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星草物語  作者: 東陣正則
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地下街


     地下街


 子供たちが後をつけていた当のトゥンバ氏は、市場の屋台街で目当ての物を調達すると、そのまま市場を通り抜けて裏通りに入った。

 そこは官庁や宿屋街などのある湖に面した側とは反対側の地区で、家がみっちりと蝟集、肩の触れ合いそうな狭い街路が、短い階段を織り交ぜながら、右に左に斜めにと続いている。壁材が白いブロックのために、迷路特有の陰鬱さはないが、頭上が九割方組みガラスの天蓋で塞がれているため、空気が淀み、路に腐臭がこもっている。足元の砂は汚れ、壁面はどこも人の背丈あたりまで人の生活の色が染みとなってこびりついている。救いは風が吹き込まず、外の寒さを感じないで済むことだ。

 氏は灰色の外衣を半分はだけると、肩にまわした。

 日中は家の中よりも、街路の方が暖かい。それに明るいこともあって、住人が至るところで路に出て、繕い物をしたり、赤子のおしめを換えたり、乾物の汚れを落したりと、雑事をこなしている。その生活が道にはみ出したような道を、縫うように歩く。

 八方から階段と道が寄り集まった迷路の交差点のような場所に出た。

 日射しの当たる側の階段に、鈴なりに人が座っている。足が萎えて棒切れになった者、肩から直接手が出ている者、瘡蓋の塊のような肌の者、目が顔の中心に一つだけある者と、みな体に不具合を持っている。その神の絵筆が滑ったような誤筆者と呼ばれる不具者たちが、人が通ると施しを求めて椀を突き出す。声の出せるものは経を唱え、朗詩を詠う者もいる。もちろんアーウーと呻き声を上げるだけの者も。そして誰かが施しを受けると、一斉に手にした鳴り物を騒々しく打ち鳴らす。

 氏は差し出される椀に市場で買った粒餅を落とし込むと、足早に街路を奥に向かった。

 義足の少年が一人、体に合っていない長い義足をガシャガシャと動かしながら、追いすがってきた。

「もう地下に女はいないよ、移転したんだ。いい娘がいる場所に案内するよ」

 無視して急ぐ氏の僧衣を、少年が掴んだ。

 作ったような渋みのある声で氏が凄んだ。

「なりは僧でも俺は人買いだ、つきまとうと市場で売り飛ばすぞ」

 振り向き外衣の下の石黄色の袈裟を見せた氏に、少年が毒づく。

「坊さんだって男だろ、それともあそこは役立たずかよ」

 義足の先で砂を蹴り上げ、少年は氏から離れて行った。

 ほんの数年前まで、ギボのオアシスでは、誤筆者による物乞いは公的に認知された仕事だった。天は人の体をまだまだ不完全と考え、試行錯誤をお続けになっている。その神の尊い所業の賜物と誤筆者を見なしていた。それゆえ誤筆者は、オアシスの表玄関に体を侍らせ、旅行く人々から胸を張って施しを受けることができた。

 それが塁京の隆盛によって満都時代の遺物が引く手あまたに売れ始めると、とたん誤筆者は町の隅に追いやられた。町の美観を損なう異物として排除されたのだ。

 かつてオアシスの経済が、旅の交易商から徴収する通行税によって成り立っていた時代、旅の輩が落す誤筆者への施しは、乏しいオアシスの財政を支える貴重な財源であり、誤筆者はオアシスの経済の一翼を担う貴重な稼ぎ手だった。

 それが様変わりしてしまった。

 財政の潤沢さを裏付けるように、誤筆者もオアシス当局からの補助で最低限の生活は保証される。しかし日の当たる場所で、自慢の短い手足や、青い髪の毛や、本数の多い指や、一つだけの目を披露する場を奪われてしまった。不具は日の当たる場所に置いてこそ神の賜物、日陰のそれは憐れみの対象でしかない。自分たちが天の意思によって地上に在らしめられた者であるという、その尊厳が踏みにじられた。

 老婆が後ろ手に引く娘を指して、一人語りのように嘆く。

「娘の顔を見とくれよ、右は天国、左は地獄だろう。昔なら、これこそが神の煩悩を体現した顔だって、いい商売ができたんだ」

 少女の顔の右半分がウロコのような皮膚で覆われていた。

 老婆の怒りにも似た嘆きを背に、氏は角を曲がる。道がそのまま地面に落ち込み、急な階段が奈落の底に繋がるように右に折れ左に折れ続いている。

 階段のとば口に座り込み、水ギセルをゴボゴボと音をたてて吸いこんでいる男たちが、坊商の姿に気づき、濁った声を吐きつけた。

「経読み坊主が何の用だ、もう穴蔵に人間なんざ残っちゃいない。いるのは噛り屋の豚虫と芋虫ぐらいさ」

 からかう男たちの後ろに立って、鋭い目つきで氏を見ている者がいる。氏は、その官服姿の男に軽く会釈すると、水ギセルの男たちの間を割って階段に足を下ろした。

 盆地の底にあったギボの町は、町が砂に埋もれるのに合わせて、上へ上へと家を継ぎ足し造営された。そのため町の下には満都時代の古い街並みが残っている。その埋もれた地下の街に光と風を届けるのが換気塔で、オアシスに入る際、町並みの上に突き出て見えた四角い塔がそれだ。

 階段を下へ二十段ほど、踊り場から横に延びる古い街路が口を開ける。地下第一層、二百年前の街路だが、人の気配はない。所々地上から差し込む光が、通路に転がるゴミや放棄された家具、けばけばしい看板を闇に浮かび上がらせる。

 つい半月ほど前まで、この地下第一層の街路は、娼婦街として賑わっていた。

 この娼婦街に、地下第二層の貧民窟も、今やガランとした廃墟と化している。

 長らくオアシス・ギボの地下街には、ゲルバ護国の各地から、食い詰めた砂掘り職人や、心身に不具合を抱えた者、麻苔中毒の患者、老いて雇い主から放擲されたジンバ、孤児、犯罪者、ありとあらゆる行き場所を失くした者たちが流れ込んでいた。そういった社会の底辺に生きる者が、掃き溜めのように溢れていた。それがオアシスの評議会から強制退去の令が出て以降、あっという間に無人の闇に戻った。いや戻らされた。

 今、ここに残っているものといえば……、

 階段が砂に埋もれて途切れる。地下街の底、地下第五層だ。

 砂が厚く堆積した街路は天井が低く、汚穢の臭いが鼻を刺す。かすかに混じる柑橘臭は、臭い消し用に散布された薬苔の臭いか。空気が乾いていなければ、喉に胃液がこみ上げてきそうだ。

 氏は臭いに慣れる間を惜しむように口元を手で押さえると、暗い地下の街路に足を踏み入れた。洞窟のような街路の所々で、白灯が淡い光を放っている。氏の足の動きに合わせて小さな虫が散る。豚虫だ。砂の上を走るササッササッと刷毛を払うような音が、天井と壁に反響、耳の穴にくすぐったい。

 前方の白灯の明かりの中から、両手に荷物を携えた尼僧が現れた。白い冠布に、足首まで隠れる乳白色の僧衣。修道会の尼僧だ。腰帯に垂らした念珠が足の動きと連動して、チャッ、チャッ、と小気味の良い音を響かせている。

 その中年の尼僧が、突然暗がりから姿を見せた氏に気づいて、荷を落とした。

「何の用でしょう、ここはもう閉鎖……」

 荷を拾い上げる尼僧に、氏は身なりを正すように正見の礼を返した。

「奥に知人がいるので、見舞いに来たんだが」

 尼僧が固い表情を崩した。

「そうですか、いま移転の準備で慌しいのですが、ご案内いたしましょう」

「それには及びません、年に一度は顔を見せていますから、勝手は心得ています」

 尼僧の申し出を断り、氏は地下の街路を更に奥へ。

 通路の左右に間口の狭い店舗跡が並ぶ。扉の抜けた店舗の入口から、店内を埋める砂が道に溢れている。その店の奥、天井と砂の隙間で、じっとこちらの様子をうかがう目。粘りつくような視線だ。突き出た看板の陰にも、埋もれかけた家具と家具の間にも、何者かが身を潜めている。地下最下層の住人たちだ。しかしこちらに危害を加える素振りはない。

 通路を左に入ると、天井の崩落を防ぐブロック積みの先に、街路を仕切るガラス戸が見えてきた。その向こう側から、人の立ち働く気配が伝わってくる。

 ガラス越しに中を覗く。

 天井の高い空間、古い経堂の祈祷室だ。砂と芥の暗い街路と比べて、祈祷室は清潔に保たれている。掃き清められた石畳の床に、通路のようにフェルトが敷かれ、祭壇の上には古代の花を模したオブジェまでが飾られている。そのオブジェが妙に白々しく輝いているのは、天井から光が差しているからで、換気塔の底が、ちょうど祈祷室の天井に抜けているのだ。その照り返しの明かりで祈祷室全体が仄明るい。

 ざっと中を見渡す。壁に沿って丈の低いベッドが並び、僧衣の袖をまくった尼僧たちが、身を横たえた者たちに食事の世話をしている。

 備品の箱詰めしていた小柄な老尼が、ガラス戸に顔を寄せた氏に気づき、中に入って待つよう身振りで示した。

 氏は正見の礼で応じると、通気のために僅かに開けてある扉を押して中に入った。

 入り口脇の受付の卓に、訪問者を記帳する帳面が、太いペンを重し代わりにして置かれている。氏は手にした油紙の包みを、小卓手前の椅子の上に置いた。

 ここは経堂の修道会が運営する戒酒院である。

 すでに地下街の住人のうち、自力で歩ける者は地上に上がった。そして地下の最下層に、一人では動くことも食べることもままならない人たちが残された。戒酒院は本来、酒に溺れた者の更正施設だが、地下最下層の人たちを養護できる施設がないため、今ではここが薄暗い闇に住まう人たちの駆けこみ寺になっていた。

 そもそもなぜ、戒酒院が地下に設置されたのか。

 氏の足元に、モゾモゾと這い寄ってくる者がいる。

 人だ。手足が麻痺しているために、体をくねらせ前に進もうとしている。水ギセルを吸っていた男の言う芋虫というのがこれで、ウォトカ中毒、重度のウォトカ依存症の男たちの成れの果てである。

 ウォトカとは、この地で流通している安酒で、含まれる不純物の影響で長く呑み続けると、中毒症状が出てくる。その代表例が四肢の神経の麻痺であり、光への過敏症である。日の光を浴びると、全身に発疹が出て体が痙攣を起こす。戒酒院が地下の暗い場所に設置された理由がそれだ。

 いまこの戒酒院には、重度のウォトカ依存症の患者と、病気や怪我や様々な理由で同等の状態に陥った人たちが収容されている。自分の足で歩ける症状の軽い者は、すでに移転先に搬送済みで、いま残っているのは、芋虫状態の者や、搬送するのもままならない死期も間近な者たちだ。

 手足の麻痺した男たちが三人ほど、競争するように氏に這い寄ろうとしている。

 目指しているのは、氏ではなく、氏が脇の椅子の上に置いた、毯馬の血の腸詰め。

 匂いを嗅ぎつけたのだろう。

 三人の芋虫が椅子を取り囲むようにして体を反らせ、頭を揺らせて、言葉にならない声を漏らす。中毒症状が進み脳の軟化が始まって、言葉が喋れないのだ。

 氏がどうしたものかと困惑気味に立ち竦んでいると、ようやく作業に区切りをつけた老尼が、手拭いで手を拭きながら氏に歩み寄った。小柄だが眉の濃いしっかりとした顔立ちの初老の尼僧である。氏は再度正見の礼を正すと、老尼に訪問の理由を告げた。

「面会をお願いしたい、元手灯のムフワンブ・イム・ズフィロにですが」

 名を聞いて老尼は一瞬表情を曇らせたが、無言でホールの奥を示した。そして先に立って歩きだした。後ろでは、別の尼僧が差し入れの腸詰の袋を手に、芋虫たちを寝台に誘っている。

 依存症の患者たちが寝起きするホールの大部屋から、奥の通路沿いの小部屋へ。そこは依存症とは別の患者たちが、症状や障害の程度によって、部屋ごとに区分され収容されている。老尼が捧げ持った白灯を小部屋の一つに掲げた。

 馬小屋ほどの小部屋に、丈の低い寝台が五つ。人がいるのは一番手前の寝台だけで、まだ歳若そうな青年が、身をよじりながら呻き声を上げている。動かない手足を動かそうとする度に、肩が痙攣したようにビクビクとうねる。

「発作ですか」

「ええ介護してあげたいのですが、痛覚過敏症の場合は、触れると余計に痛がるので、見守ってあげるしかできない、辛いことです」

 老尼が奥の寝台を指した。患者はいない。しかし乱れた掛け布や、寝台脇に置かれた水の吸い口で、そこに人がいたことが分かる。氏は寝台の後ろ、壁にピンで留められた絵に目を向けた。二枚の薄い羽を持った生き物が描かれている。

「食後の散歩に出ているようですね」

 老尼が言う側から、外の通路で若々しい華やいだ声がしたかと思うと、少女のような尼僧が、コロ付きの板を引いて部屋に入ってきた。板の上の浅いカゴに人が乗せられている。もっとも、人といっても手足もひっくるめて毛布で簀巻きにされ、頭しか見えない。そのまるで芋虫のような人物の顔が、ハッとするほど白い。透けるように白い蝋肌だ。

 肌の白さで目立たないが、肉の削げ落ちた彫りの深い顔は、男に死期が迫っていることを教えている。その蝋肌の男を、歳若い尼僧が、カゴから寝台の上に転がすように移した。回る体が嬉しいのか、蝋肌の芋虫が、ひび割れた口元を緩める。

 若い尼僧は、蝋肌の男に掛け布をあてがい、頭を持ち上げ枕を差し入れると、ようやく振り返って老尼に挨拶をした。

「ムワンさん、今日は機嫌が良かったの。換気口の下に行くと久々に絵を描いたんですよ」

 まだあどけなさの残る声でそう話すと、若い尼僧はカゴの後ろに突っこんであった紙を、老尼に披露した。壁に貼ってある絵と同じ、二枚羽の生き物が描かれている。

「彼が絵を描くのですか」

 脇から覗き込む氏に、若い尼僧が自分の子供の自慢でもするように笑みを浮かべた。

「ええ手足は全然動かないから、口に筆をくわえて描くんだけど、目が潰れているのに、まるで見えてるみたいに描くの。きっと若い頃、手灯の貴奴だったっていうから、普通の人にはない感覚があるのね。顔の皮膚で光を感じているみたい」

 若い尼僧は、今日描いたというその絵を、枕元の壁にピンで留めた。

 いびきが聞こえてきた。蝋肌のムワンが、口を開けていびきをかいている。

 若い尼僧が一礼して部屋を出て行くと、老尼は寝台の金具に吊るされた、ムフワンブ・イム・ズフィロ、通称ムワンの記録帳をめくった。

「昨年、あなた様、ダルトゥンバ氏がお見えになった時は、まだ彼は補声器での会話が可能だったのですね」

 昨年の同じ時期に、氏は、この蝋肌の男ムアンを見舞っている。そういえば先ほど大部屋を覗いた時に、以前なら部屋の中央に陣取り、歌うような声を施設一杯に響かせていた長尼の姿がなかった。移動があって代表がこの老尼に代わったということらしい。

「ムアンとは、砂堀り部落が同郷でしてね」

 氏は思い出語りに、目の前の男を見舞うようになって十余年の月日が流れたことを、老尼に伝えた。

「ムアンと話ができるのではと、今回も新しい補声器を手に入れてきたのですが」

 氏が肩提げ袋を手で押さえると、老尼が残念そうに首を振った。

 先の若い尼僧が言うように、目の前のムワンは、すでに人との意思の疎通のできない状態になっていた。

 

 ムワン、かつて彼は手灯だった。

 手灯の能力を失った者の多くは闇に葬られるが、目と喉を潰されて実社会に戻される者も二割ほどいる。ただ遺物探査会の拘束から解放され、生き永らえたとしても、それは手灯時代に投薬された薬の後遺症に苦しみながらの生活になる。そういった元手灯の人物も、このオアシスの地下街に終の棲家を求めて流れ込んでいる。ムワンや、いま戸口のベッドで苦しんでいる青年がそうだ。

 この手灯だった者が苛まれる最大の後遺症が、痛覚過敏症である。

 手灯の少年少女は、能力を最大限引き出すために、知覚増強剤を飲まされる。その手灯の感覚を研ぎ澄ますための薬剤が、同時に痛覚の異常とも思える反応を引き起こす。一度発症すると、痛覚の過敏反応で、肌に衣類が触れることでさえが痛みに感じるようになる。例えれば、遠い昔に内面が針で覆われた人型の棺に囚人を閉じ込める拷問があったというが、その拷問にも似た苦痛だろう。

 その酷い痛みを和らげるために、麻酔薬の一種である麻苔を服用。すると今度は、その副作用として、ウォトカの常用者と同様、四肢の神経の麻痺が始まる。そしてそれを抑えるために別の薬を服用しと、手灯の少年少女は薬漬けにされていく。

 結果として、成人後数年もすると五感の能力が低下、肌の色素が抜けて白い蝋肌となり、四肢も麻痺して自身で動くこともままならなくなる。もちろん手灯として働き始めた段階で目は潰され、役割が終わった段階では喉も潰される。手灯だった人物の末路は、外部の人間からみれば、生きた屍状態といっていい。

 

 その元手灯だったというムワン……。

 かつてトゥンバ氏は、目の前で幸せそうに高いびきを掻いている蝋肌の男、ムフワンブ・イム・ズフィロに命を助けられた。

 氏が六歳、まだウンバと呼ばれていた頃のことである。

 四才の時から、ウンバは一人前の砂掘り人夫として、大人に混じって働いていた。狭い穴の中で小回りが効く子供は、砂掘りの技術が無くとも重宝されるのだ。ただそれは裏を返せば、体格が小さい故に発掘現場の先端で働かされることが多く、事故に巻き込まれることも多いということである。

 悲しいかな、それが現実となった。

 六歳の少年ウンバは、発掘坑が崩れて生き埋めになった。大人たちが煙苔休憩で地上に出払った直後の事故で、崩れた範囲が広く、生き埋めになった場所の特定が難しかった。砂は坑道を隙間なく埋めてしまうことが多く、生き埋めになると助かる率は低い。おまけに職人たちは、技術の未熟な子供のジンバを消耗品と考え、事故に遭っても助けることに労をかけない。詰まるところウンバの場合もそうだった。現場の責任者である頭領の父親は、竪穴の近くを少し掘り返しただけで、すぐに作業を終えてしまった。

 誰もウンバが助かるとは思っていなかった。

 ところが、その助かる見込みがないと思われたウンバが、掘り出された。

 二つの偶然が重なったからで、一つは、坑道が崩れる直前、ウンバがそれを察知して、地下深い現場から地表数メートルの場所まで這い上がり、坑道の倒れた梁の隙間に頭を押し込んで息を繋いでいたということ。そして二つ目、実はこちらの方が、ウンバが助かった理由としては重要になる。

 ウンバの救助を諦めて煙苔を吹かし始めた親方や職人衆に、ウンバが砂の中で生きて助けを求めているということを、同じジンバの数歳年上の少年が指摘したのだ。手灯の貴奴が砂地に手をかざすようにしてだ。救助を訴える少年の真剣さに、半信半疑で大人たちは砂を掘った。そして物の見事にウンバは助け出された。

 この大人たちにウンバの埋もれた場所を指摘したのが、当時十歳のムワンだった。

 職人たちは驚いた。実はムワンが手灯の能力を持っていることに、誰も気がついていなかったのだ。時代的に昔ほど手灯の子供捜しが熱心に行われなくなっていたということもある。しかし、ムワンが一般のジンバに紛れていた最大の理由は、彼が自分の能力を人に悟られないように隠していたということにあった。

通常手灯の能力は四歳までに現れるものだが、希に歳を経てから発現することもある。ムワンの場合は、どうやら七歳を超えてから能力が現れたらしい。自分の能力に気づいた時、すでにムワンは、手灯の能力を持った貴奴が、将来どういう末路を辿るのかを理解していた。そのことがあって、ムワンは自身の能力を周りに悟られないように振る舞っていたのだ。

 ムワンは、高額でゲルバ評議会直属の遺物探査会に引き取られていった。

 その後のムワンの人生は、典型的な手灯の貴奴のそれだったらしい。らしいというのは、誰も砂掘り部落を去ったムワンの、その後の人生を知らないからだ。知る術もなかった。

 その後ウンバは、砂掘り職人の父親が亡くなり職人階級に引き上げられた。

 その際、トゥンバと改名。やがて身分上の差別に耐えかねて職人部落を逃げだし、生きるためにデッジーとしてジンバ商に仕える。そして親方の死後独立して自身もジンバ商に。

 ウンバが砂の中から助け出されて二十四年後、トゥンバがジンバ商をやり始めたばかりの頃である。トゥンバは全くの偶然から、オアシス・ギボの地下街で命の恩人を発見した。ウンバを助けたために手灯の貴奴として売られ、能力を失ってからは、後遺症で苦しみながら、修道会の援助で細々と生を繋いでいるムワンをだ。

 それ以来トゥンバは、オアシスのギボに寄る度に、ムワンを見舞うようになった。

 一時は別のオアシスにある自分の家にムワンを引き取ろうとしたが、ムワンはそれを断った。トゥンバが人買い、ジンバ商をしていることへの反発かとも思ったが、七年前にトゥンバが僧位を取得、仕事を苔茶の交易業に鞍替えをしても、それは変わらなかった。

 トゥンバが修道会でムワンを見つけたとき、ムワンは、まだ人と話を交わすことができた。人は声帯を失くしても、食道を使って擬似的な音を出すことができる。ただそのままでは聞き取り難いので、音を補正する道具が必要になる。それが補声器だ。

 トゥンバは戒酒院を訪問し、補声器を用いてムワンと話をすることを楽しみにしていた。

 ムワンは、砂にまみれた職人部落での子供時代の話から、手灯時代の遺物の発見談、地下街に住み着いて戒酒院に世話になるまでの苦労話、聞くのが憚られるような薬の副作用の話まで、何でもあっけらかんと語ってくれる。

 ただ一点『なぜ砂に埋もれた自分を助けてくれたのか』という問いに対してだけは、見えない目を宙に向け、補声器を喉から外してしまうのだった。

 トゥンバとしては、ムワンが自分を助けてくれたのが、どうにも腑に落ちなかった。手灯の能力を明らかにすることによって、自身の未来が苦難の道になることがムワンには分かっていたはずである。分かっていて、なぜ……。

 そのことがいつも頭の隅にあった。だからトゥンバは、何度もその疑問をムワンに投げかけた。しかし、ついぞムワンがその問いに答えることはなかった。

 手灯の経験者の多くは三十までに亡くなってしまう。比べて破格の長命となったムワンも、この数年は体の衰えが目立つようになった。未だに続く痛覚過敏症の痛みが、ムワンから体力と年齢を奪っていた。

 老尼の話では、半年前に補声器を使っての会話が出来なくなったという。窮余の策で、手の平を指先で叩くモールス信号のような方法での意思疎通に切り替えたが、それもひと月ほど前から怪しくなってきた。目も見えず、耳も聞こえず、味も匂いも感じず、声も出ない。そこに皮膚の触覚まで失われてきたのだ。

 五感の喪失、手灯だった人物の最末期の症状である。

 おそらくは閉ざされた感覚のなか、脳の活動も萎縮しつつあるだろう。

 ムワンは、自身の人生をフイにしてまで、他人である自分を助けてくれた。なぜ……。

 何が彼にああいう行動を取らせたのだろう。意思の疎通が可能なうちに、何としても彼から、その理由を聞き出しておきたいと思っていた。いや願っていた。そのため今回の訪問に際して、氏はムワンとの話の糸口にと、ある話題を用意してきた。

 しかしそれもムワンがこの状態では、諦めるしかなさそうだ……。

 

 こちらの気持ちを知ってか知らずか、高いびきを響かせるムワンを前に、氏はその用意してきた話を思い起こした。

 夏の苔茶の買い付けの際のこと、氏はムワンの故郷に足を伸ばした。そこにムワンのことを理解する手がかりがあるのではと考えたのだ。

 ムワンは六歳の時に、ジンバとして砂漠に連れて来られた。ムワンが人買いに売られてすでに半世紀余り。縁故者がいるかどうか不安だったが、案の定、ムワンの一族は四散して、誰もその村に残っていなかった。ただ村長がムワンの一族のことを覚えていて、話を聞かせてくれた。その村長の話を聞いて驚く。なんとムワンは、その地域の素封家、資産家の息子だった。地方の幾つかの村を束ねるムワンの一族は、『積善の家に余慶有り』を家訓とする、地域の人々の信奉篤い名家だった。

 ただ分け隔てのない人々への施しと、地域への奉仕が、逆に人々の自活への意欲を削いでしまった面もある。様々な不運が重なり村は貧窮、ムワン家は寂れる地域の経済を立て直すべく、炭鉱開発に乗りだした。しかし鉱脈の探査は博打のようなもの。案の定、資金繰りが危うくなり借金を重ねることに。人の懐は一度傾き始めると、沈む船のように浮上させるのは至難の業だ。

 借金を一族だけで背負わず、強引にでも地域の人々に割り振るだけの才覚があれば良かったのだろうが、善良を持ってよしとする当時のムワン家の当主には、それができなかった。当主の取った策は、なんと一族の跡取り、双子の息子の一人を担保として預け、金貸しの銭床から金を借りることだった。そして強引ともいえる鉱脈探しを続けた。ところが結局鉱脈は見つからず、担保の息子は銭床に取られ、ジンバ商に売り払われてしまう。

 銭床に担保として双子の息子の一人を差しだす際、当主は大いに迷ったという。

 当然であろう。二卵生の双子で、容貌も性格も異なる兄弟。迷った末に当主はクジを使うことにした。それが一番公平で、後に禍根を残さない方法と考えたのだ。

 ところが、いざクジを引かせようとすると、弟の方がクジを引くことを拒否、自分からジンバになると申し出た。物心ついた当時から気の強かった弟は、「自身の運命をクジに託すのは嫌だ」と、頑強に言い張った。その男の子がムワンである。

 しかしながら、ムワンの申し出も空しく、鉱脈探しは失敗に帰した。ムワンはジンバとして売られ、一年後には没落した一族も村から逃散。今では家も残っていない。

 風の頼りでは、一族は移り住んだ町で盗賊に襲われ、双子の息子一人を残して全員が亡くなったということだ。

 村長が人事ではないとばかりに、声を潜めた。

 都と地方の村では事情が異なるが、あのタクタンペック村のような寒村の集落では、村の進める事業は、村の代表が資金の面倒を見るのが慣例である。村の代表は名誉職でふんぞり返るためにあるのではない。名を背負う者は、名と共に責任も負う。その責任とは、地域の住人の腹を満たすこと。リスクを犯すのは、それを犯す余裕のある者が行うしかないことだ。ただムワン家は、その度が少しばかり過ぎていた。子供を担保にした段階で、当主は鉱脈探しの一攫千金の夢物語の虜になっていたのだろう。

 話を聞かせてくれた村長が、身につまされたように重いため息をついた。

「この近辺じゃ、珍しくもない話さ。誰かが犠牲になってチャレンジしない限り、未来はねえ。それをやるなあ、貧乏人じゃなくて、村で金のある者でな」

「村長さんも、そうなのですか」

 氏の問いかけに、村長は笑って頭を掻いたが、やおら立ち上がると、棚の上に並べてある平たい箱を取った。蓋を開けると中にアクセサリーの耳飾りが入っていた。

「この地は美人の産地で、娘の身売りで有名なんだ。そりゃあ、悲しい別れ話にゃ事欠かねえ。この地の一番の産物は涙だ、なんつう輩もいるぐらいで、そのせいでもねえんだが、昔からの風習で、こういうもんがある」

 村長が耳飾りの一つを見本のように取り上げた。渦巻き模様の石、地方によっては逆巻き貝と呼ばれる、左巻きの貝型の隕石で作った耳飾りである。

 本当かどうかはいざ知らず、この逆巻き貝の隕石は、人の悲しみを吸い取ると言われている。喜びは味として口から入り、怒りは景色として目から、安らぎは肌から、悲しみは音として耳から入ってくる。人の耳の奥にある三半規管の脇には、悲しみの受容体があって、この隕石は、その受容体に作用して、悲しみを和らげてくれるというのだ。

 この隕石が村の裏山の谷筋でまとまって見つかった。村長としては、この逆巻き貝の耳飾りを村の特産品にして、村の経済を立て直せないかと考えた。

「どうだい坊商さんや。僧の仕事ってヤツも、人の悲しみを和らげる商売だろう。持ってりゃ信者たちに重宝される、安くしとくで買ってかないかい」

 薦められて耳飾りを一つ手にする。石から目に見えない何かが放射されているらしく、仄かな温かみを感じる。氏自身は装飾品などとは縁の無い人生を送ってきたが、それでも思い起こせば、経を請われた女性の耳に、逆巻き貝の耳飾りが揺れていたのを見たことがある。変わった耳飾りなので問うと、「女は男に人生をかき乱されることが多い。だから人生をやり直したい、人生の渦を巻き戻したいという願いを込めて、これを耳に付けるの」と、教えられた。

 氏は、売り込みの見本として耳飾りを一つ、村長から譲り受けた。

 その逆巻き貝を手にして思う。

 ムワンが、もしあの瞬間、砂に埋もれたウンバを見つけた時に戻って自分の人生をやり直せるとしたら、どうするだろう。足元に埋まっているウンバを見て見ぬふりをするだろうか。それとも手灯の能力を明らかにすることによって苦難の人生を歩むことが分かっていながら、もう一度ウンバを助けるだろうか。

 

 昨年のこと、五十年前にムワンを扱ったジンバ商をようやく見つけだした。

 その老いたジンバ商が、昨日のことのように話を聞かせてくれた。

「あのガキのことは、今でも、はっきりと覚えてる。ジンバにするには、もったいない素材だったな。こちとらも金が無かったから、さっさと売り払っちまったが、できれば、しばらく手元に置いて、いい売り込み先を探してやりたかった」

 何がそれほどの印象を、ジンバ商に与えたのか。

 通常ジンバの買い付けの対象となるのは、日々の食事にも事欠く貧窮した家庭の子どもである。ところが、稀に裕福な家の子が、よんどころ無き事情によって売りに出される。しかしながら、甘やかされた子供の大半は、それまでの何不自由のない暮らしとの落差に、ジンバの生活に適応できず、自死もしくは精神を病む。それにこれも良くあることだが、裕福な出ということで、同じジンバ仲間から苛めを受けることも多い。どだい、上げ膳据え膳で育てられた子供が、ジンバに使えるはずがない。そこで、そういう富裕層の子供の場合は、買い付けた直後に、自壊剤と似た記憶を消す薬を飲ませる。過去を忘れさせて、ジンバとしての人生をやり直させるのだ。

 それが……、ジンバ商が、こっそりムワンに薬を飲ませようとすると、ムワンはあたかもそれを予期していたように、自分に薬は不要だとはっきり言い切った。その時のムワンの目は、ガキの目ではなく、長く修道を重ねた僧会の坊主のような目だったという。

 家族のために自分から進んでジンバに売られ、自壊剤を断り、そしてウンバを助けることで長い苦痛の日々を暮らすことになった男。

 いったいこのムワンという男は……。

 彼が子供時分から常人とは異なる並外れた意思の持ち主であったということは、今回の彼の故郷を訪ねる旅でもよく分かった。しかし何が、彼をそのような人物にしたのか、何が彼の意思を支えていたのかということは、益々謎になってしまった。六歳よりも前の幼少期に、何か彼の内面の有り様を決定づける事件でもあったのだろうか。

 今回、彼に故郷訪問の話をぶつけて、ぜひ、その心の内を探ってみたいと考えていた。

 だがそれも、もう適わぬ事に。

 ベッドの上で、ムワンは今までの忍従の人生が嘘のように、にこやかな顔で大いびきをかいている。

 結局、氏はムワンに話しかけることもなく、短い経を詠じ、ムワンの動かない手をしばし握りしめると、その小部屋を後にした。去り際に、ムワンの痩せた薬指、彼の故郷で癒し指と呼ばれる指に、手に入れた逆巻き貝の耳飾りを、くくりつけた。ムワンに癒しは必要ないだろう、しかしせめて故郷の薫りでもと思ったのだ。

 

 事務室で、持参した補声器の寄進と、ささやかな額だが寄付の手続きをする。

 善良であることが生きがいといった中年の尼僧は、為替を受け取り、氏に記帳を求めると、今回の地下街一斉退去の決定を下したオアシス評議会への憤りを、氏にぶつけてきた。

 いま地下の住人は立ち退きを迫られている。実際、上の階はもう無人となり、この最下層も、ひと月後には強制退去が控えている。

 立ち退きの理由は、地下街が麻苔の売買や犯罪の温床になっているからだが、そのことは理解できるとして、評議会が用意した移転先は、何とオアシスの遙か外れ、砂漠の中の古い遺跡跡である。オアシスの評議会は、地下に分散して七カ所ほどある棄人窟を統合し、かつ棄人窟の病人や障害者を、地下街に巣喰う犯罪者まがいの連中から分離することで、より公平で手厚い援助の手を差し伸べることができると説明する。

 しかし町から三キロも離れた岩漠地帯に移住せよなどと、善意の施しで食い繋いでいる人もいるというのに、余りに実情を無視した計画である。

 噂では、完全移転の後には、誤筆者たちもその一画に集め、隣には犯罪者用の施設も併設する考えらしい。要は町にとって目障りなものは、みな町から離れた場所に追い出してしまおうということなのだ。五十年毎に各オアシス持ち回りで開催されるゲルバ護国の大祭が、一年後にこのオアシスのギボで行われる。「その祭りを前に『清掃』を行っているのさ」というのは、口さがない一般の人々の弁である。

 話すうちに怒りが嵩じてきたのか、尼僧の声のトーンが上がってきた。

「あの評議会の方々の本当のお考えは、移転などよりも、誤筆者や自堕落な中毒患者など、みんな砂の下に埋めておしまいになりたいということなんですわ」

 怒りを丁寧な言葉でしか語れないところに修道会の閉ざされた世界を感じながら、氏は寄付をして文句を聞かされるのは堪らないと、「新しい施設にも、また足を運びますよ」と軽く咳払いをした。

 尼僧が我に返ったように真顔になった。

「あら、そういえば、新しい戒酒院の案内を、まだお渡ししていなかったですわね」

 そう言って寄付の受領証明書の上に、新設する戒酒院への寄付要請書を乗せると、尼僧は一転、氏の同情を誘うように「あの中の何人かは、移転の負担に耐えられなくて、亡くなってしまうのですわ」と、悲しげな顔で祈祷室の中央、換気口の下に集まった芋虫たちを見やった。

 換気口から零れる明かりの下で、板状のストレッチャーに乗せられた芋虫たちが上を見上げている。薄明かりでも長く日の光を見ていると、光への過敏反応が出て呼吸が苦しくなってくるのだが、それでも日の差す時間帯には、みな体の状態と相談しながら、光の零れるその場所に身を寄せてくる。それが彼らにとっての生きがいなのだ。

 世話役の尼僧が、上から零れ落ちてくる光の中に、手近の薄紙を捻って放つ。すると換気口の中を吹き上がる風に乗って、薄紙がヒラヒラと舞う。まだ視力を失っていない芋虫たちの何人かが、嬉しそうに奇声を上げる。やがて紙片は、古代の蝶のように軽やかに舞いながら、換気口の穴に吸い込まれていった。

 

 芋虫の巣と揶揄される棄民窟、そこに開設された修道会の戒酒院を後にする。

 地下の街路を行くトゥンバ氏を、後ろから年若い尼僧が追ってきた。

 声で気づく。ムワンの世話をしていた若い尼僧だ。地上に用があるので、ご一緒させて下さいという。街路を挟む暗い店舗のなかには、素性の怪しい輩が住み着いている場合もあるので、用心を期したのかと思い聞くと、若い尼僧が弾けるような声で笑った。

「自分は柔術が得意なの。それに今ここに残っているのは、体を動かすのもままならない人たちばかりだから、怖くもなんともないわ。まあ見るからに不気味な人もいるけど、人とは別の生き物だって思えば、ぜんぜん問題なしよ……」

 暗い街路にポッと明かりが灯ったような声、それにあっけらかんとした物言いである。

 その若い尼僧が、急に声音を変えて、抑えた声で喋り始めた。

「受付の彼女を悪く思わないでね。訪問のお客さんには、町の不当な政策をはっきり説明して寄付を集めるようにって、尼長様からお達しが出てるの。だからあそこに座ると、みんな目つきや口調がきつくなる。わたしもそうだったから……」

「はは、自分が叱られてるような気がしたよ」

 せっかく寄付を申し出てくれた人物が、気分を害していないか気になったのだろう。

 それでも一言詫びを入れると、若い尼僧は元の弾んだ口調に戻って話しだした。

「でも私、帳面を見て驚いちゃった。おじさん十年以上も毎年いらしてるのね。それに寄付もしっかり。坊商の方を、こんな地下の穴ぐらで見るの、私、初めてよ」

「なあに、世の中しがらみは色々あるもの。それより娘さんの方こそ、このご時勢で楽な仕事はいくらもあるのに、よくぞ修道会に入って地下の暗い場所で働いているな」

 そうなのとばかりに、若い尼僧が細い肩をキュッとすぼめた。

「親ってね、娘が三人もいると、経堂への喜捨のつもりで、一人は修道会に入れようって考えるみたい。姉妹の中で私がクジに負けたの」

 クジという言葉に足を止めかけた氏の横で、若い尼僧は通路に響く大きな声を上げた。

 思い余ったように両手を頭の冠衣に置いている。

「あーあ、どうせクジに負けるんなら、自分から行きますって先に手を挙げた方が、よっぽどすっきりしたんだけど。なんだか、未だに心のモヤモヤが取れないの。自分の人生これでいいのかなって……」

 修道女仲間にも話せない鬱憤や、心の澱が積み重なっていたらしく、若い尼僧は堰を切ったように話し始めた。それは尼僧ならだれもが抱えそうな心の悩みだった。

 戒酒院での仕事とは、毎日毎日、ひたすら芋虫たちの食事と下の世話の繰り返し。それも暗い地下の鼻を摘みたくなるような場所でのだ。年嵩の尼僧は、心の修養には最適の仕事だから、手を抜かずに自分の両親の世話をするつもりになって励みなさいと言う。でもやればやるほど、自分がなぜこれをやっているのかが分からなくなる。無為に人生を浪費しているとしか思えない。延々何十年もこんな生活を続けて、気がついたら自分がしわくちゃのお婆さんになっている姿が頭に思い浮かんで、体の震えが止まらなくなることもある。いい加減、両親に頭を下げて、脱会の願いを出してもらおうかとさえ思う。

「一旦、還俗して、再入会という手もあるだろう」

 氏が合いの手を挟むと、

「うん、それも考えたんだけど、還俗した人は、再入会しても結局は辞めちゃうのよね。同期の人との折り合いが難しいの。それに私、別に人のお世話自体は嫌いじゃないから」

 なら何を悩むことがと思いつつ、若い尼僧を見ると、思い詰めたような顔をしている。

 若い尼僧が悩ましげに話を続けた。

 それは自分が担当となったムワンのことだ。最初は、あの白い蝋のような肌を見るだけで気持ちが悪くなった。ただそんなことは数日もすれば慣れる。そして何日かムワンに接するうちに、自分の悩みというか、人間というものが分からなくなってきた。

 ほかの芋虫たちが食事の奪い合いをしたり、自分たちの病気や、人生の不遇のことを不満たらたらにグチッているのに、ムワンはいつもニコニコと笑っているだけ。食事も私たちが介助してあげなければ食べられない。背骨が曲がって、ほかの芋虫みたいに這って動くこともできない。目も見えない。耳も聞こえない。味も、臭いも感じない。感じるのは副作用の痛みだけ。その痛みさえ、もうほとんど感じることができなくなっている。ムワンがいるのは闇の世界。岩の中にでも閉じ込められたようなものだ。出たいと思っても、声は出ないし、それを伝える手段もない。

 そんな境遇の人が、どうして笑っていられるのか。人間なら苦しくて苦しくて、助けてって叫ぶのが普通なのに……。

 ムワンの置かれた状況を想像して顔を歪めた若い尼僧が、「私、ムワンさんが不思議でならなかったの」と、嫌々をするように首を傾げた。

 指で手の平を叩いてのトンツー会話は、痛みがあるから二分以上は続けないようにと老尼から言い付けられていた。しかし思いの募った若い尼僧は、何度も「どうして?」って、ムワンの手の平を叩き続けた。しつこいくらいに何度も、何度も……。

 すると重い腰を上げるように、ムワンが尼僧の手の平を指で叩き返した。

「オレはクジに負けたんだって」

「クジ?」と、氏が問い直す。

 ムワンは、唯一動く左手の薬指を動かし、こう語ったという。

「信じる信じないは、娘、お前の自由だ。オレはクジを引いた。そしてそのクジの命じる人生を生きている。いや余命を考えれば、「生きた」と言っていい。

 俺がクジを引いたのは、お袋の腹の中にいる時だ。

 あの時、お袋の腹の中には、自分も含めて親指ほどの大きさの三人の赤子がいた。

 どう考えても、病弱なお袋の体では、三人全員が揃って生まれるのは無理。下手をすれば、お袋と赤子三人共倒れに死んでしまうだろう。

 なら三人の赤子のうち、一人、もしくは二人が消えて無くなればいいか。

 そんなことが出来るはずがない。三人とも、生まれ出たい、この目で世界を見てみたいと願っていることでは同じだ。では、どうすれば……。

 思い余って三人の赤子は、神に相談した。すると神がクジを出された。

『運命のクジ』と神は仰った。

『世の摂理は、母親と赤子一人の死を予定していた。未来には、変えることのできるものと、できないものがある。赤子一人の死は不動だが、母親の死は変更が可能だ。だが、もし母の死を生に書き換えるなら、その書き換えに相応する未来の変化を、生まれ出る二人の赤子に課さねばならなくなる。それは二人の赤子が、母の死に値する人生の苦難を引き受けるということだ。その覚悟があるなら、クジを引きなさい。引いたクジが、当人の未来になる』と。

 三人は、爪の先ほどの大きさの頭を突き合わせて相談した。誰か一人が生まれ得ないということは仕方ない。問題は、母のいない子供時代を過ごすか、それとも母のいる子供時代の思い出を胸に、死に値する苦難を背負って人生を歩んでいくか、そのどちらを選ぶかということだ。三人とも迷いはなかった。母には生きていて欲しかったし、それに将来に続く苦難の道は、自身の手で変えていけるのではと思えた。

 三人の赤子は運命のクジを引いた。

 三男がこの世界から消える運命を引き当てた。長男は二十歳までを平穏に生き、その後長く孤独に苛まれる運命を。そして次男の自分が引き当てたのが、六歳までを平穏に生き、その後はただ生きていることのみに感謝する人生という運命だった。

 その時自分は、自身が引き当てた運命、「ただ生きていることのみに感謝する人生」という言葉の意味が分からなかった。

 それをおぼろに理解したのは、自分の家が借金を抱え、自分と長男のどちらかが、借金のカタとして銭床に預けられることになった時だ。自分には、その時見えた。これから自分に課せられるであろう過酷な試練が。自分に与えられた人生とは、生きていることだけが拠り所となるような人生なのだ。

 神との約束。そう思って、自分は臆することなく、自分から進んで担保となった。万難を負ったにせよ、この世に在らしめられたということは、生まれ得ずに消えた三男に較べれば、比較のしようもなく恵まれたものだからだ。そして自分はジンバとしての人生を受け入れ、手灯としての薬漬けの人生を受け入れ、手足が萎え五感も消失しかかった芋虫としての人生も、あるがままに受け入れてきた。

 今では、自分は自分の引き当てたクジに感謝している。

 若くして「生きていることのみに感謝する人生」を知ったことで、自分の人生が心安らかなものとなったからだ。一切合財の欲を捨て、そこにあることのみを喜びとすれば、人生コレに勝ることはない。

 ムワンの話に、若い尼僧は反駁した。

「ウソ、人がそんな、生きてるだけの境地に至れる訳ないでしょ。ウソよウソ、そんな芋虫のような体になって、自分を納得させるために、言ってるだけでしょ」

 話し疲れたのだろう、ムワンは一旦、指の動きを止めると、やがて何かを言い残すように、指を若い尼僧の手の平でゆっくりと上下させた。

「娘よ、天があなたに与えた能力を、探すこと、だ……」

 その言葉が、ムワンの最後の言葉になった。それ以降、ムワンは指での呼びかけにも一切反応しなくなった。何かが彼の中で尽きたようだった。

 喋りながら考え込んでしまった尼僧に、氏が問いかける。

「ムアンは『天から与えられた能力』という言葉で、君に何を伝えたかったんだろうな」

 顔を上げた若い尼僧が、深々と頷いた。

「男の人にはピンと来ないかもしれないけど、能力って言葉を使われると、女は直ぐに子供を産むことを考えるのね。修道会に入った女は、みんなこの問題で悩むの。子供を作るかどうかということ。自分に与えられた子供を産むという能力を使う人生を歩むのか、歩まないのか。修道会に籍を置いた段階で、その問題には決着をつけてるはずなんだけど、本当にその問題に心を納得させるには、何十年もかかるって、年嵩の先輩たちは皆言ってる。私の悩みも九割はそのこと。でもムワンさんの言った能力って、それとはまた別のことのような気がするのよね……」

「別の?」

「ええ、きっとムワンさんは、生きていることが一番の能力で、そのことを感謝できれば、どんな悩みも苦しみも乗り越えていけるということを言いたかったんじゃないかな。子供を産むことの悩みは、その後の問題だって。でも、私、そんな天女様のような心持ちになんかなれないし……」

 沈んだ表情に戻った若い尼僧に、「ふむ」とトゥンバが首をひねった。

「能力でいえば、ムワンからそういう話を引き出しただけでも、君には凄い能力があるってことだ。俺も何度か彼に、そういう質問をぶつけたことがある。しかし彼は何も語ってくれなかったからな」

 若い尼僧が意外そうに氏を見た。

「能力って、ムワンさんに喋らせたことがですか」

「人は、他人に対して簡単に心を開いたりしない。僧をやっていれば、それが良く分かる。人は黄色い袈裟に心を開いても、生身の私に本音を語ったりはしないものさ。君は、神から、人の心の扉を開く能力を授かったのかもしれない」

 持ち上げられて、若い尼僧が、はにかむように身をよじった。

「やだ、坊商のおじさんて、やっぱり商売人。褒めるのが上手ね」

「はは、生活が、かかっているからな」

 娘らしい朗らかさの戻った尼僧を見やりつつ、氏は思った。

 これで彼女の心の問題が解決した訳ではない。しかし、話をしたことで翼の羽毛一片分は心が軽くなったはずだ。そしてその一片一片の繰り返しが、空に羽ばたくことに繋がる。もちろんそれを理解するには長い年月が必要で、それが先輩尼僧の「何十年も……」という発言の真意だろう。

 地下街の奥から、若い尼僧の名を呼ぶ声が聞こえた。

 気がつくと、氏は若い尼僧と、階段の上り口の壁に寄りかかって話をしていた。

「あーっ、老尼さまには、ちょっと外の空気を吸ってくるって言っただけなのに」

 慌てて若い尼僧が通路を引き返していく。

 つまずいて転びそうになって体勢を立て直すと、若い尼僧はそのついでにとばかりに振り返り、話の聞き役になってくれたお礼でもするように包礼のお辞儀をすると、後は暗がりに吸い込まれるように走り去っていった。

 砂を蹴って走る若い尼僧の元気な足音を耳にしながら、氏は階段を一歩一歩踏みしめるように上がる。そして尼僧の口にした「能力」という言葉を考えていた。

 人は様々な能力を与えられてこの世に送り出されてくる。その能力を生かす人生を送れる者もいれば、そうでない者もいる。いや大多数の者は、能力に気づくことなく一生を終えてしまう。それが五十に手が届く年齢になって、ようやく理解できるようになった。

「生きてそこにあることを感謝できる能力」、それを人は普通「能力」と呼ばない。

 ムワン、彼が凄いとすれば、彼は手灯などの人並み外れた能力よりも「生きてそこにあることを感謝できる」それこそが自身の能力であると、見定めたことだ。

 終生それは、ぶれることがなかった。

 彼は常に人生の様々な局面で、自身の能力を生かす道を選び続けた。

 今ようやく分かった。彼に「もし、もう一度過去のあの場面に立ち返ることができれば、どうする」と問えば、彼は躊躇せず「同じ選択をする」と、答えるだろう。そして自分が彼に問いたかった一番の問い「あの選択で、後悔してないか」という問いに、彼は鼻先で笑って「ない」と断言するはず。それが彼の生き方なのだ。

 そして、それは自分には絶対に、できない生き方だとも。

 思い出す。自分がムワンと同じ立場に立たされた時のことを……。

 自分が生き埋めから助け出されて三年後のこと、もう四十年も前のことだ。

 その日発掘現場で事故があり、砂堀職人が数人、生き埋めになった。自分は大人たちの救出作業を少し離れた場所で見ていた。結局一人が見つからず、日没と共に救出作業は打ち切られた。ぼんやりと突っ立ったままの自分を、洗濯奴隷の母親が迎えに来た。自分はぐずってそこに立ち尽くしていたが、母親に促されてその場を離れた。

 自分は最後まで言い出すことができなかった。

 自分の立っているその下に、人が埋まっているということを……。

 そう、自分も手灯と同様の能力を持っていた。自分の場合は、足にその能力があった。足灯といってもいい。

 あの時、自分の足の下五メートルの辺りに、人の影がはっきりと見えていた。

 その時自分は七歳、言えば自分の未来がどうなるか分かっていた。

 生き埋めになっていた者の亡き骸が掘り出されたのは、半月後のことである。

 自分はムワンのように「生きていることだけを感謝して」などということは、とてもできない。同行の三人の子供たちは、自分を堅物と見ているようだが、自分は僧衣をまとった俗物でしかない。時には美味いものを食いたいし、珍しい土地にも出かけてみたい。痛みなどまっぴら御免で、ましてや芋虫などにはなりたくもない。そう思うのが自分だ。

 自分を犠牲にしてまで人を助けるという真似は、自分には絶対にできない。

 それは四十年経った今でも同じだ。

 自分は、意味も知らず丸覚えをした経を詠ずるしか能のない坊商。日々ひたすら経を読み続けるだけだ。自分はあの助け得なかった砂に埋もれた男、自分の父に対して、懺悔の経を読み続けるしかない……。

 トゥンバは顔を上げた。出口、地上だ。

 日差しが眩しい。



第四十九話「遺物展示館」

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