暴走
暴走
午前七時。
天の照明が点灯してから八時間が経過した。当初は、都の人々も温かな照明を喜んでいたが、家の中がムンムンするような熱気に包まれだすと、さすがにこの照明が少し強すぎるのではないかと疑いを抱くようになった。問い合わせが技術院と政府に殺到する。それは政府の中でもそうで、担当大臣のズロボダに説明が求められた。
都の人々が頭上から降り注ぐ照明を訝しむようになった頃、サイトの管制室のスタッフにも、あせりの色が滲み始めていた。
核力炉ブロックで放射線の露出が認められたということもある。
ただサイトに設置されている核力炉は、燃料の代用ウランを一度にセットして長期に渡って稼動を継続させる商用炉ではなく、少量ずつ代用ウランを送り込んで、短期に燃料を反応済みにして取り出す、随時発電用の炉である。炉内に挿入される燃料が僅少であるため、炉心本体が壊れるような事故が起きても、周辺地域が広範に大量の放射性物質で汚染されるような怖れはない。むろん、それでも反応中の代用ウランである粒子パックが露出すれば、高濃度の放射線で、サイトは人が足を踏み入れることのできない場所となる。
放射線漏れの原因探しが緊急に進められる。
が問題は、この核力炉の放射能漏れよりも、別のところにあった。
相変わらず質量転換炉内の制御装置は、管制室からの指令を拒否し続けている。予想外のことであり不安は募るが、炉心溶融のような一刻を争う事態ではない。現象としては頭上から光が降り注いでいるだけなのだ。
だからスタッフの誰もが思っていた。いずれ対応策が見つかり、光の照射を止めることができるだろうと。時間をかければなんとかなると……。
ところが思ったほど自分たちに時間が残されていないということに気づいたのだ。
強烈な日差しで氷床表面の氷が融け、融けた氷床上の水が、周辺からのサイトの巨大な擂り鉢状の窪地に流れ込むようになっていた。
あっという間に、質量転換炉とそれを取り囲むドーナツ状の施設の間に水が溜まり始め、同時に、冷却水と温排水の配管の通るトンネルを伝って、氷の融水がサイト内に浸入を始める。トンネル先端の揚水施設は、氷床の下を流れる川に繋がっている。その氷床下の川に氷原上の融けた水が流れ込み、その水圧で融水がトンネル内を遡っているのだ。反対派が人質を救出するために開けたサイト下部の脱出口が、サイトの内部に水を呼びいれる役割を果たしていた。
直ちにトンネルを塞ぐ作業を始めるが、塞ぐ前にサイト周辺から流れ込む水で作業が困難になってしまう。
サイトの施設自体が水没すれば、まだ完全停止に至っていない核力炉、それに猛烈な反応を続ける質量転換炉がどうなるのか、全く予想がつかなかった。とにかく一刻も早く、質量転換炉の稼動を停止させる必要が出てきた。
また、そのサイトの水没と同様の事態が、ユルツ国の首府、霜都ダリアファルでも引き起こされつつあった。北のダイバル氷床を初めとする無数の氷床群の南縁に位置する霜都は、氷床群よりも標高が低い。加えて、氷河の底から流れ出たエディウェラ川が、都の中心を貫いている。この時期完全に凍結している都の掘割に、エディウェラ川から溢れた雪氷の融水が、音をたてて流れ始めた。急激な増水で、掘割から街なかに水が流れ出すのは時間の問題だった。
異変は氷の融解に伴う川の増水だけではない。天のスポットライトの内側で、どんどん気温が上昇していた。その暖められた大気が上昇気流を起こし、あちこちで雲が発生、激しい大気の擾乱に伴って、局所的に雷光が閃き、場所によっては雪ではなく雨が降りだしていた。
質量転換炉を停止させるべく新たな指令を炉内の制御装置に送付したところ、全てのモニター画面がブルーマットの基準画面に戻り、キーを叩いても何も表示しなくなった。
五分が経ち、十分が経過しても状況は変わらない。
おまけに、その直後、褐炭発電ユニットに隣接した変電施設が被雷、サイト内への送電が停止した。都からの送電線は断線、非常時用の有耳泡壺群は電力が質量転換炉の乾壺に吸い取られて残量はゼロ。最後、頼みの綱の第二褐炭発電ユニットは、稼動するのにあと数時間という段階まで扱ぎつけていたが、携わっていた隣国の技術者グループが姿を消していた。サイトの状況に不安を感じ、資材搬送用の大型のアイスバイクを借用して、サイトを逃げ出したのだ。この段階で、サイト内に電力を供給できるものといえば、通常の匣電と小型の携帯用の発電機だけになっていた。
サイト内の全てのブロックが闇に落ちた。
ただ管制室の室内だけは、モニターの基準画面の青い明かりによって、海の底のように薄ぼんやりと照らされている。この電力はどこから……と調べると、それまで電力を吸い取り続けていた乾壺から、逆に管制室と情報処理室の機器に、電力が供給されるようになっていた。それでも照明と空調が停止、操作盤のキーが反応しない状態に変わりはない。
救いは館内通話の通信システムが機能していることで、サイトの内と外を結ぶ通信ラインを増設する際に、泡壺を使った別系統に電源を組み替えたのが幸いしたようだ。
その館内通話機を用いて、サイト内の各ブロックの情報が管制室に届く。
停電により、サイトのあらゆる施設がその機能を停止、サイト内の各所で隔壁の非常扉がロックされ、スタッフが閉じ込められていた。サイト内には、要所々々にハッチや隔壁が設けられている。電源が落ちた際には当然手動で開閉できるはずだが、その隔壁の大扉が開かない。
ダーナ初め統括ブースの中心メンバーは、サイト内の封鎖状況の確認をバッカンディーに託すと、管制室隣の準備室に走った。そこに調光ガラスではない本物の窓、雑誌サイズの覗き窓がある。そこから炉のある外部を窺う。
相変わらず質量転換炉は、光柱を天に向かって放射し続けている。その後方で蒸気を噴き上げているのは核力炉だ。制御板が挿入されたものの、炉内はまだ高温の状態にある。
データから、外部に漏れる放射線量は微増を続けている。気がかりではあるが、それにも増して、天蓋の縁から流れ落ちる融水の増加がひどい。
ただ瀑布のように流れ込む水の割に、サイト内に溜る水の量には変化が見られない。
可能性として考えられるのは、冷却水の送水管のトンネルから、先ほどまでとは逆に、溜まった水が吸い出されているということだ。しかし安心はできない。もし配管用のトンネルが何らかの理由で塞がった場合には、流れ込む水の量からして、一気にサイトの窪地は水没するだろうからだ。
バッカンディーが扉の向こうで腕を大きく交差させた。七名ほどの整備関係者が閉じ込められている下部のブロックで、水が浸入を始めたという。
今のところ、重機を使って隔壁の大扉を抜くしか、脱出路を確保する手はない。
ところが、ここでも問題が発生した。氷床上の詰め所に待機しているはずの工務班のスタッフが、怪我をした一名を残して全員、六滂星山の警邏隊駐屯地に移動したというのだ。元々工務班は警邏隊付の職工集団。残された一名の言によると、放射線の露出があった場合は、命令如何に関わらず、サイトを放棄してよしという誓約が、大臣と警邏隊総監との間で交わされていたという。
しかしだ。核力炉からの放射線漏れの情報は、まだ管制室のスタッフしか知らないはず。情報も放射性物質のように、目に見えない形で漏れたのだろうか。
さらに離発着場の検問所から連絡が入る。氷床上の施設にいたスタッフが、次々と持ち場を離れ、送電線に沿って徒歩でサイトを離れようとしているという。
まるで沈む船から逃げ出すネズミだった。
通信機を耳に押し当てたままダーナが歯がみをした。そして「また同じ轍か」と、怒りの形相で細い爪先を自身の腕に食い込ませた。
十年前の惨事の際、警報の鳴るなか、ダーナは最後まで現場に残って、避難する一般見学者の誘導に当った。それが広報部長としての、一般市民の見学を企画した者としての、責務だと考えたからだ。
何が起ころうとしているのか誰にも分からなかった。結果として数千人の人名の損なわれる大惨事となったが、その修羅場で、最後まで現場に踏み留まれたスタッフは、ハン博士を含め、ほんの一握り。ほとんどの者が我先にと現場を逃げ出した。おそらくは、サイトの施設に不備がなく、作為的な工作がなされてなくとも、あのようなスタッフによって進められていた計画は、どこかで破綻したに違いない。
何が逃げ出す者と踏み留まる者を分けたろう。それをこの十年の間、考えてきた。結論はない。しかしその想いを踏まえて、今回の二度目の計画では、自分は人選を行なったし、逃げ出す者の足を思い留まらせる策を講じたつもりだったが……。
暗がりのなか、暗澹とした気持ちに駆られるダーナに、ジャブハが請うた。
隔壁を抜く作業を電設班に任す旨の了解である。爆破という手段もあるが、爆薬を保管している区画は、それこそ爆薬を使っても開けるのが困難な隔壁で守られている。サイトのすり鉢に下りる斜面に駐機してある重機を使って隔壁を抜くことを、ジャブハはダーナに提案した。そしてそれは直ちに実行に移された。
一方、管制室では、小型の発電機の調整が進められていた。とにかく照明が消えた状態では、人は何もできない。管制室の隣、予備の第二管制室では、棒灯の小さな明かりの下で、統括ブースの面々が、炉の稼動を停止させるための方策の検討を続けていた。
長椅子から半身を起したハン博士の姿もある。意識が戻ったらしい。
通電が停止してから、ちょうど一時間。
建物の扉を壁ごと壊す振動が管制室にも伝わってくるなか、サイトの上空に小型機が飛来した。霜都からの機だ。天の照明の点灯以後、兇電放射が異常に高まったために、衛星通信は使い物にならず、一時回復した通信のラインも再度遮断、二時間前から交信不能の状態が続いている。そのため、政府は状況を直接把握する目的で飛行機を飛ばしたのだ。
機には大臣のズロボダが乗り込んでいた。
ズロボダは、機上からサイトの状況を目にして息を呑んだ。氷床上に水が浮き、一部が川となってサイトの窪地に流れ込んでいる。この状況下、サイトに降りることに躊躇はあるが、担当大臣としては何としてもダーナに連絡を取り、直接命令を伝えなければならなかった。
ズロボダを乗せた小型機は、巨大な擂り鉢の手前、格納庫の横に舞い降りた。
機から走り出たズロボダは、迎えのバッカンディーを突き飛ばし、保衛官のいる検問所に走り込むや、館内通信の通話機に向かって怒鳴り上げた。
「ダーナ、状況を説明しろ、いったいどういうことになっている。氷床から融け出た水が都に流れ込んで、大変な事態になっているぞ。すぐに光を止めるんだ」
興奮した大臣を宥めるように、ダーナが抑えた声で答えた。
「残念ながら大臣、それは炉本体に言ってもらうしかない状況です。それに上空からご覧になったと思いますが、サイトが水没するのも時間の問題です」
爆音に曝され耳の聴力が麻痺しているのか、それとも元々聞く耳を持たないのか、ダーナの説明などどうでもいいとばかりに、ズロボダが通信機に噛みついた。
「とにかくどうやっても止めるんだ、止めるまで、この地を離れることはならんぞ。お前が絶対に安全だと言ったから、ワシは今までこの計画を後押ししてきたのだ、責任を取れ」
裏返った悲鳴のような喚き声が続く。
ダーナはうんざりとした表情で通話機を耳から離すと、
「そうおっしゃる前に、一度こちらに来ませんか、じき突破口が開いて管制室に入れます」
「ばかな、懲罰委員会に掛けるからな。とにかく急いで上空の照明を消すのだ。それから、現状は飛行機を使って一時間毎に報告しろ。いいな、確かに申し付けたぞ」
激しい口調で言い捨てると、ズロボダは検問所の保衛官に通話機を投げつけ、雨の中を駆け出した。そして待機していた飛行機に飛び乗るや、「都に戻せ」と、操縦士を怒鳴りつけた。
「総監にお会いになられないのですか」
戸惑う操縦士に、ズロボダの怒りが爆発。飛行機の扉に拳を打ちつけた。
「誰が、とにかく急いでサイトから離れろ!」
確かに四方八方で雷光が瞬き、氷床の表面は一面の水びたしである。まごまごしていれば、機の離陸が難しくなる。操縦士は額に血管を浮き上がらせた大臣に気押されるように、スロットルを押し込んだ。
通話機を机の上に戻すと、ダーナはデータブースのロンフィアから転送されてきたある数値に目を落とした。核力炉ブロックの放射線の数値である。燃料の粒子ブロックの挿入口付近の数値が急激に上昇している。担当技官のメモがデータの間に挿入されている。いくつか原因が並べたてられているが、このままいけば数時間後には、防護服を着ても北の区画には人が近づけなくなるとある。
ダーナは仮面をずらすと、仮面の裏に付いた汗と汚れを拭った。空調が停止した関係で、部屋の温度は上昇を続けている。すでに室温は三十ニ度、湿度は九十を超えている。
ダーナは上着を脱ぐと呼吸を整えた。
そして通話機を取り上げると、離発着場横にある警邏隊航空局の詰め所を呼び出した。
「ダーナだ、今、サイトには飛行機が三機、駐機しているはずだ。すぐに離陸の準備に入り、サイト内から出てきたスタッフを、波崙台地の警邏隊駐屯地に運ぶように」
「波崙台地の基地にですか」
詰め所の隊員が驚いたように聞き直す。
「そうだ、ピストン輸送してくれ、これよりファロスサイトを撤収する」
頭の中で指令を確認するような間の後、隊員の緊張した声が返ってきた。
「あ……、了解しました、総監殿、直ちに撤収作業に入ります」
「まさか、撤収ですか」
いつの間に来たのか、後ろにジャブハが立っていた。
「サイトが水没するのは時間の問題だ。それに放射能漏れも進行している。このまま行けば、水没によって、質量転換炉に不測の事態が発生する怖れも十分に考えられる。危機的な状況に陥ってから撤収を始めたのでは、間に合わない」
「しかし、炉さえ停止できれば」
「見通しのない予見に、人命を委ねることはできない」
ダーナが苛立った顔で、ジャブハの言葉を跳ねつけた。
ダーナとしては、前回の計画のように、死者を出すことだけは避けたかった。そのことを踏まえれば、サイトにいる人員の撤収は、炉が水没する前に完了させる必要がある。
それに人員の搬送先については、光の放出が止まらなければ、都に流入する水は増えこそすれ、減ることはない。都に隣接する警邏隊の基地も、当然水の影響を受ける。それを考慮すれば、撤収先はサイトからの距離は遠くなるが、光の照射圏外にある波崙台地の駐屯地が望ましい。とにかく警邏隊の貨物輸送機が手元にあるのは幸運だった。あの機なら一度に四十人は運べる。あの中型の輸送機と小型の二機を最大限利用すれば、それほど時間を掛けずに人員の避難は完了できる。
スタッフの避難さえ終えれば、後は残された時間で炉の始末をつける。もちろんその作業を行えるスタッフが、現場に留まっていればの話だが。
「私は、炉の最後を見届けますよ」
寡黙で表情を余り表にしないジャブハが、真剣な顔でダーナを睨んだ。
「結構、私もそのつもりだ。それよりハン博士は?」
先ほど意識が戻り、いま炉を停止させる手段を皆と相談しています。その件で、総監にもお願いがあると。
「分かった、行こう」
言ってダーナがジャブハの背を押したとき、地震のような揺れが足元から伝わってきた。
「なんだこれは、隔壁を抜いた衝撃か?」
「これは、爆薬の方、炭坑で働いていたから分かります」
顔を見合わせたダーナとジャブハは、統括ブースの面々が詰める第二管制室に走り込んだ。
三時間後、管制室の部屋が軋むように揺れる。
重機で施設と施設を繋ぐ通路の隔壁を壊しているのだ。少しずつ振動が大きくなってくる。それでも管制室にたどり着くまでには、まだ隔壁を三つ抜かなければならない。上下に天井を打ち抜けば早いが、天井には様々な配線が通っている。万一、質量転換炉との接続ラインを切断してしまうと、炉への働きかけができなくなる。
先にダーナとジャブハが感じた揺れは、やはり爆発時の衝撃が伝わってきたものだった。衝撃の方向から推測して、場所はサイト最下部の西側、人質を救出に来た反対派が作った脱出口辺りと見られる。反対派が施設内に何らかの爆発物を持ち込んでいたのではないかというのが、保管課のスタッフの意見だが、不幸なことに、その爆発の衝撃が上部に抜け、サイトの天蓋の一部を破壊、崩落した構造体が光柱に触れて瞬時に溶融、ドロドロの金属弾となってサイト中に飛び散った。その高温の金属弾を浴びて、サイトのすり鉢側面の階段を避難していたスタッフが数名死亡。また途中の重機置き場に保管していた燃料に火が入り、火災が発生した。
この騒動の最中も、質量転換炉は何事も無かったように、天に光の柱を上らせている。
ダーナは準備室に入ると、火災の鎮火の具合を確かめようと、小窓から外を覗いた。しかしサイト内に集中豪雨のように降り落ちてくる水と、核力炉ブロックから噴き出す蒸気の渦で濃密な靄に包まれ、何も見えない。小窓の外、下方に辛うじて目視できるドーナツ部分に溜まった水が、先ほどよりも明らかに水位を上げていた。爆発の衝撃で、水を排出する役目をしていた脱出口が塞がったのだろうか。
スタッフの撤収を急がせる必要がある。それと転換炉の停止ができなかった場合の、最後の手立てを……。
施設の外壁に付設された作業用の通路を、重機が後ろ向き、後ずさりをするように下りていく。重機の牽く作業用の台車には、離発着場の倉庫に保管されていた燃料タンクが積んである。重機を燃料タンクごと作業用通路に停止させ、全員退避のあと爆破させようというのだ。それがどれだけの影響を炉に与えるかは分からない。しかし万策尽きた時、残る方法はこれしかない。
また管制室の上の階では、管制棟と質量転換炉の上部を結ぶ足場の組み立て作業が、資材部のスタッフの手で急ピッチで進められていた。上昇する水面よりも先に、足場を完成させようと、みな必死だ。
準備室にいるダーナの所に、通話機片手にバッカンディーが顔を見せた。十四あるブロックのうち、半分の七つのブロックで外部への脱出口が開いたことを報告すると、バッカンディーは足早に隣の管制室へ戻って行った。避難するスタッフを乗せた飛行機は、すでに三便ともが離陸している。バッカンディーを送るように準備室を出たダーナは、管制室の左側、半分の広さの第二管制室に目を向けた。
簡易発電機を運びこみ明かりの灯った第二管制室では、ジャブハ部長以下数人のスタッフが、操作盤に向かって忙しげにキーを叩いている。ハン博士も長椅子に横になった状態でトーカを操作。ダーナは、ハン博士初めジャブハ部長を交えた話し合いの結果を頭の中に思い起こした。サイトが水没するまでにやれるであろう、炉を停止するための策についてだ。おそらく炉に新しい指令を与たり、内部のプログラムを書き替えるのは、これまでの経過からしても困難。スタッフが話し合って行き着いたのは、やはり回路上の操作ではなく、物理的に炉を止めるしかないという単純な結論だった。
午前十一時、氷床上。
天のスポットライトは僅かずつではあるが、着実にその照度と照射範囲を拡げている。 だが憂慮すべきは、そのことよりも本物の太陽が地平線の上に昇って以降、その日差しが擬似太陽の照明と合わさって、強烈な日差しとなって大地に降り注ぐようになったことだ。
その一方で、日差しが強くなるのと合わせたように、頭上を雲が覆うことが多くなり、直接強い日差しに曝されることは減ってきた。
雷鳴と共に雨が降り、雨が止んで雲の切れ間が現れると、強烈な日差しが照りつけ、そしてまた雲が湧き上がってと、目まぐるしく天気が入れ代わるようになってきた。
羊背山の岩場で合流した反対派のスタッフと人質の計十二名は、当初の予定よりも出発の時間を早めることにした。
岩場から周囲の氷床上に目を向けると、氷の起伏をなぞるように水が流れている。この勢いで氷が融け、雨が降り続けば、早晩氷床のいたる所に水溜まりができて、アイスバイクでの移動は困難になる。それに周り中から鋭い音が大気を突き抜けるように聞こえてくる。氷床の分厚い氷にひびの入る音だ。早く出発しないと、新たに出現したクレバスによって、都に帰還するルートを変更する必要が出てくる。
四台のアイスバイクにそれぞれ橇を繋ぎ、出発できるように準備した上で、ロズネは予定よりも二時間早く人質の八名を起こした。何名かは興奮と氷の割れる音で眠れないままに起きていたが、そのほかの者は泥のように眠りこけていた。
ボーッと視点の定まらない八名に事情を説明し、直ちに出発。
アイスバイクの本体は二人乗りで、車体の前に橇、後ろにベルト式のタイヤが付いている。運転席にスタッフがまたがり、橇に人質の八名が分乗する。リーダーのロズネの運転するバイクの橇には、ウィルタと巻毛の老夫婦が乗り込んだ。
氷の上に水が浮いている状態ということもあってか、アイスバイクは滑るように走り出した。人の走る程度の速さである。
走り始めると、ほど良い風が体の周りを抜けるようになる。おかげで、照りつける強烈な日差しも、二十度を超えた気温や蒸し暑さも、さして気にならない。熱気の中をさまようように歩いていた時と雲泥の差だが、逆に日が蔭り強い凍風に曝されると、身震いするほどの寒さが襲ってくる。それでも自分の足を動かす必要はないし、適度な振動が体を揺さぶるので、橇の上では居眠りをする人もでてきた。
その揺りカゴのような橇の上で、ウィルタは両手をこめかみに当て、歯を食いしばっていた。靄の中で落とし物のロケットを見つけ出すために、目の能力を使ったのだ。それが、いつもなら半刻もあれば消える頭痛が、内臓の具合もあってか、一向に治まらない。刺すような頭痛が頭の中を右に左にと転がり続けていた。
そんなウィルタの頭痛とは関係なく、アイスバイクは快調に氷上を滑走する。
直前に降った土砂降りの雨で空気が洗われ、見通しは良い。氷上に次の目標の二十キロ先の岩山も見えている。このまま順調に走ってくれれば、夜までに行程半ばの馬灯山に到達できるだろう。そう考えて先頭のアイスバイクを運転していたロズネは苦笑した。頭上の照明が消えない限り、夜は来ない。延々と昼が続くのだから、日が暮れる心配をする必要はなかった。
まずは順調な滑り出しである。が、すぐに問題が現れた。
靄の立ちこめた無風の時と違って、突然突風のような横殴りの風が吹きすさぶのだ。それも凍るような冷たさの凍風である。熱せられた大気が上昇気流となって上空に昇っていったその下に、周辺から猛烈な勢いで冷気が吹き込んでいる。
障害物のない氷床の上で、アイスバイクが強風に煽られ浮き上がる。
バイクと橇が烈風に持って行かれないように、全員橇を降りてバイクと橇を掴んで踏ん張るが、足元は融けかけた氷で、スルスルと滑るようにバイクや橇ごと運ばれてしまう。必死に耐える一行に、水飛沫が音をたてて吹きつける。凍風が止み立ち上がろうとすると、今度は服がバリバリと音をたてる。凍っているのだ。
凍風の後は、なぜか土砂降りの雨。
霙まじりの雨かと思えば、生温かいぬるま湯のような雨が落ちてくることもある。
滑り易い足元によろけながら、アイスバイクと橇に再び乗り込み、雨を突っ切るように進む。なるべく水の溜まっていないところを選んでバイクを走らせるが、水の浮いた氷の上は水溜りでなくとも波紋が広がり、どこが本当の水溜りか判別が難しい。
何度もバイクをプールのような水溜まりに突っ込ませては、その都度、バイクを引き上げ、また走る。
土砂降りの雨かと思えば、突然雨が止み、強烈な日差しが雲間から肌を灼くように照りつける。その間も、右から左から絶え間なく雷鳴が轟く。そして、濡れた服を一瞬にして凍り付かせるような凍風。
豪雨、雷、突風、雹、日差し、温雨、凍風……、
考える暇もないほど、人の意識を弄ぶように空模様が変化する。そして人を愚弄するような大気の擾乱の間にも、肌が感じる頭上からの日差しは、本物の太陽が頭上に昇るにつれて、確実にその強さを増していった。
次話「制御装置」