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星草物語  作者: 東陣正則
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外輪船


     外輪船


 官庁街の並びに、入り口から人がはみ出し長蛇の列ができている建物がある。塁京各国の出先機関がまとまって入居している合同領事館である。

 塁京に赴くには、ここで入塁許可証を発行してもらう必要がある。長蛇の列をなしているのは、もっぱらエルフェ族の避難民の人たちで、そのエルフェの人たちを掻き分け、建物の中へ。すると長蛇の列はゴーダム国の窓口のみで、ほかの国はそれほどでもない。

 詳しい事情は後に知るが、塁京の国々は、それぞれの国の成立の経緯によって、移民や避難民の受け入れ体制に違いがある。それは受け入れる人の出自や民族の違いにはっきりと現れる。塁京の二大国の内、バドゥーナ国は主に北からの人たちに、そしてゴーダム国は南からの人、すなわち門京の長杭周辺に集まっている亀甲台地からの牧人に対して門戸を開いていた。

 オバルは、ティムシュタット国の窓口に直行した。

 入塁許可が下りるか不安だったが、簡単な書類の審査だけで、あっさりと許可が下りた。手続きをして分かったことは、同じ入塁許可でも、長期の滞在、あるいは就労許可を含んだ滞留許可証は、個人面談から技能試験、身元照会までも含めて、発行までに数カ月もの時間を要する。較べて短期の通塁許可は、審査らしい審査もなく取れる。もちろんその際でも、お金が物をいうのは言うまでもない。金の無い者には通塁許可さえ下りない。通塁許可を使って入国し、そのまま不法に居座る者がいるからだ。

 ティムシュタット国に行くには、バドゥーナ国経由で船を乗り継ぐ。面倒でも両方の国の入塁許可を取る必要があった。ティムシュタット国に続いて、バドゥーナ国の許可証の手続きを。こちらも意外とあっさり許可証が発行された。

 窓口の閉まる時間まで並んでいたエルフェの牧人たちが、翌日並ぶための整理券をもらって帰り始めた。彼らは明日も明後日も自分に順番が回ってくるまで、並び続けなければならない。

 疲れた表情のエルフェの人たちを横目に、窓口の端にある一室に向かう。

 そこだけは扉があって雰囲気が違う。検疫室だ。今はマリア熱に感染していないことの証明が入国に際して必要だった。加えて数カ月前からは、燭甲熱の検査も行われている。古代病と呼ばれる燭甲熱の患者が、長杭の避難民の集積地で発生しているからで、塁京の国々は、マリア熱以上に、この燭甲熱が侵入することを恐れている。

 検査自体は簡単で、ものの数分で陰性と結果が出た。

 閉館ぎりぎりに、通塁許可証と検疫証の二つの書類を揃えることができた。

 エルフェの人たちを掻き分けるようにして領事館の外へ。

 合同領事館の居丈高な建物を出たとたん、頭巾を深く押し被った男が三人に身をすり寄せてきた。懐の物をちらつかせながら話しかけてくる。オバルは不快な顔をしてその男を追い払ったが、離れた後も男はチラチラと三人の方を見ている。

 オバルは二人を急かし、足早に領事館の前を離れた。

「何だったの、さっきの男」

 二人同時の質問に、オバルが後方に怪しい者がいないかどうかを確認した上で言った。「通塁許可証を譲ってくれないかって、言ってきたんだ」

「胸元に札束が見えたわ、あれかなりの額でしょ」

「見せ金だよ、本物の札はきっと上の数枚だけさ。こちらが札束に気を取られているうちに、仲間がザックを引ったくって逃げるつもりだったのかもしれない。仲間らしいやつが、逆の方向から近づいて来るのが見えたからな」

 ウィルタが驚いて後ろを振り返った時には、先ほどの男は、もう人込みに紛れて見えなくなっていた。

 用心深く通りの中央を歩きながら、オバルが手続きの際に仕入れた情報を聞かせてくれた。あの長蛇の列で並んでいるエルフェの人たちのほとんどは、入塁審査を通ることはない。たとえ財産を持っていても、入塁許可が下りるとは限らないのだ。申請の際に下手に高額の所持金を見せると、逆に審査を落とされる。審査を落としておいて、闇で流通する法外な値段の偽造許可証を買わせるのだという。

 ここでは、あの手この手で牧人たちから金をむしり取るシステムができている。

 たとえばこんな風に。

 ここで一番確実に許可証を交付してもらえるのは、金を持っている人よりも、塁京の国々が必要とする技術を持っている人である。機械、土木、電気などの技術を持つ人は、それだけで歓迎される。しかし原野で牛を追っている牧人たちに、そういった類の技術があるはずもない。そんな手に職のない人たちの気持ちを見透かすように、即席の技術取得講座なるものが、町のあちこちで催されていた。高額の謝礼を取ってだ。

 塁京の入り口となる門京は、財産や技術のある者を選び出す人間の選別の場であると同時に、なけなしの財産を身ぐるみ剥ぎ取る掠奪の場でもあった。

 それでも、まだある程度の技術や財産を持っている人は、金銭を剥ぎ取られながらも、川を渡る可能性に賭けることができる。悲惨なのは何も持っていない、ほとんど裸同然の状態でこの地に逃れてきた人たちで、売る物のない人は自分を売るしかない。しかしジンバにさえなかなか雇ってもらえないほどに、仕事を求める人がここには溢れていた。

 最も悲惨なのは、避難民となってこの地に流れてきて、もう何年もこの長杭周辺で足止めを食っている人たちで、身ぐるみ剥がれ、飢餓寸前の状態でテントの中に横たわるしかない人たち。値の付きそうにない人たちが、テントの波の下に溢れていた。緩慢な死の匂いが町の周りに立ちこめていた。

 三人はほとんど走るようにして、巡回船の出る桟橋に向かった。

 川沿いの大通りを行く三人の横を、大型の荷馬車が通り過ぎる。

 布をかけた荷台の間から、マネキンのように人の手足が食み出している。町や町の周辺で亡くなった避難民の死体、凍りつき放置されている死体を、回収して回っているのだ。風で布がはだけ、中の死体が丸見えになった。服を着ている死体に混じって、裸同然の死体も詰め込まれている。どれも手足ごとヨシの荒縄で縛られている。手足が勝手な方向を向いていると、荷台に数が積めない。それに死体を埋めるための穴が小さくても済むようにと、遺体は手足を揃えて丸太のように縛られる。凍りついた死体で屍臭がしないのが、せめてもの救いだ。

 その死体運搬車が通り過ぎても、道行く人は顔を上げようともしない。ここでは人の死体は、牛の死体同様、日常茶飯の物なのだ。

 ゴミ回収車のような死体運搬車、一見無慈悲に思えるが、放置するよりはよほど上等で、こればかりは、疫病の発生を恐れる町が費用を全額負担して、避難民を雇って埋葬に当たらせていた。

 問屋と宿屋街の間の大通りを抜けると、右手に川が見えてきた。

 川面に氷塊が浮いてゆっくりと漂うように流れている。傾き始めた夕日が川面に反射して眩しい。船着場の一角は、頑丈な柵と金網で幾重にも囲われ、入り口には町の自警団の隊員が銃を持って見張っていた。

 中へは入塁許可証を持った人物しか入ることができない。入り口に向かって足早に歩を進めながら金網ごしに中を覗くと、三本ある大きな桟橋に大小様々な船が停泊していた。昼前に見た高速で走る機船に、舷側に水輪のついた外輪船の姿もある。

 ちょうど船着場を出ていこうとしている平底の船があった。週に一便就航している、塁京の小国、リム国への直行便だという。町に入る時に見た、対岸のゴーダム国の中洲に渡る移動艀の乗り場は、この船着き場とは別の場所になるそうだ。

 乗船所の入口にある大時計の針を睨みつつ金網に囲まれた狭い入口に走り込み、大声でティムシュタット国行きの乗船券を申し込む。

 面倒そうな表情を浮かべた係の男性が、「巡回船の最終便は、さっき出ちまったところだよ」と、ぼやきつつ発券手続きをしてくれた。数枚の札と引き換えに、四角い硬紙の乗船券が窓口から差し出された。

 オバルが戦利品を見せるように、後ろにいた春香とウィルタにそれを見せびらかす。

 これで、やるべきことはやった。

 あとは船の時間を調べて、明日この船着き場に並ぶだけだ。明日がだめなら、明後日。それがだめなら、取り敢えずお金はあるのだから、船が出るまで待てば良い。

 閉門時刻をすぎて、脇の小さな出入口から外に出る。金網の外に、桟橋から離れていく平底船を見ている避難民の人たちがいた。

 オバルがほっとしたように肩で息をつき「何を食べよう」と、子供たちに聞いた。昼に賛馬号の上で板餅を半個ずつ噛ってから、何も食べていなかった。入塁の準備を終えた今、一番の問題は空っぽの胃を満たすことだ。春香が笑って言った。

「今なら何を食べても、神様に感謝できると思うわ」

 ウィルタがニヤリと笑って、「あの寄生虫の冷スープを食べよう」と提案すると、春香がベーッと舌を突き出した。

「とにかく体が温まるものを食べよう。この町には、腸油という糸餅に熱々の味油をかけた名物料理があるそうだ」

 とにかく市場を覗いてみることに。歩き出したウィルタの腹が、待ち切れないとばかりに大きな音をたてた。

 

 広場の左手、川寄りに市場がある。倉庫のような公設市場に隣接して、奥には天幕だけの私設の売店も並んでいる。公設、私設を問わず、とにかく人でごったがえしている。買物をしている人のほかにも、ただうろうろしている目つきの悪い人や、乞食も逃げ出しそうな格好でうずくまっている人。籠を持った子供たちが、落ちている屑や家畜の糞を競うように拾っている。ここの家畜はヨシを餌にしているので、乾いた糞はいい燃料として売れるのだ。

 とにかく商品もごった煮なら、人もごった煮。

 部分天井が吹き抜けになっている公設市場の中は、壁でおおざっぱに区画されており、色とりどりの衣類をぶらさげた店、生活雑貨を山積みにした店、金物を扱う店、馬具に、乾物に、陶器に、電照灯にと、ありとあらゆる物を扱う雑多な店が、身を寄せあって狭い間口で並んでいる。中でも機械の部品や材料を扱う店が目立つ。それと、音盤の音がうるさい。その公設市場の最奥部に、湯気でもやる一角があった。市場の屋台街だ。

 近づくにつれて、三人は湯気で目が眩みそうになった。

 いたるところで蒸気が白く噴き上がっている。クツクツと煮え、焼かれ、揚げられる様々な料理の匂いが入り混じって、鼻孔が窒息しそうになる。油を張った大鍋の中で細かい泡とともに踊り上がっているのは、揚げ餅か。所狭と並べられた料理に、腹の中で消化液がほとばしり、胃袋が絞りこまれて、悲鳴を上げる。

 ウィルタが、三角の塔のように盛り上げられた小麦色の団子を見つけて、舌なめずりをした。表面に淡く白い粉がまぶしてある。

「あの丸い揚げ餅に振りかけてあるのは何だろう」

「砂糖じゃないの」

「おっ、よく分かったな」

 感心したような目で春香を見たオバルが、「そうか、君の時代にも同じような食い物があったんだな」と、指を鳴らした。

 春香が照れた表情で、「当たり、たいていは小麦粉というデンプンの粉で作ったパンを揚げたものだったんだけど、中にクリームや餡が入っているのもあるのよ」

「じゃあ、本当に同じだ。あの揚げた餅の中には、甘い肉入りの餡が入っているんだ、食後のおやつにしよう」

 屋台の女将さんが袋に揚げ餅を詰めている。それを男が急かしていた。

「女将さん早くしてくれ、臨時の船が出るんだ。もう荷物は乗せてある。遅れたら荷物だけが先に行っちまう」

「だんな、この時間に出るとしたら外輪船だろ。ありゃあ、小さい渡し船と違って氷にぶつかっても大丈夫だから、暗くなっても航行できる。そんなに急いで出たりしないさ」

 いかにも甘い菓子を扱うのがお似合いの、横太りした体形の女将さんが、男に急かされても全くペースを変えることなく、揚げ餅を袋に詰めていく。そのゆったりとした動作に半ばあきれ顔の男が、こちらを振り向いた。見覚えのあるギョロ目が、春香とウィルタを見つけてククッと動いた。二人が同時に叫ぶ。

「薬売りのラジンさん!」

 ラジンは春香とウィルタに向かって「やあっ」と片手を振り上げると、二人の後ろに立っているオバルを見て、快活な笑い声を上げた。

「ハハ、完全に保護者になってしまったようだな。塁京に行くと言っていたが、もう許可証は手に入れたのか」

 オバルが答える前に、ウィルタがポケットから小さな紙切れを取り出して振った。

「ばっちし、こっちが入塁の許可証で、こっちが乗船券。どっちも取れたてのほやほや」

 春香とウィルタが示し合わせたように、Vの字のサインを出した。

 子供たちの頭越しにオバルが、「バドゥーナ国の盤都バンダルバドゥン経由、ティムシュタット国行き」と付け加えた。

「用意万端という訳か」

 ラジンが紙に包んだ揚げ餅を代金と交換に受け取ると、

「今日は、この後、バドゥーナ行きの外輪船が、補修後の運航テストを兼ねて臨時便として出るそうだ。乗るならチャンスだ。今日の便は、みな終わりだと思って、並んで待っている連中も帰ってしまったからな。首府のバンダルバドゥン止まりだが、いま行けば、貸し切り状態で乗れる」

「それは、誰でも乗れるのか」

「もちろん、ちゃんと乗船券を持っていればだ。あと半刻ほどで出航するはずだ。乗るなら急ぐことだ。一般の船着き場ではなく、隣の補修用のドッグから出ることになっている」

 説明を聞きつつ目が屋台に向いているオバルの背を、春香が引っ張った。

「料理よりも船、少しでも早く塁京に渡るのが、今は優先よ」

「そうか、しかし残念だな、腸油を食べたかったんだが」

 いかにも残念そうなオバルに、ラジンが胸のポケットから懐中時計を取り出し、時間に目を走らせた。

「容器があればそれに入れてもらって、船の上で食べればいい。子供たちは先に俺が船に連れて行ってやるよ。まだそのくらいの時間はある。それに食い物はバドゥーナの都に着いてからでも食える、なにせ大陸随一の繁都だからな」

「オバルさん、決まりだね」

 弾んだ声で応じながら、ウィルタが腸油を入れるための鍋をザックから引き出す。

 子供たちにテキパキと物事を決められたことに苦笑いしながらも、オバルは嬉しそうに顔を綻ばせると、ラジンに向かって言った。

「分かった、子供たちを頼む。俺は腸油を買ったら、すぐに後を追いかける」

 ウィルタから渡された鍋を掴むと、オバルは通路の奥、湯気で煙る一角に向かって、人の間を擦り抜けるようにして走り出した。

 その背中に向かって「欲張って、遅れるなよ」と、ラジンが声を投げる。

「ルボックさん、ちゃんと三人分、忘れずに買ってきてよ」と、ウィルタが叫んだ。


 屋台街の通路を小走りに駆けると、オバルは柱の横で足を止め、後ろを振り返った。湯気と湯気の間に、薬売りのラジンが二人の子供を連れて出口に向かう姿が見える。柱に寄りかかるようにして身を隠しながら、オバルはそれを見つめた。人混みや溢れるような商品に見え隠れしながら、やがて子供たちは市場を出ていった。

「許せよ、ウィルタ、それに春香ちゃん」

 先に謝罪の言葉を口にすると、オバルは膨らんだ胸のポケットを手で押さえた。

 あの三十九万ブロシュが手に入った瞬間から、いずれこういう時が来るだろうとは思っていた。千載一遇、棚からぼた餅のチャンスだ。いま背中のザックには、三十七万ブロシュの金が入っている。身売りされる妹の借金と同額の金。塁京へ行ってから仕事を探し金を貯めていては、とても間に合わない。どうすればいいだろうとずっと考えてきた。最後はハン博士を捜し出し、ユルツ国に売ることでしか金を作ることができないのではと、そう思えてきたところだ。もちろん出来ればこんなことはしたくない。しかし金がなければ妹は身売りされる。そこに、降って湧いたように金が飛び込んできた。

 こんなチャンスは二度とないだろう。

 三十七万ブロシュ。大金だ。子供たちも、一万ずつの金を持っている。最初、子供たちは、重いから全部俺に持ってくれと言った。それを万一の事を考え、金は分散しておいた方がいいと言い含めて、子供たちにもそれぞれ一万ブロシュを持たせた。それだけの金があれば、まずこの先、旅で金に困ることはない。それに自分が側に付いていなくても、今なら薬売りのラジンがいる。あの親切な薬売りなら、子供たちをティムシュタット国まで案内してくれるだろう。

 さっき合同庁舎で許可証を取る際、バレイに戻る定期馬車の発着時間を調べておいた。一本だけ特別便というのがあった。馬車を乗り継ぎながら、昼夜兼行で海門地峡までを走り抜ける早仕立ての便だ。料金は通常の四倍もするが、そんなことは問題ではない。なにせ今は懐に三十七万ブロシュの金がある。

 その馬車の出発時刻が、夕刻の六時ちょうど。あと三十五分。

 オバルは背中にしょったザックを軽く揺すると、呟いた。

「ウィルタ、親父さんに会えることを祈っているぜ、それから春香ちゃん、無責任な大人を許してくれ、石を売り込んだあの演技力があれば、君はどこでも生きていける。それとウィルタ、鍋はまた買ってくれ。この鍋は俺がもらっていく」

 オバルがそう小さく口に出した時、目の前の湯気の向こうで「ズズッ」という派手な音が鳴った。ここの名物、腸油の糸餅をすする音だ。大きな音をたてる程に味が増すと言われる糸餅の熱油スープ。金と子供たちのことに気を取られて、腸油のことを忘れていた。

 屋台街の中でも、ひときわ湯気が沸き上がる一角に、長杭名物、腸油を出す店が並んでいる。ズズッと熱々の糸餅すすり上げる音が、屋台の親父の糸餅を刻む音や、茹でた麺を湯切りする音に混じる。

 懺悔するように胸に当てていた手を腹の上に移すと、オバルは目の前の屋台の親父に「腸油を一杯」と、声を張り上げていた。そして並んだ椅子の一つに腰を落とす。

 立ちこめた汁の臭いに鼻をくゆらせ、目を細める。

 オバルの幸福でなぞったような目に、屋台の湯気の向こう側で、がっしりとした体格の男が糸餅をすすり上げる様子が見えた。頭と同じほどに太い首、典型的な牛首だ。

 牛首の男は、屋台の親父に写真を見せては、何か尋ね事をしている。

 人捜しらしいが、屋台の親父が麺をほぐしながら迷惑そうに答える。

「取っ替え引っ替え入ってくる客の顔を、いちいち覚えてるわけないでしょうが」

 適当にあしらおうとする屋台の親父に、牛首の男が、しつこく別の写真を取り出す。

 差し出された写真に目を走らせると、屋台の親父は「子供ですかい」と素っ気なく答えただけで、すぐに視線を手元の鍋に戻した。

 愛想のない受け答えに諦めたのか、牛首の男は箸を丼の縁に打ちつけると、器の中の味油混じりのスープを口に流し込んだ。

 隣で腸油を啜っていた土地の女が、油光りする机の上に置かれた写真を覗き込む。そこには蒸気を吹き上げる熱井戸を背にして、一組の少年と少女が写っていた。ウィルタと春香が、ユカギルの夏送りの祭の際に、出店の写真屋で写したものだ。

 牛首の男と屋台の親父との会話を聞き流しながら、オバルの頭の中でそれが直ぐにウィルタたちのことに結びつかなかったのは、なにより空腹と、ぶり返していた頭痛のせいだ。腹が空くと自白剤の副作用の頭痛がよみがえる。とにかくオバルとしては、頭痛を抑えるためにも、早く食い物を腹に納めたかった。

 オバルの対面。反対側にいた牛首の男が、ここではもう情報が得られないと判断したのか、食べかけの腸油を残して立ち上がった。沸き立つ湯気の上に、太い首の上に乗った四角い顔が現れる。そして牛首の男とオバルの目が合う。

 一瞬の沈黙……と、その静寂を破るように「一丁上がり」と、店の親父がオバルの前に熱々の味油をかけた腸油を置いた。

 その丼を見ずに、オバルは湯気の向こう牛首の男を睨んで、「おまえは!」と叫んでいた。それは牛首の男も同じだ。湯気で多少煙ってみえるが、それは紛れもなく、ユカギルの官舎の一室で、オバルに鉄の棒を振り落とした警邏隊の隊員だった。

 牛首の男が外套の内側に手を突っ込もうとする。それより一瞬早く、オバルは熱々の味油のかかった丼を、牛首に向かって投げつけていた。

 熱油が牛首の顔に降り注ぎ、悲鳴が油のしぶきと一緒に辺りに飛び散る。

 オバルはポケットにあった札を数枚、「釣りはいらない」と言って親父に投げると、椅子をけ飛ばすようにしてその場を離れた。

 屋台と屋台の間の迷路のような通路を走る。

 そのオバルを、銃を握り締めた牛首の男が追う。

 長身のオバルは、こういう時、損である。人よりも頭二つ飛び抜けているために、どこからでも良く見える。まるで幟を立てて人混みを逃げているようなものだ。

 それでも人にぶつかり、商品を通路にぶちまけながら、オバルは転げるようにして市場の外に飛び出した。が勢い余って荷車に激突、それを周りの人たちが何事かと見やる。オバルは慌てて態勢を立て直すと、入口脇の壁に身を寄せ、立て掛けてあった氷を割る鉄の棒を手に構えた。

 そこに牛首の男が味油をかぶった顔を袖で擦り上げながら、飛び出してきた。

「ヤッ!」とオバルが、鉄の棒を低く横殴りに振り抜く。

 錆の浮いた鉄の棒が、男の膝下にぶつかり、鈍い音をたてる。男はもんどり打って体を宙に一回転させると、派手な音を立てて背中から地面に落ちた。

 本当に痛い時、人は息がつまって、悲鳴など上げる余裕はない。

 猛烈に顔を歪めたまま、男は足を抱えてうずくまった。その牛首男の太い首の後ろに、特徴のあるほくろが二つ、吸血鬼に血を吸われた跡のように覗いている。

「前にやられたお返しだ、悪く思うな」

 そう吐き捨てると、オバルは、男の手から転がり落ちた銃を拾い、行きがけの駄賃とばかりに、痛みで脂汗を流す牛首男の胸から、札入れを抜き取った。

「銃と財布は、あの時の慰謝料として貰っておくぜ」

 ハードボイルドの主人公になった気分でそう告げると、オバルは不敵な笑みを浮かべて顔を上げた。そのオバルに、好奇の目で自分を見ている群衆と、表通りから駆けつけてくる町の保衛隊員の姿が目に入った。とっさにオバルは、札入れの中身を鷲づかみにして、ばらまいた。騒ぎに巻き込まれるのを警戒して距離を取っていた買い物客たちが、宙に舞う札を見て、一斉に手を伸ばす。その連中の間を掻い潜ると、オバルは艀とは逆の方向、公設市場に隣接する、私設市場に向かって走った。

 オバルがその場を離れてすぐ、後方で「いたぞあの男だ、追え」という声と、笛の音が鳴り響く。しかし駆けつけた保衛隊員の行く手を、集まってきた野次馬の連中が防波堤となって遮る。その間に、オバルは私設市場の天幕の波の下に走りこんだ。

 雑踏を抜け、外の荷置き場へ。荷車がひしめき合っている。

 居並ぶ馬車の間を横半身で擦り抜けると、オバルは馬車溜りから出ようとする荷馬車に飛び乗った。カゴに突っ込んであったシートを引っ掴み体に被せる。

 荷馬車のすぐ横を、保衛隊の隊員たちが走り抜けていく。そのガツガツという足音を耳に、オバルは牛首の男から失敬した銃を、ポケットの上から押さえた。

 街のあちこちで笛の音が立ち上がっている。かなりの騒ぎだ。

 オバルの潜りこんだ馬車が、ガリガリと音をたてて砕けた氷の道を走り出す。

 馬車が公設市場の前を過ぎる際、シートの間から外を覗くと、ちょうど牛首の男が担架に乗せられて運ばれていくところだった。

 それよりも、まずいことに馬車乗場で保衛隊員が乗客の尋問を始めていた。これでは特別便の馬車に乗るどころではない。次にどう動くかは、この馬車の行き先次第。

 オバルはシートの下で体を折りたたんだ。

 オバルを乗せた馬車は、広場の喧騒を避けるように官庁街の前を通り、石を売った銭庄のある大通りを抜けて、河岸の問屋街に入った。今日の行程を逆方向におさらいしているようだ。このまま町の外に……と、そう思った矢先、一軒の店の前で馬車が停止した。

 後方の広場では、まだ保衛隊がけたたましく笛を吹き鳴らしている。

 オバルは御者が下りたのと反対側にスルリと長い足を下ろすと、御者が後ろに回ってくるのに合わせて前に移動、そのまま倉庫の中、積み上げられた荷の間に走り込んだ。

 川岸に軒を並べる二階建ての問屋は一般にウナギの寝床で、一階の倉庫を抜けると、店の裏がそのまま船着場になっている。馬車四台分ほどの間口の狭い倉庫の一番奥にある扉を開けると、果たしてそこが店専用の船着場だった。

 船着場に張り出した隣の店との境界の壁の先、湾曲した川岸の先に、乗船場横の船の修理場が覗いている。今まさにバドゥーナ国に向かう外輪船が、桟橋を離れようとしていた。逆光になるので分かり難いが、外輪船の上部甲板に、大人たちに挟まれるようにして、子供が二人並んでいるように見える。

 オバルは足元に目を向けた。十段ほどの幅の広い階段が下に続き、そこから細い桟橋が二本、川面を切り分けるように伸びている。手前の桟橋に、荷を運ぶための枡船がもやり、その船の上で、丁稚風の男が船に張りついた氷を金槌で叩き割っていた。

 足を忍ばせ階段を下りると、 オバルは丁稚のいる枡船に飛び乗った。

 船が揺れ、バランスを崩して縁りの板を掴んだ丁稚が、何事と後ろを振り向く。

 その丁稚の胸元に、オバルが乗船券を突き出した。

「バドゥーナに向かう外輪船に乗り遅れた。仲間も乗ってる。手数だが、この船で連れて行ってくれ」

 カードほどの乗船券に目を走らせた丁稚が、憮然とした顔で言った。

「だんな、冗談はよしてくれ。密航の手伝いなんかやった日にゃ、せっかく雇ってもらった店を首になっちまう。それに、こんな明るいうちに密航をするバカがどこにいる」

 そう言い返すと、さっさと陸に上がれとばかりに、革手袋をはめた手を蝿でも掃うように振った。そんなことは分かっているとばかりに、オバルが声を高めた。

「乗船券は本物だ、それに連れて行ってくれれば、礼はたんまりと払う」

 懇願するように言うと、オバルは強引にもやい綱を外した。

 慌てた丁稚が、もやい綱を取り返そうとして、息を呑む。目の前の長身の男が、袂から銃を取り出したのだ。

 丁稚は急に声を落とすと、「密航の手伝いをやって官憲に睨まれたら、表の商売に支障が出ることぐらい分かるだろう」と、勘弁してくれとばかりに両手を合わせた。

 それを無視、オバルは銃口を突きつけたまま、丁稚の手から金槌をむしり取った。

「逃げようとして水に落ちないでくれよ、俺には今、船頭が必要なんだ」

 オバルは元来が大男。その見上げるような大男が自分に銃を突きつけているのだ。

 丁稚の声が哀願調に変わる。

「だんな、ほんとに無理だって、外輪船の上では乗客の人改めだってあるんだ」

「だから、おれは正規の客だと言ってるだろう。連れていく気がないなら、おまえを川に放り込んで、自分で船を漕ぐぞ」

 オバルは奪った金槌を足元に置くと、半身の体勢で、解いたもやい綱を陸に放り投げた。

 そして銃口で櫓を示す。

 頭を抱えた丁稚が「どうなっても知りませんぜ」と、しぶしぶ櫓を手に取った。

 丁稚が腰に力を入れて桟橋に当てた櫓を押す。一押しで枡船が舳先にまとわりつく氷を押し返しながら、桟橋を離れた。

 オバルを乗せた枡船が、桟橋の並びから糸を引くように抜け出る。

 川沿いに並ぶ問屋の窓という窓が夕日を受けて赤く輝き、その頭上を越えて、町なかで吹き鳴らされる保衛隊の笛の音が川面に届く。

 黒いシルエットとなって、枡船が川面を漕ぎ進む。

 川の中程へ。日没が迫った時間のせいか、外輪船以外の船は見当たらない。

 その当の外輪船は、岸から少し離れた場所で弧を描くように動いていた。向きを変えようとしている。じりじりとした動きで、これなら追いつけそうだ。

 外輪船の中央に突き出た煙突からは、黒い煙が斜め後方に立ち昇り、舷側の大きな輪が水を掻き取るように回転。船というよりは動く水車といっても良いだろう。外輪船の上は平らな乗船場になっており、そこに馬車が数台と、二十人程の人影がある。その連中が、近づいてくる枡船に気づいたらしく、側面の手すりに群がってきた。

 ものの十分ほどで、外輪船の横を枡船が並走、水面に浮かぶ枡船から見ると、外輪船の舷側は水からそそり立つ壁である。おまけに発動機の音が大気ごとこちらの体を震わせ煩い。係官らしき制服姿の男が、舷側の手すりから身を乗り出して叫んだ。

「何の用だ」

 オバルがエンジンに負けじと、大声で言い返した。

「客だ、乗り遅れた、この通り乗船券もある」

 乗船券を振りかざすオバルに、係官が冷たく怒鳴り返す。

「ここからでは、ただの紙切れにしか見えん。これは臨時便だ、明日の船を待って乗れ」

「二人連れの子供が乗っているだろう、連れだ」

 オバルの声が聞き取れないのか、制服姿の男は戻れとばかりに手を払った。乗船のための昇降階段は上に跳ねてある。降ろしてもらわないと、甲板に上がることはできない。

 これしか手はないかと、オバルがザックから札束を掴み出そうとした矢先、当の係官がオバルに背を向けてしまった。後ろの者と何やら話をしている。

 と係官の後ろから、薬売りのラジンが、外輪船の手すり越しに顔を覗かせた。そのラジンがオーケーとばかりに指を丸めて見せる。どうやら交渉してくれたらしい。

 渋い顔をしながら係官が「上がれ」と言って、手すりの脇のハンドルに手をかける。

 ガラガラと昇降用の階段が下りてきた。

 それを見てほっとしたのは、オバルよりも枡船の丁稚だったかもしれない。

 係官のオーケーが出るや、丁稚は下りてくる昇降階段の真下に船を寄せた。その際も丁稚は、なるべく自分の顔が外輪船の上から見えないように、下を向いている。よほど官権の目が気になるらしい。

「どうやら乗せてもらえそうだ」

 言って肩の力を抜いたオバルを、丁稚が上目遣いに見やった。

「いいですけど、だんな、係官にたんまり袖の下を渡しといてくださいよ。塁京への渡船に、商用の船を寄せるのは、ご法度なんで。後でこっちが睨まれちまう」

「分かってる、ほれ、お前さんには渡し賃と、これをやるよ」

 オバルが布で巻いた銃を丁稚に投げた。

 片手でそれを受け取った丁稚が、おっと表情を変えた。

「この銃は……、だんな警邏隊のお方で」

「まさか貰い物だ。いい値で売れるだろう」

 丁稚は素早く銃を足元の布の下に隠すと、オバルの差し出す札を拝むようにして受け取り、商人風の愛想笑いを浮かべた。

「へへ、ありがたい、だんな足元に気をつけてくださいよ」

「分かってる、氷水に落ちたくないからな」

 命じられたのだろう作業員が二人、昇降階段の途中からオバルに手を差し伸べてきた。その手にしがみつくと、オバルは長い足を伸ばして階段に飛び移り、外輪船の甲板へと駆け上がった。甲板の上には、係官とラジン、そして作業員たちが立っていた。

 薬売りのラジンが、にこやかな笑みでオバルを迎える。

「なんとか間に合ったようだな、オバル」

「ああ、腸油は買いそびれたが……」と、返事をしかけたところで、オバルは、ラジンが自分のことをオバルと呼んだことに気づいた。

 ラジンは、さも嬉しそうに自身の大目玉を細めると、

「どうした、アグナワン・ハディヤ・マ・オバル、本名で呼ばれるのは嫌か」

 川面に視線を走らせる。すでに枡船は外輪船から離れ、小船の上では丁稚が無邪気に手を振っている。

 外輪船の鉄柵とオバルの間に、銃を手にした男たちが割って入った。その男たちを顎で指示しているのはラジンだ。典型的な逆三角形の顔のラジンが、翔蹄号のなかではついぞ見せたことのないような、鋭い目でオバルを見据えていた。

 ラジンが忠告するように言った。

「川に飛び込もうと思うなよ、水温二度の川だ。それに岸から二百メートルは離れている。飛び込めば、確実に名前が土左衛門と変わるだろう」

 オバルは天を仰ぐと、観念したように言った。

「分かったよ、今さら逃げようとは思わない、子供たちはどこだ」

「ウィルタ君と古代の娘さんなら、そこの待合室にいる。熱々の揚げ餅を進呈したんだが、食欲がないらしい。君を差し置いて食べるのは気が進まないようだ」

 鋭い目つきのままに、ラジンが軽快な笑い声をあげた。

 甲板の前方に箱のような部屋、待合室がある。ラジンが軽く顎をしゃくった。

「船の上は寒い。大事なお客様に風邪を引かれては困る。待合室に行ってもらおう」

 ラジンは懐から銃を出すと、オバルの背後にまわった。

「分かった、分かったから、銃だけは勘弁してくれ」

「いやあ、保衛隊からの脱出の手際を見ていると、それは受け入れられない。こちらも仕事なんでね。それにユルツの情報局員の二の舞いにはなりたくない」

 どうやら何もかも見ていたらしい。

 背中に銃を突きつけられた状態で、オバルは待合室に連行された。

 がらんとした机と椅子が並ぶ室内で、ウィルタと春香は、畏まるように椅子に腰かけていた。二人の前に置かれているのは、揚げ餅と湯気の立つ苔茶だ。

 オバルが自棄気味に大声を出した。

「おーっ、ウィルタに春香、無事だったか。偉いぞ、ちゃんと揚げ餅を食べるのを待っていてくれたんだな」

「オバルさん」

 二人が泣きそうな顔でオバルを見上げた。

「心配するな、こうなったらじたばたしたって始まらない。せっかく美味しいものが目の前にあるんだ、食べよう。俺たちのことを大事なお客様と言ってたから、毒を盛って殺したりはしないさ」

 最後の言葉を嫌味たらしくラジンに投げつけると、オバルは皿に盛り上げられた揚げ餅を掴み、大きな口でかぶりついた。

「おっ、うまい餡だ。今まで俺が食べたなかでも一番の味だ」

 ウィルタと春香も、オバルにつられて餡入りの揚げ餅に手を伸ばす。

 その揚げ餅を食べる子供たちを脇目に、オバルが怒り心頭の顔でラジンを睨んだ。

「最初から知ってたんだな。ルボックという名前を言うたびに、芸のない変名だとバカにしてたんだろう」

「いや、なかなかの名演技、今回のことがなければ、情報局の仕事を斡旋したいくらいだ」

「お誉めいただいて感謝するよ。誉めてもらったからじゃないが、一つお願いがある。旨いものをより旨く味わうには、見晴らしのいい場所で食べるに限るという。待合室の屋上に上る階段があったな。上でのんびり景色を見ながら、揚げ餅を食べたい」

 ウィルタも、ラジンのほうを向いて言った。

「ぼくもそうしたい。低地で周りが見えなくてつまんなかったから、ぜひ高いところから見てみたい」

 銃を自身の頬に当てしばし考えを巡らすラジンだったが、「いいだろう、ただし見張りつきだぞ」と念を押すと、脇に控えていた作業服姿の男に付いていくよう命じた。

 三人に見張りが四人同行、更にはラジンも待合室の屋上に上がってきた。

 日没直前の真っ赤な夕日が辺り一帯を深紅に染めていた。ゆるゆると進む外輪船の後ろには長杭の町、前方には半キロほど先の対岸に、盛り上げられた土塁が、川の流路を示すように先へ先へと伸びている。ゴーダム国の塁堤である。船の行き先であるバドゥーナ国の繁都は、水路を十時間ほど北東に進んだところにある。その方向をラジンが指差した。

 東には日没後の濃い夕闇が地平線から立ち上っている。その濃紺の闇を背景に、ぼんやりと輝いて見える一角があった。盤都バンダルバドゥンである。ここからはまだ距離にして百キロ近くあるはずだが、都の明かりが夕闇の底を照らしている。

「まったくもって、贅沢な暮らしをしているようだな」

 思わずそう漏らしたオバルは、急に頭の中に霞がかかってくるような気がして手すりに凭れかかった。食べかけの揚げ餅が手から落ちて、待合室の屋上を転がる。それを気に止めることもなく、オバルの横でラジンは前方の景色を眺めていた。

 オバルが顔を歪めた。

「おい、この揚げ餅に、何を……」

 オバルの唸るような声に、事務的な声が返ってきた。

「眠り薬、ただし即効性だ」

 言ってラジンが眉を上下させた時には、オバルは膝を折って崩れ落ちていた。

 意識が遠のいていくオバルの耳に、「主任、乗り換えの警邏艇が到着しました」というラジンの部下の声が、遠いこだまのように聞こえていた。



次話「盤都」

読んで下さっている方いらっしゃたら、本当に感謝です。本編は、ここがマラソンの折り返し地点。ただし、復路は別のコース。この後、話は徐々に山あり谷ありの難コースに入り、最後は断崖絶壁からのダイブ(誇大広告)のようなサバイバルを経て、ゴールとなります。

12月26日掲載、第149話をもって完結の予定。よろしければ(ぜひ)、引き続きお読みください。アレコレ張った伏線や謎も、ちゃんと解き明かされますので、ご安心を。それではゴールの手前で、お待ちしております。


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