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4.自己紹介/田神良輔

 

 俺には四歳年上の兄貴がいる。六歳の頃までは自慢の兄貴だと思っていた。…六歳の頃までは。

 両親にとっても自慢の兄貴で、俺は、ことあるごとに、母親に、

「お兄ちゃんみたいな人気者になりなさいね」

 といわれていた。

 何も知らなかった俺は、頷くことで両親の機嫌を取っていた。

 小学二年生の春。

 俺の通っていた小学校は、昼休みに掃除を行っていた。掃除を行う際には班というものを作る。各クラス男女ひとりずつ、掃除場所が割り当てられていて、そこで集まった集団を班と呼ぶ。

 班は一年毎に変わるから、自然と先輩、後輩と呼ばれる人たちがたくさんできるのは必然だった。…兄貴と掃除場所が一緒になることは、偶然であったと信じたい。

 そのときの掃除場所は体育館だった。俺は昼休みに外で遊んでいたから少し遅刻してしまった。体育館に着いて、すみません、といおうとしたとき、俺は、ある人に見惚れた。

 女の子だった。俺より年上…おそらく、四年生か五年生か。その人は俺の姿を見るなり、

「あ、君が田神先輩の弟?」

 と尋ねてきた。

「え、あ、はい」

「わたし、杉浦巴っていうの。わたしのお兄さんが、あなたのお兄さんに仲良くしてもらってるみたいだから、弟妹同士、よろしくね」

「は、はい」

 ……心を奪われるというのは、ああいうことなのだろうか。俺は小二なんていう生意気な年齢で、年上の女の子に一目ぼれをしてしまっていた。

 幸か不幸か、兄貴と同じ掃除場所だった。兄貴は相変わらずの虫唾が走る笑顔で、みんなに慕われていた。相変わらず反吐が出る爽やか振りですね、兄貴。

 杉浦先輩が兄貴に惹かれているのには、俺も気づき始めていた。だって、俺も「兄貴」なんだから。嫌だとは思っていても、俺の身体は習慣となった兄貴の演技をし始める。過去の兄貴の映像を思い出して。

 杉浦先輩は兄貴に惚れたんだ。だったら、兄貴を演じている俺にも惚れてくれる。…そう、思っていた。だが杉浦先輩は俺に振り向いてくれることはなかった。そりゃそうだ、子供だもの。…なんて思っていた頃だったかな。

 俺は見てしまった。三回から、野球部の練習を見つめている杉浦先輩の後姿を。

 今でもよく覚えている。学校が終わって、みんなでかくれんぼしようってことになって、三階まで上がったときだったか。そうか、あの人は野球をしている兄貴に惚れたんだと確信した。

 その翌日、俺も野球部に入った。兄貴はファーストだった。だから俺も希望ポジションをファーストにした。

 そんなニセモノが、野球を始めている内に、ホンモノになろうとしていた。

 野球って楽しい。こんなにも面白い。プロ野球選手はすごい。俺もあんなふうになりたい。―― これだけが、田神良輔の中にあったホンモノだった。それからも、俺は野球に没頭した。兄貴を真似る人形の役は、日常だけにして、野球をするときだけ、俺は本気で『俺』になっていた。

 俺が四年生になった頃、中二で青春真っ盛りな兄貴が、親友だっていう男を家に連れてやってきた。…杉浦先輩の兄貴分、鳴海和広。小学六年生の頃からの付き合いがあるふたりの友情には、目を見張った。なるほど、兄貴は親友と呼ぶ男の前ではこういう顔をするのだと、新しい発見もあった。

 野球をするからお前も来い、と声をかけられた。ファーストのスタメンだった俺はすぐに頷いてミットとバットを担いでふたりの後を追う。兄貴がケータイで声を掛けた奴等は全員やって来た。みんなで野球をやった。あの、小学校の部活で使っている公園で。

 杉浦先輩も観に来ていた。俺は張り切った。頑張って、兄貴以上の俺を見せようとしていた。…そして、それが無理だと気づいた瞬間でもあった。

 俺は兄貴をトレースしている。そうしている以上、コピーである俺は、兄貴より先には進めない。兄貴が立っている位置で、俺は次に兄貴が足を踏み出すのを待つしかないんだ。だから俺は『俺』を探そうとした。俺を杉浦先輩に見せようと頑張った。

 結果は、…無残なものだった。どうにかして(オリジナル)を表現しようとしても、結局は兄貴(コピー)の動きになってしまう。情けなくて、ひとりだけ浮かない顔でいた。

 どんなときでも自分を見失わないようにと、道徳の時間で教師が言っていた気がするが、それは無理だと思った。小さい頃からコピーするしかなかった男は、今、こうしてコピーとして生きるしかないのだと、俺は思っていた。

 それから時が過ぎて、俺が中三の頃、鳴海和広が、愚連隊に袋にされたということを耳にした。兄貴でありながらも兄貴でなかった俺は、鳴海和広のことを聞いてもどうも思わなかった。思えば、もしかしたらそこから少し狂い始めていたのかもしれない。

 脚本は、誰かの手によって黒インクで塗りつぶされていた。

 兄貴が学校で同級生を病院送りにしたらしい。どうやらそいつが鳴海和広を愚連隊に売った奴らしく、激怒したんだろう。…俺は俺で、兄貴は兄貴だと気づき始めたきっかけはそれだった。もしも完全に俺が兄貴をコピーしていたとしたら、俺も兄貴と同じ感情を抱いているはずだ。…まあ、鳴海和広と兄貴が仲良くしている場面を見たのは、小四のあの頃ぐらいしかなかったが。

 高校一年生。最初の頃、あの田神史明の弟ということで、崇り神扱いされていた俺だが、兄貴と同じように振舞って、溶け込むことに成功した。兄貴と同じ仕草、振舞い方をすれば、みんな俺の周りに集まってくる。みんな俺を好きになってくれる。

 …そのはずだった。

 

 高校二年の夏。杉本健太郎が入部。

 俺は兄貴と同じように、よろしく、と言って握手を求めた。杉本は一瞬邪悪な笑みを零して、よろしく、と握り返してきた。どんな奴でも兄貴になれば仲良くなれると思っていた。そうだと信じていた。だけど現実はうまくいかない。

 杉本健太郎はぶっちゃけていえば、『俺』と友になれるタイプの人間だった。兄貴の真似をする俺を快く思わない人間だ。田神史明に対して、俺と同じような感想を抱くだろう。『まあ、虫唾が走るほど爽やかな笑みをどうしてそんなに簡単にできるんですか、偽善者さん』と笑顔で言えるだろう。

 俺と杉本が相容れることはない。だって、俺は兄貴の皮を被っていて、杉本は兄貴みたいな人間が大嫌いだったから。

 そうなると、杉本みたいな奴の行動は早い。自分と同じタイプの人間を部活内で見つけて、徹底的に俺をいびり倒す。

 だが大嫌いというだけで、杉本は動かない。自らの暴力の正当性をはかる事件をあいつは心待ちにしていたんだと思う。部活の終わり、俺がタオルで汗を拭いていると、突然杉本が、

「俺、三年生ですっげえ可愛い人見つけちった。一目ぼれって奴じゃね?」

 なんて軟派なことを話し始めた。別にこんな下らない奴がくだらないことを話したとしても驚く必要はないが。驚いたのはその内容だった。

「名前調べたらよぉ、喜多村巴っていってさぁ…」

 ふざけるな。

 いつの間にか、俺は杉本を殴っていた。杉浦先輩が引き取られて、苗字が変わったことは知っていた。喜多村だってことも知っていた。それを踏まえたうえで、俺は杉本の頬を殴っていた。

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 お前が彼女の名前を出すな。お前は彼女の何を知っている。お前は俺の敵か。お前は俺の敵なのか…!

 ふざけるな。

 喜多村巴(アレ)は、田神良輔のホンモノの願いだ。お前なんかには渡すもんか――!

 

 …翌日から、俺は杉本を中心とした部活グループから、イジメを受けることになる。イジメのことについて何も知らなかった三年生の先輩が、忘れ物を取りに部室に戻ってきたときに発見。学校に連絡が周り、俺は何とか助かった。けど、学校から野球部が無くなった。ほとんどの奴がイジメのグループだったからだ。杉本が学校を辞めたと聞いたときには喜んだが、それも束の間という奴だ。

 俺は怪我の治療のために入院。一ヶ月ほどで退院できた。

 …俺は、野球を奪われて初めて人生に絶望した。兄貴の真似事で始めた野球は、俺の中で欠かせないものになっていた。欠かせないものなんてレベルじゃない。俺の身体の一部のようなものになっていた。事実、野球部がなくなったという話を聞いて、俺は喪失感に胸を襲われた。大切な何かを失ったような気分。それ以降、俺は一日中口を動かすことすらできなかった。

 退院しても、部屋に引き篭もり続けた。兄貴がいないから。こんなふうに、引き篭もった兄貴を知らなかったから。どうすればいいのかもわからないで、田神史明という着ぐるみを着ていた男は、田神良輔に戻っていた。

 田神史明じゃないから、俺は震えていた。怖かった。田神史明ではなくなった俺がこんなに臆病だなんて、思わなかった。

 何度か担任がやってきたが、それも五回程度で終わった。二回目の二年生を迎えた春――つまり今年で、俺は一番掛けてもらいたかった言葉を、新任だという教師に掛けられた。

「お前には夢がある。あの程度のことで夢を忘れてしまうのか」

 そう、俺には夢があった。プロ野球選手になりたいっていう。兄貴の夢は知らないが、これは本気で俺が望んだことだ。新任教師は、無断で部屋の扉を開けて、俺の世界へ侵入(はい)ってきた。悪い気はしなかった。

 ああ、この人は。この人は、田神史明の皮を被った俺を見ているんじゃない。田神良輔というひとりの人間を認めてくれているんだ。

 俺は話した。何があったのかを。兄貴の真似事をしていたことを。では、と男は笑った。

「お前と兄貴に格差をつければいいじゃないか」

「…格差…?」

「そうだ、ただひとつでも兄を越える何かを持っていれば、お前は田神史明の皮を被る必要はない。断言しよう、お前はこれから選ばれる。今まで何かを演じることで評価を得ていたお前は、選ばれることで己の価値を見出すことに成功しようとするのだ。わたしはその力をお前に与える術を持っている。さあ、目を瞑るんだ」

 言われたとおりに目を瞑る。暖かい掌が、俺の額を包み込む。

 瞼越しでも、男の手が発光しているのがわかった。俺は目を開きかけるが、すぐに中断する。足が後退しそうになるが、踏ん張って耐える。

 光が、俺の脳に挿入されるイメージ。脳のどこか、大切な部分に光は刺激を与える。刺激された部分は、扉を開かれたように、眠りかけの眼に直接閃光を当てたように、『覚醒』する。

 光が収まって、目を開ける。そこには、優しい笑みを浮かべたあの男が。

「これでその力は、お前だけのものとなった。お前は選ばれた、お前を舞台から引き摺り下ろした奴を排除しろ。お前は世界の代行者。お前と世界の利害が一致したときだけ、お前は代行者として働くことが許される」

 そういって、男は一本のバットを差し出す。

「代行の際にはこれを使用するといい。…明日、また来る」

 わけがわからない俺は、頷くしかなかった。

 その翌日、言葉通り教師はやって来た。オフクロが働いている時間を見計らって。俺を連れて、どこか森の奥へとやって来た。

「さあ、あのバットに力を込めるがよい」

 言われるままにする俺。最早コピーすることすらできない俺は、本当の意味で人形だったのかもしれない。男の言う通り、バットに力を込める。同時に、握力や腕力とは違うまったく別の力が、バットに集まっていることに気がついた。

 

 今だ、力を解き放て。イメージは拳銃だ。

 

 耳元で囁かれる言葉に従う。声は低いが、俺にとっては神の言葉とも取れた。

 イメージする。拳銃。発砲するためには、どうすればいい? トリガーを引くだけの話。頭の中で、ワルサーの引き金を引いた。

 …すると。バットの頭から、雷が飛び出した。後ろにいる男は、ほう、雷かと呟く。

「面白いな。雷というのは、『神が鳴る』という言葉から来たもの。まさしく、お前は世界の代行者というわけだ」

 愉快そうに笑う、天使なのか、悪魔なのか、それとも神なのかわからない男。

「その力はお前のものだ。どう使うかはお前次第だがな」

 

 どう使うか? そんなこと決まっている。けど、この力は未完成のものだ。とりあえず使うのは控えておこう。代行者といわれるだけで、俺はその気になった。兄貴の演技をしていたんだから、世界の演技も出来るだろう。

 そうだ、俺は世界なんだ。世界の考えていることは俺の考えていることなんだ。

 だったら要らない奴を排除しよう。要らない奴を徹底的に排除して、平和な世界を作り上げようじゃないか。まずは、俺をこんな目に遭わせた兄貴からだ。

 

 ――― ひとりめ、遠野大輔。

 兄貴に背丈が似ていたから、間違えて殺した。自転車に乗っていたところを、バットで驚かして、倒れたところを馬乗りになって殺した。あのバットは、あの奇妙な術を使うときだけにしておこうと決めていたから、殺したときに使ったのは、中学の頃に買った金属バットだ。最初、顔を見たときから兄貴じゃないって気づいていたけど、顔を見られたからとりあえず殺しておいた。身元が判明するのが嫌だったので、顔がわからなくなるほどグチャグチャになるまで殴り続けた。家に帰って、血だらけのバットは嫌だったので部屋に投げ捨てる。

 

 ――― ふたりめ、山崎啓介。

 代行者の力を、誰もいないはずの廃工場で練習していたところを、見つかったので殺した。代行者は影で活躍しなきゃならない。だから気づかれてはならない。そこで、連続で顔がわからない死体が発見されたら面白いかも、と思って、ゲーム感覚でこいつも同じように顔面を殴り続ける。

 

 ―― 三人目、山下友則。

 こいつも山崎啓介と同じ。廃工場ではバレる可能性が高いと気づいたので、雑木林で力の練習をしていたら見つかった。こいつの顔、どこかで見覚えがあるなあ、と思ったら、野球部で俺をイジメていた奴だった。だから殺した。イジメの首謀者である杉本健太郎の顔を思い出して、殺意が湧いた。

 

 ―― 四人目、杉本健太郎。

 山下の携帯電話から杉本に電話してゴミ処理場に呼び出す。抑えきれない殺意を、同じように顔にぶつけてやった。気がついたら死んでいた。ゴミ処理場に置き去りにしたのは、こいつがゴミだということを世間に知らしめたかったからだ。杉本が制服を着ていたのは、あいつは丁度、その日ゴミ処理場で仕事があったらしく、着替えて俺のところにやってきたってことかな。

 

 ―― 五人目、オフクロ。

 五人目といっても、実際にオフクロを殺したのは三番目辺りのはずだ。家の中で力の練習をしていたら、間違えて…オフクロはステーキになっていて、壁には傷がついてしまっていて、ヤバイな、と思った俺は、杉本殺害を機に家から出ることにした。もちろん、あの男からもらったバットを携えて。

 

 後で知ったことだが、オフクロ以外の被害者は、みんな零芯高校に通っていた連中ばかりだったらしい。だったら尚更よかったと思った。

 まだ、喜多村巴への想いは消えていないから。

 兄貴みたいな奴等がいたら、あの人は俺に振り向いてくれない。殺してよかったと今は思っている。

 この間、零芯高校の近くを歩いてたときだ。…兄貴がいた。兄貴が、零芯町に帰ってきていた。俺は歓喜した。一番要らない奴を排除できる。今まで葬り去っていた奴等も、結局はみな要らない奴等ばかり。代行者としての仕事は全うしていた。俺にとって一番要らない奴、それは兄貴だ。

 もうコピーは必要ないから。俺は「世界の代行者」っていう、大役を得ることができたから。…使い古しには消えてもらうしかない。

 そして。商店街を歩いていたとき。喜多村巴を見つけた。綺麗になっていた。俺は勇んで声をかけようとしたが、ダメだった。隣には、あの鳴海和広がいた。ふたりで手を繋いでいた。そこでわかった。喜多村巴は、もう田神史明に好意は持っていない。兄貴分である鳴海和広に対して恋心を持っていると。

 …わかった。兄貴を排除したら、次はあの鳴海和広を排除しよう。

 

 まさか兄貴と鳴海和広が、俺と同じような力を持っているとは思わなかったけど。

 だから今は、どうすればあのふたりを効率よく排除し、顔を潰すことができるのか考えよう――


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