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肖像ジクソーパズル

作者: o-sumi

『肖像ジクソーパズル』


 石段をひとつひとつ登っていく、振り返れば山に抱かれた盆地を一望できるのだろう。ふと足を止める、一瞬の逡巡、自分が現世から遠ざかっているような錯覚を覚え、それがあながち間違っていないことを認識する。

 僕は今、盆地から丘まで続く石段をあがっているところだ。いつもなら登り切った所にある公園を遊歩して帰るが、今日は違う。半年ほど前に亡くなった仕事の先輩に会いに来たのだ。先輩がいなくなった事実は僕の心に喪失感という穴を穿っていた。だから、その穴を埋め合わせるために、あの世とこの世の接点に僕は向かっている。

 平日の昼過ぎ、母子連れくらいいるかと思った公園には、ぽつんと人が一人。少女だった。ベンチに腰掛けている。十代半ばぐらいだろうか、髪を肩あたりで揃え、白地のシャツにダークブラウンのカーディガンを羽織り、チェックのスカートとハイソックスから白く小さな膝が覗いている。長い石段を登り終えて、ベンチで足を休めるのがお決まりのパターンだったのだが、先客がいては仕方ない。ベンチを横目に通り過ぎようとした。

「あのっ」

一瞬、目が合い、その少女は思い切ったように声を掛けてきた。

「この近くに、△△霊園があると思うんですけどっ、どこにあるかご存知ですか」

墓参りに少女が1人、場所を知らないということは初めて来たのだろう。何か訳がありそうだが、詮索はしないでおこう。

「あぁ、結構分かりづらいんですよね。すぐそこですから、一緒にどうですか」

△△霊園というのは、今いる公園から数百メートル程のところにある霊園で、人の往来から隠すように杉が立ち並んでいる。少女はベンチから立ち上がり、スカートに付いた土埃を軽く払って寄って来る。僕は先導するように歩き出す。

「あの、すいません。わざわざ」

「いや、大丈夫ですよ。その霊園の脇を通るつもりだったから」

「そうなんですか」

「それに、もういくらでもゆっくり出来る人だし。・・・仕事の先輩に会いに来たんだ。仕事で行き詰ってね、何かヒントでも、いや、喝を入れてもらいに、が正しいかな」

少女は小首を傾げながら、こちらを見上げている。独白混じりの返答に、どう応答したものか分らない、そんな感じだ。ふと、思った。今のこの状況は傍から見たらどうだろう。僕は今年三十路を迎える、外見的に青年と言えなくもないが、年端も行かぬ少女を連れ添い公園を歩くというのは体裁が悪い。

「私は・・・」

「え」

不意の少女の声に少し焦る。いや、やましいことをしている訳じゃないのだから焦る必要はないのだが。

「私は、親戚のお姉ちゃんに、謝りに来たんです」

唐突な告白だった。

「お姉ちゃんは、すごく立派なことをしていたのに・・・。親族中から認めてもらえなくて・・・」

それは、本当に独白だった。聞かせる相手は自分自身。語気の弱さは聴き取るのに労するほど。

「私は、尊敬していたけど・・・。言えなくて・・・」

俯いて、ぽつりぽつりと口からこぼれ落ちていく。いっぱしの文章書きなら、そのさまをなんと例えるだろう。寄る辺なく落ちる雪、だろうか。

「みんなから認められないまま、いなくなっちゃって・・・。そんなの、可哀相過ぎるから・・・」

季節は春を迎えている、時節には合わなかった。耳に届く少女の声に、真剣に聞き入ってはいけない気がしていた。独白だと思い込んだら、自分が盗み聞きしている様に思えたから。

**

杉林が見えてきた。アスファルトで舗装された遊歩道から外れて、剥き出しの砂地になっている小道へ入る。

「えっ、えっ、こんな所通るんですか」

「分かりづらいだろ。右の方をよく見てみると、霊園を囲う壁が見えると思うけど」

少女は背伸びしながら確かめる。

「ホントだ。一瞬人気のないところに連れ込んで危ないことされるんじゃないかと思って、ヒヤッとしました」

ははは、それはシャレにならないなぁ。心の中で笑っておく。

「実際、そういう可能性もあるから、簡単に知らない人についてったらいけないよ」

「え~、案内してくれるって言ったの・・・え~と、あっと・・・あのお名前なんていうんでしたっけ」

でしたっけも何も自己紹介をしていなかった。まあ、案内するだけなら必要はなかったんだけど。

「僕はミシマ アキヒト。」

「ミシマさん、ミシマさんっと。私はヒトエっていいます」

一重まぶたの一重だろうか。

「紙一重の一重なんですけど、男子によくカズシゲって呼ばれてバカにされるんです。」

「・・・なるほど」

「なるほどじゃないですよ、ホント小学生みたいでバカみ・・・」

「ああ、そういう意味じゃないんだ。僕は一重まぶたの方だと思ったから」

「・・・んっと、それって字同じですよね」

「ああ、紙一重の方できたから、なるほど表現一つ取ってみてもまさに紙一重だな、と」

「ぷっ、誰も上手いこと言えなんて言ってないですよ」

 おもしろい人ですね、と少女、ヒトエ・・・さん、というのも変だからちゃん付けにしておこう。ヒトエちゃんが笑う。出会って本当に間もないが、まっすぐで人懐っこい性格であることは推し測ることができた。僕自身、根が結構ラフだから、会話でどうでもいいことを摘んで返すタイプと会話するのは性に合っていた。

せめてひらがなだったら、と彼女が洩らしている内に小道は終わり、杉林に囲まれた霊園が視界に広がる。

***

 霊園は公園同様に人気がなかった。肌に感じる雰囲気は公園のそれとは質が違う。それが僕自身が霊園に対して持っている先入観のせいかは分からない。

 少し強めの風が吹き、杉林をないでいく。ざざざ、ざざざ。どこからか葉が擦れる音が聞こえる。ざざざ、ざざざ。海辺から水平線を見るような途方もない感覚が押し寄せる。暖かいはずの風は、視界に入る墓石や砂利による灰色のイメージで寒々としたものだった。僕もいつかはここで眠るのだろうか。寒気を覚える。まるで空の浴槽に横たわり、冷水を張っていくような、じわりじわりと体温を奪う寒気だ・・・。

「ミシマさんっ」

 袖を引っ張られていた。霊園の入り口で立ち止まったままだったのだから当然か。どれだけ呆けていたのか、ヒトエちゃんが心配そうにこちらを覗き込んでいた。

「どうかしましたか、私、ここまででいいですって言ったんですけど・・・」

 全然聞こえていなかった。

「ごめん、少しぼうっとしてた。初めて来たんだろ、場所は分かるのかい」

「ぅうんっと、多分・・・」

 ここまで付き合ったのなら最後まで面倒をみるのが筋だろうか。

「一緒に探そうか」

「え、いいですよっ。もう十分です。ミシマさんは、先輩さんに会いに行かなきゃなんでしょ」

 僕は一拍置いて口を開く。

「先輩はね、半年前に亡くなってるんだ。紛争専門のジャーナリストで、中東とか飛び回って忙しくしてたけど、今はゆっくり眠ってるから、いくら待たせても大丈夫」

「・・・」

 彼女の口が少し開いた気がした。顔を見て話しているのに、彼女の瞳は空から言葉を探すように僕を透かして遠くを見ていた。

 先輩のお墓のある第二区画はここより少し大きいが、先輩の苗字は先輩自身も自慢するほど珍しいものだったから探すのにそんなに時間はかからないだろう。前に一度来ているし。

「まあ、僕のことはいいんだ。探すの手伝うからさ、親戚のお姉さんだっけ、名前はなんていうの」

「はい・・・。ナカシュク、ナカシュク メイコっていいます。・・・珍しい、苗字ですよね」

 確かに、珍しい苗字だった。そりゃ自慢したくもなるよな先輩。ヒトエちゃんも僕のこぼした言葉から、ある程度の推測がたっていたのだろう。伺うように僕を見ていた。

****

 僕とヒトエちゃんは霊園の第二区画に向けて砂地の小道を戻っていた。ヒトエちゃんは霊園の名前までしか聞いてこなかったのだろう。△△霊園は第一区画と第二区画があり、単に△△霊園と言った場合は第一区画を指すのが地元ではある種決まりのようなものだった。 謝りに来たと言っていたが、いまいち彼女がここに至るまでの経緯が見えなかった。

「お姉ちゃんは、もともと戦争なんて見るのも聞くのも嫌な人だったんです」

「そうだね、優しい人だった。灰汁あくのない読みやすい記事を書く人だったから、出来れば国内で、落ち着いて読めるものを書き続けて欲しかったけど」

「お姉ちゃんは安穏とした生活に甘んじているのが嫌だったのかも知れません。私がお姉ちゃんとよくお喋りしてたのは、お姉ちゃんが戦争ジャーナリストに転向するまでだったけど、その間際に言ってたんです。戦後60年以上経って、日本は戦争を知識としてしか知らない国になろうとしてる。戦争を題材にした映画やゲームが出回って、本当の戦争を、知識としてすら知らない国になってしまうって。そうかも知れないって私思うんですよ、ニュースで外国の戦争とか紛争とかやってても、なんか現実味ないし、なのに見てると痛々しかったり、その、興味なかったりするから、チャンネル変えちゃったりして、でもそのくせ話題になった戦争ものの映画とかは観るんですよ。お姉ちゃんの話を聞くまで戦争の『本物』とか『偽者』なんて考えたこともなかったから、『本物』を伝えようって志したお姉ちゃんは、すごいと思ったんです。周りからどんなに反対されても、じっとしていられなかったお姉ちゃんは」

 一息に話すヒトエちゃんの姿から先輩に対する敬意が見て取れた。先輩は人当たりは柔らかいのに、芯が強くて、彼女に目をかけてもらって手伝った仕事では僕はぐいぐい引っ張られている印象があった。本来なら師匠とでもいうべきなのだろうが、憧れの『先輩』という感じだったのだ。

「先輩は根がまっすぐしていたから、そういうことに気付いちゃうと曲げられなかったんだと思うよ。現実があまりに重過ぎるから、作り物でその空気を伝えようとすることが不謹慎な気がしたんだと思う。少し、分かるかな、その気持ち・・・」

 交互に差し出され砂地を摩る足、その音だけがいやによく聞こえた。

 何か他の話題は・・・。

「っぷ、そう言えば、愚痴みたいによくこぼしてたのが結婚の話だったな。適齢期過ぎてるのに結婚どころか恋人すら作らないで仕事ばかりしてるから、親に口煩くされてたって」

「あ、それウチのお母さんも言ってました。全然結婚しないけど大丈夫かしらぁって。それが親族集まっての場だったときがあって、お姉ちゃん集中砲火にあって可哀そうだったなぁ」

 ヒトエちゃんの方でも空気を変えようと思ってくれたのか、明るく同調してくれた。だから僕も明るく声色を作って返す。

「女性が適齢期に結婚しなくちゃいけないなんて考えは旧時代的よ、そういう発想が女性の社会進出を遅らせた、女性のタフさはもっと評価されるべきだわ、とかよく酔った勢いで熱弁ふるってた。半世紀早く生まれてたら絶対社会運動に参加してたね」

「あはは、政治家になってたかも知れませんねっ」

「うん。どちらにしろ、すごく、自分がいる世界っていうか、世の中に対して真摯的だった」

 砂地の小道から抜け、アスファルトで舗装された遊歩道まで戻ってきていた。

 不意に不思議な気分が広がった。偶然出会った少女と先輩の話を交互にしている。『先輩』という今はもういない人を、そのイメージを二人で組み上げていくような錯覚。なんだか、一つのジグソーパズルのピースを二人で分けて持っていて、交互にピースを埋めていくような、少し可笑しくて微笑ましいイメージが浮かんだ。

*****

 霊園の第二区画。ヒトエちゃんが率先して周囲の墓石の名前を確かめていく。

「あっ、ありましたよっ、ミシマさん」

 ここです、ここですと、十メートルも離れていないのに手を高く振って知らせてくれる。墓石の前に立つ二人を先輩はどんな風に見るだろうか。可笑しなツーショットだと笑うだろうか。ゆっくりと歩いていき、ヒトエちゃんの隣で止まり、先輩の眠るナカシュク家の墓を見つめる。

 ぞくり、と、した。寒気が走る。身震いする。

 一瞬、自分が何をしに来たか分からなくなりそうだった。不意に視界にヒトエちゃんの腕が入ってくる。墓石に触れる。

「冷たい・・・」

 きっと、彼女も同じものを感じたのだろう。そう、この寒々とした霊園で冷たい石の下に先輩が眠っている、そのイメージは、あまりにかけ離れているのだ。僕ら二人が組み上げた、ナカシュク メイコの肖像と。

「っ・・・。ミシマさん、やっぱり違いますよ・・・。こんな、人の温もりのないところに・・・」

 彼女の肩が震えていた。

「ミシマさんは、知ってましたか。このお墓にはお姉ちゃんの遺骨は入ってないんですよ」

 知っている。先輩の遺体が故郷に返っていないことを知っている。現地で起きたテロを収めた映像に、無心にカメラを構える先輩が映っていて、近くの人だかりが一際大きくざわついて、直後、爆炎と轟音とノイズが画面いっぱいに広がって、冗談みたいに先輩を飲み込んでしまった。その映像が届いたのがテロがあってから暫くしてからで、その時被害にあった遺体はすべて一緒くたに処分された。

「ヒトエちゃん、言いたいことは、すごく、よくわかるよ」

 こんな体温を持ち合わせていない石の塊が現実なら、二人が組み上げたジグソーパズルはまさしく理想だ。そんなおかしな話はない。理想なんかじゃなかったんだ、少し前までは、現実だったんだ。僕の中で、停滞していた感情が流れ出した。

「お参りして、帰りましょう、ミシマさん・・・」

 目を閉じて、手を合わせる。自分たちのしている行為は何なのだろうか。結局、生きている人間の自己満足なんじゃないか。ヒトエちゃんと会って話しをしなかったらこんな風には思わなかった。ここに冷たい墓石があるのは当然で、何の疑問もなく、墓石に向かって「先輩」と話しかけていたはずだ。ここに先輩がいると思ったこと自体、間違いだったんだ。僕らと先輩を繋ぐ媒介はここにはない、知っていたはずなのに。

******

 墓参りを済ませ、僕とヒトエちゃんは霊園を出た。ヒトエちゃんは電車で来たと言うので駅まで送ることにした。

「何もお墓じゃなくていいと思いませんか」

「ああ、先輩に限っては言えるね。あんな狭いところにじっとしていられる人じゃない」

「ですよね、むしろその辺を忙しそうに駆け回ってるくらいが丁度いいですよ」

「はは、永眠とは程遠いな」

 丘と盆地を繋ぐ急勾配の石段を二人で降りる。とり止めもない会話を転がしながら一望する盆地は、いつもより晴れやかな眺めだった。

 本当に、今でも先輩はどこかを駆け回っているような、そんな気がしてしまう。そして、こうやって話していると、先輩の元にまで僕らの声は届きそうな気がした。

「なんか、ミシマさんと話してから、以前よりもお姉ちゃんを身近に感じてる、そんな気がします」

 変なの、と笑う少女の目じりには涙が溜まっていた。そして、「立派だったよ」と小さな唇が震え、残り数段の石段を軽快に降りていく。春風が優しく、僕らを撫でていった。

 彼女の声も、きっと先輩に届いただろう。

 僕らは先輩がいなくなって、『先輩』に対して何かを喪失していた。けれど今はその、漠然とした寂寥感を感じない。欠けていた何かが代替となる何かで埋め合わされている。それは、少し可笑しくて微笑ましい共同作業だったと思い至る。

 先輩はもういないけど、ちゃんと辿り着けるようにピースを残していってくれた。


 自己満足でも構わない。生きている僕らと死んでしまった先輩を結ぶものは、共有してきた過去だけだから。過去を通して、今を投げかける。届くはずだ、今の僕らは、ちゃんと『先輩』を見つけられている。

 ヒトエちゃんが柔らかな笑顔を湛えている。僕もそれに倣った、先輩に合わせる顔に、これ以上のものはないと思ったから。


 きっと僕らは完成することが出来たのだ、大切な人のジグソーパズルを、その肖像を―――。

        

 『肖像ジグソーパズル』 END

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