ねむり姫
むかしむかし、ある国にそれはそれは美しい歌声を持つお姫さまが住んでいました。
お姫さまの歌声は、どんな怪我や病気もあっという間に治してしまう奇跡の歌声なのでした。
太陽のような眩い黄金色の髪に、広い空のような澄んだ青の瞳を持つお姫さまのほんのりとピンク色に色づいた唇から溢れてくる歌声は、聴く者の心までをも癒し、穏やかな気持ちにさせてしまうほど可憐で心地良い調べなのでした。
お姫さまが歌えば、森中の木々はさざめき、空は澄み渡り、動物たちが楽しそうにはしゃぎ、踊り出します。
また、その不思議な力の噂は、瞬く間に世界中に知れ渡り、お姫さまの癒しの力を求めて、毎日のように、お姫さまのもとへ、いろんな人々が訪れてくるのでした。
そんなお姫さまを王さまとお后さまは、何者からも脅かされないよう、お城の中で一番高い塔の中で、それはそれは大切に大切に育て、たいそう可愛がりました。
ある朝のことです。
お姫さまのもとへ怪我をした一匹の青い小鳥が訪ねてきて言いました。
「お姫さまお姫さま。あなたの美しい歌声で私の怪我を治してください」
小鳥は、その美しい片羽根から血を流し、ふるふると震えていました。
「お城の中で一番高い木の上で羽根を休めていたら、足を滑らせて落ちてしまったのです。その拍子に羽根を怪我してしまい、痛くて飛ぶことも出来ず、困っているのです。どうかお姫さま、助けて下さい」
心の優しいお姫さまは、その小鳥をかわいそうに思って怪我を治してあげたのでした。
「ありがとう。ありがとう。」
小鳥はうれしそうに飛び立っていきました。
あくる日の朝、今度は足を怪我した子猫が訪ねてきました。
「お姫さまお姫さま。あなたの美しい歌声で私の怪我を治してください」
子猫は、痛そうに足を引きずってやってきました。
「実は、お城の地下に住みついている鼠達を追いかけまわしていたら、柱で足をぶつけてしまったので
す。痛くて痛くて頭がどうにかなりそうなのです。お姫さま、どうかわたしを助けて下さい」
心の優しいお姫さまは、その子猫をかわいそうに思って怪我を治してあげたのでした。
「ありがとう。ありがとう」
子猫はうれしそうに駆け出していきました。
そのまた次の日の朝、今度は赤い目をした白い白いヘビが訪ねてきて言いました。
「お姫さまお姫さま。あなたはどうしてずっとお城の中にいるのですか」
心の優しいお姫さまは、はじめ、白ヘビが何を言っているのかよく分かりませんでした。
「だって、あなたの歌声はとても美しくて、世界中にあなたの歌声を聞きたいと思っているものたちがたくさんいるというのに、あなたときたら、王さまとお后さまの言いつけを守って、ずっとお城の中にいるのですもの。どうしてその美しい歌声を世界中の人々や動物たちに聞かせてあげないのですか」
白ヘビの言葉にお姫さまはとてもびっくりしました。
何故なら、お姫さまはお城の中から一歩も外に出た事はなくて、お城以外の世界があることを知らなかったのです。
白ヘビは、そんなお姫さまをかわいそうに思い、外の世界のお話をたくさん聞かせてあげることにしました。
「お姫さま。こんな話を知っていますか。遠い遠い海の向こうの国のお話です。その国ではすべてがお菓子でつくられていて、大きなお城もお城の側にある広大な湖も色とりどりのお家も全部キャンディーやビスケットでつくられた魔法の国なのです」
お姫さまは、目を輝かせて白ヘビの話に聴き入りました。
「でも、住んでいるのはこどもだけ。王さまもお后さまもみんな、大人は一人もいません。国中のすべての人たちが魔法使いの不思議な国なのです」
白ヘビは、外へ出られないお姫さまの代わりに、毎日毎日やって来て、一生懸命外の世界のお話を聞かせてあげるのでした。
「お姫さま、お姫さま。こんなお話はどうでしょう。大きな山をいくつも隔てた先にある、剣と魔法の勇者の国のお話です。その国に、銀の勇者と呼ばれる英雄がいました。ひとたび剣を振るえば敵うものは右におらず、魔法を使えばあっと言う間に敵を倒してしまう、とてもとても強い騎士でした」
「まあ、素敵ね。是非お会いしてみたいわ」
白ヘビがお話をすればするほど、お姫さまは手を叩いて喜び、もっともっととお話をせがむのでした。
「これは炎と雪の山に住む精霊のお話です。その山ではいつも火の精霊と水の精霊が喧嘩をしていました。毎日毎日懲りもせず喧嘩をしているうちに、とうとうその山は真っ二つに裂かれ、一方は轟々と燃 え盛る炎の山へ、もう一方は身も凍るほどに冷たい雪の山へと分かれてしまったのです」
白ヘビのお話に、お姫さまは小首を傾げました。
「まあ、どうして喧嘩をしているのかしら。喧嘩はダメだわ。早く仲直りしなくちゃ」
白ヘビのするお話はどれもこれも面白く、お姫さまの心はワクワクした気持ちでいっぱいになりました。
「そうだわ。どうにかして二人を仲直りさせてあげなくちゃ」
そこでお姫さまは白ヘビに言いました。
「白ヘビさん。白ヘビさん。私をお城の外へ連れて行ってください」
お姫さまの言葉に、しかし白ヘビは首を横に振るのでした。
「いいえ。かわいそうなお姫さま。あなたを連れて行くことはできません」
どうして連れて行ってもらえないのか分からず、お姫さまは首をかしげました。
「だって、ここからあなたを連れ出せば、王さまとお后さまにしかられてしまうのですもの」
そうです。
お姫さまのことをとてもとても大切にしている王さまとお后さまが、外に行くことを許してくれるはずがありません。
でも、一度でも、外の世界を想像してしまったら、お姫さまはもう、早くお城中から出たくなってうずうずしはじめました。
窓から見える広大な空は青く、お城の周りは緑豊かで、城下に広がる町並みは色とりどりに輝いてみえるほどに壮観で、お姫さまの好奇心をくすぐるものばかりです。
お姫さまは一生懸命考えて、言いました。
「では、お父さまとお母さまに見つからなければいいのではないかしら」
お姫さまは、名案を思い付いたとばかりに手を叩いてはしゃぎました。
「ねぇ、白ヘビさん。お願いです。たった一度だけでいいの。私をここから連れ出して下さい」
はじめは渋っていた白ヘビも、お姫さまの懸命な説得に、ついには首をたてにふってしまったのでした。
「だけど、お姫さま。気をつけなくてはいけないよ。外の世界はお姫さまの知らない危険なことがたくさんあるのだから」
白ヘビはとても心配そうに言いましたが、お姫さまは大丈夫、と言ってニッコリ笑うのでした。
お姫さまはどうやって外に出ようか必死で考えて、結局、窓から出て行くことに決めました。
でも、お姫さまのお部屋はとてもとても高いところにあったので、お姫さまは仕方なく真っ白なシーツを裂いて三つに編み、窓から地上へと垂らしました。
そして、それをつたってどんどん下へ降りていきました。
ちょうど真ん中くらいに来たときです。
命綱だったシーツが、重みに堪えきらなくなって、真ん中からぷっつりと切れてしまったのです。
必死で腕を掴もうとした白ヘビの努力も虚しく、お姫さまは地上へとまっさかさまに落ちていきました。
「ああ。なんてかわいそうなお姫さま。あなたの歌声は世界中の全ての人々の怪我を癒すことが出来るのに、あなたの怪我を癒してくれる人は一人もいない」
白ヘビはそう言ってぽろぽろぽろぽろと涙をこぼしたのでした。
そうして、お姫さまは二度と目覚める事はありませんでした。