表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
星草物語  作者: 東陣正則
49/149

遺物展示館


     遺物展示館


 二時の鐘が鳴り、午後の読経が始まった。

 砂漠では日に六度の祈りの儀式が行われる。その際には見事なほど一斉に音盤のスイッチが切られ、人の話し声も足音も消えて街に静寂が訪れる。その静けさのなかを読経のコーラスが拡がっていく。満都滅亡後、喪に服するために、ゲルバ族の人々は娯楽のための音楽を禁止、ひたすら経を唱えた。その結果、読経が多重和声の合唱、経楽へと転化する。その重層的な音の響きが、経堂から町の空間へと流れ出る。

 春香の座った卓と間一つ置いた丸卓、そこで泡茶をすすっていた老人たちも、背筋を伸ばし、聞こえてくる経楽に自身の声を重ねていた。祈りというものは頭を垂れてするものと思っていた春香には、それが何とも新鮮な姿に映る。しかし、ボソボソと経を読むならいざ知らず、声を出そうとすれば、やはり胸を張るのが当たり前かと考えて、納得。

 思えば自分の時代、お寺のお坊さんも、座ってはいたが、お経を読む時は板を入れたように背筋を伸ばしていた。郷に入れば郷に従おうと、春香も背筋を伸ばして、流れる経の旋律にハミングを合わせた。

 十分ほどで銅鑼の音が響き渡って経楽のコーラスは終わり、目の前に様々な音に満ちた雑踏が戻ってきた。

 春香は茶を飲み終えたあとも、しばらく道を行き来する人たちを眺めていた。

 様々な人が入り混じっている。ゲルバ族は、やや赤みを帯びた暗褐色の肌で、すらりとした長身に、裾の長い外套のような黒いガウンを着ている。格好いいアクション映画の俳優といったところだ。通関所の係官を除けば、一般のゲルバ族の男性は、頭から首にかけて白い布を盛り上げるように巻きつけている。とにかく頭の巻き布以外は、黒一色。

 比べて砂掘り職人のラングォ族は、色白の肌に、ずんぐりとした肩幅のある小柄な体型で、灰色のセーターの上に綿入れのような黒のチョッキ、胴に白の腹帯を巻いている。同じ無彩色の服装ながら、ゲルバ族と違っているのは、生地に淡い模様が入っていることだ。革の帽子を被り、バンドの付いた防砂眼鏡を帽子の上に乗せるか胸に垂らしている。成人したラングォ族の人たちは、男女を問わず刺青を入れているということを、後から聞いた。

 道行く人の半分は、そのゲルバ族とラングォ族で、残りが雑多な民族。砂漠というと何となく男の世界という感じがするが、女たちの方が目立つ。おそらくは、巡検隊員のように、男たちにはオアシスの外で働いている者がいるからだろう。

 それにしても、建物も人の服装もみんな無彩色。

 ハベルードの検問所で、ゲルバ族の人たちを目にした春香が、「地味なファッションね」と感想を漏らすと、それを耳に留めた氏が「これでも随分、華やかになったんだ」と、ゲルバ族に代わって言い訳でもするように答えた。

 どこが華やかなのかとても理解できないが、とにかくゲルバ族の服装は、華美を戒めた喪服のような服ばかりだ。それがこの間、何度も聞かされてきた、満都を追悼する文化ということになるのだろう。その追悼ということでいえば、街なかを行くゲルバ族の男の半数は、肩から袈裟を掛けている。

 トゥンバ氏が石黄色の僧衣の上に灰白色の外衣を羽織ったように、砂漠の外からやってきた人たちも、誰もが派手さを抑えた装いをしている。もっともそれは表向きで、人によっては、ゲルバの規律に反発するように、見えないところに派手な装飾品を付けて着飾ることをしているのだそうな。

 通りを行き交う雑多な人たちを眺めているうちに、街路を左に向かう人のかなりが、突き当たりの広場に面した建物の中に入って行くのに気づいた。テラスのような幅の広い階段の上に、周囲の家とは造りの違う、方形の屋根を乗せた大きな建物がある。

 馬将譜を差しているお年寄りに尋ねると、満都時代の発掘品を展示する遺物展示館だという。博物館ということだろうか。今は夏前に見つかった新種の火炎樹の種を展示してある。入館している人の大半は、それがお目当てで、入場は無料ということだ。

 春香は宿の女将さんに、遺物展示館に行ってくると告げて宿を出た。

 ひとっ走りで突き当たりそうな短い通りの行き止まりが、展示館前の広場になっている。途中、ウィルタたちが曲がった右手の道に市場の喧噪が零れていたが、構わず広場へ。展示館の壁に填め込まれた無数の組ガラスの窓が、見下ろすように迫ってくる。

 長剣を捧げ持った衛士が建物の前に控えているが、特に見咎められることもなく階段を上がって、正面の入り口をくぐる。

 入館して直ぐのホール正面、短い階段を下りると、天井の高い回廊に沿って小部屋が並んでいた。各部屋の前に、展示物の概要らしきことが薄い金属板に刻印されて表示されている。しかしミミズの這ったような沙蚕文字で、全く理解不能、読めない。

 とにかく物は試しで、一室に入る。

 そこは照明器具の展示室だった。電球のコレクションが目を引く。一抱えもある大きな電球に始まり、豆粒のような鉱石球から、板状の面光源の照明器具、街灯や投光機もある。ざっと眺めた感じでは、家の外で使う照明器具が多い。ホブルさんの座学で聞いた満都の歴史の一節に、「樹液の九割以上が夜を明るくすることに使われた」という、くだりがあったのを思い出す。

 部屋の一角に、あの匣電が並べられていた。

 匣電は満都時代に開発された充電池で、開発された当時は、小はボタンサイズから大は荷車サイズまで、大きさも形も様々なものがあったという。それが千年を超える年月の間に、今の弁当箱タイプのものに落ち着いた。サイズを大きくすると蓄電の容量は増えるが、使用する亀甲石あたりの充電量が減るという欠点があって、今では特別の用途以外には、大きなサイズの匣電は製造されなくなった。並べられた匣電のなかの最大のものは、まるで醤油樽で、下に車輪がついている。キャスター付の電池だ。

 次々と部屋を覗いていく。

 ネジや釘だけの部屋もあった。おそらく自分の時代でも、ネジだけを展示してあるような博物館はなかった気がする。面白いような、どうでもいいような。でも、ガラスケースの中のネジと持参の錆びたネジを、真剣な顔で見較べている人がいた。見ると、展示してある物に数字らしきものが振ってある。錆びたネジを手にした人が、カードにケースの中の番号を記入していた。聞こえてきた話からすると、どうやら番号をチェックして注文するらしい。博物館というよりも産業館、いや見本市という感じだ。ホームセンターといえば言い過ぎになるだろうか。

 警備員のいる小部屋に入ると、陳列ケースの中に、びっしりと小さな物が並べられていた。印だ。満都歴代の各王朝の玉を用いた国璽から、官吏の陶印、石印まで、印材の種類から形、デザインまで、やたら色々なものがある。印の横に添えられているのは当時の書類で、滅亡した満都は役人国家だったらしい。どの書類にも複数の印が、これ見よがしに押されている。

「一つ一つのことを決定するにも様々な印が必要であり、印を使えることが官吏の身分の象徴であった」と、腕章をつけた案内係の人が、四人連れの男性に説明。春香の脳裏に、ユカギルで仮面の指揮官が書類に判をついていた姿が蘇ってきた。

 回廊の先、角ばったドーム型の広間に人が集まっている。展示室の小部屋に人が少ないと思ったのは、ほとんどの人が、ドームの広間に集まっているからのようだ。どうやら、あそこがこの施設の核となる展示空間らしい。

 残りの小部屋はパスして、大広間に足を向ける。

 壁面に並んだ展示物やブースを覗きこみ、訪問者の人たちが盛んに何か言い合っている。

 聞こえてくる話からして、ここ数年の間に新しく発見された遺物と、これから満都が売り出していこうとするものが並べてあるらしい。目玉商品ということだ。

 トゥンバ氏がホブルさんに渡した古代の電池、泡壺と似たものが展示されていた。壺の口に十字の突起がついた泡壺で、その前に小さな人だかりができている。

 でも一番人気は、ホール中央の展示物。人だかりが右と左に分かれている。物は二つあるらしい。が、どちらも大人たちの背が邪魔して中が見えない。

 春香は身を屈めると、まずは右側の人だかりに潜りこんだ。

 擦り抜け掻き分け前列へ。鉄柵の内側に、大人の背丈ほどの角ばったケースがあった。台座が黒く、上半分が透明なクリスタルのケースで、中にラグビーボール大の火炎樹の種が置かれている。巡検隊の隊員が四人、仏頂面でケースの四角に立っているが、集まった人は警備の隊員など目に入らぬ様子で、鉄柵から身を乗りだしケースの中を覗き込んでいる。タクタンペック村で見た赤茶色の種とは違う、白銀色の種で、サイズも一まわり大きい。照明を浴びてギンギンに輝く種は、メッキでもしたかのようで安っぽい。

 しばらく眺めていたが、種というものは動くでなし、じっと見ていてもつまらない。

 隣の人だかりへ移る。

 こちらには、卓球台ほどの大きさの台の上に、浅い水槽が置かれていた。水が張られた水槽に、先ほどの白銀色の種よりもやや小ぶりの、くすんだ灰色の種が二十個ほど、水に浸かる状態で並べられていた。濡れた種からは、手首ほどもある太い茎が立ち上がり、茎の先端に五本の枝が宙を掴むように拡がっている。この発芽して間もない火炎樹の苗は、芽の先端が、あたかも人の手のように見えることから、掌芽と呼ばれる。見ていると、みな水盤に張られた水に指先を浸けては嘗め、隣の人と頷き合っている。

 春香も真似をして嘗めてみた。海水というほどではないが、かなり塩辛い。

「耐塩性の火炎樹……」という言葉を耳が拾う。

 顔を上げると、目の前にマイクを持った男性が立っていた。

 マイクに向かって係の者らしき男性が、「皆さん、これが夏前に我が晶砂砂漠で発見された、新種の火炎樹です」と、割れた声で説明を始めた。

 水槽のなかに並んでいるのが、耐塩性の火炎樹の苗。母種を振動培養器にかけて二カ月ほどで作り出した殻種を、さらに催芽処理。ひと月で、いま目の前にある掌芽の状態に生長させたと、説明している。言葉の意味が良く分からないが、殻種というのは、いわゆるクローンのことらしい。

 この耐塩性の火炎樹があれば、火炎樹の栽培が不可能だった海岸や、河口の塩性湿地、さらには内陸の塩の集積した地域でも農園の開発が可能になると、誇らしげに話している。ところが話が塩分濃度による生長の違いになると、そんな説明はどうでもいいとばかりに、「販売はいつからだ!」と質問があがる。それを機に、取り囲んでいる人たちから、値段や殻種の入手手続きなど、矢継ぎ早に質問が投げつけられる。

 説明の段取りが狂ったことに舌打ちしつつ、係の男性が寝かせてあるボードを引っ張りだした。そして殻種販売のスケジュール表を見せながら、今後の予定の説明を始める。

 その間にも「入札すると聞いたが、その条件は」と、次々に新手の質問が繰り出される。

 春香は頭上を飛び交う大人たちのやりとりを掻い潜るように、人だかりの外に出た。実は、大人の男性の体臭で気分が悪くなってきたのだ。

 ホールを離れて人気のない通路へ。最初に通った回廊の反対側に、展示ブースも何もない下り階段が続いていた。短い通路を抜けて、また階段を上ると、突然視界が開けて前方に真っ青な水面が現れた。錘湖に面したテラスだ。

 透明なガラス窓の向こうに、真っ青な湖面が広がっている。展示館が錘湖に迫りだすように建てられているため、左右の景色もよく見える。左側の湖岸に突き出た鐘突き堂のような建物から、湯気とともに水が湖面に流れ込んでいる。錘湖の水源らしい。この時期、温水が湧き出ていなければ、湖は確実に凍結しているはずだ。

 水面の下で緑の藻が揺れている。トゥンバさんの話していた、建築用のブロックを製造するのに使う糊料、その原料となる藻があれだろう。

 半キロほど先の対岸を望む。

 平らな砂地に白亜の経堂が鎮座。水面にその白さが照り映え、丸屋根に填め込まれた無数の丸窓が、日差しを受けてミラーボールのような輝きを散り放っている。

 春香はしばし宝石のような水上堂に魅入った。



第五十話「ジンバ市」・・・・第五十三話「盗賊」・・・・第五十五話「峠」・・・・

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ