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3 少女魔道士と女剣士

「あの、お客さん? 忘れ物……」


 食堂から出た薄暗い廊下。

 灯りは燭台ひとつのみ。

 背後からかけられた声に、イェンは口の端に微かな笑みをのぼらせる。

 振り返ると暗がりの中、先ほどから視線を投げてよこした女性給士が煙草の箱を手に立っていた。

 唇の輪郭を際立たせる赤い口紅は、あきらかにたった今、塗り直してきたものとわかる。


「わざわざ、届けにきてくれたんだ」


 立ち尽くす女の元に歩み寄ったイェンはその手から煙草の箱をとると、目を細め意味ありげに笑った。

 何故なら、女が手にしている煙草は自分のものではないからだ。


「ありがと」


 女が微笑みを返してきた。


「あたし、仕事が終わったの。一緒に飲まない?」


「いいよ。どっか行く?」


 しかし、女はいいえ、と首を振る。


「あなたの部屋に連れていって」


「俺の部屋?」


 女の指先がイェンの左手首の腕輪の表面をすっとなでる。


「あなた、魔道士なんでしょう? とても興味があるの」


「魔道士だから?」


 女はくすりと笑んで、ちろりと下唇を舐める。


「もちろん、あなた自身も。ねえ……」


 さらに、何か言いかけようとした女の腕をやにわにつかみ、イェンは壁際へと押しつけると壁にひじをついて逃げ道をふさぐ。

 女は驚いた顔でイェンを見上げたが抵抗する様子はない。

 むしろ、この先の展開を期待するように、朱い唇をほころばせた。


「いいの? 俺のことよく知りもしないのに?」


 もっとも〝灯〟の魔道士なら人間性はともかく、身元は確かだ。そういう安心感も女にはあるのだろう。


「だから、これからお互いのこと知るんじゃない?」


 イェンは束ねていた女の髪を解き、しなやかな指先で女の髪をすいて絡めとる。その指先が襟足から鎖骨へと這いあごに添えられた。

 身をかがめまぶたを落とし、イェンは顔を傾け女の赤く彩られた唇に唇を近づけていく。

 触れあう寸前。


「逃げないの?」


「どうして?」


「でないと俺、このまま加速しちゃいそ」


 と、イェンは喉の奥で含み笑い声を落とす。

 すぐ側の食堂からは客たちの喧噪。いつ誰かが現れるかもしれない危機的な状況が、かえって気持ちを昂ぶらせた。


「あなたみたいないい男、逃したらもったいないじゃない」


 女はイェンの口づけに応えるよう静かに目を閉じた。軽く開いた女の唇にイェンは自分の唇を重ねた。

 濡れた女の唇から、とろけるような熱いため息がこぼれた。切なげな表情で上目遣いにイェンを見上げる。


「やっぱり……あなた、女性の扱いに慣れてるわね。キス、すごく上手……」


 頬を上気させ、うっとりとした目で見上げてくる女にイェンはまあね、と笑って答える。


「それに……」


 女の指先が、イェンの胸元をそっとなぞる。


「魔道士さんって軟弱そうな人が多いと思ったけど、あなた、意外に鍛えてるのね」


「そ、魔術は体力勝負だからね」


 女はうふふ、と笑った。


「愉しませてくれそう……」


「期待は、裏切らないと思うよ」


 女ははしたなくも、ごくりと喉を鳴らした。


「だけど、知らないよ」


 何が? と女は首を傾げる。


「足腰立たなくなっても」


 イェンはふっと笑って、甘い吐息混じりの声で女の耳元で囁く。瞳に悪戯げな翳を揺らして女の白く柔らかい首筋にそっと唇をあてた。女の口から抑えきれない声がもれた。その女の唇にイェンは立てた人差し指を添える。

 女は眉根を寄せ、もう待ちきれないとばかりにイェンの首に両腕を回してしがみついてきた。


「もう……お願い。早くあなたの部屋に連れていって」


 頬を赤らめ、お願いをしてくる女の腰をしっかりと抱き部屋へ導こうとした時、背中に突き刺さるような痛い視線を感じて、イェンはおそるおそる振り返る。

 すぐ間近でこちらを凝視している女二人の姿があった。

 見知らぬ顔だ。

 ひとりは大柄の女で眉間にしわを寄せている。もうひとりは小柄な少女。こちらは両手を頬にあて顔を真っ赤にさせていた。


「すごい情熱的なキス……わたし、こういうの初めて見たわ。羨ましい……」


「羨ましい? リプリーそれは間違っているぞ。この二人は恋人同士でも何でもないのだから」


「え? エーファ、そうなの? だって、キスしてたじゃない。それも、あんなに激しいキス」


 エーファと呼ばれた大柄の女はふっと嗤って肩をすくめた。


「世の中には女をもてあそぶ、とんでもない悪党がいる。そう、まさに目の前にいるこいつのように!」


「え? な、何?」


 イェンは思わず声を上ずらせ、二人の女を交互に見る。

 いつからそこに? どのあたりから見られていた?

 おまけに、何だか散々なことを言われているような気がするが。

 初対面なのに。


「貴様! そこで何をしているのだ?」


 大柄な女があからさまに不愉快そうに眉をひそめて問いかけてきた。


「何って……」


 こういう場面をまじまじと見ているあんたたちこそ何? と言い返したい。

 普通は見て見ぬ振りをして通り過ぎるだろうと。

 一方、いいところを邪魔された女の方も不機嫌に顔をしかめる。


「ちょっと、何よあんた! この人はあたしのものよ。あたしと遊ぶんだから」


「やめておけ。そんなろくでもない、くず男。もてあそばれるだけだぞ」


「ろくでもなくてもいいの。くずでも最低でも、外道でも何でも、見た目があたしの好みなんだから。もう、邪魔しないでよ!」


「いや、ちょっと待って……」


 二人の女性にろくでもないだの、くずだの最低だの、とどめに外道だの言われて狼狽えるイェンだが、ようやく大柄の女の背中におぶさっているイヴンの姿に気づいてぎょっとする。


「何? おまえ、どしたの?」


 よく見ると、イヴンの顔や腕にはいくつかのかすり傷。亜麻色の髪には小枝や葉っぱがくっついている。そして、女二人はリプリーとエーファであり、イヴンがそんな状態なのは先ほどのどたばたで巻きぞえをくらい、宿の近くの大木に引っかかっていたのをリプリーたちが見つけて連れてきたからだ。

 イヴンは返答に困って首を傾げるばかり。それもそのはず。ベッドで寝ていたはずなのに、気がついたら木の上だったのだから。


「うん、それが……あ、あの……もう大丈夫です。ありがとうございます」


 イヴンを背中からおろしたエーファーは、イヴンの両肩を背後からつかみ、イェンの前にぐいっと押し出す。


「貴様、この子の連れだろう? 何故、しっかりと目を配らせていない!」


「何? いきなり怒鳴られても俺、わかんねえし。別に俺、こいつのお守り役ってわけでもないから。それにしても、あんた……」


 イェンはエーファの姿を頭から足下までざっと見る。

 女にしてはかなり上背がある。イェンの背も一般成人男性とくらべるとかなり高い方だが、そのイェンとたいして差がない。筋肉質の鍛えられた、そして、見事な曲線美を発揮した姿態。吊り目がちの少々きつめの顔立ちだが、かなりの美人であった。着ている服は太股のあたりまで切り込みの入ったスカート。豊かに突き出た形のよい胸を包む胴着。長い黒髪を後頭部のところで束ねて背中に垂らしている。マントの下には二つの剣。ということは剣士か。

 しかし、剣士というよりは……。


「盗賊団の女首領みてえだな」


「貴様っ!」


 暴言を吐くイェンに、エーファは色をなしてつかみかかった。エーファの片手がイェンの首を力任せに締め上げる。

 ずいぶん、短気な性格のようだ。


「く、苦しい……」


 首をしめつけるその手を退けようとするが、相手の力が思いのほか強くて逃れられない。

 初対面の相手にこれはないだろうと思ったが、声も出せなかった。

 この様子をじっと眺めていた給仕の女は、いやいやをするように首を横に振り、一歩二歩と後ずさる。


「何なの? もうわけわかんない……いや!」


 と、悲鳴を上げてこの場から逃げ去ってしまった。


「ちょっと、エーファやりすぎよ!」


「この男、好かん」


「だからって死んじゃう。ねえ、エーファ」


 なだめるリプリーに、エーファは仕方なく手を離した。涙目で床に崩れ落ち、イェンは苦しげに咳込む。女とは思えない握力に、本気で死ぬかと思った。いや、一瞬、目の前が真っ暗になりかけた。


「で、げほっ……俺たちに何の用?」


 口を利くのも嫌だ、という素振りで、エーファはイェンに背を向けたため、仕方なくリプリーが口を開いた。


「ごめんなさい、あのね、実はね」


 イヴンの部屋に現れたこそどろ四人組の一件をかいつまんでイェンに聞かせた。


「へー、そりゃ大変だったな。で、その傷はそいつらにやられたのか?」


 うーん、とかすり傷を見て首を傾げるイヴン。すると、それまで不機嫌な態度で横を向いていたエーファが、急にそわついて視線を泳がせ始めた。リプリーも言葉をつまらせ、うつむいてしまう。まさか自分の召喚術でこそどろ四人と一緒に、イヴンまで吹き飛ばしてしまった……とは言いづらいようだ。というか、言えないであろう。

 ふーん、とイェンは含み笑いを浮かべた。


「ま、いっか。こいつを助けてくれてありがと。じゃ、そういうことで」


 用は済んだ、俺はもう行くとばかりに、二人の女に手を振り、再び給仕の女と思ったが、すでに相手の姿はなく、イェンはがっくりと肩をすぼめ、おまえらのせいだと言わんばかりの恨みがましい目で肩越しにエーファたちを振り返る。


「俺様の愉しみが……」


「イェン、まさかまた悪いことしようとしたの? ほんとにツェツイーリアちゃんに言いつけちゃうよ」


「悪いことじゃねえ、いいことだ! それと、そこでどうしてあいつの名前がでてくんだよ!」


「もう、機嫌直してよ。ほら、もう寝よう。それともお部屋でお酒つき合う? 僕、もう飲めないけど」


「男と飲んで何がおもしろい」


 ふて腐れてイェンは煙草を取り出しくわえる。それをここは廊下だと、エーファがくわえた煙草を取り上げる。エーファを睨みつけ、イェンは大股で廊下の窓へと歩み、窓を大きく開け放ち、外に向かって煙草を吸おうとする。そこへすかさず、そもそもここは喫煙所ではないと、また 煙草を取り上げ外へと投げ捨てる。イェンはおもしろくない顔で煙草を箱ごと足下に叩きつけた。エーファは目を細め、その箱を足で踏みにじると、にやりと嗤った。

 イェンはエーファに視線を据え、負けじとエーファも凄みをきかせた目で、イェンに圧力をかける。

 二人の間に見えない火花が炸裂した。


「ふ、二人とも喧嘩はやめて。ほら、イェンも落ち着いてよ。どうしたの? 大人げないよ。ごめんねさい。普段はこんなんじゃ、いやこんなんかな……時々、子どもみたいな態度とるときがあって……いい大人なのに。でも、ほんとに悪気はないんです」


 イェンとエーファ、双方を交互に見つめ、イヴンはおろおろとうろたえる。

 そんなイヴンの気遣いも知らず、しばし、二人は互いに無言で睨み合っていたが、ふとエーファの視線がイェンの左手首の腕輪に向けられた。

 大きく目を見開き、イェンの手首をおもいっきりつかんで引っ張る。


「貴様っ! この腕輪、盗んだ物か!」


「盗むって、人聞きの悪いことを。っていうか、何で盗んだと決めつけんだよ」


 それでも、この男の口から出た言葉など信じられるものかと、エーファはイヴンに真実を求める。


「イェンはこんなんだけど、人の物を盗ったりはしないよ」


「こんなんだとは、どんなだ」


「ならば……貴様、正真正銘〝(とう)〟の魔道士か!」


 よほど驚いたのか、エーファは目を見開くばかりだ。その横でリプリーも興味深げにのぞき込んでくる。


「この人魔道士なの? 全っ然、見えない」


 全っ然を強調するリプリーに、イェンは目を細めてじろりと睨む。

 リプリーとエーファが驚くのも無理もない。


 世界に平和と希望の(ともしび)を。

 魔道士はこの世界では貴重な存在であり、重宝されている。それゆえ、どの国にも必ず〝灯〟という魔道士組合的な存在があり、魔道を志す者に研究の場を提供する機関である。そして、国と〝灯〟は密接な関係を持ち、魔道士はその能力を国のために、国は魔道の研究費を援助するという仕組みになっている。

 さらに、魔道士として最高位ともなると国王の側に仕えるくらいだ。しかし、誰でも魔道を志すことはできるが、その誰もが魔道士になれるわけではない。どれだけ努力をしても、すべては持って生まれた才能がものをいう。


「そういうあんたも〝灯〟の魔道士だろ?」


 イェンは自分と同じ腕輪を持つリプリーの左手首に視線を落として言う。


「ならば、貴様の魔道士としての階級は?」


 よく見せてみろ、とエーファはイェンの腕輪にじっと目を凝らす。が〝灯〟とは無関係の者が腕輪を見たところでその意味を知ることはできない。

 かわりにリプリーがのぞき込んで答えた。


「初級ね」


 次の瞬間、エーファはあからさまに鼻で笑い半眼でイェンを見下した。


「いやー、なかなか上達しなくて」


 イェンは肩をすぼめ、頭をかく。


「はっ! 魔道を志す者は物心ついた頃から修行を積み重ね、貴様のような中年ならそれ相応の地位についているはずだ。貴様、才能がないのだな」


「中年……俺はまだ二十五だ!」


 才能がないと指摘されたことよりも、中年と言われたことに傷ついたらしいイェンは愕然として口を開けた。


「よく〝灯〟から追い出されなかったものだな。へっぽこ魔道士めが」


「へっぽこ!」


 中年に続く、エーファのへっぽこ魔道士発言に、イェンは反論もできずやはり口を開けている。

 落ちこぼれ無能魔道士とはよく言われてきたが、へっぽこと言われたのは初めてだ。

 その横でイヴンとリプリーが目を見合わせ、くつくつと笑い肩を震わせていた。

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