エルフェ族
エルフェ族
垂れ込めていた重苦しい雲が途切れ、薄明かりが雪原に差してきた。
オバルは相変わらず防水布の下に潜り込んだままで、時おり咳をついている。どうやら風邪を引いたらしい。
春香とウィルタは、見張りでもするかのように、交互に布の下から顔を出しては引っ込めていた。春香と交代に布から顔を出したウィルタが、オバルから借りた双眼鏡を覗きこんで「なんだろう」と声を上げた。
子安街道が沼沢地を避けて大きく南に進路を曲げたために、馬車は亀甲台地の断崖に近づいている。ウィルタの手が、右手前方に見える亀甲台地の断崖を指していた。
亀甲台地は固い岩盤質の台地に、亀甲模様にひび割れが入っていることから、その名がついた。ひび割れは、大きなものでは一辺が数百キロにも及ぶ。それはひび割れというよりも、大地をえぐる峡谷といった方が当たっている。なお全くの偶然ではあるが、亀甲大地は満都時代に亀甲石を量産していたことでも知られている。
そのパウンドケーキにナイフを入れたような亀甲台地の括れから、白い平原のなかに黒い筋が伸びている。所々で筋は蛇行し、時に途切れ、モゾモゾと動く。
馬車が進むにつれて黒い筋が明瞭になってきた。それは人や家畜の列だった。
ウィルタの声でオバルも目が覚めたのか、防水布の下から頭をもたげた。ウィルタが双眼鏡を手にしたまま、興奮した声でオバルに知らせる。
「オバルさん、人だよ、牛も、あんなにいっぱい」
首まわりに布を巻きつけたオバルが、ウィルタの指す方角に目を細めた。
「バレイの宿で聞いたあれだな。大陸南部のエルフェ族が、ドバス低地に移動しているという……」
遮るもののない平地なので近くに見えるが、人と家畜の列とは、まだかなり距離がある。双眼鏡で人らしいということが分かる程度だ。
それでも街道を進むにつれて、着々と人と家畜の流れは近づいてくる。
三人はなにか怖いものでも見るように、押し黙って、その人と家畜の連なりを見つめた。
平原といっても微妙な起伏はある。とくに亀甲台地に近い隣縁部ではそうだ。一つのうねりが数キロにも及ぶ緩やかな大地のうねり。馬車がしばらくそのうねりの底の部分を進んで、エルフェの人たちの姿が見えなくなったと思ったら、次にうねりの山に出た時には、もうエルフェの人と家畜の流れは、すぐそこまで近づいていた。
子安街道から百メートルほどのところを、並行するように歩いている。
こちらの街道に合流しないのは、子安街道とエルフェの人たちの間に水路があるからだ。
ディエール川の上流域で雪が融ける夏場、ドバス低地は河川の増水であちこちが冠水、低地全域が沼の散在する泥湿地に変わる。そのため街道の脇には排水のための水路が掘られ、堀り上げた土が街道に嵩盛りされる。その二十メートルほどの幅の排水路が、エルフェの人たちがこちらの子安街道に合流するのを妨げていた。
ただ水路は一部完全に凍結し、場所によっては崩れた土砂が張り出して、渡ろうと思えば渡れる状態にある。無理に渡ろうとしないのは、いずれ橋か何かがあって、渡れるということを知っているからかもしれない。
どちらにしても、水路を挟んで、嵩盛りした街道よりも一段低いところを、エルフェの人たちが歩いている。言葉は悪いが、観察するには都合の良い距離だ。
こちらの街道筋と比べて圧倒的な数の人と家畜で、前後が繋がるほどの間隔で、黙々と行軍を続けている。エルフェの人たちは、おしなべて牧人特有の膝下まである革の防寒衣を身にまとっている。彫刻が施された幅広のベルトで腰を締め、頭には、男は鍔の広い革の防寒帽、女子供はウサギの耳を横に垂らしたような耳当て付きの編み帽を被っている。幌を張った馬車や荷車は少ない。牧畜を生業とするエルフェの人たちは、日々の移動の際、荷は家畜の背に積むのだ。
人が家畜を連れているのか、家畜の群れに人が付き従っているのか、途切れなく続く人と家畜の群れが、入り混じって繋がっている。
「まるで、夜逃げでもしてきたようだな」
眼前の光景に魅入られていたオバルが、とつと感想を口にした。
「噂で聞いていたから、なんとなく予想はしていたが、聞くと目にするのとでは違うもんだ、想像以上だよ」
ウィルタと春香も、大陸の南方で家畜に奇病が発生、それを避けて避難する人たちが出ているという話は、何度も耳にしてきた。しかし今目の前に広がる光景は……、
唖然とした面持ちで「どういうこと?」と、二人がオバルに説明を求めた。
巷の噂からある程度の事態を予想していたオバルにしても、この途切れることのない人と家畜の列は予想外だったようで、すぐには子供たちの質問に答えず、いま一度、頭の中を整理するように目の前の光景を見つめ直した。
映像伝達のメディアがない社会では、たとえ音盤のニュースや、一部有線による通信は行われていても、刻々と変化する遠隔地の情報を把握するのは至難の技になる。それに音の情報だけでは、イメージが想像の域を出ない。
オバルもユルツ国にいた頃、都での暮らしに見切りをつけた人たちが一団となって塁京に移住していく姿を、何度も目にしている。だが都を捨てたユルツ国の人たちと、いま目の前をぞろぞろと足を引きずるようにして歩くエルフェの人たちとでは、同じ故郷を捨てた人でも何かが違っている。
広大な原野で家畜を追いながら暮らす牧人たちは、歌と楽奏と踊りを枕に暮らす、元来が陽気な民である。その快活な牧人たちが無言の行軍をしている。
その重苦しい足取りに目を向けながら、オバルは数日前にバレイの宿で聞いた、避難民発生の経緯を思い起こした。
事の発端は、一昨年の夏に、亀甲台地の南部で家畜に奇病が発生したことに始まる。
亀甲台地からさらに南に広がるグラミオド大陸南部に点在する麦苔の平原は、家畜を飼うことを生業とする牧人、エルフェ族の暮らす土地になる。その大陸南部の平原では、昔から毛長牛が突然体を痙攣させながら死んでしまう奇病が知られていた。数千頭に一頭の割合で発生する、彼の地特有の刺虫が媒介する風土病である。
この奇病は、家畜の目に黄色い斑の染みが浮き出ることと、死に至るまで足を蹴り上げる動作を続けることから、黄斑舞踏病と呼ばれる。発病すれば治癒の見込みのない死の病だが、病に侵されるのは脳だけで、肉や内臓に異常はない。またほかの牛に感染することがないため、それほど恐れられる病気ではなかった。むろん人に感染することもない。
家畜は様々な理由で死ぬ。だから残念ではあるが、黄斑舞踏病を発病した家畜は、痙攣を起こして死ぬ前に、食肉用に屠すのが習わしとなっていた。
それが、二年前の七月に爆発的に流行した新型の黄斑舞踏病は違っていた。
まずその発生の規模が、今までと比較にならない範囲と頻度で起こったことだ。夏場のほぼ二カ月の間に、南部の牛の一割が脳を萎縮させて死亡した。
黄斑舞踏病流行の原因は、これまでは刺虫が媒介する原虫であるとされていたが、今回は全く別の病原体、人の目で識別できないほどの微小な病原体、古代で言うところのウイルスではないかと推測された。問題は、病を引き起こす病原体が、水を通して感染するということだ。感染した牛が立ち寄った水場が源となり、そこの水を飲んだ牛が罹病、あっという間に新型の黄斑舞踏病が大陸南部全域に拡大していく。
問題を大きくしたのは、新型の黄斑舞踏病のウイルスに感染した牛の肉を食べると、人もかなりの確率で牛と同じ症状を発病するということだ。
南部で牛と暮らす人々の間に恐慌が走った。
やっかいなのは、感染牛の肉を食べるだけでなく、菌に汚染された水を飲むことによっても、菌に感染する恐れがあるということだ。
人と家畜が共に暮らす生活のなかで、人と家畜は水場を共有している。そして残念ながら、水場が極小のウイルスによって汚染されているかどうかを検証するのは、この時代の技術では不可能だった。奇病の災禍から逃れるためには、黄斑舞踏病の発生した地域から離れるしかない。唯一の救いは、感染した家畜や人は、数日で目に黄斑が現れてくるので、保菌の有無が分かるということだ。
エルフェ族を中心に、南部の平原に暮す人々は、発病した家畜を屠して土に埋めると、次々と感染地を離れた。大陸南部全域に感染地が拡大するなか、人々は未感染の地を探して平原を右往左往する。流行は年が明けても続き、昨年の十月末の段階で、家畜の四割が、そして住人の九人に一人が黄斑舞踏病に倒れた。平原のいたる所に、倒れたまま埋めもされずに放置された牛が、屍を曝すようになる。もう病原菌の感染を免れうる場所は、ほとんど残っていなかった。
もとより牧人にとって、牛は唯一の財産であり生活の糧である。このままいけば、家畜のほとんどが、そしてかなりの数の人が奇病に倒れることは明らかだ。
すでに家畜を失った人々は、家財道具を自らの肩に背負い、発病していない健康な家畜を保有している人は、牛の背に生活道具一式を乗せて、奇病の蔓延する南部からの脱出を図るようになった。その動きは今年の六月を過ぎて顕著となる。
そうやって大陸の南部から北に逃れた人たち、それが今目の前に列をなしているエルフェ族の避難民の人たちだった。
水路を隔てて黙々と歩く人たちの列が続く。こちらの街道といえば、ポツリポツリと馬車が走るだけなので、向こうの側が街道の本道で、こちらが脇道のように思えてくる。
エルフェの人たちは牛に依存して生計を成り立たせている。牛が死んでしまえば他に生きていく術はない。牛を追いながらぎりぎりの生活を続けてきた人たちに、新規に牛を購入する余裕などないし、そんな牛が今の南部に残っているはずもない。
喫緊の課題は、この冬をどうやって乗り切るかということだ。
みな生き残るために、周辺の町や都市を目指した。物資の蓄積されている町の方が食料を得られる可能性が高く、かつ上手くいけば、仕事も見つかるかもしれないと考えたのだ。一部には、大陸西部の炭坑地帯を目指した者もいるが、避難民のほとんどは、大陸中東部、ドバス低地の塁京を目指した。そこがこの大陸一の繁栄の地だからである。
ウィルタは、ガフィと町を去っていく婦人が苦渋の挨拶を交わしていた様子を思い出した。ああやって大陸の各地から、無数の人々が塁京を目指しているに違いない。その切実さは色々なのだろうけども。
オバルが避難民のことを説明していると、その声を掻き消すように、後方から四頭建ての馬車が、ウィルタたちの乗った馬車を追い越していった。シートが掛けられ、積み荷は見えなかった。ただシートの脹らみからして何かの機械だろう。
塁京を目指しているのは人だけではない。晶砂砂漠で八頭建ての砂橇に乗せられていた大型のポンプも、塁京に運ばれるという話だった。乗り合い馬車で一緒だった丸眼鏡のグリビッチさんは火炎樹の殻種を、労夫のジャンジャさんは機械の部品やアヴィルジーンの羽を、坊商のオロロバさんは泡壺を塁京に持ち込もうとしている。そしてこの馬車の積み荷は顔料。人も物も、何もかもが塁京を目指している。
もちろん自分たちも……。
前方に、水路の向こう側の道と、こちらの街道を繋ぐ橋が見えてきた。皆その細い橋を渡ってこちらに合流してくる。一気に子安街道に人と家畜が溢れた。
しかしながら、街道が賑やかになったという気配はない。重苦しい空気がこちらの街道に移って来ただけだ。三人の便乗している馬車の右も左も前も後も、重い足を引きずるようにして歩くエルフェの人たちで埋まってしまった。
エルフェの人たちは、時々顔を上げはするものの、すぐに視線を落として行軍を続ける。荷を背負わされた毛長牛までが、肋の浮き出た体を揺すりながら黙々と歩を進める。馬車の上で揺られている自分たちが、なんだか凄い贅沢をしているようで気が塞いでくる。その気をさらに重苦しくするのが、道の状態だ。
エルフェの人たちに気を取られていたが、いつしか街道の周りは、雪の中から枯れたヨシの葉が覗く湿地帯に変わっていた。街道も土盛りが低くなって、場所によっては両側に崩れ、湿原に戻りかけている。完全に凍結していればまだしも、滲みだすようして湧き出た水で、雪はシャーベットとなり、下の泥と混ざり合って、まるでぬかるみである。その雪と氷と水と泥の入り混じった道を、塁京を目指す人々が無言で踏みしめ歩く。靴の底に雪と泥がへばりついて、いかにも足取りが重い。
その重い足取りの人たちに、バレイに向かう馬車が、警笛を鳴らしながら突っ込んでくる。歩くだけで精一杯の人たちのなかに、避け切れずに泥まじりの雪の上に倒れる人がでる。背負っていた荷物が辺りに散乱。見ていて気の重くなる光景が繰り返される。
御者のビーズひげが、鞭の柄を座席に打ちつけ怒鳴った。
「まったく、死に損い達が、家畜をぞろぞろと連れてくるから、道が塞がれて進めやしねえ。おまけに持てもしねえ荷物を馬鹿みたいに担ぎやがって」
荷物を担いだエルフェの男が、子供の手を引きながら、馬車の行く手を邪魔するように歩く。業を煮やしたビーズひげが、御者台に付けてあるラッパ型の警笛を掴むと、耳に刺さるような音が辺りに鳴り響いた。慌ててエルフェの男が、家族を道の端に寄せる。
ビーズひげが追い越しざまに吐き捨てた。
「ばかやろう、まともに歩けないなら、端を歩け、端を!」
声を張り上げ、皮の鞭で馬車の側面を叩く。鞭の先が地面の泥を引っかけ、飛沫を道端の一家に跳ね飛ばす。
ビーズひげが遅れを取り戻そうと、二頭の駄馬の背に鞭を入れる。
一度、二度、三度。
ウィルタが顔色を変えて何か言おうとするのを制して、オバルが御者に呼びかけた。
「おーい、御者さんよ、余りそうバシバシ鞭を叩かないでくれ、なんだかこっちまで背中を叩かれている気分になる」
ビーズひげは後ろに視線を流すと、オバルの事など無視するように前を向いて鞭を振るった。そして煙苔のヤニ混じりの濁った唾を飛ばすと、怒鳴り返した。
「気になるなら、耳栓でもしてろ、こっちは仕事だ!」
唾を吐き捨て、また鞭を振るう。その身も心も抉られるような音に、エルフェの人たちが道を開ける。鞭は牛だけに向けられているのではない。
駄馬の背が度重なる鞭を受けて、毛が剥がれ、皮が赤く腫れあがっている。この道の状態では、たとえエルフェの人たちがいなくても、馬車は人の早歩き程度にしか走れない。それを御者のビーズひげは、何かに苛つくように鞭を振るい続ける。
見兼ねたようにオバルが「しかし」と、口を開きかけたところで、冷たい怒鳴り声が返ってきた。
「気にいらないんなら降りてもらっていい。軽くなる分、馬は楽になるからな。ただし、金は返さねえぜ」
自分は馬車の上で安穏と揺られていて、安っぽい情けなんざ掛けるな。家畜のことを考える優しさがあるっていうなら、自分でこのぬかるみを歩けるか、そうビーズひげの声が言っている。
泥に足を取られたのだろう、子供を抱いていた女が、道の真ん中で膝を着いた。
雨降りの泥道ではないからまだ良いが、ところどころ地面から滲み出してきた水が、轍の跡や雪の窪みに溜まっている。その深みに足を突っ込むと悲惨で、靴が泥の柱のようになってしまう。半月もすれば、この道も完全に凍結して、足を取られるようなことはなくなるが、列をなして歩いている人たちに、それを待つ余裕はない。
この湖沼地帯は一年の半分以上を泥水に沈む。その時期は、人も荷も船でしか行き来ができない。家畜を連れた牧人たちは、雪の季節に入って、ぬかるみが凍結するのを待っていたように、亀甲大地から出てきたところなのだ。それは荷の搬送を仕事とする荷馬車の業者たちも同じで、ようやく稼ぎ時がやってきたところだった。
みなが何かに急き立てられるように街道を急ぐ。
足を取られた女は、呼吸を整えると、ようやく立ち上がった。胸に抱えた子供の顔が泥で汚れている。
道を塞いでいる物でもあるのか、人と家畜の行軍が滞り、ウィルタたちの乗った馬車も這うような走りに逆戻り。それを見て、ウィルタがヒョイと馬車の後ろに飛び降りた。道がどんな具合か、試しに歩いてみたくなったのだ。
ビーズひげが視線の端でそれを捉えると、鼻先で笑った。
氷まじりで、足が沈み込むような柔らかい泥ではない。それに荷物を持っていないので、思ったよりも歩きやすい。馬車の上からオバルが心配そうに「どんな按配だ」と聞く。
「うん、思ったほどじゃ……」
そう返事をしかけた時、ウィルタの靴が泥水にはまりこんだ。砕けた氷で踏み固められたように見えたが、それは表面だけで、下に泥水の溜まった深い轍の跡が隠れていた。手入れしたばかりの編み上げ靴が、泥水にどっぷりと浸かってしまう。
足を引き抜くのに手間取っているうちに、靴の中に泥水が入り、それが二重の靴下を通して滲み込んできた。自分も試してみようと馬車の縁に手をかけた春香が、腰を引いて馬車の縁に座りこんだ。ウィルタは、オバルに馬車の上に引き上げてもらうと、情けない顔で靴を脱いだ。昨日洗って乾かしたばかりの靴下が、泥に染まっていた。
滞った行列がまた流れ始めた。
同時に、横殴りの凍えるような冷風が吹き始める。なぜか外からだけでなく、体の内側からも冷えてくる。その寒さを増幅させるように、身を切り裂くような鞭の音が辺りを震わせる。オバルは諦めたとばかりに、布のはぎれを丸めて耳の穴に押しこんだ。
濡れた靴下を履き替え、かじかんだ手と足を体の内側に丸め込みながら、ウィルタが「仕方ない、ぼくも耳栓を作ろう」と、諦め顔に呟いた。
気持ちが落ち込んでしまったのか、ウィルタは防水布の下に体を引っ込めてしまった。オバルも風邪気味だからと、袋と袋の間に体を押し込む。オバルは耳栓だけでなく、鼻の穴にも布の端切れを突っ込んでいた。臭いに敏感なオバルは、馬車の上に漂う顔料の汗のような臭いが、どうにも我慢できないらしい。
春香だけがマフラーを首にきつく巻きしめ、頭巾を引き下げて、周囲の様子に目を向けていた。何かを見届けたい、そういう意地のようなものが春香のなかにあった。
家畜で牽引する荷車の方が、徒歩のエルフェの人たちよりも速い。春香の乗った荷馬車は、次々と避難民の人たちや、痩せた家畜の群れを追い越していく。
様々な人がいる。
毛長牛の荷車に家財道具一式を積んで歩いている人もいれば、着のみ着のまま、背負い子一つで歩いている人も。抱えたり、背負ったり、牛の背に積んだり、春香の時代に比べて家財道具は圧倒的に少ない。それでも荷物から、その人の人生が覗く。
荷の間にふいごが見える。蹄鉄を打つ時も、馬車の車輪を修繕する時も、もちろん銃の弾を作る時にも、火を育てるふいごは不可欠な道具だ。牛を飼っている人たちだけが、病気の蔓延で故郷を捨てたのではない。様々な職業の人が仕事を失って故郷を後にしただろう。固乳を作る人、馬具を作る人、桶を作る人、蹄鉄を打つ人、それだけではない、商いをやる人、医者や、呪い師から、果ては盗人までが、暮らしが成り立たなくなって、避難民となって故郷を離れたに違いない。
そんな人たちが時々顔を上げ、雪で霞む平原の先に、あるかもしれない希望を探すように目を凝らす。春香も真似をして、人々が視線を凝らす彼方に目を向けた。
雪に霞んだ平原しか見えない。その先に、今この時代、最も繁栄を謳歌している塁京という都があるのだ。いったいどんな都なのか。黙々と足を運んでいる人たちの望みを汲み取ってくれる都なのだろうか。
それとも……。
風が次第に激しさを増してきた。一度地面に落ちた雪が、地吹雪のように舞い上がり、街道を行く馬車や人の間を、すり抜けていく。その吹雪に負けじと、鞭の音が相変わらず辺りの空気を毛羽立たせるように鳴っていた。
次話「テント村」




