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5 旅立ち前

 ワルサラ国王ヘムトは、日乾しの身体に痩けた頬、寝不足なのか血色不良か、落ちくぼんだ目の下にいつも青いくまをつくっている、あまり冴えない風貌の王であった。


「おお、イヴンよ! 我が可愛い息子よ」


 ヘムト王は大仰にイヴンを抱きしめる格好で両手を広げかけようとして思いとどまった。

 何故なら、両手には松葉杖。

 つい先日、階段の最後の一歩を踏み外して転倒し、右足の骨を折ったという。

 慣れない松葉杖で玉座へと向かう王の姿をこっそりと見つめ、このことをイェンに話したら、きっと、とろくせえ奴だとか、威厳もへったくれもねえな、と笑うに違いないと思いながらイヴンは王が玉座につくのを待った。

 実は、と王は切り出した。


「今日おまえをここに呼んだのは他でもない。おまえに縁談の話が持ち込まれたのだ。おまえも今年で十五。そろそろ結婚を考えてもおかしくない年頃だ。突然のことで驚くのもやむを得ないが、これはまこと喜ぶべき素晴らしい話なのだぞ。なんと、先方から是非おまえにとのこと。行ってくれるな? な?」


 突然言い渡された結婚話。

 相手は幼い頃、たった一度だけ会っただけの王女様。

 財政難と極度の人手不足のため、ヴルカーンベルク国まで護衛の者はつけられないという厳しい条件。

 仮にも一国の王子。

 あまりにも無茶苦茶すぎる扱いだ。けれど、イヴンに断る権利はない。行けと命じられたら従うだけ。ヴルカーンベルクより使者と魔道士がお迎えにという話もあったが、国王は丁重にお断りをしたらしい。来られても今のワルサラに、大国の使者を持てなす余裕はないのだと。


「して、イヴンよ。おまえの持つパンプーヤの剣じゃが、余に譲ってはくれんかのう? いやいや! 無理にとは言わんが、その剣があれば余にも〝はく〟がつくと言うかなんというか」


 ヘムト王の申し出にイヴンは黙り込み、うつむいてしまった。


「否と申すか? 王である余の頼みであってもか? そうか、ならば仕方あるまい……」


 ちょっと言ってみただけで、実はそれほど固執はしているわけではなかったのか、意外にもあっさりとあきらめた。

 ヘムト王は目を細め、しみじみとイヴンを見下ろした。


「それはそうと、十年前、この国を危機におとしいれた大干ばつで命を落としかけ、不運な王子と将来を危惧していたが、まさか大国の王女に見初められるとは、おまえは本当に運がよい」


 と、王は感極まっておいおいと泣き伏した。



 ◇・◇・◇・◇



 玉座の間より辞したイヴンは、王宮前庭の噴水で足を止めた。

 イヴンが来るのを待っていたのだろう。心配な顔でこちらへと歩み寄るひとりの男を目にした途端、イヴンは泣き出しそうになった。


「ヨアン義兄様……」


 顔もよく知らない血の繋がった兄弟の多いなか、ヨアンだけはいつもイヴンを気にかけてくれた。優しくて、強くて、幼い頃から可愛がってもらい、学問や武術を教えてくれた頼れる義兄。尊敬もしている。


「うけたのですね。結婚の話を」


 ふいにヨアンの大きな手がイヴンの頭に伸び優しくなでた。


「いまさらかもしれませんが、わたしが陛下にもう一度考えを直していただくよう、とりなしてみましょう」


「ありがとうございます。でも、いいのです。僕、ヴルカーンベルクへ行きます」


「イヴンが犠牲になることはないのですよ」


 ヨアンの手が今度はイヴンの両肩に置かれ、顔をのぞき込む。


「でも、相手は大国ヴルカーンベルクです」


 もしも、結婚を断って敵に回すことになってしまったら、こんな小さなワルサラ国を潰すなどわけもないことであろう。

 ヨアンとて、それはわかっているはずだ。


「ならば、せめて有能な魔道士を連れて行きなさい。あの男はいけません」


 ヨアン義兄が言うあの男とは、言わずもがなイェンのことだ。


「あのようなうだつがあがらない、魔道士としても落ちこぼれの無能、聞けば、女癖もひどく悪いとか。そんな男を連れて行って恥をかくのはイヴン、あなたなのですよ」


 そう言って義兄は見てごらんなさい、と指をさした。

 ヨアンの指の先、少し離れた木の陰に、一人の若者がひざまづいていた。若者はイヴンと目が合うと、恭しく深く頭をたれる。イヴンも慌ててぺこりとおじぎを返した。


「彼は私がもっとも信頼している優秀な魔道士です」


 つまり、義兄はあの魔道士をヴルカーンベルクに連れて行きなさいというつもりらしい。

 礼儀正しそうな人だ。

 それに、とても真面目そう。でも、ちょっと堅苦しい感じかな。

 イェンとは大違い。

 そもそも、イェンが魔道士らしからぬ言動をとるから、余計浮いて目立つのだ。

 だけど、ヨアン義兄様は勘違いをしている。

 イェンには、ヴルカーンベルクへ行くことはまだ話していないし、ついてきて欲しいとも言ってない。


「きっとイヴンの役にたつでしょう。だから、あの無能な男はここへ置いていきなさい」


 イヴンは表情をかげらせた。

 義兄の心遣いは嬉しく思った。だが、それと同時に、イェンのことを悪く言われるのは嫌な感じがした。


「確かに、イェンは口も悪いし、態度も大きいし、いつも偉そうだし、朝帰りとかしょっちゅうだけど……」


 褒め言葉がひとつも出てこない。

 それでも、イェンが側にいないと嫌なんだと言いたいのに、義兄の厳しい目に見つめられて、何も言えずにうつむいてしまう。

 頭の上でヨアンがひとつ、大きなため息をついたのを聞く。


「わかりました。でも、困ったことがあったなら、すぐに私を頼りなさい。私はイヴンの味方なのだから。ところで……」


 肩に置かれたヨアンの手に力がこもる。

 イヴンはわずかに顔を歪めた。


「パンプーヤの剣を陛下に渡してはいないね。気をつけなさい。陛下は以前から大魔道士パンプーヤの剣を狙っている。それと……剣と対をなすパンプーヤの杖の存在を知っていますか?」


 イヴンはちらりとヨアンを見上げたが、真っ向から見下ろしてくるその視線から逃れるように、視線をそらしてしまう。


「知っているのですね」


 語気を強める義兄にたじろぎ、口を開きかけたその時。


「イヴン! おまえ、ヴルカーンベルクに行くんだって?」


 遠くから妙に機嫌のいい声で歩いてくるイェンの姿を見つけ、イヴンはほっと胸をなでおろした。


「たった今〝灯〟の長から聞いたぜ。ってことで、俺もついていくからな」


 にやりと笑って、イェンはかたわらに立つヨアンを一瞥する。


「ついてくるって、何言ってるのイェン……だって……」


「みろ、俺なんかもう旅支度ばっちりだぜ」


 旅支度と言いながらも、見ればイェンの肩には小さな鞄がひとつぶら下がっているだけ。 一日や二日の小旅行ではないのだ。

 イェンの考えることは時々わからない。

 それも、よく見るとその鞄はイヴンのもの。


 つまり、僕に荷物持ちをさせようっていうことなんだね、とイヴンは軽くため息をつく。


「さっさと行こうぜ、色白美人の待つ、北の王国ヴルカーンベルクへ!」


 ますます、わからない。


「冗談言わないでよ。どうかしてるよ! よく考えてよ。家はどうするの? それにその荷物! ちょっとそこまで旅行に行くんじゃないんだよ」


 多分もう、ここへは帰ってこれないのだ。


「そんなん知ってるよ。それに、女じゃあるまいし、男が大荷物抱えてどうすんだよ。必要最低限の物さえ持てばいいだろ」


「〝灯〟の移転許可はどうしたの? だって、イェンはこの国の〝灯〟から……」


 イェンはにやりと笑って一枚の紙切れをイヴンの前に突きだした。それは、イェンの名が書かれた、ヴルカーンベルク国〝灯〟への移転許可証明書であった。


「だめだよ偽造は!」


「あほか」


 よく見ろ、といわんばかりにイェンは紙切れの一部を示す。小難しい文章が書かれた一番下、イェンが指さした箇所に正真正銘〝灯〟の長の署名もきちんとあった。


「どうして……」


「そりゃ、この国の王子であるおまえが、どうしてもお供に俺を連れていかなきゃ嫌だ。じゃなきゃ、結婚の話も断るって激しく駄々をこねられたら、そりゃあ……なあ。〝灯〟の長も困り果ててたぞ。王子様もずいぶんと我がままなことをおっしゃるって」


「勝手に我がままな子にしないでよ! それに僕、そんなこと一言も言ってない」


「言ったんだよ」


「駄々もこねてない」


「こねたんだよ」


 反論を許さない有無を言わせぬ口調だ。

 これはもはや、イヴンのあずかり知らぬところでイェンと〝灯〟の長を含めた上層部と何かが交わされた、としか考えられなかった。そして、それについて、それ以上おまえは追求してくるな、とイェンは含みを持たせているのだ。


 そこへ。


「兄ちゃーん!」


 すっかりヨアンの存在を無視している二人の間に、兄の後を追いかけてきたイェンの双子の弟、ノイとアルトもやってきた。

 イェンと同じ黒髪と黒い瞳、歳はイヴンと同い年、見るからに利発そうな双子だった。

 兄と同じ魔道士である双子の存在は〝灯〟でも有名で一目置かれていた。さすが魔道の家系に生まれた子。優れた才能がある。将来有望、間違いなく魔道士として最高位の地位を得るだろうと、常に期待の目と賞賛の言葉を浴びていた。そして、最後に必ず決まり文句がつくのだ。

 兄のイェンとは大違いだと。

 顔立ちはもちろん、肩のあたりで切りそろえられた髪型も同じ。性格も口調も似ていて、服も二人で共用しているため、慣れない者には見分けることは難しい。ただ注意深く見ると、弟の方が少し甘えん坊のようだ。


「なあ兄ちゃん、たまにはこっちに帰って来られるのか?」


 弟のアルトがイェンを見上げ寂しそうな目をする。


「実は女関係でヤバいことがあって逃げんじゃないのか?」


 兄のノイは手を口許にあて、いひひ、と嫌らしい笑いを浮かべた。


「ま、まあ……おまえらも、俺がいなくなってもしっかり勉強して立派な男になれよ」


「俺たち、兄ちゃんから教わりたいこと、まだまだいっぱいあんのにな」


 頭の後ろで両手を組み、ノイが唇を尖らせた。


「そうだよ! 試験のカンニング方法とか」


「隣ん家のみかんをこっそり盗む方法とか」


「それから、母ちゃんのへそくり場所とか」


「おまえら、こういう時は嘘でも魔道の教えって言えよ」


「だって、兄ちゃん魔術は全っ然じゃん」


「そうそう、からっきしだめじゃんか!」


 なあ、と目を見合わせ声をそろえる弟たちの頭をぐりぐりとなでるイェンの少し寂しそうな顔。


「いいか、アリーセのへそくりにだけは手を出すなよ。バレたら怖えからな。半殺しにされるぞ」


「わかってるよ」


 声を揃えて双子たちは言い、そして、同時にイヴンに向き直る。


「俺たち、もっと修行して空間移動の術を習得したら、いつでもイヴンに会いにいってやるからな」


 待ってろよ、とノイが親指を立て断言する。


「それまで寂しくても我慢だからな。だから、あまり泣くなよな。イヴンは泣き虫だから心配だな」


 アルトがイヴンの手をとり、ぎゅっと強く握りしめた。しかし、そう言っているアルトの方がほんの少し涙目であった。


「うん。ノイもアルトも元気でね。それから魔術の修行もがんばって」


「おう! それと、兄ちゃんのこと頼んだからな」


「あまり悪さしないように目を光らせてくれよな」


 イェンを頼むと言われたイヴンは、ただ笑うだけであった。

 イェンは身をかがめ、両手で双子の肩を強く抱きしめた。

 大切な家族を残してまで、運命をともにしようとしてくれたイェンの優しさには言葉にできないほどに感謝している。



 ◇



 そういえば、結局、ヨアン義兄様が紹介してくれた魔道士のことはうやむやになってしまったな。

 ヴルカーンベルクに着いたら、お詫びの手紙を書かなければ。


 そんなことをふと思いながらイヴンは振り切るように故郷に背を向けた。


「イェン、行こう」


「ふっきれたか?」


 うん、とうなずいて見上げると、そこには、いつになくほんの少し真面目なイェンの顔。


「おまえも頼りねえ王と、使えない王位継承者たちを蹴落としてこの国の王様になろうっていう覇気と野望があれば、俺も喜んでおまえを玉座につけるために手え貸してやったのによ」


「ち、ちょっとイェン! 何言ってんだよ!」


「だって、おもしろそうだろ? そうすれば、おまえだって売れ残りの王女と結婚させられることもなかったんだ」


「物騒なこと言わないでよ。僕は王位なんて興味ないし、そもそもそういうの向いてないし、それにヘムト陛下のお側にはヨアン義兄様がついている。ワルサラ国には何も心配することなんてないよ」


 イェンはやれやれと肩をすくめた。


「ヨアンねえ……あいつがのんびりやの国王とそりが合うかどうかが問題だな。それに、ああいう人のいい振りを装った奴に限って、腹の中は真っ黒なんだよ」


 相変わらずイェンは平気で王族をあいつ呼ばわりだ。


「ヨアン義兄様のこと、よく知りもしないのに、何でそう決めつけるの?」


「何となくだ。まあ、勘だな勘。それに、ああいう奴は計画通りに物事を進めているようで、実はツメが甘い。だいいち、三十過ぎて独身だぞ、何か重大な欠点があるに違いねえ。実は男色家とか」


 イェンはにやにや笑いを浮かべた。


「そんな話聞いたことないよ。でも、そういうイェンだって二十五歳にもなるんだし、そろそろ身を固めてもいい年でしょう? といっても、イェンはツェツイーリアちゃんが大人になるのを待っているんだろうけど」


「ま、俺に参りましたと言わせるほどのテクニックを持つ女が現れたら、考えてやってもいいけどな。はは」


 腕を組み、しみじみと語るイェンを見上げイヴンはため息をつく。

 何が参りましたなのかよくわからないし、どこまで本気なのか、そうでないのかもわからない。

 イェンはいつだってこんな調子だ。おまけに、ツェツイーリアちゃん云々のあたりは完全に無視されてしまった。


「ヨアン義兄様は本当に立派なお方だよ。それに、毎日ご公務が忙しすぎてお嫁さんをもらう暇もないんだ。イェンとは違うよ」


 義兄の素晴らしさを語るイヴンに、イェンははいはい、と軽く受け流す。


「とにかく、ヨアン義兄様がいればこの国は大丈夫だから」


「だといいけどな」


 大丈夫だよ、と呟くイヴンの目が再び故郷へと向けられる。まるでこの光景を忘れまいと目に焼きつける表情だった。


「本当に、この国ともお別れなんだね……」


 やっぱり、寂しいな。


 と、小声で呟くイヴンの頭にイェンの手が置かれた。


「イェン……?」


「不安か?」


「うん……少しだけ。でも、イェンがいるから平気」


 イェンは笑ってイヴンの頭をわしわしとなでた。


「ああ、おまえには俺がついている。何かあった時は、必ず俺が何とかしてやる。だから、どんな時でも俺を信じて頼れ」


 イヴンはうん、とうなずき、新しい地への一歩を大きく踏み出した。

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