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12 報酬は十万ゼニゼニ

 エレレザレレ外門の壁に背をあずけ、腕を組んでくわえ煙草のイェンと、地面に座り込んで膝を抱えているイヴンの姿があった。

 空は徐々に暗くなりつつあり、門の側では早く街の中へ入ろうと駆け込む人々の姿。そんな人たちを横目に見ながら、会話もなく黙り込む二人。

 二人の間にはどこか重々しい雰囲気が流れる。

 イヴンは抱えていた両膝をぎゅっと抱きしめた。

 とにかく、いろいろあてが外れたという落胆は隠せない様子だった。

 実は、通行券がなくても一時的にだが、エレレザレレに入国する方法があった。それは、エレレザレレ国、国王五十歳誕生記念祭の警備員募集に申し込み、採用が通れば無条件に入国できたのだ。そこで警備の仕事をしつつ、通行券が発行されるのを待つつもりであった。

 リプリーとエーファが去った後、すぐに申し込みに行ったイヴンだが、しかし、すでに募集はいっぱいで打ち切られたとのこと。ならば、せめて通行券だけでも早く申請しようと役所に向かったが、そこで、どこの誰ですかと係の人に訊ねられ、根が正直で嘘がつけないイヴンはしどろもどろになり、また出直します! と言って、役所を飛び出してしまったのだ。

 イヴンの行動は素早かった。

 素早かったが、残念なことに、すべて空回りに終わってしまったというわけである。

 イヴンはしょんぼりとして、抱えた膝の頭に顔をうずめる。


「まさか、あんなこと聞かれるとは思わなくて」


「まさかも何も、ふつう聞かれるに決まってんだろ。ほんと、世間知らずだな」


「そうだね。僕、何にも知らないんだね。だけど、どうしよう……僕がワルサラ国の王子だなんて言えないよ」


 言えば大変なことになることは目に見えている。いや、それよりも信じてもらえるかどうか。それどころか、ワルサラの王子の名を騙った不届き者として捕らえられる可能性もある。いや、エレレザレレの〝(とう)〟に出向けばイェンの身元はきちんと保証されるからその問題はないとは思うが……。

 何にせよ、いろいろ面倒くさいことになるであろうことは確かだ。


「だから俺はやめておけって言ったんだ」


 イェンが頑なにリプリーたちに通行券を渡すのを拒んだ理由はこれであった。


「イェンがあんなに渋っていた理由を僕はもっとちゃんと考えるべきだったんだ。なのに僕は……ごめんなさい」


 どんよりと落ち込むイヴンの姿をイェンはちらりと見やる。


「それでもおまえは通行券をあいつらに渡した。違うか?」


 一拍おいて、イヴンはこくりとうなずく。


「ほんと、お人好しだよな。ま、そこがおまえのいいところでもあるんだけどな」


 とはいえ、入国するにはやはり、日数をかけてでも新しい通行券を入手するしかない。ただし、その分の滞在費も考えなければというのが現実問題だ。この先の旅費だってまだまだかかるのに、ここで足止めをくらうのはかなりの痛手である。


「このことがヨアン義兄様に知られてしまったらきっと、呆れられちゃうだろうな。ううん……おまえは何をやっているのだと怒られるかも」


 イヴンははあ、と重たいため息を落とす。

 もう見ていられないくらいの落ち込みようだ。


「俺が何とかしてやってもいいぜ」


 暮れゆく空を見上げ、イェンはぽつりとこぼす。

 くゆらした煙草の煙がゆらゆらと赤い空に昇っていくのを見つめるイェンを見上げ、イヴンは首を大きく横に振った。


「うん、ありがとう。でも、通行券は手に入れる。僕、ちゃんと役所の人に説明するよ。なければこの先不便でしょう? だから、どんなことでもいいから仕事を見つけようと思うんだ。うん!」


 口に出したと同時に前向きな気持ちに切りかわったのだろう。

 いつまでも、落ち込んでなんかいられない、とすくっと立ち上がったイヴンに、イェンは露骨に顔をしかめた。


「働くだ? どんな仕事でもいい? おまえに何ができんだよ」


「やろうと思えば何だってできるよ!」


「働いたこともねえくせに、偉そうなこと言うな。おうちのお手伝いとはわけが違うんだ。どうせ仕事がキツいだの、人間関係が辛いだのって、泣き出すに決まってる」


「どうしてそう決めつけるわけ? ほんとは自分が働きたくないからそう言うんでしょう」


 言ってしまってイヴンはあっという顔をする。今のはちょっと言い過ぎたかなと思ったようだ。

 ごめんなさい、と口を開きかけたところに。


「とうぜんだ」


 と、即座に返され、イヴンは呆気にとられてそのままあんぐりと口を開ける。


「イェンのばか!」


「ばかとは何だよ、ばかとは。だいたい、そう簡単に仕事がみつかりゃ、苦労しねえよ」


「探せばあるよ」


「そこが甘いんだよ」


 イェンはぎゅっとイヴンの頬をつねった。


「何するの!」


 お返しとばかりに、イェンの首の後ろで一つに束ねられた長い髪をおもいっきり引っ張る。


「やりやがったな! この俺にたてつきやがって。だいたい、何だよさっきの態度は。俺と口利いてやらないだと? どの口がそんなことを言いやがった。おまえ最近、生意気だぞ」


 イェンの手がイヴンの両方の頬に伸び、つまんでびろんと引っ張っる。


「やめてよ!」


 イヴンがぺちりとイェンの顔面を叩く。


「このやろう!」


 そして、とうとう二人は低次元なつかみ合いの喧嘩を始めてしまった。


「あなたたちお困りのようね。もしかして、通行券がなくて街に入れないとか?」


 不意に声をかけられ視線を向けると、そこには高貴そうな雰囲気のふくよかな中年の女性が立っていた。

 どうやら、お金持ちのご婦人らしい。

 イェンとイヴンを交互に見つめる婦人の目がぴたりとイェンに止まり、舐め回すように見つめる。


「あなた」


 もっとよく顔を見せなさいと、と婦人の手がイェンのあごにかかる。


「きれいなお顔だこと」


 婦人の瞳の奥がきらりと光った。まるで獲物を捕らえる何かの目だ。ついでに、喉がごくりと鳴る。さらに、婦人の視線があら? と、イェンの左手首の腕輪に止まった。


「あなた〝灯〟の魔道士? 見えないわね」


 〝灯〟の魔道士がこんなところでぶらぶらしているのは珍しい、という表情で婦人は目を見開く。


「正真正銘〝灯〟の魔道士ですよ」


 〝灯〟の魔道士なら素性も確かだ。怪しい者ではないと婦人は安心したのだろう。


「魔道士様、お困りならあたくしが何とかしてあげてもいいのよ。二人分の通行券をすぐに用意してあげる。その間あたくしのお屋敷に滞在するといいわ。でも……」


 何とかする代わりに、あたくしをどうにかしてと言外に匂わせる雰囲気だ。


「イェン……」


 不安げに見つめてくるイヴンに、イェンはここは俺にまかせろと目配せをする。


「助かります」


「そちらの坊やは? その子は魔道士ではないのね。でも、可愛い子。上品な感じね。高貴な雰囲気がにじみ出ているけど……」


 そりゃそうだ。

 これでも一応、一国の王子様なのだから。


「こっちの子の方があたくしの好みかも。うふふ」


 婦人の熱い視線と興味がイヴンへとそそがれた。

 イヴンは怯えた目でふるふると首を振る。

 もし、ここでイェンが通行券のためだ、おまえがこのご婦人のお相手をしろとでも言い出さないかと恐れているのだ。


「ぼ、僕は……僕にはむり……」


「あらあら、怯えちゃって初々しいこと。ねえ、坊やおいくつ?」


「じ、十五です……」


 どうせ童顔なのだ。ここはボク、八さい、とか何とか適当に答えておけばいいものを、これまたばか正直に答えるイヴンであった。


「そう、十五歳。じゅうぶん大人ね」


 目を細め、赤い唇をにやりとゆがめる婦人に、イヴンはぶるっと身体を震わせる。

 大人だから何だというのか……。

 すかさず、イェンは婦人の手をとり、その指先に口づけをする。


「僕ではだめですか?」


 ご奉仕いたしますよ、とイェンは婦人の耳元でささやく。


「ぼ、僕? イェンが僕って……どうしちゃったんだよ!」


 奉仕というイェンの言葉にくすぐられた婦人はまあ、と声をもらす。


「主人がね、仕事で三ヶ月も留守なの。あたくし、ひとりでとても退屈しているの……」


 婦人の指先がイェンの胸元を円を描くようになぞり、そして、その爪先が徐々に下へと落ちていき……婦人はまあ、と目を見開いて頬を赤らめ、そして、うふふ、と意味ありげな笑いを浮かべた。

 すぐ側でイヴンは口をあわあわとさせている。


「そうね。やっぱりあなたがいいわね。そうだわ、お屋敷にいる間、あなたには働いてもらおうかしら」


「働く?」


「ええ、退屈しているあたくしを悦ばせてくれた回数だけ十万ゼニゼニの報酬をさしあげてよ」


 イェンはふっと笑う。

 どんだけお金持ちなのか。

 その横では十万ゼニゼニ! とイヴンが素っ頓狂な声を上げている。

 ちなみに、悦ばせた回数だ。


「そんな約束をしてしまっていいのですか? 破産してもしらないですよ」


 婦人は満足げな笑みをこぼす。


「言うわね。だけど、期待させて、もし口だけだったら、あたくし許さなくてよ」


「なら、今日はお試しということでいかがです? ご満足していただけるまで尽くしますよ」


 といっても、ほどほどにしないと、しまいには、あなたのこと手放したくないわ、などと言い出しかねないからそこは気をつけなければならない。

 飽きさせず、本気にさせない。

 ここは本領発揮。

 腕のみせどころだ。

 とはいえ、金など貰うつもりはない。

 とにかく今欲しいのは。


「それで、通行券はどのくらいで?」


「たぶん、十日で用意できるわ」


 なるほど。

 金の力が働けば、十日で手に入れることができるということ。それも、おそらく余裕をみて十日と口にしたのだろう。

 だが、後もう一押しいきたいところだ。

 こちらも頑張るのだから、このご婦人にも頑張ってもらわなければならない。


「三日」


 まあ、それは無理だろう。


「それは無理だわ。普通に取得するのだって半月はかかるのよ」


「なら、五日で」


 手持ちの所持金を考え、これからの旅費代をざっと計算してもまあ、十日でじゅうぶんだが言ってみるだけ言ってみる。


「……いいわ」


 契約成立だ。


「あたくしについてきなさい」


 はい、とイェンの手が婦人のぽってりとした腰に回ったその時。


「そ、そ、そんなのだめだよ! だめだからね!」


 突然、後頭部に重たい衝撃が走った。

 イヴンが持っていた荷物で背後からイェンを殴ったのだ。

 殴られた衝撃でふらふらになったところをイヴンに強引に腕を引っ張られ、その場から逃げるように連れ去られてしまった。


「な、何だよ。いきなり大声上げて殴りやがって……」


 後頭部をさするイェンの目は涙目であった。

 荷物の中には鍋だの、暇つぶしのための本だのが入っている。それで殴られたのだから、かなり痛い。


「ああいうのはよくないよ。だめだよ!」


 怒った顔で抗議してくるイヴンにイェンは肩をすくめる。


「この俺が、おまえのために身体を張ってやろうって思ったのによ。せっかく通行券を手に入れる絶好の機会だったんだぜ。それも最短で五日だ」


「だって、さっきの女の人三十代……ううん、もしかしたら四十いってたかも。いったい、イェンといくつ年が離れてると思ってるの!」


 これだからお子さまは、とイェンはふっと笑って肩をすくめる。


「わかってないな。年上の女はいいぞ。何たって経験豊富だ。男の悦ばせかたを心得てる」


「よろこぶ? 確かにすぐに通行券が手に入るのは嬉しいけど。でも……」


「そっちのよろこぶじゃねえよ。ボケたこと言うな」


「とにかく! 僕はイェンにそんなことして欲しくないし、それで手に入れた通行券なんて、僕は絶対に嫌だからね」


「じゃあ、どうしろってんだよ!」


 あたりに響かんばかり大声を上げて、再び喧嘩を始めた二人。通りすがる人が何やってんだ? と、わざわざ立ち止まって視線を投げかけてくる。


「だから、さっき言ったじゃない! ちゃんと説明して通行券は手に入れるって。イェンこそボケないでよ」


「滞在費分の金はどうすんだ」


「それもさっき言ったよね! 全然、僕の話を聞いてないんだから。働くの!」


「働くだ? だから、おまえに何ができるってんだよ」


「やろうと思えば何だってできるよ!」


「働いたこともねえくせに、偉そうなこと言うな」


 さっきの会話の繰り返しだということを、はたして本人たちが気づいているかどうか。


「何だ? おまえら働きたいのか?」


 そこへ、荷馬車に乗った中年男が、御者台から声をかけてきた。どうやら、二人の喧嘩を見ていたらしい。

 つかみ合ったまま、イヴンとイェンは声をかけてきた中年男を見る。


「だったら、俺のところで働けばいい。旅のもんか? 住むところは? 住み込みで雇ってやるぞ。もちろん、三食つきだ。なーに今、人手不足で困ってたとこよ。こっちも助かるってもんだ。ただし、仕事はちょっとキツいぜよ」


「ほ、本当ですか? 本当に雇っていただけるのですか? 僕、何でもします。頑張ります!」


 イヴンは目を輝かせ、身なりを整え深々とよろしくお願いします、と言って御者台の中年男に頭を下げる。


「おい、仕事の内容も聞かずに勝手に決め、うぐっ」


 文句をたれようとするイェンの脇腹に、イヴンはひじ鉄を食らわせる。


「なーに、こっちこそよろしくだ。ついこの間も金に困ってた奴を雇ったばかりでよ。ほれっ」


 後ろの荷台に乗れ、と中年男は親指で示す。

 迷わずイヴンは荷台へとよじ登り乗り込んだ。脇腹をさすりながらイェンもしぶしぶと後に続く。


「働くからには甘えは許されないからな」


「そんなことわかってるよ。あたりまえじゃないか」


「ほんとにわかってんのか」


 そうして、二人は通りすがりのおじさんの荷馬車に揺られ、何をやらされるのかわからない仕事場へと連れて行かれるのであった。

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