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星草物語  作者: 東陣正則
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異常


     異常


 管制室のスクリーンパネルには、氷床上に沈む夕日が映し出されていた。

 氷の劇場の大ホールに、スクリーンパネルの設置が終了したとの報が入る。さっそくサイトからの映像の中継試験を始める。もちろん映像は、議会講堂や都本庁舎の小型のパネルにも同時中継される。

 その中継映像が届いた瞬間、劇場の大ホールにいた作業員や現場の視察に訪れていた議員連のメンバーは驚愕した。すでに中型の映像パネルを観て予想はしていたものの、映像の巨大さと、鮮明さ、そしてなによりそれが、三次元映像ということに圧倒されたのだ。映し出されているのは核力炉だが、まるで自分がその炉の縁に立っているような錯覚を覚える。それほどの生々しい映像だった。

 声を無くしている作業員たちの様子は、劇場内に設置された機材で、サイト側にも折り返し中継されている。休憩時間であったのか、作業員たちが手にした餅挟肉を食べるのも忘れ、呆然としている様子が手に取るように分かった。

 管制室内のスクリーンパネルに映し出されたその映像を、大臣のズロボダが満足げに見ていた。この後、管制室の紹介映像が、視察中の大臣のズロボダと共に中継される予定になっている。あの劇場の巨大なスクリーンパネルに自分が大映しになる姿を想像して、ズロボダは、柄にもなく胸を高鳴らせた。

 その意気揚々としたズロボダに、管理室長のバッカンディーが手鏡を差し出す。管制室からの中継は五分後、六時ちょうどにズロボダの挨拶で始める予定である。その前に身だしなみを整えてはという配慮、おしゃれ好きの大臣に気を利かせたのだ。

 忘れていたとばかりに、大臣が胸のポケットからクシを取り出し、鏡を覗きながら、縮れた癖毛の髪にクシを入れる。とそのクシを持つ手が止まった。

 統括ブースの緊急連絡用のブザーが、派手な音を立てて鳴り響いたのだ。

 通話機を取り上げたダーナの顔色が変わった。

 統括ブースの斜め下、核力発電ブロックのブースでも、担当のスタッフたちが慌ててモニター画面を覗き込んでいる。

 通話機に向かって早口で喋りながら、ダーナは目の前のモニター画面に引き出された、核力発電ユニットの情報に目を走らせた。

 すでにジャブハ統括部長を初め、管制室にいる全員が異変を察知していた。

 スタッフ全員の視線が、スクリーンパネルに拡大された核力発電ユニットの情報に集中、赤く点滅する冷却水の送水量の数値に釘づけになった。数値が急激に低下している。

 なぜと問う間もなく、すぐに施設配置図の末端、揚水設備の区画が点滅を始める。揚水所で事故が発生したのだ。

 ダーナが「揚水所が襲撃されました」と、大臣に告げた。

「何、それで」と、聞き返しつつ、ズロボダがクシで髪を引っ張り顔をしかめる。

 浮き足だった大臣を落ち着かせるように、ダーナが声を掛けた。

「ご心配なく、反対派の妨害は想定のこと、お急ぎでなければ、大臣はスタッフの対応を、そこでゆっくりとご覧になっていて下さい」

 自信たっぷりに言うと、ダーナは館内無線で保安課と連絡を取りつつ、斜め下の核力発電のブースへと下りていった。統括ブースからもジャブハ初め数人が、ほかのブースからも主任たちが駆けつけてくる。各ブースは互いに映像電話で会話が交わせるようになっているが、緊急の場合にそんなものに頼っていては間に合わない。

 スクリーンパネルに映し出された情報を逐次目で追いながら、各ブースの主任が現状を把握しようと意見を交換。その様子を参覧席のカメラが追う。忘れていたが、今は都への実況中継の試験を行っている最中だ。劇場のスクリーンパネルだけではない、議会講堂にも都庁舎へも映像は中継されている。

 気づいたズロボダが「こら、中継カメラを止めろ」と、拳を振り上げると、すぐさまダーナが反応した。

「構わんオバル、中継を続けろ。緊急時への対策がしっかりできていることを理解してもらういい機会だ。しっかり放送してくれ、あとで私が状況を説明する」

「それから」と言って、ダーナは言葉を切ると、顔を紅潮させている大臣に向かって、「心配なさらないで下さい、別にここが爆発するようなことはありませんから」

 不安を落ち着かせるように、ダーナがジェスチャーで手の平を下に動かした。

 ズロボダ自身も顔を巡らし、思ったほど管制室にいる人間が慌てていないのを見て取ると、肩に力の入った自分を恥じるように頭の縮毛を指で掻いた。そして髪に引っかかったままのクシに気づいて、慌ててそれをむしり取った。

 周りの視線から逃れるように椅子に腰かけたズロボダに、統括ブースのモニターが目に留まった。画面には、管制室前面のスクリーンパネル同様、ファロスサイトの様々な情報や、現場の生の画像が映し出されている。斜め下方のブースで他のスタッフと話し合っているダーナたちの姿もだ。

 ズロボダが、そのモニター群の映像に目を向けていると、いつそこに来たのか、看護師に付き添われたハン博士が、すぐ横の操作卓に車椅子を寄せていた。

 体調を戻すために医務室で横になっていた博士だったが、異常発生の報を受け、無理を承知で状況を確かめにきたのだ。

 視線をパネルに向けたまま、吊るしてあるマイク付きのヘッドフォンを大臣に示す。

「ヘッドホンを耳に当て、盤面右下のブース番号を押せば、そのブースで交わされている会話が聞けます。会話に参加したければ、スイッチを双方向通信に」

 博士はそれだけ言うと、隣にいる大臣のことなど忘れたように、盤面のキーを叩きだした。目つきが病人のそれとは思えないほど鋭くなっている。それはハン博士だけでなく、その空間にいるスタッフの全員がそうで、みな緊迫した表情の元に立ち働いていた。

 ズロボダは自分が置き去りにされたような孤独感を味わったが、言われたようにヘッドフォンを耳に当て、試しに核力発電ブースのスイッチを入れてみた。

 しかし数分後にはヘッドフォンを外して、正面のスクリーンパネルに目を戻した。スタッフ同士で話されている内容が専門的過ぎて、ズロボダには理解できなかったのだ。

 それに話を聞いていなくとも、正面のスクリーンパネルの画像を見ていれば、なんとなく事態の推移を読み取れることが分かってきた。

 管制室のスクリーンパネルには、破壊されたという揚水所の様子が大映しにされている。破損箇所の拡大映像の左には、全体の構造図が挿入画面として映し出され、右には、揚水所破損の影響で引き起こされるであろう問題点が、チャート形式で羅列されて、それぞれの項への対処法までが解説図付きで表示されている。問題点が部分変更になると、それに連動するように、対処法も自動的に修正されていく。

 考える必要などないかのごとく、スクリーンパネルの画面には、現状と次に為すべきことが、優先度順に、生の現場映像と数値、グラフ類、合成画像を織り混ぜながら表示されていくのだ。

 特別な知識など必要なかった。画面を眺めていれば、おおよそのことは把握できる。

 見ていると各ブースのスタッフは、時々顔を上げてはスクリーンパネルを眺めると、また自分の仕事に戻るようにデスク上のモニターに目を戻す。正面のスクリーンパネルは、ファロスサイト全体の情報を管制室のスタッフ一同が共有するための道具なのだ。いやそれだけではない。各ブースから全体に提起したいことがあると、それを画面に枠を作って挿入、誰かがそれを行うと、すぐに他のブースからそれに対する意見が挿入枠を作って返される。

 割り込んで来るのは、管制室のスタッフだけではない。現場のブロックからも次々と新しい枠が作られては、情報なり提案が投げ込まれる。その新たに割り込んできた提案を補足するために、適宜、数値やグラフ映像情報なども追加される。

 スクリーンパネルは情報を展示し、その情報を元に議論と作業を進めるための会議室、あるいは作業場なのだ。

 それを円滑に進行させるための舵取りを行っているのが、中央の統括ブースにいるジャブハ統括部長以下、五名ほどのスタッフである。そこで不要な意見は削除し、あるいは補足情報を加味して、全体の議論が円滑に進むように方向性を示す。

 ユルツ国議会の議論は、基本的に書類を交換しながら行われる。比べて、ここではその書類がない。膨大な量の情報を、複数の人間が同時に共有しながら、迅速に仕事を進めるために作られたシステムなのだろう。

 それに気づいたズロボダは、「どれ、それでは手並みを拝見といくか」と、尊大な口ぶりで呟くと、腕組みをして前方の大画面を睨んだ。

 二十分ほどすると、スクリーンパネルにダーナの顔が大映しになった。

 ダーナは真っ直ぐにカメラのレンズを見ている。つまりカメラの向こう側にいるユルツ国の評議員たちに向かって、話しかけようとしている。その表情は落ち着き払ったもので、それがすでに事態が危険な状態ではないことを物語っている。

 ダーナが状況の説明を始めた。

 つい三十分程前、ファロス計画の反対派らしきグループが、核力発電ユニットに冷却水を送水する揚水所を襲撃、揚水ポンプ二基とそれに補助ポンプ一基を爆破した。対してサイト側では、すぐに冷却水の取水先を、サイト2に隣接して作られた非常用プールに切り替え、同時に核力炉を緊急停止させる作業に入った。すでに核力炉の炉心には制御板の挿入が始まり、炉心に温度上昇の危険は無くなっている。

 また揚水所の破壊と同じ時刻に、反対派によって、サイトと都を結ぶ送電通信用のケーブルが二カ所で切断された。しかし送電線によって送られている一般電力は、今回施設内の褐炭火力発電ユニットで全てカバーできるので支障はない。破壊された揚水施設の修復にどの程度の時間がかかるかは、これから行う点検の結果を待たなければならないが、揚水ポンプは予備がサイト内に保管されているので、それほど日数を要さないで計画を再開できるであろう。

 ダーナが話す直ぐ後ろ、スクリーンパネルには、実際に核力炉の中に制御板が挿入される画像が映し出されている。人は想像以上に目で見て物事を判断する。核力炉のユニット内で作業員が平然と立ち働いている姿を見ただけで、声高に安全を強調せずとも、誰もが危険はないと感じるだろう。

「以上で説明は終了、また何か異常が発生したら、すぐに画像通信でこちらの情報を都に転送します」と力強く言って、ダーナはマイクを置いた。

 期せずして、ズロボダが立ち上がって拍手を送った。それをオバルがカメラのレンズで追う。つられて周りのスタッフも拍手。

 上気した顔のズロボダが、身ぶりも大げさに感想を口にした。

「素晴らしい。しかし手際が良すぎて、これを見た連中は、今回の事故を、あらかじめ仕組んであった出来レースではないかと疑うかもしれんな。それでも、とにかく素晴らしい。これなら臨界実験の当日に、私もこの現場に立ち会いたいところだ。あんな議会の穴蔵みたいなところではなく」

 マイクを持ったままダーナが、「そうしていただければ光栄です。特別席を用意してお待ちしています」と言って、恭しく頭を下げた。

 そのダーナのところに、保安課から連絡が入った。緊急の事態が回避できたことで、この後、破壊活動を行った反対派一味の追跡をどうするか、ダーナに指示を仰いできたのだ。「追跡の必要はなし、施設の他の部署の警備を厳重にするように」と命じて、ダーナは通話機を大臣に渡した。

「大臣、反対派の追跡と逮捕は、都に駐留している警邏隊に任せたい。今回の騒ぎが、この施設の警備体制を撹乱して、警備スタッフを外部に誘き出す作戦である可能性も考えられます。都の警邏隊本体を動かすのであれば、私よりも大臣に命令していただいた方が、効果がある」

 自分の方がと言われて、ズロボダも悪い気がするはずもない。それに少なからずサイトの現場に居合わせたことで、反対派に対する憤りもあった。

「任せておけ」と、普段あまり見せない気合いの入った声で返事をすると、通話機の端末を受け取り、警邏隊本部に繋ぐべく交換所を呼び出した。その大臣にダーナがそっとメモを渡す。反対派がサイトに幽閉してあった人質を連れ出した、そのことが走り書きされたメモだ。中継カメラが回っているなかで、このことは口にできない。しかし最優先で対処すべき問題だった。

 ズロボダはメモに目を走らせると、分かったとばかりに小さく頷いた。

 大臣が通話機に向かっている横で、ダーナは統括ブースで操作盤に噛りついているハン博士の額に手を伸ばした。三十八度とは効かない熱だ。一見して呼吸も荒い。

 脇に控えていた看護士に「医務室へ」と耳打ちした。

 すぐにハン博士は医務室に搬送された。その医務室に向かう車椅子のハン博士を見やることなく、ダーナは保安室のスタッフを呼び出した。


 この反対派が揚水所を爆破、サイト内に非常警報が鳴り響いた同じ頃、ウィルタは空腹を抱えたまま、夢うつつでベッドの上に横になっていた。

 ウィルタの頭のなかに、何か物を擦るような音が聞こえていた。豚虫が焼き餅のソースのこびり付いた皿でも齧ってるのだろうか、そんなことをぼんやりとした頭で思う。ところが、どうも豚虫のそれとは違う、物を叩くような音だ。

 ハッとしてウィルタは目を開けた。

 毛布を跳ね除け机の上に目を向ける。照明を絞っているので薄暗いが、皿の上に豚虫の姿はない。なのに叩く音は続いている。壁の時計は六時を少し回ったところだ。

 ウィルタはベッドから転がるように床に下りると、壁の穴に耳を当てた。

 隣の部屋から、微かにだが物をぶつけるような音が伝わってくる。それに人の叫び声も。バニアの声だ。ところが、ぶつける音は、こちらの壁に向かってではない。

 ウィルタは意を決して、紙の筒を手にして呼びかけた。

「バニアちゃん、どうしたの、バニアちゃん」

 何度か声を張り上げるが、返事は返ってこない。相変わらず物を叩きつけるような派手な音と叫び声は続いている。耳を澄ますと「出してーっ!」と、叫んでいるように聞こえる。その声に尋常でない響きがあった。音が移動する。今度は、廊下側のドアに椅子をぶつけているようだ。

 いったい何が……、そう思って、ウィルタは振り向き部屋の窓を見た。

 調光ガラスは光量を落としてあるので、見た目はほとんど闇。ウィルタは端末を手にすると窓の透光率を上げた。じりじりするような速さで、窓が下から上へ透明に変わっていく。完全に透明にすれば、雪さえ降っていなければ、照明を当てられた質量転換炉と、それを取り囲む施設が見えるはずだ。

 しかし窓が透明になるにつれて、見えてきたのは、華々しく明滅する赤い灯だった。

 音が遮断されているので緊迫感はない。しかし何かが起きている。良くない何かが。それを察して、バニアは部屋から出してと叫んでいるのだ。

 取って返し部屋の入口脇の配食口を覗くが、何も入っていない。いつもなら五時半に配膳されるはずの食事が入っていない。

 部屋の扉は閉まったままで、どう力をこめても動かない。机に走って警護室への連絡キーを押すが、こちらも応答がない。狂ったようにキーに指を押しつけながら、ウィルタは窓の外を見た。赤い光が心臓の鼓動のように明滅している。その血のような光を見ているうちに、ウィルタの中にも急速に不安がもたげてきた。

 異常事態だ、そうに違いない。

 反応のない連絡キーを諦め、入口のドアに走る。しかし、さっきと同じで動く気配もない。蹴り上げても足が痛むだけだ。机を持ち上げ、角を思い切り窓にぶつける。だが悔しいかな、調光ガラスには傷一つ付かない。もう一度やったが結果は同じだ。

 その時、室内の照明がプツリと消えた。

 闇に落ちた部屋の中を、点滅する外の非常灯が赤く照らし出す。

 調光ガラスをブラインド状態にすれば、非常灯の点滅を見えなくすることはできる。けれども、見えなくして、それで不安が消えるはずもない。胸を圧迫するような赤い光の点滅に照らされながら、ウィルタの中で不安が膨張してきた。皆この施設から脱出して、自分たちだけが取り残されたのではないか。

 頭を振ってその妄想を払い退ける。そんなことはない、絶対に……。

 ウィルタは横倒しになった机を力任せに持ち上げると、入口のドアに向かってよたよたと歩いた。それをぶつけたくらいで頑丈そうな扉が開くとは思えない。しかし何かをしないではおれなかった。

 そして扉にぶつけようと机を持ち直した時、目の前のドアが滑るように開き、開いたドアの向こうから眩しい光が自分に当てられた。

 思わずその光を手で遮る。男の声が聞こえた。

「助けにきた、すぐに出るんだ」

 声と共に、大人の大きな手がウィルタの腕に伸びる。しかしウィルタはその手を掻い潜ると、外の通路に飛び出し、すかさず隣の部屋に目を向けた。ウィルタより少し背の高い少女が、ドアから顔を覗かせたところだった。

 少女が通路にいるウィルタを見るなり、叫び声を上げた。

「そいつ、そいつは、ハンの息子よ!」

 バニアの声だ。その声を聞いて、ウィルタの部屋の扉を開けた男が、ギョッとしたように顔をのけ反らせた。がすぐにその男は、バニアに歩み寄ると、その華奢な体を廊下の壁に押しつけ口を塞いだ。人質の救出に来たこの男は、バニアがウィルタの正体を知っているとは思ってもいなかった。しかし、とっさに男はバニアにそれを口外しないよう言いきかせた。これから救出する人質の中には、惨事で身内を亡くした者がいる。ウィルタのことが知れると、脱出の際に揉める原因になるやもしれない。それに、後のことを考えると、ウィルタがハン博士の息子であるという事実は、伏せておかなければ……。

 人質救出グループのリーダー、ロズネは、そう判断した。

 そのリーダーの男、ロズネがバニアを言い含める間にも、防寒頭巾を頭からすっぽりと被った反対派の仲間らしきメンバーが、通路の先の部屋の扉を開いて、閉じ込められた人たちを通路に呼び出していく。通路沿いに並んだ部屋から、次々に大人たちが出てきた。大人ばかり都合六名、子供はバニアとウィルタだけだ。

 救出に来た反対派のスタッフ三名と、助け出された人質八名は、すぐにロズネの指示に従って通路を走った。非常灯を残して通路も真っ暗。小走りに通路を急ぐ。

 大人たちの話し声から、自分たちを救出に来た人物が、ファロス計画の実施に反対している組織のメンバーで、非常灯の点灯は、核力炉の冷却システムの破損による非常警報であることを知る。

 先頭を行くロズネが、通路の先を突き当たりで右に折れた。ウィルタも後に続いて右に曲がる。すると目の前に真っ直ぐな通路が……。

 一瞬、ウィルタは目眩を覚えた。

 その方向は、閉じ込められていた部屋でいえば窓側にあたり、通路が続いているはずがなかった。ウィルタだけなく、バニアやほかの助け出された人たちも、ウィルタ同様、当惑した表情を浮かべ、足を止めた。

 理由は後から知るが、ウィルタたちが閉じ込められていた部屋は、サイトの一番末端の区画にあった。ウィルタたちが見ていた調光ガラスの窓というのは、実は精巧な映像パネルで、質量転換炉を二十四時間映し出すよう設定されていたのだ。

 考えてみればこれは当たり前で、宿泊施設が炉に近接した場所にあるはずがない。

 かつてこの施設が作られた当時、建設に携わった人たちは、穴蔵のような宿泊棟の各部屋に、壁面サイズの大型の映像パネルを取り付けた。そこに外部の風景映像から娯楽映像にニュース、個人の通信映像まで、様々な映像を映して、束の間の休息を楽しんだ。それを今回、人質の収容を担当した責任者は、質量転換炉の不気味な映像を二十四時間同時中継するように設定したのだ。

 宿泊区の位置も知らず、映像パネルのことも何も説明を受けずに部屋に押し込まれた人たちは、当然のように壁面の精巧な映像を目にして、部屋が質量転換炉を取り囲む位置にあると思いこむ。施設の中心部にいると信じ込ませることで、逃げ出し難いと思わせること。そしておそらくは、反対派の関係者など、この不気味な炉の映像でも日長一日眺めて暮らせという、ひねた思いが担当官にあったのかもしれない。

 してやられたという思いと、自分たちは炉から離れた場所にいるという、ほっとする思いの交錯するなか、助け出された人たちは皆一斉に通路を走った。

 通路から階段へ。ほとんど使われた形跡のない階段を下り、分厚いハッチのような扉を抜けると、非常灯も何もついていない倉庫のような空間に入った。冷気が肌を刺す。氷点下七度前後か。備品や工作機器などが凍りついたままに並んでいる。

 暖房の効いた部屋に閉じこめられていた人質八名は、ウィルタとバニアの二名を除けば、みな年配者と思しき人たちだ。だが暗くて表情や顔立ちまでは分からない。背の曲がり具合からして、七十を越えたようなお年寄りも混じっている。

 その年配の人たちが、寒さで体を震わせ始めた。閉じ込められていた面々は、外套も手袋も防寒靴も、何も身につけていない、トレーナーのような浄化服のままなのだ。

 それでも震えを我慢しながら小走りに歩く。

 ウィルタはなるべくバニアと離れて歩くようにしていた。バニアは先頭を行くリーダーのロズネのすぐ後ろ、ウィルタは、しんがりを務める大柄な男性の前である。ところが大人たちが子供を先に行かせようとするために、次第に前に押し出され、気がつくとウィルタはバニアのすぐ後ろを歩くはめになった。

 階段を上る。自分の背後に年配の者がいるとばかり思っていたバニアは、お年寄りを気遣うように振り向き、真後ろにいたウィルタと顔を合わせた。瞬間、バニアの目に怒りが炸裂、ウィルタを突き飛ばさんばかりに睨みつけた。

「素手の人は、金属の手すりに触れないように」

 先頭を行くロズネが注意を促す。

 そんなことは分かっているとばかりに、中ほどを歩いていた鷲鼻の男が怒鳴り返した。

「それより着るものをどうにかしてくれ、どこまでこの格好で歩かせるんだ」

「もう少し、防寒具は氷上への脱出口に準備してあります」

 ロズネに促され、とにかく先を急ぐ。

 すでに施設内の各所で鳴っていた警報音も聞こえない。

 分厚いハッチから、ガラス化した岩の洞窟を潜り抜け、蒼氷のトンネルに入る。箱馬車が走れそうな蒲鉾型のトンネルで、配管が四本並んで走っている。核力炉の炉心を冷やす冷却水と排熱温水の流れる配管である。

 トンネル内が氷点下でも思ったほど寒くないのは、排熱用の管が通っているからで、管に触れるとほのかに温かい。パイプを覆う断熱材を通して、温排水の熱が漏れているのだ。

 非常灯が等間隔で灯ったトンネルの中を急ぎ足で歩く。この送水管用のトンネルを通って、監視網の外に出ようというのだ。

 この氷床の下を貫く氷のトンネルは、十八キロ先の氷河水の揚水所まで続いている。

 しかしそこが目的地ではない。途中で氷床の上に出る予定で、防寒着は脱出用の穴の手前に用意してある。とにかくトンネルの中は氷点下五度くらい。風も無いし浄化服姿で走っているぶんには寒くない。

 リーダーのロズネに注文を付けた鷲鼻の男は、暑くなってきたのか、重ね着している浄化服の一枚を脱いで、手に持ち直している。

 突然、先頭を行くロズネが足を止め、配管の下に身を隠すよう指示した。全員が身を屈めて配管の下に体を押し込んだ直後、天井に取り付けられたケーブルを、監視用のカメラが通過した。監視カメラをやり過ごして、また足早に進む。

 ほどなくサイトから一キロ地点、配管の背後に掘られた脱出口に到着。箱に詰めてあった防寒服を着込み、薄っぺらな靴を防寒靴に履き替え、内側に毛の縫い付けてある厚い革の手袋を填めて、完全防寒態勢に身繕いをする。なにしろ穴の上は極寒の氷原である。

 全員が慌ただしく防寒着を着込んでいる最中、リーダーのロズネが、ウィルタの横に身を寄せ、外套の頭巾を直すふりをしながら忠告した。

「みな、おまえがハン博士の息子であることを知らない。都でもハン博士の息子は行方知れずということになっている。ここにいるスタッフの中でも知っているのは俺だけだ。だから人に聞かれたら、父親が反対派に財政支援をしているので人質に取られたと、そう言うんだ。そうするのが、お前の身のためだ」

「でもあの女の子が……」と、 ウィルタがバニアのことを口にしようとした時、

「しまったな、防寒ブーツ、子供用のが余ってないか」

 スタッフの一人、眼鏡をかけた男が、ブーツを手にバニアの前で頭を掻いていた。準備していた靴が、バニアの足にはどれも大きかったらしい。バニアが手にしている靴は、女性の大人用のサイズのものだ。

「徒歩八時間の行程だ。靴下を重ねるなり、適当に誤魔化せ」

 ロズネが、そんな些細なことを言っている場合かと、怒鳴りつけた。

 それを見ていたウィルタは、履きかけていた防寒ブーツの紐を解くと、「これを履いて、ボクには少し小さい」と、その防寒ブーツをロズネに差し出した。

 曠野の暮らしをしていたウィルタの足は、町の子供よりも大きい。与えられた子供用の靴は、かなりきついものだった。眼鏡の男性の手にしている靴の方が自分にはぴったりのように見えたのだ。

「それは助かる」

 ウィルタから渡された靴を、ロズネが「ほら、これを使え」と、バニアに放り投げる。

 ロズネとバニアは反対運動で旧知の仲。とその瞬間、外套の中の赤く爛れた顔を紅潮させ、バニアが足元に投げ出された靴を蹴り上げた。

 バニアが口元を震わせて叫んだ。

「あんな奴が触った靴を、私に履けって言うの。あいつのおかげで私はこんな体になったのよ。それだけじゃない、あいつとあいつの親父のせいで、何千人の人が死んだと思ってるの!」

 悲鳴のような声に、大人たちがギョッとして着替えの手を止めた。

 言ってしまってから、バニアは先ほどロズネから口止めされたことを思い出したようだが、しらを切るようにプイと横を向いてしまった。

その場にいる全員の視線がウィルタ集中。ロズネが困ったもんだとばかりに顔をしかめた。同行の二人の仲間にも、ウィルタのことは秘密にしていたのだ。

 スタッフの一人ペコールが、眼鏡を手で押さえてウィルタとロズネを交互に見返す。

「どういうことだロズネ。この男の子が政府発表の、惨事のきっかけを作ったという子供なのか」

 言ってペコールはバニアに視線を移すと、「今、あいつと、あいつの親父と言ったな」と、興奮した声をトンネルの中に響かせた。

「ユルツ国では、誰もが、惨事のきっかけを作った子供は、ハン博士の息子ではないかと噂している。行方不明というのは嘘で、サイトに閉じ込められていた……」

 ロズネが舌打ちをすると、開き直ったように言い返した。

「政府はそう発表したが、証拠はまだ提出されていない。政府が苦し紛れに捏造した話かもしれないし、それを確かめるためにも、この少年を救出して調べる必要があった」

 いかにも言い訳がましい口ぶりに、「この子がハンの息子というのは、事実なんだな」

 ペコールが念を押すように聞き直す。

 対してロズネは口をへの字に曲げて答えない。

 しかしロズネを取り巻く皆の顔は、すでに何かを納得した顔になっていた。子供のいたずら、ハン博士の息子、博士が姿を晦ませたこと、その三点が、巷の噂どおり一本の線で繋がっていることを理解したのだ。

 誰が次に何を口にするのか、重苦しい空気がその場に流れる。

 その凝固した緊張を崩すように、スタッフの一人、しゃがんで年配の婦人の靴紐を結び直していたダフトホが、顔を上げてトンネルの先を見やった。

「脱出口に入った方がよさそうだや、監視カメラが近づいてくる」

 ダフトホの水膨れを起こしたような朴訥な声に、一同は金縛りが解けたように、トンネルの奥に目を向けた。

 追求の真偽を誤魔化すようにロズネが大きく腕を振った。

「話は後だ。急げ、各自自分の衣類を持ったまま、穴の中へ」

 ロズネの命令を待つ間もなく、みな竪穴の中へ走り込んだ。

 送水用のトンネルを掘る際に掘られた換気用の穴である。ロープをたぐりながら、斜めに掘られた氷の穴を上る。そして穴を半分ほど上ったところにある中溜まりの空間で、残りの着替えを済ませた。全員着膨れ状態で、露出しているところは目と口の周りだけ。身長を覗けば男女の違いも分からない。

 全員が着替えを終えると、リーダーのロズネを初め、救出スタッフの三人が、改めて完全防寒体勢を整えた人質八名の前に立った。防寒頭巾を脱ぎ、素顔を曝して挨拶する。

 リーダーのロズネは、褐炭肌の中肉中背、髪は染色したような紅毛である。

 細身で茶髪薄土肌、黒縁の眼鏡を掛けているのがペコール。

 大陸顔と呼ばれる大顔で、朴訥とした声で話す大男がダフトホ。もちろん名前は、どれも反対派の中での符丁名だ。ロズネがこれからの行程を説明する。

 現在時刻は夜の七時。予定では、竪穴を上がって氷原に出た後、まずは徒歩で仲間の待機している氷床上の岩山を目ざす。八時間ほどの行程で、夜明けまでに岩山に到着。食事と仮眠を取った後、用意しておいたアイスバイクに分乗、氷上を一路霜都ダリアファルへ。吹雪にならない限り、丸二日で都に帰還する予定で、途中の食事や眠る場所の手配は、全て仲間たちによって万全の体制が整えてある。安心して付いて来てほしい。

 一通りの説明を終えると、ロズネは掌をウィルタに向けた。

 情報が漏れることを考え伏せていたが、この少年はハン博士の息子に違いない。いろいろ取りざたされてはいるが、この少年は十年前の惨事の貴重な目撃者でもある。ハン博士、それに息子さん自身が惨事の発生に関係があるような言われ方をしているが、それはあくまでも政府の発表であり、まだ具体的な事実は何も明らかにされていない。いろいろ想いはあるだろうが、真実が明らかになるまでは、大人の対応をしていただきたい、と。

 丁寧な口調で言ってロズネは深々と頭を下げた。

 特に異論はないのか、誰も異議を唱えなかった。

 だが、ウィルタとバニアを除く六名が、みな年配者であることを不審に思ったのか、人質の一人が尋ねた。頭巾の縁から覗く銀髪の混じった長い黒髪、それに声からして女性だ。ロズネが当然の疑問とばかりに説明を補足した。

 サイトには、反対派の青年と、活動家の親たちの二つのグループが、それぞれ別の区画に収容されていた。そのうち反対派の青年活動家たちは、一足先にサイトを脱出。現在、我々とは別のルートで都に向かっている。サイトから都に向かうルートは、途中どうしても徒歩の行程が入る。そのため若手中心のグループと、年配者を中心とした二つのグループに人質を分けた。大勢で一つのルートを逃げるよりは、分散して脱出した方が発見され難いという狙いもあるが、それ以前に、今回の脱出行の目的は、政府がファロス計画を遂行するために非人道的な手段を取っているということを明るみに出すことで、必ずしも全員が都に到達する必要はないからだ、と。

 説明されればその通りと思える。質問をした女性も納得したのだろう頷いている。

 続けてロズネは皆を安心させるよう、揚水場爆破の件についても簡単に釈明を入れた。

 人質を救出するために、揚水設備の一部を破壊した。しかし冷却水の取水源は、自動的にサイト脇のプールに切り替わるため、間違っても核力炉や質量転換炉が暴走を始めることはない。先程の警報は、核力炉が緊急停止に向かう際の非常警報であり、数時間の内に核力炉は停止する予定である。

 過剰に安全を強調し過ぎている感もあるが、誰も問題をそれ以上追求しなかった。それにいくら安全と言われても、閉じ込められていた人たちの目には、非常灯の点滅する様子が焼き付いている。こんなところで話をしているよりも、とにかく今は、早くサイトから離れたいというのが本音だった。

 ロズネの号令に合わせて、全員が残りの斜面を上る。

 そして青白い闇の広がる氷原へ。

 冷気で体が内側に絞り込まれる。

 風で巻き上げられた雪が、頭巾の間から忍びこんで顔に貼り付く。

 みな慌てて頭巾の襟元を引き絞った。体温を奪われることは、ここでは命を削がれることと同義だ。気温はマイナス三十二度。サイトでのぬくぬくとした生活に体が慣れているため、かなり寒く感じる。晴れてはいるが風が少しあるので、風向きによっては年配の者にはきつい歩きになるかもしれない。

「風もあと数時間で止むはず、頑張って付いてきてほしい」と皆に告げると、ロズネは青白い闇の中を仲間の待つ岩場に向かって歩きだした。

 先頭をリーダーのロズネ、すぐ後ろをバニア、その後ろに年配の男女四名、ペコールを挟んで、年寄り夫婦、最後尾にウィルタと大柄なダフトホが続く。

 誰もウィルタの方を振り向きもしない。とにかく今は早くサイトを離れる、全員の気持ちはそのことで一致していた。

 歩きだして、ほんの四半刻もすると、隊列は青白い氷床の起伏の中に見えなくなった。



次話「質量転換炉」

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