9 イェンの恋人?
トイレにいくたび、真っ青になっていたイェンのお腹の具合も夕方頃には回復し、その日の夜は四人で夕食をとることになった。
宿の近く歩いてすぐ側に、美味い鍋料理の店があると宿の亭主から教えてもらい、嫌がるイェンを引きずって、一行はその鍋料理の店にやってきたのだ。
名物具だくさん鍋。
昆布でとっただしに、野菜や肉、魚介などを煮込んだ鍋だ。軟骨入りの鶏団子はこりこりとした食感。もみじにかたどられたニンジン、星形に切り込みを入れられた椎茸。工夫を凝らした食材は見た目も楽しませてくれた。
寒い時期、みんなで一つの鍋を囲んでの食事は会話もはずみ盛り上がる。が、不機嫌に燗酒ばかりを飲んでふて腐れている者一名。
「腹の調子がやっとおさまったってのに、こんな重てえもん食えるかよ。少しは俺の体調も気遣え」
「だけど、そう言いながら、お酒なんか飲んで大丈夫なの?」
「飲まなきゃやってられねえよ」
ちっ、と舌打ちを鳴らして、イェンは酒をあおる。
何で俺がこいつらと一緒に飯を食わなきゃならねえんだ?
店内を見渡しても、いるのは仕事帰りの野郎の集団、そして、家族連ればかり。
艶めいた雰囲気にもつれこみそうな気配などみじんもない。
イェンは苛立たしげに頭をかきむしる。
「もうずいぶんと女抱いてねえ」
ぽつりと呟くイェンの一言に、エーファは眉間にしわをよせ、握っていた箸をぱきりと真っ二つに折る。そこへ、すかさずリプリーが新しい箸をエーファに差し出した。
「イェン……女性の前でそういうこと言うのやめてって注意したよね。僕のいうこときけないなら、ワルサラに帰ってもらうよ。あ、リプリー、この鶏団子すごくおいしいよ」
「え、ほんと?」
エーファはとげとげしい目で正面に座るイェンを睨みつける。
「その頭に煮えたぎった鍋の中身ををぶっかけてやろうか?」
「やれるもんならやってみろ」
今日のイェンは強気だ。
お酒が入っているせいもあるのかもしれない。
「まったく、貴様の頭は酒と女のことしかないのか?」
「悪いか? まったく……おまえらと一緒じゃ、女も寄りつきやしねえ」
「イェン、またそんなこと言って、ツェツイーリアちゃんが聞いたら悲しむよ」
「ツェツイーリアちゃん?」
ツェツイーリアちゃんとは誰だ? と、向かいの席に座るリプリーとエーファは首を傾げる。
「イェンの恋人だよ」
「こ、恋人っ!」
リプリーはまあ、と言って瞳を輝かせる。
「イェンさんに恋人がいるだなんて、ちょっと意外だわ」
「ふん! 貴様に恋人とはな。そのツェツイーリアという女性も気の毒なことだ。いや、こんなどうしようもない軽薄男を恋人にするほどだ。よほど懐が深く心が広い、とてもできた女性なのだろう。年上の女性か?」
「ううん、とっても可愛い女の子だよ。ツェツイーリアちゃんはイェンのお弟子さんなんだ」
「弟子だと? いったい何の弟子だ」
「魔術のだよ」
「魔術だと? このアホが他人に魔術を教えられる……いや、待て……可愛い女の子? 子?」
女の子というイヴンの言葉に引っかかったのか、エーファはぴくりと頬を引きつらせた。
「そう、イェンよりも十二歳も年下なんだ」
「ええっ!」
よほど驚いたのか、口に運びかけた鶏団子がリプリーの箸から落ち、テーブルの上に転がった。
「十二歳年下だと!」
「そう、イェンに懐いて子犬みたいに可愛い子なんだ。イェンも何だかんだいって、ツェツイーリアちゃんのことすごく大切に可愛がってるんだよ」
「十二歳! って……じゃあ今」
「うん、十三歳。今はディナガウスで魔術と医術の勉強をしているんだ」
「き、貴様……貴様はそんないたいけな少女にまで手を出しているのか! 犯罪ではないか!」
「おまえなあ……それに、手をだすって何だよ。だいいち、あいつは恋人じゃねえよ」
「恋人ではないだと!」
テーブルを両手でばん! と叩きつけ、椅子から立ち上がったエーファは突然、イェンの胸ぐらをつかんで揺さぶった。
周囲の客がいったい何事だと、びくりとしていっせいにこちらに視線を向けてきた。
「恋人ではなないということは、それはつまり、貴様はそのツェツイーリアちゃんという可愛い少女を恋人だと騙して、もてあそんでいるということか!」
「もてあそぶって、あんた、しまいには俺も怒るぞ」
胸元をつかむエーファの手をイェンは払いのける。
「ほう? この私とやりあうというのだな」
エーファは目をすがめ、手の関節をぼきぼきと鳴らした。
「いいだろう。表にでろ」
「冗談。俺、女には手をあげない主義だから」
エーファはふっと不敵な笑みを刻む。
「その心配は無用だ。言っておくが、私は強い。貴様の性根を徹底的にたたき直してやる。さあ、立て! 来い!」
イェンはひっと悲鳴をもらした。
まったく冗談ではない。
素手で板十枚を割り、リンゴを片手で軽く握りつぶし、さらに、くるみを指で粉々に砕くエーファとまともにやりあえばどうなるか……。
間違いなく潰されて絞られて殺される。
「ちょっと……エーファ、落ち着いて。みんなが見てるわ」
横からリプリーがエーファの袖を引っ張って宥める。回りの冷たい視線に気づいたエーファもすごすごと椅子に座りなおす。
「けだものめ。イヴンは何故、こんなどうしようもないバカな男と一緒にいるのだ?」
「えっと、前にも少し話したけど、僕の家ちょっと複雑で、母が病弱なせいもあって、僕、生まれてすぐにイェンの家に引き取られたの。イェンとは本当の兄弟じゃないけど、でも本当のお兄さんみたいに思ってる。僕にとっては、大切な人なんだ」
エーファとリプリーは気づかなかった。
大切な人、とイヴンに言われたイェンが照れ隠しにそっぽを向いて酒をぐいっ、と飲みほしたことを。
「そうなんだ……ねっ、どうしてイヴンとイェンさんはヴルカーンベルク国まで行くの? やっぱり王女様の結婚式を見に行くため?」
「誰が、売れ残りの王女なんか見に行くか。あちっ! おい、ひよっこ、今おもいっきり鍋のつゆが顔にはねたんだけど」
「ごめんなさい……だって、このしらたき長いんだもん」
リプリーが立ち上がって鍋の中のしらたきを伸ばせるだけ引っ張り、自分の取り皿によそう。
「貴様、今リプリーのことを何と呼んだ?」
「魔道士として未熟だから、ひよっこって言ったんだよ」
ぴったりだろ? と、イェンははは、と笑う。
そういう自分も初級魔道士だということを忘れているようだ。
エーファは鋭い目でイェンを見据えた。その手が椅子に立てかけた剣へと伸ばされる。それを目に止めたリプリーは、すかさず会話を続けた。
「た、確かに魔道士としてまだまだ未熟なのは本当だし。私、気にしてないわ。で、結婚式を見に行くのでないなら、どういう理由でヴルカーンベルク国に行くの?」
再び繰り返されたリプリーの質問に、イヴンは戸惑い視線をそらす。
イェンは飲みほした酒盃をとん、と音をたててテーブルに置きリプリーを見据える。
「何? 何でいちいち根ほり葉ほり聞いてくるわけ?」
リプリーがはっと息を飲み、肩をすぼめて席に座りなおす。
「ごめんなさい、イヴン。気を悪くした?」
「すまないイヴン。つい、あれこれと尋ねてしまった。許して欲しい」
イヴンはううん、と慌てて首を振る。
「僕、全然気になんかしてないよ」
「ち、何だよ。どいつもこいつもイヴン、イヴンって」
イェンのご機嫌はますます悪くなる一方であった。




