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星草物語  作者: 東陣正則
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八角帽


     八角帽


 町のあちこちで蒸気が噴き出していた。

 一通り来賓が挨拶を終えたところで、発電所の壁際でバールを持って待機していた男たちが、バルブをこじ開ける。すると演台の後ろを走る配管の継ぎ目から、スモークを焚くように次々と蒸気が噴き上がった。

 形の定まらない蒸気は、どこか人の心を浮き立たせる。

 いつしか歓声が歌に代わり、人々が踊り出す。

 ひしめき合うように人がいるので、大きな動きはできず、大半の人は体を揺すり足を踏み鳴らすだけだ。それでも無数の靴底が石畳を打つ音が、広場を揺るがす。

 靴音にアクセントを入れるように、杖を手にした者たちが、杖先を石畳に打ちつける。鈍い靴音に杖のよく通る高い音が混じり、それに手拍子が加わる。低い靴音と、甲高い杖音、それに明るい手拍子。人々は軽く体を揺さぶり、思い思いにリズムに乗せて歌詞を口にする。先ほど配管を緩めた男たちまでが、手にしていたバールで配管を叩き始める。細かく刻むような連打に、高く響く大きな音。爆発したいほどに嬉しい喜びを祝辞を聞くためにじっと押さえていた。そのタガが外れ、喜びが音とリズムになって一気に噴き出し、広場を歓喜の渦で満たす。

 その沸き立つような喧噪を、タタンやウィルタたちは井戸の反対側で聞いていた。

 三人は、両側から壁が迫ってきそうな狭い路地を歩いていた。

 蒸気の噴出する瞬間を目撃、後はそのまま来た道を通って広場に戻るつもりだったが、行く手を遮るように蒸気が噴き出していたため、仕方なく別の道に入る。そして角を二つ曲がったところで、前方の横道から出てきた別の子供の一団と出くわした。六人ほどの少年のグループで、六人が六人とも白い八角帽を頭に被っている。経堂の座学の生徒、階四と呼ばれるクラスの少年たちだ。どうやら、彼らも蒸気が噴き出す瞬間を目撃しようと、工場街に入りこんでいたらしい。たっぷりと蒸気を浴びたために、全身が黒く濡れなずんでいる。タタンが、口元を歪めた。

 以前ウィルタはタタンに聞いた。なぜ町の子供たちと遊ばないのかと。

 その話は止そうとタタンは口を塞いだが、百尺屋のオヤジさんが教えてくれた。

 以前のこと、タタンの叔父、つまりガフィの誘いで、町の男たちがユルツ国へ出稼ぎに行き、事故に巻き込まれて六名が亡くなった。当時タタンは五歳で、経堂の座学の階一と呼ばれる初級組に通っていた。それが惨事以降、同級の友人たちがタタンを避けるようになった。亡くなった男たちの親族が、タタンと一緒に遊ばないようにと、子供たちに釘を差したのだ。それだけではない。タタンは町のなかでも、言いようのない冷たい視線を浴びるようになった。五歳のタタンは、自分が除け者にされる理由を理解できなかったが、追い出されるように座学を辞め、その後は町の子供たちとは付き合わず、日々の話し相手は酔騏楼に顔を出す飲み助の坑夫だけになってしまった。

 タタンが旅に出たいと口癖のように言うのは、しがらみの多いこの町から離れたいという、その気持ちからではないかとウィルタは考えた。元来がタタンはどう見ても旅をするようなタイプではなく、体型的にも家で机にしがみ付いているのが似合っているからだ。

 どうやら八角帽の少年たちも、こちらに気づいたようだ。

 タタンは拙いなという目つきで、少年たちと逆の方向を見やる。だが道の反対側は、崩れ落ちた壁が街路を塞いでいる。通り抜けるには、人の背丈以上の瓦礫の山を越えなければならない。八角帽の連中から見れば、自分たちが逃げたように見えるだろう。かといって、狭い道で六人の少年たちが固まっているところを通り抜けるのも気の重いことだ。向こうもチラチラこちらを見ている。

 ウィルタが気を利かせて「瓦礫を登るの、大丈夫だよ」と、小声で耳打ちする。

 しかしタタンは春香に視線を走らせると、「そうもいかないだろ」と言って、八角帽の少年たちに向かって歩きだした。春香に瓦礫の山を越えさせるのは無理と判断したのだ。

 八角帽の少年たちに緊張が走った。どうやら自分たちの方に向かって来るとは、思っていなかったらしい。

 春香の手を引き、ウィルタもタタンに続く。

 極力自然な足の運びで歩こうとするが、どうしても動きが速くなる。

 八角帽たちが、こちらを見ながら何やら言葉を交わしている。中心にいるのは、階四の少年としてはやや上背のある赤毛の少年だ。身長があるのは、上級の階五に進めず何度も落とされているからで、実際は階六の年齢に相当する年長者になる。

 問題は赤毛の彼が惨事で父親を亡くしているということだ。おまけに斜め後ろにいるのは、赤毛の従兄弟で、伯父が大怪我を負っている。

 赤毛の彼は、来年座学を上級に上がれなければ、炭鉱で働くことになっている。父親が生きていれば、ユルツ国の技術院に行けたかもしれないユカギルきっての秀才で、そして彼は階一時代のタタンの親友でもある。

 赤毛の少年が、タタンが近づいてくるのを厳しい目で睨みつけた。

 タタンとしては、ちゃんと挨拶を交わし、彼らと擦れ違うつもりだった。今日は町にとって、めでたい日だし、タタン自身、祖霊様のことで大目玉を食らったばかりで、今は揉め事を起こしたくなかった。

 ちょうど少年たちの右側、壁との間に人が通れるくらいの隙間がある。すごい蒸気だなと、さりげなく挨拶すれば、特に問題は起きないだろう。もしそれで向こうが何か言うようなら、頭を下げて謝ればいい。問題は挨拶を言うタイミングだ。あまり早く挨拶をすると、そのあと擦れ違うまでに、何か口にしないと気まずい雰囲気になってしまう。かといって、擦れ違いざまに挨拶をするというのも、馬鹿にしたような印象を相手に与えてしまうだろう。

 なんとなく目を合わせないようにして歩き、距離が近づいて、あとほんの数歩で赤毛の少年と擦れ違うところまで来て、タタンは軽く手を挙げて挨拶をしようとした。

 ところがその機先を制するように、「挨拶もせずに通り抜けようってのかよ」と、赤毛が不機嫌そうに壁にドンと手をついた。行く手を阻むようにだ。

 赤毛にすれば、タタンが挨拶するのを待ち切れなかったのだろう。自分よりも年少の仲間を率いている手前、タタンを見過ごすと、面目が立たないと考えたのかもしれない。

 喧嘩を売るような言葉に、思わずタタンも「おれは、優等生じゃねえからな」と、言わずもがなの一言を口にしてしまった。それは優等生でありながら、家の都合で優等生を続けることができなくなった赤毛にとっては、一番癇に触る言葉だった。

 二人がムッと視線をぶつけた瞬間、赤毛の後ろから「おまえの親父は、そいつの叔父貴に殺されたんだ、やっちまえ」と、従兄弟の少年がけしかけた。

 赤毛としては、タタンも惨事で父親を亡くしているので、自分と同じ被害者なのだと分かっている。分かってはいるが、ガフィがいなければ、自分の父親が亡くなることはなかった、それは事実だ。それよりも癪に触るのは、幼年組の階一とはいえ、同じ優等生でありながら、タタンはさっさと座学から姿を消し、今は飲み助の坑夫やシクンの連中と付き合いながら、祖霊様に弓を放つなど自由気ままに振舞っている。

 比較して自分は、必死で座学にしがみつき、炭坑で働くしかなさそうな将来にいじけている。それが自分でも情けなくて仕方がない。そんな時に、仲間から自分の境遇を指摘されれば、溜まったうっぷんはタタンにぶつけるしかなかった。

 赤毛は目の前の旧友を見返すと、「そうだ、おまえの叔父貴のせいで、俺の将来は目茶苦茶にされたんだ」と、声を張りあげた。

「そうだ、やっちまえ。六人も死んでんだ」

 赤毛は従兄弟の声に後押しされるように、タタンの胸倉を掴んだ。

 慌てたのはウィルタだった。タタンが町の子供たちから浮いた存在になっている、その原因の一つは、お祈りにも行かないシクン族の自分と付き合っているからだと、そうウィルタは考えていた。手助けをしなければと思って、ウィルタが一歩前に出ようとする。

 とそれを読んでいたように、赤毛の後ろに控えていた連中も前がかりに。

 その赤毛の取り巻きたちとウィルタの気が火花を散らした瞬間、

「煩せえな、文句があるなら、殴るなり引っぱたくなり好きにしろよ。その代わり、殴るのはお前と、そっちの従兄弟だけだぞ。ほかの連中に借りはねえからな。それからウィルタ、お前は関係ないんだ、引っ込んでてくれ」

 いつにない激しい文句を叩きつけると、タタンはそっぽを向くように赤毛に頬を向けた。

 タタンはタタンでうんざりしていた。惨事の後の町の子供たちの振舞いは、大人たちの影響があるとはいえ、腹の立つことばかりだった。

 叔父への恨みを子供の世界に持ち込ませている大人たちにも腹が立つし、その世界から出て行くことのできない子供である自分の力の無さにも腹が立つ。建て前では自分のことを叔父の被害者で、可哀想と慰めてくれる人もいる。ところが、それを口にしながらも、他の場所ではさっさとこの町から出て行ってくれればいいのにと、陰口を叩いていたりするのだ。町の人間関係がぎくしゃくしていること、その責任が全て自分たちの家族だけにあるような口ぶりでだ。

 はっきり出て行けと言ってくれれば、まだいい。謝れと怒鳴ってくれれば、こちらだって謝りやすい。その謝ることを許さないようにするのが、表の哀れみと陰の悪口だ。町が寂れていく苛立ちの憂さ晴らしを、自分たちの家族に向けている。その大人たちの汚いやり方には吐き気がする。そんな大人たちや町への怒りが、タブーである祖霊様に矢を放たせたのだと、自分は思っている。

 大人の世界が汚いのは分かってる。だからこそ、子供たちだけでも何とか上手くやっていけないかと、そう思っていたら、親友の赤毛は、あの事故以来、自分を無視するようになった。母親から近づくなと言われたからだ。まったく……。

 タタンは不貞腐れたように赤毛に向かって頬を突き出した。それで何かが変わると思うのなら殴れよという、そういう意思表示だ。お前もあの嫌らしい大人たちと一緒じゃないかという抗議の気持ちが、突き出した頬に込められている。

 赤毛は赤毛で頬を向けられ、最初は戸惑っていたが、そのうちに怒りが込み上げてきた。

 こんなことをすれば、殴るしか選択の余地がなくなる。なぜ自分をそういう立場に追い込むのか。ウィルタにも腹を立てていたし、仲間にも腹を立てていた。それにやはり、なぜ自分が、事故で父親を亡くすという貧乏くじを引かなければならなかったのか、その自分に科せられた理不尽な運命に腹を立てていた。

 父親の代わりを務めていた母親は、昨年過労で倒れた。あとは小さな兄弟のために、自分が働くしかない。どうして自分がその立場に立たなければならないのか。それが町の他の子供でも良かったのではないか。後ろで囃している連中だって、早く自分が座学から脱落すれば、競争相手が一人減ると思っている。口には出さないが絶対に思っている。座学で優等生を続け、都の経生院へ行って司経の資格を取れば、一生食いっぱぐれがない。そのためには、競争相手となる連中がどんどん脱落してくれればいい。理由なんてどうでもいい。たとえそれが人の死というものであってもだ。

 膨らむ怒りは、吐き出させる場所を求める。

 赤毛も、もうどうでもよくなっていた。ぶん殴って、この怒りや、むかむかした気持ちが晴れるなら、思いっ切り殴ってやる。そうだ思いっ切りだ。

 そう思って赤毛が拳に力を込めた時、通りの後ろでガラガラと派手な音が鳴った。

 身構え筋肉を硬直させていた少年たちが、一斉に音のした方向に顔を向ける。

 すると、四角い箱を背負った男が、瓦礫の山を崩しながら、転げるように狭い路地に下りてきた。男を追いかけるように、壁の一部が剥がれ落ち、石畳の上で派手な音をたてて砕ける。次々と落ちる破片から逃げるように、男は横半身のまま子供たちの方に近づき、オッと声をあげた。

「いよう、祭り事の日に喧嘩か」

 くたびれた革の外套を羽織り、背中にカバーをかけた縦長の箱を背負っている。あごの尖った逆三角型の顔に、飛び出しそうな大きなギョロ目。ユカギルの住人ではない。

 大目玉の男は、子供たちにずかずかと歩み寄ると、親しげに話しかけてきた。

 その時には、赤毛はウィルタの胸倉を掴んだ手を離し、不機嫌な顔に戻っていた。ただそれは、ほっとした顔を隠すための、喧嘩の途中で邪魔が入ったことを怒る顔だった。

「フン、違うよ。落とし前さ」

 赤毛は不貞腐れたように大目玉の男を見すえた。

「ほう、随分難しい言葉を知っているな」

 男は感心したように大きな目を見開くと、手にしていた地図を赤毛の前に突き出した。ユカギルの町の街路図である。ギョロ目の男が言うには、祝典を前で見ようとして、脇道に入り、そのまま迷路のような路地で迷ってしまったのだという。

「馬鹿だな」と、赤毛の従兄弟が笑い声をあげた。

「案内するよ。その代わり、みんなに餅包肉を一個ずつご馳走してくれるかい」

 目の前の地図を男に押し返しながら、赤毛が注文をつけた。

「いいとも、そのくらい。なんたって今日は、めでたい日だ」

「分かった、じゃあ行こう、今ならまだ二度目の祝辞に間に合う」

 赤毛はギョロ目の男の腕を掴んで歩きだした。その赤毛に、従兄弟が後ろにいるタタンを指して、どうするとささやく。赤毛は鼻を鳴らして後ろを振り向くと、タタンに向かって捨てゼリフを投げつけた。

「覚えてろ、いずれこの決着は付けさせてもらうからな」

「分かってる、いつでも相手になってやる」

 抑えた声でタタンも言い返した。

 白い八角帽の少年たちと箱を背負った男が、路地の角を曲がって見えなくなる。それを見届けると、タタンは大きく息をついた。そして傍らで棒立ちに立っているウィルタに、「えらいところを見せちまったな」と、歳上らしい口ぶりで話しかけた。

 ウィルタはどう答えていいか分からず頬を掻くと、忘れ物を探すように後ろを振り向いた。少し離れたところで、春香が配管から漏れる蒸気に焦点の合わない目を泳がせていた。

 広場の方向で一際大きな歓声が上がる。壇上で何か始まったらしい。

 二人は春香を連れ、広場に戻る路地に歩を進めた。


 炭鉱の診療所分室では、レイがじっと目の前のオバルを注視していた。

 レイが鋭い声で詰問する。

「後ろに置いてある包み、落とした時に、呼び鈴のような音が鳴ったわ。あれは電信通話機の中に組み込まれた鈴の音ね。その包み通話機でしょ。なぜそんなものを……」

 問いかけながら、レイはオバルの背後、染みの浮き出た壁に目を向けた。向こう側にあるのは分室の控え室。そこに有線通信の回線が来ていたことを思い出したのだ。

「なるほど控え室か」

 その言葉にオバルの目が揺らぐ。

 前任の我ままな医者が炭鉱事務所に掛け合って引かせた回線、それが、前任者が町を去った後、通話器を外したままの状態で残っている。レイがユカギルの町に足を運ぶことが決まった際、炭鉱の所長から、通話器を繋げば使えますが、どうされますかと問われた。配慮は有難かったが、炭鉱事務所に通話器があるのに、わざわざ分室にまで設置する必要はないと感じて、そのままにしてもらった。

 視線を布包みからオバルに戻したレイが、追求の手を絞る。

「その膨らみからして、中身は通話器と匣電。あなた、この祭りの最中に、どこに連絡を入れていたの。通信なら炭鉱事務所の通話器が使えるでしょう」

 動揺を隠すように首筋を掻くと、「私的な用件だったもので」とオバルは口を濁した。

いかにも何か家庭の事情で連絡を入れる必要があったような言い草だ。しかし今日に限って、上の事務所は人が出払って無人。通話器を使っても立ち聞きされる心配はない。それに町の電信館は別として、事務所の通話器を炭鉱の連中が私用に使うことは、ままあること。だいたい、人に聞かれたくない連絡を入れるなら、町なかの電信館の方が相応しい。なにしろ個室が準備されているのだ。

 レイはオバルの目を見ていた。人の挙動の真偽は目の動きを見れば分かる。

 そのオバルの目、視線が一定しないし、時おり痙攣したように瞬きを繰り返す。何かを逡巡している目、単に私用の連絡を入れようとしたのでないことは明らかだ。

 そう読んだレイが畳み掛ける。

「電信館は依頼呼び出し制だから、送信先の番号を記入して係員に提出しなければならない。炭鉱の事務所ならその必要はないけど、たとえ祭典中といえど、いつ誰が来るか分からない。そういうことね。この倉庫の中なら、通信の記録が残る恐れも、人に聞かれる心配もないから」

 ユカギルの町で、通話器、春香の時代でいう固定式の有線電話が設置されているのは、電信館以外では、庁舎、炭鉱事務所、町長宅、診療所の四カ所だ。町の住人は通信の必要があれば、庁舎横の電信館に足を運ぶ。ただその場合も、通信を届けたい相手が回線を持っていないのが普通なので、ほとんどの場合はメッセージを電信館に託す。つまり電送郵便である。その有線通話にしても繋がる地域は限られ、ユルツ連邦の場合で言えば、回線で繋がる地域は、ほとんどが軽便鉄道の経路上の町になる。

 視線を逸らせてしまったオバルに、レイが返答を促す。

「ハンを探し出してどうしようというの。政府に売れば、いくら貰えるの」

 まるで尋問である。

 追い詰められたオバルが、逃げ道を探すように、逆に問い返した。

「聞かせてください、レイ先生は、ファロス計画の再開についてどう思われますか。端的に言って賛成か反対かなのですが」

 即座にレイが言い捨てた。

「どちらでもないわ。国を捨てた私にとっては、関心のない問題よ」

 ただそれだけでは不十分と感じたのか、直ぐに後を続けた。

「あえてファロス計画の是非を問われるなら、古代技術の粋のような装置を、この時代の人間が理解し、使いこなせるとは思わない。欲張って身の丈以上の技術に手を出し、しっぺ返しを食らった。あの惨事は、そういうことでしょう」

 言葉の端々に、自分の人生を狂わせた事業への怒りがにじむ。ただ研究職を務めた者特有の冷めた物の見方が、怒りに一定の枠をはめているのも確かだ。レイが賛成と反対、そのどちらの立場にも与しないというのは、本当のことだろう。

 オバルは自身の心の内を見定めるように、目頭を軽く数回揉みほぐすと、

「先生のおっしゃる身の丈以上の技術という点については、ぼくも同感です。それはあの惨事の渦中にいて、自分が一番に感じたことですから」

 そう前置きした上で、オバルが重い口を開いた。

「ぼくはハン博士を捜しています。ただし政府の側からではなく、ファロス計画の再興に異議を唱える側の立場としてですが」

 言って椅子の後ろの袋を取り上げ、中の物を見せる。やはり通話器と匣電だった。

 オバルが、なぜ自分が祭典の日にここにいたのか、その説明を始めた。

 二週間前のこと、オバルはファロス計画の再開に疑問を投げかける人たちの要請を受けて旅に出た。惨事のあと姿を隠したままのハン博士を捜し出し、ユルツ国に戻って自身の体験と考えを市民に訴えてもらえるよう、依頼するためだ。ところが出立の直後に旅の軍資金を盗まれ、ユカギルの町で足止めを食ってしまう。

 言うまでもなく、ファロス計画を最も理解しているのは、計画の技術部門の代表を務めたハン博士である。博士は惨事を生き延びた数少ない専門家であり、かつファロス計画を遂行する立場でありながら、最後は計画に異議を唱え、政府に対して計画の一時棚上げを働きかけていた。責任を取ることなく身を隠した点に問題は残るが、再びファロス計画が動きだした今、計画を再度検証し直し、その危険性を市民に訴えてもらうのに、博士ほどの人材はいない。なのに、その博士の行方が杳と知れない。大陸の東の果てにいるらしいという噂があるくらいだ。

 ファロス計画は、計画再開の発表が近々なされるという段階まで来ている。とにかく早急に博士の居場所を探り出し、連絡を取る必要がある。そこで惨事の原因を再検証しようと結成された民間団体は、博士の探索を依頼する先として、オバルに白羽の矢を立てた。惨事の渦中から博士と共に助かったという、オバルの経歴を買ったのだ。そしてオバルは博士探索の旅に出た。依頼主のファロス計画事故検証委員会という民間団体と、緊密に連絡を取りながらである。

「それで、隣の部屋の回線ということね」

 オバルが率直に頷く。

 ファロス計画の再開を目前に控え、政府は今回の計画を疑問視する団体や、反対を唱える活動家への監視を強めている。そのため連絡を取る際には相応の配慮が必要となる。通話の記録を残さず、かつ通話の内容を第三者に知られないようにする必要がだ。

 説明を終えると、オバルは納得して貰えたかどうかを確かめるように、レイの反応を窺った。果たしてレイは、何か腑に落ちない点でもあるのか、腕組みをしたまま黙考している。そのレイが腕組みを解くと、オバルの目を半眼に睨みつけた。

「あなた、今、ファロス計画の危険性をハンに訴えて貰うと言ったわね。でもいくら専門家でも、責任も取らずに遁走した人物の発言に、市民が耳を傾けるかしら。ハンを引っ張り出すのは、逆効果になるんじゃない。それと、ハンから連絡が無かったと言うのは本当なの。大陸の東にいるらしいというのは何。そんな曖昧なことで、捜索はできないでしょう。相応の資金の援助があって探索に出向く以上、もっと具体的な居場所を掴んでいるんじゃない、どう」

 オバルは言葉に詰まった。さすがは長年技術院で要職を務めていた人物、一般の婦人なら黙って聞き流すであろうことでも、的確に問題点を突いてくる。確かに先生の指摘する通りなのだ。だが……。

 肌に突き刺さるようなレイの視線に、オバルのまぶたがヒクヒクと痙攣。

 オバルは迷っていた。

 レイ先生が指摘するように、自分はハン博士の所在に関する具体的な情報を握っている。博士がいるであろう場所は、大陸の東の果て、チェムジュ半島という場所になる。ユルツ連邦からだと一万キロ以上も離れた地の果てのような場所だが、問題は距離ではない。本当の問題は、そこにいるらしいというだけで、本当の意味で、博士がそこにいるかどうかの断定ができていないのだ。確認ができないまま、取りあえず、その半島に向かって旅に出たというのが、今の自分の置かれた立場だ。所在を探るのではなく、所在を確認するための旅である。だからこそ、もし当地まで赴くことなく、ハン博士の所在を確かめることができるなら、ぜひそうしたいと思っていた。

 そのチャンスが突然降って湧いた。鍵は、目の前のレイ先生である。

 これは博士の所在を確かめる大きなチャンスだった。

 説明が難しいが、レイ先生を使えば、ハン博士の所在の確認が取れるかも知れなかった。だが問題もある。先生に博士の所在確認の手伝いを頼むには、こちらの手持ちの情報を明かさなければならない。それには危険も伴う。いまハン博士に関する情報を握っているのは、自分を除けば、自分が情報を提供した人物、つまり今回の旅の依頼主、検証委員会のごく限られたスタッフだけだ。もし自分がレイ先生に情報を流し、それが政府筋に伝わるようなことにでもなれば……。

 先走って自分の考えで行動すると、後々不都合が起きるやもしれない。ここはまず委員会に、レイ先生に協力を求めることの可否について、判断を仰ぐのが筋だろう。

 そう考えて、この祭りの日、炭鉱から人の気配が消えるのを待って、分室の控え室から検証委員会に連絡を取ろうとした。それがうっかり充電していない匣電を持って来たおかげで、もう一度事務所に戻るはめになり、倉庫の扉を出たところでレイ先生と出会ってしまったのだ。偶然といえば偶然。

 まだ委員会の了解は得ていない。しかし、レイ先生とこうやって話す機会を逃す手はないのでは……。

 オバルが口を開くのを待つように、レイが新しい苔茶を入れた。新鮮な香りが辺りに漂う。窓の外、眼下の町では、砂を流したように足を踏みならす音がうねっている。

「秘密を守ってもらえますか」

 念を押すように言って、オバルがレイに視線を合わせた。

「それが息子のことについてというのなら、もちろんよ」と、レイが言下に受ける。

 軽く一口茶を啜ると、「ハン博士は曠野にはいないと思います」とオバルは断言、その理由を語りだした。

「つい先ほど、レイ先生からハン博士が曠野にいるかも知れないと聞いた時、一瞬ぼくもその可能性を考えました。しかし、子供が捨て子としてシクンの民に預けられていると聞いて納得、じつは博士は、いま大陸東の某所にいます。いや、いるらしいのです。ぼくは、彼がそこで子供と一緒に暮しているのだとばかり思っていました。でも子供が曠野のシクン族に預けられていると聞いて分かりました。彼は一人でその場所にいるでしょう。彼の気持ちを考えれば、子供と一緒にいるはずがないのです」

 発言の意味が良く分からず、レイが説明を求めるように体を前がかりにする。

 憚るような目で、オバルがそのことを口にした。

「つまり……、あの十年前の惨事の原因は、ハン博士の息子にあるのです」

 一瞬レイの体が震えたように見えたが、構わずオバルは続けた。

「当時の細かい状況は省きますが、あの惨事の直接のきっかけは、管制室でのウィルタ君の悪戯にあったようです。もちろん二歳半の子供ですから、善悪の判断ができない以上、悪戯という言葉は的を得た表現ではない。でも全く専門家たちでさえも予想していなかった機械の操作を、息子のウィルタ君が行ってしまった。その結果、古代の炉は暴走、炉心溶融を伴う爆発が引き起こされて、数千人の人が亡くなる惨事となった。

 もちろん、惨事を引き起こした責任は、幼児を計画の中枢に連れていったハン博士当人にあるでしょう。それに子供の悪戯程度で暴走を始めた施設自体の問題。更には、暴走を止めることのできなかった専門家たちの能力の問題。それでもです、ウィルタ君の悪戯が無ければ、数千人の民間人と多くの専門家、そしてハン博士の最愛の妻を死なせずに済んだはずなのです」

 聞いているレイの体が、凍り付くように固まった。いや手だけは小刻みに動いていた。レイは思う。おそらく自分を含め、誰も考えもしなかったことだろう。

「博士にとっては痛恨の極みでしょう。事故の原因究明を行ない、多数の死傷者を出した責任を取らなければならないことは、彼も重々承知のはず。しかし一番の当事者であるハン博士にとって、事故の原因を究明をするということは、息子のやったことを公にするということなのです。そうなった場合、いくら幼児だったとはいえ、その汚名は一生付いて回ることになる。肉親を事故で亡くした人たちにとって、犯人が子供であったことなんて関係ないでしょうから。

 博士は、人々の冷たい視線の中で生きていく人生を、息子に送らせたくはなかった。だから自分が失踪するしかなかった。都にいれば、博士は当然事故の解明をやらなければならない立場ですから」

 話しながらオバルは手にしたコップの中の小さな水の揺らぎに目を落とした。波がぶつかり合い重なり合いながら、複雑な波紋を描いている。誰にも予想のできない波が、生まれては消えていく。

「ずっと自分は思っていました。博士は子供を連れて、どこか遠い世界でひっそりと暮しているのではと。でも博士が息子を人に預けた気持ちは分かるような気がします。息子が身近にいれば、必ず事故のことを思い出すでしょう。それに息子の悪戯さえ無ければ、最愛の妻を死なさずに済んだ、その悔恨は堪らないものに違いありません。

 息子への恨めしい気持ちは、そのまま幼児である我が子を現場に連れて行った、自分への悔やみ切れない後悔になる。子供を愛することができないのに、一緒に暮すというのは、余りに辛いこと。預ける、それも誰も周りに知り合いのいない土地で預けるしかなかったのでしょう」

 レイはその状況を想像してみた。

 もし子供と一緒に暮していて、母親がどうして死んだのと聞かれたら、なんと答えれば良いのか。子供というものは、言葉の向こうにあるものを鋭敏に捉える。ちょっとした言葉の淀みの後ろにあるものを嗅ぎ取る。そうして、子供は母親のことを話題にしなくなる。そこにあるのは、父と子が、最愛の妻、そして母のことを、語り合うのを憚かる生活だ。考えただけでも心の痛む生活……。

 頬に手を当てたレイが、海の底に沈み込むような溜め息を吐いた。

「済みません、先生としては、知らない方が良かったでしょうか」

 長身の背を丸めたオバルが、申し訳なさそうに言った。話したことを少し後悔しているようでもある。

「いいのよ、ありがとうオバル、話してくれて。聞かなければ、ずっと息子のことを誤解したままになっていたかも知れないから。それにしても辛い話ね。ハンにとっても、孫のウィルタにとっても、そして誰にとっても……」

 ストーブの中で、この地で焚石と呼ばれる石炭の表面を、白い灰の膜が覆っていた。



第十二話「夏送り」・第十三話「覚醒」・・・・第十五話「移転」・・・・

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