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星草物語  作者: 東陣正則
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氷原


     氷原


 十二月十三日、午後九時半、

 青白い夜の氷原を、人質八名と反対派のスタッフ三名の計十一名が歩いていた。

 風が止み、頭上には満天の星空が広がっている。氷点下三十度の気温も、明け方には氷点下四十度近くまで下がるだろう。ただ星空のおかげで、明かりがなくとも歩ける。

 辺りは一面の平らな氷原である。数日来の雪は微粉状の雪で、それが風で吹き払われて、足元には巨大な岩盤のような氷床が姿を見せている。

 辺りの氷床は、ほとんど動きのない滞留氷で、クレバスもなく、風が造り上げた嘗めたような筋状の起伏がどこまでも続いている。

 氷原を歩き始めて二時間半。

 六十を越えたお年寄りが二人いるため、行程は思ったよりも進んでいない。この調子では、反対派の仲間が待機している岩場までは、まだたっぷり七時間はかかる。それでも足元が歩き易い平らな氷原であるということ、悠か先にではあるが、目的の羊背山と呼ばれる岩山が見えていることが、不安を消していた。

 羊背山まで行けば、食事と仮眠の後、アイスバイクに乗って一気に氷の平原を抜け出すことができる。その期待が足取りを軽いものにしていた。それに同行の者が十名余りいるということも心強いことだ。

 救出隊のリーダー、ロズネは、防寒頭巾の下にヘッドフォンを付け、右手で発信器のキーを忙しなく叩いていた。携帯用の衛星通信機で反対派の本部に暗号文を送っているのだ。ザックから覗いている短い棒状のものが、アンテナである。

 スポット域を用いての交信のため、兇電の影響はほとんどない。ただ聞こえてくるのが暗号の信号音なので、日常的に通信業務に携わっていないロズネは、気を集中していないと、信号を聞き落としてしまう。そんなこともあって、電文の暗号コードを記した小冊子を片手に、先ほどから何度も送受信を繰り返していた。

 今もサイトに潜り込んでいる仲間の報告が、本部を経由して伝わってきた。それによると、核力炉は無事に稼動を停止して非常事態は終息。ただそれとは別に、一般電源に何か不具合が発生したらしく、施設内に大規模な停電が発生しているとのことだ。

 綿密な計算の上での揚水所の爆破であったが、万一それがきっかけで核力炉が暴走でもすることになればという、一抹の不安がなくなった。そのことに反対派スタッフの三人、それに助け出された人質たちも、ほっと胸を撫で下ろしていた。

 今頃、政府の庁舎では、別の行動グループが、今回の計画の機密書類を盗み出しているはずで、あとは無事人質を都まで連れ帰り、大臣のズロボダを陰で操るバハリ女史、現統首によって進められた今回の計画の不当性を暴くだけだ。

 反対派の本部から連絡が入った。

 逃走した人質の探索を、都の警邏隊本部が担当することになったという。これも予想していたことだ。サイトに駐留している警邏隊が、非常事態の最中に、外に人質の探索に向かうはずがない。つまりそれは、追っ手が後方のサイトからは来ないということで、つまり地上からの探索であれば、一番近い六滂星の駐屯地からでも、アイスバイクで六時間はかかる。飛行機による上空からの探索は、爆音が聞こえてからでも、荷の中に携行している白い布を皆に被せてやり過ごせば良かった。

 いま現在、自分たちはサイトから九キロほどの地点に来ている。あと羊背山まで二十キロ弱。年配の人たちにとってはかなりの強行軍だが、夜明けまでに羊背山の岩山地帯に入ってしまえば、今回の計画も八割方は成功したようなもの。岩山に到着後は、四台のアイスバイクに分乗して、都までの残り三百キロを一息に突っ走る。

 それにこれはまだ救出した人質たちには話していないが、アイスバイクに分乗後は、人質をさらに二手に分ける予定にしていた。推進派の暴挙を暴くには、人質全員が都に辿り着く必要はない。いやそれよりも、次々に人質が捕捉されて、最後に数人が都に到達して真実を証言する。そうなってくれた方が劇的で効果も大きい。

 最低限必要なのは、一人でいいから証言台に立てる人物を連れ帰ることだ。脱出した反対派の活動家グループも二手に分かれる予定なので、都合四つのグループが別々に都を目指すことになる。

 そしてこの人質救出劇の中で、ロズネには反対派の代表から重要な任務が与えられていた。それがハンの息子を亡き者にするということだ。遷都派である反対派にとって、事故の原因究明の結果は、『サイト自体に重大な欠陥がある』というところに落ち着いてもらわなければならない。そのためには、子供のいたずらが事故の原因というのは、たとえそれが事実であっても、不要な事実。それを裏づける張本人のウィルタの存在は、邪魔なだけだ。ウィルタさえいなければ、政府の発表した『子供のいたずら説』などは、推進派の苦し紛れの言い訳として、逆に攻撃の糸口にできる。

 反対派の現代表は『ハンの息子を消せ』と、そうロズネに命令した。これが人権派に属する前代表なら、絶対にそういう指示は出さなかっただろう。ところが今の代表は、遷都派のなかの褐炭事業の大口株主をバックにのし上がってきた男だ。都の存続といったことよりも事業の拡大が優先する人物であり、平然とロズネにその命令を言い渡した。

 ロズネにとっては気の進まない仕事だったが、親族一同が現代表の配下で仕事を貰っている立場上、断ることはできなかった。

 ロズネは一行を二手に分けた後、ウィルタを乗せたアイスバイクをどういうルートで都に向かわせるか、それを考えていた。ロズネの乗るアイスバイクに、老夫婦とウィルタを乗せる。そしてクレバスに近づき、そのままアイスバイクごとクレバスに突っ込ませる。もちろん自分は寸前に飛び降りる。簡単なことだ。同乗の年寄りには悪いが、大きな目的のために多少の犠牲は付きもの、そう割り切るしかない。

 明日の午後には、氷床のクレバス帯を通過することになる。決行するならそこでだ。もっとも、そこに到達するまでに良い機会があれば、さっさと面倒な仕事は片づけてしまおう。そうロズネは考えていた。

 それよりも心配なのは、天候が急変して地吹雪になることだ。いくら天気図から好天が予想できても、気象が急変することはある。余分な荷は持って来ていない。遮る物のない氷原では、地吹雪は命取りになる。ウィルタの口封じをするのはいいとして、脱出させた人質が遭難したのでは、今回の計画の意味がなくなってしまう。

 とにかく今はただ歩く、それだけだ。

 そしてその通り、寒さのなかを、みな黙々と歩を進めていた。

 先頭を行くロズネとバニアの後ろに、年配の男女が一列に続く。

 最後尾は大柄なダフトホである。ウィルタは、そのダフトホの前を、時々肩で大きく息を付きながら歩いていた。胃の具合が思わしくない。それに空腹ということもある。

 ウィルタが列を離れて立ち止まり、胃液を吐いた。

 心配したダフトホが声をかけると、「捨てていけ!」と、列の中から罵声が飛ぶ。頭巾の間から鷲鼻がニョキッと突き出た、怒り肩の男だ。

 先頭のロズネが「遅れるな」と、急き立てるように手を振る。

 ウィルタは何も言わずに列に戻った。


 冷却水のトンネルから抜け出して三時間、氷原に小さな岩影が見えてきた。

 小休止。ペコールが持参のコンロで湯を沸かし、バターの入った甘い茶を入れる。みな星明かりの青白い闇のなか、黙って茶をすする。互いに面識がないこともある。しかしそれよりも、みなサイトのことを気にかけていた。

 サイトの方角は上空に雲が残り、夜目にも暗い。

 半刻前の通信で、サイトの停電が一向に復旧しないということが伝えられた。その通信があった直後、都の反対派本部との交信が通じなくなった。なぜか突然、兇電の活性が高まり、スポット域にも関わらず猛烈な兇音に埋もれて、ほとんど信号音が聞き取れなくなったのだ。

 サイトを去る前に見た警報の赤いランプの点滅が頭に蘇る。すでに緊急事態は収束していると言われても、間近で黒い炉を見ていた人たちの体には、不安がべったりと貼り付いている。前回の事故の際、サイトから半径十五キロ圏内にいた人たちは、放射線を浴びて、後に様々な後遺症で苦しめられることになった。まだサイトから十キロちょっと。自分たちがその十五キロ圏内にいるということが、気持ちを落ちつかないものにしていた。

 ロズネは一行の不安を察して、茶を飲み終えると直ぐに出発。とにかく早く問題の十五キロ地点を越えてしまおうと考えた。元々、ロズネとしては、休みなしに行軍を続けたかったのだが、人質たちの年齢を配慮して休息を取ったのだ。

 休憩後はやや急ぎ足の行軍となった。

 休憩中にウィルタは、ダフトホから渡された丸薬を飲んだ。

 その薬が効いてきたのか、歩き出してしばらくすると、胃の不快感は解消。ただ丸一日近く何も口にしていないので、足に力が入らない。ダフトホが、仲間のいる場所に着けば食事が取れると励ましてくれる。その言葉に気持ちを奮い立たせて、足を動かす。

 先を行く紅毛のロズネや黒眼鏡のペコールはどうか知れないが、この大柄なダフトホは、何かとウィルタに気を遣ってくれる。そのダフトホが、ウィルタが腹を空かせていると感じたのだろう、干し餅の入った袋を取り出し勧めてくれる。

 ウィルタは凍りついた干し餅を一つ抜き取ると、すぐに袋をダフトホに返した。

 ウィルタにしてみれば、ダフトホが気を遣ってくれることは嬉しい反面、前を行く人たちの手前、気疲れのすることだった。

 ところが、ウィルタのそんな気持ちなど関係なく、ダフトホはあっけらかんと、疲れたら俺が負ぶってやると大きな声で励ましの言葉をかけてくる。

 やがてウィルタは、ダフトホの側を離れ、年寄り夫婦の前を歩くようになった。


 さらに一時間近くが経過。

 歩き始めた時に東の空にあった星座が、もう中天近くに掛かっている。風に磨かれた氷面に星の輝きが映え、そこにくっきりと自分の黒い影が映る。

 すでに懸案の十五キロ地点は過ぎていた。緊張が取れてきたのか、列が崩れ、時折話し声も聞こえる。寒さのために大きく息を吸い込むことができないので、漏れ聞こえてくる会話は、口先でぼそぼそと喋る感じだ。

 風はなく、ただ寒い。凍寒である。頭巾だけでなく口元も布で覆い、目には防寒用のゴーグルを着用しているので、皮膚の露出はない。それでも忍び込む外気に、皮膚が針で刺されたように痛む。大きく息を吸うと肺が痛いし、瞬きをすると、目玉の表面の水分がシャーベット状になって、目の周りに溜まってくる。気温は、氷点下三十五度辺りか。

 ただ歩き続けているので、思ったほど寒さは気にならない。

 それに人質になっていたメンバーは、責任のある立場ではない。単に家族の中に反対派の活動家がいたために、その活動を牽制する意図でサイトに閉じ込められただけで、逃げ出したことに負い目はない。言ってみれば、反対派推進派双方の被害者といっても良い立場である。なかには今回のことで、政府を提訴して慰謝料をせしめてやるなどと話している者もいる。その気楽な立場が、行軍の足取りを軽いものにしていた。

 寒ささえなければ、星を見上げながら、ゆっくりと歌でも歌って歩きたい気分で、事実行列の中から、小さく鼻歌を口ずさむ音が聞こえてきた。口を開けず口蓋に響かすような歌い方である。

 少しずつ明るい雰囲気が加わってきた一行の中で、バニアだけが厳しい顔つきのまま足を運んでいた。そして聞こえてくる鼻歌に顔を強ばらせた。

 歌っているのは一行のなかの小男である。

 能天気な鼻歌に苛立ったバニアが、チッと舌打ち、振り向きざまに小男を睨んだ。

 その瞬間、バニアの目の奥が白く輝き、体が光に包まれた。いやバニアだけではない、そこにいた全員が、眩しい光に目を閉じ、手で顔を覆う。

 全員が全員、余りの眩しさに、自分たちの体が蒸発、消えて無くなる姿を想像した。

 一秒、二秒と時間が経過……。

 足を止め、凝固したように体を固めて様子を窺う。感じるのは、目を開けていられないほどの光の中に自分がいるということだ。緊張からか心臓が激しく波打つ。

 どのくらいの時間、手で顔を覆っていただろう。意識はあるし、どこにも痛みは感じない。ただ眩しい、それだけだ。指の間から漏れてくる光で少しずつ目を慣らしながら、ゆっくりとまぶたを開き、細めた目で辺りを見まわす。

 どこを向いても光だ。光で満たされている。

 それにしても、息の詰まるような明るさで、昼間よりも明るく思える。一面の雪と氷に光が反射、光に重さがあって、その浮力で体が浮き上がったような錯覚を覚える。何度か辺りを見まわすうちに、足元の自分の影に気づき、手を翳して上空を見上げる。眩しくて正視できないほどの光が、頭上から降り注いでいた。しかし、とにかく眩しい。

 まるで夜が昼に変わったようで、全員がポカンと口を開けて上空を見上げた。

 最高齢らしき老婦人が、口を開いた。

「なんだか、頭の上に白灯を千個も灯したみたい」

 並んで頭上を見上げる老夫が、相方を肘で突いて反駁する。

「部屋の中なら分かる、でも上にあるのは空だよ。どうやって空に白灯を吊るすんだい」

「私に聞かないでよ、そういう風に明るいと言っただけなんだから」

「それよりこれは、サイトの実験と、何か関係があるんだろうか」

 鷲鼻の男が思わず疑問を口にすると、

「この夜空に太陽のような照明を灯すってことがですか」

 黒眼鏡のペコールが、半ば馬鹿にしたように言い返した。

 ところが鷲鼻の男は、その物言いに腹を立てるでなく、「そうとしか考えられないだろう」と、軽くいなすように受けた。

 周りの人たちも鷲鼻の言葉に同意しているのか、小さく首を縦に振る。そうするうちにも目が慣れてきたのか、後方を見ていたロズネが叫んだ。

「サイトの方角を見てみろ、光の筋が上空に向かって伸びている」

 全員がロズネの示す方向に視線を合わせた。

 後方のサイトのある辺りから、白く輝く光の糸が、天と地を結ぶように伸びている。ただその光芒がどこまで伸びているのかは、頭上の眩しい光に紛れてはっきりしない。

 老夫婦が「もしこれが、こんな、夜を昼に変えてしまうようなことが、あのサイトの力でできるのなら」と、双子のように声を揃えた。

 頷きはしなかったが、そこにいた全員が、頭の中でその言葉を繰り返していた。

 みな半信半疑の面持ちで、もう一度自分たちに降り注ぐ光を見上げた。


 その少し前、サイト管制室でも、スタッフ一同が息を詰めてモニターの画面を見つめていた。つい数分前、質量転換炉の炉心の温度は、百万兆度という信じられない高温に達した。太陽内部の温度など遙かに超えた、超々高温である。

 乾壺の中に蓄えられていたエネルギーの座標は完全に質量転換炉の炉心に移り、それが収縮、針のような一点に収束していた。この超高温下で、陽子や中性子の構成粒子はその秩序を壊し、ばらばらの素粒子のスープに変わっているはず。いや素粒子という構造自体が崩壊している可能性もあった。

 運用マニュアルでは、素粒子のスープ化が引き起こされる温度は、百億度となっていたはずだが……。質量転換炉の運用情報のなかには、乾壺の飽和前にエネルギーが質量転換炉に移動するなどというケースは、どこにも記載されていない。スープ化反応にいつでも移れる百億度をもって、臨界状態と呼ぶと定義してある。しかしそれ以上の温度での素粒子のスープ状態を、どう判断、どう解釈すればいいのか。超高温時の粒子の状態、あるいは過臨界状態の説明などは、どこにも見当たらない。

「ハン博士、これはいったい……」

 スクリーンパネルに大映しになった炉を見つめる博士に、ジャブハが唸るように言った。

「操作方法の指示が残されていない以上、あとは機械の自己判断に任せるしかない。とにかく、非常時の項目をもう一度、浚え!」

 博士が擦れた声を絞り、厳しい口調で指示を飛ばす。

 と腕組みをして画面を睨みつける博士や、ジャブハを初めとする技官たちの眼前で、モニター画面の全体が点滅を始めた。

 いったい何が進行しているのか……と、皆が息を潜めて画面に見入る。

 そこに、サイトに隣接する植物育成プラントから連絡が入った。育成プラントは臨界実験時には必要のない施設だが、反対派の妨害が予想されるために、警備のための保安要員が派遣されている。その保安員からの通報だ。

 なんと植物育成室の天井に張り巡らされた光伝ケーブルに、神々しいほどの明るさで照明が灯ったというのだ。

 管制室では、急遽、閉じてある育成プラント関連のブースを開き、情報をモニター画面に引き出す。すると送られてきた画像は、植物育成室が溢れるほどの光で満たされた様だった。プラント内の器材の下にできた陰の濃さが、その光の強さを示している。八万ルクスと画面には表示されている。夏の晴天、昼日なかの日差しの強さだ。

 いったいこの光は、どこから……。

 データブースのロンフィアが、立ち上がって統括ブースに向かって声高に伝える。プラントに送られている光は、確かに質量転換炉から光伝ケーブルに流れ出たもの。それはつまり、質量転換炉の中で光が生み出されているということだ。

 直後、そこにいた全員の目が、モニターの画面に釘づけになった。質量転換炉の中の反粒子化反応と対消滅反応の活性を示すグラフが、瞬間的に極大値に跳ね上がったのだ。乾壺から取り出される光領域の電磁波も、ほとんど極大値を示している。単位はルーメン。しかし数値の後ろにずらりと並んだゼロに、瞬間的に桁が頭の中で把握できない。ただそれが、人の感覚とは、かけ離れた量の光であることは確かだ。

 今この瞬間、質量転換炉の中で膨大な光のエネルギーが発生している。

 質量転換炉から流れ出る光の量からすれば、植物育成プラントに回されている光など誤差のようなもの。一体、これは……、

 理解できないことが多すぎて、判断がつかない。考えるための道筋が掴めない。

 次々と発生する予想外の事態に、後手々々にしか対応できずにいる管制室のスタッフを嘲笑うかのように、今度はスクリーンパネルに映し出されていた植物育成プラントの照明が消えた。質量転換炉からの送光が停止したのだ。

「炉心の様子は?」

 フタッフに割り込みダーナが聞く。炉心の反応が停止したのかと思ったのだ。

 そのダーナの予想に反して、モニター画面中の素粒子の変化を示す様々な反応の値は、極大値を示したままだ。慌てて質量転換炉をスクリーンパネルに映し出す。

 巨大な黒い柱頭型の構造物は、相変わらず静かに眠ってでもいるかのようにそこにある。炉の表面には、雪が斑に融けずに残っている。外壁は外気と同じマイナス三十六度、とてもその中に百万兆度の高温のエネルギーの塊があるとは思えない。

 と目の前で強烈な光が目の奥を刺すように走った。誰もが思わず目を閉じ、顔を手で覆った。一瞬の烈光で目が盲た状態に陥る。その目を恐る恐る開き、再び目が光を感じるようになった時、前面のスクリーンパネルは、やや薄暗く画像を翳らせていた。

「どうした、何が起きた」

 状況が把握できないまま、先ほどの烈光に眩んだ目を擦る。

 と誰かが、「わっ」と声を上げ、スクリーンパネルを指さした。

「転換炉の上端から光のようなものが出ているぞ」

 一同が、薄暮のようなスクリーンパネルの中の炉に目を凝らす。

 その時、館内通信機が着信を示すランプを点滅、通話機を取り上げたダーナの耳に、「光、光が!」という興奮した声が飛び込んできた。

 管制室の中でも、のけ反るような声が上がった。

 各ブース内のモニターの幾つかが、妙に明るく輝いている。そして気づいた。モニターの画面も、正面のスクリーンパネルも、共に人が見ることを考慮して、画像の照度を常に一定に保つ機能を備えている。通常は夜間、映像を増感するような形で機能するが、逆に高温の炉心を映す時などは、強過ぎる照度を自動的に落とす。機械はほとんど瞬時にそれを判断して画面上の光量を調整。つまり、いまスクリーンパネルに映し出されている映像が、本来の明るさとは限らない。ということは……。

 映し出された施設は、上から強烈なライトを当てたように陰影のはっきりとした画像である。何が起きたのか、いやそれとも、何が起きようとしているのか。

 館内通信は、飛行機の離発着場脇の検問所からで、サイトの外部が猛烈な明るさの光に包まれていることを報告してきた。検問所だけではない、次々と各部署から光の件を報告する連絡が届く。

 ダーナは通話機を管理室長のバッカンディーに押しつけると、通路に飛び出した。屋上に向かう。通路の窓も調光ガラスでできているため、窓から差し込む光は普段とさして変わりない。しかし窓の外に広がる施設の影は、まさに強烈な光に照らされた時のそれだ。

 ダーナは階段を駆け上がり、途中のハッチを腰を屈めて通り抜け、最後屋上に出るドアを開けるのもどかしく足で蹴り上げた。そして扉が僅かに開いたところで、思わずその場に立ち尽くした。眩しい、眩し過ぎる光が、扉の隙間からなだれ込んできた。

 手で光を掻き分けるようにして屋上に歩み出る。

 目が馴れてくるにつれて、強烈な日差しが頭上から降り注いでいるのが見えてきた。

 ドーム状の天蓋と外殻の岩盤を掠めるようにして、サイトの岩窟の中に光が射し込んでいる。片手で日差しを遮りながら辺りを見まわす。全く真昼の、それも夏の日差しのように眩しい光だ。強い陽光のために、自分の後ろ、屋上の後ろ半分は、天蓋の影が落ちて、夜のような日陰の中にある。

 階段を上がってきたスタッフが、ダーナに雪眼鏡を渡した。この眩しさでは目をやられると判断したのだ。雪眼鏡を掛けたスタッフが、ダーナに話しかけてきた。

「焼けるような陽光ですね」

 ダーナはサイト中央の炉に目を向けた。

 屋上の手すり越し目の前に、光の柱がある。管制室ブロックの屋上は、質量転換炉の上端とほぼ同じ高さにある。手すりに近寄ると、強い日差しのなか、質量転換炉の上端中央から、真っすぐに光の柱が上空に向かって伸びているのが見て取れた。

 次々と姿を見せた管制室やほかの部署のスタッフが、強烈な日差しと光の柱を見上げて呆然としている。

 聳え立つ光の柱は、大人が両腕を広げたくらいの幅で、鈍い白色の蛍光灯ほどに輝いている。光の柱自体が輝いているのではなく、光の柱と接する大気中の分子が熱を発して光っているようだ。その証拠に光柱の周辺で、空中の塵が瞬間的にチリチリと音をたてて蒸発、光彩を放っている。ただこの光の柱と、辺りが真昼のような明るさになったことの関係が理解できなかった。

 氷原上で警備に当たっている保安員の話が、館内通信を通して入ってきた。それによると、炉の上部が虹色に輝き、気がついた時には、白い光の柱が炉の上部に現れていたという。光の柱の出現と同時に、辺りは昼間のように明るい日差しで照らし出されたらしい。

 六滂星の警邏隊駐屯地に連絡が繋がる。隊員の話では、氷上は三百六十度どちらを向いても、地平線の先まで真昼の明るさだという。

 看護士とジャブハに付き添われながら、ハン博士が屋上に上がってきた。足を摺るようにして歩く博士の手に、計測値の並ぶチャートが握られている。博士はそのチャートをダーナに渡すと、炉と光の柱を見やった。

「ファロスサイトを中心として、かなり広汎な地域に光が降り注いでいるようだ」

「広汎な?」

 訝しげに聞くダーナに、博士が続けた。

「まだ推測にすぎんが、天に打ち出した光を上空で反転させて、シャワーのように大地に向けて照射しているんだろう。データ待ちだが、おそらくサイトから打ち出されたエネルギー柱を、光として反転照射する装置が、地球の外、宇宙空間に設置されているらしい」

「まさか……」

「この光景を目にすれば、そう考えるしかない。あの光伝ケーブルを使った植物育成プラントなど、ほんの付け足しの施設で、この質量転換炉の本来の目的は、大地そのものを擬似太陽で照らすことだったんだ」

 信じられないという目で、ダーナがもう一度頭上を見上げた。


 午前零時、すでに天に照明が灯ってから一時間が経過していた。

 サイトから逃げ出した一行が、眩しい日差しを背に浴びながら氷原を歩いていた。

 当初はこの光が何らかの惨事の前触れではないかと、全員が全員、後方のサイトを気にしていたが、もう誰も後ろを振り返らない。

 それどころか、笑顔が浮かぶようになっていた。とにかく暖かいのだ。

 マスク代わりの布を口元から外し、防寒頭巾を後ろに引き下げ、手袋を取り、最後は外套を脱いで手に持つ。この世界でいえば、夏の一番暖かい日中の陽光よりも、やや強いと感じる日差しである。極寒の凍てついた夜の中から、突然、陽光さんざめく真夏の日差しの下に抜け出たようなもの。気温はマイナス三十度を下まわっているが、風も止んでいるため、日差しを浴びていると、じわっと肌が汗ばんでくる。

 明るい日差しの下、一行の面々が、次々と防寒頭巾と防寒ゴーグルを外したために、顔と年齢がはっきり分かるようになった。

 助け出された人質の内、大人たちは全員、黒髪灰眼褐土肌のムツ族の人たちである。

 身長順に並べると、筆ひげの紳士然とした男性に、尖った鷲鼻が目立つ怒り肩の男性、銀髪の混じった銀黒髪の婦人、穏やかな顔立ちの巻毛の初老の夫婦、そして小太りで頭の禿げた小男となる。この小柄な男は、上下のまぶたが妙に腫れぼったいピーナッツ目をしている。また鷲鼻の男は、外套の胸元をはだけると、中から見事な顎ひげが出てきた。左右に分けられたひげを真ん中で喋ネクタイのように結んでいる。学塾の講師に多い蝶ひげである。

 また反対派のスタッフは、リーダーが紅毛黄土肌のロズネ。顔つきは端正だが、切れ長の目を神経質そうに頻繁に動かす。歳は三十歳前後。ペコールは書生風のムツ族の青年で、あばたの跡を残した顔に、度の強い黒縁の眼鏡を掛けている。

 この二人が中肉中背なのに対して、三人目のダフトホは、体格も大柄、顔もショベルのような大陸顔の偉丈夫である。大きな手足に広い顎と額は、明らかにホルモン異常による巨人症だ。地方の出らしく、言動にもっさりとした朴訥さが滲みでている。

 最後がバニア。バニアは外套の頭巾を深く押し被ったままで、ピクニックに向かうような陽気さを漂わせ始めた一行のなか、ただ一人不機嫌そうに歩を運んでいる。頭巾の端に覗く脱色したような黄ばんだ髪が、いかにも病的に見える。

「この陽気に較べれば、ユルツ国の夏など、まだ真冬の寒さだな」と、人質の一人が口にすると、その通りとばかりに皆が頷く。互いに賛同の合いの手を打ちながら、セーターの袖を捲る程度では納まらず、セーターを脱ぐ者も出てきた。

 やがてバニアも暑さを我慢できなくなってきたのか、外套を脱いだ。巻きつけたショールの隙間から、ケロイドの残る褐土肌の顔が露わに。そのバニアの手から、ロズネが無言で外套を取ると、自分の荷に突っ込んだ。

 列の後尾を行くウィルタは、ダフトホにもらった干し餅のおかげで、ようやく腹部の不快感が治まってきた。それでも胃の中に新鮮な空気を送り込むように、時々立ち止まっては大きく息をついている。

 黙っているのはバニアとウィルタくらいで、人質同士、人質とスタッフの間でも、会話が回るようになってきた。もちろん話題は、いま自分たちを照らしているこの光についてだ。この光が何であり、どのようにしてこの状態がもたらされたのか、みな意見を交している。知識の外にある現象、それが想像力を刺激する。

 鷲鼻の男が、演説でもするように朗々と自説を披露する。

「もしこれが本当に人の扱える技術なら、それに事故に無縁の安全な技術であれば、人類は氷の世紀から脱出できる」

 一同深く頷く。何しろ夜を昼に変えてしまう技術だ。自分たちの太陽を作って、地平線まで広がる地域を、真昼のように明るく照らし出す。信じられない技術だった。

 夜空に照明が灯って、すでに一時間半。サイトの造り出した天の照明は明るく、そして汗ばむくらいに皆を照らし続けている。振り返っても、サイトの方向で何か異変が起きている気配はない。

 鷲鼻の男が、皆に同意を求めるように声を大きくした。

「実験が成功したのなら、われわれが閉じ込められる理由も無くなった訳だから、サイトに戻って、正規に都への帰還を要請した方がいいだろう」

 すかさず銀黒髪の婦人が、「実験が成功したかどうかを、どうやって判断するの」と問う。

 この四十半ばに見える婦人は、容姿よりもずっと若々しい灰色の瞳を見開いて話す。

 鷲鼻がムッとしたように下唇を突き出した。

「この暖かな日差しが失敗だというのか。十年前は明かりを灯す前の段階で、事故を起こしたということだろう。そもそも前の事故も、小僧のいたずらが原因だったというじゃないか。扱い方さえ間違わなければ、なんの問題も起きないということだ」

 鷲鼻の男は、小僧という言葉を、これみよがしに強調した。

 計画反対派の家族であっても、皆が皆、今回の計画に反対というのではない。鷲鼻の男に限らず、一般的なユルツ市民の心持ちとして、やはり古代人の技術に期待するところ大なのである。有無を言わさず人質に取られたことで、政府に対して憤りは感じる。それでも前回の惨事の原因がサイト本体の欠陥とは別の所にあるという政府の発表を、さもありなんと信じてしまう、あるいは信じたいと思う、それがユルツ市民のごく当たり前の心情だった。

「さすが、古代人の技術はすごいですなあ」

 両手を腰に当て頭上を見上げた筆ひげの男が、感に入ったようにため息を漏らす。

 そのため息を打ち消すようにバニアが、「人間の作ったものに完全なんてあるものか」と吐き捨てた。

 自分の発言を頭から否定された筆ひげの男は、さすがにカチンときたのか、

「そりゃあ、あんたは前の実験の被害者だからそう思うかもしれんが、もしこれが本当に実用化されたなら、少しくらい危険でもやる価値はあると思いますな。今までは、私も危険々々と言われてきたから何となくそう思っていたが、この光の暖かさを全身に感じていると、これはやっぱり夢の技術だと分かる」

 筆ひげの男の言葉が終わらないうちに、バニアが憎々しげに吐き捨てた。

「あんたが私みたいに体中ドロドロになっても、そう言えるか見てみたいもんだわ」

「新しい技術のためなら、少しくらいの犠牲は……」

 筆ひげの男がそう言いかけた瞬間、バニアはその紳士然とした男に殴りかかっていた。

慌ててロズネとペコールが二人の間に割って入る。その際、バニアのショールが外れ、顔面のケロイド状の肌が剥き出しになった。

 筆ひげの男から引き離そうと、ロズネがバニアの背を列の後ろに押す。その押された勢いで、バニアはよろけるようにウィルタの前に歩み出た。

 ぼんやりと他人事のようにバニアと筆ひげのやり取りを見ていたウィルタは、突然自分の前に身を寄せたバニアに、思わず視線を足元に逸らせた。

 ウィルタの仕草に気づいたバニアが、刃物のような視線でウィルタを睨んだ。

「どうしたのよ、顔を、私の顔を、見たんでしょ。気持ち悪いなら気持ち悪いって、はっきり言いなよ。だれのおかげで、こうなったと思っているのよ」

 慌ててダフトホがバニアの腕を引いた。



次話「夜間飛行」

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