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星草物語  作者: 東陣正則
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分水路


     分水路


 オーギュギア山脈の主峰、竜頭山に源を発するディエール川は、周囲の山々から流れ出る大小様々の河川を集めながらドバス低地に向かって流れる。ディエール川は、ドバス低地でさらに亀甲大地など周辺の山稜から流れ出る河川と合流、大河グンバルディエルとなって、低地一帯に無数の水路と湖沼地帯を形成しながら、最後東のシフォン洋にその流れを注ぎこむ。

 この大河グンバルディエルと無数の水路が織りなす中洲地帯に、塁京を二分するバドゥーナとゴーダムの二国はある。二つの国の繁都、盤都バンダルバドゥンと濠都ゴルは、幅六百メートルほどの水路、クルドス分水路を挟んで南北に向かい合っている。

 なおグラミオド大陸では、大陸の東部と西部の赤道帯で、年間の平均気温に差がある。東部の方がかなり低い。一説には、氷で覆われた亜大陸が、大陸東部で大きく南に張り出している関係ではと言われているが、真偽のほどは定かではない。とにかく、ドバス低地は、赤道のやや上にありながらも、期間は短いが、太陽が南回帰線に下がる時期、雪と氷に閉ざされた雪氷期となる。

 十二月初頭のこの時期、水の動きの少ない水路や止水帯には、氷が張り詰めている。もう半月もして厳冬期に入れば、人が乗って歩くことのできる厚氷に変わるのだが、気の早い粗忽者が薄い氷を踏み抜いて水に落ちるのも、この季節。両都を隔てるクルドス分水路も、凍結寸前の凍てついた水面を湛えていた。

 黒い鏡のような水面に、二都の不夜城のような明かりが映され、大小の氷塊が、都の明かりを反射しながら、一つまた一つと流れ下っていく。

 そんないつもの夜のこと……。

 クルドス分水路をつなぐ幣舎共栄橋から少し下った辺り、濠都ゴルの河岸から迫り出すように突き出た砂洲の上で、集まった人たちが、対岸の盤都を指して口々に何か言い合っていた。クルドス分水路は、対岸バドゥーナ国の盤都側を内側に抱え込むように、ゆったりと弧を描いて流れる。弧の外側が濠都ゴル、内側が盤都バンダルバドゥンとなるため、濠都側からは、二つの都をつなぐ幣舎共栄橋の街路灯が一望にできる。

 夜の暮らしが灯芯を絞った油灯一つという川岸の窮民街の人々にとって、無数の街灯に照らし出された二都の輝きは、天心浄土の輝きにも思える華やかさだが、そこにこの夜は祭りのように騒々しい音と光が加わった。けたたましくサイレンが鳴り響くなか、探照灯の光がせわしなく空や大地を動き回り、銃声らしき音も混じる。その音と光のただならぬ様子に、都周辺の人々は、いったい何事かと口吻を交わし合っていた。

 騒動の場所が都の内から外に移る。

 河岸の群衆の目が川を貫く橋に集まった。

「見ろ、橋の上を。馬車が走ってる、すごい速さだ」

「違う、あれは自走車だ」

 体を寄せ合うようにして見ていた人たちが、一斉に声をあげた。

 猛スピードで走る自走車の後部で赤い炎が炸裂、直後、車が橋の欄干を跳ね上げたのだ。

「あーっ、自走車が……」

 車を追いかけるように点灯された探照灯が、宙に浮いた車を捉えた。

 砕けた欄干の破片が、強烈な探照灯の光に反射して、紙吹雪のように四方に散り、そのなかを屋根の剥がれた牽引車が、橋の真っすぐな軌道を外れて、ゆっくりと放物線を描きながら暗い川面に落ちていく。

 水面に白い水柱が上がり、飛び散る飛沫を掬うように探照灯が川面を照らす。

 水面に突き刺さった牽引車は、いったん水から押し返されるように浮き上がるが、すぐに暗い水面に引きこまれるように沈み始め、ほんの数秒で泡立つ水を残して姿を消した。

 人々は息をつめて時ならぬ出来事に見入っていた。

 およそ半刻ほど、凍てついた川面を探照灯の明かりが右に左にさ迷い、駆けつけた機船がエンジン音もけたたましく走り回っていたが、それもいつしか納まり、分水路にいつもの静寂が戻ってきた。

 暗い川面を、ゆっくりと氷塊が横切り流れ下っていく。

 川岸の砂洲で騒ぎを眺めていた面々も、足元から這い上がってくる冷気に耐えられなくなったのか、一人二人と櫛の歯が抜けるようにその場を立ち去り始めた。

 それでも物見高い最前列の一団は、体を擦り、足踏みをしながらその場に留まっていた。

 なかの一人が、いまいましげに火の消えた煙苔を足元に投げ捨てた。

「何だったんだ、あの騒ぎは。ついにバドゥーナとゴーダムが、ドンパチやり始めたのかと思ったのに」

「あんた、人の不幸を期待してたら罰が当るよ」

 穴だらけの毛布をポンチョのように引っ被った女が、男をとがめた。

 そのポンチョ女に男が毒づく。

「なに言ってやがんだ、バドゥーナにしたってゴーダムにしたって、ここの生活に比べりゃ天国みたいなもの。壁の中の連中なんざ、戦争でもやって地獄に落ちろってんだ」

 吐き捨てるような声に、先に帰りかけていた連中から賛同の声が上がった。

「ちげえねえ、ありゃ贅沢者同士いがみ合いだからな」

 ボロをまとった男たちから、自嘲気味の笑いが漏れた。期待していた出し物が予告だけで終わってしまった、そんな肩透かしを食ったような不満が、男たちを取り巻いていた。

 二都を分かつクルドス分水路は、変わらず暗い水面を流し続けている。

 もう何も起こらないだろうと判断したのか、河岸の突端に居残っていた一団も、各自、自分たちのヨシ小屋へと帰り始めた。そんな踵を返す大人たちに反発するように、川岸にしゃがみこみ、川面を見つめる少女がいた。

 先に行きかけた穴あき毛布の女が、少女に呼びかけた。

「アヌィ、先に帰るよ。いつまでもそんな所にいると、風邪を引くよ」

 一緒に歩いていた男たちが、嘲りの声を上げた。

「あいつが風邪なんか引くか、吹っさらしの湿原で拾われたガキだぞ」

「そうそう、それにあいつは、風邪を引いたって、すぐに先生に診てもらえるんだ。こっちが心配するこたない。それより早く帰って、温ったまるやつを一杯引っかけよう」

 前を歩いていた連中が驚いて振り返った。

「おい、お前、今なんて言った、酒があるのか」

「冷えた体に水を引っかける馬鹿はいねえだろう」

 ニヤニヤしているその男を、仲間の一人が、はなから信じてない様子でせせら笑った。

「酒といっても、水酒のたぐいだろう」

「ばか言え、濠都の塵埃置場で拾った、封を切っていない高純度のウォトカだぜ」

「本当かよ、樹脂を固めるウォトの間違いじゃねえのか」

 火炎樹の樹液を固める際に入れるアルコール分を含んだ薬品を、ウォトカと言う。その凝固液の名を取って、固まった樹脂をウォトと呼ぶようになった。この地では、都の人間はウォトカを精製した蒸留酒で杯を交わし、金のない連中は、不純物の多い粗悪な凝固液を酒代わりに喉に流しこむ。

「ラベルには純度九十八パーセントとあった。都でもなかなか手に入らない高級品だぜ」

「そりゃ凄え」男たちが一斉に歓喜の声を上げた。

 離れていく男たちの話し声に混じって、穴あき毛布の女が、これが最後だよとばかりに、大きな声で川岸に向かって呼びかける。

「ほどほどで帰るんだよ、分かったね、アヌィーッ!」

 その大人たちの呼び声も耳に入らないほど、アヌィと呼ばれた少女は、水面の一点を見つめていた。ともすれば流れが止まって淀んでいるのではないかと思えるのっぺりとした川面のそこだけに、わずかにではあるが不自然な波紋ができていた。

 水面に小さな波紋を見つけた時、アヌィと呼ばれた少女は、波紋の中心に浮いている物を氷の欠けらだと思った。漂っているものが白っぽい塊に見えたのだ。ところが、何となく気になってその塊を見ているうちに、アヌィは、それが明らかに流れに逆らって、こちらの岸に向かって進もうとしているのだと気づいた。

 波紋と波紋の中心にいる白っぽいものが、少しずつ岸に近づいてくる。

 やがて波紋の真ん中に、二つの小さな赤い光が見えてきた。アヌィは寒さで震える膝を両腕で抱えると、赤い光が岸に到着するのを待った。

 波紋の主が凍りつくような水面から姿を見せた。

 水の中から這い上がってきたのは、大人の男性ほどもある四つ足の動物で、口に何か大きなものをくわえている。その白い山犬のような動物が、四本の足をグッと踏ん張り、ぐっしょりと水を含んだ布の塊のようなものを水の中から引き上げた。

 濡れそぼった体をブルッと震わすと、四つ足は布の塊に鼻面を寄せ、険しい目つきでそ

れを見つめた。ようやくアヌィは、水の中から引き上げられたものが、人だということに気づいた。濡れた衣服の中に、血の気の引いた顔が仄白く浮き出ている。

「こういう時、四本足というものは無力なものだな……」

 耳の奥底で鳴った声らしきものに、アヌィの体がピクンと反応。その動きで察知したのか、四つ足は顔を起こすと、膝を抱えて自分を見つめる少女と視線を合わせた。

 燃えるような赤い目が威嚇するようにアヌィを見すえる。

 が不思議とアヌィは恐怖を感じなかった。逆に「あなたがその人を助けたの」と、心の中で問い掛けてみた。その問いが通じたかどうかは分からない。ただその瞬間、四つ足の目の輝きが和らいだように見えた。

 体を振って水滴を四方に弾き飛ばすと、四つ足はアヌィに向かって歩を進めた。一歩、二歩、鼻面がアヌィの膝に触れる直前、四つ足は歩みの方向をずらせ、そのままアヌィの体を掠めて、背後の闇の中に去っていった。

 まるで「後は任せた」とでも言うように……。事実、アヌィには、その白い山犬のような動物が、「よろしく頼む」と言ったように思えた。

 四つ足の消えた闇から視線を戻すと、アヌィは河岸に引き上げられた人に駆け寄った。

 手袋を脱いで蒼白な頬に掌を当てる。冷たい。氷のように強ばっている。

 アヌィは一瞬言葉を探るように目を閉じたが、すぐに立ち上がると「だれ、か、だれ、か、きてーっ!」と叫んだ。

 そして、大人たちの消えていった闇の中に向かって走りだした。


 どれだけ時間が経ったろう。

 一時間、一日、一年、百年、それとも千年、一万年、いやほんの数秒であったかもしれない。眠りの間は人生の時が止まってしまう。しかしそれは無意味な停止ではない。人にとっては必要な時間だ、昨日から明日の自分に脱皮するための……。

 眠っている春香の耳に、人の話し声のようなものが聞こえる。耳慣れない言葉。

 まだ夢の中にいるのだろうか。

 この世界に来てからというもの、目を覚ます際、まぶたを閉じたまま考え込む癖がついていた。二千年も眠っていて、誰も知った人のいない別の世界に目覚めたということ、その全てが夢の中の出来事で、目を開ければ、自分の勉強部屋の壁に貼った、可愛いアザラシの赤ちゃんの写真が目に飛び込む。起き上がれば全ては夢で、あるのはごく平凡な中学一年生のありふれた生活、それをたとえようもないほどに期待している自分がいる。その反面、もし目覚めた場所が、あの飛行機事故の現場だったらという、恐怖も心に巣喰って離れない。もう一度あの場面に立ち会うなど、怖くてできるはずもない。

 未来も過去も選べない。だから……、目覚めても、しばらくの間じっと目を閉じ、まぶたを開けるのを我慢する。辺りの物音に耳を澄ませ、目覚めた世界がどこなのかを探る。そんな癖が春香の中に染みついていた。

 で、結局、今はどちらの世界にいるのだろう。

 記憶の底を探りながら、そういえば自分は車を運転、橋の欄干を突き破って川に落ちたのだということを思い出した。でもそこから先は、いくら考えても記憶が蘇ってこない。

 溺れて天国に行ったのだろうか。

 それとも……。

 目を閉じたまま手を動かしてみる。指先に乾いた布の感触。ベッドに寝かされているような気がする。それに消毒薬のような匂いも。ここは病院、なの?

 飛行機事故の後、救急車で運ばれて病院に収容されたのだろうか。それとも溺れているところを拾い上げられ、バドゥーナの都に連れ戻されたのだろうか。果たして、どちらだろう。

 相変わらず、意味の分からない聞き覚えのない言葉が、耳の底で鳴っている。

 春香はゆっくりと目を開けた。

 染みの拡がった天井らしきものが見える。天国の家に、染みは似合わない。どうやら普通の家のようだ。

 ツンとした匂いが鼻孔に触れた。どこか懐かしい匂いに、アルコールという言葉が浮かんでくるまで、しばらく時間がかかった。消毒用のアルコールの匂い、ということは、やはりここは病院と、そこまで考えてから、春香はしっかりとまぶたを開いた。

 首を動かし周りを見る。やはり自分はベッドに寝かされていた。

 カーテンのない小さな窓から、外の光が差している。ベッドの横に衝立てがあり、向こう側に人がいる。相変わらず聞いたことのない言葉……。

 衝立ての横から、日焼けした浅黒いひげ面の男が顔を覗かせた。男は春香が目を開けているのを見ると、慌てて首を引っ込めた。

 数秒後には、衝立ての横から上からと、次々と人の顔が突き出された。様々な肌の色と、目の色と、髪の色と、鼻の形と……、もっとも、そのごった煮のような人間模様は、この世界の特徴でもある。衝立ての縁飾りのように顔を覗かせている人たちに共通するのは、肌や目や髪の色よりも、日差しと凍てつく風に曝されてできる、ゴツゴツとした肌合いだ。自分の時代、町なかではついぞ見かけることのなかった風貌の人たち。

 爛れた目の上に簾のように髪を垂らした壮年の男性、頬骨と顎の骨が突き出た茶髪の老婆、歯が欠けて一本しかない縮れ毛の黒墨肌の青年……、各人各様。そして十近くも並んだ顔の最後に、衝立ての横から、白衣らしき服を着た女性が姿をみせた。

 白衣以上に真っ白な髪が目に飛び込んでくる。日に焼けてはいるが、褐色の肌に灰色の瞳、細いがしっかりとした眉に、小さな顎。やや細面の整った顔立ちの女性は、短く切り詰めた縮れのない白髪を、手にしたペンでかき上げながら、ベッドに歩み寄った。

 そして、おもむろに春香の手を取った。脈を診るらしい。

 白衣の女性が軽く微笑みながら話しかけてきた。

 聞いたことのある言葉のようだが、意味が分からない。春香はどう返事をして良いのか分からず、口唇を震わせただけで黙っていた。

 額に包帯を巻いた男が、白衣の女性に言った。

「先生、その娘、溺れたショックで、口が利けなくなったんじゃねえのか」

「その可能性はありそうだな」

 軽く受け流しながら、白衣の女性は春香の手首を離すと、安心したように頷いた。

「問題はないようだ。あとで食事を運ばせるから、今日一日、そこで寝ていなさい。それから、私はこの診療所の責任者、医師のシャンだ。ここの患者どもは騒々しいのが多いが、気にしないでくれ。何分にも狭い所なんでな」

 白衣の女性の話を、春香は理解することができなかった。ただシャンと名乗った医者らしき人物が、自分を好意的に扱ってくれていることは分かったので、春香は感謝の気持ちを表わすために微笑み返した。そして思い切って尋ねた。

「あの、わたし、川に落ちて流されたんです。一緒に川に落ちた人がいます。男の子と背の高い男性、その二人がどうなったか、知りませんか」

 シャンと、その患者らしき面々が、怪訝な表情で互いの顔を見あった。

 誰も春香の言葉が分からなかったのだ。

 首を傾げながら一同が衝立ての向こうに去ったあと、春香はベッドに横になったまま、ぼんやりと天井を見上げた。そして思った。自分は川を流され、言葉の違う世界で助け上げられたのだと……。

 衝立ての向こうで交わされる人の話し声が、鳥の囀りのように聞こえる。知らない外国の言葉は早口に聞こえるものよと、遠い昔、国語の先生に教わったことを思い出す。確かにそうだなと思う。それでもとにかく助かったのだ。でも……、

 ウィルタやオバルさんはどうなったのだろう。

 二人のことを案じつつ、春香は押し寄せる疲労感に目を閉じた。


 その頃、ウィルタとオバルは、盤都バンダルバドゥンの迎賓館にいた。あの盤都を見下ろす部屋である。もちろん厳重な監視の元にだ。

 ウィルタとオバルは、車ごと川に投げ出された直後、駆けつけた警邏隊員たちによって、間一髪、流れの中から助け上げられたのだった。

 部屋に入ってきた国務大臣のガヤフが、かっぷくのいい体を揺すりながら、椅子に座らされている二人を見て愉快そうに話しかけてきた。

「川の水はさぞ冷たかったでしょうな、ウィルタ君に、アグナワン・ハディヤ・マ・オバル殿」

 ウィルタが「春香ちゃんはどうした!」と、ガヤフに食ってかかる。

 後ろに控えていた情報局のラジンが、興奮したウィルタを落ち着かせるように説明する。

「救助に当たった隊員の報告によると、冷たい流れの中では、君たち二人を助け上げるのが精一杯。娘は流れの中に見失ってしまったそうだ。運が良ければ助かるかもしれないが、水温二度の氷のような水だ、あまり期待はできないだろう」

 鋭い目つきで睨むウィルタの視線をサラリとかわすと、

「私を恨むな。そもそも君たちが大立ち回りの逃亡劇を演じてくれなければ、何事も起こらなかったのだ。じきユルツ国からお迎えが来る。それまでは、もう暴れたりしないでくれ。こちらとしては、大事な取引材料を傷つけたくないのでね」

 そう言い聞かせると、ラジンは自分の役割は終わったとばかりに、そそくさと部屋を出て行った。続くように大臣も部屋を後にする。

 ウィルタとオバルは、二人が部屋を出ていくと窓に駆け寄った。

「外にも見張りがいます」と、部屋の隅に立っている監視役らしき黒服の男が、背後から声をかけてきたが、構わず窓に張り付くようにして外に目を向ける。

 窓の外に、昨日見たのと同じ盤都の黄色い甍の波と、火炎樹の農園、そしてその先にクルドス分水路の黒い流れが横たわっていた。

 分水路の流れを南北に横切る細い幣舎共栄橋を見て、ウィルタが奥歯を噛みしめた。

「生きてろよ」

 ウィルタの想いをかき消すように、迎賓館の上にプロペラの爆音が轟いた。

 監視役の男が「ユルツ国のお迎えです」と、来賓に呼びかけるように丁重な声で言った。


 盤都の町を割って走る大通りに、空から爆音を響かせて二機のプロペラ機が舞い下りた。一機は小型の双発機、続いて着陸した機は、同じ双発でも一回り大きな貨物機だ。

 燃料資源の乏しいこの時代、地上を走る車はまだしも、輸送や移動の手段としての飛行機の利用は絶えている。技術がないのではなく、用途に実利性がないのだ。

 古代技術の復興に熱心な国が、復元機を若干数保有しているだけだが、なかでもユルツ国は二十機前後を保有、この大陸で唯一無二の飛行機大国を成している。ただそのユルツ国にして、飛行機のエンジンは満都時代の再生品を使用していた。

 双発のプロペラ機は、見物の市民が歩道に群がる大路を悠然と通り抜け、議会堂や迎賓館のある都の中心、円形の広場の真ん中で停止した。盤都側で用意した昇降階段が横付けされると、機体側面の扉が開き、ゴワゴワの防寒服を着込んだ人物が姿を見せた。

 防寒帽を脱ぎながら外の風景を確かめるように、その人物が顔を上げる。顔の左半分が銀色の仮面に覆われている。ユカギルの熱井戸を接収する際に陣頭で指揮を取っていた、ユルツ国評議会議員のダーナである。ダーナの後ろに、書類鞄を小脇に抱えた男性事務官が続く。二人は最後、昇降階段を身軽に飛び降りた。

 背後で貨物機のエンジン音が轟くなか、慌ただしく駆け寄ってきたバドゥーナ国の国務大臣に向かって、ダーナが声を張り上げた。

「ハン博士の息子を拘束したと」

「間違いなく」

「博士の方は」

 国務大臣のガヤフが、後ろに控えた情報局のラジンを示した。

 一歩控えた姿勢で、ラジンが申したてる。

「今、ティムシュタット国からの足取りを調べているところです、しばらくのご猶予を」

 ようやく貨物機がエンジンを停止、静けさが戻ってきたところへ、車体の割に車輪の小さな自走車が、淑女のように寄ってきた。ダーナの前で停止した自走車から、盤都駐在のユルツ国外渉官に続いて、バドゥーナ国統首のパパルボイが、授業に遅れた教師のように、頭を掻きながら姿を見せる。

 白土肌碧眼金髪に均整の取れた目鼻立ち、そして長身と、いかにもエリートっぽい風貌だが、広い肩幅に対して腰から下の線が極端に細い。そのため両腕が肩からぶら下がっているように見える。父親である前統首の後押しで政界の要職に引き上げられたため、その体形と重ね合わせて、父親の操り人形と陰口を叩かれるが、それでも昨年急死した父に代わって選挙で選ばれた、紛れもないバドウーナ国の統首である。

 その長躯の統首パパルボイに、ダーナが社交辞令抜きのにこやかな笑みを浮かべ、「どうやらちゃんと動いているようですな」と、後ろの車を指して言った。

「もちろんです。ユルツ国より譲り受けたこの電動車、音も静かで、要人のもてなしには最適。狭い都の中だけなら、これで十分すぎるほどです」

 恭しく言って、パパルボイは握手半分にダーナを電動車に招き入れた。

 電動車両は駆動部分が小さく、その分、座席スペースが広い。運転席の後ろが対面の六人乗りの座席になっているため、動く部屋の趣がある。その六人乗りの車両に、バドゥーナ国の統首と、国務、外務の二人の大臣、そしてユルツ国の駐在外渉官と、飛行機で到着したダーナと国務次官が乗り込んだ。すでに運転席には、運転手として開発局の機械部主任、隣に情報局のラジンが席を占めている。

 バドゥーナ国は、経済危機に陥ったユルツ国から大量に薬を買いつけている。その謝礼として、ユルツ国から無償でいくつかの古代の機器が贈られた。この電動車両もその一つで、構造は燃焼系のエンジンで走る自走車よりも簡単だが、車本体よりも搭載してある高性能の電池、十字泡壺が貴重なため、ユルツ国同様、古代技術の復興に国の未来を託そうとしているバドゥーナ国に、両国の友好の証として贈呈された。ぜひその構造を解明して欲しいという言葉と共にだ。

 一路迎賓館へ。そこでバドゥーナ国側が要望している武器譲渡の条件交渉が行われる予定で、ダーナに同行しているユルツ国国務次官が、その交渉の責任者になる。また今回の交渉と合わせて、ハン博士の息子の受け渡しも行われる。こちらは書類一枚で済むはずだ。

 ダーナが思いついたように国務大臣のガヤフに聞いた。

「そういえば、少女は……、ハン博士の息子は古代人の少女を帯同していたはずだが」

 ガヤフが一段、声を低めた。

「逃亡の際に川に落ちましたようで、残念ながらおそらくは……」

 窓の外に目を泳がせつつダーナが頷いた。

 電動車と擦れ違うように、幌を張った馬車がプロペラ機に向かう。貨物機に積み込んである荷を運び出すのだ。もちろん荷は銃などの兵器である。

 ダーナの隣、国務次官が、対面する大臣のガヤフに話しかけた。

「先渡しの品は、今回の機と、明日来る後発便の二機で届く予定になっています。内容の明細に若干の変更があったので、後でそれを確認してもらいたい」

 視線を車の中に戻したダーナが、次官の言葉に続けた。

「飛行機は民生品だが、使いようによっては有効な兵器になります。バドゥーナ国側からの要望があれば、飛行機も搭乗員付きで貸し出し可能ということで、評議会の見解がまとまりました。よろしければ検討のほどを。それから、あとで対岸のベコス地区に足を運びたいので、馬を一頭用意してもらえると有り難い」

「はっ、河岸の窮民街へですか、また何ゆえに」

 統首のパパルボイが、構えたように眉を上下させた。

 運転手の隣、助手席に座っていたラジンが、仕切り越しに統首の耳に顔を寄せ、「ダーナ殿の姉が、診療所を開いています」と、小声で説明を入れる。

「なるほど、それでは、護衛を用意しよう」

 パパルボイの一言に、ダーナは、一瞬それが自分を監視するためのものではないかと疑ったが、面前の善良そうなバドゥーナ国の統首の顔を見て、「これは私用なので、有り難いがご辞退しよう」と、苦笑を押し殺して答えた。

「そうかそれは残念」

 ダーナと統首のやり取りを耳に、大臣のガヤフはため息を呑み込んだ。ダーナの姉が開設した診療所は、この地域では中立を保っている。そこに、バドゥーナの警邏隊に守られた人間の行くことが何を意味するのか。この若い統首は、そこに思慮が及ばない。

 ガヤフは統首に余計な話をさせまいと、さり気なく話題を変えた。

「ダーナ殿、以前から、そこもとの姉君には、医薬品の援助を請われておってな。だがこのご時世、医薬品の備蓄はこちらも手薄。食料に関してなら多少の援助はできると姉君にお伝えください。明細はここに用意しております」

 ガヤフはポケットから取り出した紙片をダーナに手渡すと、軽く目配せをした。

 受け取った紙片に目を落としたダーナが、口元に含んだ笑みを浮かべる。

 国の財務局の判が押してある受取人未記入の小切手である。金額は一万ブロシュとある。要は医薬品を直接援助することは難しいので、金を渡すから、食料でも薬でも自分で勝手に手配して買ってくれというのだ。どこの国でも貴重な医薬品は国の統制下にあり、その無償配布には国民の厳しい目が向く。それを考えた上での処置だ。

「窮民街では、食料は薬と同じ。姉もさぞ喜ぶでしょう。ご配慮感謝します」

「なんの、それくらいしか、老体には思いつかんでな」

 紙片の内容を食料の明細だと思っているのだろうパパルボイが、「人の心を掴もうと思えば、とりあえずは胃袋を掴めと申しますな」と言って、無邪気な笑い声を上げた。

 ダーナが紙片を胸のポケットに押し込み、言葉を返す。

「みな考えることは同じようで、わが方の閣僚も、市民の人心柔懐には食料が一番と考え、今回の兵器の代価を餅にさせて貰ったという次第です」

 つまり今回のユルツ国からバドゥーナ国に売り渡される武器の対価の九割は、餅を主にした食料で支払われることが事前交渉で内定している。そのことを受けての発言だ。

「武器と金を天秤に乗せることはあっても、武器と食料を乗せることは、まずない。いやその釣り合いを取るのに苦労すること」

 ガヤフが太い声で相槌を打つと、そのことが身に滲みているのか、ユルツ国の次官が、つられるように渋い笑い声をあげた。



次話「診療所」

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