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星草物語  作者: 東陣正則
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新種の火炎樹


     新種の火炎樹


 翌日は強行軍となった。

 砂嵐で地形が変わり、目的地まで予定外の迂回路を通らなければならなくなったのだ。

 毯馬二十頭の公立の搬送隊は、急ぎの荷とかで、日が昇る前に出発。昨夜砂掘り職人の部落に泊まった残りのメンバーが、一団となって街道を進む。

 手灯の少女を帯同した遺物探査隊、巡検隊チームの三人、オアシス間を行き来する妓娼、休暇で住まいのあるオアシスに戻る通関所の官吏、塩と固乳を運ぶマカ国の商人一行、ジンバ商の夫妻と下女と商品の子供たち、それに坊商ダルトゥンバ氏の小隊。人が三六名と毯馬が四十二頭という賑やかな行軍である。

 ジンバの子供たちは、昨夜一人が売られて計八名。巡検隊の三人は、職人部落の発掘品の搬送を頼まれた関係で、毯馬に荷を積み、自分たちは毯馬の背を降りての歩きだ。隊長は別として、部下の二人は予定外の荷の搬送をぼやくことしきり。毯馬に乗っているのは、手灯の少女と、餅太りの尼商の二人だけである。

 オアシスの祭礼には大きな市が立つ。もちろんジンバ市もだ。そこで子供たちを売る予定にしているらしく、尼商の連れあい、痩せぎすの夫が、巡検隊の隊長に召使用の女ジンバの相場を質問していた。この番頭役の尼商の夫と、鎌ひげを生やした巡検隊の隊長は、その後道々何度もジンバの市況について話を交していた。

 ちなみに巡検隊の三人の隊員は、三人が三人、個性的な口ひげを生やしている。隊長は大きな鎌ひげ、副長は捻り餅のような捻れひげ、毯馬長は犬の金玉のような玉ひげである。この巡検隊の一行を、皆は口ひげ隊と呼んでいた。この口ひげ隊の三人は、みな声が大きい。特に副長の捻りひげと毯馬長は、辺りはばからず闘馬レースの話を繰り返している。その中に翠騏という言葉が混じる。どうやら最近のレースで、ぶっちぎりで優勝をした駿馬がいるらしい。春香は翠騏という言葉に、ユカギルのパーヴァの宿を思い出した。

 翠騏と比べれば亀にしか見えないであろう人の歩みだが、隊商の行軍に前後の順はない。手灯の少女と、前後を固める護衛の二人を除けば、みな歩く順番を変え、前になり後になりしながら歩を進める。隊列の位置を交代しながら、見知らぬ人と話を交わし、単調な砂漠の行軍の気を紛らすのだ。

 トゥンバ氏の一行は隊列のやや前寄り、春香はセグロに背を並べて歩いていた。

 春香は時々咳をついて、風邪気味を装っていた。下手に人と話を交わして、ぼろが出ると面倒だと思ったのだ。おかげで朝から声を掛けてくれたのは、巡検隊の隊長さんだけだ。この世話好きの隊長さんは、春香の様子を見ると、直ぐに丸薬を渡してくれた。

 見ていると、鎌ひげの隊長さんは誰とでも話をする。尼商の下僕と話をしていたかと思うと、マカ国の商人、その次はウィルタやホーシュといった具合にだ。大人としては、落ち着きがないと思えるくらいである。ただこれも氏に言わせれば、仕事、情報収集ということらしい。

 一人ポツンと歩く春香だったが、そんな春香も手灯の少女とは話がしてみたいと思った。そこで靴の紐を直すふりをして、後方の手灯の少女を乗せた毯馬が近づくのを待つ。ところが少女を乗せた毯馬に寄り添って歩こうとすると、護衛の隊員に睨まれてしまった。仕方なくセグロの横に戻る。その春香のすぐ斜め前で、トゥンバ氏が通関所の官吏と話しこんでいた。熱心に話す声が春香の耳に入ってくる。

 話のなかに、度々『新種の火炎樹』や『事件』『発見』という言葉が出てくる。どうやら二人は、いま晶砂砂漠で進行している、ある事件を話題にしているらしい。

 春香はセグロの横から一歩前に出て、二人の話に聞き耳をたてた。


 その事件とは……、

 話は一日遡り、昨日の通関所でのことになる。

 砂漠に巡検隊の姿が目立つことを受けて、トゥンバ氏は色裏地の係官に「何かあったのか」と尋ねた。「どこもその話で持ち切りだからな」というのが係官の返事であったが、いかにも何か事件でも起きているような口ぶりである。通関の職員は、職務上余分な話をしない。だから氏は、それ以上話の内容に踏み込まなかった。

 ただ通関所を出て職人部落に着くまでの間、氏自身は、ずっとそのことを気にかけていた。街道筋に巡検隊員の姿が目立ち、明らかに普段とは違った空気が流れている。昨日の朝以来、ゲルバの電鍵放送を聞いていない。自分の仕事に影響を与えるようなことでも起きていなければと、そのことを気にかけつつ、氏は職人部落に到着したのだ。

 そして首官の家で挨拶代わりの読経を終え、さっそく誰かにそのことを確かめようと思っていた矢先、回茶の席で誂えたようにその事が話題になった。その内容、それは昨日の午後に、ゲルバの定時放送で流された、『新種の火炎樹発見の続報』についてだった。

 もてなしの回茶を口にしながら、氏は納得した。確かに巡検隊員が走り回るのも理解できる事件が、この砂漠で起きていたのだ。

 

『新種の火炎樹発見の続報』、この『続報』のことを語るには、まず『新種の火炎樹』についての説明が必要になる。『新種の火炎樹』、つまり春香たちがタクタンペック村で目にした人の背丈よりやや高いほどの火炎樹や、砂漠のあちこちでガラスの塊となって残っているビルほどもある巨大な火炎樹とは別種の火炎樹のことである。

 話は千三百年ほど前、満都末期に遡る。巨大火炎樹によって支えられてきた満都の隆盛に蔭りが見え、オーギュギア山脈東の広大な万頭平原が、ガラスの砂漠に変わり始めた頃のこと。このまま行けば、早晩、満都はガラスの砂漠に埋もれてしまう。そういう状況の下で、満都の人々は必死に生き残る手段を模索していた。

 その最も有力な方法が、新しい火炎樹を開発するということだった。

 繰り返しになるが、満都の繁栄を支えた巨大火炎樹の栽培は、膨大な量の肥沃な土壌があって初めて可能になる。生きた化学工場でもある火炎樹は、土壌と同時に、樹の内部で進行する化学反応に大量の水と酸素を必要とする。そのため乾燥地では水が、湿地帯では酸素が不足してほとんど育たない。栽培適地が思いのほか限られるのだ。

 その肥沃な土壌と、水と排水という好適な条件の揃っていたのが、万頭平原を初めとする大洪水時代が造り出した幾つかの土壌の集積地だった。ところが大陸各所に偏在している栽培適地は、巨大火炎樹誕生後の五百年で、すでに開発し尽くされ、どこも火炎樹の育たないガラスの砂漠に変わりつつある。

 この巨大火炎樹の栽培適地を拡げるべく、火炎樹の改良が試みられた。

 小型でもいい、過酷で劣悪な環境下でも育つ火炎樹の開発が目論まれたのだ。

 水に浸かった湿地でも、雨のほとんど降らない干天の地でも、海水面の低下で露出した塩の噴き出すような海浜地帯でも、水と通気の条件を考えなければ、土壌資源自体はまだまだ残されている。巨大火炎樹ほどの樹液の収量を期待しなければ、新しい火炎樹の開発は意外と簡単なのではないか、そう専門家は踏んでいた。光の世紀が終わりを告げた後、何もない無から火炎樹という擬似生命体を開発したことに比べれば、今ある火炎樹を改良すればいいだけだからだ。

 ところが、この火炎樹の改良が難航する。

 結果として、満都栄える万頭平原が刻々とガラスの砂漠と化していく時間との競争のなかで、新しい火炎樹は誕生しなかった。満都最末期にようやく造りだされた改良型の火炎樹も、巨大火炎樹をそのままミニチュアにしたような矮性の火炎樹で、樹の性質自体は巨大火炎樹と変わらず、都の衰亡を押し留める特効薬にはならなかった。そして巨大火炎樹に支えられた満都や類似の小満都は、ガラスの砂漠に埋もれていった。

 満都なき後、人々は、人の背丈ほどの矮性の火炎樹を、大陸各所に残された土壌資源を落ち穂拾いのように捜して植え付けることになった。享楽の満都時代の反動のような、貧窮の時代の到来である。

 光の世紀から満都時代を経て二千年余り、大陸の土壌はほとんど食い潰され、残されたのは、ガラガラの岩の転がる曠野であり、水に浸かる湿地帯であり、砂漠地帯であり、露岩地帯であり、一年を雪と氷に閉ざされた氷雪地帯であり、火炎樹の苗を植えても、ほとんど生長を望めない痩せた土地ばかりである。地熱や石炭、あるいは風力や水力の利用は、人に暖を与えても腹を満たしてはくれない。折しも大陸のいたる所で家畜に奇病が流行し、大陸中に飢餓が広がる。人が明日の糧にも窮する暮らしを余儀なくされる日々が続いた。

 そんな中、いつも人々の口に上る噂があった。

 それが『新種の火炎樹』である。

 満都滅亡当時から、新種の火炎樹の開発が実は成功していたらしいという噂が、陰に日向に囁かれていた。理由は定かではないが、巨大火炎樹を改良して造り出された幾つかの性質の異なる新種の火炎樹は、すべて当時の為政者によって闇に葬られてしまった。ただその火炎樹群は、完全に破棄されたのではなく、一部は封印して残され、今もこの砂漠の晶砂の下で眠っている。そしていつか時が満つれば、掘り出されて満都再興の礎になるだろう、そういう話である。

 何の確証もない噂話。頭から信じる人はいない。

 ただそうあって欲しいとの希望を込め、人は繰り返しその話を語り続けた。

 今でも火炎樹の改良に取り組んでいる国や研究者はいる。しかし満都滅亡から千二百年、未だに成功の話は聞かない。満都が総力を挙げて取り組んでも開発できなかった物が、今の貧窮の時代にできるはずがない、そういう悲観的な意見を口にする者がほとんどだ。

 そして相変わらず先の見えない忍従の時代が続くなか、今からちょうど三十年前のこと、晶砂砂漠のとある遺跡から、なんとその『新種の火炎樹の種』が発見された。

 火炎樹の研究開発が行われていた満都北部とは別の中西部の遺跡で、カプセルに封印された形でそれは見つかった。どういう経緯でその場所に新種の火炎樹の種が持ちこまれたのか、今となっては知るよしもない。ただ発見された種は、明らかに満都が生き残りをかけて開発した、新種の火炎樹の一品種と見られた。

 その新種の火炎樹は、特徴を一口で言えば、『湿地性の火炎樹』ということになる。一年中水に浸かりそうな湿地でも枯れることなく生長し、豊富な樹液を湧き出すように溢れさせる。むろん、かつての見上げるほどの高さに育つ巨大火炎樹とは比べるべくもないが、十分に人の糊口を潤す樹液を生産してくれる、飢餓の救世主としての火炎樹だった。

 その『湿地性の火炎樹』の発見によって、今まで火炎樹の農園開発を行いたくても行えなかった湿地帯の開発が、大陸各地で始まる。その最大のものが、大陸中東部のドバス低地を流れる、大河グンバルディエル沿いの大湿地帯である。

 その大湿地帯で火炎樹農園の開発が始まって三十年、この大陸で一番の繁栄を謳歌する『塁京』と呼ばれる地域が誕生した。そして『塁京』の繁栄に負ぶさる形で、この一千年売れる当てのなかった砂漠の遺物にも、買い手がつくようになる。昨今の晶砂砂漠の活況は、まったく塁京の繁栄に因るものだった。

 しかし、『湿地性の火炎樹』の発見は、砂漠を統括するゲルバ族の人たちに、禍根といってもよい大きな教訓を残した。新種の火炎樹、つまり『湿地性の火炎樹』は、明らかにゲルバ族の先祖が生みだしたものである。ところが種を発見したのが旅の異民族であり、またそれがすぐに他国の商人の手に買い取られたこともあって、新種の火炎樹の恩恵にゲルバ族は与ることができなかった。

 もしあの種をゲルバ族自身の手で発見していれば、大湿地帯の開発の主役は自分たちで、もう一度満都の栄華を蘇らせることも可能だったし、塁京の繁栄のお零れに与る立場に甘んじなければならないこともなかった。その自省の念が、ゲルバ族の指導者のなかに、抜くことのできない刺のように残った。もしも再び新たな新種の火炎樹が発見された暁には、それを自分たちの手で管理し、来るべき富と繁栄をこの地にもたらす。それが憲法の条文のように、ゲルバ一族の心の中に刻みこまれた。

 そして幾星霜が流れ、湿地性の火炎樹の発見から三十年後のこの夏、一つの事件が起きた。砂漠のただ中で、ミイラ化した状態で一人の人物が発見された。ゲルバ族の事務官で、旅行中に道を失って遭難したらしい。そのミイラ化した男のザックに、火炎樹の種が入っていた。

 現在普及している矮性の火炎樹は、種皮が赤褐色をしており、また湿地性の火炎樹は黄褐色である。対して事務官のザックから出てきた種は、種皮が白銀色で、サイズも一まわり大きかった。重さも一粒一キロを超え、明らかに別種の種と見て取れる。

 遭難した事務官が、重荷となる種を五個も持ち歩いていた。合わせて五キロ。事務官は餓死するまでそれを背負い続けた。なぜか。事務官は職業柄、几帳面に旅の記録を書き記している。その日記が紐解かれた。日記には、迷いこんだ遺跡の中で種を発見した状況と、種の保存容器のラベルに印字された古代の文字が書き写されていた。

 満都の時代より今でも、専門家は研究の記録を、古の言語を用いて書き記す習慣がある。ラベルに書かれた文字を判読できなかった事務官は、種の保存容器に書かれていた文字や文章を、そのまま手帳に書き写したのだ。

 ラベルに書かれていたのは『耐塩性品種、1738』、数字は開発番号と推測される。三十年前に発見された『湿地性の火炎樹』が、やはり924という開発番号を持っていたことや、カプセルの中にゲル状物質と共に封入されていたという種の保存状況が、三十年前に発見された『湿地性の火炎樹』と同じであること。そのことからしても、この銀白色の種が、かつて満都時代に開発されてそのまま封印された新種の火炎樹であることは間違いないと、判断された。

 直ちに検証のための試験が始まる。

 言うまでもなく寒冷化のなか、大陸の沿岸河口部には、どこも海水面の低下で露わになった塩性の湿地が広がっている。そこは緑の消失以後、陸地の肥沃な土壌が怒濤の洪水によって運ばれ続けた場所であり、かつ塩分のために今まで利用不能とされた場所でもある。いま繁栄を謳歌している塁京の位置するドバス低地も、その半分以上は塩性湿地なのだ。もしこの新種の火炎樹が、ラベル通りの『耐塩性の火炎樹』であるなら、その広大な塩性湿地の開発が可能になる。

 種は五個。一個が塩水の中で発芽試験に処された。

 ゲルバ族の指導者や専門家の見守るなか、白銀色の種から擂り粉木のような掌芽が立ち上がり、その後の生長試験から、白銀色の種が、まぎれもなく耐塩性の性質を備えていることが確認された。それがつい一カ月ほど前、九月末のことである。

 その段階で、ようやくゲルバ護国を統括するゲルバ評議会は、ミイラ化した事務官が砂漠で発見されたこと、事務官が携行していた火炎樹の種が新種の火炎樹であったことを、砂漠の民に公表した。

 遭難した事務官の発見から発表まで、約四カ月の時が経っている。ゲルバ評議会の広報官は、遭難した事務官の発見と未知の火炎樹の種、この二つの件を公表せずに伏せていた理由をこう説明した。発見された種が本当に新種の火炎樹であるかどうかの確認試験に手間取ったということ、また発見された種が本当に新種の火炎樹であるなら、今度こそ、その種を使って満都の再興を図らなければならない。その戦略を立てるのに時間が必要だったためであると……。

 評議会の説明に、誰もが頷いた。

 なぜなら、満都滅亡後の長い年月は、砂漠の民から火炎樹の栽培技術を奪っている。それに今のゲルバ族が支配している晶砂砂漠に、新種の火炎樹の開発に適した塩性湿地はない。新種の火炎樹が手に入ったとして、実際にそれでどう満都を再興するのか、その難しさは容易に推し測れる。

 ゲルバ評議会が、新種の火炎樹の発見を公表すると同時に示した満都再興のプランは、一言で言うとこうなる。つまり、ゲルバ護国が火炎樹の『種子ビジネス』に参入するということだ。狙いは火炎樹の種の販売、その独占である。新種の火炎樹の『親種』は外部に出さない。不稔性の種を大量に培養して、それを大陸中の種を必要としている地域に売りつける。それは取りも直さず、いま北方の大国アルン・ミラ国が行っている、不稔性種子の培養と販売ビジネスを、新種の種を使って踏襲するということである。

 このゲルバ護国の種子ビジネス参入の方針が、新種の火炎樹発見の報と同時に諸外国に向けて喧伝され、そして白銀色の種と不稔性の見本苗が、オアシス・ギボで公開されたのが、つい二週間前のことになる。


 そこまでの事態の推移は、トゥンバ氏自身も把握していた。

 砂漠とその周辺の住人にとって、今回の白銀色の種の発見というニュースは、大きな期待を持って受け止められている。ゲルバ護国の未来がかかった重大事なのだ。そのためどこもこの話で持ち切りで、耳を塞いでいても情報は入ってくる。

 氏は買いつけた苔茶を毯馬に積み、砂漠の裏街道を辿りつつ、ホブル家を経てこの伽藍街道に到達する間も、常にゲルバの電鍵放送に耳を傾け、発見された火炎樹の種の動向に注意を払ってきた。ところが、セグロのせいで電池が破損、放送を耳にすることができない間に、新種の火炎樹に関して重大な放送がなされた。

 それがつまり『新種の火炎樹発見の続報』である。

 この『続報』……、

 氏は最初、『続報』という言葉を耳にした時、すぐにオアシス・ギボで公開されている種が盗まれたのではと考えた。

 ゲルバ護国が耐塩性の火炎樹の発見と種子ビジネスへの参入を公表すると、時を置かずして、そのことによって一番影響を受けるであろう北方のアルン・ミラ国の情報局員が、大挙、晶砂砂漠に入りこんだというニュースが流れた。アルン・ミラ国の目的は明白である。耐塩性の火炎樹の種を手に入れようというのだ。五個ある種はどれも母種。この五個の母種の内の一個でも入手すれば、不稔性種子の大量培養にかけては他の追随を許さないアルン・ミラ国のこと、簡単に新種の火炎樹の種子ビジネスを独占することができる。

 氏は、アルン・ミラの手の者が種を盗み出したのではないか、そしてそのアルン・ミラの手の者を探して、巡検隊員が砂漠を右に左に走り回っているのではと考えた。

 しかしその予想は見事に外れた。

 上席に座っていた職人部落の首官が、氏の心の内を見透かしたように「盗まれたのは種ではなく、種を発見した事務官の手帳だ」と、いわく有りげに語った。

「手帳が?」

「そうだ、その手帳に、あることが書かれていた」

 手帳が盗まれたのが三日前。そしてゲルバ評議会が極秘扱いにして、一切公表してこなかった手帳の内容が一般に漏れ伝わる。

 事務官の日記には、「発見した遺跡の研究施設の中には、『耐塩性の火炎樹』と同時に、もう一つ『別の火炎樹』の種があった」と、記されていたというのだ。

 事務官は、もう一つの別のカプセルに入った火炎樹の種も持ち出そうと試みた。しかしながら固定された容器のために、カプセルから種を取り出すことができなかった。それでも事務官は、容器のラベルだけは、耐塩性の火炎樹のラベル同様、しっかりと書き写した。説明文と共にだ。

 開発番号は1002番、そして書き写したラベルの内容が問題だった。

 砂掘り職人の首官は、氏の反応を楽しむように、その言葉を口にした。

「日記に書かれていたラベルの古代文字を翻訳すると、『黄金の火炎樹』になるそうだ」

 思わず首官の顔を見やる氏に、首官は続けた。

 つまり、新種の火炎樹、耐塩性の火炎樹発見の一報が、種が発見されてから四カ月も過ぎてからになったことの本当の理由がそこにある。

 ゲルバ評議会は、新種の火炎樹発見の公表が遅れた理由を、発芽試験や種子ビジネスに参入する計画を策定するのに時間を要したと説明したが、事実は、日記に記された『黄金の火炎樹』という言葉のために、日記そのものが、砂漠で道に迷った男の妄想ではないかと疑われたのだ。

 事務官の持ち出した種が本当に耐塩性の火炎樹であることが確かめられるまでは、手帳の内容は信用できないと、ゲルバ評議会はそう判断。そして発芽試験の結果、種が耐塩性の火炎樹であることが確かめられて後、初めて種子ビジネスへの参入の検討が始められた。それが新種の火炎樹の発見の報がこれほどまでに遅れた一番の理由だった。種の試験だけなら、一カ月もあればできることだからだ。

 盗まれた手帳から漏れた『黄金の火炎樹』の噂は、ほんの二日間のうちに砂漠の周縁部まで拡がり、そして噂を追いかけるように、手帳を探してアルン・ミラ国が探索隊を組織しただの、ゲルバ評議会が手帳を取り戻した者に法外な賞金を出そうとしているだのという、様々な情報が飛び交い始めた。

 当初、ゲルバ評議会は『黄金の火炎樹』の噂など、誰も信じないだろうと踏んでいた。

 ところが、噂が砂漠周辺からさらに外部の国々にまで飛び火するのを見て、早期に声明を出すのが妥当と判断。昨日、その第一報として、砂漠内に臨時のニュースを流した。

 ゲルバ評議会は声明として、この間の種子発見の経緯と、手帳の盗難騒動から発生した噂に対する見解を出した。

 発見者の手帳はまだ評議会の元に保管されており、盗まれたのは手帳の写しであること。その手帳には、黄金の火炎樹などという記載はどこにもない。新種の火炎樹の発見の報が発芽試験の後になったのは、ゲルバ護国が今後種子ビジネスに参入することを考慮し、正確を期したためであり、かつ、できれば評議会としても、新種の火炎樹が発見された場所を特定するべく捜索を進め、その結果が出るのを持っていたからであると。

 評議会は放送の最後に、『耐塩性の火炎樹』の母種と、その不稔性の苗の展示が、オアシス・ギボで行われていることを宣伝。併せて砂漠の民は巷間の噂に惑わされることなく、満都の末裔として祈りを忘れないようにと呼びかけ、臨時ニュースを締めくくった。


 いったいどこまでが真実なのだろう。首官の話に耳を傾けながら、氏は「よりによって『黄金の火炎樹』とは……」と、絶句した。

 そもそも『黄金の火炎樹』とは、子供向けの伝説に登場する火炎樹のことである。勇敢な若者が、龍にさらわれた天の姫を助け、その褒賞として天より恩寵された火炎樹を指す。あらゆる環境の元、土など無くとも天を突くほどに育ち、溢れる泉のごとく樹液を湧き出させる豊穣の樹。種が黄金色に輝くことから、黄金の火炎樹と名づけられた。

 だがそれは、あくまでも伝説の中での話だ。土がなくとも育つ火炎樹、枯れることなく永遠に樹液を出し続ける樹、そんなものが現実に存在するはずがない。

 盗まれた事務官の手帳に黄金の火炎樹の話が書かれているという噂を、当初評議会が一笑に付したのは当然の事だろう。

 もし噂を認めたりしたら、その理想の火炎樹を探す輩が晶砂砂漠に殺到する。

 そうでなくとも新種の火炎樹発見の件が報じられて以降、まだ他にも新しい火炎樹があるのではと、宝捜しのように砂漠に侵入する輩が後を絶たない。そういう不逞の輩は、たとえ目的の火炎樹が見つからなくとも、遠征してきた見返りをこの地に求める。砂漠の周縁部では、このところ頻繁に騒動が持ち上がっていた。それに現実的な判断もある。耐塩性の火炎樹を売り出すにあたって、それよりも遥かに素晴らしい火炎樹が存在することを公表するのは、誰が考えても商売にマイナスに働くだろうからだ。

 氏は考えていた。

 ゲルバ評議会の声明のように、手帳の写しが盗まれたというのは事実だろう。だとしてそこに黄金の火炎樹の記載があろうがなかろうが、そのことを噂として流布して利益を得るのは誰か。それはアルン・ミラ国しかありえない。

 おそらく、アルン・ミラ国としては、手帳を盗み出し、そこに記載されてあることを手がかりにして、事務官が種を手に入れた遺跡を捜し出そうとしたのではないか。しかしゲルバ評議会の言うように、手帳にはその場所の手がかりなど何も書かれていなかった。それはそうだ、手帳に位置が書き記せるくらいなら、事務官は遭難などしなかっただろうから。そこでアルン・ミラ国としては、次善の策として、黄金の火炎樹の話を噂として流すことで、この地域を混乱させることを狙った。あわよくばゴールドラッシュのように人がこの地に押し寄せ混乱すれば、その隙に乗じて、もう一度新種の火炎樹の種を入手する策を弄するつもりではなかったか。

 しかし、とも思う。

 評議会も黄金の火炎樹の噂を完全に払拭しようと思えば、事務官の手帳を公表すれば良いのだ。それを未だに公表しないということは、そこにやはり機密とすべき何かが書かれていたということになる。なら、それは何か……。


 黒毯馬の手綱を手に、トゥンバ氏は官吏の男と話しこんでいた。

 聞き耳を立てるのに疲れた春香がセグロの横に下がると同時に、官吏の男も同僚に呼ばれて氏の側を離れた。

 一人に戻ったトゥンバ氏は、話し過ぎた肺に一息入れるようにキセルを取り出した。

 そして雲一つない空に紫煙を吐き出すと、「それにしても、黄金の火炎樹とは……」と、感嘆のため息をついた。もし噂通り手帳に黄金の火炎樹のことが記載されていたらという考えが頭をよぎったのだ。もし黄金の火炎樹が実在したとしたら……。

 いかなる土地でも豊かに育ち、溢れるような樹液をほとばしらせる木があれば、世界は薔薇色の楽園になるだろうか。

 眼の前には、果てしない砂の地平線が拡がっている。今の自分には、ここが見上げるような火炎樹の林に覆われていた時代の光景など、想像もできない。そして古代にここが、形は違えど、やはり見上げるような鬱蒼とした森に覆われていたということもだ。

『過去は懐かしむためにあるのではない、未来は悲観するためにあるのではない、必要なのは現実だけだ』と、そう隊商語録には書かれてある。それは優れて交易という行為が、現実主義から来るものだからだ。

 人は現実だけを見て生きていればいい。だが、黄金の火炎樹は、その過去にも未来にも、そして現実にも属しない、得体のしれないものに思えた。



第四十六話「ガラスの森」

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