24 イェンの分身
イェンと黒衣の魔道士がお話し合いをしていたその頃、残された者たちはというと。
「何故だ? 何故、あいつにあんな術が使えるのだ! あいつは初級落ちこぼれ無能外道へっぽこ魔道士ではないのか!」
エーファは側にいた頭と、頭の横にいたでぶの胸ぐらをむずりとつかみ、二人まとめてゆさゆさ揺さぶる。
「し、知らねえ。俺たちだって知らねえんだ。苦しい……息が……息ができねえ」
頭の首が前後にかくかくと揺れる。
「おまえたちを遠くから移動させ、さらに上級魔術を続けざまに、何故だ! 何故なのだ!」
激しく揺さぶられて、でぶの脂肪がたぷんたぷんと波打つ。
「やめてっス。おいらだって知らないっス。直接本人に聞いてみてくださいっス」
残ったちびとのっぽは、巻き添えを食らうことを恐れ、そそっと後ずさりエーファから離れたその時、突然、彼らの前に黒衣の魔道士が姿を現した。
「誰だ!」
エーファはつかんでいた男たちを放り投げ、剣の柄に手をかける。
「こいつだ! 俺たちを襲った陰湿魔道士だ!」
四人組はひいと叫んで腰を抜かしてその場に座り込む。
「何? なるほど。貴様がイヴンから剣を奪おうとしている奴か」
エーファはにやりと笑い、いつでも剣を抜き敵に斬りかかる態勢をとる。
「イェンさんはいないけど、イヴンの剣は私たちが守ってみせるわ」
召還術を唱えようと身がまえるリプリーに向け、黒衣の魔道士は手を前にかざし術を放った。
「やめろ! リプリーに何をする! やめろ!」
イヴンがリプリーの元に走る。だが、駆けつけるよりも早く魔道士の攻撃がリプリーを直撃する。地面に膝をついたリプリーは、のどを押さえ、苦しそうに口をぱくぱくとさせている。魔術の攻撃による外傷はない。
「おまえ! リプリーに何をした!」
息をするのさえ苦しいのか、リプリーは目に涙を浮かべている。どうやら詠唱を唱えられないよう声を奪われたようだ。
イヴンはぎりっと奥歯を噛んだ。その目にやどるのは怒りの炎。
「許さないぞ!」
腰の剣を抜き、イヴンは剣を斜めにかまえて魔道士の元に駆け込んだ。魔道士の攻撃がイヴンをはじき返す。その威力で、イヴンの体がもんどり打って地面に転がる。それでもイヴンは剣を支えに立ち上がる。
今度はエーファが剣を抜き放つ。が、敵の攻撃にイヴン同様はじかれ、近くの岩場に衝突してしまった。
「エーファさん!」
「大あにきはどこ行ったんですか!」
「肝心な時にいないっスもんね……」
慌てふためく四人組たちの声を耳に、イヴンは悔しげに奥歯を噛む。
相手はイェンさえずたずたにした魔道士。
やはり、自分の力で倒すのは不可能なのか。
「僕のせいで、みんながこんな目に……僕のせいで……」
その時であった。
「よくも、私のイヴン様を傷つけてくれましたね」
静かな声音にみなが視線を上げ振り返る。
そこに立っていたのはイェンであった。
四人組は顔をぐちゃぐちゃに歪め、うわーん、と泣きながらイェンの元へと駆けつける。
だが、イェンにしては、どうもいつもと様子が違う。
「貴様! 今までどこに……」
エーファは言葉を飲み込んだ。
何故なら、倒れているエーファに向かってイェンが手を差し伸べてきたからである。
「大丈夫ですか。お怪我はありませんか?」
エーファはきょとんとした顔で、差し出された手をじっと見つめ、そろりとその手に手を重ねる。
力強い手に引っ張られ、エーファは立ち上がる。イェンはふっと微笑み、今度はリプリーの元に歩み寄り片膝をついた。
「詠唱を唱えられないよう声を奪われたようですね。あの魔道士が消えれば術も解けるはずです。それまで我慢できますか?」
イェンの問いかけにリプリーは涙目でうなずいた。エーファの時と同様、イェンは静かに微笑み、リプリーの涙を指先で拭い頭を優しくなでた。
これにはさすがのリプリーも面を食らったようだ。
いつもと違うイェンに、四人組も不思議そうな顔をしている。
立ち上がったイェンはゆっくりと黒衣の魔道士を振り返った。
「これ以上、みなさんに危害をくわえるのであれば、私も実力行使にでなければなりません。たとえ〝灯〟の掟を破ったとしても」
言いかけてイェンはいいえ、と首を振り、魔道士を冷ややかな目で見据える。
「あなたは私の大切なイヴン様を傷つけた。それだけであなたに制裁を下す理由はじゅうぶんです」
「だめだよイェン! そんなことをしたら、イェンが」
悲痛な声を上げてイヴンはイェンに駆け寄りしがみついた。
魔術によって人傷つけた場合、厳しい処罰が〝灯〟の掟により与えられる。
その処罰が何であるか〝灯〟の人間ではないイヴンにはわからない。
けれど、想像はつくような気がした。
イェンは穏やかな笑みを浮かべてイヴンの頭にそっと手をおいた。
「イヴン様を守ることができるのなら、私はどうなろうとかまいません」
「いやだ!」
なおもしがみついてくるイヴンの手を解き、イェンは杖を敵に突きつけた。が、攻撃を放つよりも早く、魔道士の姿はふっと消え、そのまま二度と姿を現さなかった。
しんとした静けさが辺りに満ちる。
最初に口を開いたのはエーファだった。
「何なんだ? その薄気味の悪い口調は、態度は……こんな時に、貴様はふざけているのかっ!」
エーファがイェンにつめ寄った。
「待って、エーファさん、その人はイェンだけど、でも本当のイェンじゃなくて……」
「本当のあのばかではない? では、あやかしか! ならば!」
何やら大変な誤解をしているらしく、剣を握りしめたエーファは気迫のこもった一撃を、イェンの頭上目がけて振り下ろした。
容赦ない一撃だ。
しかし……。
「何っ!」
エーファの渾身の一撃を、イェンは左手に握っていた杖で受け止め、さらに、にこりと微笑む。
エーファは目を見開いた。
よもや、あのへっぽこに自分の攻撃を受け止められるとは予想外、という驚きの顔だ。
後方に飛び、にやりと笑って再びエーファは剣をかまえなおす。
「この私の一撃を受け止めるとは……貴様、なかなかやるな」
「違うんだ、エーファさん。お願いだから聞いて!」
エーファさん好戦的すぎ! と心の中で呟いてイヴンは続けて言う。
「あのね、僕が言いたかったのは、そこにいるのはイェンの分身なんだ」
「分身、だと……?」
聞き慣れないその言葉に、エーファは、イェンの分身とやらを上から下までまじまじと見つめた。そして、何を思ったのか、ぺたぺたと分身イェンを触るという奇妙な行動をとる。
たんなる影ではない、実体のある分身とやらが物珍しかっただけなのだが、はたから見るとちょっと引いてしまう行動であった。分身イェンはおとなしく、エーファのなすがまま、されるがままであった。
「それにしても、何でもありなのだな。魔術というものは」
「イェンの分身は本体と違って、すごくまじめで、紳士的で誠実で、物腰穏やかで、言葉遣いも丁寧で、何より、下品なことは絶対言わなくて、舌打ちもしないし……多分、さっきの敵も分身なんだと思う。でも、同じ分身でも決定的に違うのは、普通、分身は本体の意志で動くことはできても、自分の意志はなく、言葉を話すこともできない。けれど、イェンは違う。これが術者の決定的な力の違いなんだ。それと、他にもお姉さま風イェンや、お子さまイェンもいるんだよ!」
両手を広げてイヴンは懸命に説明をする。
「お姉さま風……そっちの分身は遠慮したいものだな。それにしても……確かに、きりっとした容貌、思慮深げで理知的な黒い瞳。うむ」
イェンの顔を下からのぞき込み、エーファは納得とうなずいた。
「それでも、おぬしもやはり初級魔道士なのか? 腕はたつように見受けられるが」
「あくまで私は本体の分身ですから」
「ならば、おぬしが本体を乗っ取ってしまえばいい」
エーファはしんみりとした顔で、分身イェンの肩をぽんと叩いた。
困ったように分身イェンは笑う。
「ご理解いただけましたら、その剣をおさめてくださるとありがたいのですが」
「ああ、すまない」
エーファは一言詫びて、剣を鞘におさめた。
イェンを毛嫌いするエーファだが、目の前の紳士的な分身イェンには礼儀をつくすらしい。
今度は男たち四人組が分身イェンを取り囲みじろじろと眺め回す。
本体なら、うぜえ! 近寄るな! と追い払うのだが、分身イェンは口許に柔らかい笑みを浮かべ、あくまで穏やかだった。
「何か別人みたいだ」
「本当に大あにき?」
「人当たりいいっス」
「優しそう……」
「しかし、本体はどうしたのだ? もっとも、二度と帰ってこなくてもよいのだが」
「ええ、本体のほうでしたら、手の放せない事情がありまして……ああ、でも戻ってきたようですよ」
と言って分身の姿が消えた。それと同時に、本体が空間移動で戻ってくる。すでにイェンの手に無駄に豪華な杖はない。
本物イェンはエーファを見るなり、にやけた笑いを浮かべる。
「あんた今、俺の分身の身体をいやらしい手つきで触ってただろう?」
「ば、ばかを言うな!」
「何なら、俺の分身一晩貸してやろうか? 分身でも女の扱いはうまいぞ。可愛がってもらえ。ただし、俺と違ってドSだけどな」
「いらぬ、絶対にいらぬ!」
「遠慮するこたあねえのに」
肩をすくめたイェンは、ふっと、真面目な顔でイヴンに向き直った。
「間違いなく首謀者はあいつだ。ヤドカリ号で俺を襲った魔道士がはっきりと言った」
イヴンは無言のままだ。
「この期におよんで、まだ決まったわけじゃないと言うなよな」
イヴンはうつむき、ぐっと手を握りしめた。そして、イェンを見上げる。
「剣を、パンプーヤの剣を僕に渡して。ワルサラに戻って話をしてみる。僕ひとりで。そうすれば、もう誰も、イェンにも迷惑をかけることはない」
イェンは眉を動かした。
細められた目には剣呑な光。
「本気で言ってんのか?」
「本気だ」
「もう一度確認する。本気か?」
「くどい!」
イェンは目を吊り上げ、イヴンの胸ぐらをつかんで引き寄せた。
強烈な平手打ちが凍えた空気に響き渡る。
叩かれた勢いでイヴンは足をよろめかせ、尻をついて倒れた。
突っかかる目でイェンを睨み上げ、起き上がりつかみかかろうとするが、あっけなく両手を押さえ込まれ身動きを封じられてしまう。
イヴンは押さえつける手から懸命に逃れようともがく。が、十の年の差があれば、当然、力の差も大きい。
イヴンは涙目で肩を震わせた。
「僕のせいで、みんなが危険な目にあうのは嫌なんだ!」
「だから、こうして俺がいるじゃねえか。俺じゃ頼りないか。なあ」
「そうして、いつもイェンばかりが傷つくはめになる。ヤドカリ号の時だって……」
強ばっていたイヴンの身体の力が抜けた。
イェンの手がイヴンの頭へと置かれた。
「おまえのせいだけじゃねえんだ、狙われているのは剣だけじゃねえ。杖もだ。魔道士に、十年前のあの出来事を見られていた。杖の存在を知られちまっている」
イヴンは目を見開きイェンを見上げる。
「そんな……」
「取り込み中悪いが、リプリーが……」
見ればリプリーがエーファの腕の中でぐったりとしていた。いっぺんにいろいろなことが重なって気絶してしまったらしい。
どうりで静かだったわけだ。
「ち、どいつもこいつも! だったら雪山越えは中止だ」
「中止? 中止とはどういうことだ?」
「このまま一気にヴァシュヴィシュ王国へ飛ぶんだよ。一瞬で到着だ」
「はあ? だったら、何故最初からそうしない!」
「ふ、何事も経験だ。雪山に登るなんて滅多にないだろ?」
「黙れ! もっともらしいことを言っているが、貴様が一番ぐずっていたではないか……っ!」
イェンが指を鳴らした次の瞬間、一行の姿がこつぜんと雪山から消えてしまった。




