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星草物語  作者: 東陣正則
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ガラスの森


     ガラスの森


 晶砂の砂漠は、単調に見えても意外と変化に富んでいる。砂の風化の程度、色ガラスの混入具合、天然の岩や岩盤の露頭の有無、風に因る波紋の形、そうしたことのちょっとした違いで、砂漠はその様相をがらりと変える。そして晶砂砂漠に彩りを添えているのが、満都時代の遺構である。

 特に晶砂砂漠を南北に繋ぐ伽藍街道は、遺跡街道とも呼ばれ、南から北に向かって歴代の遺構が並んでいる。火炎樹農園の開発が南部から始まり、樹の晶化と伴に北に遷都を繰り返していった結果である。いまトゥンバ氏一行が目指しているオアシス・ギボは、第二朝千七百年前の古都ギボスの遺跡の上に建てられた町になる。

 街道を逆方向から隊商がこちらに向かって近づき、交差していく。

 先頭の毯馬の荷に、塁京のバドゥーナ国の黄旗と、北方アルン・ミラ国のさらに北にあるテリンギット国の旗が翻っている。民間の隊商、民商ではなく、国が仕立てた公商である。運んでいるのは機械の部品。二千キロ離れたドバス低地まで運ばれていく。今でも機械の部品は、光の世紀の物のほうが圧倒的に精度が高い。部品に使われる金属の純度でいえば、小数点下に九がずらりと並ぶ、イレブンナインと呼ばれる超高純度のものまでが、古代なら当たり前に使われていた。今の技術ではどう転んでも作ることのできないものが、古代の遺跡からはいくらでも見つかる。

 公商の一隊が過ぎると、前方にまた目新しいものが見えてきた。

 打ち捨てられた風車とポンプだ。

 周辺に、ボール状になった砂が落ちている。踏むと、ゴムのような柔らかな感触と共に、ボールが潰れ、靴の裏に茶褐色のタールがへばりつく。

 満都末期、押し寄せる砂で、完全に晶化していない非晶化木、木の中に樹脂成分を残したままの火炎樹が埋もれてしまうことがあった。そういう場所で、かつ地中に岩盤の層が広がるような地域では、数百年の歳月の内に、木の中の樹液が地中に滲み出し、岩盤の上で帯状に層となって溜まることがある。一時期そういった地中の樹液層を捜して、石油のように汲み上げることが行われた。

 もっとも今では、そういう非晶化木由来の油層は残っていない。満都滅亡後の千二百年の間に、そのほとんどが汲み上げられてしまったのだ。

 油の汲み上げ機が、ギーッと寂しげな軋み音をたてる。

 タールボールの転がる一角を過ぎ、目にも鮮やかな色ガラスの砂漠に入る。様々な色のガラスが混じり合っている。この周辺は、古代に重金属を多量に含む廃棄物が投棄された場所で、そういう場所では、晶化した火炎樹から七色の虹のようなガラスが生まれることがある。進むにつれて次々とガラスの色が変わっていく。今度は、淡い色のガラスで、割れ目が濡れたように光る。まるで砕けたゼリーだ。

 宝石のような色ガラスのかけらを踏み締めながら歩く。

 カゴに押し込められていたジンバの子供たちまでが、目を輝かせている。

 春香は景色に誘われるように歌を歌い始めた。そして虹色の波と戯れながら歩く。と春香の歌に合わせて、前方から澄んだ細い歌声が聞こえてきた。手灯の少女だ。一瞬春香は緊張したが、付き添いの隊員は、その歌声までは止めなかった。しばらくの間、淡いピンクの晶砂の上を、手灯の少女の澄んだ歌声が流れた。

 やがて砂漠は岩場に取って代わり、夢のような時間は終わりを告げた。

 その後は荒々しい岩場と、荒い砂地が交互に現れる地域となった。

 午後も回った頃、砂丘の上り勾配の傾斜が急にきつくなったと思ったら、ほんの数歩先で、突然砂丘の砂が眼下に落ちこみ、目の前に砂の峡谷が現れた。対岸まで数キロある砂の谷間に、ガラスの森が拡がっている。数日前の嵐で、埋もれていたガラスの森が砂の中から出現したのだ。前方の谷の斜面まで、延々と帯状にガラスの森が続いている。

 足元の砂を崩しながら、砂の坂を下りて行く。下るに連れて、ガラスの枝と幹が目の前を迫り上がってくる。

 谷底に下りると、そこは晶化した火炎樹のジャングルだった。

 ガラスのジャングルの中に、未明に先発した公商の一隊が通った跡が残されていた。

 砂橇の跡を辿りながら進む。

 ぐねぐねと曲がりくねったガラスの幹が複雑に絡み合い、場所によっては天蓋となって頭上を覆っている。見るとガラスの幹の中は空洞、幹や枝がどれもガラスの管になっている。これは火炎樹の根の森なのだ。

 巨大火炎樹は信じられないほど広範に根を広げる。そのため火炎樹農園の地下では、火炎樹の根が盤根錯節と絡みあう。錯綜する複雑怪奇な根系が地上部とともに晶化すると、このようなガラスのジャングルを形成することになる。

 古代に繁茂した緑の木々は、地上部と同量の根が地面の下にあると言われた。死滅した古代の木と比較して、火炎樹は地上部の六十倍の量の根が地下に広がっている。光を必要としない火炎樹にとって、地上部は呼吸に必要な酸素を取り入れる役割を果たせば十分で、地下の根こそが火炎樹の本体に当たる。深さにして六十から七十メートル、木の周囲に至っては数百メートルの範囲に根系を拡げる巨大な樹ゆえに、それが晶化した時に、広大な晶砂の砂漠が形成された。

 晶化した火炎樹の根は、中が空洞になっているために、光の屈折の仕方が地上部の幹とは違ってくる。光が複雑な光の反射の仕方を見せる。

 歩く右手上方、ガラスの森の頭上を横切る黒いロープのような物が目に留まった。埋設されていた電信線が、強風によってガラスの森と併せて露出したものだ。

 ガラスのジャングルを半ばまで進んだあたりで、無数の細いガラスの管が、頭上からシャワーのように垂れ下がっている場所に出た。ガラスの管が途中でどんどん細かく枝分かれしながら傘を広げたように伸びている。花火の弾けた曳光の跡が、そのまま繊細なガラスの管に置き替わったようで、余りの美しさに思わず足を止めて見惚れてしまう。

 その時だ、ジンバの子供が一人、カゴから飛び出した。縛った紐を解いて、逃げ出す機会をうかがっていたらしい。気づいた尼商の女主人が金切り声を上げ、下僕の女が毯馬の引き綱を放り出して追いかける。しかし子供は下僕の女の手を擦り抜け、ガラスのシャワーの間に走り込んだ。

 威嚇しようと尼商の夫が拳銃を取り出す。気づいた巡検隊の隊員が止めようとするが、それより早く鋭い銃声が一行の耳を突き抜けた。

 ガラスのビリビリと震える音が波のように辺りに拡がり、やがてその音が耳の奥に消えたと思った瞬間、ミシッというガラスに重しを乗せたような嫌な音が辺りを包んだ。

 巡検隊の隊長が叫んだ。

「伏せろ、砕けたガラスに体を引き裂かれるぞ」

 警告される間でもなく、四方八方でガラスの幹や枝が、雨垂れが弾けるような音を立てて崩れだした。ガラスが崩落する音に、誰の叫び声か分からない悲鳴が混じる。

 最初の小規模な崩落がさざ波のように第一波として辺りに拡がった直後、耳を塞ぎたくなる雷鳴のような音が、頭上から覆い被さってきた。一斉崩落だ。

 その瞬間、誰もが身を伏せた。

 ほんの一瞬の出来事だったように思う。何かが自分の周りを通過して行ったような感覚で、気がつくと春香はガラスの欠けらの間に埋まっていた。身動きができない。しかし力をこめているうちに、右手が砕けたガラスの上に突き抜けた。

 その手を別の手が握りしめた。大丈夫と話しかけるように両手で温かく包んでいる。

 体を覆ったガラスの上で「ここに女の子が埋まっている、助けてあげて」と声がした。

 手灯の少女だ。

 ガラスを踏みしだく音に続いて、大人たちの話し声が耳に飛び込んできた。

「まったく、あの番頭野郎、こんなところで銃を撃てばどうなるか分かるだろうに」

「喋ってないで早くしろ、この娘、首筋から血が出てるぞ」

 血という言葉を聞いて、春香は頭から血の気が引くのを感じた。

 気を失う寸前、自分に差し出された太い腕の向こうに、頭上にあったガラスのジャングルが消えて、ぽっかりと紺碧の空が広がっているのが見えた。

 全員がガラスの下から救い出された時には、森が崩落してから一時間以上が過ぎていた。

 ガラスのジャングルの一画が、直径百メートル余りにわたって丸く陥没するように崩れ落ちていた。可哀相だが、逃げ出した子供はガラスに押し潰されていた。

 遺物調査隊の隊員の一人が、ガラスの破片で顔に怪我を負い、マカ国の商人の連れている毯馬が一頭首の骨を折った。春香の首の傷は擦り傷で、止血用の軟膏で対応可能。ウィルタとホーシュには、切り傷ひとつなかった。被害が思いのほか少なかったことに皆が胸を撫で下ろすなか、銃を撃った奴隷商の番頭だけが一人、周りから責められるのを避けるように、荷物の陰で悪態をついていた。

 ガラスの森の崩落から二時間後、ようやく一行は出発した。

 口ひげ隊の三人が手分けして周囲を偵察、前方後方ともに、まだ崩落の危険があるということで、ルートを変更して、いったんガラスの森を右に進むことに。そして夕刻が近づいて来た頃、ようやく一行はガラスの森を抜け、峡谷の対岸に到達した。

 砂の斜面を登り、なんとかガラスの森から這い出したものの、本来の街道筋を大きく東に逸れてしまった。捻じりひげの副長が、方位と距離を計測、前方の岩山の向こう側に古い砂掘り部落の跡があることが判明、そこなら水が手に入るとのことで、今夜はその部落跡に泊まり、翌朝オアシスのギボを目指すことになった。

 一件落着の思いで、再び一行は歩き始めた。すでに日は大きく西に傾いている。

 通関所の官吏が祭礼用の土産を潰してしまったと愚痴をこぼし、ジンバ商の女主人と妓娼の中年の女が、先ほどの崩落のことで激しく口喧嘩を続けている。少し離れたところをとぼとぼと一人で歩いているのは、尼商の夫だ。

 そんな一行のなか、荷を直しながら歩いていたトゥンバ氏が、西の空を見て眉を曇らせた。氏が前を行く鎌ひげの隊長に声をかけた。

「隊長、急いだ方がいい、西の地平線を見てくれ」

 鎌ひげの隊長に続いて、部下の二人も声を上げた。毯馬を引いている下僕たちが、派手な動作で西の地平線を指して喚いている。

 霞んだ地平線……、砂嵐だ。

 今いるこの場所が砂嵐に巻き込まれるかどうかは、まだ定かではない。しかし岩山の陰にでも避難した方がいいのは確かだ。

 酷い砂嵐になると、人は息ができずに窒息してしまう。

 一難去ってまた一難。皆がやれやれとの思いで岩山に向かって足を速めた時、先頭を行く捻じりひげの副長が、「駄目だ、ここは通れない」と、悲痛な声をあげた。

 追いついてきた鎌ひげの隊長も気づいたらしく、声を呑む。

 直ぐ後ではトゥンバ氏が額に手を当て、身じろぎもせずにそれを見ている。

 後ろからホーシュが「どうしたの」と聞くと、氏が前方の砂地を指して「砂呑窟だ」と、厳しい表情で辺りに視線を這わせた。

 砂の表面に擂り鉢型の波紋ができていた。波紋の中の砂が内側に向かって沈み込むように動いている。視線を巡らせば、そこにもここにも砂の窪みができている。指摘されなければ気がつかないような小さな窪みから、テントがすっぽりと入ってしまうような大きなものまで、無数の擂り鉢状の窪みが辺り一面に生じようとしていた。

 砂呑窟の擂り鉢は、足を踏み入れると、そのまま砂の中に引き摺り込まれてしまう。ガラスの森を抜けたことで気が緩み、砂地獄の一角に足を踏み入れてしまったのだ。

「戻るんだ、ここは砂呑窟だ!」

 玉ひげの毯馬長が叫んで手を振る。

 逃げるように一行が後ろに退き始めたとたん、今度は隊列を外れて歩いていた尼商の夫が悲鳴を上げた。足がズルズルとあらぬ方向に、のめり込んでいる。砂呑窟の縁に足を掛けたのだ。不用意に近づくと、助ける側の者まで砂に呑まれてしまう。

 鎌髭の隊長がロープを投げた。

 数人でロープを引いて尼商の夫を助け上げながら、もう一度、改めて周囲を見渡す。すると今歩いてきたばかりの後方にも、円錐形の窪みが発生していた。

 砂呑窟……、非晶化木の埋もれている地域は、油の採れる地域でもあるが、同時に油が抜けて木の内側が空洞となった晶化木が埋まっている地域でもある。その空洞化した晶化木が崩れると、地下に空洞ができて、上に積もった砂が地中に吸いこまれる。これが少しずつ砂が空洞に落ちこんでいる場合はいい。問題なのは、何かの衝撃で一気に砂が地下の空洞に流れこんだ場合で、周辺が一面砂地獄となり、地上にあるものを片っ端から呑み込みながら地中に落ちていく。

 もしその穴に吸いこまれたら、十中八九生きて出られない。おそらく、先のガラスの森の崩落の衝撃が伝わって、連鎖的に地中に空洞ができてしまったのだろう。

 息を呑んで立ち尽くす一行の足元の砂が、さらさらと動きだした。

 風が吹き始めていた。

 見上げると、西のぼやけた空が、少しずつ大きな壁のようになって、上に横に拡がりだしている。嬉しくないことに、砂嵐はこちらに向かっている。

 すでに前後左右どちらをみても、砂呑窟の擂り鉢だらけだ。とにかく脱出のルートを探すために、手分けして各方向行けるところまで様子を見に行く。大人たちがどの方角に擂り鉢が少ないか、声高に言い合う。その声がだんだんと上擦ってきた。

 右往左往している大人たちを、春香は映画でも見るように眺めていた。なぜかしら実感が湧かなかった。そのぼんやりと佇む春香の耳元で声がした。

「私はザビ、岩山はどっち」

 傍らに手灯の少女が立っていた。少女の手が、春香の手を握ってきた。赤ん坊のように柔らかな手、ガラスに埋もれた春香を元気付けてくれた手だ。

 ザビと名乗った手灯の少女が、自分の手を岩山の方向に向けてくれという。何をしようとしているのか分からなかったが、春香はザビの手を軽く握り返すと、岩山の方向に向けた。そうしながら、ザビの顔を間近で見て気づいた。春香よりもやや年上らしき手灯の少女は、目が見えないのだ。

 ザビは春香に向かって小さく頷くと、周りの人たちに聞こえるように声を上げた。

「私が道を探します。皆さん、私の後に付いて来てください」

 ピンと張りつめた声でそう呼びかけると、ザビは春香の耳に口を寄せ、

「岩山の方角を手の向きで教えて欲しいの、私は自分の足元しか分からないから」

 空気を含んだ毛糸のような声で言って、ザビは春香の手をしっかりと握りしめた。

 ようやく春香はザビの意図が理解できた。ザビは自身の手灯の能力で砂の下を見定めながら、一行を岩山まで誘導しようと言っているのだ。

 後ろから捻じりひげの副長が叫んだ。

「岩山方向に擂り鉢が多い、後ろの谷に戻った方が良くないか」

 言下に隊長が断じた。

「この砂呑窟は後ろの谷から続いた非晶化木の埋没地帯だ。谷までの間にも砂呑窟が隠れていると考えた方がいい。それに谷に戻れば、砂嵐の突風で森ごと砂に埋め戻されてしまう。前に進んで岩山にさえ辿り着けば、嵐は確実に避けられる」

「しかし、距離が」

「時間がない、生き残りたいやつは前に進め!」

「ぼく、岩山に行きます」

 ウィルタが隊長を後押しするように手を上げた。

 それを合図に、ザビは前方に手をかざし、ゆっくりと歩き始めた。左側に春香が寄り添い、ザビの腕を岩山の方向から逸れないように支える。

 二人の後ろを、皆が足元を確かめるように付いていく。

 一歩、また一歩。

 いつの間にか春香が手灯の少女の誘導役をやっていたが、そのことを調査隊の随行員たちは咎めなかった。危険が迫ってくると臆病な毯馬はしゃがみこむ。その毯馬を座らせないようにすることで、随行員たちは手一杯なのだ。

 足元の砂が滑るように流れだす。風が強さを増してきた。

 この地では爆風のような強風が吹き荒れることがある。砂に埋もれたガラスの森を一夜の内に露出させるような強風だ。岩陰にでも避難しなければ、あっという間に吹き飛ばされてしまう。毯馬はまだしも、砂を大量に含んだ強風に曝されると、人は息ができなくなる。無理に呼吸を続けようとすると、微細な砂が肺に入り込み、結局は窒息してしまう。いつの間にか、大人たちはみな防砂眼鏡をつけていた。

 春香も氏から防砂眼鏡を渡された。砂に擦られた眼鏡は、磨りガラスのように見通しが悪い。砂の壁で遮られて西の空は見えないが、頭上には夕日に彩られた真っ赤な空が広がっている。しかしその毒々しい赤が、災厄の前触れのようで、心が不安になだれ込む。

 手を前方にかざしながら、ザビは一定の歩調で歩を進めている。

 風が耳元で唸り、その音に砂のぶつかる音が混じる。

「名前はなんていうの」

 唐突に、ザビが話しかけてきた。

「風が強くなると、喋っても聞こえなくなるから」

 春香が自分の名を名乗った。

「そう、あなた、あの古代の歌を誰に習ったの」

「古代の歌?」

「あなたが歌った歌、あれ古代の歌よ。ここの遺跡では光の世紀の遺物もよく出るの。私は目を潰されて楽しみがないから、町に戻ると音盤ばかり聞いているの」

 音盤というのは、音楽を録音したディスクのことだろう。すれ違った隊商が荷橇に乗せて鳴らしていたやつだ。春香は少し迷ったが、自分が古代の人間で、冷凍睡眠から目覚めたことを話した。

「あらそう、どうりで」

 ザビの声が嬉しそうに弾んだ。

「わたし、今の歌より、古代の歌の方が好きなの。嬉しいな、昔の歌を知ってる人がいて」

 春香はどちらの時代の歌もいいと思うけどと言いたかったが、それを口にはしなかった。

 歩を進めながら、ザビが自分の身の上を話しだした。

 ザビは四歳の時、ジンバとして晶砂砂漠東の鱗堆丘という地域から売られてきた。家畜が病気で全滅、両親が食うために娘の彼女を売ったのだ。

 でも自分は親を恨んではいない。特殊な能力のおかげで、ジンバとしては破格の暮らしをすることができたし、それに自分を売った金で残った妹や弟たちが食っていけたのだとしたら、自分は凄く役に立ったことになる。それに地面の下を覗く仕事は思ったよりも楽しいことだった。自白剤を飲まされることは苦痛だったが、それは仕方ない。色々な物を砂の下から発見したが、秘密の離宮を見つけて、その中に棺、それも人の入った棺があるのを感じた瞬間が一番ドキドキした……。

 ザビは思いついたことを切れ目なく口にする。

 風が強くなり、飛び散る砂で前方の岩山が霞み始めた。

 春香がザビの話を遮るように、「岩山が見えない、ちょっと待って」と叫んだ。

 声が聞こえたのだろう、真後ろにいた捻じりひげの副長が、春香の手に磁石を握らせた。

 磁石を眼鏡にくっつけるようにして方角を確かめ、ザビの手を岩山に向ける。ところがザビが身を固くして動かない。

「困ったわ、まだ地面の下に空洞は続いているのに」と、ザビが声を震わす。

「どうしたの、岩山はあっちだけど」

 覗き込む春香の目に、ザビの困惑した表情が見えた。

「だめ、力が無くなりかけている……」

 ザビが弱々しい声で続けた。

「この数日、手の平の目が霞むようになってきたの。私みたいな能力の人間は、大体十五才を過ぎると力が衰える。わたしはもう十七歳、よく持った方だと思うわ。でもどうやら、私の能力が尽きる時が来たようね、体もだるいし」

「そんな……」

 春香はザビの腕を握りしめると、励ますように前方に伸ばした。ザビが歯を食いしばりながら背筋を立てた。

「さっき、ちらっと見えたの、かなり大きな空洞がこの辺りにあるはず」

 自身を叱咤しながらザビが足を踏み出す。しかし白い肌には朱が差し、息も荒い。地面の中を透視しようとして無理をしているのだ。

 ザビが膝を折った。春香はザビの体を抱きかかえると、振り返って叫んだ。

「ウィルタ、ちょっと前にきて、早く」

 三度ほど怒鳴って、ようやくウィルタがやってきた。防砂眼鏡にピシピシと砂が弾ける。

 春香がウィルタの耳元で怒鳴った。

「ウィルタ、わたし一人じゃ、ザビちゃんの体を支え切れないの、右から支えて」

 周りの人に聞こえるように大声で呼びかけると、すかさず声を落として、

「ウィルタ、ザビちゃんね、疲れて地面の下が良く見えないの。お願い、ウィルタのあの能力を使って。ウィルタなら、地面の下を見ることができるでしょう、お願い」

「え、だって……」

 突然請われて躊躇するウィルタに、春香が今までにない強い口調で迫った。

「時間がないの、ウィルタだって砂に呑まれたくないでしょ、みんなの命が掛かっているのよ」

 逡巡するウィルタの腕の中で、ザビは気力が尽きてしまったのかガクッと首を垂れる。

「ザビちゃん」

 叫びながら、春香が必死でザビの体を起こす。それを見て決心がついたのだろう、ウィルタはザビの体に腕を回しかけたまま、目の奥に意識を集中した。

「どうした」と、後ろから捻じりひげの副長の声が飛ぶ。

「眼鏡に砂が入ったの、ちょっと待って!」

「急げ、嵐の壁が来るぞ」

 副長の急かすような太い怒鳴り声が、あっと言う間に風に掻き消されてしまう。

 前からの風は受け止めやすいが、横からなぶられると、どうしてもよろけてしまう。後ろを付いてくる人たちも、腰を屈め、足を踏ん張りながら歩いている。

 口元を引き絞ったような顔つきのウィルタの目が、輝き始めた。

「見えた!」というウィルタの小さな叫び声が、風に押し流される。

 ザビの肩の下に腕を差し入れると、ウィルタはエイッと足を踏み出した。

 また後ろから「急げ!」という声。

 砂が足元を糸を引くように走る。風で足元の砂が抉られて、体のバランスを崩しそうになる。風が強くなるにつれて、露出した皮膚の部分に飛来した砂がパシパシとぶつかり、針で突いたように痛む。砂嵐が近づいていた。視界が狭まってくる。

 上空を飛ぶ砂で光が遮られて、辺りはあっと言う間に夕闇の暗さに変わった。もう後ろにいる人が誰なのか分からない。地鳴りのような音が轟き始める。

「切れた、空洞が無くなった」と、ウィルタの声。

 頭痛が始まったのだろう、こめかみを手で押さえつつ、ウィルタが「岩壁へは、あと、四百メートル」と、声を張りあげた。

 復唱するように、春香が後ろに向かって叫ぶ。

「抜けたわ、岩壁まで、あと四百メートル!」

 後ろに続く一行が、風に抗いながら前に向かって駆けだした。もう誰も毯馬は引いていない。毯馬は途中で座り込んでしまったようだ。

 春香の横でウィルタが膝をついた。それを後ろから来た鎌髭の隊長が支える。

 バチバチと猛烈な勢いで砂が眼鏡に打ちつける。布で鼻と口を塞いでいるのに、風の圧力で砂が口の中にも割り込んでくる。吹き飛ばされないように歩くのが精一杯だ。

 体を揺さぶるような風だが、風にも息をするように強弱がある。フッと息を継ぐように砂の幕が途切れ、前方にぼんやり岩襞に挟まれた洞窟が見えた。

 右でも左でも競争するように全員がよろめきながら走る。

 次々と大人たちに追い越されるなか、春香はザビの腕を掴んで必死に風に抗っていた。唐突にザビが春香の腕を掴んで引き離した。砂が防砂眼鏡を雨のように洗っている。

ザビが春香に顔を寄せた。

「ありがとう、春香ちゃん、私はここでいい」

 ザビが春香の手を握り締めてきた。

「手灯の人間は、能力が無くなればお払い箱、後は薬の副作用に苛まれる余生が待っている。私はそんな人生を送りたくない。私は、私に相応しい死に方をしたい」

「それって……」

 ザビが何を言おうとしているのか、春香には分からなかった。ただ手首を握り締めたザビに、有無を言わせない何かを感じた。雨のように砂が吹きしぶるなか、ザビの口元が微笑む。ザビの手が春香の手首から離れた。

 砂と砂がぶつかりながら飛び散るノイズのような音に混じって、ザビの声が遠い世界からの木霊のように、春香の耳の奥を過ぎていく。

「ありがとう、最後に自分の能力を人を助けるために使えて良かった。それにあなたの歌を聞けて楽しかったわ」

 吹きつけ弾ける砂のなか、ザビの影が岩壁とは反対の方角、いま来たばかりの方向に向き直った。

「ちょっと、どこへ行くの?」

 呼び止めようとする春香の頭のなかで、声のようなものが鳴る。

「私には見えた。砂の下に小さな祠が埋まっていた。色ガラスの花柄のモザイク模様で飾られた祠。私の故郷にもよく似た祠があった。あれこそ私の棺に相応しい」

 岸壁の方角から風に混じって声が届く。

「何をしている、早くしない……と、吹き飛ばさ…れる、ぞ……」

 砂が声を途中から消し去る。もうザビの姿は見えない。さっき聞こえた声も、実際の声ではなく、心の声だったように思う。

 春香の頭のなかに、ザビの心の声が残響のようになって響き、遠ざかっていく。

「ありがとう、春香ちゃん、もし私の両親に会ったら、私は誰も恨んでなんかいないと、そう伝えて。きっとお父さん、私を人買いに売ったことを、悔いていると思うの……」

「ザ、ビ……ちゃ、…ん」

 叫ぼうとしても砂が口元を洗って口を開けることができない。何とか岩山のある方向に向き直ろうともがいていると、誰かが春香の腕を引っぱった。トゥンバ氏だ。

「急げ、突風が……、砂の壁が来る」

 氏に引きずられるようにして、春香は岩山に運ばれた。そして岩壁の隙間に入ろうとした瞬間、突風の第一陣が岩山をなめた。猛烈な旋風で春香の体は浮き上がり、岩にぶつかる。そしてそのまま春香は気を失ってしまった。



第四十七話「オアシス・ギボ」

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