夏送り
夏送り
普段は闇に沈む町のあちこちに、明かりが灯されていた。
ユカギルの町で用いられている照明器具は、ほとんどが白灯と呼ばれる電照灯で、光源は鉱石球という発光性の半導体になる。その白灯が各世帯に四個から五個、加えて祈祷室に油灯というのが、ユカギルの家庭の平均的な照明設備である。この照明の電源となる匣電は、町の西側の丘に据えられた小型の風車で充電される。運ぶ手間を考慮したうえで、風車が町の外に設置されるのは、何より騒音対策。風車というものは案外うるさいもので、多くの囲郷が、郷規で町なかに風車を設置することを禁じている。
形や光量は違えど、町のあらゆる白灯が街路を飾り、その白灯の仄白い明りに、普段あまり町で使われることのない燭光灯のオレンジ色の光や、カンテラ、油灯、祈祷用の皿灯などの赤い炎が混じる。極めつけは石炭の篝火で、今宵に限っては大盤振る舞いに石炭が放出され、町のあちこちで赤い炎をたぎらせていた。
祭りの夜に燃え盛る炎は不可欠、何より今宵はただの夏送りの夜ではない、熱井戸の復活を祝う祝祭の夜だ。
広場を初め、往路のあちこちに張られた天幕の下では、様々な催しが行われていた。
旅の商人たちが、異国の産物を並べて口上をまくしたてる。
弓奏の調べに合わせて、着飾った町の娘たちが踊りを舞う。
屠られた毛長牛の肉が焼かれ、熱いスープと共に、誰彼となく振舞われる。
旅芸人たちが剣劇を披露し、詩人が詩を朗読し……。
その華やかな催しと沸き立つ歓声と拍手を耳に、ただぼんやりと地面にしゃがみこみ、幸せな顔で赤い火と立ち昇る蒸気を眺める人たちもいた。いつもは町の方針を巡っていがみ合う町長と司経までが、仲良く談笑している。誰もが、これから訪れるであろう冬を暖かく迎えることのできる安堵の表情で充たされていた。
そんな穏やかな夏送りの夜の雑踏を、ウィルタは春香の手を引き、天幕から天幕、人の輪から輪を、覗きこみ、お喋りを交わし、香ばしく焼けた肉を頬張りながら歩いていた。
蒸気の開通式のあと、春香はいつにも益して重苦しい目つきに沈んでいたが、ウィルタは、その表情の変化を、何かを積極的に感じ取ろうとしている証しだろうと、あまり気にも留めず、あちらからこちらへと連れ回していた。火吹きの芸を試させてもらったり、都の写真館の出店で即席の写真を撮ってもらったりもした。
気がつくと、二人は広場の隅の人だかりの前に立っていた。
その場所だけが、和んだ広場に突き刺さったトゲのように、緊張感を漂わせている。
何だろうと、ウィルタが人囲みの間に頭を突っ込むと、中で酔っぱらいらしき男が、椅子に座った老婆に捲し立てていた。
酔った男は、ばくち打ち、手に革製の壺が握られている。一方の老婆は、裳裾の布を掛けた小さな台からして、占い師。ばくち打ちが、占いの老婆に、自分の振るサイコロの目を当ててみろと迫っているのだ。
ばくち打ちが強引に壺を振り、渋々老婆が目を当てるということが続いた。しかし結果は何度やっても同じ、老婆はいとも簡単にサイコロの数字を言い当てる。
「サクラかな」と、ウィルタの頭の上で声がした。顔を上げると、のっぽの黒炭肌の男が、ウィルタの頭越しに、ばくち打ちと老婆のやり取りを見ていた。
そうするうちにも見物の連中から、「どうした、ばくち打ち、たまには婆さんの予想を外してみろ」と、野次が飛ぶ。
ばくち打ちが目を吊り上げ、取り巻きの連中を睨み返すと、上着を脱ぎ始めた。
「駄目だ駄目だ、俺は金が掛かってないと、調子が出ねえんだ」
そうがなりたてると、ばくち打ちは脱いだ上着を頭上にかざした。
「俺は今、すっからピンで銭がねえ、だから賭けるものといやあ、この上着くらいだ。いいか、上着といったって、この寒空。こいつがなきゃ俺は凍え死んじまう。つまりこの上着は俺の命。俺はこれを賭けるぞ」
ばくち打ちが、獲物を狙う獣さながらのギラギラした目を老婆に向けた。
「いいか今度は真剣勝負だ。オレは命の上着を賭ける。だから婆さんにもそれなりの物を賭けてもらおうじゃねえか、えっ、どうだ」
取り囲んだ面々から、「よせよせ、酔っぱらった上、上着なしじゃ本当に死んじまうぞ」と、同情とも冷やかしとも取れる声が投げつけられるが、ばくち打ちはその忠告を無視、
「どうだ、賭けに乗るのか、乗らねえのか」と、更にまくしたてた。
占いの老婆は、珠送りしていた手の中の数珠をパチンと音をたてて止めると、
「それじゃ私も命を賭けさせてもらいましょうかね」と言って、クックッと笑った。
「何が可笑しい!」
馬鹿にされたと思って声を荒げるばくち打ちの前で、老婆がゆっくりと面を上げた。
頭巾の影に隠れていた顔が露わになる。目が白っぽい。取り囲んでいた野次馬たちも気づいたらしく、ざわついていたその場が静まり返る。
老婆が首から下げた巾着袋を軽く揺すってみせた。
「分かっているさ、あんたは、こいつの中身を賭けて欲しいんだろう。でも本当の勝負をしたいなら賭けるのは命。命を賭けないと勝負の切っ先が鈍るからね。私は本物の命を賭けるよ。もっとも私の使い古した命じゃ、あんたの命と釣り合わないかもしれないけどね」
言って老婆がまたクックッと笑う。
「何を四の五の言ってる、賭けに乗るのか乗らねえのか」
「分かったわよ、賭けには乗るから、あんたは、その黒い目玉を一個賭けておくれ。汚れた上着なんかいらないよ。死ぬまでに、私も、もう一度日の光を感じてみたいからね。目玉が一個、それでどうだい」
予想外の条件を出されて、ばくち打ちは怯んだ。しかし観客の視線が自分に集まっていると見るや、見栄を張るように声を張り上げた。
「いいだろう、やってやろうじゃねえか、目玉の一個と言わず、二個とも賭けてやる」
老婆が肩で笑った。
「それは嬉しいこと、でも目玉が二個もあると、世の中が見え過ぎて困りそうね」
「負けて泣き言を言うなよ、勝負は丁半の一発勝負だ、いいな」
いぎたなく念を押すと、ばくち打ちは賽を指で挟むように摘みあげ、ゆっくりと見物人に回し見せた。その儀式めいた動作に、場を取り囲んでいた人たちが息を詰める。
とその間合いを見切ったように、老婆が「そうそう」と声を上げた。
「言い忘れていたけど、あんたの袖の中にある砂入りの賽は使わないでおくれ。あたしゃ本当の勝負がしたいんでね」
壺を振りかざしたままの格好で、ばくち打ちが身を堅くした。
「どうしたの、振っていいよ」
手の中の数珠をパチンと鳴らした老婆に、ばくち打ちがチッと舌を打つ。その舌打ちの音が届いたのだろう、老婆が困ったもんだと、ため息をこぼした。
「あんた、壺を振る相手を間違ってるよ。あたしゃ占い師。占い師は目で物を見るんじゃない、心で見る。目で見る者は騙されても、心で見る者は騙せない。どうするね、一度壺を振ったら後戻りはできない。今夜は祝祭の夜さね。あんたが、賽を懐に納めて立ち去るなら、この勝負、なかったことにしてあげるよ」
広場の演台で鳴らされる爆竹の音がうるさいほどに伝え響く。ばくち打ちは、悔しさを押し殺したように、もう一度小さく舌を打つと、上着を引っ掴んだ。
野次馬たちを押し返し、ばくち打ちが人の輪を出ていく。
送るように、老婆がしわがれた声をあげた。
「さあさあ誰か、未来を占って欲しい人はいないかえ」
「ここにいる!」
人垣を越えて声が返ってきた。町長のタルガバンだ。
人を押し分け前に進み出るや、タルバガンが問う。
「古来より占いの士は、国王に仕え、世事と祭り事の儀の双方に通じたる者。
今、木鐸たる賢者に尋ねたい。このユカギルの地に新たなる熱床の発見されしこと、大いなる慶賀なれど、その喜び永劫にならざりしこと自明の理。たとえいかように大きな熱床なれど、その寿命はたかだか百年。今の熱床が枯れた時、次の新しい熱床が見つかるという保証はどこにもない。
聞くところによれば、西方の国では、北から張り出してきた氷の大陸に呑み込まれてしまった町も多々あると聞く。東方の大陸では、火炎樹さえ育たぬガラスの砂漠が広がっているともいう。尋ねたい。この星が凍てつき、やがて氷に閉ざされた死の星になってしまうというのは、真の話なのか。あなたの水明な眼差しで占ってほしい、この街の未来を、そしてこの星の未来を」
体の前に杖をつき、寄り掛かるように両手と顎を乗せて話に耳を傾けていた老占い師は、町長の実直そうな話しぶりに小さく首を撓ませた。
「まこと、未来を知ったからといって、大地が昔の温もりを取り戻す訳でもあるまい」
水を差すような老婆の物言いに、それでもと、タルバガンが言い返す。
「未来を知ることができれば、策を講じることもできる」
老婆はため息と共に「人とは哀れな生きものじゃ、知ることで不幸になるということもあるというに」と呟くと、懐から手の平ほどもある水晶の玉を取り出した。
鏡のように外の世界を映す水晶玉は、老婆が手を翳したとたんに輝きを失い、森羅万象の全てを吸いこむような深い蒼色に変わる。水晶の中で蒼い波が揺れる。寄せては返し、返しては寄せる蒼い波。波は遠い異国の風を運んでは砕け、白い泡となって波間に消える。そうしてまた次の波が別の風を運んできては砕け散るのだ。
手をかざす老婆の盲た目に、雪に覆われた白い氷の平原が見えてきた。
目を凝らすと、目映い平原のただ中を、マントを羽織った男が杖を頼りに歩を運ぶ。
男の片腕がボトリと氷の上に落ちた。しかし、男は振り向きもせずに先へ先へと歩を進める。どれほど歩いたろう、男が足を止め、手にした杖で足元の氷を叩いた。
白く濁った氷が、鉛の分銅が落ちるように下に向かって透明に変わっていく。
やがて奥深い氷の底に横たわる黒い影が見えてきた。その異形の影を認めるや、男は古の呪文とともに杖を氷に突き立てた。
縦に、横に、紙を引き裂くように亀裂が走る。
亀裂の一つが、みるみる巨大なクレバスと化し、杖もろとも男を呑み込む。
しばし割れ目の底で男の哄笑が鳴り響いていたが、やがてそれも消え、割れ目が地平線まで伸びる頃、地鳴りのような音をたてて、氷の大地が裂けた。
割れ、砕け、波のようにうねり逆巻きながら、氷の大地が盛り上がる。地の底から黒い影が這い出してきた。青い竜、封印されていた竜が目覚めたのだ。
その青い竜に呼び覚まされたように、氷の平原に更なる亀裂が走り、もう一頭の竜が姿を現す。今度は赤い竜。目覚めた二頭の竜は、互いに炎を吐き出しながら絡み合う。絡み合いながら吐き出される炎は猖獗と逆巻き、やがて大地を迅雷のごとく嘗め尽くし始める。氷の平原からさらにその周辺の大地へと……。
水晶の玉に翳された老婆の手が動いた。
老婆は自分の体が震えているのに気づいたのか、そっとショールを引き寄せると、顔を上げた。老婆の前に、じっと自分の所作を見つめる、町長とたくさんの目があった。
乱れた息を整えると、老婆は静かに語り始めた。
「過去を忘れることは難しい、されど未来を忘れるのはもっと難しい。町長、人の生にとって大切なのは、今この時を愛おしむことだ。私から言えるのは、今宵は心ゆくまで井戸の温もりを楽しめばよい、そういうことだ」
「それだけ……」と、町長が言いかけた時、老婆を取り囲んでいた一人が叫んだ。
「空を見ろ、空を!」
夜空に無数の光の玉が浮いていた。アヴィルジーンの群れだ。無数の巨大な光の玉が大地と月の間に吹き上げられたように輝いている。
群衆の誰かれとなく、感嘆の声を漏らした。
「すごい、こんなにたくさんの祖霊様を見るのは、初めてだ」
「なにか良くないことの前触れじゃないのか。昔の記録で、数え切れないほどの祖霊様が空を埋めた後に、天の幕が下りて、植物が死に絶えたとあったぞ」
「そりゃ、伝説じゃろ」
疑問も薄れるほどの光の玉の美しさに、しばし人々は声を忘れて魅入った。
ウィルタもポカンと口を開けたまま上空を見上げていた。
そのウィルタの肩を誰かが叩く。黒炭肌の男の黒い指が、ウィルタの横にいる春香を指していた。見ると、春香が真っ青な顔をして震えている。
声を掛けようとするよりも一瞬早く、春香がウィルタの手を振り解いた。
「いやぁ……………っ!」
獣のような悲鳴が、夜の広場に響き渡った。
第十三話「覚醒」・・・・




