調査艇
調査艇
午後四時、ダーナの頭上を飛行機が爆音をたてて飛び去っていく。
八十人ほどの人を乗せた艀の一行が、飛船に曳航されて波止場に入ってきた。ヨの字型の波止場は、次々と到着するヨシ船、小船、艀で、騒然としている。
先に上陸を果たした者の中で余力のある者たちが、到着して倒れ込んだ人たちを、抱きかかえるようにして講堂に運んでいく。
講堂前で若者に混じって立ち働いていた春香が、ダーナの姿を見つけ「墓丘にいた人たちを含めて、避難してきた人が、ちょうど千人を超えました」と嬉しそうに報告。ダーナが手を上げ、「まだまだ来るぞ、よろしく頼む」と激励した。
ドバス低地全域の人口は、避難民を含めて五百万。そのことを思い起こしながら、ダーナは「千人か……」と呟くと、そういえば避難民が到着し始めてから、避難所にしている講堂の中を覗いていなかったということに気づいた。
そしてダーナが一寸講堂の様子をと、講堂に上がる階段に足をかけた時、波止場の方向でざわめきが起きた。新たに船が着いたのだろうと、振り向きもせずに、そのまま階段を上がりかけたダーナの腰の無線が鳴る。受信のスイッチを入れると、「ダーナさん、すぐに波止場へ」と、ジトパカの緊迫した声が耳に飛び込んできた。
声の様子からして、何か良くない事が起きた気配がする。ダーナは急いで階段を引き返すと、波止場に向かった。
講堂前の階段から広場、広場から講堂横のテラスを走る。テラスから船揚げ場を含む波止場と倉庫の並びが見渡せる。
テラスの手すりから身を乗り出すようにして波止場を見やると、船揚げ場の左前方にある岸壁越しに、ゴーダム国の旗をなびかせた中型の船が入ってくるのが見えた。シャンから聞いた、昨夜墓丘に乗り着けたゴーダム国の調査艇のようだ。船上に見えるのは警邏隊員、鍔のない帽子に赤い波形の模様が縫い付けられている。水上警邏隊だ。甲板の何人かは銃を構えている。船は警邏艇と違って舷側が高く、窓のない箱のような形をしている。外洋調査のために特注された船らしい。おそらく密閉された箱のような構造ゆえに、決壊流による転覆を免れたのだろう。
その装甲船のような調査艇が、岸壁に接岸しようとしていた。
先に上陸して、疲労困憊の態で船揚げ場や岸壁の周辺に腰を落としていた人たちが、疲れた顔で体を起こす。半分以上の人は、体が言うことを効かないのか、顔は上げても横たわったままだ。
それでも余力のある者は、関わりになるのを怖れるように、荷物を抱えて後ろに移動を始めた。一方、船揚げ場で飛船に給油をしていた若衆組の青年たちが、作業を続けるべきかどうか迷って、相談できる相手を探している。
ダーナは、ずれを調整するように仮面を手で押さえると、足早に階段を下り、波止場の手前、船の修理小屋の横で足を止めた。予断を許さぬ事態になる恐れがあった。
しかしまずはベコ連の年寄りたちの対応を見てからと、そう思って接岸を始めた調査艇の動向を窺うように見つめる。
そのダーナが苦笑いした。知らず知らずのうちに、自分の手が半外套の内側に差し入れられていたのに気づいたのだ。胸の内ポケットには銃が入っている。翁たちには武器を放棄するよう注進したが、実は自分はまだ銃を所持している。銃というものは、一度それを手にしてしまうと、放棄するのが難しいものだ。
最前列にいるベコ連の代表ジトパカが、後ろを振り向いて、探しものをするように首を回している。自分を探しているのだ。そのジトパカの目が、修理小屋の陰に佇む自分を認めた。ジトパカと視線が合うと、ダーナは応えるように大きく頷いた。
それで安心したのか、ジトパカは前に向き直ると、上陸のための板を下ろし始めた調査艇に向かって歩を進めた。
見守るダーナの手を「あの人たち、昨日、墓丘にやって来たゴーダム国の兵隊だわ」と、小さな手が握り締める。春香だ。
調査艇を岸壁に横着けするや、船上にいた警邏隊の一団は、すぐに板を渡って岸壁に上陸してきた。銃を構えて岸壁に降り立った連中に、ジトパカを先頭にしたベコ連の年寄りたち七名ほどが歩み寄る。みな気合いを入れるように、普段はまちまちな被り方をしているベコ帽を、真っすぐに被り直している。
春香が不安げに漏らした。
「大丈夫かしら、あの人たち、昨日の夜、オバルさんの飛行機に銃を乱射したのよ」
様子を見守りつつ、ダーナが言った。
「盤都の連中がいるかもしれないと思って、用心しているんだ。まさか丸腰の年寄りを撃つことはないだろう、曲がりなりにもここは聖地だからな」
自分の見立てを口にしたダーナは、「それでも用心しておいた方がいいのは確かだ」と付け加えると、春香の耳元に口を寄せた。
「いいか春香、お前は講堂に戻って、動ける者は直ちに波止場に集まってくれるよう呼び掛けてくれ。ただし絶対に手出しは不要、波止場を取り囲むように立ってくれとな」
緊迫した口調でそう言うと、ダーナは春香の手を押さえるように握り締めた。ダーナの澄んだ灰色の瞳が、この伝言の重要さを示していた。
春香は小さく「はい」と答えると、身を翻して講堂へ駆け出していった。
岸壁の上で、銃を持った十人ほどの警邏隊員と、ベコ連の年寄りたちが向かい合った。
その様子を注視しながら、ダーナは無線機を耳に当てた。ジトパカの腰にぶら下げた通信機は、スイッチが入れたままになっている。事前の打ち合せ通りだ。
銃を構えた警邏隊員の真ん中にいるのが上官らしい。その揉みひげの男とジトパカの会話が、耳に当てた通信機を通してはっきりと聞き取れる。
ジトパカの銃を放棄するようにという要請に、警邏服姿の男たちは、全く取り合おうとしない。襟に曹長の認識票を付けた揉みひげの男が、ベコ連の翁たちを馬鹿にしたように見下し、お前たちは関係ないとばかりに、「湖宮の責任者はどこだ」と怒鳴った。
警邏隊員の一人が、自分たちの行く手を阻むように立っているジトパカを突き飛ばした。
「困ったやつらだ」
軽く肩を上下させると、ダーナは建物の陰から避難民の間を割って前に出た。
銃声が鳴り響く。
一瞬の静寂と緊張が辺りを支配する。拳銃を頭上に差し上げたまま、避難民の間からダーナが岸壁の中央に姿を見せた。そして翁たちの後ろで立ち止まると、手にしていた銃を警邏隊員と自分との間に放り投げた。
ぱらついていた雪で濡れたダーナの仮面が冷たく光る。
仮面を付けた人物の出現に、調査艇の隊員たちが、ギョッとして動きを止める。
「何者だ!」と、揉みひげの曹長が大声で問い質す。
ダーナはあえて間を取り、曹長から視線を外すと、後ろに控えた部下の警邏隊員と、調査艇の上にいる残りの隊員たちに目を走らせた。そしてゆっくりと曹長に視線を戻すと、国と国の挨拶の場で交わされる、明瞭で抑揚を持たせた発声で呼びかけた。
「私は今ここの全権を任されている者だ、名をブィブァスブィット・リーウォク・ダーナという。見るところ、そこもとの一行は、湖宮に上陸するつもりらしいが、ここは聖地だ。銃器の持ち込みは禁じられておる。もしどうしても銃器を手放したくないというなら、残念だが入宮はご遠慮願おう」
高圧的でなく、しかし威厳を持って諭すダーナを、揉みひげの曹長は、ねめるような視線で睨みつけた。そして、目の下の筋肉を痙攣するようにひくつかせると、
「ふん、思い出したぞ。お前はユルツの政府の者だな、ユルツ国の者がなぜ湖宮で偉そうに喋っている」
当然の質問とばかりにダーナが頷く。
「知らないか、私の義兄がここの公師なのだ。それに私はすでにユルツ国の政府とは関係ない身分だ、すべての役を解かれている」
ダーナは動じることなく淡々と答えると、曹長を取り巻くように立って銃口を自分に向けている隊員たちに、視線を投げかけた。
「皆の者、繰り返すがここは聖地だ。聖地は祈りを捧げる場であって、人を殺める場ではない。銃を手にすることは、男が女の格好をするよりも似合わない」
間髪を入れず「そうは思わない。それに軍人にとっての銃は、僧侶の僧衣のようなものだ」と、曹長が声高に言い返す。
「ユルツ国は古代兵器をバドゥーナ国に売却し、多数のゴーダム国の住人を死に至らしめた。そのユルツ国の人間の話すことが、信用できるか。ここの公師に会って話を聞こう」
「公師は誰ともお会いにならない、お前とも、それに私ともだ」
「なんだと!」
いきり立って喚くや、揉みひげの曹長は、握り締めた銃をダーナに向けた。
向けられた銃口を穏やかな表情で眺めながら、ダーナが語りかけた。
「湖宮の関係者は、いま湖宮地下の祈祷所で、今回の災厄を治めるための祈りを捧げている。一心にだ。湖宮という巨大な船は、人の祈りの力で動くものだそうだ。争いは祈りを妨げる。ゆえに聖地での争いは、ご法度。繰り返すが、神は争いを好まぬ。もし我々が聖地に争いを持ち込もうとするなら、それは即、神の怒りとなって我らの上に降り注ぐことになる。そう私はここに嫁いでいる姉から言付かった」
ダーナはチラッと首を振って拝殿の方向に視線を振った。そこに姉がいるとばかりにだ。
ダーナが続ける。
「姉は公師たちの祈りの言葉を聞き取るために、いま拝殿の奥の部屋で瞑想状態にある。その姉が先ほど新しいお告げを授かった。見よ、船は二つの都を目指しながら、その一歩手前でピタリと歩みを止めている。それは、まだこの地に争いの情念が渦巻いているからだ。争いの火種が残っている間は、聖なる船は二つの都の人々を救いには向かわぬ。繰り返す、武器をその手から放たれよ」
揉みひげの曹長は、ダーナに向けた銃口を心持ち低くしたが、それでもまだ疑り深い目でダーナを睨むと、声高に言い返した。
「昨夜の砂洲の連中には、バドゥーナの人間もいた。俺には部下の命に対して責任がある。もしもの時は、自分たちの身は自分たちで守らねばならん。武器は自分たちの身を守ることにしか使わないと約束すれば、それでよかろう」
ダーナが首を振った。
「神が武器の所持そのものを拒否している。先に湖宮に上陸した者たちにも、武器のたぐいは放棄してもらった。だからあなた方の心配は杞憂だ。もしどうしてもというのであれば、いざという時のために、武器を後ろの鉄の船に残し、湖宮と共に曳航して行けば良いではないか」
背中越しに部下が曹長にささやく。その声を受けるように曹長が怒鳴った。
「おまえは銃を持っていた。そうやって銃を隠している輩がいないと誰が保証する」
問答を楽しむかのようにダーナが悠然と答える。
「私の銃は、救助作業の際の信号用に持っていたものだ。そうやって、銃を持っている者がいないとはいえない、誰も保証はできないだろう。しかし今為すべきことは、一切の争いの種を、この湖宮の上に持ち込まぬよう努力することだ。こうやって話している間にも、凍えて命を落とそうとしている者がいる。それに新たな決壊流の危機も迫っている。一刻も早く被災して救助を求めている人々に、救いの手を差し伸べる必要がある。そのためには、湖宮をその地に差し向けなければならない。
先にも話したように、湖宮を動かすのは祈りだ。それは公師だけの祈りではない。彼の地に住む全ての者の祈りが、この巨大な船を動かすのだ。濠都にも救いの手を求める人たちがいるだろう。もちろん湖宮だけで救助が完了するのではない。被災した人たちを助け上げ、湖宮まで運ぶのは我々の仕事だ。そこもとも早く武器を放棄して上陸し、再びその鉄の船で、自分たちの同胞の救助に向かうのが良かろう」
いつの間にか、波止場を見下ろす丘の上には、様々な服装をした、様々な顔の人たちが、二人のやり取りを見守るように立ち並んでいた。
すでに曹長の後ろの部下たちは、銃口を下に向けていた。揉みひげの曹長だけが、苛つくようにダーナを睨み付け、その苛だちを誤魔化すように、しきりと揉みひげを指でしごき続ける。自分が誰かの考えに屈伏するのが嫌なのだ。曹長が顔を赤らめ怒鳴った。
「剣だけは帯同させてもらうぞ、これは南の血を引く我ら濠都、警邏隊員の魂だからな」
ダーナが残念そうに首を振った。
「受け入れられない。魂だからこそ、それを放棄することが平和の証となる」
きっぱりと言い放つや、ダーナは、自身の顔の半分を覆っている金属のマスクを取った。
爛れた皮膚が露わになる。
一瞬、警邏隊員たちが息を呑むのが分かった。
ダーナはじっと目の前の曹長を見つめ、そして語りかけた。
「指揮官よ、何とかこの顔に免じて武器を引いて下さらぬか。ここで押し問答をしている間にも、凍てつく水に沈み、息を絶えようとしている人々がいる。その小回りが効いて足の速そうな鉄の船があれば、たくさんの命が救えるであろう。ぜひにその船を、人の救助に貸していただけると有り難い」
後ろの部下が、困惑した顔で「曹長……」と声をかける。
揉みひげの曹長が、口元を歪めたまま、チッと舌先を打った。
「分かった、武器は船の中に収納することにする。しかし窮民街の連中とは別のところで、休息させてもらうぞ」
「はいはい、一等地にご案内いたしますよ」
にこやかな顔でベコ連の翁たちが、ダーナの前に出てきた。
揉みひげの曹長が後ろを振り向き、部下の隊員たちに向かって声を張り上げる。
「荷を下ろせ。監視の者二名を残して、あとは再度乗船。すぐに都に向かう」
ダーナは礼を正すように、ゆっくりと仮面を顔に添わすと、後ろを振り返った。そして、集まっていた人々に向けて、くぐもった、しかし張りのある声を響かせた。
「聞いてほしい。私はユルツ国の者だ。便宜上、ここの代表のような口をきいているが、それは湖宮に身内がいることと、ここに一番乗りしたという、全くの偶然からだ。いま湖宮の僧官の方々は、今回の災忌を振り払うために、湖宮の奥深くで祈りを捧げていらっしゃる。できれば私たちは私たちで、この災厄を乗り越えるための努力をしたいと思う。一晩寒さに耐え、限界だという御仁も多かろう。だが寒さと死の恐怖に打ち震えている人々が、この低地帯にはまだたくさん残されている。なんとか、その人たちを救いたい。それが僧官の方々の祈りの助けにもなることだと思う」
期せずして、拍手が起こった。
人の輪の最後尾で、シャンは妹の話す様子を見ながら、「蛙の子は蛙、まあ適材適所といったところね」と微笑んだ。
ダーナは軽く手を挙げ皆に答えると、「私は、公師たちのお告げを仲介する姉に付いているので、実際の切り盛りは、ここにいるベコス地区出身のご老体たちがやってくれる。翁たちは、全員がこの地に都ができる前からの生え抜きの、土地っ子だそうだ」
集まった人々にベコ連の翁たちを紹介すると、ダーナは後ろに下がった。
後方で成りゆきを見守っていたシャンのところにダーナが姿を見せた。
「一件落着とはいかんだろうが、これで当座は救助作業に専念できるだろう」
さばさばした表情のダーナに、シャンが不思議そうに聞く。
「ダーナ、あの放り投げた銃は、お爺様の形見の品でしょ。もしあの揉みひげの曹長が、最後まで武器を手放さずに上陸を迫ってきたら、どうするつもりだったのよ」
ダーナが腕組みをして唸った。
「その時は、あの男に死んで貰うしかなかったかな……」
首を傾げるシャンに、ダーナが服の膨らみをポンと叩いた。
「なあに、持っている銃が一丁とは限らん、ということさ」
さっき投げた銃は、確かに祖父から贈られた形見の銃。そして、いま胸の中に入っているのが、シャンが春香に託し、ダーナが機上から布に包んで投げ捨て、反対派のロズネの手から再度ダーナに戻って来たものだ。
シャンが口を曲げてダーナを睨んだ。
「まっ、呆れた、これだから政治家は信用できないのよね」
「嘘も方便、終わり良ければすべて良だ」
ダーナは春香に片目を瞑ってみせた。
シャンの後ろで話を聞いていた通信官の若者が、物知りげに口を挟んだ。
「ものの本には、人を騙す詐欺師も、百万の民を騙せば、りっぱな政治家になると書いてありました」
ダーナが笑って言い添えた。
「それに付け加えるなら、嘘がばれた時に言い訳のできない者が詐欺師で、正当化する技をもっている者が政治家といえるな」
次話「第二次決壊流」




