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20 知られてしまったイヴンの正体

 清々しい朝の空気が気持ちよい。

 小雪山の峰から中腹にかけての雪渓が、晴れ渡った青空にくっきりと白く描かれ、山間から射し込む陽の光が樹枝に凍りついた雪をきらきらと、きらめかせた。


「イヴン、お花の植えかえは終わった?」


 朝食の片づけを終えたリプリーが、玄関脇につくられた花壇の前で作業にいそしむイヴンの手元をのぞき込んで問いかける。


「うん、それが、花壇がちょっと荒れていたから植えかえの前に修理をしていたんだ」


 崩れかけた花壇のレンガを整え、ひび割れてしまったものは新しいレンガと取りかえ、伸びてしまった雑草や枯れた花を丁寧に取りのぞき、スコップで土をならす。


「イヴンはそんなこともできるのね。すごいわ」


「すごくなんかないよ。僕、イェンの家にいたときもよくやってたから」


 むしろ、楽しくてしょうがないという様子であった。


「私も手伝ってもいいかしら?」


 手をとめ、イヴンはにこりと笑ってうなずく。


「もちろんだよ。でも、外は寒いし、手が汚れてしまうよ?」


「そんなの、気にしないわ」


 リプリーもイヴンの隣に座り込んで作業を手伝い始めた。

 花壇の修理は終わった。

 あとは花を植えかえるだけ。

 プランターから抜き取ったビオレッタ・パンパンジーの苗をイヴンから受けとり、きれいに整えられた花壇に等間隔に植えていく。

 そうして、寂しかった花壇に色とりどりの花が並んだ。


「見違えるほど素敵な花壇になったわね。マイヤーさんが見たら驚くわ。それに、お花も喜んでいるみたい」


 うん、とイヴンも満足そうにうなずく。

 ふと、リプリーは側に植えられている木を見上げた。


「ねえ、この木は? 何だか元気がないみたい」


「雪桜の木だよ。だけど、すっかり枯れてしまっているみたい。本当なら、この時期に白い花を咲かせるんだ。桜の花みたいに」


「枯れてしまうなんて、かわいそうね」


「雪桜の花、僕も一度見てみたかったな」


 そこへ、薪割りを終えたエーファが斧を肩にかついでやって来る。


「二人とも朝から感心だな。それにくらべて、あいつは何なのだ」


 エーファの視線の先には、寒い冷たい眠い、を連呼して井戸水で顔を洗っているイェンの姿があった。

 朝早くから積極的に動き回っているイヴンに対し、二日酔いでみなより遅く起き、いつまでもぐずぐずとしていたイェン。

 イェンのせいで朝食の後片づけもままならなかった。

 相変わらずのマイペースさに、文句のひとつでも言ってやろうと、エーファは斧をかついだままイェンに近づく。


「貴様、いつまでぐずぐずしている」


 エーファは、寝ぼけまなこの惚けた顔のイェンの見て険しく眉をひそめた。


「まったく、何が色男だ美形だ。こんな男のどこがいいというのだ。つくづく私には理解ができん」


「何?」


「……何でもない。イヴンもああして働いているのだ。貴様も働け。そうだな、貴様の仕事はニワトリ小屋の掃除だ」


「ニワトリ小屋だ! 魚の次はニワトリだってか。冗談」


「いいからやれ。文句を言える立場ではないだろう」


 有無を言わせずエーファにほうきを押しつけられ、イェンはがくりと肩を落とすのであった。



 ◇



 イェンがニワトリ小屋を掃除している頃。

 エーファ、リプリーそしてイヴンは、暖かい居間で休憩もかねてお茶をしていた。

 楽しい会話で盛り上がっていたが、イヴンだけは始終何やら浮かぬ顔であった。

 ふと、会話が途切れた頃合いを見計らい、イヴンが神妙な面持ちで切り出す。


「あのね……突然こんなことを言い出して申し訳ないんだけど。僕たち、ここでお別れにしようと思うんだ。もう一緒に旅はできない」


 思いがけないイヴンの発言に、リプリーとエーファは目を見開いて顔を見合わせた。


「突然、そのようなことを言われても納得がいかないぞ」


「そうよ、どうして?」


 ごめんなさい、とイヴンは深く頭を下げた。

 理由は言えないという風である。

 しばらく何か言いかけようかどうしようかと迷っていたリプリーだが、エーファを見つめ、そのエーファがひとつうなずくと、意を決したように口を開いた。


「それは……イヴンがワルサラ国の王子様で、そして、ヴルカーンベルクの王女様の結婚相手だから? そのことに関係するのね?」


 今度はイヴンが目を瞠り声をつまらせた。


「知ってたの?」


「うん……私ね、見てしまったの」


 リプリーはイヴンの胸元のあたりを指さした。


「野犬からエーファをかばってくれた時、怪我の手当をしたでしょう? その時、その首飾りが見えたの。それはワルサラ国、王家の紋章ね」


 イヴンは服の下の首飾りに手をあてた。


「そっか、知ってたんだ」


「離れている間に、何かあったようだな? 隠し事は水くさいぞ。力になれることがあるかもしれない。話してみてはどうだ?」


「エーファさんたちを危険に巻き込むことはできない」


 イヴンは膝の上に置いた手を強く握りしめた。


「なるほど、つまり身に迫る危険があったというわけだな。あのばかの顔にうっすらと残っていた傷跡もそのせいか?」


 イヴンは無言のまま視線を自分の手元に落とす。

 もともと根が正直な性格ゆえ、嘘がつけず、すぐに顔に表れてしまう。こんな時イェンがいたら適当にはぐらかしてくれるのだが、そのイェンも今はここにいない。


「しかし、どういうことだ? まともな護衛もつけず、まるで国から放り出すような真似をして」


「そうよ、考えられないわ。ヴルカーンベルクからの使者は来なかったの?」


 イヴンは恥じ入る顔で答えた。


「ヴルカーンベルクのお迎えの使者はお断りしたらしいんだ。その……今のワルサラ国では大国の使者をおもてなしする余裕はないからって。それに人手不足で護衛をつける人員も割けられないし、魔道士の都合もあって結局、僕とイェンのみでヴルカーンベルクへ向かうことになったんだ。それはそれで、気楽だからいいんだけど……でも、今となっては結婚の話も本当かどうかわからなくなってきた。行けと命じられるまま国を出てしまったけど、きちんと確認するべきだったんだ」


 僕がもっとしっかりとしていれば、とイヴンは声を落とす。


「まるでイヴンがヴルカーンベルクへ行くのを阻止しているみたい」


「命を、狙われているのか?」


 王位継承のひとりが、たとえ婿入りとはいえ大国へとおもむき、力をつけることを面白くないと思うやからも中にはいるだろう。

 けれど、イヴンは違うんだと慌てて首を振る。


「狙われているのは命ではなくて、僕の持っている……パンプーヤの剣」


「パンプーヤの剣!」



 ◇



「ちっ、何で俺がこんなことしなくちゃなんねえんだよ」


 イヴンたちが深刻な話をしているその頃、イェンはほうきを片手に、文句をこぼしながらニワトリ小屋の掃除をしていた。


 コケーコココッ。


「邪魔だ邪魔だ。おまえらあっちにいけ。側に寄ってくんな。掃除ができねえだろ。って、痛えよ! つっつくな。おい! 頭の上に乗るな!」


 そうして、ニワトリ小屋の掃除を終えたイェンは、ふと、花壇の横に立つ木に目をとめ、その木に歩み寄る。

 イヴンが、花が咲くのが見たかったと言って、残念そうに見上げていたことを思い出す。

 イェンはふっと笑って、雪桜の木の幹に右手を添えた。


「俺にはもう、おまえを癒やす術は持たないが、おまえにまだ少しでも力が残っているのなら……」


 そう言って、イェンは幹にひたいを寄せ静かに目を閉じた。




 ◇



「パンプーヤの剣だと!」


 二人は素っ頓狂な声を上げた。

 当然の反応だ。

 イヴンはうんとうなずきパンプーヤの剣の話を語った。

 大魔道士パンプーヤは伝説の存在。そのパンプーヤから剣をもらったなど、そう簡単に信じられるわけがない。けれど、リプリーもエーファも真剣に耳を傾けてくれた。


「つまり、イヴンがヴルカーンベルクにたどり着く前に、何者かが、その剣を奪おうと企んでいるのね。確かに、ヴルカーンベルクへ着いてしまったら手が出せなくなる可能性は高いもの。それで、パンプーヤの剣はどこにあるの?」


 イヴンが普段持ち歩いている剣はごく普通の剣。しばらく一緒に旅をしてきたが、それらしき剣を持っているところを見たところがない。


「あるところに隠してあるんだ」


「あるところ?」


「うん……」


 一番安全なところ……と、だけ言ってイヴンはその後の言葉を濁す。


「そうか。ならば、剣のことについては触れるのはよそう。だが、ここで別れるということについては私は承諾できない。私はイヴンに二つの恩がある」


 身をていして野犬からかばってもらったこと、そして、通行券を譲ってくれたことだ。


「その恩を返さずに、ここでさようならでは私の気がすまない」


 私もおなじよ、とリプリーも力強くうなずく。


「だけどもし、エーファさんたちに何かあってしまったら、僕はどうしていいか」


 立ち上がりエーファがイヴンの細い肩に手をかけた。


「では、こうしよう。旅を一緒に続けるか続けないかについては一時保留だ。まずは、私たちは協力し合ってあの雪山を越えることだけを考えよう。大雪山ほど困難でないとはいえ、危険であることにかわりない。後のことはそれから考える。それでどうだろうか?」


 イヴンはエーファとリプリーを交互に見た。


「それではだめか? それに、イヴンもあんな役にも立たない男だけでは不安であろう。だいたい、一国の王子のつき添いに、あのような力も持たない、頼りない魔道士一人だけなど、私には信じられん!」


「エーファ、言い過ぎだわ」


 エーファの横でリプリーがたしなめる。


「あのね、イェンは……」


「長い間一緒に旅をしてきたが、あいつが魔術を使ったところなど一度も見たことがない。いや、一度だけ。一度だけ森で指先にしょぼい火を灯したところは見たが……だが、あれは魔術とはいえんぞ。あいつは本当に〝灯〟の魔道士なのか?」


「イェンはみんなが思っているほど……」


「みなさーん、何やら俺の話で盛り上がっているようじゃないか!」


 よっ、と片手を上げ機嫌よくイェンが部屋に現れた。

 三人の奇妙な視線がイェンの頭上にそそがれる。


「ああ、こいつ? きれいな鶏だろ? 何か懐かれちまってよ」


 イェンの頭の上には、色鮮やかなニワトリに似た鶏が居心地よさげに乗っかっていた。



 ◇



「きれいな星空ね」


「うん」


 ベッドにうつぶせになり、イヴンとリプリーは枕に頬杖をついて窓の向こうの夜空を眺めていた。

 時折、空を走る流れ星にリプリーははしゃいだ声を上げる。


「ねえ、イヴンはヴルカーンベルクに行ったらどんな国にしたいと思う?」


 無邪気に問いかけてくるリプリーに、イヴンは表情を暗くする。


「考えたこともないよ。そもそも僕が結婚相手に選ばれた理由もわからないし、もしかしたら、実はからかわれているだけなんじゃないかって、今になって思い始めてるんだから」


 リプリーは首を傾げた。


「だって僕は……何の勢力もない弱小国の王子だよ。何の得にもならないよ。でも、それならそれでいいんだ」


「小さな国の王子様だからって、そんなの関係ないと思うわ。それに私、前に占ったでしょ? イヴンは大出世するって。私の占いは当たるのよ」


 イヴンはううん、と首を振る。


「それに、その……僕は……」


 横にいるリプリーと視線が合い、慌ててイヴンは目をそらす。

 途中まで言いかけたものの、それっきりイヴンは目を伏せ口を閉ざしてしまった。

 胸の奥深くに揺れる感情に、どうにもならない戸惑いを覚える。


 ヴルカーンベルク国になど、一生たどり着かなければいいのに。


 そう、小さくつぶやいたイヴンの声にならない声は、けれど、リプリーの耳には届くことはなかった。


 ずっと、このままリプリーと旅を続けられたらどんなに楽しいだろうか。

 リプリーと一緒にいられたら。


 ふと、イヴンは隣に並ぶリプリーと肩が触れあっていることに気づく。

 気づいた途端、意識が強まり心が落ち着かなくなった。

 触れている肩の部分だけ、熱をもったみたいに感じられた。

 離れるべきなのだろうか。でも、いきなり離れて変な風に思われないだろうか。


「ねえ、どうしたの? ねえ」


 何度か声をかけられていたらしい。

 イヴンは慌てて身体を起こしてリプリーと距離をとる。

 そのはずみで、ベッド脇のテーブルに置いてあったリプリーの読みかけの本を落としてしまった。

 本に挟まれていた一枚のしおりが、ぱらりと床に落ちる。

 拾い上げようとするイヴンの手よりも早く、リプリーはしおりを取り戻す。

 怪訝な顔でイヴンはリプリーを見ると、しおりを胸にそっとあて、リプリーは目を伏せ口許に微かな笑みを浮かべた。


「とても大切なものなの。好きな人からの贈り物」


「好きな人? リプリーは好きな人が……いるんだ」


 イヴンの問いかけにリプリーはうん、と頬を赤らめ小さくうなずく。


「多分、一方的に私が思いを寄せているだけ。でも、私、絶対に彼のことを振り向かせてみせるわ」


 と穏やかな顔で言うリプリーに、イヴンは複雑な表情を浮かべた。

 ちくりと胸の奥が痛んだ。

 リプリーに思いを寄せている人がいるなど初めて聞いた。リプリーはエーファとともに旅をしていると言っていた。その思い人は国にいる人なのだろうか。


 き、聞いてみるだけならいいよね。


「あ、あのね!」


 ふと、隣を見ると、リプリーがうつぶせになった状態で眠ってしまっていた。


「リプリー?」


 そっと、呼びかけてみるが、目覚める気配はない。

 イヴンはそろりと手を伸ばし、リプリーの頭をなでなでする。

 柔らかい髪が気持ちいい。


「おやすみ、リプリー……」

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