鳥笛
鳥笛
桟橋も遠く後方に過ぎ去り、帆掛け舟にも出会わなくなって、また岸辺に四つ手網とその櫓が立ち並ぶようになった。
そしてこの頃から、川岸に段丘が消え、ヨシの茂みが目につくようになってきた。古代のヨシよりも二まわりほど小さいヨシだが、それでも大人の肩ほどの高さがある。
セヌフォ高原のような丘陵地帯や山間部では見かけないが、低地や湿地帯では、ヨシがそこに暮らす人々の生活を火炎樹とともに支えている。寒風が吹き抜ける季節に入って、青々とした葉を淡い褐色に変えているが、無数の細長い葉が風にそよぐ様は美しい。ウィルタはヨシの茂る川岸を飽きもせずに眺めた。
ヨシの川岸が続く一帯を過ぎると、眼前に砂礫の丘陵地帯が現れた。そしてまたヨシの川岸。それを繰り返しながら、川岸の外側に拡がる岩丘地帯が、着実に低くなってくる。
ウィルタが膝の上に地図を広げ、自分たちがミルコ川と名づけた川を指でなぞった。
指が一点で止まる。
「さっきの艀を見た場所、あそこが、ドゥルベロンという川沿いの町らしい」
「やっぱり、あれ、町だったの?」
「ここを見てごらんよ」
ウィルタの指が、グラミオド大陸のほぼ中央を押さえていた。裏面のユルツ連邦の地図と違って、細かい地名の記載がないために、春香のようにこの世界のことを知らない人間にとっては、地形だけが目に入って分かりやすい。
オーギュギア山脈の東側は、山脈裾野の山稜地帯から、岩丘、砂礫、砂漠地帯へと、なだらかに地形が変化していく。その岩丘地帯と砂礫地帯の境界を、北から南に街道を示す赤い線が走っている。山脈の東側を南北に貫く喋石街道で、その喋石街道の赤い線を、山脈から流れ出た無数の川が横切る。
ウィルタの指先が押さえたのは、ミルコ川と喋石街道の交点にある町で、この周辺では最大の町らしく、そのドゥルベロンだけが二重丸の記号で示されている。町と村の違い、その目安の一つは、経堂の有無。それで考えれば、確かに艀のあった町には、経堂らしき丸屋根が鐘塔とともに覗いていた。
ウィルタが指を物差しにして地図上で距離を計る。
ミルコ川はこの後、砂礫の丘陵地帯を蛇行し、砂漠に入った辺りで、北から流れてきたディエール川に合流。ディエール川は、その後、西に向かって砂漠南部を大きく包み込むように流れ、砂漠南東部の岩漠地帯を横切った後、ドバス低地に分け入る。そして広大な湿地帯で無数の支流に枝分かれしながら、最後、東のシフォン洋にその滔々とした流れを注ぎ込むのだ。もっとも東の大洋など、今の自分たちにとっては、あまりに遠い世界で、考えても実感が湧かなかった。
ドゥルベロンから先の川沿いには、町や村の記号が見当たらない。川が街道筋から離れて半砂漠の土地、人の住まない土地を流れるということは、この後、人目を気にする必要がなくなるということだ。
指先でこれまで下った距離を計り、それを元にして、これから下るだろう距離を割り出す。今のペースでフーチン号が流れて行けば、二週間後にはドバス低地に到達する。この大陸でも有数の広大な低地帯を抜ければ、その先はシフォン洋。行程としては、大洋沿いの街道を北に遡ることになる。海岸に出て目差すチェムジュ半島まで、さらに二週間といったところか。とにかく日のある内は、川の流れのまま下流へ下り、夜は岸辺にいかだを乗り着けて眠る。それを繰り返すことが、目的地に近づく一番の方法だ。
ただ問題もある。それがいかだの浸水である。
一旦止まっていた浸水が、また酷くなってきた。気を許すと、たちまちマットに水が浮いてくる。困ったことに、空気を入れるための手押しのポンプにまで、空気漏れが発生、頭の痛い問題だった。
昨日の夕刻、フーチン号を岸に引き揚げ、ひっくり返していかだの裏面を確かめると、シートの繊維に浅いかぎ裂きの跡が幾つも残っていた。
苦労して川の真ん中にいかだを流すように操作しても、川の中心に浅瀬が現れることもある。実際に、いかだの底でザリザリと音が鳴ることが何度かあった。川面を流れていると、視点が低いために浅瀬があっても分からないのだ。
この底面の擦れに加えて、側面のチューブと三角テントの接合部の剥がれが酷くなっていることも気がかりだ。ゆったりした流れだからいいが、波が立つような瀬でもあれば、氷の底で作った木の筏のように、突然バラバラに分解することも考えられる。
トゥカチの話では、この地は山脈から吹き下ろす突然の強風に見舞われることがあるという。突風に煽られれば、上のテントの部分が剥がれ飛んでしまうかもしれない。
それに、もしいかだが本格的に浸水を始めたら、それこそ大変なことになる。
何しろ二人とも足が鎖で繋がれたままなのだ。
とにかく救命いかだを岸に着けて補修する必要があった。
夕刻、村と村のちょうど中間と目されるところで、見通しの悪いヨシの岸辺を選んで、フーチン号を岸に上げる。案の定、マットの裏の擦れた傷が増えていた。もっとも固いゴムのような防水布は、繊維が重層的に織り込まれているので、傷はついても突然破れる怖れはなさそうだ。水の浸入は、その繊維のかぎ裂きの部分からに違いない。
ただ原因が分かっても、補修をどうすればいいのか。道具もないし、妙案が思いつかない。傷を塞ぐ充填剤はチューブの中でカチカチに固まり、破れた場所に貼る粘着シートなどは、触れると砕けてしまう。
頭を抱え思案をめぐらすうちに「そうだ、あれを試してみよう」と、ウィルタが指を鳴らした。
「どうするの?」
「バターさ、固乳と一緒に失敬したバター、あれを摺り込めばどうかな。水鳥は体に脂を塗って水の上に浮いてるんだろう。あれの真似をするんだよ」
傷んだ固乳は捨ててしまったが、バターはまだ取ってある。直ぐにそれを試してみることに。袋からバターを取り出し、毛羽立った繊維の間に塗り込んでいく。
ところがいかだの底にバターを塗り終えた時、「誰か、そこにいるのか」と、ヨシ原の先から声がかかった。男の声だ。
薄暗くなってきたヨシ原の先、土手の上に人影が並んでいる。
とっさにヨシの間に身を沈めた二人に、男たちの話し声が聞こえてきた。
「どうした」
「いや、川岸の方から、人の話し声が聞こえたもんでな」
「なんだろうな、いま時分」
「村の連中は、こんな日暮れ時にヨシの間に入ったりしないぜ」
「もしかして、例のオレンジ色の浮き船か。ドゥルベロンの艀で目撃されたという」
「かもしれないと思ってな」
「もしそうなら、タクタンペック村から逃げ出した子供が乗っている可能性がある」
気配で男たちがヨシ原のこちらの様子を窺っているのが分かる。
「でも、船が見えないぜ、結構大きな船だったっていうじゃないか、オレンジの三角屋根の付いた……」
「そういや。何も浮かんでないな」
「ヨシの間に引き上げたのかもしれん、確かめてくる」
「よせよせ、虻に刺されて、病気をもらうのが落ちだぞ」
「ふん、賞金を手に入れても、分け前はやらねえからな」
ガサガサとヨシに分け入る音が聞こえた。その音が二人のいるヨシの茂みに近づいてくる。と身を屈めた春香の後ろで「ブエッ」と、水鳥の鳴き声。
ヨシを踏み分ける音が止んだ。
タイミングを合わせたように、水鳥特有の何かを吐き出すような声が、二度、三度と続き、さらに水の飛び散る連続音が手前の水路で響く。
「何か見つけたか」
土手の上から声が掛かると、ヨシの茂みに分け入った男が情けない声で応じた。
「鳥だよ、くそっ、それより溝があった、靴がずぶ濡れだ」
「止めとけ、止めとけ、もう虻の飛ぶ時間だ。刺されたら痒くて朝まで眠れないぞ」
「チェッ、全くそうだな」
その言葉を最後に、茂みを掻き分ける音は、土手の方に引き返して行った。
しばらくの間、二人はヨシの茂みの中に身を屈めていた。
男たちが土手の向こう側に完全に姿を消すのを見届けると、ウィルタが口元に当てたものに軽く息を吹き込んだ。「ブエッ」という先程の水鳥の鳴き声が、春香の耳元で鳴る。ヨシの葉を丸めて作った鳥笛だ。
男が近づいてきた時、ウィルタは、とっさにヨシの葉をちぎって鳴らし、手近にあった石ころを水路に向かって投げた。それが水鳥の水面を蹴る音に聞こえたのだ。
ウィルタの気転もそうだが、いかだの底を修理するために三角テントをへこませ、裏返しにしておいたのが幸いした。救命いかだの底は黒いマットなので目立たない。これがもしオレンジの三角テントを上にしていたら、絶対に見つかっていただろう。
ヨシ笛を見て、春香が尊敬の眼差しをウィルタに向けた。
「すごいね、さすが曠野育ちだわ」
「それほどでもないさ」
ウィルタは軽く謙遜すると、再度そのヨシの葉を「ブエッ」と吹き鳴らした。まさかこの方法を、酔っ払いのガフィから教えてもらったとは、言い難かった。
もう大丈夫かなと二人が立ち上がる。その二人の耳に不快な羽音が聞こえてきた。
ウィルタが慌てて辺りを見まわす。
「いけないヨシの原っぱには吸血虻がいるんだ。あれに刺されると、顔がデコボコの岩みたいになってしまう。それに病気もだ」
春香がまじまじとウィルタの目を覗き込んだ。
「ちょっと、それを知ってて、船をここに寄せたの」
「だって、沈没するよりは益しだろう」
当たり前とばかりに言って、ウィルタがフーチン号に手を押し当てる。ひっくり返して水に浮かべるのだ。何か言いたそうにしていた春香だが、唸る羽音が近づいてくると、無言でウィルタに手を貸した。
フーチン号をヨシの水辺に押し出す。川の中に漕ぎ入れると、土手の向こうにポツリポツリと赤い灯が見えた。ヨシを燃やす明かりだ。いかだを岸に着けた時には目に入らなかったが、どうやら村が近くにあったらしい。
急いでフーチン号を川の本流に乗せて、下流へと流す。
後方に人家の明かりが見えなくなる頃、とっぷりと日が暮れ、星空の下の川下りとなった。冷えてきた風を避け、糸のように細く開けたテントの口から外を眺める。ヨシの河岸が途切れ、星明かりを映した水面と岸辺の砂浜が、川と陸の境界をくっきりと浮かび上がらせる。勾配のないなだらかな地形が、左右どちらの側にも広がっている。
流れているのかどうか分からないほどの穏やかな流れを下る。
そうやって二時間。塗り込んだバターが効いたのか、マットに水は浮いてこない。なんだかこのまま、星明かりの下をどこまでも下って行きたくなる。
ウィルタが満面に笑みを浮かべて口笛を吹いた。
「バターを塗って大成功だったね」
ウィルタとしては、自分の思いつきが上手くいったことが誇らしく、また船のことを何も知らない自分が、いいアイデアを出せたことが嬉しかったのだ。
ところがウィルタの意に反して、春香が「どうして、ヨシの茂みに吸血虻がいることを、教えてくれなかったのよ」と言って、責めるような目を向けた。
意外な反応に戸惑ったウィルタだが、
「そんな、何もかも説明できるはずないだろう、あの時は、いかだが沈むかも知れなかったんだからさ」
「でも、聞かされなきゃ、私は何も分からないのよ」
いつにない春香の非難めいた口調に、ウィルタも意地になる。
「分かったよ、次からは注意するよ。でも春香ちゃんだって、舵のことをもっと早く教えてくれれば、あんなに苦労しなくて済んだんだ。春香ちゃんは、昔のことを、この時代の誰よりも良く知ってるんだからさ」
「わたしが記憶を断片的にしか思い出せないのは、ウィルタだって知ってるでしょ」
「ぼくだってそうだよ、人間なら誰だって忘れることくらいあるさ。いかだが沈むかもしれないと思えば、虻のことなんか忘れて当然じゃないか」
「居直るの、でもそのせいで、わたしの腕、こんなに腫れてしまったのよ」
春香が服の袖口を捲ると、手首が赤く膨れ上がっていた。
この時代の人間、それもウィルタのように曠野で暮らしている人間は、吸血性の昆虫に咬まれても、皮膚が腫れたりすることはない。耐性ができている。だから実のところ、ウィルタは虻のことに注意を払っていなかった。もちろん町の人や免疫のない人が虻に咬まれるとどうなるかは十分承知している。だからその点についていえば、ウィルタに配慮が足りなかったのは確かだ。しかし、いかだが浸水を始めた状況で、ウィルタとしては、とてもそんなことにまで気が回らなかった。それにあの時は、岸に誰か人がいないか、そのことに神経を集中させていたのだ。
ウィルタとしては、自分に何もかも要求しないで欲しい。そのくらいのことは、自分で気をつけてほしい。春香は知識の豊富な古代人なんだから、という思いがある。
しかし、目の前に腫れ上がった腕を突き付けられると、とてもそんなことは口にできない。それに……、と思う。
最初から、その腕を見せてくれれば、何もこんな口論をしなくて済んだのだ。一言ごめんと言って終わりになることだ。言い合ったあげく、最後、印籠のように腫れた腕を見せつけるそのやり方が、不愉快だった。
「悪かったよ、今度はもっと気をつけるさ」
そう言ってウィルタは強引に話に幕を引くと、ザックから取り出したシーラさんお手製の軟膏を、「これを塗れば、化膿しないから」と春香に差し出した。そして後は無言でフーチン号を目の前の岸に寄せた。
星明かりの下に、だだっ広い砂礫の岸辺が広がっている。狭い救命いかだの中で顔を突き合わせていると、気まずい気持ちの持って行き場がなかった。早く陸に上がって一人になりたかった。
このまましばらく川を下るものだと思っていた春香は、意外そうにウィルタを見たが、ウィルタは何も言わずにフーチン号から岸辺に上陸した。
砂礫の岸がどこまでも続き、河岸は後方で低い段丘に繋がっている。夏の増水した時期には、あの位置まで河幅が広がるのだろう。明かりはどこにも見えない。
シロタテガミは餌を探すのか、いかだが岸に着くとすぐに姿を消した。
河岸に打ち寄せられたヨシの葉を集めて火を起こし、板餅を焼いて夕食とする。
その間二人は、ほとんど話を交わさなかった。
気持ちが擦れ違ってしまったことに、ウィルタは首を傾げていた。
春香もまた、腫れた手首に軟膏を塗りながら、ウィルタとの間の気まずい空気を感じていた。ウィルタが精一杯やっていることは分かっている。ただ春香は春香で余裕がなかった。食当たりの名残か、胸にはムカムカした吐き気が残っているし、ウィルタにつられて好きでもない固乳に手を出してしまった自分にも、腹が立っていた。その苛立ちを、ついウィルタに向けてしまう自分自身にもだ。
おまけにこの手首の腫れ……、熱を持っているし、猛烈に痒い。でも虫刺されは掻くと酷くなると分かっているから、我慢している。これ以上ウィルタと話をすると、また、つまらないことを言ってしまいそうで、口を閉ざしていた。
そして疲れているからと、さっさと寝袋に入って横になった。
先に春香が救命いかだに潜り込んでしまった後、ウィルタは火が自然に消えるのを待ちながら、自分が不思議なほど苛ついていることに戸惑っていた。なぜこんなに苛々するのかが分からなかった。普段の自分なら、人から喧嘩を吹きかけられても受け流すことができる。それなのに、今はなぜか突っかかってしまいたくなる。そのことを燃え残りのヨシの茎を見ながら考えていた。
実はその原因は、いかだに乗って川を下っているということ、その事にあった。水の苦手なウィルタは、水の上で波に揺られているだけで、気持ちが落ち着かないのだ。それに山脈を東に抜け、自分の知らない世界に足を踏み入れたことも、ウィルタの落ち着かない気分に輪をかけていた。
どうすればいいのか分からないことだらけだった。
自分だけならまだしも、何も知らない春香を連れているのだ。春香に頼りにされればされるほど、気分が重くなってくる。自分だって何も知らない子供なんだと、叫び出したかった。それを抑えて救命いかだに乗っている。ところが、そのいかだはというと、いつ水が入って沈むか分からない状態なのだ。
それに、もう一つ。
本当にウィルタを苛つかせていたのが、足に填められた拘束輪と鎖だった。外す方法が見つからない。タクタンペック村を出た夜、人気のない岸辺に上陸して、失敬してきたハンマーを叩きつけた。しかしどんなに力を込めて叩いても、金属石の鎖は外れる素振りも見せない。割れるどころか傷一つつかないのだ。
拘束輪と鎖を填めたままでは、人のいる村に上陸できないし、いかだが沈んだら自分たちは溺れるしかない。このままずっと拘束輪を外すことができなかったらと、その不安がウィルタの心に重く伸しかかっていた。
この水を恐がっているということが、ウィルタとしては恥ずかしく、そのことを春香に知られたくないという想いが、心を苛つかせ、落ち着かなくさせていた。そんなことがないまぜになって、心が乱れていた。
ウィルタの心にある苛々の大元は、自分に自信がないということ。自信のなさからくる旅への不安だ。大人は不安があっても、それを宥める術を知っている。外から見れば不安など欠けらもないように振舞うことができる。人は経験を深め、歳を経ると、未来の不安に怯える心に催眠術をかけ、不安などどこにもないのだと、言い聞かせることができるようになる。自分で自分の心を操るのだ。
しかし十三歳のウィルタに、自分の心を操るだけの技はなかった。そして自分の心の嵩を読み取ることができず、ただいたずらに苛々した心を持て余すのが、思春期に入ったばかりのウィルタの限界だった。
もう火はほとんど消えていた。焚火の余熱を感じながら、ウィルタは、ぼんやりと灰に埋もれた火種を見つめていた。
悩みや壁にぶつかった時に、その人の格が見える。
ウィルタは生来、楽天的な性格だったのだろう。それは先に寝袋に潜り込んだ春香にしても同じだ。一般的に言って、自分から旅に出るタイプの者は、そういう性格である。内向する者は旅に出ない。旅の目標を外にではなく、自分の心の内に向ける。その意味では、ウィルタは心の内側に目を向けるタイプ、考え込むタイプではなかった。悪くいえば、考えることにずぼら、面倒臭がり屋なのだ。
ウィルタは悩むのに飽きると、空を仰いだ。満天の星が自分を見下ろしている。
ウィルタは笑うと、軽く口笛を吹いた。
いま自分が生きて星を見ている、それだけで十分だった。考えることは、また明日考えればいい。そういうことだ。そう思い直して、今度はポケットに突っ込んであったヨシの葉を口に当て、水鳥の声を軽く吹き鳴らす。
音を聞きつけたように、シロタテガミが砂礫の向こうから戻ってきた。
ウィルタはシロタテガミの首筋に両手を伸ばすと、ギュッと抱き寄せた。体温を持つ動物、それも毛皮をまとった獣の温もりが、服を通して感じられる。オオカミだって、きっと悩みとかはあるだろう。みんな、みんな、悩みがあるに違いない。
ウィルタがシロタテガミの首を抱き締めながら聞いた。
「お前の悩みはなんだろう、なっ」
答える代わりに、シロタテガミが迷惑そうな声で唸った。
第三十五話「紡光メダル」




