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星草物語  作者: 東陣正則
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自走車


     自走車


 四人は来た時とは反対側に隘路を走った。別れを惜しむようにトゥワーニさんの胡弦の音が、後方から漏れ聞こえてくる。

 春香は心の中で「トゥワーニさん、元気でね」と手を振った。

 オバルが、先に立って歩くジョノに問いかけた。

「ぼくらは、捕まったからといって、命に関わるようなことはないだろう。バドゥーナ国がユルツ国に恩を売るための材料らしいからね。でも君は違う、ぼくたちの逃亡を手助けしたとなれば、酷い目に遭うんじゃないか」

 聞こえているのかいないのか、ジョノは答えない。今はとにかくこの場を離れることが肝要なのだといわんばかりに、小走りに三人の前を走り続ける。仕方なく三人は、ジョノの後ろを離されないように駆けた。

 樹油の精製工場らしき施設の裏を抜け、資材置場に入って、ようやくジョノは足を緩めた。そして辺りに追手の気配がないのを確認すると、春香に話しかけた。

「春香さん、おふくろに色々と話を聞かせてくれたみたいだな。礼を言うよ、ありがとう。おふくろにとっては、古代の人に会って、自分が生きていた時代の話を聞くのが夢だったんだ。あんなに晴れやかな顔のおふくろを見たのは久しぶりだ。また機会があったら、ぜひ話を聞かせてあげてほしい」

 ジョノが感謝の気持ちを表すように、春香の手を握りしめた。

 そして辺りに人の気配がないのを確かめると、傍らにあった鉄の棒を取って、地面に突き立てた。丸い鉄の蓋である。オバルが手を貸し、ジョノと一緒に力を込める。梃子のように鉄の棒で押された蓋が、ズリッと音をたてて横にずれる。ところが、その空いた隙間から白い煙が噴き出してきた。

「しまった、排水坑に蒸気を流された」

 消毒のために時々高温の蒸気が排水坑に吹き込まれる。それだ。排水坑の中にいるかもしれない人間を、追い出そうとしてのことだろう。

 倉庫の屋根を越えて、犬の鳴き声が聞こえてきた。オバルがジョノの腕を掴んだ。

「ジョノ、君はトゥワーニさんのところに帰ってあげなさい。ぼくらと一緒にいるところを見られたら、ただでは済まない」

「それは……」

 言い淀むジョノに、オバルが畳みかける。

「君にもしものことがあったら、トゥワーニさんの面倒をみる人はいるのか。見たところ、彼女はかなりの高齢だろう」

「帰ってあげて」

 春香も横から口を出す。ところがジョノは、子供が嫌々でもするように首を振る。

「だめだ、君たちをちゃんと逃がすこと、それが、おふくろの願いでもあるんだ」

「どうして?」

 ジョノが請うような目で理由を口にした。

「人から聞いたんだ。おふくろは、この世界に目覚めた時は、記憶を失ってなんかいなかったって」

「えっ、だって、さっきは……」

 見つめるオバルと子供たちに、ジョノが衝かれたように捲したてた。

 記憶を無くしてしまえば、いつ記憶を無くしたのか本人には分からない。それ以前に、記憶を持っていたのかどうかさえ分からなくなってしまう。

 ジョノが人づてに聞いた話では、トゥワーニは、大陸の東海岸の町で目覚めた後、ユルツ国に運ばれ、技術復興院で実験の材料にされた。彼女の体に埋め込まれていた体の機能を高める装置が、研究者の興味の対象となったのだ。それを調べる過程でトゥワーニは記憶を失った。いや事実は、拷問のような実験に耐えかねて、彼女自らが記憶を消す薬を飲んだということらしい。トゥワーニの、ぎこちない人形のような動きは、体のあちこちにメスを入れられた後遺症なのだそうだ。

 話を聞いて口を震わせる春香の肩を、ジョノが掴んで揺さぶる。

「だからだよ、春香さんだっけ、ユルツ国に連れて行かれたら、君もおふくろと同じ目に遭うだろう。君を逃がすことは、おふくろの希望でもあるはずだ。俺は四つの時に街道に捨てられた。置き去りにされたと言った方がいい。そのボロ布をまとった捨て子を、ユルツ国からの移民として塁京に向かっていたおふくろが拾ってくれたんだ。もしその時に助けてもらえなければ、たぶん俺は、そのまま死んでいた。俺は絶対に君たちを逃がしてみせる。それがおふくろへの恩返しになると思うからだ」

 腕組みをして聞いていたオバルが、高揚した声で「勝算はあるのか」とただす。

「ぼくが囮になったって」と、ジョノが鉄の棒を握りしめた。

 無茶は駄目だとオバルが鉄の棒を上から押さえた時、春香が何を思いついたのか、

「ねっ、ジョノ、この都には自走車が走ってるでしょ。あの車はどこにあるの?」

「ああ……」

 気のない返事のジョノに、春香が気負いこんで尋ねる。

「どこ、近くなの、見つからずに忍びこめる場所?」

「向こうの通りの倉庫だよ。でも大通りを横断しないとだめだから、気づかれずに倉庫に忍び込むのは難しいかもしれない」

 自走車と聞いて春香の考えを察したのか、オバルが話の後をとった。

「分かった、とにかくその倉庫まで案内してくれ、そしたら、ジョノ、君はトゥワーニさんの所に帰るんだ。君が俺たちの巻き添えになる必要はどこにもない」

 渋るジョノにウィルタがはっきりと言った。

「大丈夫、ぼくらは自力で何とかするよ。君にとっては大事なおふくろさんだろう、君にもしものことがあったら、トゥワーニさんが悲しむよ」

 一寸目を閉じたジョノが「ついてきて」と、目の前の隘路を走りだした。

 塁壁に囲まれた盤都バンダルバドゥンの東部には、生産区と呼ばれる工場街が広がっている。ジョノの家のある地区は、その生産区のなかの原料素材区、樹油の精製加工関連の工場が集められた地区で、この地区を核として、精製樹油から擬似木材や繊維、食品、薬品原料など、各種の生産材を作りだす化学プラントが周辺に拡がっている。

 生産された物資は、馬車か、もしくは道路に敷設された小型の軽便鉄道で搬送される。

 自走車はその軽便鉄道の倉庫にあるという。

 捜査犬の鳴声を聞きつけたのか、工場街の守衛や夜間業務の人たちが、建物の中からバラバラと外の道に出てきた。

 後方で犬が激しく鳴きたてている。こちらの匂いを嗅ぎ付けたのかもしれない。

 フンフンと鼻をくゆらせていたオバルが、工場から突き出たタンクの横で足を止めた。タンクに繋がるパイプの連結部分から油が垂れている。

「オバルさん、早く」

 手を振るウィルタに、「先に行け、俺の足は長いから直ぐに追いつく」と言い返すと、オバルは連結部分のバルブを力任せに捻り、さらには長い足で蹴飛ばした。バルブが動き、パイプの先から薄茶色の液体がシャワーのようにほとばしる。

 キリンのような大股で追い付いてきたオバルに、ウィルタが聞く。

「何をやってたの?」

 後方に目を走らせたオバルが、したり顔で言った。

「犬たちの目眩ましさ。揮発性の高い加工油だ。犬たち、鼻がひん曲がって、しばらくは俺たちの臭いを追いかけるどころじゃなくなる」

 ジョノが足を止め、追いついてきた三人を手で遮った。

 隘路の前方に広場のような大通りが開け、その雪のない黒々とした路面を、鉄の軌道が何本も曲線を描いて交差している。大通りの向こう側対面は、軽便鉄道関連の倉庫で、自走車が収納されているのは、その一番右手の建物になるという。ところが目的の倉庫手前の路面が妙に明るい。手前の倉庫から明かりが漏れているのだ。見ると開け放たれた大扉の内側で、大勢の工員が何か作業をしている。これは問題だ。こちらから倉庫の中が見えるということは、裏を返せば、大通りを横切ろうとすれば、こちらの姿も向こうの目に触れるということだ。

 立ち竦んだ四人に、ガラガラという騒々しい音が聞こえた。

 牽引車両が貨車を引いて現れた。鉄道とはいっても、牽引車両自体はボンネットトラックのような自動車で、タイヤの代わりに鉄の車輪を付けている。路面を走る軌道から見て、そのまま進んでくれれば、自分たちのすぐ前を横切る。

 七両編成の貨車を引いた牽引車両が近づいてきた。考える間もなく四人はスルスルと大通りに走り出ると、最後尾の貨車に取りついた。

 荷台の側面にしがみついたオバルが、ジョノに貨車の行き先を尋ねる。

 空荷の貨車がそのまま都の外に出ていくことはないので、荷の積み込みのために、どこかの工場に入るはずだと、ジョノが予想を捲し立てる。泡良くば貨車がそのまま塁壁の外にと期待したオバルは、落胆の表情を浮かべたが、すかさずジョノが、軽便車両の都の出入口では門衛による検査が行われるので、軽便車両を使っての脱出は無理、それに事件が起きた際には、門衛に加えて警邏隊も検査所に配備されるからと、釘を刺した。

 その眉を曇らせたオバルに春香が何事か耳打ち、

「それで行くか」と、首を縦に振ると、オバルはジョノの肩に手を置いた。

「ありがとう、ジョノ、ここで別れよう。これ以上ここにいて、俺たちと一緒にいるところを目撃されたら、言い訳できなくなる」

「しかし……」

「大丈夫、俺もこの子たちも、見かけよりはタフだ。何とかする。君にはおふくろさんがいる、それを忘れちゃいけない」

「そうだよ!」

 オバルの横で、荷台の把手にしがみついていた春香とウィルタが声を合わせた。

 ジョノが小さく顎を引いた。

 明かりの灯った倉庫の前を過ぎる。その瞬間、三人はパッと手を離して貨車から飛び下りると、そのまま姿勢を低くして走り、倉庫の壁に取りついた。その向こうを、ガラガラと音をたてて軽便車両が走り去っていく。

 荷台のステップにしがみついたジョノが、成功を祈るとばかりに親指を立てた。

 

 三人は素早く建物の庇の陰に身を寄せた。明かりの灯った倉庫は、別の倉庫二つを挟んで左隣にある。どうやら今のところ気づかれていない。

 と、またガラガラという音。見ると、警邏隊員を乗せた牽引車両がこちらに向かってくる。慌てるオバルの腰をウィルタが突いた。

 ウィルタの手が、倉庫の大扉の横、通用口の取手を握っている。

 押すと油がたっぷり差してあるのか、扉はキシリとも音をたてずに動いた。

「日頃の行いが良いと、こういう天の恵みもある」

 オバルが小さく口笛を吹くと、「それって、誰の行いだよ」と、ウィルタが冷たい視線をオバルに向けた。

「誰でもいいじゃないか、さあ入ろう」

 三人は近づいてくる車両から逃れるように、倉庫の内側に身を押し入れた。

 非常灯もついていない倉庫の中は真っ暗。ただ目が馴れてくるに従い、天井近くの明かり取りの窓から入る外の光で、倉庫に置かれた各種車両や作業用の重機が黒いシルエットとなって見えてきた。しかし、いかんせん暗い。

 荷物は没収されたままで、ポケットにはマッチ一つ入っていない。

 手探りで壁に沿って歩き出したオバルが、二人に呼びかけた。

「入口の近くに、非常用の棒灯か白灯が置いてないか探してくれ。何もなければ、天井の明かりをつけるしかない」

 三人で手分けして大扉の近辺を探す。しかし、それらしきものはない。配電盤の下の戸棚を手探りしていたオバルが、苛つくように壁を叩いた。

「だめだ、天井の明かりをつけよう。照明が灯ったら、急いで乗れそうな車を探すんだ。まずはキーが付いたままの車がないか探す。あったらエンジンが掛かるかどうか、燃料の有無も含めて確認。燃料切れならその燃料を探す。いいか明かりをつけるぞ」

 早口で段取りを並べ立てると、オバルは手探りで配電盤のレバーを押し下げた。天井にパッと明かりが灯る。蛍光球だ。ずらりと吊るしてある。

 暗やみに慣れた目に眩しい。額に手をかざし、目を細めて倉庫の中を見渡す。

 右手に土木工事のための重機、左奥にはタンクを積んだ車両、春香が昼間見た箱型の装甲車のような車両も四台足並みを揃えるように並んでいる。そして一番手前に、さっき外を走っていた貨車牽引用の自走車が、車輪を外された状態で整備台の上に乗っていた。それ以外にも数台の車が見え隠れしている。

 ウィルタと春香が、走りながら片端から運転席を覗いていく。しかし、キーを差し込んだままの車などない。鍵が保管されていると読んだオバルが、入口横の管理室と思しき小部屋の扉を力任せに引っ張る。ところが頑丈な鉄の扉で、びくともしない。

「くそう、鍵がないことには、どうしようもない」

 その時、装甲車の横にあった車を覗きこんでいた春香が声をあげた。

「これはキーがついてる、でも」

「でも、なんだ」

 オバルとウィルタが走り寄った。それは貨車を引く牽引車両で、トラックを切り詰めたような車体に、レールの上を走る鉄の車輪が付いている。おまけにボンネットの外装は外したまま、整備中らしい。

 オバルが運転席に顔を突っ込み怒鳴った。

「機関車だって、道の上に置けば道を走る」

 言うなりオバルは、車の運転席に乗り込みキーを回した。始動機の動く音が、腹をすかせた胃袋のように鳴る。凍りついた野外ならいざ知らず、室内だ。さっさと掛かってくれとばかりに二度、三度とオバルがキーを回し、アクセルを踏み込む。しかし神に見放されたように、始動機の音が小さく先細ってくる。

「ダメだ!」と舌打ちするや、オバルは座席の横に転がしてあった手動クランクのハンドルを引っ掴むと、運転席を飛び出した。犬たちの吠える音が聞こえてきた。それに人の足音も。オバルはエンジン前面の穴にL字型のハンドルを突っ込むと、力を込めて回し始めた。一度、二度、回しながら子供たちに怒鳴る。

「車止めを外せ、そして正面の大扉を開けてくれ」

「だって、エンジンがまだ」

「掛かってからだと間にあわん、急げ」

 二人は鉄のタイヤにつけてあった車止めを引っこ抜くと、倉庫の大扉に向かって走った。

 子供の背丈の六、七倍はありそうな大扉で、力を入れても、びくともしない。その岩のような扉を、顔を真っ赤にして二人で引っぱる。ギッというにぶい音がしてドアが軋むのと同時に、エンジンのかかる音が倉庫の中に鳴り響いた。

 二度三度とエンジンを吹かす音も後押し、扉がずれ動く。できた隙間を通して、大通り向こう側の狭い道から、人と犬が飛び出してくるのが見えた。

 片側の大扉が半分開いたところで、オバルが手を振った。

「乗れ、それだけ開けば十分だ」

 犬たちの吠える声が、倉庫の側に迫っている。二人は慌てて寸詰まりのトラックの助手席に走り込んだ。春香が助手席で、ウィルタが後部座席。タッチの差で、犬たちが黒い石飛礫となって倉庫の中に飛び込んできた。

 その瞬間、オバルが、ギアを入れざま、牽引車を発進させた。

 ユルツの技術復興院に在籍当時、オバルは体験講座で自走車や各種車両の運転を経験している。もっとも牽引車、それも鉄の車輪をつけた車両のハンドルを握るのは初めてだ。

 振動よりも、金属の車輪と床の擦れる音が凄い。それにレール用の車輪なので、接地面が狭く、車輪の向きにハンドルを取られる。それを立て直しつつアクセルを踏み込む。

 猛然とつっかけてきた牽引車に犬たちが怯んだ。

「窓を閉めろ、犬に食いつかれるぞ」

 オバルに言われるまでもなく、犬たちの顔が窓のすぐ外にある。二人とも窓を閉めようとしているのだが、凍って動かないのだ。

 そうする間にも、倉庫の床を横滑りしながら走る牽引車の窓に、犬たちが頭を押し込んできた。牙を剥き出し噛み付こうとする犬の鼻面を、ウィルタが足で突き飛ばす。

 しかし怯まない一頭が、ウィルタの靴に牙を突き立てた。

 とっさに春香が、オバルの腕の間からハンドルの真ん中を押す。けたたましい警笛に、犬たちが弾かれたように車から離れた。

 その隙をついて、オバルは牽引車を倉庫の出口に突っ込ませた。

 床に敷かれた金属板と鉄の車輪が擦れあう音が、鼓膜を抉る。その耳を覆いたくなる音を引き連れ、牽引車は倉庫の外に飛び出した。

 倉庫に入ろうとしていた警備服の男たちが、身を仰け反らすようにして尻餅をつく。金属の車輪が凍りついた路面を踏みしだく派手な音に混じって、人の叫び声と、犬のけたたましい鳴き声が交錯。だがオバルは後ろを振り向きもせず、牽引車のアクセルを踏む。振動で体が激しく揺さぶられるが、なんとか走ることはできる。それにさすが牽引車、馬力がある。しかし感心している場合ではなかった。

 前方に警邏隊の隊員たちが並んでいる。銃を構えた隊員も……。

「伏せろ」とオバルが言おうとした瞬間、春香がハンドル脇のスイッチを捻った。

 ライトが点灯、眩しい光条に怯んだ隊員を割って、牽引車が突っ走る。

 あっという間に、隊員たちが後方に。オバルが車の音に負けじと声を張り上げた。

「二千年前は、子供も車を運転したのか」

「隠れてね」

「それは頼もしい、いざという時は運転を代わってくれ」

 激しい振動で体が揺さぶられ、まともに喋れない。それはさておき、犬の叫び声に代わって、サイレンの音が町のあちこちで鳴り始めた。自分たちのことが伝わったのだろう。だが表通りに出た以上、後はもうこの車を走らせ、都の塁壁の門を突き破るしかない。

 ハンドルを握りしめたオバルに、後部座席のウィルタが告げる。

「後ろは、もう誰もいないよ」

 ミラーに目を走らせたオバルが、アクセルに乗せた足を心持ち緩めた。

「用心しないとな、この車輪で列車の軌道に填ったら出られなくなる」

 道がタールの黒い路面から、白い雪道に変わっていた。

 周囲に人影がないのを見て、オバルが助手席の春香に言った。

「春香ちゃん、上着の左ポケットに地図がある。出してくれ」

 春香がオバルのポケットを探ると、折り畳んだ地図が出てきた。都の地図だ。

「こんなものをどこで」

「迎賓館で他の部屋を家探ししていて見つけたんだ」

「えっ、だってオバルさん、食べ過ぎて体調が……」

 オバルが自慢げに鼻を鳴らした。

「おれの体で食べ過ぎってのはない。湯当たりは少しあったがな」

「なんだ、せっかく薬まで手配してあげたのに」

 憤慨した春香に、オバルがハンドルを左に切りながら急かした。

「それより、早く地図を。おそらく塁壁の外に出るには、経閣門を抜けるしかない。君のいた南側の部屋から、大通りの突き当たりに、楼閣のような門が見えたはずだ。大通りにさえ出られれば、後は一本道。とにかく生産区から表の大通りに出る道を地図で確認、逐次、指示を出してくれ」

 車輪が氷を砕く派手な音に負けないように、春香が「任せといて」と大声で応じた。

 夜の盤都バンダルバドゥンの街路をひた走る。

 地図で見ると、いま走っている場所は、生産区の中の資材保全区。資材置場のような倉庫が道の両側に並んでいるだけで、人の姿はない。

 後方をチェックしていたウィルタが、「馬だ!」と叫んだ。

 騎走隊が現れた。オバルが再び牽引車のスピードを上げる。凍結した雪道を馬は早く走れないのか、騎走隊はすぐに後方に引き離された。

 助手席から春香が地図を見ながら指示する。展望台の上から都の全体を見ていたので、なんとなく位置関係は想像がつく。もっとも春香は都を塁壁に囲まれた円形と理解していたが、地図で見ると思ったよりも横長で、それも折れ曲がった楕円形をしている。

 倉庫の屋根の向こうに展望塔が現れた。それをランドマークに町の表側を目ざす。

 進行方向の倉庫の上が、夜目にも明らんで見える。町の表側だ。もう少しで工場街を抜ける。そう思った時、前方にパッとライトが灯った。

 検問だ。闇を透かして並ぶシルエットは、銃を構えた隊員と、自走車が数台。

 オバルが「伏せろ!」と声を張り上げるや、アクセルを踏み込んだ。

 金属の車輪が、旋盤で物を削るような鋭い音をたてて回転、振動で頬の肉がブルブルと震え、まるで平地をジェットコースターに乗って走っているようだ。あっという間に検問が目の前に。そう思った時には、物がぶつかり砕ける激しい音と衝撃がして、牽引車は検問を突破。人の叫び声が、列車に乗って信号機の脇を過ぎたように、後方に余韻を残して飛び去っていく。

 直後、車は大通りに出た。道の両脇歩道に、ずらりと街灯が並んでいる。その炯炯とした真昼のような照明に目を細め、前方を見透かす。かなり先だが、一本道の突き当たりに、櫓のような門がぽっかりと口を開けている。経閣門だ。

 当然検問はあるだろうが、今のように突き破れば都の外に出られる。

 その時、ビシッと音がして、車のガラスにヒビが入った。オバルが「クソッ」と短く声を発した直後、金属の車輪が路面の溝に進路を取られて横滑り、牽引車は氷結した大通りを踊り子のようにクルクルと回転したかと思うと、道端の街灯に激突、停止した。

 ぶつかる直前、春香は身を屈めて構えたが、それでも息が詰まるショックと共に、車の前部に体をぶつけた。砕けたフロントガラスの破片が、頭や顔に降りかかる。

 半ば意識を失いながら春香は、そうかこの車にはシートベルトが付いていなかったなと、そんなことを考えていた。

 五秒、六秒……、春香は我に返った。

 ウィルタが後ろから身を乗り出し、自分の体を揺さぶっていた。隣の運転席では、オバルが肩を押さえて唸っている。銃で撃たれたのだ。外套の裂目から血が滲んでいる。

「大丈夫、擦っただけだ」

 オバルが顔をしかめて言った。しかしハンドルを握る右腕に力が入らないのか、しきりに左手で腕のつけ根あたりを揉んでいる。衝突の際に、ぶつけるか捻じったらしい。

 心配気な春香の後ろで、ウィルタが「隊員が!」と後方を指した。

 振り返ると、自走車のライトがこちらを照らし、その光の中を銃を構えた警邏隊員が近づいてくる。

「オバルさん交代、わたしが運転する」

「しかし」

「大丈夫、まかせて!」

「ヨシッ」と声をかけると、オバルが窮屈そうに助手席に移動。ドアを開けて外に回った春香が、運転席に飛び乗った。

「急いで!」というウィルタの呼びかけに、春香が顔をしかめた。

 アクセルが自分の足の遙か先にある。

「春香ちゃん、早く」と催促するウィルタに、「分かってるわよ」と言い返すと、春香は素早く座席を調整、キーを回した。軽快な音と共に、エンジンが始動。

 サイドミラーに目をやるが、衝突の衝撃で砕け散ったのか鏡がない。

 舗道脇の凍った雪をガリガリと、かき砕きながら車道へ。

 オバルが、動く左腕を伸ばして、後部座席のウィルタの頭を押さえた。

「頭を下げてろ、威嚇のためにまた撃ってくるかもしれん」

 とたん、鍋を叩くような連続音ともに、車体から軽い衝撃が伝わってきた。

 春香は牽引車を大通りに引き出すと、「行くわよ」と言って、アクセルに力をこめた。

 実際にハンドルを握ると、あのシミュレーターが良くできていることが分かる。本物の車は、親の目を盗んで、三度ほど人気のない住宅街を走らせただけだ。それでも、こうやってハンドルを握っても、まったく違和感を感じない。

「自走車だ!」というウィルタの声。言われなくても、近づいて来るライトで分かる。

 それよりも問題は牽引車だ。この車が普通の車と競争して勝てるのだろうか。この金属の車輪の車で……、でも走り始めた以上、行くところまで行くしかない。

 肩を押さえて痛みを堪えつつ、オバルが吼えた。

「正面が経閣門だ、行けーっ!」

「あっ、だめだ、経閣門が上から!」

 身を乗り出して叫ぶウィルタに、春香も前方を見すえた。

 探照灯がこちらに向けられているので、逆光になってはっきりしない。しかし経閣門の上半分が塞がっているように見える。扉が下に向かって……。

「くそ、あのでかい門に、シャッターがあるのか」

 オバルの声が終わらないうちに、春香はアクセルに力を込めた。

「距離五百、速度百二十キロ時で、十五秒」

 春香が独言のように声を発した。数学の勉強していた母さんの影響で、算数は得意だ。もっとも母さんと同じで、家政科は苦手だったけど……。

 凍結してツルツルの路面を、猛烈な勢いで牽引車は突っ走る。ちょうど時速百キロ。後ろから追いかけてくる自走車が引き離される。

 しかし、経閣門のシャターは、もう三分の二まで下がっている。

 震動が凄い、このままではハンドルを取られて……と、春香が顔を歪めた時、オバルの手が横から伸びて、ハンドルを固定するように握り締めた。

 左右の街灯が猛烈な勢いで近づき、飛び去っていく。この振動も、顔に吹きつける風も、初めての経験だ。それでも不思議と恐怖感は湧いてこない。

 春香自身、思ったよりも冷静な自分に驚いていた。どこか現実とシミュレーターの区別ができていない自分がそこにいた。それはそうだ、銃を持った連中に追いかけられながら車を疾走させるなんて、そんなことは映画の中の話だ。あまりにも現実味がなくて、自分が映画に入り込んでしまったような気になる。

 そんなことよりも、問題は上手く経閣門を抜けたとして、その先に道が直線で続いているかどうか。もし道が曲がっているのに、このスピードで飛び出したら、その時はとても自分の運転では対応できない。

 春香の不安な表情に気づいたオバルが、「道が真っすぐなことを祈ろう」と励ますように言うと、後部座席のウィルタにも聞こえるよう声を張り上げた。

「頭を低くして衝撃に備えるんだ。春香ちゃん、抜ける瞬間はハンドルだけ持って、頭はできるだけ低く!」

「ハイ」と、春香が返事をした時には、シャッターが世界を鎖す壁のように迫っていた。

 とても車が通り抜けるだけの高さが空いているようには見えない。だが車を止めるにはもう遅い。門の両脇に立っていた衛士たちが、銃を放り投げ身をかわす。

「伏せろ!」という、オバルの声と同時に、衝撃が体全体を貫く。体が激しく叩きつけられるように上下、そのまま春香の意識も宙に投げ出された。



次話「幣舎共栄橋」

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