けだし、万が一にも門京に足止めされている避難民の不満が爆発した場合、その影響がゴーダム国だけでなく、塁京全体に及ぶことは容易に想像がつく。そのこともあって、ゴーダム国は、以前から、余裕のあるバドゥーナ国に、南部系の避難民の一部を受け入れるよう働きかけてきた。
ところが、それをバドゥーナ国は頑なに断り続けてきた。一度門戸を開くと、自分たちの国が、あっという間に南部の民によって占拠されてしまうのではないか、その不安が拭い切れなかったからだ。
バドゥーナ国の盤都と、郡部の囲郷の人口が合わせて二十一万、域内の貧民街の住人や今まで受け入れてきた北方系の移民や避難民と合わせても、四十五万である。
それにこれは数だけの問題ではない。南部の牧人と北部の熱井戸に依存して暮らしている人たちの文化的な摩擦も、一筋縄ではいかない大きな不安要因だった。
門京で足止めを食っている避難民は、日に日に増えていく。その圧倒的な数、それは夏の増水期に塁堤を越えて溢れんばかりになった川の水のように、重苦しい圧力を塁京の内側で暮す人々に与えていた。都の住人、川岸の窮民街の人々、郡部で樹液採取に勤しむ農園労働者、都間の物資の搬送を請け負う荷船の商人、この低地帯で暮らすあらゆる人々の間で、門京に集積している避難民が、荷船や艀を強奪して、一気に塁堤の内側に流れ込んでくるのではないか、そんな噂がまことしやかに囁かれ始めた。
どうすればこの難局を乗り越えることができるのか。
ゴーダム国にとってみれば、門京に足止めをされている南部系の避難民は、切り捨てることの出来ない同胞である。自分たちに受け入れる余地がないなら、どこかに受け入れ先を探すしかない。塁京八か国の中でそれをすることのできる余裕のあるのは、もちろんバドゥーナ国しかない。だがバドゥーナ国はそれを断固として拒否している。
事態は逼迫していた。
年を越え、春になって更なる家畜の大量死が起き、それ以降、ゴーダム国に入国申請をする避難民は増加の一途をたどっている。何としても救済策を講じなければならない。しかし結局のところ、その方策としてあるのは、むりやりにでも隣国に避難民を受け入れさせることだった。力で強いてでも……だ。強いてでも、
人が人に物を強いる時に用いる手段は、古来より飴か鞭のどちらかである。そして今までに難民を受け入れ続け、国庫の底が見えかけたゴーダム国にとって、取れる策は鞭以外にない。元々国力自体は人的資源を含め、ゴーダム国がバドゥーナ国を凌駕している。警邏隊の隊員数や装備の量でもだ。
ゴーダム国は、その軍事力を笠に着て、バドゥーナ国に避難民の受け入れを迫った。
もっともこの段階で、ゴーダム国としては、まだ実際に軍事力を行使することまでは考えていなかった。軍事的に圧力をかければ、さしものバドゥーナ国も譲歩して、避難民の受け入れに応じるだろうと踏んでいたのである。
ところがバドゥーナ国はこれを拒否。実際には、ゴーダム国が武力でもってバドゥーナ国に要求を突きつける直前、そのタイミングを見計らったように、バドゥーナ国は大量の兵器を買いつけていた。バドゥーナ国としては、何もゴーダム国の脅しに備えてのことではない。自国に避難民が流入するのに備えて、自衛の装備を充実させようとしただけのことだったのだが、それが結果的に、ゴーダム国の押しつけを拒否する後ろ盾となる。
ゴーダム国としては一度振り上げた拳を下ろし切れず、何としてもバドゥーナ国を捻じ伏せようと、非常時に備えた国庫の準備金を使って、更なる兵器の調達と実際の武力行使に踏み切る準備を始めた。ゴーダム国の意図が明確になった以上、バドゥーナ国もそれに対応するように防衛のための武器を買いあさる。
夏にかけて緊張は急速に高まり、二つの国の軍備競争は天井の見えないカーブを描いて上昇を続けることになった。そして軍備増強のもたらす緊張関係が、その後に起きた、この低地を救ったかもしれない千載一遇の機会を逃させることになる。
二つの国が互いに軍備を競いあっている最中に、新種の火炎樹、つまりあの耐塩性の火炎樹の母種の発見の報がもたらされたのだ。
極端な話、ゴーダム国が武力でもってバドゥーナ国を併合し、そこに避難民を入植させたとしても、それで吸収できる人の数は多く見積もっても六十から七十万、今集まっている避難民の三分の一である。一時的に難局を凌ぐことができても、この地に膨大な数の人々が流れ込み続けている以上、それは破局を遅らせる程度の効果しか持たない。なんらかの抜本的な解決策、少なくとも十年、二十年に渡って避難民を救済し、かつ火炎樹無き後の生き延びる方策を見つけ出すまでの猶予期間を生み出せる妙案が必要だった。それが突然降って湧いたのだ。
いままで開発不可能だったドバス低地の六割を占める中下流域の塩性のデルタ地帯が、耐塩性の火炎樹の発見によって、農園として開発できる道が開けた。もしこれが実現すれば、いま塁京周辺に集まっている二百万を超える避難民の全てを救うとともに、今の繁栄をさらにあと半世紀は維持することができる。もちろんデルタ地帯の中下流域に耐塩性の火炎樹を植林し、農園が樹液を生産し始めるまでに、十年余りの年数は必要となる。だが未来に展望さえあれば、人は多少の耐久生活は我慢できる。それに上手くいけば、その間に大陸南部に蔓延している家畜の疾病に対する対策も、軌道に乗せることができるかもしれない。
全てが好転する絶好の機会……、
ところが、その好機を生かす機運が生まれなかった。
武器の購入競争を始めていたゴーダム国とバドゥーナ国の間に、すでに抜き差しならない不信感が生まれていたのだ。それは互いの国の若い指導者にその傾向が強かった。年嵩の指導者たちの中には、まだ都が宿郷であった当時の商人仲間としての連帯意識のようなものが残っている。しかし時は流れて三十年、生え抜きの評議員のほとんどは一線を退き、現在では、次の世代が国を運営する時代に入っている。
一旦は、両国が共同で耐塩性の火炎樹を導入しデルタ地帯の開発を進める旨の提案がなされ、両国の主要な閣僚が討議のテーブルについた。それが、その検討を進めるさなかに、両国はそれぞれ極秘に新種の火炎樹の種を入手すべく、独自の交渉団をゲルバ護国に派遣。両国ともに、できれば自国に有利にデルタ地帯の開発を行いたいと考えた。
つまりその先にあるのは、開発の独占である。
互いの国が秘密裏にゲルバ護国に交渉団を送ったことで、共同開発の提案は白紙に戻る。残ったのは隣国に対する不信感だけだった。
どちらの国が先に種を入手しようが、誰の目にも塩性デルタの開発が、昔のような牧歌的なものではなく、血に塗られたものになるであろうことが見えていた。そしてそのことが軍備の拡充に拍車をかけた。全てが悪い方向に傾きだしていた。
その大きな流れを押し留めようと、一部の宿郷時代からの古い政治家たちが、昔の繋がりをたぐって和解の方策を探る試みもなされたが、ともに自国が優先して、あるいは独占してデルタの開発をしたいという、若い世代の考えを押し返すことはできなかった。若い世代にとって、自分たちの将来に必要となる資源の枯渇は、譲ることのできない切実な問題だったのだ。さらにその考えを後押ししたのが、火炎樹無き後の生き残り策の研究が、なんら有望な成果を見出せていないということである。今の段階で将来に対してやれる最も確実な方策は、デルタ地帯を少しでも自国に有利な条件で開発することだ。
力によるデルタ地帯の開発競争。
動き始めた歴史のうねりを変える老獪さは、若い世代の政治家たちにはない。今はどちらが先に母種を入手し、有利に開発を進めるか、そのための力をどう準備し、どう行使するのか、皆そのことに血眼になっていた。
果てしなくヨシの原が続くこの地を、昔から人は奏海と呼んでいる。ヨシの葉が風にざわめく様をそう呼んだのだ。それがこのままいけば、人々の怒号と悲鳴に彩られることになるだろう。
もう、この流れを食い止める術はないのだろうか。
ガヤフは、うつらうつらしていた顔を上げると、火炎樹農園の先に見えるヨシ原の地平線に目を向け、深々と嘆息した。
と、ふいに傍らで女性の声がした。
「随分考え込んでらしたようですね」
いつ部屋に入ってきたのだろう、年配の秘書の女性が横に立っていた。暗褐色の肌にやや窪んだ眼窟の中の黒い瞳、突出した部分のない均整の取れた顔立ちである。凡庸な美とでもいうのだろうか。束ねた黒髪を留める子安貝の形を模した髪飾りが、さり気なく自分の出自が低地下流域のアンユー族であることを匂わせている。
ガヤフは疲れの溜まった目をしばたくと、その事務服姿の女性に言った。
「いや、考えていたのではない、想い出していたのだ。この地にまだヨシの原と水路以外何もなかった頃のことをな」
「私も子供心に憶えています。母に連れられて十二の時にこの地に移ってきました。あの頃は、夏はヨシの葉の草いきれ、冬は枯れた藁の匂いが、体に染みつきそうなくらい匂っていました。それが今は火炎樹の樹脂の臭いばかり、深く息を吸いこむことが無くなってしまいました」
妙齢の秘書が、風にそよぐ葦のように自然な笑みをガヤフに向けた。
ガヤフにとっては数少なくなった都創建当時からの馴染みである。亡くなった妻と結ばれていなければ、この秘書の女性と生活を共にしたかもしれない。そうすれば自分の人生はどう転んだろうか。時々そんなことを思う。ジャーバラが成人すれば、もう一度この女性と余生をと思わなくもない。だがその余生が果たしてあるのだろうか。
「昔は誰もが、樹脂の匂いを発展の匂いだと思っていましたわ、でも今は……」
「今は?」
その問いかけに秘書の女性は答えず、脇に持っていた書類を差し出した。これ以上意見を述べるのは自分の役割ではないと考えているのだろう。その律儀さが、三十年余り変わることなく、彼女を大臣の秘書という役に納めている。閣僚という閣僚が次々と流転するように変わっていくなか、彼女はあたかもこの政権の礎であるかのごとく、淡々と仕事をこなしている。与えられた役割の中で自分を充足させる術に関しては、女の方が男よりも優れている。男はつい自分の領分以上の物を夢見てしまう。そして夢破れ朽ちていくのだ。彼女はたとえこの地が焦土と化しても、飄々と生きていくだろう。
ガヤフはかすかに男が女に向ける羨望の眼差しを彼女に投げかけると、書類の入った封筒を受け取った。
「新種の火炎樹の種を入手したと、民間の商人グループから連絡が入ったそうです。売り込みのようですね、条件等は二枚目の用紙に記載されています」
「なんと」
「情報局の局長が顔を真っ赤にしていました。売り込みの書式は正規のものだが、内容は極道。商人は商人でも業腹な裏の商売をやっている連中だろうと。大臣には心臓の薬を渡してから、書類を渡すようにとおっしゃってました」
秘書の女性は、穏やかな笑みの一陣をその場に残し、辞去した。
あの笑顔が永年に渡って彼女を、この建物に留めた一番の理由かもしれない、そう思いながら、ガヤフは書類を封筒から引きだした。そのガヤフの目が、火炎樹母種の公開入札を告知する書類の、『最低入札額、二億ボル』という文字を捕えた。
心臓は大丈夫だが、頭を抱えるには余りある金額……。
胸を押さえつつ卓上に視線を投げると、錠剤の瓶が目に入った。安定剤、彼女が置いていったのだろう。ガヤフは苦笑しながらその瓶を手に取った。
次話「日輪洋行」




