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31 囚われたイェン

「長針が十二時を指したところでロープが切れるよう細工ほどこした。あの二人を助けたければ、先ほどの条件に従うことだ」


 ヨアンは悦に入った笑いを口許に広げた。

 十二時の鐘と同時に双子たちは真っ逆さまに地面に叩きつけられる。


「ばかか? あいつらも魔道士……」


「そう、彼らも魔道士。だが、あの状態で眠っていたとしたら? あるいは、魔術を封じられ使えなかったとしたら、どうするかな?」


「くそっ!」


 当然のごとく、イェンのとる行動は予測された。動き出すよりも早く黒衣の魔道士が地面に手をあて、唱え終えた術を解き放つ。

 魔道士の手のひらから蒼い光がはじけ、その光は一直線にイェンを取り囲む。

 しまった、と思った時にはすでに魔法陣は形を成しイェンを、イェンの魔力ごと封じこめてしまった。

 手で空を切り、陣を打ち破る術を試みるが、投じた術は見えない壁に跳ね返り、イェンの頬に一筋の傷をつけた。つうと、一筋赤い血が流れ落ちる。


 くそ……魔術が使えねえ。


 どうやら、あの黒衣の魔道士を甘くみていたようだ。

 思っていた以上に強い。

 魔法陣は高位技。

 それを作り出すのは個人独特のもの。

 描かれた文字と紋様を読み解かなければ、解除することはできない。

 時間がかかる。

 どこかに魔力のほころびがないかを探す。不完全な箇所があれば、そこから強引に内側からこじ開けられる。けれど、欠陥は見あたらなかった。

 ならばと魔法陣の解読に切りかえる。

 まるで捻れて絡み合った鎖のようだ。

 相手の性格が如実にあらわれている。


「兄貴の本気はそんなもんなのか!」


「大技をぶちかませば楽勝ですよ!」


「大兄きの根性見せてくださっス!」


「早くしないと……」


 四人組はそろって無責任な発言をする。

 イェンは〝灯〟の時計台に視線を走らせた。

 あと二分。

 刻一刻と迫る時間に焦りと苛立ちがつのる。

 地面に膝をつき負けを認める自分と、最後の一秒まで抗う自分が交錯する。


 いや、まだ二分だ。


 残されたわずかの時間で何としてでもこの魔法陣を解く。

 険のある目つきで一度だけ魔道士を睨めつけ、魔法陣の解読に挑もうとしたその時。


「アルトとノイを解放して!」


 その声にイェンは顔を上げた。

 駆け寄ってきたイヴンがイェンを背にかばうように両手を広げ魔道士と向き合う。

 イェンは魔方陣から動くことはできない。けれど、魔力のないイヴンにはこの魔法陣は意味を持たない。


「僕はヴルカーンベルクには行かない。このワルサラに残るから」


 イヴンの発言に、リプリーが大きく目を見開いた。

 何かを言いかけようと身を乗り出しかけたが、エーファに肩をつかまれ引き止められる。


「僕が残ればイェンもどこにも行かない。僕も義兄様と一緒に頑張るから、この国が今よりもっとよくなるように努力するから。だからノイとアルトを……」


 話にもならない、とヨアンは鼻白む。

 目の縁に涙をため、唇を引き結んでイヴンは小さな肩を震わせた。こぼれ落ちそうになる涙を懸命にこらえる。


「無駄に時を費やしてしまったようですね。彼は残された時間で魔法陣を解こうとした。彼ならばやり遂げたかもしれない。なのに、あなたはその貴重な刻を奪ってしまった」


 魔道士の痛烈な一言に、イヴンは振り返りイェンを見上げた。

 取り返しのつかない失態にイヴンは顔色を失う。

 刻は戻らない。こうしている間にも無情に刻は過ぎていく。なのに、何ひとつできずにただ立ちつくすだけ。

 イェンはそっと、震えるイヴンの肩に手をおいた。途端、イヴンは顔をゆがめた。


「僕……ごめん……な……」


 震えるイヴンの口許に指先をあて、イェンは緩く首を振る。


「気にするな。どのみち成功するかどうかもわからなかった」


 イェンの手が今度はイヴンの頭におかれた。

 落ち込んだり、褒めたり、時にはからかったり、そうやって何度もこうして頭をなでた。 幼い頃からずっと。


「こんな時に優しい言葉はかえって酷だな。だが、自分を責めるな」


 魔道士が何かを呟きながらこちらへと歩み寄ってくる。おそらく、思考を操る術の詠唱を唱えているのであろう。

 イヴンの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「いいか、おまえは必ずヴルカーンベルクに行け。きっとおまえが思っている以上にお前は望まれている。しっかりいろんなことを学んで、そして、未来の女王の支えになってやれ。いいな」


 言い聞かせ、イヴンの頭にヤンをあずけた。

 こいつのことを頼んだぞというように。


「コケ……」


「大兄きがまともなことを言ってるっス!」


「ばかやろうっ!」


 頭のこぶしがでぶの頬にめり込んだ。


「ここは俺たちがでしゃばっていい場面じゃないんだ!」


 そんなこともわからないのか、と頭は袖口で涙を拭い、三人も鼻をすすった。


「ていうか、まるでお別れみたいな言い方じゃないですか?」


 イヴンはさらに目を大きく見開き、近づいてくる魔道士とイェンを交互に見ていやだ、と首を振る。

 イェンは視線をそらして目を伏せた。

 この身体が他人に支配されるなど冗談ではない。

 もし、相手の術に抗えない時、とるべき行動はただひとつ。


 俺という存在がこの世にいてはいけない。


 だが、その選択はイヴンにとってはあまりにも残酷な結末だ。

 イェンは自分の胸ほどしかない身長の少年を強く抱きしめる。そして、イヴンの腰からイェンは剣を引き抜いた。

 鞘から抜かれた無機質な音に、イヴンは身動いで悲鳴を上げる。

 イェンが何を考えているのか察したらしい。


「俺がいなくてもしっかりやれよ」


「イェン! 何するつもりなの……何を考えているの? お願い、やめて!」


 剣を取り返そうと必死にもがくが、抱きしめられた腕から逃れられないでいる。


「そんなのいやだ! イェンがいないと……側にいてくれないと……寂しいよ。生きていけないよ!」


 声を張り上げ、イヴンがすがりつく。

 その悲痛な叫び声がイェンの胸の奥深くに突き抜けていく。


「何だよおまえ、やっぱり、俺がいないと寂しくて生きていけないって泣くんじゃねえか。はは」


 イェンは目を細めて笑った。

 その表情はどこか嬉しそうだった。


「女だったらこのまま口説き落とすとこだけどよ。相手がおまえじゃなあ」


「イェン……」


 口調も態度も、いつもの調子を取り戻す。

 イヴンの頭を、今度はぐちゃぐちゃにかき回した。


 何もしないであきらめる。

 そんなの俺らしくねえだろ?


 イェンは手にした剣を投げ捨てた。


「いつまで泣いてやがる。まるで俺があいつに、負けるみたいじゃねえか」


 自信に満ちたその声の響きは、すっかりいつものイェンだった。

 イェンは挑む視線を魔道士に向ける。

 全魔力を解放してこの魔法陣を打ち砕く。

 おそらく、その後にかかる身体の負担は大きいだろう。

 だが迷っている暇はない。

 時計の長針がまたひとつ時を進める。


 時刻は十一時五十九分。

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