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星草物語  作者: 東陣正則
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通関所


     通関所


 晶砂砂漠には、二種類のオアシスがある。天然の湧水地に作られたオアシスと、人為的に水を汲み上げて作られるオアシスである。汲み上げ型のオアシスは、街道の継点に一定間隔で配置され、水の補給基地となる。汲み上げ型のオアシスの場合には、揚水のための風車が設置されるので、遠目でもすぐにそれと分かる。

 風車と無数の旗が、二つの大岩の間に見えてきた。

 伽藍街道の南端に位置する通関所である。街道筋を運ばれる様々な物資は、街道の要所に設置された通関所を通り、ゲルバ族の印を受ける必要がある。その割印がないと密輸品と見なされ、荷物は没収。搬送者は厳罰に処される。

 屏風のような岩の間を抜けると、通路を示す低い石垣に沿って幟が立ち並び、棹のような長杭に結びつけられた吹き流しが風に踊る。はためく幟や吹き流しは、どれも白から黒に至る無彩色の薄布で、石垣の石も表面が無彩色のガラスで縁取られている。見張りの塔も同様。目に見える物が、どれも意図的に色彩を取り払われたように色がない。空の青さがなければ、白黒映画の世界に迷い込んだと錯覚しそうな風景だ。その色彩を消した世界に合わせるように、いつの間にか氏も、灰色の外衣を僧衣の上に羽織っていた。

 異世界を漂うような気分に陥る。

 とその浮ついた気分を現実に引き戻すものが、前方に待っていた。幟の間に見え隠れしていた建築の足場のような櫓、そこに吊り下げられていた細長い物がそれ。カラカラに乾いた人間だ。ざっとみて、十二、三体。干物と化した人の顔には、眼窟が黒い穴を空け、揺れる足先には靴が錘りのようにくっついている。

「盗掘や密輸をやった者のなれの果てだ」

 氏が無造作に告げた。

 砂漠を統括するゲルバ族にとって、砂に埋もれた遺物は、貴重な商品であり、かつ先祖の神聖な遺品でもある。よそ者が手を出すと、見せしめのために捕らえ、手を切り落としたうえで櫓に吊す。そういえば、ミイラはどれも手首から先がない。

「砂漠を旅する者は、この櫓の下を通過することで、ゲルバ族の戒めに恭順の意を表するというわけだ」

 ゲルバを代弁するように言うと、氏は平然と毯馬の鼻先をミイラの下に向けた。

 ところが子供たちは気味が悪いのか、チラチラと上を見上げ、櫓の外側に回ろうとする。

 とたん氏の手にした鞭が鞍の縁でしなり、派手な音をたてた。

「櫓を避けて通ろうとする輩も盗掘者と同類と見なされ、ここに吊される。砂漠を旅するなら、肝に銘じておくことだ」

 強い口調で戒めると、さっさと通れと手をあおった。

 三人は慌てて引き返すと、上を見ないように櫓の下を走り抜けた。 


 岩が点在する浅い窪地に、低い塔と蒲鉾型の建物が並び、今までに見たことのない型の風車が砂漠の微風を受けて回っている。羽根が螺旋状の棒なのだ。突風が吹きすさぶことのあるこの地では、強風に強い棒状羽が使われるという。それ以外にも、茶筒を半割りにしたような羽根の風車もある。上下に回るのではなく横に回る様子は、まるで大きな風力計で、風車小屋から伸びた筧の先、細長い桶には毯馬が群がり、建物手前の空き地では、通関手続きを待つ隊商の一群が、昼餉の準備をしていた。

 ここが晶砂砂漠南東部、伽藍街道南端の通関所、ハベルードである。

 ハベルードは、通関所であると同時に、交易路の保全管理を行う巡検隊の駐屯地でもある。ゆえに一般の住居はない。砂漠から出ていく交易隊は、ここで積荷の検査を受け、持ち出し品と申請品を照らし合わせて、荷に見合った関税を払う。対して砂漠の内側に入っていく隊は、麻薬や銃などの違法な物の持ち込みがないか検査を受ける。加えて、身分証の有無と首監査が行われる。首監査とは、ジンバの逃亡を防ぎ、かつ逃亡したジンバを捕まえるのが目的の当人確認である。また併せて毯馬のチェックも、家畜の病気の侵入を防ぐために行われる。

 毯馬の背ほどの高さの石壁で仕切られた区画が近づいてきた。

 区画入口に、黒灰色の長衣に白いターバン姿の係官が、構えるように立っていた。

 係官は鋭い目つきで氏を睨むと、やおら「七百九十六盃、五番」と尋句。

 すかさず氏が「エル、ハルミサーラ、ウーディカ、ヤン、ディアラ……」と、呪文のような言葉を唱える。

「条件反射のようなものだな」

 鼻先に侮蔑の表情を浮かべ、係官が奥の小区画を指した。

 トゥンバ氏は係官に丁寧に拝受の礼を返すと、毯馬を指定の区画に進めた。眼前を毯馬に騎乗した巡検隊員が銃を下げたまま横切っていく。

 その隊員の切迫した表情を見て、氏が小首をかしげた。

 氏が口にした呪文のような言葉は、特殊な経である。通関手続きを含め、様々な優遇措置を受けることのできる僧は、僧であることの身分の証として、指定された経句を即座に読み上げなければならない。全六千八百に及ぶ経句のどれかが、通関所を通る度に尋句される。これを嫌って坊商から普通の商人に戻る者も多い。

 氏が、三区画ほど並んだ通関手続きの小口に黒毯馬の首をまわした。

 真ん中の小口に、氏と同じ石黄色の僧衣が覗く。揉め事でも発生したのか、黄衣姿の荷主と検査の係官が、盛んに何か言い合っている。

 その言い争いを横目に、氏は指定の札の掛かった一番左側の小口に入った。

 区画の奥の壁に小さな覗き窓と扉がある。扉が開いて中年の係官が書類を挟んだ板を手に出てきた。先の係官と同様、黒灰色の長衣姿だ。

 氏が正見の礼をするが、係官は礼を返さず、毯馬と荷、後ろにいる子供たちに目を走らせると「なんだ、また人買いを始めたのか」と、無愛想に氏に問いかけた。

「違う、知り合いの子供だ。町の教育を受けさせるために、ローペまで連れて行ってほしいと頼まれたのだ。知っているだろう、鳥塔のホブルだ」

「ああ、岩船屋敷の……」

「親からの委任状がある、この子たちの身分証を作りたい」

「半年前から制度が変わって、ここでは仮の身分証しか発行できない。正式の物は、ギボで発行してもらってくれ」

「二度手間か、面倒だな」

「荷の取扱い量が増えた。通関事務以外の手続きは、本局扱いだ」

 やり取りを交わしながらも、係官は荷に手を突っこみ中身を確認していく。

 十年前なら、通関所で順番待ちをする隊商など考えられなかった。塁京の繁栄が、満都時代の遺物の値を吊り上げ、数百年ぶりの発掘熱を後押ししている。また発掘熱はもう一つ別の流れも生みだした。大量の奴隷、ジンバの流入を生んでいるのだ。発掘に関わる人材の不足が理由である。

 かつて満都の時代、万頭平原の住人は二つに大別できた。

 満都は火炎樹農園の経営で成立していた国であり、御多分にもれず、そこには農園を経営管理する者と、農園で汗を流して働く者がいた。その管理する側の人々の子孫がゲルバ族で、労働者の子孫が砂掘り職人のラングォ族である。そしてラングォ族の手足となって働く最下層の肉体労働者として、砂漠周辺の少数民の子供たちが、ジンバとして連れて来られた。

 氏が仕切りの壁越しに通関所全体を見渡し、「なんだか、街道もここも騒然としているようだが……」と、先ほどから気になっていることを、さりげなく話しかける。

 毯馬の餌カゴの中を探っていた係官が、意外そうな口ぶりで言った。

「聞いてないのか?」

「何を?」

「すぐに耳に入る、どこもその話題で持ち切りだからな」

 自身は興味なさげに言うと、餌カゴから取り出した岩塩の塊を手の甲で叩いた。禁制の薬や麻薬は、しばしば岩塩の中に隠される。ただ調べる手つきは、手順をなぞっているだけだ。係官はセグロの背をパンと叩くと、

「終わりだ、あとは毯馬の検疫と、奥の事務所で身分証の仮証明を受け取ってくれ」

 そう言い渡すと、耳に挟んだペンを書類に走らせた。

「簡単だな、いいのかこんな検査で」

「旋灯祭が控えている」

 素っ気ない返事に、氏がなるほどと頷いた。

 どこの国や民族、職場でも、仕事を二の次にして、何かに熱中している手合いはいる。この中年の係官が熱を上げているのは、旋灯祭と呼ばれる祭りだ。見ると、官服の裏地に色柄の生地が覗いている。祭りの時のみ着用を許される、彩色生地である。

 幟や建物の壁面が無彩色であることから分かるように、ゲルバ族は色の使用を禁じている。宗教上の禁忌なのだが、それをどこまで忠実に実行するかは、個人の信仰心の度合いにかかっている。全く色を排した生活をする者もいれば、守るのは外観だけで、後はある程度の融通を利かせる者もいる。この係官のようにだ。

 サインした書類を氏に返すと、係官はさっさと行けと顎をしゃくった。どうやら気持ちは、四日後に控えた祭にしかないらしい。

 通関とは荷の粗探しをされて、賄賂の一つでも要求される場だ。それが、このあっけなさ。何か裏があるのではと逆に勘繰りたくなる。内心訝しみつつ、それでも恵運を喜ぶ思いで、氏が黒毯馬の首を通関奥の右手、検疫所に続く垂れ幕に向ける。

 その時、隣の区画で罵声が上がった。甲高い女の声と、年配の係官の怒鳴り声が激しくぶつかりあう。

 まだやっているのかと、色裏地の係官が壁越しに隣の区画に目を向けた。

 氏も背を伸ばして、壁の向こう側を覗きこむ。

「何事だ?」

「人買い、ジンバ商だよ。連れているジンバの子供の数と、買いつけの際に親から受け取る売渡しの証文の数が違っているのさ」

 よくあることだが、通関の係官は、賄賂欲しさに、不備のない書類を意図的に書き変えたり、酷い場合は偽の書類と擦り替えたりする。事務官にとって賄賂はチップのようなもの。そう割り切って書類の提出と同時に袖の下を掴ませるのが慣れたジンバ商だが、どうやらいま揉めているのは、最近のジンバ需要に乗って初めてこの商売に手を出した者らしく、塩梅が分からずに言い合いになってしまったようだ。

 早く行けと色裏地の係官が手をあげた。

 喚き声は続いていたが、氏は区画奥の垂れ幕に毯馬たちを引き入れた。

 通関区画の裏に出ると、高い壁に囲まれた中庭のような場所に出た。すぐに別の係官が寄ってきて毯馬の状態をチェック、特に問題は無かったのだろう、書類に必要事項を書き込む。その際、氏は係官に包みを渡した。もちろん鼻薬、賄賂である。

 そして最後、大屋根の事務所に氏は一人で入った。税の支払いである。坊商は通常の半額だという。二十分ほどで、氏が子供たちの仮の身分証を手に姿を見せた。

 これで通関の手続きは終了。毯馬と共に事務所脇の門を潜って外へ。

 いつの間にか風は止んで、先ほどまで翻っていた旗や吹き流しが、息絶えたかのようにダランと垂れ下がっていた。不思議な静けさが砂漠の上を覆っている。

 通関所に入ってから出るまでに、ちょうど一刻。これまでの最短記録だなと氏は心の中で呟くと、再び毯馬と子供たちを連れて、砂上の行軍に足を踏みだした。


 ハベルードの通関所を出て三時間、前方から三人組の巡検隊が、毯馬に騎乗して走り過ぎていった。本街道に出て以来、これで巡検隊員と擦れ違うのは五度目である。

 歩きながら氏は考えていた。通関所の係官が口にした、「どこもその話題で持ち切りだからな」という一言が、心に引っかかっていた。

 実は昨日の朝を最後に、ゲルバの電鍵放送を聞いていない。受信機の電源に使っていた布型の光電池が故障したのだ。犯人はセグロで、布に歯形がついていた。失敗だったのは、いつもなら携行している手回し式の発電機を、旅の途中世話になった人に譲ってしまったことだ。残りの行程からして、布型の太陽光電池だけで十分と踏んでいたのだ。

 街道に出てから妙に巡検隊の姿が目につく。何か自分の知らない事件でも起きたのだろうか。係官の思わせぶりな発言が気になるが、夕刻には砂掘り職人の部落に投宿する。重大ニュースとやらがあるなら、そこで知ることができるだろう。

 そう思って足を速めた氏の背後で、子供たちは話も交わさず、黙々と足を動かしていた。

 三人の目には、通関手続きの最中に目撃した隣の区画の光景が焼きついていた。

 通関手続きをするジンバ商の後ろ、砂橇の荷台に積まれた荒編みカゴから、子供の頭が覗いていた。一人一人毛布ごと縄で縛られ、カゴに押し込まれて、頭だけをカゴの上に出していた。その姿は紛れもなく商品、人という商品だった。首うな垂れた子供たちのなか、やっと幼児を抜け出したばかりの男の子だけが、自分の置かれた状況が理解できずにいるのか、ニコニコと首を振って区画のなかを見まわしていた。

 耳年増のホーシュは、もちろんジンバという身分があることを知っている。

 それでも目にするのは初めて。

 ホーシュの脳裏に、自分と同じ年格好の少年と壁の隙間を通して視線が合った時のことが、焼き印でも押し付けられたように、熱い痛みとなって蘇ってきた。目が合った瞬間、その少年は何かを拒絶するように視線を下に向けた。人は言葉を介さずとも、目と目を交わすだけで、心を通じ合わせることができる。それは逆に、目を見ないことで、相手を拒絶することもできるということだ。長く家族だけで暮らしてきたホーシュにとって、人から完全に自分が拒絶されるというのは、初めての経験だった。

 少年の動作は、明らかに「見るな、ぼくは見世物じゃない」と、叫んでいた。

 そしてもう一つ、ホーシュの目にこびりついたもの、それがカゴに押し込められた子供たちに鞭を振るっていた人物。灰色の外衣を羽織っていたが、下に石黄色の僧衣が覗いていた。坊商、それも尼僧だ。

 僧位を持つ者が人の売買をしている。考えもしなかったことだ。

 ショックはウィルタよりも、ホーシュの方が大きかった。

 ホーシュはジンバを目の当たりにして、売られていく子供たちの絶望が伝染したように、虚ろな目で隊列の最後尾を歩いていた。

 重苦しい表情のホーシュに、ウィルタが声をかけた。タクタンペック村の実例を挙げて、ジンバでも一般の身分に戻れることがあるということを伝えたのだ。

 ところがウィルタの話に、セグロの調教に下がってきた氏が注釈を入れた。

「それは極めて限られた地域の風習だな。ここでは一度ジンバとして売られれば、まず死ぬまでジンバの身分から抜け出すことはない」

 水を差す一言に、今度はウィルタが絶句した。

 すかさず春香が「抜け出す方法はないの」と聞くと、氏が口調を昂ぶらせた。

「あるとしたら、それは良き雇主に巡り会って、身分変更の手続きをやってもらうことだ。だが高額の金を払ってまで、下働きのジンバの身分を変更するような雇主はいない」

 ゲルバ族は砂掘り職人のラングォ族を見下し、ラングォ族は砂漠周辺の小数民をジンバとして扱き使う。しかしゲルバ族にして、内部では司経階級のマビ族から見下ろされる存在だった。周辺地域から流れ込む少数民の労働者は、最下層のジンバに位置し、生涯を砂にまみれてすごす。身分を越えることは、この地では奇跡に近い出来事だった。

 再び子供たちは黙ってしまった。


 隊列の先頭に戻ったトゥンバ氏が、黒毯馬の手綱を握り締める。

 氏は何か苛つくことや考え事があると手綱を取る。手綱を握り、長年相棒として砂漠を行き来してきた黒毯馬の足並みに自分の歩調を合わせるのだ。すると、不思議と心が落ち着く。手綱を取って歩きながら、氏はしばらく忘れていた、自分がジンバであった時の事を思い出していた。

 ダルトゥンバ……氏。

 僧位を得るまでは氏を付けずに、単にトゥンバと呼ばれていた。

 自分は、砂掘り職人のラングォ族の父と、下僕であった少数民のジンバの母との間に生まれた。この地は母系制で、子供は母方の階級に属する。トゥンバは四歳の時から下働きのジンバとして発掘穴に潜らされていた。それが九歳の時に、ラングォ族の父が急逝、正妻のラングォ族の妻に子供がなかったことにより、養子縁組の形で職人階級に引き上げられた。それは父親がたまたまラングォ族の砂掘り部落の頭領であったが故の、砂漠でも希有な出来事だった。

 ところがジンバの血が流れているとして、正妻からも、職人階級の男たちからも、有形無形の差別を受ける。小柄な体格のラングォ族のなかで、一人大柄だったことも、差別に拍車をかけた。耐えられなくなったトゥンバは、十歳の時に職人部落を遁走。その時点で、砂漠の外に出てしまえば良かったのだが、砂掘り業の経験しかないトゥンバには、砂漠の外に出る不安の方が先に立った。そこで、食っていくために商人の下僕として雇われた。半身ジンバと呼ばれる身分である。

 ジンバは身分から解放されたからといって、即ジンバでなくなるのではない。身分が変わっても中身はまだジンバである。人は長きに渡ってジンバを務めていると、人から命令されなければ動くことのできない人間になってしまう。命令で動くことが身に染みついてしまうのだ。

 身分は金さえあれば買える。しかしジンバ根性は自分で変えていくしかない。そしてそれは、生来の気質を変えるのが難しいのと同様、矯正するのに多大な労力を必要とする。その証拠に、幸運に恵まれ、ジンバの身分から脱け出した者の多くが、再びジンバに身を落とす。ギャンブルに填った者が止めても止めても賭け事に手を出し、盗癖のある者が何度も盗みに手を染めるようにだ。トゥンバの場合も、詰まる所そうだった。

 職人部落を出たものの、トゥンバは、自身で生活していくことも、仕事を見つけ出すこともできずにいた。それはある種当たり前で、ジンバとして育ったトゥンバは、文字を書くことも読むこともできず、極端な話、食事すらも作ることができなかった。共同生活のジンバは、食事は食事担当のジンバが専門に担当する。ジンバは常に、ある一つのことしか覚えさせられない。それが使う側からすれば使いやすいし、ジンバをジンバの身分に留め置く最良の方法だからだ。

 発掘穴を崩さずに砂を運ぶことくらいしかできない男がやれる仕事といえば、やはり単純な肉体労働に限られる。ただそれは紛れもなくジンバの仕事だった。

 そこにだけは戻りたくないと、トゥンバは思った。

 そして手持ちの金が尽きた時、トゥンバは交易商人に自分を売った。

 賃金を貰わない代わりに、寝る場所と食事を保障される下僕としての身分、半身ジンバ、デッジーと呼ばれる身分にである。交わした契約は三年。このデッジーには、食い詰めた職人など、ジンバ以外の者も多い。しかしジンバ出身のデッジーの多くは、生涯デッジーの身分を継続し続けることになる。

 下僕としてのデッジーの仕事は、ジンバと同等の仕事である。

 そして、初めてトゥンバがデッジーとして仕えた交易商人が、坊商であり、扱う商品がジンバだった。この時、トゥンバ十七歳。意図して選んだ訳ではない。というよりも、何も考えていなかった。毯馬の世話をする従者を探しているという話に乗っただけで、トゥンバとしては、砂掘り以外の仕事なら何でも良かった。

 トゥンバはデッジーとしてジンバ商に仕えながら、人が買われ売られていく姿を見続けた。石黄色の僧衣をまとった親方は、見かけは僧だが、それは見せかけで、中身はジンバ商そのもの。検問での尋句も、係官に金を掴ませてやり過ごすという、いい加減な男だった。僧位の持つ優遇措置を期待して坊商を演じているだけで、金儲けにしか興味のない、どうにも好きになれない親方だった。

 それでも、トゥンバが唯一親方に感謝していることがある。それが経句を教え込まれたことだ。叩き込まれたと言ってもいい。

 トゥンバは人の名を覚えるのに秀でていた。親方の扱うジンバの名前は、一度耳にすれば必ず覚えていた。名前というよりも、音の記憶力に長けていたらしい。その能力を見込んで、親方はトゥンバに経句を覚えさせた。トゥンバを生きた経冊に仕立て、尋句の際に役立てようと目論んだのだ。主人の乗る毯馬の世話をしながら、経句を呪文のように唱える毎日が続く。そして転機が訪れた。

 親方が亡くなったのだ。トゥンバが仕えて十一年目のことだった。

 気がつくとデッジーの契約を三度更新して、トゥンバは二十九歳になっていた。親方、即ち主人が亡くなった段階で、デッジーの契約は無効となる。しかしそれはトゥンバにしてみれば、仕事が無くなるということであり、明日から寝床と食事の心配をしなければならないということだ。気がつくと、やはり一人では何もできない自分がそこにいた。

 トゥンバは愕然とした。

 その時点で、トゥンバの前には二つの道があった。一つは、新しい主人を見つけて、再度下僕としてデッジーの契約を結ぶこと。もう一つの道が、食えなくなるかもしれないが、一人で何か下僕でない仕事を探すことである。

 不安はあった。だがもう今しかチャンスはないと考えた。天は父親と親方の死という、二度のチャンスを与えてくれた。最初のチャンスで、自分は職人部落を飛び出した。おそらくジンバ商の親方が亡くならなければ、自分は何度でも契約を更新して、死ぬまでデッジーを続けていただろう。この十一年で毯馬の世話以外で覚えたことといえば、六千八百の経句を覚えたことくらいだ。

 天廻門という階段門があるということを聞いた。人は、その百段近い階段を上る時、どこか一段を飛ばして上らなければならない。階段を全てそのままに上ると、その人は天に至ることが出来なくなるという。天廻門の階段の一段一段は、人生の中に立ち現れてくる運命や困難や業のようなものだ。それは天から与えられた逃れることのできない道でもある。しかし階段全てを、与えられた階段のままに上る者は、結局は天に至ることはできない。最低でも一段はそれを飛び越える努力をすること、それをする者が、最後天に至ることができるのだと、その階段門は教える。旭日は狭き門より入り、落日は広き門より出ずる。運命の階段を飛び越える、それは今しかなかった。

 ごく僅かだが、三度の契約更新の際に主人から渡された慰労金が手元にある。それを元手に、トゥンバは商売に挑戦してみることにした。とにかくやってみることだ。駄目ならデッジーに戻ればいい。そう思って一歩を踏み出した。

 ところが直ぐに大きな壁が立ちはだかる。物の取引は、商品ごとに細かく株組合が結成され、新たにそこに参入するためには、高額の鑑札を購入しなければならない。とてもそんな金はなかった。ただ例外はある。それが人の売り買いで、ジンバの売買だけは株組合が組織されず、誰もが自由に参入できた。

 ジンバの他に扱える品があれば、それを選んだろう。しかしどう考えても、その時のトゥンバに他の選択肢はなかった。たとえ鑑札を買う金があったとして、通常の商取引がトゥンバにできるとは思えなかった。帳簿の付け方も知らず、金利の計算一つできない。当時は文字さえろくに読めなかったのだ。ただジンバの商いだけは、親方がジンバを買いつけ、オアシスの市場で売り払うまでを、毯馬の世話をしながら繰り返し見てきた。ジンバ商という商売がどういう商売で、どう立ち回れば良いか、どういう子供がジンバとして良い値が付くかということまで、十分過ぎるほどに理解していた。

 ジンバだった自分がジンバを商う。

 言い訳めくだろうが、自分が手を染めなくとも、貧しい家からジンバの卵としての子供は次々に生み出されてくる。自分が買わなくとも、誰かが買いつけ売りさばく。そう言い聞かせて、トゥンバはジンバの商いに手を染めた。

 それでも、最低限のこだわりはあった。トゥンバは寒村で買った子供を、なるべく砂漠のアオシスではなく、同じ寒村の他の村に売ったのだ。あのタクタンペック村のような、ジンバが平民の身分に戻れる可能性のある村にだ。寒村ゆえ利鞘は小さい。ただそれが、自分がこの商売をやる上での最低限の良心だと考えた。

 だが……、それが本当の良心と言えたかどうか。自分のやることを正当化するための方便に過ぎなかったのではないか。そう思わせることが、奴隷の売買に手を染めて数年後に起きた。自分が出奔した砂掘り職人の部落を、病んだ母を見舞うために訪れた時のこと。

 あることを目撃した。

 発掘作業の最中に生き埋めになったジンバの子供が、ちょうど砂の中から掘り出されたところだった。子供はすでに息をしていなかった。その子供の顔を見てハッとした。自分が地方の寒村で売った子供だったのだ。傍らの職人は、つい一カ月前に買ったばかりで、こんなに早く死なれたら大損だと喚いていた。

 やや大きめの臙脂色の繋ぎ服のなかで、砂にまみれて冷たくなってしまった少年がそこにいた。剥き出しの目に砂が貼りついていた。

 ジンバが転売されることはままある。ジンバは動産だからだ。しかしよりによって、自分の出身の砂掘り部落に……。そして、まざまざと二十年前のことが蘇る。トゥンバは六歳の時に、発掘穴の中で砂に埋もれて死にかけたことがある。その時は、偶然にも九死に一生を得た。天に感謝を捧げるべき幸運に恵まれてだ。

 この土気色の子どもに天は微笑まなかったのだろうか。

 トゥンバは追悼と謝罪の経句を呟くと、振り向くことなくその場を立ち去った。自分が売り払った子供は、すでに百五十人を越えている。

 自分は……、

 通関所でジンバ商を見たせいか、憂欝な気分に落ちていた氏とは裏腹に、空は青く澄み渡り、砂はどこまでも強い陽射しを受けて輝いている。


 考え込むような表情で歩く氏の後方、最後尾の毯馬の横を、ホーシュとウィルタの二人が、共にこれから自分たちが直面するであろうことに、想いを巡らせ、話を続けていた。

 それがセグロの横を歩く春香の耳にも伝わってくる。

 ウィルタにとって、最大の課題は、どうやれば父親の所に無事到着できるかということだ。しかしウィルタは父親のはっきりした居場所も知らないし、父親の顔さえ覚えていない。父親に会ってみたいという気持ちはあるが、それがどうしてもかというと、ウィルタ自身分からなくなる。

 シーラは『あなたのお父さんが、息子の力を必要としている、だから会いに行って力になってあげなさい』と、ウィルタの背中を押した。旅に出た当初は、ウィルタも張り切って父親に会うのを楽しみにしていた。しかし考えるほどに、自分が本当に父親の力になれるかどうかが疑問に思え、父親というものを知っている春香に、あれこれと質問を投げ掛けたりもした。それが今はもう父親のことよりも、父親がいるという大陸東の半島に辿り着く、そのことだけを考えている。

 旅を続けることだけで精一杯で、とても父親のことを考える余裕などなかった。

 見知らぬ土地を旅し、自分には困難を切り抜けていくだけの知識や経験がないということを、痛感させられていた。曠野の生活で培った経験やタタンとの交遊で得た知識など、何の役にも立たなかった。

 ウィルタにとって、この旅は父に会いに行く旅だ。しかしそれは知識と経験のない子供としての自分に直面させられる旅でもあった。今となってみれば、シーラさんは、父さんのことを口実に、自分を旅に出るように仕向けたのではとさえ思えてくる。

 ウィルタは、シクンのミトでは特別の存在だった。町の子供、それも捨て子である。

 そんな特別な子供でも、シーラがシクンの子供として育てていれば、問題は起きなかったろう。それをシーラは、曠野と町のどちらでも暮らせる人間としてウィルタを育てた。ウィルタだけが、特例として町に行くことを許された。その結果、ウィルタはシクンの規範の外に置かれ、中途半端な価値観の元に、どちらつかずの判断を余儀なくされる育ち方をしてしまった。

 今のウィルタにとって、自分の未来に思いを馳せるということは、回転する救命いかだの上で一点を見定めようとするようなものだ。物の見方の固まっていない少年が未来を見定めようとしても、土台それは不可能。見ようとすればするほど、いかだの回転に疲れ、頭痛や吐き気が湧いてくる。右目の能力を使った時のように……。

 それが思春期に差しかかったウィルタの悩みの形だった。

 ウィルタの抱える本当の問題は、ウィルタ自身の物事の判断の基準が固まっていないということ、それが問題の根幹にあるということに、ウィルタ自身が気づいていないことにある。いや気づいていても、それが問題だと思いたくないところにある。

 ウィルタは、外部に自分の苦しみや悩みを解決してくれる鍵が潜んでいるのではないかと思っている。ウィルタはいつも夢見ている。どこかで目の前を塞ぐもやもやとした霧が晴れて、世界が見通せる場所に出られるのではないかと。早くそういう場所に出られないかと。

 大人になれば、人生を見通せる岬など、どこにも無いということが分かってくる。しかし十歳を少し過ぎたばかりのウィルタに、そういう老成した考えを要求するのは酷なことだろう。その漠然とした悩みの中でもがくのが、ウィルタの、その年齢に相応しい生き方だった。そしてウィルタは今、自分の悩みを話せる同世代の相手ができたことで、自分の思いの丈をホーシュに打ちつけている。


 一方のホーシュ、ホーシュにとっての旅の目的は、もちろん妹の体を治すことだ。

 ただし旅に出た動機の半分以上は、狭い砂漠の岩船屋敷から外に出たかったということにある。ゲルバの電鍵放送を聴いていたおかげで、知識は豊富だ。しかしその知識と現実のギャップに、たじろいでいる。とても妹の事どころではなかった。

 この先自分がどうなってしまうのか、期待よりも不安に慄いている。砂漠の外の町、ローペにいる父さんの知り合いの風車技師宛てに、紹介状は書いてもらった。ホーシュとしては、そこで仕事をさせてもらうか、そこを通して働き口を紹介して貰うつもりだった。でももしその人が自分を受け入れてくれなかったら……。

 それを考えると、居ても立ってもいられなくなる。

 ホーシュの両親は、自分たちの意志で、砂漠の中の離れ小島のような暮らしを選んだ。ひるがえって、その親の元に生まれた子供はどうすればいいのか。砂漠の中で暮らし続けるべきか、それとも外に出た方がいいのか。口には出さなかったが、姉も妹も弟たちも、自分と同じように、そのことを考えているはずだ。あの砂漠の岩船屋敷に家族全員が住み続けることは不可能で、いずれは鳥の雛が巣立つように家を出なければならない。

 それを最初にやるのは、長男の自分の役目だ。

 自分が上手くやらなければ、両親、特に父さんは、弟や妹たちが家から離れることに、反対するようになるだろう。だから是が非でも成功させなければならない。でも……。

 自分は一人で旅をすることなど、とてもできない。

 トゥンバさんなど、凍てつく寒空の下、薄い毛布一枚で砂漠に寝転がって眠っている。

 自分は着込めるだけ着込んで寝袋に入り、さらにテントの中にいてさえ、凍えて体調を崩しているのだ。毯馬の乗り方を知っていることと、本当に毯馬を乗りこなすというのは別のことだ。知識はそれを使いこなす方法を知っていなければ、何の役にも立たない。

 自分が実際にできることといえば、骨笛を作ることと、ガラスを融かして窓を作ることくらいだ。そんなことが何の役に立つだろう。

 考えれば考えるほど、悩みというものは湧いてくる。不安もまたしかり。

 だから誰でもいいから心の嵩を共有できる人が、側にいて欲しいと思う。

 ホーシュにとっても、不安を抱えながら旅をしているウィルタは、格好の話し相手、悩みの相談相手だった。

 二人は互いの想いを吐き出すように話を続けていた。


 隊列の中央、セグロの横を一人で歩きながら、春香は後ろから聞こえてくるホーシュとウィルタの話を、途切れ途切れに聞いていた。そして思った。

 きっとあの二人からすれば、自分は極楽トンボに見えることだろう。自分は何も背負ったものがない。風に流されるがまま、波に漂うままに、どこに流されても構わない旅、結果を問われない旅、責任のない旅だ。

 ホーシュとウィルタが春香に向ける眼差しに、時々羨望とも嫉みともつかない視線が混じることがある。あれは背負う物のない気楽な立場にいる自分への、嫉妬なのかもしれない。その意識が、自分と後ろの二人の間に微妙な距離を作っている。はっきりとそう感じる瞬間がある。

 きっと大人は、嫉みや嫉妬のような微妙な感情を表に出さずに、人と付き合うことができるのだろう。でも子供の場合は、自分の中に生まれた感情をどう処理して良いか解らず、それが態度に出てしまう。ある意味それが子供の純真さではあるのだろうけど……。

 考えながら春香は、冷凍睡眠で眠っている二千年間に、頭の中が年増になってしまったのかなと苦笑した。昔の自分は、人の心の内を、あれこれと詮索や分析したりしなかったのにと思う。自分がとても嫌な子供、子供の仮面を被った大人になってしまったように思えて仕方がない。

 それに時々感じるのだが、自分が事故にあって植物人間状態に陥ったのは中学一年のはず。なのに、その時までに自分が知っていた以上のことを、自分が知っていると感じることが度々ある。自分が中学一年の時に絶対知らなかった知識が、ふと脳裏に浮かんできたりするのだ。想像でしかないが、当時睡眠教育というのが盛んに行われていた。弊害もあって公には認可されていなかったが、学歴重視の親には、高額な機材を購入して、眠っている我が子に、脳の活性化や知識教育の洗礼を受けさせる者がいた。

 もしかすると脳のなかに自動翻訳機を埋め込んだように、父は冷凍睡眠で眠り続ける娘の将来を考えて、何らかの睡眠教育の処置を行ったのかもしれない。

 そのことを、耳年増で知識に溺れているホーシュを見ていて感じる。

 わたしだって、実は形を変えた頭でっかちなのだ。古代人として知識は膨大、でもこの世界の実体験は幼児並み。よくぞホーシュのことを「頭でっかちで、一度は旅に出た方がいい」などと、偉ぶって言ったものだと思う。

 まったく評論家のような自分が嫌になってくる。

 自虐的な思いに駆られながら溜め息をついた春香が、視線を前に戻した。

 二十歩ほど先、黒毯馬の横にトゥンバ氏の後ろ姿がある。大きな背中だ。顔は見えないが、考えごとをしているように見える。手綱を引いているのではなく、黒い毯馬に引かれるようにして歩いている。この人は何を考えているのだろう。真面目で、温和で、お荷物のような子供三人を、何事もないように受け入れて旅をしている。僧侶とはいえ、商売をしている者は、もっと利に聡い人というイメージがあったけれど……。

 大人は自分の悩みを子供に見せたりしないものだ。それでもこの人にだって、悩みはあるに違いない。さっき苛つくように受信機を革袋に押しこみ、その後は固い顔つきを崩さない。わたしには見えないが、肩の上に何か見えない物を背負っているのかもしれない。

 春香は少しだけ羨ましかった。

 自分は背負うものがないから気楽だ。でも月並みな表現だが、足が地に着いていない、よろけてしまいそうな気分が、いつも自分を支配していた。砂漠で遭難して、喉が乾いて野垂れ死にしそうになった時も、何の悲壮感も湧いてこなかった。

 どうしてだろう、目標がないからだろうか。

 ウィルタやホーシュのように、何か自分を前に突き動かしてくれる目標が欲しい。それが外から与えられるものであってもだ。いったいどんな目標なら、自分が前のめりに歩き出したくなるだろう。それはどうやれば見つかるだろう。どうやれば生まれてくるのだろう。こうやって何となく旅を続けて、それで見えてくるものなのだろうか。

 ただひたすら歩く、足を交互に動かす。

 黙々と足を動かし続けるリズムは、その単調さとは逆に、脳に何かを考えさせるものらしい。トゥンバ氏と春香だけでなく、ウィルタとホーシュも、いつしかバラバラに離れ、単調な足音と共に、それぞれの想いのなかに入りこんでいた。


 相変わらず、打ち寄せる波のように、様々な考えが湧いては消える。

 春香がその繰り返しに飽きて面を上げると、前方に海が広がっていた。波打ち際のような淡いブルーの水面が、いく筋もいく筋も右に左に線を描く。

 ウィルタとホーシュも、前方の景色に気づいたのか、陰欝な空気を打ち破るように歓声をあげた。先頭を行くトゥンバ氏が、その淡いブルーの波に分け入る。

 あっと思った時には、春香の足もその水面を踏みしめていた。

 水色のガラスでできた海だ。火炎樹は晶化すると透明なガラスに変わる。ところがごく希に、樹に含まれる金属の成分によって、結晶に色のつくことがある。様々な色ガラスがあるが、水色のガラスは比較的硬度が高く、また軽いという性質を持っている。そのため砂漠で風に吹かれるうちに、地表に浮き上がってくる。その水色のガラスが砂丘の波紋の起伏に合わせて微妙なグラデーションを描きながら分布すると、見事な波打ち際を演出する。淡い水色のガラスは美しい。ただこれが大量に吹き寄せると、それはガラスの湖となって、旅人を惑わす偽のオアシスとなり、悲劇を招く。

 しかし今は憂欝な気分を晴らしてくれる、美しい水際だった。

 水色のガラスの波紋と戯れるように、四人は足を動かす。新雪に足跡を残すような罪悪感を感じながらも、美しい砂絵に自らの足跡を刻みながら歩を進める。

 そして一時間、色ガラスの波は途切れ、またありふれた晶砂の砂漠が戻ってきた。

 日も傾き始め、里程標の向こうに集落が見えてきた。砂団子のような丸い屋根の家がもこもこと並んでいる。砂掘り職人、ラングォ族の部落だ。



第四十四話「職人部落」

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