19 リプリーたちとの再会
「さあさあ、たくさん食べてちょうだいね」
マイヤーさんはとても優しそうな、暖かい雰囲気がにじみ出た五十代なかばの婦人であった。
イヴンたちが来ることを事前にリプリーたちから聞かされていたとはいえ、突然やってきたにもかかわらず、マイヤーさんはたくさんのご馳走を用意してくれた。
たっぷりのチーズをくるんで焼いたパン。パンをちぎると中からあつあつとろりの塩けの利いたチーズがこぼれてくる。そして、肉と細かく切った野菜をトマトでじっくりと煮込んだスープ。たっぷりの香草の風味がいい味を出している。お肉はとろとろに柔らかい。さらに食欲をかきたてる香りをただよわせているのは、にんにくとスパイスの利いた煮豆の壺料理。メインは鶏肉のオーブン焼きハーブ添え。
すごいご馳走だ。
「すみません、僕たちまでお世話になってしまって」
イヴンは恐縮して、マイヤーさんに頭を下げる。
「いいのよ。気になさらないでちょうだい。それに大勢の方が食事も楽しいわ」
「おひとり、なのですか?」
イヴンは広い居間をぐるりと見渡した。
雰囲気からして、他に家族らしき者はいないようだ。
それも多分、長い間。
「ええ、七年前に夫に先立たれ、息子がひとりいるのだけど、その息子も二年前、新しい自分を見つける旅に出るのだと言って、家を飛び出していったきり何のおとさたもなく……」
マイヤーさんは目元をエプロンで押さえて涙ぐむ。
暖炉の炎がぱちっと爆ぜた。
どこかで似た話を聞いたような、とイヴンは首を傾げてイェンを見るが、珍しく酒も飲まずに料理にがっつき、話どころではない様子だった。
「マイヤーさん元気を出して。この間、占ったでしょう。もうすぐいいことが起こるって」
「そうね、ありがとう。リプリーはほんとうに優しい娘ね」
マイヤーさんは目を細めてリプリーに微笑み、続けて言う。
「あなたみたいな娘さんが息子のお嫁さんにきてくれたら、どんなに素敵かしら」
「マイヤーさん……」
「あらあら、しめっぽくなってしまったわね。さあさあ、遠慮しないで食べてちょうだいね」
目の端ににじむ涙を拭い、マイヤーさんはイェンに視線を向ける。
「もしかして、イェンさんにはお酒が必要だったかしら?」
イェンはにっと笑って頭をかく。
その顔はぜひお願いします、といっていた。
「気づかなくてごめんなさいね」
ちょっと待っててね、とマイヤーさんはお酒をとりにいくため椅子から立ち上がる。
「遠慮の知らぬ、ずうずうしい奴め」
「うるせえ。ずっと酒も煙草も女もおあずけだったんだ。禁断症状で死にそうなんだよ!」
文句あるか、とイェンは吐き捨てる。
「酒も煙草も……お、女……」
言いかけてエーファはいや、と首を振る。
「エレレザレレで何があったのだ?」
「何? 俺のことに興味があるわけ?」
「そういう意味ではない! 誰が貴様のことなど」
「それとも、あんた俺のこと慰めてくれんの? 抱かせてくれる?」
「だ、だ、だ、な……何を……っ!」
「だけど俺、久しぶりすぎて激しくがっついちゃいそ。寝かせないよ」
「な、な……」
口をあわあわさせ、顔を真っ赤にするエーファから視線をそらし、イェンはフォークに刺した鶏肉にかじりつく。
「う、うまい! このぱりっとした食感。中からあふれる肉汁!」
マイヤーさんは嬉しそうに笑って、イェンのためにお酒を持ってきてくれた。
「ねえイヴン、離れていた間のお話を聞かせて」
リプリーにうながされ、イヴンはこれまでの出来事を語った。
仕事のこと、四人組の男たちのこと、初めてもらったお給料の喜び。
楽しそうに語るイヴンの横で、リプリーは相づちを打ったり質問を返したりと、にこにこしながら聞いていた。
「そうだ、お土産があるんだ。仕事先の親方からいただいたものだけど」
イヴンはテーブルの上に並べられたお皿を少しずつよけて隙間をつくり、足下に置いてあった袋をどんと置く。
エーファとリプリーは袋の中をのぞき込む。
「すごいわ。お魚の干物ね。おいしそう!」
「うん。今日の朝、いただいたばかりだから」
「今日の朝?」
訝しむ目でエーファはイヴンを見る。
「あ、えっと、その……」
うっかり口を滑らせてしまったイヴンはしまった、という顔をする。
「どういうことだ?」
さらに、容赦なくつっこみを入れてくるエーファに、イヴンは視線を不自然に泳がせ言葉につまらせ口ごもる。
「ああ! 酒がうまいっ!」
エーファは、ぎろりとイェンを睨みつけた。
「うるさいぞ! 静かに飲めんのか」
久しぶりの酒に、イェンは一気にぐいっと飲みほしあらたにグラスにそそぐを繰り返す。
「あんたも一杯どうよ」
「私は酒は飲まぬ」
「何? 俺様の酒が飲めないってか?」
酔っぱらいの決まり文句を口にして、イェンは半眼でエーファに顔を近づけた。
「ほう? 貴様はいつからこの私にそのような口を利くように、なっ……た……っ?」
不意にイェンの人差し指がエーファのあごに軽くかけられた。
「な、何を……」
さらに、イェンの唇がゆっくりとエーファの耳元へと寄せられる。
「怒った顔も可愛いよ。エーファちゃん」
吐息混じりで耳元でささやかれてエーファはぶるっと身体を震わせる。
「エーファちゃんだと! き、貴様はこの私を愚弄する、気か……っ!」
顔を真っ赤にして、エーファは右手こぶしを振り上げた。が、その手は行き場を失い空でとまる。何故なら、脱力してイェンが椅子から落ち、そのまま床の上で眠り込んでしまったからである。
「ここのお酒は強いから。そんなに一気に飲んだら無理もないわねえ。風邪をひくといけないわ。毛布を持ってきてあげましょうね」
笑って、マイヤーさんはイェンのために毛布を用意してくれた。
「そんな奴、外に放り出してしまえ!」
マイヤーさんはうふふ、と笑った。
「だけど、寝顔は子どもみたいに可愛らしいわよ」
「可愛らしい……」
どこがだ、とエーファは露骨に顔をしかめる。
「それに、息子にどことなく似ている感じがしてねえ」
マイヤーさんはイェンを起こさないよう静かに毛布をかけ。さらにソファーにあったクッションを枕代わりにとイェンの頭の下に差し込んだ。
「まあ、マイヤーさんの息子さんは長身で美形なのね」
マイヤーさんはうふふ、と口許に手をあて嬉しそうに笑った。
「こんなこと言うなんて、親ばかだって笑われてしまうわね」
「息子さん、旅から早く戻ってくるといいですね」
「そうね」
そうだといいのだけれど、とマイヤーさんはふっと寂しげな目で窓際に視線をあてる。マイヤーさんにつられてイヴンも窓へと目を向けた。
窓辺には、いくつかの観葉植物と、プランターに赤、青、紫、黄色、白とさまざまな色の花が植えられ並んでいた。しかし、どれもあまり元気がなくしょんぼりとしているようだ。
「マイヤーさん、この植物元気がないみたい」
イヴンは立ち上がって窓際に歩み寄る。
「それにこっちのお花、ビオレッタ・パンパンジーは室内で育てるには向いていないんです。室外で、外の寒い空気に触れたほうが元気にたくさん花を咲かせるんですよ」
「まあ、イヴンくんはお花のことに詳しいのね」
「僕、お花を育てるのが大好きで。趣味なんです」
イヴンはにっこりと笑った。
「そう……花好きの息子がずっと面倒をみてきたのだけれど、私にはさっぱりで。毎日たっぷりお水をあげているのに、だんだん元気がなくなっていくの」
「水をあげすぎたら、だめなんです」
イヴンは観葉植物の状態を確かめるように葉を手に取り、土に触れる。
「そのせいで、根ぐされをおこしかけてる」
「根ぐされか……」
呟いたのはエーファだ。
エーファは目を細めて腕を組み、床で気持ちよさそうに眠っているイェンを見下ろした。
「こいつの頭と同じだな」
「でも、根腐れといっても、まだ初期症状だから大丈夫です」
「こいつの症状は末期のようだがな」
肩をすくめ、エーファはふっと嗤う。
「しばらくは水をあげるのを中断して、表面の土が乾いてきたら、湿らせる程度にお水をあげてください」
「貴様はそのまま干からびろ」
「ビオレッタ・パンパンジーは、明日、僕が花壇に植えかえます。きっと元気をとりもどしますよ」
久しぶりに土いじりができると思っているのか、イヴンの顔は生き生きとしていた。
「ついでに、そいつも埋めてしまえ」




