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プロローグ

 柔らかな風が、芳しい花の香を辺り一面に運ぶ。

 まるで迷路のような夜の薔薇園の中、月明かりだけを頼りに二人の少年が歩いていた。

 小さな薄紅色の花が咲いた鉢植を手に抱え、早足に歩く幼い少年の後頭部を見下ろしながら、のらりくらりと十五、六歳ほどの少年──イェンがその後をついて行く。


「どんくせえ王女だよな。何で自分の城の庭で迷子になるわけ? で、何でその王女を俺たちが探さなきゃなんねえの?」


 しかし、目の前を歩く小さな少年はイェンの愚痴など聞いている様子もないようだ。

 きょろきょろと辺りを見渡し、迷子になった王女様の姿を必死になって探している。

 ふと、少年が足を止めた。


「声が聞こえる」


 突然走り出した少年の後ろを、やれやれと肩をすくめイェンも続く。

 白い薔薇の垣根沿いを走り、やがて、目の前が開けたそこに、小さな少女が泣きながら座り込んでいた。

 少年は泣いている少女の元へと走り寄る。


「さがしたよ、王女さま」


 少女は涙に濡れた顔を上げ、現れた少年を見つめた。


「あなたはだあれ?」


「僕はワルサラ国のイヴン。王女さまが迷子になったって聞いてさがしていたんだ」


 少女の目が、今度はイヴンのかたわらに立つ、ふてぶてしい顔つきのイェンに向けられる。


「えっと、こっちはイェン。こんなんだけど、悪い人じゃないよ。〝(とう)〟の魔道士なんだ」


 こんなんってどんなんだよ、と突っ込もうとしたところを。


「その人、何か顔が怖い」


 と、にべもなく少女が言い放ち、再び顔に手をあて泣き出してしまった。


「はあ?」


 初対面だというのにずいぶんな言われようだ。

 あなた、危険な雰囲気があって怖いわ、と女性に言われることはあっても、顔が怖いと言われて泣かれたのは初めてだ。


「イェンのせいで王女さまが泣いちゃったじゃないか!」


「俺のせいか?」


「イェンがむうっとした顔をしてるからだよ。笑ってよ。にっこり笑って!」


「おかしくも何ともねえのに笑えるかよ」


「イェン!」


 イヴンが頬を膨らませ見上げてくる。

 ちっと舌打ちひとつ鳴らし、イェンは少女の側に片膝をついて座った。


「お子さまとはいえ、女に泣かれんのが一番困るんだよな。ほら、顔上げろ。いいもん見せてやるから泣きやめ。な?」


 うつむいて泣きじゃくる相手の頬に手を添え顔を上げさせる。

 少女の目に、うるうると新たに盛り上がっていく涙を見たイェンは、頬をひくつかせながら無理矢理笑みを作る。


「いいもの?」


「そ、いいもの」


 イェンはにっと笑って少女の目の前でぱちりと指を鳴らした。


 すると──


 風がさあと駈け抜け、咲き誇る白い薔薇たちがゆらりと揺れた。

 花びらについていた夜露が風に乗って舞い上がり、あたり一面に淡い光を放って夜の虚空にきらめく。

 少女はわあ、と声をもらし立ち上がると、胸のあたりで手を組みぐるりと回りを見渡す。


「きれい! きらきら、きらきらお星さまが降ってきたみたいで、とてもすてき……」


 よほど感激したのか、頬を紅潮させ瞳まで輝かせている。

 その目に涙は消えていた。


「すごいわ! ねえあなた、手品師?」


「魔道士っ!」


 きらめく夜露を手のひらに受けとめようと、両手を空に向かってかざす少女の腕を見たイヴンはあっと声を上げた。


「イェンたいへんだよ、王女さまの腕けがしてる」


 おそらく薔薇の棘でひかっけてしまったのだろう、見ると少女の腕にかすり傷があった。


「たいした傷じゃねえだろ」


「イェン!」


 語気を強めて睨んでくるイヴンに、イェンははいはいと肩をすくめて手近な薔薇を一輪手折ると、少女の傷ついた腕にかざす。

 緩やかにまぶたを閉ざしたイェンの整った容貌に、蒼白い月明かりが落ちる。

 とても十五、六とは思えない色気さえあった。

 口を開かなければ、妖しい雰囲気をまとった謎めいた美少年で通るだろう。

 口を開かなければ……。


『絹の如き滑らかな花

 汚れなき白き薔薇よ

 小さき乙女の柔肌を

 清らかなる水で癒せ』


 歌うように流れるイェンの詠唱とともに、薔薇の花弁から夜露のひとしずくが流れ少女の傷口に落ちる。

 たちまち腕の傷が嘘のように癒えていくのを見た少女は目を瞠らせた。


「ありがとう魔道士さま。すごいわ。それに、杖なしで魔術を使えるなんて、魔道士さまは〝すごうで〟なのね」


「まあな」


 イェンに謙遜する素振りはみられない。それどころか、少女の褒め言葉にだいぶ気分をよくしたのか得意げにふっと笑う。


「回復魔術は俺様のもっとも得意とする術。詠唱なしでも余裕でいけるけど、ま、今回は特別ってやつ?」


 まるで尊敬の目で見上げる少女の髪に、イェンは手にした薔薇の花をさす。


「あれ? もしかして俺に惚れちゃったとか? 悪いけど俺、お子さまには興味ねえし、だいいちあんたと俺とじゃ、身分が違いすぎる……って、おい聞いてねえのかよ」


 すでに少女の目はイェンを見ていない。そのきらきらと輝く瞳は、興味深げにイヴンが抱えている鉢植にそそがれていた。


「イェン! これ……この花」


 イヴンは手にしていた鉢植えの花を見て目を丸くする。


「ちょっとした演出だよ、演出」


 イヴンが抱えた鉢植えの花に、虚空をただよう夜露が引き寄せられ、きらきらと七色に光り輝いていた。


「ねえ、その花はなあに? なんていうお花?」


「レイラの花だよ。僕、お花を育てるのが大好きで、この花も僕が種から育てたんだ」


「あなたが?」


 イヴンはこくりとうなずく。


「とても、かわいいお花だわ」


 イヴンはにこりと笑って鉢植を少女の前に差し出した。


「お誕生日おめでとうございます。王女さま」


「わたしに?」


 イヴンはもう一度うなずいた。

 鉢植を受け取り、笑みをほころばせる少女の足下から突如、ふわりと風が吹き上がる。レイラの花をまとう七色の夜露が、突然吹いた風に乗って舞い上がり、軌跡を描いてゆらゆらと星空へと昇っていく。

 少女とイヴンはきらめく光を目で追い、空を見上げる。

 薔薇の香りにも劣らない、レイラの花の甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。


「どんな贈り物よりも、いちばん嬉しいわ!」


「喜んでもらえてよかった」


 イヴンはほっとしたように息を吐く。


「イヴン様?」


 受け取った鉢植えを抱きしめて、少女はイヴンに顔を寄せ、その頬にちゅっとキスをした。


「大切にするわ。ありがとう」


「え、え……え?」


 たちまちイヴンは顔を真っ赤にさせうろたえる。そんなイヴンを見つめ、少女も頬を染めくすりと笑った。その横で、イェンは苦笑いを浮かべている。



 そして、十年後。

 よもや、その王女様の元へ婿入りすることになろうとは、この時イヴンはまったく予想もしなかったであろう。

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