28 決戦前夜の焼き肉大会
「ワルサラ国へ戻る」
翌朝、朝食の席でイヴンはみなに向かって唐突に切り出した。
「このまま、問題を抱えたまま、ヴルカーンベルクには行けない。僕、決めたんだ。イェン、ついてきてくれるよね」
イェンは肩をすくめて笑った。
聞くまでもないだろう、と気取った顔をしているが、その左頬にはくっきりと、赤い手形。エーファ以外の者は、ああ、また何かやらかしたんだ、と思ってあえて口に出して突っ込まず、見ない振りを決め込んでいた。
リプリーとエーファは目を見交わし、四人組も同様に大きくうなずく。
「私たちもこの結末を知る権利はあるわ」
「ここで、引き下がるわけにはいかない」
「おう! 俺たちも最後までつき合うぜ」
「そうですよ! 乗りかかった船ですよ」
「何か手伝えることとか、あるかもっス」
「オレも……頑張る……」
だったら提案です! と、ちびが勢いよく手を上げた。
「ほう? 何かいい策でもあるのか」
腕を組み、エーファはちびの提案とやらを聞かせてみろとうなずいて促す。
「はい! そうと決まれば決戦前夜、大奮発して焼き肉でもどうです?」
結束を固めた仲間たち間に一瞬、沈黙が落ちる。
「へえ、焼き肉とは名案じゃねえか」
互いに目を見合わせる。
こんな状況であるにもかかわらず、誰一人、反対する者はいなかった。それどころか、焼ける肉の音と匂いを連想してるのか、みな肉、肉、肉……とうわごとのように繰り返す。でぶは指をくわえて涎をたらしそうだ。
「よし、決まりだな!」
テーブルを叩いてイェンは勢いよく立ち上がった。
他のテーブルで朝食をとっていた宿の客たちが、何の騒ぎだと怪訝な目でこちらをちらちらと見ていた。
「おまえら有り金、全部出せ! その金で肉と酒を買う」
「フルーツもいいわよね」
「ああいいぜ。で、買い出し担当は」
はい! とでぶが積極的に手をあげる。
「おいら肉の買い出しをするっス。お手軽な価格でうまい肉を手に入れてくるっス。炭火があれば文句ないっス」
「こいつ、こう見えて、肉の品質にはうるさいんですよ」
肉の買い出しはでぶとちびで決まりだ。
「なら、僕が炭火を買ってくるよ」
「オレ手伝う……」
「なら、俺は酒だ。ヴァシュビシュで一番うまい酒を見つけてこよう」
頭が腕を組み言う。
今日は思いっきり飲むぞという気満々だ。
「じゃあ、私とエーファは野菜とフルーツね。市場で新鮮なものを選んでくるわ」
「俺は会場の手配と道具の準備だ! 今夜六時。焼き肉大会を決行する。いいかおまえら、時間厳守だぞ!」
「おー!!」
「コケー!」
一致団結、こぶしを高々とあげ、みな歓声の声を張り上げた。
◇・◇・◇・◇
会場は宿の前庭、道具一式も宿の亭主に頼んだら、気前よく貸してくれた。積み上げた石の上に網をのせ炭火に火をつける。火がついた瞬間、一同の間におおっ、と声が上がった。
すでに陽も傾き始め、徐々に夜の気配を忍ばせる空には星が瞬き始めた。
昼と夜とが交わる一時の物憂げな雰囲気が漂う中、宿の宿泊客がいったい何が始まるのかと、窓から彼らの行動を何とはなしにのぞき込んでいた。
タオルを頭に巻いたでぶは、率先して肉を焼く係をかってでた。妙に張り切っているその姿は今までにないくらい生き生きとして、おまけに手慣れた手つき。
網にのせた肉の脂身がしたたり落ち、じゅっと音をたてて火と煙が立ちのぼる。香ばしい肉の香りが辺りに充満し、みな、肉はまだかまだかと目をぎらぎらとさせていた。
「みなさんお待たせしたっス。焼けたっス」
待ってました、といっせいに突き出された皿に、でぶは手際よく平等に肉を取りわける。
「慌てなくても、お肉はまだまだたくさんあるっスからね。タレはおいら特性の手作りっスよ」
みな焼き上がった肉を頬張る。
「ずいぶんと白っぽくて筋の多い安そうな肉だと思ったが、なかなかどうしてうまい!」
頭が感動の声を上げる。
「やだな兄き、これ霜降り肉っスよ。特選A5ランク、ヴァシュヴィシュ牛っス」
「ほんと、柔らかくておいしい! お肉が口の中で溶けていくわ」
リプリーは頬を押さえ、満足げに笑う。
「それに、このタレ、絶妙な味だ。甘さと辛さ加減が見事に調和している」
絶賛するエーファに、でぶはへへへ、と照れながら頭をかいた。
肉をタレに絡ませ口に入れたイヴンの目が、大きく見開いた。
「おいらの実家、焼き肉店なんっス」
「どうりでお肉にくわしいのね。タレも最高だわ」
でぶとリプリーのやりとりを横目に、イヴンはもう一度肉を口に入れ味を確かめる。
「イェン!」
「あ?」
酒を片手に振り向いたイェンの口に、イヴンは強引に肉を押し込む。
「あちっ! 何す……」
「このタレの味! 覚えがあるでしょう? ワルサラの『焼き肉亭エルデ』の味」
イヴンはでぶを振り返る。
そういえば彼の名は。
「ツェンリー・エルデさん……」
「え? イヴンさん、おいらの実家の店知ってるっスか?」
「知ってるも何も! 妹さん、秘伝のタレが底をつきそうで店を閉めるってなげいていたよ。あんなに繁盛してるのにもったいないよ!」
「何? おまえが自分探しの現実逃避に走ったばか兄き? っていうかおまえ、自分の家に盗みに忍び込んだのか? アホだな」
そもそも、何で俺の旅の行く先々でおまえらの家族とかかわんだ、とイェンはうんざりと肩をすくめる。
店を閉めると聞かされたでぶは肉を焼く手をとめ呆然とする。
ぱちっと火の粉が爆ぜた。
「妹に店を押しつけてのんきに遊び歩き。いいご身分だな。そもそも国も違うおまえらがどうやって知り合って、こそ泥なんかしてたんだ?」
イェンのその言葉を聞いた頭は、にやりと笑ってじりじりとにじり寄る。
「俺たち四人の、感動の出会いが聞きたいですか?」
「……いや、いい」
ちびがでぶの側にやって来て、酒の入ったグラスを手渡した。
「実はおれっち、この件が片づいたらポンポコ村に帰ろうと思ってるんです。ずいぶんとおふくろに心配をかけてしまったですからね。家族は大事にしないとです」
でぶは込み上げてきた涙を袖口で拭いふと、じろりとイェンに視線を向ける。
「それはそうと大兄き、まさかと思うっスが、おいらの妹に手、出してないっスよね」
「ばか言え。出すかよ!」
しかし、何故かでぶはむっとした表情で頬を膨らます。
「じゃあ、何っスか? おいらの妹は可愛くなかったとでも言うんっスか?」
「そうは言ってねえだろ」
めんどくせえ奴だな、とでぶから逃げ出しかけたところを、頭の腕が肩に回される。
「飲んでくださいよー。兄貴」
半分できあがった頭がイェンの空のグラスに酒を注いだ。
あまり酒を飲ますなと説教をするエーファも、今は肉に夢中でイェンのことなど眼中にないようだった。
リプリーも大はしゃぎで肉の奪い合いに参加している。
イェンは注がれた酒を飲み、さらに、もう片方の手にしていた酒瓶をあおる。
そこへ、今度はのっぽがふらふらとした足取りでやって来た。
「オレもこの件が片づいたら、心を入れかえてきちんとした職について真面目に働こうと思ってるんです。オレ、不景気のあおりをくらって仕事くびになって」
「そうか……それは辛かったな。で、仕事は何をやっていたんだ?」
まあまあ、といって頭がのっぽの肩を叩きながら問う。
「ケーキ職人でした」
その場にいた者が飲んでいた酒を吹き出した。
「意外っスね」
「ですよねー」
「くびになってやけをおこしてギャンブルにのめり込んだら、呆れて妻が子どもを連れて実家に帰ってしまって、だから、仕事を見つけて生活が安定したら、妻と子に謝罪して、一からやり直そうかと。もっとも、許してもらえればの話ですが」
ちびちびと酒を嘗め、普段口数の少ないのっぽがしみじみと言う。
「何? あんた酒が入ると人格変わるって奴かよ。っていうか、妻子持ち?」
仲間たちもそれは初耳だと驚いて目を丸くする。そして、四人は酒を片手に身を寄せ合い、互いになぐさめ、励ましあった。
「ったく……何がこの件が片付いたらだ。そんなことしてる暇があったら、今すぐ妻子の元にいって土下座して謝って仕事探せ」
イェンは呆れたように声を落としてため息をつく。
「ねえイェン、飲み過ぎてない?」
「うるせえな。明日は命をかけた戦いなんだ。今日くらいは好き勝手させてもらうぜ」
「命をかけた戦いって、そんなおおげさな」
それに好き勝手なのはいつものことじゃないか、とイヴンは唇を曲げた。
明日は敵地に乗り込むというにもかかわらず、宴は深夜まで続き盛り上がった。
そして翌朝、イヴンの姿が消えた。




