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21 そんでもって、ほんりょう発揮! あの雪山を越えろ

 それはまさに、旅立ちの朝にふさわしい晴天日より。

 冷たく澄んだ空気が雲一つない青空をよりいっそう鮮明な青に映えさせた。

 お世話になったマイヤーさんに涙の別れを告げ、久々に四人での旅の再開である。いや、ここで一行に新たな仲間が加わった。


「貴様、本気でそれを連れていく気か?」


 エーファの厳しい視線がイェンの頭にそそがれる。


「何? マイヤーさんにはちゃんと承諾とったけど。文句でもあんのか?」


「そういう意味ではない」


 イェンの頭の上には一羽の鮮やかな色彩の鶏が当たり前のようにのかっている。

 まるでここが自分の居場所だというように。

 冠羽から背にかけて見事な黄金色。腹部は紅色、尾羽は青地に金で、腕の長さほどもある長い尾が特徴的であった。

 マイヤーさんの家のニワトリ小屋にいたのだが、ニワトリではなく、おそらくキジに近い。

 ちなみに性別は雄である。

 ふざけるな、と言いたいところだが、どうも鶏の方がイェンに懐いて離れてくれないのだ。ためしにイェンの頭から引きはがそうとすると、激しく攻撃してくるのだから手が出せない。

 イヴンにしたっては、もうイェンの好きにさせてあげて、とあきらめ半分であった。


「ちゃんと自分でお世話するって言ってるし……」


「ねえ、だったら、その子に名前をつけてあげたらどうかしら?」


「女ってのは何でもすぐ名前をつけたがる。よし、今日からおまえはイャンだ」


「コケー」


 イェンの頭の上で嬉しそうに鶏が羽をばたつかせ、エーファは驚いてびくりと肩を跳ねる。


「何故、ニワトリの鳴き声なのだ」


「ニワトリ小屋にいたからじゃねえ?」


「だめよ、イャンだなんて、そんなまぎらわしい名前をつけて」


「コケーコココッ」


「よーしよしよしよし、いいこだ。いっぱい卵を産めよ」


「雄なのでしょう?」


 と、リプリーが突っ込むが、イェンは聞いていない。

 頭上に手を伸ばし、その奇妙な鶏をなでているイェンをエーファは気味の悪いものを見る目つきで片目を細める。いや、その目はどこか憐れむ目つきだ。


「ふん、イェンにイャンいいじゃないか。しょせん、こいつの頭の中身もトリなみ」


「でもだめよ。絶対まぎらわしいわ。せめて、ヤンにしてちょうだい」


 という、リプリーたってのお願いで、鶏の名前はヤンと名づけられた。


「コケーコケー」


「でも、こんな軽い調子でイヴンの名前もつけたのかと思うと……」


 リプリーはちらりと、険しい顔でマイヤーさんからもらった雪山地図と睨めっこをするイヴンに同情の目を向けるのであった。


「好きにしろ。もう何も言わん。行くぞ」


 と、エーファが先頭をきって歩き出したその時。


「あれ? ねえ、見てイヴン!」


 リプリーが驚いたような声を上げ、イヴンの袖口を引っ張った。


「雪桜の花が咲いているわ」


 リプリーの声に、地図から視線を上げたイヴンは雪桜の木を見上げて目を丸くする。

 ひょろりとした枝に、いくつかの白い花と、これから精一杯花を咲かせようとしている小さな蕾もあった。


「ほんとだ花が咲いてる! でも、どうして? てっきり、枯れてしまってると思ってたのに」


「可愛い花ね」


「うん、僕、初めて見たよ!」


 はしゃぐイヴンとリプリーを肩越しに振り返り、イェンはひっそりと静かな笑みを浮かべる。


「可憐な花だな。心が癒やされるようだ」


 エーファも目を細めてうっとりと雪桜の花を眺めている。

 しばしの間、三人は言葉も忘れ、無言で雪桜の木を眺めていた。


「名残惜しいが、そろそろ行こう。あまりゆっくりもしていられない」


「そうね」


「うん、そうだね」


 エーファにうながされ、イヴンとリプリーは歩き出す。

 ふわりと風が吹く。

 歩き出したイェンの頬を、一枚の小さな純白の花びらがかすめていった。


 ──ありがとう。


 まるでそう言っているようで。


 差しだ手のひらに落ちた花びらの一片。

 イェンは手を口許に持っていき、そっと花びらに息を吹きかける。

 すると、地上から雪が吹き上がり、花びらとともに青空へと舞い上がっていく。


「うわーきれい。桜吹雪みたい」


「雪桜が満開の花を咲かせているみたいだよ!」


 きらきらと空へと舞った雪が桜の枝に付着し、イヴンの言葉通り、それはまるで満開の花を咲かせているようにも見えた。


「うむ、美しいな。心が癒やされる」


 三人は再び足を止めて振り返り、目の前に広がる美しい光景に心をはずませた。



 ◇・◇・◇・◇



 物好きでもない限り、地元の人でもこの時期滅多に踏み込まない小雪山に、一行が登り始めてから数時間が過ぎた。とりあえずは何も問題はなく順調に歩を進めていたが、みなの後ろをずいぶんと遅れて歩くイェンが、突然ばたりと倒れる。


「……もう限界」


「何だ、だらしがない。登り始めてからまだいくらも経っていないぞ」


 振り返るエーファの目が冷たい。


「みんな……俺のことには……」


「では、そうさせてもらおう」


 イェンの言葉を最後まで聞かず、すんなり背を向けエーファたちは歩き出す。


「ちょ、ちょっと待った!」


「何だ、騒々しい」


「イェン、もうちょっと頑張って。日が沈むまでには登山者用の山小屋にたどり着かなければいけないんだ。ほら、僕の肩につかまっていいから」


 イェンの肩に手を回し立たせる。


「イヤだ! おぶってくれなきゃイヤだ!」


「僕じゃ、大きなイェンをおぶえないよ。お願いだから歩いて」


 だだをこね始めたイェンに、エーファはやれやれとため息をついてリプリーに向き直る。


「リプリー、そいつの口の中にモエモエ草をねじ込んでやれ。葉っぱ三枚ほどな。そうすれば元気も出るだろう」


「三万馬力ってところね」


 リプリーもばか正直に袋からモエモエ草を取り出し、イェンの口に近づける。


「食べて」


「や、やめて……それだけは。お願い」


 よみがえる、いつかの日の悪夢。

 こんなところで腹をくだしたら、それはもう最悪の一言だ。


「なら、歩け」


「……頑張ります」


 しゅんとうなだれるイェンを先頭に歩かせ、一行は再び雪山を登り始めた。しかし、山の天気は変わりやすい。歩き出して間もなく、風が増しそれがすぐに猛吹雪へと変わった。


「これ以上進むのは危険だ。下手をすると道を見失う」


 防寒用の上着を胸の前でかきあわせ、エーファは叫んだ。叫ばなければ、吹雪で声をかき消されてしまいそうだったから。

 開いた口の中や目に雪が入り込む。

 視界が真っ白で、少しでも仲間と離れてしまえば見失ってしまう危険もあった。

 飛んでしまいそうになるフードを片手で押さえ、イヴンは手の中の磁石の針の計器にこびりついた雪を手で拭って方角を確かめる。


「少しそれてしまうけど、近くに避難小屋があるはずです。いったん、そこへ向かいましょう」


 厚手の手袋をしていても指先が凍え、もはや感覚がない。何度も手袋の上から指先に息を吹きかけるリプリーに、イヴンは手を差し出した。


「はぐれてしまうと大変だから。もう少しだからね。がんばって」


 励ますイヴンの言葉に、リプリーはうなずき、差し出されたイヴンの手をしっかりと握り返す。


「気をつけて、この辺り左右が崖になっているから」


 と注意する側でイェンが叫び声を上げた。


「それを早く言えっ!」


 足を滑らせ崖から落ち、かろうじて縁にへばりついている状態であった。


「た、たすけ……」


 エーファは慌てて駆けつけ、必死に救いを求めるイェンに大きく両手を伸ばした。けれど、つかんだのはイェンの頭の上のヤンだった。と、同時にイェンの手が崖から離れた。


「コケーッ」


「俺はどうすんだよー!」


 悲痛な声を上げ、イェンは崖の下へと真っ逆さまに落ちていく。

 遠のいていくイェンの悲鳴が崖下から響き、やがてその声もとうとう聞こえなくなってしまった。


「……イェンさん、落ちちゃったわ」


「うん、落ちちゃった。で、でも、イェンなら大丈夫だよ。多分……。僕たちは一足先に小屋に向かおう」


「そうだな。落ちてしまったものは仕方がない」


 エーファはそっと胸の辺りで十字を切った。



 ◇



「部屋、暖めておいてやったぞ」


 ところが、イヴンたちがやっとの思いで小屋に到着した頃。

 すでにイェンは暖炉の前でぬくぬくと暖まり、持参した酒でご機嫌に一杯やっていたのであった。

 などと、思いもかけない出来事もあったが、それでもその後、雪山越えは順調に進んだ。

 肉体の疲れは精神の気力で補った。この時ばかりはイェンのおかげと感謝するべきかもしれない。歩き疲れて無口になっても、イェンが何かしらばかなことをしでかしてくれたからだ。

 そうして、雪山に入ってから二日目。

 計画通り、夕方には山頂の山小屋へ到着する予定となった。山小屋で一泊した後はひたすら下山するだけ。そこから先は、小雪山を挟んだガルテン王国の隣、ヴァシュヴィシュ王国となる。


「暖かい湯につかりたいものだ」


「私は温かいものが食べたいわ」


「僕は暖かいベッドで眠りたい」


「熱燗だな。それと……」


 イェンはこぶしを握りしめる。


「コケーー?」


「女だ。俺もう我慢の限界! ヴァシュヴィシュに着いたらこの押さえきれない欲望を……むぐっ」


 突然、口の中に雪の固まりを突っ込まれ、イェンは目を丸くする。もちろん、誰がやったかは言う必要もないだろう。


「ぺっ、冷たい、何すんだよ!」


 蔑みの眼差しで、エーファが再び一握りの雪をつかむ。


「今のはあきらかにイェンが悪いからね」


 同情の余地なしと、イヴンが目角を立てる。


「俺は自分に正直に、あるがまま、思うがままに生きてるだけだ。それの何が悪い」


「けだものめ」


「イェンは下品すぎるんだよ。それに、自分に正直すぎ」


「うるせえよ。処女と童貞に言われたかねえ」


 今の一言はかなりまずかった。

 エーファは頬を引きつらせ、腰の剣に手を伸ばす。それを止めたのはリプリーの不安げに揺れる声だった。


「ねえ、何? この地響き」


「地響き? 言われてみれば」


 エーファは辺りを見渡した。確かに、足下に重い振動が伝わってくる。


「地震?」


「ち、違うよ……あれを、見て……」


 震える手でイヴンは前方を指さした。差したその先、斜面の上から雪崩が急下降でこちらに迫ってくる。


「うそ……あれに巻き込まれたら」


 驚愕に目を見開き、リプリーは口許に両手をあてた。


「ま、助からねえな」


 あっけらかんとした口調でイェンは肩をすくめ、おもむろに、煙草に火をつけた。こんな時に煙草など吸っている場合かと咎める者はいない。

 みな、それどころではないようだ。


「コケーッコケーッ!」


 イェンの頭上でヤンがせわしなく羽を動かしている。


「逃げようにも、これでは……」


 逃げ場がない。


「ちょっと! あそこに人影が見えるのは私の気のせい?」


 リプリーは目をこすり、再び前方に視線を凝らした。他の三人も首を前に突き出し目を細める。

 雪崩から逃げるように斜面を下降してくる四つの人影。

 まさか、とイヴンたちは声をつまらせた。

 何とその人影は、丸太をそりがわりに直滑降してくる四人の男たちの姿であった。何故ここに? という疑問より、よく丸太から振り落とされないものだと不思議に思う。

 彼らもそれだけ必死なのであろう。

 その姿が間抜けだとイェンは腹を抱えて笑い出した。


「こんな時に笑っていられる貴様の図太い神経が羨ましい」


 エーファは緩く首を振った。


「だってあれ、どう考えたってあり得ねえだろ」


 丸太に乗っている男たちを指さし、イェンは笑いすぎて目の端に涙さえ浮かべている。


「貴様は何故そう平気でいられる!」


「何? 落ち込んだり、怒鳴ったり」


 イェンは肩をすくめるが、こらえきれずにぷっ、と吹き出し再び笑い出す。

 その間にも急激な勢いで雪崩が迫ってくる。


「リプリー! 風の精霊を喚んでイヴンと二人で逃げなさい!」


 厳しい声で言い放つエーファにうなずき、リプリーは固い表情で両手を頭上にかかげた。けれど、いつまで待っても詠唱の言葉が出てくる気配はない。見ればリプリーは足を震わせ今にも泣きそうな顔をしている。


「何をしている! 早くしなさい!」


 急かすエーファの声がリプリーにさらなるプレッシャーをかける。それがかえってリプリーを混乱させてしまった。


「そんなに焦らせたら可哀想だろ」


 リプリーは目に涙を浮かべ、イェンを見上げた。


「できない……私の力ではみんなを助けるのは無理よ。私たちここで、し……」


 その先のリプリーの言葉を遮るように、イェンの人差し指がリプリーの唇にあてた。

 混乱は免れたが、どうにもならない状況にリプリーはとうとう涙をこぼす。


「ま、ひよっこにはちと荷が重すぎるか」


 仕方がねえな、と煙草をくゆらすイェンの両腕に、突然エーファが涙を浮かべてすがりつく。


「お願いだ! この子たちを助けてあげて。この通りだから。あんた魔道士だろう?」


「へっぽこだけどな」


 ここぞとばかりに言い返すイェンの言葉に、エーファは悲痛な表情を浮かべる。


「頼む。もし、リプリーに何かあったら私は……私は……」


 エーファはその場に崩れ落ち、ひざまずいてイェンの足下に泣きすがる。

 口調はしっかりしているが、どうやらこちらも恐慌状態に陥っているようだ。


「この程度で……」


「この状況がこの程度だとっ!」


 声を荒げるエーファに、イェンはやれやれと肩をすくめる。


「おいおい、あんたが取り乱してどうすんだよ。そこのひよっこが、ますます不安になるだろ」


 見ればリプリーは雪の上に座り込み、何度もごめんなさいと、声をひきつらせ泣きじゃくっている。もはや、リプリーの魔術でこの危機を切り抜けることは期待できそうにもない。


「何でもするから、お願いだ……」


 くわえ煙草で腕を組み、イェンは目を細めて足元のエーファを見下ろした。


「へえ。何でも? 俺にそんなこと言っちゃっていいのか?」


 雪崩はもう間近。

 前方を見据えていたイヴンはぐっと両手を握りしめ、そして、イェンを振り返る。


「イェン!」


 厳しいイヴンの声がイェンに放たれる。

 それが合図だった。


「ち、わかってるよ」


 吸いかけの煙草を指先ではじき、軽く舌打ちひとつ。

 イェンは颯と足を前に踏み出し、泣き崩れるエーファの脇を通り過ぎる。

 斜面上空を振り仰ぎ右手を空高くあげた。


 その口許には不敵な笑み。

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