職人部落
職人部落
ラングォ族の部落に投宿。
明日がやや長い行程になるので、今日は早めに休んで明暁出発することになった。
夜を職人部落で過ごす人たちが、ポツリポツリと街道の双方から到着し始めていた。
玉葱型の丸屋根の並ぶ部落から少し離れた一角に、屋根の上に風車を乗せた小屋がある。ここが部落の水場で、小屋の扉を開けて出てきた女性が、巻き布で髪を器用に包み、玉葱のような形に結いあげている。屋根の形が髪型を真似たのか、髪型が屋根の形を真似たのか、何とも面白い。
井戸を建物で囲ってしまうのは砂漠では当たり前、井戸が砂で埋もれないためだ。
水場の周辺では、大部隊の隊商がテントを設営していた。大部隊といっても毯馬二十頭ほどの一団である。ゲルバ族の人間は、砂嵐でも来ない限り、砂掘り職人の家に泊まることはない。
トゥンバ氏は、世話役の少年に毯馬を任せると、部落の中央にある大ぶりの玉葱屋根に向かった。玉葱屋根が五つくっついた五結玉葱の屋根が、この部落の首官の家である。通関所のように税金を払う必要はないが、慣例として投宿する者は、部落の代表者である首官の家を訪問、金銭以外の物を謝礼として差し出す。それが礼儀で、怠ると夜のうちに荷を抜かれることがある。坊商は謝礼の代わりに読経を行うが、氏は子供たちを連れていることもあり、若干の苔茶を謝礼代わりに差し出したようだ。
子供は首官宅の訪問に同行する必要はないとのことで、日没前、夕食までの時間を適当に過ごすこととなった。
三人がどうしようと辺りを見回していると、ちょうどそこに、検問所で係官と言い争っていたジンバ商が、子供たちを乗せた砂橇を引いて到着した。
尼商の女主人は、茶黒の毯馬に騎乗、番頭らしき男がその毯馬を引いている。その後ろを女の下僕が、砂橇を牽く二頭の毯馬とともに付き従う。後で知るが、番頭のような男は尼商の夫だった。
毯馬が膝を折り、尼商が砂に足を下ろすと、細身の夫がうやうやしく手を差し出す。
でっぷりと膨らんだ体つきの尼商は、灰色の外衣の下に石黄色の僧衣を重ねている。典型的な餅太りの体形で、白い日焼け止めの顔料を塗りたくった顔に、小さな目が左右に引き離されたように並んでいる。
弛んだ体形の妻と比較して、番頭役の夫は、細めの骨格に頬骨と鼻梁が突き出た痩せぎすの男で、ゲルバ族と同じく黒いガウンに灰色のターバンを頭に巻いている。対照的な体形の夫婦だが、目だけは二人とも小さい。そろいの点眼の夫婦だ。
このジンバ商の夫婦も、どちらかといえば妻が夫よりも大柄だが、砂掘り職人のラングォ族は、それがもっとはっきりしている。小柄な男たちに比べて、女たちは胸まわりも腰もボリューム一杯、明らかにラングォ族は蚤の夫婦である。男たちが小柄なのは、砂堀りという作業に順応してのことかもしれない。
玉葱屋根の家から、そのラングォ族の男たちが出てくるのを見て、尼商の女主人が、毯馬用の短い鞭をピシピシと打ち鳴らしながら、下僕の女に子供たちをカゴから出すように命じた。直ちに子供たちが家の前に引き出される。九名、うち二名は女子だ。
ところが集まってきた繋ぎ服の職人たちは、女子には見向きもしない。必要なのは男子で、直ぐに口を開けさせ歯の確認を始めた。足首の太さを見てまわる者もいる。職人たちが子供たちの体を改めるなか、うつむき怯えた顔の子供の尻を、尼商の女主人が鞭でピシピシと打ち据える。背筋を伸ばせというのだ。番頭役の亭主は算盤を取りだし、職人に数字を覗かせ商談の脈を計っている。
突然始まったジンバの商いを、春香たちは棒立ちになって見ていた。
すると職人の何人かが、こちらに視線を向けた。
繋ぎ服の一人が女主人の腕を突いた。
「あの肉づきのいい三人は、売り物じゃないのか」
「そうだ、ギボの市場へはいいのを持って行って、場末には二流品を流すつもりだろう。出し惜しみはなしだぞ」
女主人は自分の太股に鞭を打ちつけると、悔しそうに声を尖らせた。
「お生憎様、それはうちの商品じゃないよ。それに、ああいうふやけた体の子供は労働には向かないよ、それは先刻あんたたちも承知だろ」
ほかの子供に気があるように見せかけ、目の前の子供の値を牽制する。職人たちの狙いは女主人も百も承知で、本当なら全員をギボのジンバ市場に持っていくつもりだったが、旋灯祭も近いので、御祝儀がてら特別に売ることにしたのだと、恩着せがましく言い返す。
「今なら選り取り見取り、それにわざわざ市場まで買いつけに行かなくても済むだろ。さあ、買った、買った」
捲し立てながら尼商の女主人は、姿勢を崩した子供の尻にバシッと鞭を打ちつけた。叩かれた子供の背筋が、反り返るようにピンと伸びる。
人は生まれた時からジンバではない。鞭で叩かれ、命令されながら、ジンバへと育っていく。そういう意味では、まだ人買いに売られたばかりの子供たちは、ジンバの入口に立ったところで、身分はジンバでも中身はジンバになっていない。その半人前のジンバの見栄えを良くするために、ジンバ商は鞭を打つ。都のジンバ市場に連れていく前に、ジンバらしく見えるようにするためだ。こういう小さな部落で客の前に立たせ、商品であることを自覚させ慣れさせるのだ。
ジンバ商はジンバ市の立つオアシスが勝負と考え、小さな部落はその予行演習程度にしか考えていない。一方職人たちは、ジンバ商が値段によってはジンバの卵を手放すことを知っている。オアシスのジンバ市は、ジンバがたくさん集まる分、業者間の競争も激しく、買い手の目も厳しい。だからジンバ商によっては、商売の保険を掛けるように、集めたジンバの何人かを、手堅く早めに売り飛ばすことがあるのだ。
砂掘り職人たちも、できれば売れ残りのようなジンバではなく、多少値は張っても、先物買いでいいジンバを買いつけたい。そこにジンバ商と砂掘り職人の接点が生まれる。
あいさつのような尼商の口上を聞き流すと、砂堀り職人たちは、これからが本番とばかりに、お目当ての子供たちの服を脱がせ、骨に異常はないか、筋肉の付き方はどうかと、果ては尻の穴まで確かめ始めた。ジンバはとにかく健康であることが絶対条件なのだ。
砂掘り職人たちの一挙手一投足を、餅太りの尼商が真剣な顔つきで見やる。買いつけた子供たちがどう評価されるか気になるのだ。
夕刻前の日射しの残る時刻とはいえ、日陰に置いた水瓶には終日氷が張っている。そんな時候に子供たちを丸裸にする。ジンバは我慢ができないと駄目で、裸にするのは、従順さや忍耐力を確かめる意味もある。
ウィルタとホーシュと春香の三人は、釘づけになったように突っ立っていた。
その三人に気づいた尼商の女主人が、鞭を打ち鳴らして喚いた。
「あんたらも、売りさばいて欲しいのなら、私が交渉してあげるよ」
職人たちが、またウィルタたちに顔を向けた。
三人は慌てて首を左右に振ると、逃げだすように玉葱屋根の後ろに駆けこんだ。
集落の裏手に、ゴミのようなものが、うず高く積み上げられている。
雨がまず降ることのないこの地では、発掘品を屋根の下に入れる必要はない。掘り出されたものの、利用価値が無いか、あるいは当面は売れる見込みがないと見なされた物が、野積みにされているのだ。そのがらくたの一角で、子供たちの賑やかな声が湧いている。
三人は声の方向に足を向けた。
砂掘り職人の視線が、三人の頭のなかに、べったりと粘着テープのように貼りついていた。あれは人を見る目ではなく物を見る目だった。心臓が嫌な鼓動を繰り返し、ムカムカするものが胃から込み上げてくる。春香はそれに必死で堪えていた。
そして声のする部落の裏……。
がらくたに取り囲まれた空き地で、保育園児や小学生ほどの子供たちが遊んでいた。美泥色の服を着た子供も、破れた臙脂色の服をまとった子供も、皆入り混じって、砂に絵を描いたり、がらくたを組み立てたりしている。その光景に春香は、なぜかほっとして、脇にあった錆びた鉄の塊に腰を下ろした。
ウィルタとホーシュは、遊んでいる子供たちよりも、野積みにされた大型の機械に興味が湧いたようで、機械の山に分け入るように姿を消した。
「これ、何だろう」という二人の話し声が、錆色の山の向こう側を移動していく。
春香は砂を囲んで遊ぶ子供たちに目を向けた。
盛り上げた砂の上に赤い棒が突き刺してある。その棒を倒さないように、周りから順番に一握りずつ砂を掻き取っていく。埋め込まれた石を掘り当てた者が勝ちというゲームらしい。なかの一人が、砂の山の上に手をかざし、石のある場所を感じ取ろうとしている。手灯の真似をしているのだ。そういうゲーム的な遊びをする子供もいれば、単純に片足立ちになって、綱を引き合っている子もいる。
そんな遊びに熱中する子供たちの後ろに、金属製の羽根が転がっていた。
飛行機のプロペラと思い、改めて周りに山積みになった機械を見直すと、明らかに飛行機の胴体や翼と思えるものが混じっている。備品が取り外された胴体だけの飛行機は、脱皮した巨大な甲殻類の殻のようでもある。もしかしたら満都の時代、この辺りに、飛行機関連の工場か、もしくは飛行場があったのかもしれない。
そんなことを考えながら、また遊んでいる子供たちに目を戻す。
と今度は、折れた鉄板の上に、オモチャの飛行機が並べてあるのを見つけた。形をデフォルメした幼児向けの物から、プラモデルのようにリアルな物まで多種多様だ。
小さい頃、春香は人形などよりも、乗物の玩具の方が好きだった。
懐かしさに誘われた春香は、砂崩しのゲームを覗く振りをしながら、オモチャの飛行機を並べた鉄板に歩み寄った。そこにタイミングを合わせたように、がらくたの間を一回りしてきたウィルタとホーシュが姿を見せた。
目敏くオモチャの飛行機を見つけたホーシュが、走り寄って中の一つを取り上げる。風車と鳥に囲まれて育ったホーシュにとって、翼と回転する羽根は馴染みが深い。異質な物のなかに見慣れた物を見つけると、人はつい手を出したくなるものらしい。
しゃがんで遊んでいた子供の一人、青洟を鼻の穴から垂らした男の子が、「それ、空を飛ぶ機械だよ」と、ホーシュに話しかけた。
男の子は両手を広げて鳥のように空を飛ぶ真似をしてみせると、野積みになった機械を指して「飛行機って言うんだ。バラバラになってるけど、組み立てたら模型のようになるんだ」と、自慢げに解説を始めた。
ホーシュが手にした玩具を指先で弾いて、「空を飛ぶ、これが?」と、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。どうやら耳年増のホーシュにして、飛行機のことは知らないらしい。
気づいたウィルタが何か言おうとするが、それよりも先に、砂遊びをしていた子供たちが一斉にホーシュの方を向いて、「プロペラが回って空を飛ぶんだ」と声を合わせた。
「羽根が回って空が飛べるなら、風車だって空を飛ぶさ」
むきになって、ホーシュが言い返す。
すると紐遊びをしていた子供たちまでが寄ってきて、「違うよ、機械で羽根を回すんだ。凄い風が起きて、後ろにいたら吹き飛ばされるんだぞ、その風で宙に浮き上がるんだ」
「父ちゃんから聞いた。昔、掘りあげたエンジンを引き取りに、西の国から本物の飛行機が飛んで来たってさ」
みな口々に身ぶり手ぶりでホーシュに言い寄る。
「凄い音と風で、翼を羽ばたかせずに飛ぶの。お兄ちゃん何も知らないんだね」
生意気な口ぶりで言ったのは、ホーシュよりも頭二つも背の低い、巻毛の女の子だ。
多勢に無勢、子供たちの勢いに押されて口を閉ざしたホーシュに代わって、春香が巻毛の女の子に聞いた。
「ねえ、この卵型の飛行機は、胴体の上にプロペラが付いているけど、これって上に飛ぶものなの」
「そうだよ、昇空機って言うんだ」
遊び場の子供たちが一斉に声を揃えた。
砂堀り部落の子供たちにとって、飛行機の残骸広場は自慢の遊び場、みな飛行機を知っていることを自慢したいのだろう。それに子供たちの素振りから、常日頃、飛行機のことを知らない旅の大人たちを、からかっている様子がうかがえる。
自信満々で話す砂掘り部落の子供たちに、春香が不思議そうに尋ねた。
「ふうん上に飛び上がるのか、でも胴体の上でプロペラが回ったら、つられて胴体も回っちゃうんじゃないかな」
キョトンとしている子供たちの中で、首に防砂眼鏡を垂らした年長の少年だけは、春香の質問の意味を理解したらしく、隣の同じ年嵩の少女に耳打ちした。
その声が、子供たちの間に、さざ波のように伝わっていく。
先ほどの青洟の男の子が、そうだとばかりに手を叩いた。
「そうだよ、そう、上に昇るだけじゃ前に進めない」
その声をきっかけに、子供たちが口々に自分の考えを話し始めた。
「頭でっかちの胴体だろ、前に傾いて進むんじゃないかな」
「じゃあ向きを変える時は、どうするんだよ」
「頭を横に傾けるのさ」
見当違いの意見を口にする年少の子供たちに、防砂眼鏡の少年が注文をつけた。
「そうじゃない、いま問題にしてるのは、羽根の回転につられて胴体が回ってしまうってことだろう」
直ぐに青洟の男の子が反応した。案外勘のいい子だ。
「飛行機の前に付いてたプロペラを、上に付け替えたんじゃないかな」
「このでっかいプロペラを前に付けたら、プロペラが地面を削っちまうぜ」
「それより、胴体が回転しない仕掛けが、どこかにあるんじゃないか」
「それ、どこにだよ」
「ンーッ、どこだろう……」
模型を取り囲み、指差し、姦しく意見を言い合う。
実はその昇空機、つまりヘリコプターは、胴体の上にメインのプロペラは付いているものの、後部のプロペラが無くなっていた。それに気づいた春香が、意地悪かなと思いつつ、問いかけてみたのだ。もっともヘリは、空は飛ぶが飛行機の仲間ではないし、それにプロペラは回転翼と言うのだが……、
春香は子供たちの白熱した議論を楽しそうに眺めていたが、話が落ち着くタイミングを見計らって再び話に割り込んだ。
「ねっ、胴体が回らないようにする装置が見つからないってことは、それが取れて無くなってるってことかもね。いま気がついたんだけど、シッポの先に、胴体を横に回転させる別のプロペラを付ければ、胴体がつられて回るのを防げるんじゃない」
防砂眼鏡の少年は「なるほど」と頷くと、ヘリの模型を頭上に差し上げ、周りの子供たちに春香の指摘を説明し始めた。やがて子供たちの輪の中から「そうだそうだ」と、嬉しそうな声が上がる。まるで砂の中に埋もれた宝石を見つけたようなはしゃぎようだ。
子供たちが、感心した目を春香に向けた。
「凄いや、お姉ちゃん、良く分かったね」
「へへ、そうでも……」
照れたように頭を掻く春香の前で、子供たちは別の模型のプロペラを外し、それをヘリの胴体に当てては、ああでもないこうでもないと意見を交わし始めた。
ジンバの子供も、職人も子供も、誰もが同じようにワイワイと言い合っている。
春香はなんだか嬉しくなって、ウィルタとホーシュに「ここの子供たちって、素直ね」と微笑んだ。
ホーシュは春香に尊敬の眼差しを向けたが、ウィルタはムッとした表情を浮かべると、「あっちへ行こう」と言って、ホーシュの腕を引っ張り飛行機広場から出ていった。
ウィルタは飛行機のことを知っていた。タタンの部屋で古代の乗物の本を見たのだ。
だからホーシュが意地を張って広場の子供たちと言い合いを始めたのを見て、上手くホーシュを引き下がらせようと、口を挟むタイミングを計っていた。
そこに春香が割り込んできた。
そして春香の話を聞いているうちに不愉快になってきた。
春香が子供たちを導きながら話をまとめていくのが、手に取るように分かったのだ。大人たちがいつもやる手口、知っているのに知らないふりをして子供を誘導するやり方だ。それはきっと知識の豊富な春香が、自分に対しても行っていることだろう。
ウィルタは面白くなかった。飛行機のことは知っていたが、春香が指摘した昇空機のプロペラのことまでは知らなかった。もし自分があの場を収めようとしても、春香ほど上手くは立ち回れなかっただろう。でもそれはそれ、ウィルタとしては、友人を手助けする機会を春香に取られてしまったことが癪にさわった。
だから、そっぽを向いてその場を離れた。
広場から出て行く二人の後ろ姿を見ながら、春香にはウィルタがなぜ腹立たしげな顔を見せたのか、その理由が想像できた。春香の耳に『飛行機くらい、ぼくだって知ってるさ。それに友だちの手助けをするのは、ぼくの役割だろ』という、ウィルタの声が聞こえてきそうだった。男の子にもプライドがある、とくに友だちの前では。
それを春香は忘れていた。
ホーシュだけが、どうしてウィルタが不機嫌になったのか解らず、ウィルタに引っ張られるようにして広場を離れた。
春香は、失敗したかな……と、目覚めて以来の二カ月余りで伸びた髪に指を絡ませた。
指を動かすと頭に痛みが走る。でも指を離せば痛みは消える。心の痛みのやっかいな所は、その痛みが後を引きやすいということだ。春香は肩で溜め息をつくと、もう一度髪を絡めた指を引いた。
と顔をしかめた春香の腕を、誰かが引っ張った。見ると浅黒い肌の女の子が脇に立っていた。先ほどホーシュに「何も知らないんだね」と言った、巻毛の女の子だ。ちりちりと巻いた髪が、顔の倍ほどの幅にフワッと拡がっている。
砂掘り部落の男たちが、砂に潜るためだろう、髪やひげを短く切り揃えているのに対して、女たちは男たちの分まで引き受けたように髪を伸ばしている。
巻毛の女の子が、春香に甘えたような声で話しかけてきた。
髪型や顔立ちは違うが、表情はアチャそっくりだ。
「ねえ、お姉ちゃん、これで髪が留められないかな」
巻毛の女の子が握り締めていた手を開いた。
おもちゃのプロペラを二組、十字の形に縛ったものだ。髪飾りにしたいらしいが、どうやら自分では、上手く髪に留められないらしい。すでに十字のプロペラの中心には、フックの付いた金具が縛りつけてある。これなら造作もない。
ただせっかく髪留めをつけてお洒落をするのならと、春香は巻毛の女の子を、姿の映る金属板の前に立たせた。そして柔らかく拡がった髪をまとめ始めた。
髪の結い上がりを待つように、女の子がポケットから椀のような楽器を取り出し、ピンピンと音を鳴らす。共鳴箱の上に細い金属のバネが、長さを違えて取り付けてある。そのバネを指先で弾いて鳴らす、おはじきピアノだ。少女が五回ほど同じ曲を弾き終えた時、プロペラの髪留めを付けた玉葱型の髪が、金属板に映し出された。
撓んだ板のため、玉葱型の髪が芋のように歪んで見える。
それでも巻毛の女の子は、頭の向きを変えては、銀光沢のプロペラの髪留めを嬉しそうに眺める。と唐突に巻毛の女の子が、「姫様だ!」と言って、後ろを振り向いた。
金属板に何か映っていたらしい。
巻毛の女の子は、おはじきピアノが砂の上に転げ落ちるのも気にせず、広場の外に向かって走り出した。ほかの子供たちも、一斉に表の玉葱屋根の方に駆けていく。
何が起きたのか分からなかったが、春香も子供たちの後を追って広場の外に出た。
部落の入口では、尼商とジンバの子供たちに代わって、職人部落の子供たちが集まっていた。子供たちの背中越しに、毯馬を引く巡検隊員の姿が見えた。
ゆったりと歩を進める毯馬の上に、綿入れのガウンを羽織った少女が座っている。直立不動の隊員が周りを固めるように立っている様は、まるで高貴な人の扱いだ。護衛の隊員は、毯馬の足を止めると、膝を曲げたラクダの脇に立って少女に手を差しのべた。
ようやく春香は、昼間街道筋で見た、遺物探査の一行のことを思い出した。
春香よりもやや背の高い手灯の少女は、毯馬から下り立つと、隊員に手を引かれてゆっくりと歩き始めた。少女と隊員五名、そして少女の世話役だろう下僕の婦人が一人、来賓用の小屋に扉を開けて入った。
間近で見た手灯の少女は、漂白されたように白い肌をしていた。ジンバ商の女主人が、日焼け止めの顔料をべったり塗った塗り壁なら、少女の肌は体の中が透けて見えそうなゼリー肌だ。その透明な肌の顔の周りに、細い三つ編みの髪が房状に垂れ下がり、所々に結んだ孔雀石の髪留めが、夕日を反射してキラキラと翠色に輝いていた。
巻毛の女の子が、手灯の少女の消えた来賓用の小屋に、羨望の眼差しを向けていた。
その夢見るような目つきの巻き毛の少女を、桶を手にした長命ひげの翁が後ろから叩く。
「羨ましいか、ネル。手灯の能力を持った娘はめったにおらんで、同じジンバでもお姫様の扱いじゃ。地下に埋っておる物を探すのに、あの能力は不可欠、だから腫物に触るように大事に扱われる。着る物、食べる物、寝る場所、移動の時に乗る毯馬も、これほどはないという待遇を受ける。ジンバというよりも、手足を縛られたお姫様じゃ」
ネルと呼ばれた巻毛の女の子は、視線を自分の砂焼けした浅黒い肌に落として、情けなさそうにごちた。
「あーあ、ネルの手は、ただの手だもん。ネルなんか、一生ここで、洗濯とご飯作りに明け暮れるんだわ」
長命ひげの翁が、自慢のひげを撫で下ろしながら言い聞かせた。
「一生、細々と誰かの世話ができる手を持っておれば、それが一番の幸せ。わしゃあ、ネルに特別な能力がなかったことを天に感謝しとるがな」
「でも、手は普通でも、色くらいはもっと白く生まれたかったな、こんなに黒くちゃ、刺青が映えないもん」
翁は何も答えなかった。ネルという幼い少女は知らなかった。手灯の少年少女は、調査の後に自白剤を飲まされる。それを長く続けると、薬の副作用で体から色素が抜けて肌が白くなる。手灯の少女の抜けるような肌の白さは、薬のせいなのだ。
翁が巻毛の少女の肩を軽く揺さぶった。
「世の中、何の能力もない連中は、ひたすら筋肉を動かして働くだけ。ささっ、ネルや、水を汲んできなさい」
大人への背伸びをしたがる孫娘に、翁が水汲み用の桶を渡す。桶を受け取る少女に夕日が当たり、プロペラの髪留めを、本物の花のように黄色く照らしだした。
夕闇が迫っていた。
すでにウィルタとホーシュは、大人たちのいる小屋に入って、皆と車座になって茶を飲んでいる。それは分かっていたが、春香は中に入る気になれず、表のがらくたの上に腰掛け、沈みかけた夕日をぼんやりと眺めていた。
そういえば、シロタテガミはどうしただろう……、
街道に出てからは、餌をやろうにも現れず、後ろをついて来ているのかどうかも分からなくなっていた。自分はあのシロタテガミと話をしている時が、一番心が安らぐような気がする。春香は無性にシロタテガミの皮肉めいた声が、聞きたくなっていた。
日没前のひと時、春香が憂鬱な気分に沈んでいると、手灯の少女のいる来賓用の小屋から歌声が流れてきた。体の白さそのままの細い透き通るような声。
その歌に耳を傾けながら春香は、手にした玩具のようなおはじきピアノの細いバネを、ピンピンと指先で弾いてみた。巻毛の女の子が持っていたものだ。
歌の旋律に合わせて簡単なアルペッジョにする。
それが聞こえたのか、一瞬歌が止まる……、が直ぐに始まる。
春香がまた歌に合わせて金属のバネを弾く。ところが並んだ金属のバネが、途中で一本抜けているために、間が抜けたような伴奏にしかならない。
歌が止んでクスクスという笑い声が起きて、そして本当に笑う声が窓から零れた。
春香も思わず笑う。
ところが隊員の男らしい角ばった声が掛かると、笑いは止み、表で見張りをしていた巡検隊の隊員が、春香の方を見てあっちへ行けとばかりに銃を振った。
春香は腰を上げると、重い気持ちで皆のいる首官の小屋の扉を押し開けた。
第四十五話「新種の火炎樹」




