表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星草物語  作者: 東陣正則
65/149

バレイ港


     バレイ港


 翌日、午前九時。青苔平原南の入り口でもあり出口でもある、ガフバルの町を抜ける。マカ国南部の州都である。州都といっても、赤い漆喰塗りの商店が三十軒ほど道の両側に軒を接して並んでいるだけの、小さな町だ。それでも州都らしく中心には、三階屋の庁舎と経堂が寄り添うように建っている。

 通りを行くと独特の臭気が鼻につく。この町は皮革製品の集積加工の地で、匣電の外容器として広く流通している亀甲模様の入った革製のカバーが、この町の特産品になっている。裏手の倉庫のような建物が、その製造工場で、町の横を流れる川の河川敷では、塩漬けにして運ばれてきた皮の毛をこそげ落とす作業が行われていた。

 その川を越えたところで、大きな櫓の建造が進んでいた。五重の塔ほどの高さに組み上がった櫓の中心に据えられているのは、石の経柱である。経文が彫り刻まれ、ベタベタと赤い経札が貼られた経柱が、いままさに四方八方から回しかけられた縄によって、地面から浮き上がろうとしていた。聞くと、季節の変わり目ごとに行われる、地鐘祭と呼ばれる祭の準備だという。

 この時代に生きる人々の多くが、世界が寒冷化したのは大地が眠りについたからだと考えている。その大地を突き動かして目覚めさせようというのが、経柱を大地に打ちつける地鐘際だ。経柱のサイズによっては、地面に打ちつけた震動で周囲の家に影響が及ぶこともあり、大型の経柱を用いる場合、祭りは市街地から離れた場所で催される。

 似たような祭りが世界の各地で行われており、フーチン号が風で吹き飛ばされた川岸に転がっていた経柱の断片も、おそらくは同様の祭り事に使われたものだろう。

 話を聞いていて春香は、父の郷里の伝統行事で、石で地面を打つ豊作祈願のお祭りを思い出した。

 州の検問を抜けてしばらく進むと、右手に天来山脈が、左手に竜尾山脈が街道を挟むように並走するようになる。そして昼前、道がやや下り坂になったかと思うと、左右の山脈が山並みを低めながら近づき、街道は峡谷の谷底の道に変わる。そして最後二つの山に挟まれた狭い遂道を抜けると、一気に視界が開けた。

 青苔平原を抜けたのだ。

 右手に海が見えていた。ドゥルー海である。ただ内海とはいえ、水平線の見える茫漠たる海原は大洋と変わりない。

 塩分をはらんだ風が、海から陸に向かって吹きつけている。その風が身を切るように冷たい。突然真冬の世界に戻ったように体が凍える。眺めは開放的でいいが、まくり上げてあった幌をそそくさと下ろし、防寒帽を頭に押し被る。

 道の両側に広がる砂丘も、すべて雪と氷の白一色の世界に戻った。

 海岸沿いに点々と風車が並んでいる。一年を通して海からの風が吹き抜けるこの海岸は、風車銀座としても名高い。その風車だけでなく、風を受けて回るオブジェのような物も、かしこに置かれ、回りながら音をかき鳴らしている。

 風は風を受けるものがあって初めて風と感じる。音がしなければ、見ただけでは風は風と分からない。風になびく草があり、風を受けて騒めく木だちがあって、初めて風は風になる。ここで風を風にしているのは、風車であり、幾多のオブジェであり、そしてそれらがたてる様々な音だ。賑やかな海岸、海浜砂丘の続くこの一帯が騒鳴丘と呼ばれる所以だ。この海岸のどこかで、岩船屋敷のホブルは風車の列を見ながら育ったのだ。

 形も大きさも様々な風車が回っている。風車の塔のなかに、晶化した火炎樹の幹を利用したものがある。透明なガラスの中に、風車を動かす様々なからくりが見えて楽しい。

 風車のほとんどは揚水用で、汲み上げた海水をリウの枝に落としながら風で濃縮する。いわゆる流下式の製塩で、ここで作られた塩が、はるばる晶砂砂漠からさらには大陸の奥地まで運ばれる。銃の密輸の馬車に積まれていたリウの粗朶は、本来ならここで使われるものだったのだろう。

 その風車並木と、リウの細かい枝をびっしりと吊り下げた筧小屋の並ぶ街道を行く。

 風車のたてる様々な音が耳を打つ。羽の軸受けの軋む音、小屋の中の歯車の噛み合う音、布張りの羽根が破れてはためく音、風車は揚水以前に音を生みだす装置でもある。

 半刻程で風車街道を抜けると、道は本当に海のすぐ際を走るようになった。

 ここで左手に見えていた竜尾山脈も大地に没する。南北六千キロに渡るオーギュギア山脈の最後部。あとは、竜の尾の表面のようにギザギザの低い丘が、浅い塩湖の点在する沼湖地帯の向こう側に続く。そのぎざぎざの丘の向こう側、つまり東側はもうドバス低地だ。風はこの塩沼地帯の方が、先の風車地帯の浜よりも強い。ただ強すぎる風は風車に向かない。ここにあるのは、風を受ける物のない荒涼とした海岸砂丘である。

 風の吹き抜ける海岸線沿いの街道は、海面とほとんど同じ高さで、あっても半メートルほど。ドゥルー海が内海のために干満の差が少ないので助かっているが、これが大洋なら満潮時は波が街道を洗ってしまうだろう。

 吹き上げられた波の花が、次々と目の前をシャボンのように漂い飛ばされていく。それが陸側の物に触れて凍りつき、風の方向に次々と成長して鍾乳石を横にしたような突起物を作る。北の天来山脈と南の亀甲台地によって遮られた冷気が、この海岸地帯に吹き寄せられて抜けていく。海岸の至る所で、打ち寄せられた氷がギシギシと不気味な音をたてる。

 あと半月もすると、海岸は漂着した氷で埋まってしまうという。


 夕刻が近づいていた。

 波被りの海岸道の右手前方に、封冬山と呼ばれる岩山が見えてきた。馬蹄型つまりU字型をしているというのだが、上から眺めないと形の把握は難しい。封冬山の向こう側には、巨大な岩壁が視界を塞ぐように大地からそそり立つ。大陸南東部に広がる亀甲大地の北端に位置する断崖絶壁である。

 翔蹄号は封冬山の後方に回り込むため、いったん海岸沿いを離れた。亀甲台地の断崖と封冬山の岩山に挟まれた内湾に、マカ国最南端の町バレイはある。翔蹄号は最後まで全くその足取りを変えることなく、淡々と港町のバレイに入っていった。

 人口二万人。ウィルタにとって、そして春香にとっても、この世界で見た最も大きな町である。封冬山の岩山と亀甲台地の断崖に挟まれた内湾は、望日湾と呼ばれる天然の良港で、港を取り囲むように、石造りの家が、港らしい猥雑さとともに建ち並んでいる。港に隣接した広場が街道の終点だった。

 翔蹄号は何事もなかったように、広場の馬車溜まりに入っていった。

 人種性別年齢に職業服装、人もごった煮なら、馬車も幌馬車から始まり二輪車に三輪車に、ただの手押し車まで様々。何もかもが入り乱れるように広場に溢れている。

 広場の喧騒に気押されるように、翔蹄号の乗客同士は、挨拶らしい挨拶も交わさないままに馬車を下りていった。馬車の運賃はオバルが清算してくれた。せめて薬売りのラジンさんと御者のボナさんには、お礼を言いたかったが、あっと言う間に翔蹄号も、ほかの馬車に紛れて雑踏の中に姿を隠してしまった。

 人いきれのするような雑踏が、春香の中に懐かしい感覚を呼び起こす。あまりに久しぶりなので、一瞬めまいを起こしそうになったが、考えてみれば、自分のいた時代の朝夕の通勤通学のラッシュ較べれば、臆するほどの光景ではない。

 だが生まれてこの方初めて目にする喧騒に、ウィルタは体が固まってしまったようだ。馬車と家畜と荷担ぎと、行き交う人々に圧倒され、広場の真ん中で棒立ちになっている。目や耳に入ってくる情報が多すぎるのだ。慣れないと、どの情報に反応していいのか分からない。春香は離島から来た従姉妹に都会の繁華街を案内した時のことを思い出した。

 ウィルタの様子を見てクスリと笑うと、春香はその手を強引に引っ張った。

「ほらこっち、あそこでオバルさんが呼んでる」

 言って、もう一方の手で、人混みより頭二つ抜け出た長身黒炭肌のオバルを指さす。

 オバルが二人を呼ぶように手招きしていた。

 ウィルタの腕を掴むと、春香は人混みを掻き分けるようにして大股で歩きだした。

 あたふたと首を右に左に振りながら、ウィルタが春香に引きずられるようにして歩く。春香は行き交う馬車に構うことなく、駄馬の鼻づらを強引に横切る。

 見ていたオバルが、感心した面持ちで春香を見直した。

「どうやら、古代のお姫様は、人混みに慣れているようだな」

「エヘン」と腰に手を当て、春香が胸を反らせた。

「なんたって。わたしの都は、人口二千万人ですからね」

「二千万人、なんだよそれ」

 訳が分からないと髪をむしりつつ、ウィルタが首を左右に動かす。どうにも落ち着かないといった風だ。落ち着かせるようにウィルタの手を握り締めると、春香はオバルが手にした紙切れを覗き込んだ。バレイの町の概略図。聞くと昨日キャバの宿で貰ったものだという。さすが大人は、そういうところに卆がない。

 オバルが当たりをつけていた宿を指で押さえた。

「この宿に行ってみよう。春香ちゃん、ウィルタ君が迷子にならないように、しっかり引っ張ってきてくれよ」

 三人は宿のある波止場沿いの通りに向かって歩きだした。


 日没前、港に面した宿の二階に、ウィルタと春香、そしてオバルの三人は投宿した。

 二重窓の外に、亀甲台地の断崖と封冬山の急な岩山に囲い込まれた望日湾が広がっている。赤く染まった空が映し出された湾の中ほどに、風待ちをしているのだろう、帆を半分張ったままの船が幾艚か浮かんでいる。

 眼下の波止場に目を移すと、係留された船に混じって、入港したばかりの船がデッキや手すりについた氷に夕日を映して眩しい。

 その夕日の照り返しを受けて、肩夫たちが船から荷を運び出していた。

 物資の集積・搬出地として、ドゥルー海の沿岸には点々と交易港が開設されている。その一交易港に過ぎなかったバレイが、今は内海一の活況を呈している。むろんそれは、これからウィルタたちが向かおうとしている塁京の隆盛に因ってのことで、大陸の各所から塁京に運ばれる物資の八割が、船便でこのバレイの港に集められ、馬車に積み代えられて、陸路、子安街道を通って塁京へと搬送される。

 地勢上大陸のヘソと言われたこの町が、物流の面でも紛れもないヘソとなっていた。

 さまざまな思惑の元、あらゆる物がこの港に集まる。その荷の中には、湾岸諸国で決められた禁輸の品も含まれる。銃に麻薬。港にはいつの時代も変わらない人の欲望が渦まいている。都市の活況とは、欲望の渦でもある。湾岸の商人たちは、みな今が稼ぎ時とばかりに、機を窺いながらこの地に出入りしていた。

 そうした人々の思惑の何もかもを赤く染め抜くように、夕日がドゥルー海の西の水平線に近づいていた。窓の外に広がるドラスチックな光景に、二人の子供たちが興奮してしきりと何か言い合う。そのはしゃぐ二人を見て、椅子に腰かけていたオバルが感服したように膝を打った。

「若さだよな、一週間も馬車に乗っていれば、大人ならぐったりと疲れ果てるもんだが、君たちは息も絶え絶えの状態で乗り込んできて、逆に元気になっちまった」

 声が聞こえたのか、春香が窓枠に手をかけたまま振り向いた。

「あら疲れてるわ、でも寝過ぎたので、しばらくは起きていたいだけ」

 言って笑う春香の顔に、久しぶりのえくぼが浮かぶ。

 春香に習うようにウィルタも振り向く。そして二人揃って姿勢を正すと、

「オバルさん、今回は、どうも助けてくれてありがとう」

 晴れやかな声で言って、二人は深々とお辞儀をした。

 突然の杓子定規な礼に、オバルが面映ゆそうにはにかむ。そして照れくささを誤魔化すように螺髪頭を前から後ろへと撫でつけると、二人のいる窓際に歩み寄った。

 夕日に顔を向け、しみじみとした口調で二人に話しかける。

「人生は助け助けられって言うけど、本当にそうだな。とにかく本当に助かって良かった。それに、礼は俺よりも、あの白いオオカミに言った方がいいんじゃないかな」

 次々と新しい出来事が展開するので、つい忘れてしまいそうになる。それでも二人はずっとシロタテガミのことを気にかけていた。最後にシロタテガミの姿を見たのは、雪に埋もれる二日前、ふらふらになって吹雪の中を歩いていた時だ。

 あれからもう九日が経っている。

 旅はあいさつの繰り返しだ。次々と新しい人と出会い別れる。それを繰り返す。そんな旅のなかで、心を込めた『こんにちは』は誰に対しても言える。しかし心を込めた『さようなら』が言える機会は、それほど多くない。心を込めた『さようなら』は、その人と親しくなった証だからだ。でもその『さようなら』の一言が、ちゃんと言えずに別れてしまうことがいかに多いことか。

 ユカギルのパーヴァさんにだってそうだし、トゥカチに、トゥンバさんに、ホーシュに、それに今回の馬車の皆にだって。そしてもちろん、シロタテガミに対してもだ。

 そういう人たちの顔が、赤い夕日の中に浮かんでは消える。

 もう遭難した場所からでも、距離にして五百キロ以上も離れている。薬売りのラジンさんよりも、御者のボナさんよりも、そしてオバルさんには悪いけど、誰よりも、二人はシロタテガミにお礼を言いたかった。

 夕日にかかる水平線の雲、その紅色の縁取りが、ひときわ鮮やかに輝く。

 もしシロタテガミが、あの遭難した場所から南に移動していないとしたら、きっともう会う機会も、それからお礼を言う機会もないだろう。二人は窓の外を眺めながら黙り込んでしまった。

 子供たちの気持ちを察したのか、オバルが気分を変えるように明るい声で言った。

「人生は旅だ、縁があればまた会うこともあるだろう。太陽が沈んで、また朝日として東の空に顔を出すようにな」

 二人は直ぐには答えなかった。

 そして少し間を置くと、噛みしめるように「そうだね」と呟いた。

 それから三人は、窓際に椅子を寄せ、窓の外に拡がる落日の光景を、ただそれが終わるのを見届けるのが仕事であるかのようにじっと見入った。


 夜、食事は宿の一階の食堂で取ることに。

 港町らしく魚料理のメニューがたくさんある。ただ魚の種類が少ない。絶滅に等しい植物ほどではないにしても、海の生き物たちも、光の世紀以後、種類と量が激減してしまった結果だ。オバルの話では、海の中も砂漠のような状態だという。生き物というのは、海の生き物も、陸の生き物も、共に大きな物質の循環で繋がっている。そのため、陸の植物の大半が消滅した影響が、海の中にまで及んでそうなったらしい。

 そう思うと、一匹一匹の魚がとても大切な物のように思える。春香が慈しむように魚の身をほぐしていると、その横でウィルタが魚の骨を喉に詰まらせた。曠野育ちのウィルタはほとんど魚を食べたことがない。何といっても、ウロジイのところでメクラナマズを食べたのが、初めての干物以外の魚だったのだから。

 オバルに言われて、慌てて横に盛ってある屑餅の蒸かしたものを喉に放り込む。

 魚のすり身を団子にして入れた酸味の強いスープ、粒餅とコリコリとした魚の腸のリウの芽あえ、薄く切った餅に魚のすり身を挟んで揚げて、そこにトロリとした香ばしい餡をかけた特別料理まで、五品ほどオバルさんが注文してくれた。今までの旅を考えると、こんな贅沢をしていいのだろうかと思う。それでも人の食欲というのは勝手なもので、頭の考えることとは別に、美味しそうなものを目の前に置かれると、つい手が伸びてしまう。

 喉に引っかかった骨が取れたのか、ウィルタが今度は恐る恐るホークで魚の身をほぐし始めた。骨は嫌だが鼻をくすぐる匂いには勝てない。

 ここで一つ変わったことが起きた。

 それは春香が全くズヴェルを嫌がらなくなったことだ。嫌がらないどころか、油っこい料理の口直し用にと、小皿に盛ってあるのをペロリと平らげてしまった。唖然としているウィルタに、「なんだか、つい口に入れたくなるのよね」と楽しげに言って、春香はズヴェルだけをもう一皿注文した。

 冷凍睡眠から蘇って百日余り、もしかしたら体質が変わってきたのかもしれない。

 もっとも、これだけは、この世界に何十年暮らしても、春香には絶対に食べられないだろうという物もテーブルに並んだ。オバルさんが、栄養をつけるには一番と言って注文してくれた物だ。冷たいスープの中に細くて白いソーメンのような物が入っている。

 春香は伸ばしかけた箸を思わず止めた。ソーメンが動いている。なんとそれは毛長牛の腸の中にいる寄生虫で、この世界で糸虫と呼ばれている代物だった。寄生虫の踊り喰いである。オバルさんもウィルタも、それに甘辛いタレを掛けて、ウドンでもすするようにズルズルと呑み下している。オバルさんが、寄生虫は高タンパクで栄養価が高いからと、熱心に勧めてくれるが、しかし春香は寄生虫をすする二人を見ているだけで、背筋がゾクゾクと震えそうになった。

 顔を背けた春香に、窓の外のものが目に入った。

 宿の前の通りを挟んで狭い路地がある。そこに二人連れの男たちが入っていく。船乗りと若い町の青年の組み合わせが多い。

 春香の視線に気づいたのかオバルが、「港町だからな……」と声を低めた。

 そのオバルの意味深な口ぶりに、春香がストレートに「男娼なの」と聞く。

 感心した表情でオバルが「二千年前のお嬢さんは、何でも良く知っているな」と頷く。

 暗黙のように視線を交わすオバルと春香に、ウィルタが「男娼って?」と尋ねた時、表で物が壊れるような大きな音がした。

 三人が店の表に目をやると、通りで一悶着が起きていた。

 通りの宿屋街はどこも一階が食堂になっている。三人がテーブルを囲んだ時、通りを挟んだ向かいの店の前に、物乞いの子供が何人か集まっていた。その子らが店の残飯の奪い合いで喧嘩を始めたのだ。

 物乞いの子供たちは、町の自警団が来ると、クモの子を散らすように隠れてしまう。ところが自警団が去ると、またどこからともなく姿を現わす。そして残飯がないと分かると、窓越しに客が食べている料理を物欲しそうに見つめる。客のことを考えて、店の人が料理の余り物で子供たちを窓から離れたところに誘うが、その子供たちの一団がいなくなっても、入れ代わりにまた別の一団が出てくる。そうして余り物を手にしたグループと、お預けを食らったグループの間で騒ぎが起き、自警団が登場しと、そんないたちごっこが繰り返されていた。

 見ると、別のテーブルに座った客たちは、慣れっこになっているのだろう、目の前の騒動をショーのごとく眺めながら、料理を口に運んでいる。

 食後のデザートを持ってきた給仕の男性が、困ったもんだとばかりに顔をしかめた。

「南の亀甲台地から流れてきたガキどもです。あいつら牧人特有の赤い服を着てるんで、ここでは赤ネズミって呼んでますがね。追払っても追払っても、どこからともなく残飯目当てに這い出てくるんですよ」

 ネズミと呼ばれているのは、どうやら浮浪者の子供たちが、寒さを避けて町の下水管に住み着いているからということらしい。給仕は揚げた捻じり餅を机の上に置くと、窓の外の子供たちに、あっちに行けと手を払った。

 だがその程度で空っ腹の子供たちが立ち去るはずもない。みな目をギラつかせ、すぐに窓ガラスに寄ってくる。そしてガラスに顔をくっつけると、客の食べている料理に熱い視線を注ぐのだ。どの子も垢と煤で、顔や手が赤黒く汚れている。顔を洗うことがないのだろう、目脂が火炎樹の樹脂のように目尻にこびりついている。

 給仕の話にあったように、どの子も赤い模様の入った服を着ている。

 オバルが観察するような目で、「大陸南部から逃げてきた避難民の子供だろう」と言った。

 自警団の人が来たのか、その子供たちがさっと姿を消す。

 たくさんの目で見つめられていると、落ち着いて食事ができない。子供たちと視線を合わさないようにしていた春香は、ほっとして窓に視線を戻した。すると窓枠の下に、じっと上目遣いに自分の口元を見つめる女の子がいた。

 鋭い視線……と思った瞬間、その子は自警団の男に子猫のように首を掴まれ、窓の下から連れ去られた。気がつくと、引き剥がされた子供の手形がガラスに残っていた。

 禁煙ギセルを口にくわえたオバルが、音をたてて椅子から立ち上がった。

「お茶は部屋に運んでもらって飲むことにしよう」

 軽く頷き二人も席を立った。

 もう窓の外には誰もいない、しかし春香には、子供たちの視線が、見えない指紋となってガラスに貼り付いているように思えた。



次話「降待節」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ