賛馬号
賛馬号
その後も放棄された荷や、ゴミや、人や、家畜の死骸を目にする機会は、減ることはなく増え続けた。
雪と氷の道は果てしなく続いているように思える。体は疲れていなくとも、心が重かった。この先街道を行く間に、どれだけ気の重くなる光景を目にしなければならないのか、そのことを思うと、どうしても心が塞ぎ込んでしまう。
朝の晴れ間が嘘のように、空には重い雲が垂れこめ、光を閉ざされた大地は薄暗い灰色の世界と同化して、救いようのない息苦しさが大地と雲の間に充満している。
重い足取りで歩く三人の後方から、この街道には場違いに思える陽気な音楽が聞こえてきた。荷馬車が音楽をかけながら走っている。音盤だろうか、陽気な音をまき散らしながら、その荷馬車はウィルタたちを追い越すと、車輪を軋ませて止まった。
馬車の上に見慣れた顔があった。反り上がった眉に鰓のように横に張った顎ひげ、それに何といっても丸眼鏡、翔蹄号で一緒だったグリビッチさんだ。馬車が止まっても音楽は鳴っている。明るい跳ねるようなリズムで、さすがに道を行くエルフェの人たちも、何事かと顔を上げてこちらを見ている。
御者の横に座っているグリビッチに、オバルが手を振る。
グリビッチは愛想よく手を振り返すと、オバルに何やら二言三言、声をかけた。
その瞬間、オバルが顔を綻ばせた。なんと馬車に便乗させてもらえるというのだ。
御者の男が、春香とウィルタを手招きする。たっぷりと膨らんだ白い綿ひげを顎の下に蓄えた男は、身にまとった服も赤と白。帽子も手袋もだ。音楽と併せて何とも賑やかな出立ちで、昨日の御者とはまるで愛想も雰囲気も正反対。
荷箱の上によじ上り、綿ひげおじさんの姿を眺めながら、春香は遠い昔にそれと似た服装の人がいたことを思い出した。白い綿ひげを蓄えたおじさんは、馴鹿に乗って子供たちにプレゼントを運んでくる。靴が茶色の革靴なのを除けば、まるでその聖人そっくりだ。何だかさっきまでの重苦しい気持ちが嘘のように消えて、春香は思わず微笑んだ。
子供たちに向き直ったオバルが、笑顔で親指を立てた。
「乗車賃は彼、グリビッチさんが立て替えてくれるそうだ。終点の長杭に着いたら、俺が為替を取り寄せて清算するということでな」
ウィルタと春香が、御者の横に座っているグリビッチに、「ありがとう」と声を揃えた。
御者台の右に綿ひげのおじさん、左にグリビッチ、荷台の中央にオバル、そして後ろの荷の隙間に春香とウィルタという配置である。
馬車が動きだすと、また音楽が鳴り始めた。
御者台の横に機械が填めこんである。音盤ではなく、この時代では珍しい磁気テープ式の音の再生装置で、音楽は御者台の左右に取り付けられた拡音器から鳴り響いている。発電は車軸の回転を利用する形式だ。
綿ひげのおじさんが、まさにそれがこの馬車の自慢であるとばかりに説明する。
「特注品でさ。なんせこの街道は、死神にでも取り憑かれたような有り様でしょ、せめて自分の賛馬号の周りくらいは、明るくってね」
どうやらこの荷馬車の愛称は、賛馬号というらしい。音の再生装置は、大枚をはたいて塁京の骨董市場で買った満都時代の物だという。
磁気テープが擦り切れているのか、音はざらついているが、打楽器でリズムを刻むテンポのいい曲が、賛馬号の上を包んでいる。その音に合わせて、綿ひげのおじさんが、鞭の柄で膝を叩き、音楽に負けない大きな声を張り上げる。
「おらあ、四十年この方、この街道で荷馬車の御者をやってるが、塁京が栄えるようになってからは、どんどん外から人が入ってくるようになった。おかげで何もかもが変わっちまった。御者の世界もね」
「どんな風にだ」と、オバルが大きな声で合いの手を入れる。
綿ひげのおじさんの話では、昔との一番の違いは、御者のほとんどが、荷車と駄馬を借りて仕事をする、雇われの御者に変わってしまったということだ。気ままに自分の裁量で荷馬車業を営んでいるような輩がいなくなってしまったという。
この時代の者なら、よほどの場合を除いて、誰でも馬車を扱うことができる。古代で誰もが車の運転ができたようにだ。そのため荷を運ぶ運送業は、馬車と馬の工面さえつけば、一番手っ取り早く開業できる仕事になる。
塁京が栄えドバス低地に人や物がどっと流れ込むようになって、運送業も活況を呈するようになった。ところが扱う荷や客が増加する以上に、新規に馬車業に参入する者が増えた。それは湯水のように膨れ上がるといったほうが正しい。仕事を求めてこの地に流れ込む人々が次々と馬車屋を開業するのだから当然で、そのおかげで運送業は過当競争に陥る。当然仕事の奪い合いで仕事は減り、料金も値下げ競争のなかで低迷、誰もが馬車の賃料や借金の利息を捻りだすだけでも四苦八苦するようになってしまう。
昔なら、街道を歩いている旅人がいれば、いくらでもタダで乗せたものだ。それが今では、法外な値を吹っかける輩もいれば、金だけ取って客を置き去りにする酷い御者も後を絶たない。置き去りにされた客が、後から来た馬車に足元を見られて、また金を巻き上げられる。みなで客を喰い物にする風潮ができあがっていた。
話しながら綿ひげのおじさんが、申し訳なさそうに頭を掻いた。どうやらオバルたちの一行が、今朝、荷馬車に置き去りにされたことを知っているらしい。
それでも綿ひげのおじさんは、くったくのない声で続ける。
「嫌な世の中になってしまったもんでさ。でも、そのおかげでこうやって拾い上げてもらうと、好運をプレゼントされたような気になるでしょう」
オバルが念を押すように尋ねた。
「いいのかい、俺たちみたいな金にならない人間を乗せて」
自慢のひげを手で撫でつけながら、綿ひげのおじさんが肩を揺らせた。
「あっしゃ、これでも四十年来、自前の馬車を走らせてる。荷も自分で仕入れて、馴じみの問屋に下ろす。だから借金にも、無理な納期にも悩まされることがない。まあ問屋が手をまわして大口の荷を独占しちまうんで、昔ほど良い荷は集まらなくなったが、それでも今回の荷だって、昔からの伝で仕入れたもので、誰かに頭を下げる必要もないし、あたふたと日の出前から駄馬に鞭打って走る必要もない。気楽な稼業でさ」
半ば自慢げに話すと、綿ひげの御者は、小難しい話はこれで終わりとばかりに、音楽のボリュームを上げた。そしてリズムを合わせて鼻歌を歌い始めた。
春香が後ろ姿の御者に声をかけた。
「ねえ綿ひげのおじさん、おじさんの名前を教えて」
「え、おれかい、おれはサッチモっていうんだ。チモチの芋が好きだったばっちゃんが付けてくれた名でね。古代風に言えば幸芋ってことらしいんだが、お袋はそんな、にっちもさっちも行かなくなりそうな名前なんてと、渋ったらしいけど、俺は気に入ってるぜ」
春香は、その名が、自分の祖母がいつも聞いていた音楽家の名前にそっくりだったことに微笑んだ。あの古代の黒炭肌の音楽家に、この御者の服装をさせれば、本当にお似合いだろうと思ったのだ。
曲が代わり、さらに軽快な体を揺すりたくなるような音楽になった。
不思議なものだ。耳に聞こえてくる音楽のせいで、目の前の世界の感じ方まで変わったような気になる。映画で恐いシーンに愉快な音楽をつけたら喜劇になってしまうようなものだ。昨日のビーズひげの振るう寒々とした鞭の音に比べれば、雲泥の差。おまけに御者台の周辺には、柄の短い風車がカラカラと回り、駄馬たちは首のたてがみ結い上げ、飾り物のリボンをこれでもかと付けている。あのボナさんが、この派手々々の馬たちを見たら、どんな顔をするだろう。
ただ、馬車の周りではエルフェの人たちが重い足を引きずり、道端の雪の下には死体が横たわっている。どうひいき目に見ても、賛馬号は周囲から浮いた存在で、この馬車に乗っているということ、これはこれで気疲れのすることだった。
春香は外套の頭巾を深々と引き下げると、荷物の間に体を沈めた。
街道を進むにつれて、雪原の間に細かい水路が走るようになった。小さな湖も右に左に餅まきでもしたように点在している。千湖原という湖沼地帯である。腐った嫌な臭いが鼻につく。温泉のような臭い……、硫黄だ。ヨシが生えていないのは、硫黄を含んだ酸性の水が湧き出しているからだそうだ。
ウィルタに肩を叩かれて顔を上げると、進行方向の左前方に、黒い川面が現れた。対岸が見えない、かなりの広さの川だ。天柱陵を抜け出た際に断崖の上から見た大河かと思ってオバルに聞くと、名前は分からないが、あれでも支流の一つだろうという。このドバス低地には、ディエール川を中心に、周辺諸地域から何本もの河川が流れ込み、合流して大河グンバルディエルとなっている。
その大河グンバルディエルの支流らしき川面を左に見ながら、さらに小一時間。行く手を塞ぐように水路が見えてきた。幅四十メートルほどの水路だ。地図で確かめると、ちょうど海門地峡と、子安街道の終点の町との中間地点になる。
水路にかかる橋の手前に、牌楼、屋根を乗せた二本の経柱が立っていた。経柱を繋ぐ幅広の梁に刻み込まれているのは、水竜の紋様だ。
その牌楼を潜ると、水路手前の広場に、人と家畜と馬車がひしめき合っていた。橋の手前の道沿いには、混雑を当てにした売店も何軒か店を構え、天幕の下では湯気が上がっている。飛び交う掛け声や怒鳴り声が、祭の神輿でも担いだように賑やかだ。
車輪が滑るらしく、荷を満載した馬車が橋の途中で立ち往生していた。高さにしてほんの腰の高さほどの斜面が、鬼門になっている。
橋の上に、馬車や荷車を後ろから押すのを仕事にしている一団がいた。ほとんどが子供か、まだ年若の青年といったところ。いわゆる押し屋だ。
押し賃を払いたくない御者は、橋の手前で勢いをつけて、一気に橋の斜面を上がろうとする。ところが橋の周辺は混雑していることが多く、なかなかそうもいかない。だいたいが橋というものは道よりも幅が狭いもので、混雑するのが常である。それにそもそも橋はスピードを上げて走り抜ける場所ではない。よって橋が近づくと、御者は押し屋の子供たちに渡す小銭の用意を始めなければならない。
数珠つなぎになった馬車の列に入って待つこと一刻、ようやく橋の袂までやってきた。
橋の欄干にも、びっしりと、うねるように水竜の浮き彫りが刻まれている。
ウィルタたちの乗った賛馬号も橋に乗り入れた。
馬車を下りて押そうかと言うオバルに、サッチモが問題なしと手を振る。それより押すのにかこつけて悪ガキどもが荷を抜かないか、それを見張ってくれという。橋を渡る際、御者は馬の扱いに集中しているから、荷を抜かれることがあるのだそうだ。
馬車の側面や後ろでわいわい騒ぐ子供たちに押されて、右に左に揺れながら、馬車は無事に橋を渡り終えた。サッチモは小銭と合わせて飴らしきものを子供たちのリーダーに放り投げると、「今どきの悪ガキは、平気で馬車の車輪に棒を突っ込んだりするから、仲良くしておかないとな」と、口を開けて笑った。
助手席でガム状の噛み煙苔を膨らましては潰していたグリビッチが、顔を起こして、後方に過ぎていく橋と、押し屋の子供たちを見やった。そして同じように後ろを見ているウィルタと春香に問いかけた。
「さっきのガキども、ちょうどおまえさんたちと同じくらいの年頃だ。あの連中が、どういういきさつで、あの仕事をやることになったか分かるか」
虫歯でもあるのだろうか、グリビッチは頬の下を指で押さえると、二人の返事を待つでもなく、「あいつら、親に捨てられたエルフェ族の子供たちなのさ」と言って、自分からその理由の説明を始めた。つまりこういうことだ。
塁京入り口の門前町を前にして、避難民の親の中に、子供を連れて行くのをためらう者が出てくる。塁京に入塁したくとも、働き手にならない幼児を連れていては許可が下りない。塁京が欲しいのは働ける大人であって、幼児ではない。親もまず自分たちが食っていかなければならないから、辿り着いても入塁できないのでは仕方がない。だから塁京が近づき、入塁許可の申請が現実の問題となった時、迷い始める。そして迷ったあげく、子供を置き去りにしてしまうのが、ちょうどこの辺りなのだという。
サッチモが続けた。
「惨いもんさ、捨てるくらいなら、国を出る時に誰かに預けるか、せめて長杭の避難民キャンプまで連れて行けばいいものを、親子共倒れになる前にって、橋の袂に置き去りにするんだ。橋の袂には、経堂が遺児の保護施設を開設してるからね。そこに拾ってもらえれば、親は入塁できなくても、子供は塁京に渡ることができる。そうすれば、今度は子供を伝にして、自分にも入塁のチャンスが出てくる。ただね、置き去りにされた子供のほとんどは……」
新しい噛み煙苔を口に放り込んだグリビッチが、話の後を取るように続けた。
「人間なんてものは、生きる運を持ってるやつは、どうぶっ叩いたって生きていくもんさ。あそこにいるガキどもなんざ、その運を神様から授かった連中。少なくともこの先の避難民のキャンプに連れて行かれるよりは、あの橋の袂に捨てられた方が、よほど生き残る可能性は高い」
春香の視界から、橋の袂の喧騒が遠退いていく。
橋の周辺に薄日が差している。親に捨てられる。それを神が運というスポットライトを当ててくれたことと考えていいのだろうか。
サッチモが、橋の手前で止めていた拡音器のスイッチを入れた。春香の感傷をよそに、騒々しい音楽が流れ始める。歌詞のある曲で「人生、なるようになるのさ」と繰り返している。そう、生きてさえいれば、なんとかなるだろう。生きてさえいれば……。
それにしてもサッチモさんは、押し屋の子供たちを指して、「今どきの悪ガキは」と言った。思わず笑ってしまいたくなる言葉だ。
いつの時代だって、大人から見れば、悪ガキと言いたくなる子供はいるだろう。人間の社会なんて、そんなに変わるものではない。いつの時代も、世界の不幸を一身に背負ったように死んでしまう子供もいれば、手に持ちきれないほどの幸運に恵まれ続ける子供もいる。与えられた人生の違いは、誰かを恨むものでもないし、誰かに感謝を捧げるものでもない。それが、人生というものだ。
過ぎ去っていく風景を、そして馬車の後ろに遠ざかっていく黙々と歩く人たちを見ながら、春香はそう思った。今朝、雪に埋葬された赤ん坊、あの子は、あの子自身に与えられた人生を生きた。母親の胸の温もりの中で自分の生を全うしたという点では、幸せな人生だったのかもしれない。
風は地を吹き、雲は流れ、雪は雨となりて時を打つ。万物は時を刻む大地の時計。
わたしの生きていた時代だって、この世界と大した違いはない。大きな戦争さえなかったが、小さな戦争は腐るほど世界各地で起きていた。災害や紛争や飢餓で死んでいく人も当たり前のようにいた。まともなものを一度も口にすることなく死ぬ子供だって、年に何百万人もいたのだ。豊かだと言われていたわたしの国だって、親に虐待され、殺されてしまう子供に、未来を悲観して自殺してしまう子供がいっぱいいた。
それに比べれば……。
ぼーっと考えこんでいる春香は、ふと、歩いている人のなかに、自分の方に向けられた視線があるのに気づいた。自分の足元を見ている。誘われるように視線を落として、春香は思わず声を上げそうになった。板の端に小さな指が並んでいる。
小さな子供が三人、馬車の後ろにしがみついていた。
真ん中のボサボサ頭の子供が「シーッ」と、身振りで声を出すなと合図を送ってくる。
がその時には、サッチモが鞭を横に払うようにして馬車の後ろを打ちすえていた。
バシッと身の竦むような音が春香の足元で鳴る。
ところが、それよりも一瞬早く、子供たちはヒラリと身をひるがえすと、白い雪の上に下り立っていた。
「こらーっ、この糞ガキ!」
サッチモは、鞭を振り回しながら怒鳴り声を上げる。でも声とは逆に目は笑っている。
本気ではない、鞭は挨拶のようなものだ。
「ありがとうね、紅白おじさん」
どうやらあの子どもたちの間で、サッチモさんは、紅白おじさんの名で通っているらしい。三人の子どもたちは、御者台のサッチモさんに手を振りながら、道の脇に止めてある小さな矮馬の荷車に駆け寄って行った。
笑いながらサッチモが、隣のグリビッチに話しかけた。
「はは、あんたの話じゃないが、あの娘たちも生き残りの一人、何があっても死なないタイプのガキだろうな」
汚れた顔とボサボサ頭で、とっさには見分けがつかなかったが、三人とも女の子だったらしい。三人の女の子たちは、矮馬の側にいた他の子供たちと一緒になって、小さな馬に荷車を引かせて橋の方に戻っていった。すぐにその姿も後方の小さな点に変わる。
後ろを見ることに飽きて、春香は前を向いた。
冷たくても風は顔の正面で受け止めたほうが気持ちいい。
左に大きな川面が見えてきた。雲が一部途切れて、日の光が川面に差してくる。
神の与える幸運のスポットライトに一つ問題があるとすれば、いつ自分にそれが当たるか分からないことだ。人はいつの日かスポットライトが自分を照らすことを信じて、歩き続けるしかない。
川面が近づいてきた。かなり広い。対岸は遙か先、水面に紙を浮かべた程の一筋の線となって見えているだけで、川というよりも湖だ。
土盛りをした街道が川に近づく。大河の支流だという大きな水路は、川面に近づいても、水がどちらに流れているのか一向に分からない。ゆっくり進むことを、牛歩の歩みというが、それどころの話ではない。
ウィルタが確かめるようにオバルに聞いた。
「ねえ、この川が、グンバルディエルなの」
自信がないのかオバルも地図を拡げて確認している。指で街道を辿り「違うな、支流のランフール川と書いてある」と、悔しそうに地図から顔を上げた。
ウィルタはため息をついた。地図でみれば一本の線にすぎない川でも、この広がりなのだ。それもまだ支流だという。川の手前にはヨシの湿地が広がり、どこまでが陸で、どこからが川なのか分からない。その広大な川面で帆を張った小舟が漁をしている。
ウィルタと春香、オバルまでもが、しばらくは飽きもせずに川面の風景に目を遊ばせた。
川の流れと同じように、ゆったりとした時間が過ぎていく。
午後も三時を回る。
周囲の景色は変わらない。街道左手に見えるランフール川以外は、ただひたすら見通しの良い雪原が広がっているだけだ。朝、テント村を出る時、右手後方に微かに見えていた亀甲大地の断崖も、とうの昔に地平線に同化している。唯一の変化といえば、時折、ランフール川に合流する小さな水路が前方を横切り、その水路にかかった橋を渡ることくらいだ。風も止んでいる。動きを止めたような世界で、街道に列をなしている人々だけが、黙々と勤勉に東に向かって行軍を続けている。
音楽は相変わらずで、おまけに荷台の真ん中では、居眠りをしているオバルさんのいびきが、音楽に合わせて、消音器を付けたラッパのようにバゴバゴと鳴っている。
何かに気づいた春香が、うつらうつらしているウィルタの頬を指先で突いた。
「ねえウィルタ、荷車にしがみついてたボサボサ頭の女の子。仲間の子供たちと一緒に、小馬で小さな荷車を引いてたじゃない。あれ何だったんだろう。時々似たような荷車が、街道を行ったり来たりしているのよ」
ウィルタも気づいていたようだ。
「布を被せてたから、はっきりは見えなかったけど、何か荷物を乗せてたな。子供だけの運送業でもやってんのかな」
どこかにその小馬の荷車がいないかと、二人が顔を回していると、風を避けるように後ろを向いたグリビッチが話しかけてきた。
グリビッチは噛み煙苔好きで、毯馬のようにいつも口をモグモグさせている。その噛み煙苔特有のハッカのような匂いが、荷車の後ろにも流れてきた。
「荷車の荷台にボロ布が掛けてあっただろう、雪降りでもないのに布が掛けてあるってことは、人に見せたくないものを積んでいるということさ」
「見せたくないもの」
聞き直す春香の横から、ウィルタが怖る怖るその言葉を口にした。
「まさか、行き倒れた人の死体を運んでいるとか」
「死体じゃ一文にもならない」と、グリビッチが少し先の路上を指さした。
「ほら、あそこでもやっている」
二人が背を伸ばすと、避難民たちの頭越しにその様子が見えた。数人の子供が、道の傍らで人の服を脱がせている。
春香にもウィルタにも、最初それがどういうことか理解できなかった。しかし馬車が近づくにつれて、服を脱がされているのが、行き倒れの人なのだということが分かった。
口の中の噛み煙苔を道端に吐き捨てると、グリビッチが冷めた声で言った。
「死体から服や使えるものを、回収しているのさ」
まさか……と、目を見開く春香の横で、ウィルタが素っ頓狂な声をあげた。
「ちょっと、グリビッチさん、それじゃ、まるで追剥ぎじゃない」
「そう言われればそうだが、しかし、あのガキどもは、死体から服や荷物をもらう代わりに、死体を埋葬してくれるんだ。あいつらがいなければ、この街道は死体で埋まっちまって、人も馬車も通れなくなる。それにあの連中が、馬車の押し屋だけで食っていけるはずもない。ああやって死体から調達した物をもう一度再生させて、宿郷やこの先の長杭の店に卸す。それがこの街道筋の孤児たちの仕事なのさ」
日々街道を往復している人たちにとっては、見慣れた光景なのだろう、グリビッチは事もなげに「仕事」と、そう言い切った。
鳴らしていた音楽を止めると、サッチモがグリビッチに続けた。凍った地面に穴を掘って死体を埋葬することが、どれほど大変かということ、少々の衣類などの役得品では割が合わないということを、得々と説明する。
サッチモの熱弁に、いびきを止めたオバルが薄目を開け、禿げ鷹のような子供たちの仕事ぶりに目を向けた。彼らが、よってたかって服を脱がせようとしている死体は、まだ完全に硬直していない。この寒さのなか、一時間もすれば死体はカチカチに凍りついて、手足を曲げて服を脱がせることはできなくなる。ということは、彼らは亡くなりそうな人に目星をつけ、息が絶えると直ぐに衣服を剥ぎ取るということだ。死にかけた人の後ろをハイエナのように付いて行くことはしなくとも、それに近いことはやっているはず。
春香は、まだそのことに気づいていないようだ。
オバルは、街道から水面に視線を移した。
そんなものなのかなと納得顔のウィルタの横で、春香が聞いた。まだ腑に落ちないといった顔をしている。
「町があの子たちを雇って、埋葬の仕事をさせてあげればいいのに。だってあの子たち、あの小さな荷車とちび馬じゃ、とても街道全部をカバーできないでしょ。今朝出発したテント村の近くなんか、雪に埋もれたままの死体がいくつもあったのよ」
グリビッチが懲りを解すように肩を回すと、冗談めかして答えた。
「だから、死ぬんなら、あのガキどものいる橋の袂がいい」
同感とばかりに、サッチモが口笛を吹く。
「そう、死ぬなら橋の袂でだ、冥途行きの船にも乗りやすいしな」
生きていくには、時に人の死を笑い飛ばすことも必要になる。だがさすがに春香には、そこまで人生を達観した眼差しで見ることはできなかった。憤慨した様子で「どうして、そんな醒めた言い方ができるのよ」と、声を荒げた。
グリビッチが、春香の少女らしい高い声に肩をそびやかした。
「生まれるのと同じ数の死がこの世にはあるってことを、つい人は忘れがちになる。ここじゃ、生より死の方が、ちょっとばかり出しゃばってるって、それだけのことさ」
だから、ここでは音楽を聞きたくなるとばかりに、サッチモが拡音器の音量を上げた。
春香は軽快な音楽に耳を塞ぎ、雪の原野に目を移した。
あと一日半で、塁京の表玄関の長杭というところまで来ていた。
次話「長杭」




