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星草物語  作者: 東陣正則
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ファロス計画


     ファロス計画


 同じ時刻、端々に明かりの灯ったユカギルの町を、炭坑の上、町を見下ろす丘の上で、上背のある男が眺めていた。黒炭肌のオバルである。

 オバルの頭を掠めるように、風車の羽根がギリギリと軋みながら回っている。

 オバルは、この町に滞在した半月余りのことを思い返していた。

 財布を盗まれたために、炭坑で働くことになった。なぜこんな時にという思いだったが、おかげで人助けもした。熱床の復活に立ち会うこともできた。レイ先生と出会い、ハン博士の息子の所在まで分かった。旅には寄り道が必要だというが、本当にその通り。だがそれも、そろそろ区切りにしなければならない。

 惨事の究明委員会とは先ほど連絡が取れた。ファロス計画の再開承認が、予想よりも早まりそうだという。こちらも、のんびりはしていられない。幸い究明委員会からの為替は今夕届いた。これで明日にも出発できる。そう思って、最後ユカギルの町を見ておこうと、炭坑上の丘に上ってきたのだ。

 盆地中央を横切る街道筋では、祭りの賑わいが零れたように明かりが点々と動いている。近在の囲郷の人たちが、二日続いた宴を終えて自分たちの町に帰っていく明かりだ。

 オバルは眼下の明かりを眺めながら、傍らに置いた革袋に手を伸ばした。

 中にオバルの分身ともいえる機械が入っている。

 魔鏡帳と呼ばれる古代の情報機器である。オバルは日に一度、必ずこの魔鏡帳に電源を入れる。そうしないと落ち着かないのだ。愛用の二つ折りの魔鏡帳を取り出して思う。あの惨事の元となった遺跡の発見、それにハン博士との出会いも、全てはこの魔鏡帳を手にしたことから始まったのだと。

 そしていつものように電源を入れようとして、オバルは肩の上で回る風車の羽根に目を止めた。羽根の先端に帽子が引っ掛かっている。毛で縁取られた派手な毛糸の編み帽だ。しばらくその帽子を見ているうちに、オバルは、それがシクンの少年、ハン博士の息子が被っていた帽子と同じものだということに気づいた。

 不思議な縁だと思う。偶然逗留することになった町で、博士の息子に出会うとは。

 自分にとってハン博士の息子とは、ファロス計画が破局になだれ込んでいく絶望の記憶と重なるものだ。

 オバルは、あの絶望の瞬間にいたる記憶を、久方ぶりに思い起こした。

 

 そもそもの発端はどこにあったろう……、

 それは、オバルが十九歳、都の技術復興院に学生として在籍していた時のことだ。

 貧乏学生で学費の工面に汲々とするオバルに、耳寄りな情報が入った。都の警邏隊が今度、復元飛行機の試験飛行を行う。ついては同乗して写真を撮ることのできる人材を募集しているというのだ。金喰い虫の航空関連の事業を継続させるために、宣伝に使える広報用の写真を撮るという仕事で、かなりの報酬が期待できる。当時オバルは、復興院の専門コースで古代の映像技術のコースを学んでおり、ちょうど写真機材の扱いを覚えたところだった。迷うことなく応募。幸運にも採用されて初飛行に同乗することになった。

 衆目のなかで、オバルの同乗した双発機が警邏隊の基地を飛び立つ。

 都の西に聳える貴霜山の麓までを往復する十五分ほどの飛行で、同乗した双発機は特に問題もなく飛行を続け、無事に写真も撮り終えた。ところが着陸態勢に入った直後にエンジンに不具合が発生、機はあっという間に失速して墜落、滑走路上で炎上した。

 辛うじて機外に脱出したものの、爆発した機体から飛んできた破片を背中に受け、オバルは大怪我を負ってしまう。

 オバルを待っていたのは、長期の療養生活だった。

 貧乏学生のオバルは、施療院の準備室に一人閉じ込められた。

 訪れる人も話し相手もなく、無為な時間が過ぎる。そんな退屈を持て余すオバルの病室に、ひと月ほどして、身寄りのないじいさんが運び込まれてきた。アル中なのか手が震えている。苛つくように震える手の指が、どれも奇妙に短い。まともな指は両手を合わせて右手の親指だけ。この世界ではよくあることで、凍傷で指を失ったのだ。

 オバルが退屈そうにしていると、その親指じいさんが、破れかけたザックからあるものを取り出した。映像を映し出す鏡面と、キーのついた盤面からなる古代の情報機器、魔鏡帳だ。技術復興院でも、最終学年になれば魔鏡帳の扱い方を学ぶ。

 オバルは見るのも初めてだった。

 興味深そうにしているオバルの横で、親指じいさんは目脂で塞がりかけた目をしばつかせながら、盤面に並んだキーを打ち始めた。短くなった指を使って器用にキーを叩く。

 オバルが覗き込むのを待っていたかのように、親指じいさんが説明を始めた。

 魔境帳の中には膨大な量の情報が詰め込まれている。本でいえば数十万冊分にあたる情報で、その情報が古代の言葉、単語を入力するだけで簡単に引き出せる。必要なのは言語の知識で、その古代の言語を習得するためのテキストも、魔鏡帳の中には三百語以上が収められていると……。

「もっとも、この魔鏡帳は音声の再生機能が故障しているので、言葉は読めても喋れるようにはならないがな」

 そう言ってじいさんは、見本用のテキストを引き出すと、にちゃつく目を細めた。

 一方的に機械の扱い方を喋り終えると、親指じいさんは「弄ってみるか」と言って、魔鏡帳をオバルに押しつけ、自身は酒をグブリグブリと喉に流し込み始めた。ほんの数分で一瓶を飲み乾すと、ベッドにごろりと横になった。大いびきが部屋中に響き渡る。病的な大いびきだ。ところが、いびきが小さくなったと思ったら、じいさんの体が動かなくなっていた。息が止まっている、亡くなったのだ。

 魔鏡帳を抱えたまま唖然とするオバルの前で、じいさんの親指が上に向けられていた。まるで「俺はあの世に行く、健闘を祈るぜ」とでも言うように。

 親指じいさんが隣のベッドにいたのは、ほんの四時間ほど。亡骸を運び出す看護士に聞くと、身寄りのない天涯孤独の男だったらしい。

 病室の中に安酒の匂いと魔鏡帳を残して、親指じいさんは去ってしまった。

 そしてまた、ガランとした自分だけの病室が戻ってきた。

 それが手垢の付いた、魔鏡帳『トーカ』との出会いだった。

 魔境帳とは、天の果物と称されるトーカが表蓋にデザインされていることから、愛称としてそう呼ばれる古代の情報機器である。この時代、魔鏡帳は貴重品である。じいさんは、自分が亡くなる前に、愛用の器械を誰かに託したかったのかもしれない。

 貴重なトーカを譲ってもらえるのが分かっていれば、じいさんの説明をしっかり聞いておくんだったと思うが、時すでに遅し。

 親指じいさんは、やけに言葉の勉強を強調していたが、オバル自身は言葉に関心はなかった。ただ映像機器の勉強をしていることもあり、魔鏡上に映し出される画像には何かしら魅かれるものがあった。魔鏡帳には物凄い量の写真や映像が収められていると、じいさんは熱弁を振るっていた。暇を持て余していたオバルは、親指じいさんの指の動きを思い出しながら、魔鏡帳のキーに、自身の黒くて長い指を伸ばした。

 カギとなる単語を入力すると、言葉の説明と同時に映像情報が現れる。鮮明な画像である。古代の言葉など欠けらも知らないオバルには、画像に添えられた解説の文章は読めない。しかし画像はそれだけでも十分に魅力的なものだった。

 絵入りの電子辞書を引き出し、単語を調べる。牛なら牛の絵を探し、その単語をチェック、今度はその単語をカギとして、魔鏡の画面に関連の情報を引き出す。そして文章の中に写真を見つければ、それを画面一杯に拡大して飽きるまで眺める。そうしたことを続けているうちに、オバルは魔鏡帳の虜になった。そして意中の画像を引き出すために、知らず知らずのうちに古代語の勉強を始めていた。

 入院中なので時間はある。半年に渡るリハビリの合間、オバルはひたすら魔鏡帳に向かう。そして退院する頃には、いっぱしの古代通を自賛、言語の種類によっては、かなり読めるようになっていた。

 そして退院。ところが退院したオバルを待っていたのは、厳しい現実だった。

 学院の許可なく警邏隊の仕事をしたことが問題視され、技術復興院を除籍になっていた。おまけに、半年間の入院費が借金として溜まっていた。残念なことに、炎上する双発機から撮影したフィルムを持ち出しそびれたために、仕事は一銭にもならなかった。


 浪人の身になる。

 オバルの両親は、巷でネジ屋と呼ばれる零細な金属加工の工場を営んでいる。仕事を手伝っている弟に聞くと、注文は少ないという。自分が働ける状況ではなかった。何か別の仕事を探さなければならない。とにかく伝をたどり、身の振り先を探す。と、思いもかけないところから救いの神が現れた。氷床ハンターから声が掛かったのだ。

 氷床ハンターとは、氷床の下に埋もれた古代の遺跡から、金になる物を掘り出す仕事をしている連中のことだ。その宝探しには、古代の文字を解読できるスタッフが不可欠という。復興省にも古代語の専門家はいるが、官職に就いている連中は、海の物とも山の物とも分からない遺物捜しなどは馬鹿にして、自ら手を染めようとはしない。そんなこともあって、浪人中のオバルに目を付けたということらしい。

 オバルの売りは扱える言語の多さだ。暇に任せて魔鏡帳のなかの言葉を片っ端から噛った成果で、一つ一つの言語については詳しくないが、それでも山師の氷床ハンターたちにとっては貴重な戦力。オバルは迷うことなく、氷床ハンターの一員となった。

 ハンター内でのオバルの担当は、一つには古文書の解読。光の世紀が崩壊し冬の世紀が始まる狭間で残された記録から、発掘する場所や埋もれている物を特定すること。そして二つ目が、掘り当てた物の価値を判断することだ。

 仕事にも馴れてきた四年目、氷床ハンター数グループによる共同発掘にお呼びが掛かる。目標は、霜都ダリアファルから北方三百五十キロの氷床の底。遺物の在りかを示す古文書が、古代語の中でも珍しい言語で記され、その言語に関する知識を持っているのが、ハンター仲間ではオバルだけだったために、お鉢が回ってきた。

 丸一年の時間をかけ、合同発掘隊は、氷の底の更にその下の岩盤の中から、目的のものを掘り当てた。それが後に『ファロスサイト』と呼ばれる古代の遺跡である。

 もっとも正確に言うなら、それは遺跡の一部ということになるのだが……。

 発見した遺跡は、何かの製造プラントのようであった。遺跡の中に残されていた資料から、オバルは、そのプラントを植物の育成プラントと断定した。ただそれ以上の詳しいことは分からない。オバル自身、古代の言語で読み解けるのは一般的な言葉が中心で、専門的な用語が入ってくるとお手上だった。

 ユルツ国の復興省は、古代の施設、それも様々な製造機器やプラント類などを、高額で買い取る。それがユルツ国の新しい産業育成に直結する場合があるからで、実はそれを期待しての発掘だった。しかしながら、同じ製造プラントでも植物育成プラントでは話が違う。植物の大半が死に絶えたこの時代、それが利益を生み出すものなのかどうか、多分に疑問に思われた。

 大方の予想通り、復興省の専門家による遺跡の現地検分でも、発掘された植物育成プラントは、エネルギーを浪費するだけの実用性のない施設と見なされ、ごく安い値段で復興省に売り払われた。

 ところがである。そのことが後に氷床ハンターの仲間内で物議をかもすことになる。発見された古代の施設が、復興省の本格的な調査で、周辺に残されていた古代の施設の一部であるということが判明したのだ。なんと遺跡の本体は別にあった。

 半年後、周辺地域も含めた遺跡の全貌が明らかになる。それは、この遺跡群が未知のエネルギー発生装置の研究施設であるということ。植物育成プラントは、施設本体によって生産されたエネルギーの利用部門、つまり付随施設に過ぎなかった。

 直ちに、遺跡本体の本格的な調査と研究が国を上げて始まる。

 言うまでもなく、ユルツ国では熱井戸が次々と蒸気を絶やし、国自体が存亡の瀬戸際に立たされている。あらゆる市民が、危機を回避するための妙案を熱望していた。そんな空気のなか、遺跡発見から半年ほどの間に、この古代の遺跡は国家の命運をかけた重要なプロジェクト地と見なされるようになった。そしてこの古代の遺跡、氷の下の、さらに岩盤の中に埋もれていた遺跡群は、人々の未来を明るく照らし出すことを願って、太古に建造された巨大な灯台の名を取り、『ファロスサイト』と名付けられた。

 ハンター仲間は地団太を踏んだ。もし遺跡発掘の最初の段階で、発見した遺跡の本当の価値が分かっていれば、それは莫大な報奨金をもって、復興省に売り払うことができたに違いないからだ。全ての責任は、遺跡の情報を十分に解読し切れなかったオバルにある。

 オバルは、いたたまれなくなってグループを抜けた。

 そして失業。

 また職探しの憂うつな浪人生活が始まる。

 仕事を探している間にも、ファロスサイトは、あれよあれよという間に国家再生のプロジェクトとして動きだす。

 そんななか、今度も思わぬところから、オバルに仕事の声が掛かった。

 なんとファロスサイトの事業本部から、広報部記録班のスタッフに参加しないかと通知が届いたのだ。そこには当然、この遺跡の古代語を理解できる貴重な人材としての含みがある。嬉しいことに、国家の命運を握る計画らしく、相応の給料が支払われる。それに古代語の知識もさることながら、記録班の仕事なら、自分の写真や映像の技術も生きる。オバルは迷うことなく、その誘いを受けた。

 悪くない仕事である。というよりも、ファロスサイトが国家にとって重要になればなるほど、サイトの発見者の一人としてのオバルの評価も高くなっていく。ファロスサイトの広報用の冊子には、発見者としてオバルの名が署名入りで載るようになった。

 その記録班での最初の仕事が、広報誌用に、夫婦で計画に参加していたハン夫妻と生まれたばかりの息子を写真に撮ることだった。当時、黒い眼帯を右目に当てた赤ん坊として、博士の息子はサイトのなかで話題になっていた。

 あっという間に、二年半が過ぎる。

 施設の専門的なことに関しては、オバルも未だに良く理解できずにいる。物質の質量を直接エネルギーに変換する核内粒子の反応炉で、炉を稼動させるためには、最初の段階で膨大な電力が必要となる。それでも一度稼動を始めれば、あとは物質から無尽蔵にエネルギーが取り出せる夢の反応炉だと、施設紹介の広報紙にはそう書かれていた。

 施設の復興は進み、炉の臨界実験が行われることに。

 ファロスサイトは、アイスバイクを使っても、都から丸二日近くかかる氷床の只中にある。それでも耐久生活へのお詫びも込めて、多くの民間人が臨界実験に招待された。招待客以外にも、手弁当で見学に駆けつけた者も多い。この時代の人たちは、おしなべて皆、古代の科学技術の信奉者といって良く、期待が膨らむだけ膨らんでいた。

 そして、皆の熱い眼差しのなかで、事故が発生。

 炉が臨界点に達する前の段階での事故だった。本体の質量転換炉ではなく、電力を供給している核力炉が暴走を始めたのだ。スタッフを初め、見学の人たちに退避勧告が出されるなか、ファロスサイト全体が危機的な状況に陥っていく。

 その時、オバルは施設の中心部で、臨界反応の始まる瞬間を撮影しようと身構えていた。

 オバルは今回の復興事業の仕事が終わった後、何とか写真で生計を立てようと考えていた。そのためにも、自分の名刺代わりになるような、誰も撮り得ない強烈な写真を撮りたいと願っていた。事故は、ある意味オバルにとって、千載一遇のチャンス。人に衝撃を与えるのは、事件事故が何より勝る。

 とにかくこの機を逃してはならない。そう思って、オバルはサイトから人々が脱出する様子を撮り続けた。そして気がついた時には、施設内に取り残されていた。

 とっさの判断で管制室に向かう。管制室に行けば脱出ルートの確認ができる。時間が残されているかどうかは分からないが、闇雲に走るよりは、助かる可能性は高い。そう考えて管制室に走り込んだ。すると驚いたことに、全員が避難して誰もいないと思っていた管制室に、ハン博士と、その息子が残っていたのだ。

 息子を抱いた博士が、悲痛な顔で首を振る。

 荒い息を吐きつつオバルは椅子に腰を下ろすと、管制室のモニター画面を見上げた。

 それは地獄の業火だった。

 暴走した炉は、想像以上の速度と広がりで、あらゆるものを火の玉の中に呑み込んでいる。のちに聞いたことだが、核力炉の熱の露出が、質量転換炉の内部に蓄えていたエネルギーの一斉開放を引き起こし、さらにそれがフィードバックして、核力炉の暴走を誘導する形で爆発は進んだらしい。施設が爆発を繰り返しながら崩壊していくさまを、モニターの画面が克明に映し取っていく。

 白い輝きの中に、逃げ遅れた人の影が次々と呑まれる。人が燃え尽き消えてしまう刹那、人体の穴である口だけが、ぽっかりと光の中に残る。それは最後まで死を拒絶する叫びが、口の形をして空間に残されたかのようだった。管制室前面の巨大なスクリーンパネルに映し出されたその情景が、今も脳裏に焼き付いている。おそらく、あと一秒の何分の一か後、この管制室も業火に呑み込まれる。そう脳が判断した瞬間、体が猛烈な衝撃を受けた。そしてそのままオバルは気を失ってしまった。

 意識が戻った時には、天地が傾いた管制室の中で、オバルは頭と足が逆さの状態で倒れていた。生温かいものが頬に垂れていると思ったら、太ももに折れたパイプが突き刺さり、そのパイプを通して、出血した血が自分の顔の上に滴り落ちていた。骨も折れているらしく、力を込めようとすると激痛が走る。

 痛みに顔を歪めるオバルを見て、博士の子供が無邪気な笑い声をあげていた。

 これも後に知ったことだが、炉心溶融の最後の一瞬、管制室がロケットのように施設から離脱、離れた地点に不時着したのだ。博士を含め、スタッフの誰一人として、管制室にこのような機能が備わっていたことを知らなかったらしい。

 施設の中心部に取り残されて生き残ったのは、ハン博士と彼の息子、それにオバルだけだった。見学に来ていた市民の大多数が逃げ遅れ、高温の熱線に骨も残さずに蒸発してしまった。それはオバルの世界観を変えてしまう惨事だった。

 計器に挟まれ身動きできないまま、出血により意識が朦朧としてくる。そして博士の子供の笑い声を聞きながら意識を失う。気がつくと、病院のベッドに寝かされていた。

 大腿骨の骨折で、また入院とリハビリの生活が始まる。

 

 四か月後、オバルは施療院を退院した。

 また失業だ。しかしながら、今度は前よりも厳しい現実が待っていた。

 ファロスサイトの第一発見者として名前を売った分、跳返りも大きい。ユルツ国の誰もが、オバルに冷たい視線を投げかけた。なにより一番のショックは、両親の仕事を手伝っていた弟が、事故の巻き添えで亡くなっていたということだ。

 おまけに両親が離婚、母は都から逃げ出すように隣国の親戚の家に身を寄せていた。体調を崩し気味の母に付き添う形で妹も都を離れたため、都の家には父が一人残された。家に隣接する工場で、父は一人黙々とネジ切りの仕事を続けていた。その一人暮らしの父の所に、銭庄と呼ばれる金融業者が顔を見せたことで、実家が多額の負債を抱えていたことを知る。オバルは都を離れることにした。

 ドゥルー海沿岸の港町で荷役の仕事につき、細々と父に仕送りをする日々が始まる。

 肩夫として荷役の仕事に就き、体を動かしている間は余分なことを考えなくて済む。

 それでも夜になると、あの最後の一瞬が脳裏に蘇って、ベッドの上で跳ね起きることがある。辛い月日が過ぎていく。体のリハビリよりも心のリハビリの方が難しいということを、人は口にする。おそらくハン博士も同じ気持ちではないか。生きているなら会って話がしてみたい。そう思った。

 

 惨事から七年目に、父が亡くなる。

 葬儀のあと、家の片づけと父の遺品を整理。借金のかたに、明日には家も工場も人の手に渡ってしまう。ざっと家の中を片づけ工場へ。天井から革のベルトが何本も垂れ下がっている。蒸気機関の回転を下の工作機械に伝えるベルトだ。どのベルトも埃を被って久しい。熱井戸の蒸気が枯れるなかで、無用の長物となった動力機械たち。そのどれもに差し押さえの数字を振った赤い紙が、ベタベタと貼り付けてある。

 亡くなる直前まで仕事をしていたのか、足踏み式の旋盤の周りに、錆の浮いていない金属光沢を持った削りかすが落ちていた。

 作業台に錆ついた機械が置かれていた。修理でもしていたのか、外した部品が順番に並べてある。なかにポツンと一つネジ頭が転がっていた。薄く平べったい低頭ネジ。小振りのコインほどの大きさで、円盤状の縁ぎりぎりまで、十字型にドライバー用の溝が走っている。きっとネジの軸部分が錆びついて回らず、ドリルで抜くことにした。それに当たって、先にネジ頭を落としたのだろう。

 妹の話では、父はこの作業台に突っ伏し事切れていたという。

 オバルは、錆たネジ頭を摘み上げると、胸の内ポケットに押し込んだ。

 そして工場の奥の休憩室に入り、意外な物を見つけた。着古した作業服ばかりを詰めた箱の中にそれはあった。古代の通信機である。

 もう十五年も前になる。都の技術復興院で、古代の衛星を使った衛星通信の研究が流行したことがある。当時、通信機の部品を頼まれた際に、参考にと預かったものだが、研究が下火になり、仕事の発注者が配置換えになったために、通信機の返却要請がなされなかった。機械好きの父は、それをいいことに通信機を返却せず、そのまま手元に置いた。ただ棚に飾るのは気が引けたのだろう、箱に収納して、時々取り出しては眺めていた。その嬉々とした父の姿をオバルも覚えている。赤紙が貼られていないのだから、持ち去ってどこかで売れば、父の借金を返す足しにはなる。

 同じ箱の中からもう一つ。

 衣類の底に、なんと自分のカメラバッグが入っていた。惨事直後のどさくさで行方が分からなくなっていたものだ。カメラを出してみる。フィルムは入ったままだが、もう乳剤は変質しているだろう。そのバッグの中に、見慣れない親指ほどの板状の金属板を見つけた。どこかで見たことが、と思いながら記憶をまさぐっているうちに、オバルは、それが写真とは全く関係のないものだということに気づいた。

 以前愛用のトーカの調子が悪くなり、機械の外装を外して中を覗いたことがある。その時に見た、トーカに収められた情報チップが、いまカメラバッグから出てきたものとそっくりだった。表面に刻印された法輪模様から、チャクラチップと呼ばれる、古代の情報ディスクである。なぜそのチャクラチップがザックの中に……。

 試しにオバルは、その情報ディスクを自身のトーカに挿入してみた。魔鏡帳のトーカは自分の分身のようなもので、荷物にならない限りいつも持ち歩いている。もしかしたら、中の情報がトーカで引き出せるのではと考えた。

 息を詰めてトーカの鏡面に見入る。

 待つこと数秒、ノート大の映像パネル、魔鏡に浮かび上がってきたのは、あのサイトの管制室の画像だった。瞬時に、惨事の記憶が蘇ってくる。それは間違いなく惨事の日の画像で、管制室の様子が、ひたすら時間の経過どおりに録画されている。

 画像の中の時間が過ぎていく。記憶によれば、あと数分で非常事態の発生を知らせる警報が発令されるはず。画像と共に音も記録されているのだろうが、この魔鏡帳は音声再生機能が故障している。しかし音は聞こえなくとも、何が起きているかは十分推測可能だ。

 再生画像の中で、確実にその時が近づいてきた。

 確か異常発生から三分後に核力炉が制御不能に陥り、その一分後に避難警報が出される。スタッフの動きが慌ただしくなり、管制室の後ろの見学室に陣取っていた来賓の要人たちが、我を競って管制室から飛び出していく。あっという間に管制室はハン博士だけになった。博士は一人、操作盤にしがみつき計器を操作している。

 その博士が唐突に席を外した。管制室を逃げ出したのだろうか。否、数秒後、画像のなかに子供を抱いた博士が現れた。苦痛に歪んだ顔をしている。そこに管制室の扉が開いて、長身の男が入ってきた。長身の黒炭肌の男、自分だ……。

 いったん画像の再生を止めると、オバルは目を閉じた。

 もう一度そのチャクラチップを確かめる。これは管制室のデータを保存する情報ディスクだ。間違いない。録画内容の一覧を呼び出す。画像の項目は二百以上。管制室に配置された各ブース、データ室などの個室、サイト内の各施設、各種装置の取り扱い状況の画像などが、それぞれ十二時間の幅で録画されている。

 予感めいたものがあった。博士が息子を抱いて出てきた管制室の隣の部屋、制御システムの予備室の画像を引き出し、警報の出される少し前あたりから再生。

 画像が映し出される。中には誰もいない。非常時以外は使わない部屋である。ところが予備室のドアが開き、小さな子供が入ってきた。その子供が機械を弄り始める。この段階ではまだ何も変化はない。やがて子供が椅子を登り口にして計器盤の上に這い上がり、そこから更に上に登ろうとして、手近なハンドルに体重をかける。その瞬間、ハンドルが下に動き、予備システムの機器に電源が入った。

 計器に光が灯ったことで嬉しくなったのか、子供は操作盤上のスイッチやレバーを、手当たりしだいに……、

 オバルは映像の再生スイッチを切ると目を閉じた。続きを見る気力が失せたのだ。

 それはなんと形容していいか分からない気分だった。

 複雑な制御を必要とする機械や施設では、不測の事態が発生した時の事を考え、原因を究明する際の資料として、機器のデータだけでなく操作状況の画像を残す。これはそういった類のものだ。おそらく博士は、管制室がサイトから離脱して不時着した後、このチャクラチップの存在に気づき、器械から取り出した。できれば自分で持ち出したかったのだろうが、見つかる危険を考え、とっさにこのカメラバッグに押し込んだ。

 なぜ、そんなことをやったか。真相の隠蔽。違う、息子の悪戯が原因で事故が引き起こされたということ、そのことを伏せたかった。そういうことだ。

 オバルは椅子に腰掛けたまま、しばらく立ち上がれなかった。

 気力を奮い起こして立ち上がると、オバルは、トーカからチャクラチップを取り出し、父の部屋に残されていた時とう書の背の隙間に押し込んだ。このチップには、救いが必要だと感じたのだ。子供の悪戯によって引き起こされた惨事、それは惨事ではなく悲劇としかいいようのないものだ。もしこれが公になったとして、事故で亡くなった人も、その家族も、後遺症で苦しむ人たちも、誰も救われないだろう。

 これが明るみに出るくらいなら、惨事の原因は不明のままでいい。

 オバルは救われない気持ちで遺品の片づけを終えた。

 そして生まれ育った家に別れを告げようとした時、郵便受けの中に埃を被った広報紙を見つけた。最後の奉公と思い、それを片づけようとして見つけた。

 広報紙の間に何か挟まっている。封筒……、手紙だ。

 取り出すと、差出人に『犬の糞』という、馬鹿げた名が書いてある。

 破り捨てたくなる気持ちを抑えて封を切ると、中から古代語で書かれた便箋が出てきた。ファロスサイトで使われていた言語である。その言葉を使える人物など限られる。もしやと思い素早く文面に目を通す。果たしてそれは、ハン博士からの手紙だった。差し出しの日付は、二カ月ほど前になっている。

 手紙には、『自分は、いま大陸東の小さな半島で暮らしている。亡くなった人たちへの責任を取るために、いずれ都に戻るつもりだ。気になるのは老いた母のことだが、もし様子なり消息が分かれば教えてほしい』と、そう書かれていた。

 手紙の住所はチェムジュ半島とあるだけで、詳細は書かれていない。住んでいる場所を知られたくないのかもしれない。代わりに通信回線の登録番号のような数字が記されている。都の登録番号と比べて、いやに長い数字と記号の羅列。

 しばしその数字を眺め、オバルは、それが有線通信ではなく、衛星通信の登録番号であることに気づいた。古代の衛星を使った通信が、一部の好事家や研究機関、あるいは国家間の遠距離通信で使われるようになっていた。その研究に使われた機材の一つが、オバルの父親に預けられた通信械である。

 十年前の復興計画の最中に、オバルは何度かハン博士と個人的に話を交す機会があった。その際、博士が所有している衛星通信用の通信機と、オバルの父の手元にある通信機がそっくりであることに気づいて、それを話題にしたことがある。おそらくは、ハン博士もそのことを覚えていて、居住地を記す代わりに、衛星通信の交信番号を書き記したのだ。交信番号なら、そこから自分の居場所を知られる怖れはない。

 もしあのチャクラチップの画像を見ていなければ、オバルは博士に連絡を入れてみようなどと思わなかったろう。オバルも、ハン博士を責任を放棄して逃げ出した、無責任な研究者と見なしていたからだ。しかし息子の件を知ったことと、手紙にいずれ責任を取るということが書かれていたことで、博士と話をしてみたいと思った。互いに惨事の数少ない生き残りなのだ。

 数日後、仕事先の港町に戻ると、オバルは父の遺品である衛星通信用の機材を使って、ハン博士に送信を試みた。氷床ハンターの仲間に頼んで、機材が使えることは試してある。

 ハン博士の手紙に記された番号のキーを押していく。

 本当に繋がるのだろうかという興味もあったし、博士が生きているかどうか、それを確かめたいという気持ちもあった。話をするのは、その後のこと。

 電波が繋がる。しかしながら、博士がその通信に出ることはなかった。

 録音された博士の声だけが、通信機に内蔵されている音声再生器から聞こえてきた。

「伝言を残して下さい」と、丁寧な口調で……。

 オバルはハン博士の通信機に、博士の母親が都を引き払い所在不明になっている事と、自分の今の港町の住所をメッセージとして残すと、通信を切った。

 その後、半年の間に、何度か通信を入れてみるが、いつも録音された同じメッセージが返ってくるだけだった。そしていつしか、オバルは通信機を物入れに押し込んで、博士のことは忘れてしまった。


 父親の残した借金を返す地道で単調な肩夫としての肉体労働の生活が続く。

 オバルが借金を返し終えた時には、すでに惨事から数えて十年近い年月が経っていた。

 ところが、借金が帳消しになったその日に、次の問題が発覚した。

 オバルの母と妹は、隣国の母の実家に身を寄せている。その母方の従兄弟が、突然オバルを訪ねてきた。オバルの母が亡くなったのだ。が問題はそのことではない。従兄弟の話では、オバルの母が少ない手持ちの資金を増やそうと、当時流行っていた褐炭採掘地権株なるものに手を出していたというのだ。詳細は省くが、結局母はその投資株で三十七万ブロシュもの借金を作ってしまった。ネジ屋の女房が畑違いの株などに手を出すからと、ぼやいてみても仕方がない。

 従兄弟の言うには、その借金を妹が引き継いだという。しかし、特に技能もない妹に借金を返す当てはない。最後は妹自身が身売りするしかないが、それでも借金の利子を返すのが精一杯。従兄弟が不機嫌なのは、借金の取り立てに、その筋の者が母の実家を訪れているかららしい。まったく頭を抱えたくなる話だった。

 三十七万ブロシュもの金が、右から左に作れるはずがない。両親思いの妹、それにオバルにとっては、今や唯一の肉親である。何とかしてやりたいのは山々だが……。

 そんな悩めるオバルのところに、一通の手紙が届いた。久しぶりに『犬の糞』からで、オバルが三年前に博士の受信機に残しておいたメッセージへの返事だった。

 そこには「連絡をありがとう、いま自分は、世界を飛び回る渡り鳥のような生活をしている……」と、足を運んだ訪問地の様子がメモ風に記され、最後に「君のカメラバッグの中に、もし親指サイズの金属ケースが入っていれば、それを人に見つからないように保管しておいてほしい」という一文が、書き添えられていた。

 消印は、大陸南の亀甲台地の聖地になっている。素っ気ない文面だが、前回の手紙の文字がひ弱かったのと比べて、がっしりと自信のある筆致に変わっている。惨事の痛手から回復したようだ。

 手紙を受け取り、久しぶりに博士に通信を入れてみる。がやはり、録音された音声にしか繋がらない。手紙の文面のように、大陸のどこかを旅しているのかもしれない。

 しかし、手紙を読み返すうちにオバルは腹が立ってきた。

 自分はいつも借金を抱えてあくせくしている。それが同じ惨事の生き残りとはいえ、ハン博士は責任も取らずに、遠い世界をふらふらと旅して回っているのだ。無責任にもほどがあると言いたかった。何もかもに腹が立つ。

 が、とにかく今は、妹の借金を何とか工面しなければならない。

 そしてハン博士からの手紙が届いた翌日、突然状況が変わった。

 オバルの借りている港の肩夫宿に、一人の男が訪ねてきた。顔の真ん中で太い眉が一文字に繋がり、それが鼻梁のはっきりした鼻と相まって、顔の中に見事に丁字を描く押しの強そうな顔。港湾の手配師っぽい厚手の革の半外套を着た、がっしりとした体型の男だ。

 その丁字顔の男は、自身をファロス計画の事故検証委員会のスタッフだと名乗った。

 ファロス計画再興の動きが出てくるなか、まだ惨事の原因の解明がほとんどなされていないことを憂えた都の有志が、惨事の検証を民間でできないかと立ち上げた団体だという。現場からの数少ない生還者であるオバルに、何か提供してもらえる情報がないかと、遠路はるばる訪ねてきたのだ。

 民間のそれも純粋に検証を目的とする団体で、計画再興に対しては、賛成反対のどちらの立場も取っていない。それが検証を進める上で重要と考えるからだと、丁字顔の男は、顔に不似合いな控え目な調子で、来訪の目的を説明した。

「自分なんかよりも、ハン博士を捜し出し、彼に聞くのが一番の道ではないか」

 オバルの進言に、丁字顔の男は「それは全くそう」と、合いの手を打つと、

「会としても、行方不明になったハン博士を捜しているところだ。それに関しても、何か情報があればお教え願いたい。もし、なし崩しに復興計画が再開されて、あの惨劇を繰り返すことにでもなれば、取り返しのつかないことになる」

 真一文字の眉を上げ下げしながら、丁字顔の男は熱心に食い下がってきた。話しぶりは、真剣そのものである。

 オバルは、ハン博士がチェムジュ半島にいるらしいということを話そうかどうか迷った。腹の立つ男だが、一応自分を信頼して手紙を寄せてきた人物である。情報を安易に漏らすことには抵抗があった。

 オバルが口ごもっていると、何か知っていると感じたのか、丁字顔の男が「もし情報を提供していただければ、相応の謝礼をする用意がある」と、切り出してきた。

「資金の有り余った会ではないが、状況を憂う有志から集めた浄財がそれなりにある。実はその金を使って、情報を提供してくれた方には、二万ブロシュの賞金を出すことにしている。どんなことでもいいから何か情報はないか。とにかく今は、惨事の原因を突き止め、悲劇を二度と繰り返さないようにすることが肝要なのだ……」と。

 熱っぽく語る男にオバルの心が動いた。もちろん報奨金が出るということにもだ。二万ブロシュあれば、しばらくは妹の身売りを止められる。大切なのは、やはり肉親だ。

 オバルは意を決すると「実は……」と、ハン博士からの手紙を取り出した。

 ただし一通目だけである。二通目を伏せたのは、当然そこに例の情報チップのことが書かれてあるからだ。

 丁字顔の男は、手紙を手にしたままじっと立っていた。文面から読み取れることを分析している風でもある。一瞬オバルの胸に、目の前の男が情報局の人間ではないかという疑念がよぎる。しかし手紙を見せたことで、気持ちは吹っ切れた。衛星通信の機材を使って博士の声を聞かせることにした。

 オバルが物入れから例の通信機を取り出すと、男は目を丸くした。こんな場所で、衛星通信の機材を見るとは思ってもいなかったようだ。

 オバルは、通信機に匣電を繋ぎ、電源が入るかどうかを確認すると、肩夫宿の窓を開けて、手すりの上にシート型の平たいアンテナを置いた。シートの中に様々な周波数に対応したアンテナが、電子回路のようにコンパクトに埋め込まれている。加えて宇宙空間にある高性能の巨大なアンテナを装備した通信衛星を用いることで、小型のアンテナによる微弱な電波でも送受信が可能になると、ハンター仲間から聞きかじったウンチクを男に披露しながら、通信機の盤面のキーを押していく。

 回線が繋がり、いつもの録音されたハン博士の声が、通信機内蔵の小型の拡音器から流れる。男に二度同じ録音を聞かせると、オバルは通信を切った。

 通信機を睨んだまま、丁字顔の男は考え込んでいた。

 考える必要がどこにあるとオバルは思ったが、唐突に男は「手紙の場所まで行って、ハン博士が、そこにいるかどうかを、確かめてきてくれないか」と切り出してきた。

「できればユルツ国に連れ戻して欲しいが、それができなくとも、検証会の活動への協力だけでも取りつけて欲しい。実際に国に戻らなくとも、発言を録音するなり、文章を書くなりして、当時のことを証言する手段はある。そういう方法でもいいので、先の復興計画で発生した事故について、彼が証言しても良いとの合意を取りつけてもらえれば、オバルには協力金として、先の倍の金額を謝礼として進呈しよう」

 丁字顔の男は、はっきりとそう提案した。

 倍の金額というと四万ブロシュ。それだけあれば、妹の借金の利子だけでも当分の間は困らない。自分の家庭の窮状を見透かされているような気もするし、金で心が動いたと思われるのも癪だが、それでも金の力は大きい。

 検証会の男は、自信を持った口ぶりで話を進めた。

「自分は会の中でハン博士の件を一任されている。だから独断に見えるかもしれないが、間違いなく謝礼のことはお約束できる。ハン博士の行方については、手掛かりが何もなかった。あなたの言うように、ハン博士がそこにいるとして、直接会い行くのは、検証会のメンバーではなく、ハン博士が手紙を寄越すほどに信用のある、あなたが一番。当地に赴くまでの資金も、仕事を休む間の休業保障もきちんと行う。契約証も交わしましょう」

 そこまで言われては、オバルも断る理由がなかった。

 そうして、オバルは検証会から旅費として相応の金を渡され、妹の借金の利子はオバルが戻ってくるまでの間、検証会が肩代わりするという契約の元に、ハン博士のいるというチェムジュ半島に向かう旅に出たのだ。


 有り金を盗まれたおかげで、半月ほど無駄な時間を過ごしてしまった。

 ところが、そのおかげで博士の母親に会い、息子の居場所も掴めた。寄り道としては余りある収穫だった。そして一つの案が浮かんだ。それがハン博士の通信機に、母親のレイ先生から呼びかけてもらうというものだ。博士が通信機の近くにいれば、自分や検証会の呼びかけには応じなくとも、受信のマイクを取るのではないか。

 その可能性を試してみない手はない。

 すぐに検証会に打診して相談する。何の問題も無かった。いや、計画再開の公式発表は、もう明日にもという段階に来ている。少しでも早く博士に連絡を取る必要がある、急いでやってくれという返事が返ってきた。

 先にレイ先生には、自分は検証会の依頼でハン博士を捜しに行くのだと、今回の旅の目的を打ち明けてある。連絡のために診療所分室の有線回線を使わせてもらう了解もだ。

 鍵を預かり、分室の隣の部屋に引き込まれた回線に、検証会から渡された小型のデジタル通信機を繋げ、先ほど検証会の事務所の通信機と、そこに接続してもらった父の遺品の衛星通信機を経由して、博士の通信機に電波が繋がるかどうかの試験を行ったところだ。結果は上々だった。

 レイ先生は滞在を一日延ばしている。ユカギルに前任の医師が出戻りで戻ってくることが決定、それによってレイ先生はこの町に出張診療に来る必要がなくなった。そのことがあって、レイ先生は今日一日をかけて、町の診療所で診療の引き継ぎをやっている。夜は送別会だという。予定では、あと一時間もすれば、送別会を終えて、レイ先生が下の分室に姿を見せるだろう。そのレイ先生に博士の通信機の録音を聞いてもらい、メッセージを入れてもらう。

 もっとも、レイ先生には、ハン博士が大陸東のチェムジュ半島にいるらしいということだけを伝えて、そこに通信機があるということは話していない。通信ということで、あまり期待を持たせ過ぎてもいけないと思ったのだ。

 なにせ、繋がるのは『録音された声』だけだからだ。

 とにかく後は、レイ先生に通信機に向かって喋ってもらうだけだ。


 ユカギルの町から聞こえてくる爆竹の音でオバルは我に返った。魔鏡帳を見つめたまま、居眠りをしてしまったようだ。頭上では相変わらず風車がギシギシと音を立てて回り、羽根の先端には、ハン博士の息子の帽子が引っ掛かって揺れている。

 オバルの脳裏に、風車を見上げる少年の困惑した顔が浮かんだ。おそらく、帽子を引っ掛けられた直後に、風が止んで風車が頭上で止まってしまい、帽子を取り戻せなかったのだろう。少年が取りにきて困らないように下に取り置いてやろうか。

 そう思って立ち上がったオバルの目に、風車の向こうから近づいてくる人影が映った。

 左右の尾根筋、それに斜面の下からも。この時間、明かりを持たずに歩くというのはおかしい。体型は男、スキの無い歩き方をしている。

 身構えたオバルに、闇の中から抑えた声が届く。

「命の安全は保証する。御同行願おうか、アグナワン・ハディヤ・マ・オバル殿」

 姿を見せた男たちは旅の隊商の姿をしていた。暗くて顔は分からないが、みな上背のあるがっしりとした体格をしている。オバルは胸の動悸を押さえつつ「昔から、名前を省略せずに呼ばれた時は、逆らはないようにしているんだ」と、用心深く声を返した。

 男たちに前後を挟まれるようにして、牧人道を西へ。

 半刻後、オバルは盆地西の尾根筋を越えたところにある窪地に立っていた。

 窪地の中央に中型の幌付き馬車が三台、脇に野営のテントが張られている。一見すると旅の隊商のように見えるが、火は焚かれていても、夜のざわめきがない。隊商の男たちは、夜は博打か歌か腰相撲に興じるものだ。その猥雑さがない。ユルツ国の警邏隊だなと、オバルは見て取った。

 中央に張られた裾の高いテントに、背を押されるようにして入った。

 両耳に小型のヘッドフォンを当てた商人風の男が、魔鏡帳とよく似た機械のキーを叩いている。天幕の外から、アンテナの設置を告げる声。どうやらこの商人風の男が扱っているのも、型は違うが衛星通信の機械らしい。

 その通信士に気を取られたオバルに、テントの奥から声がかかった。

 録音したようなくぐもった声……。

「必要とあらば警邏隊も商人の姿をする、こっちへ来い、オバル」

 テントの奥で、細身の上官らしき者が、オバルに背を向けたまま書類にペンを走らせていた。その細身の人物の背に、オバルが声を投げつける。

「随分大げさなことをするな。俺ごときを連行するのに、六人も隊員を寄こすとは」

「臆病で逃げ足の早い動物は、一度逃がすと捕まえるのがやっかいだからな」

 先ほどと同じ人工的なくぐもった声が返ってきた。その声の主が、机の上に置いてあった黒い革袋を掴むと、後ろ手にオバルに向かって放り投げた。オバルの足元にそれが落ちる。盗まれていたオバルの巾着袋、貴重品入れだ。

「先日捕まったこそ泥が持っていたものだ。港町で荷を担いでいたと思ったら、今度は

田舎の炭鉱に潜り込んでいる。図体は大きいくせに、素早いものだ」

 ばかにしたように話す指揮官らしき者が、ゆっくりと振り返った。何か言い返してやろうと身構えていたオバルが、その指揮官の顔を見て「あっ」と声を上げた。

「どうした、私の顔を忘れたか、もっとも残っているのは半分だが」

 警邏隊の官服を着た人物の顔の左半分が、冷たい金属の皮膚に覆われていた。

オバルが、「ダーナ……」と唸るように呟いた。



第十五話「移転」・・・・第十九話「旅立ち」・・・・

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