弱人大覚醒
唖然とするコルネオとヒロユキ。
だが、タカシはそんなことにはお構い無しだ。
吠えているコボルドたち……そのボスの方を向き――
「コボルドのボス! ええと……奪った荷物を返せ! でないと軍隊が乗り込んでくるぞ!」
開いた口がふさがらないとは、この事だろう。
タカシはボスに向かい、身振り手振りを交えながら日本語で話しかけているのだ。
確かに、この世界に来てニャントロ人やコルネオ相手には、日本語が通じている。それを不思議だと思う余裕すらなかったが。
しかし、ゴブリンには通じなかったのだ。まして、今のボスとコルネオの会話で使われた言語は、明らかに違う種類のものだ。
なのに……この男は何をやっている?
ヒロユキは気が遠くなり、今にも倒れてしまいそうな感覚に襲われた。
何だこの人は……。
本物のキチガイだったのか?
とにかく、この場を何とかしないと……。
ヒロユキはギンジに、助けを求める視線を送るが――
ギンジは、事の成り行きを黙って見ている。
その間にも、タカシの奇行は続く。
「なあ、荷物だよ荷物! あの行商人から奪っただろうが! 傭兵を皆殺しに――」
突然、ボスが吠えた。
耳障りな声を上げながら、タカシに詰め寄る。
いや、詰め寄るというよりも……
タカシに訴えている、といった方が正しいだろう。
そして……タカシは黙ったまま、ボスの訴えを聞いている。
やがて――
「ギンジさん……コボルドのボスはたぶん、こう言ってますね。『身に覚えがない。お前は何を言ってるんだ?』と」
「な、何を言ってるんだ……ギンジさん、あんたは……こんな男の言うことを信じるのか?」
怯えた顔で、それでも笑みを浮かべようとするコルネオ。
しかし――
「すまないが……オレはタカシを信じるよ」
ギンジの冷酷な声。
ヒロユキは……何も考えられなかった。
状況が全く飲み込めなかった。
いや、飲み込みたくなかったのだ。
え?
何を言ってるの……。
コルネオさん?
「コルネオさん……初めからおかしいと思ってたんだよ。傭兵を皆殺しにするような集団に襲われたのに、あんたはかすり傷程度しか負ってない。しかも、逃げるのに成功している。あんたの年齢と体型で逃げきるのは無理があるだろう。さらに、あんたはニャントロ人たちの殴り込みには反対しなかったのに、オレたちの殴り込みには反対した。どう考えても変だ。だから……確かめてみたのさ。ついでにタカシの力も、な」
そう言いながら、ギンジは笑ってみせる。
しかし、目は笑っていなかった。
「ちょっとギンジさん……ボスの奴、かなり頭にきてますよ。下らねえ因縁つけやがって! この落とし前はどうつけるんだ、みたいな……どうします?」
タカシは困った顔で、ギンジをつつく。
ギンジがボスの方を見ると――
ボスは怒りを露にし、ギャアギャア耳障りな声で吠えている。
その取り巻き連中も殺気立っていた。今にも襲いかかって来そうな雰囲気だ。
「タカシ、ボスに言ってくれ……ケジメは取る、ってな」
ギンジは、拳銃をコルネオに向けた。
コルネオは何のことか分からず、戸惑いながら後ずさりしている。
タカシは身振り手振りを交えながら、コボルドたちに日本語で説明している。
コボルドたちは耳障りな声で、ギャアギャア吠えている。
ヒロユキは、思わず叫んでいた。
「コルネオさん!」
洞窟内に響く銃声。
次の瞬間、崩れ落ちるコルネオの体……。
ギンジの銃弾は、正確にコルネオの眉間を貫いていた。
静まり返る洞窟。
コボルドたちは当然、銃の事など知らない。
しかし野生の本能で、何が起きたのか瞬時に察したのだ。
コボルドたちの顔に、はっきりとした恐怖が浮かんでいる。
「タカシ……こいつらに言ってくれ。あんたらに罪を着せようとしたコルネオは、オレが始末した。これで用は終わりだ。オレたちは引き上げる、と」
タカシは、その言葉をそのまま日本語でコボルドたちに伝えている。
すると、ギャアギャアと耳障りな声で答えるコボルドたち。
ある意味、シュールな光景である。
だが、ヒロユキは……
コルネオの死体から、目が離せなかった。
コルネオは死体となった今でも、何が起きたのか理解していないようだった。その顔は、何かを言いかけた表情のまま硬直している……。
「黒沢タカシ……噂には聞いたことがある。南米のゲリラ相手に、ヘラヘラ笑いながら日本語で交渉して、人質を解放させちまったキチガイみたいな貿易商がいたってな。しかし、まさかあんな生き物を相手に、意思の疎通ができるとは……噂以上だな、お前は。なあ、何であんなことできるんだよ?」
「それは……企業秘密ですね」
帰り道、話しながら歩いているギンジとタカシ。
だが、ヒロユキの足取りは重かった。
(君は真面目で心優しい少年だ。あんな連中と関わっちゃいけない)
コルネオの言葉を思い出す。
あの人は、そんなに悪人だったのか?
死ななきゃいけないことをしたのか?
ぼくは……。
「ギンジさん……なぜ、殺したんですか?」
気がつくと、そんな言葉が出ていた。
二人はその言葉に反応し振り返る。
「ヒロユキ……」
「あの人を殺す必要があったんですか?!」
ギンジに詰め寄るヒロユキ。
だが、タカシが割って入った。
「ヒロユキくん、ギンジさんは悪くないよ。あの状況では、最善の手だった。少なくとも、私はそう思う。拳銃でコルネオを撃ち殺した……あの行動でコボルドたちを怯ませ、戦意を無くさせたんだ。でなければ、我々に襲いかかってきたかもしれないんだよ」
普段の態度とはまるで違う、真面目な表情で語るタカシ。
だが――
「あの人を……コルネオさんを殺す以外の選択はなかったんですか?!」
ヒロユキは納得せず、食い下がる。
ギンジは上を向き、ため息をついた。
「ヒロユキ……あいつは悪党だ。殺されても仕方ないくらいのな――」
「そんなこと、あなたにわかるんですか! あなたは、コルネオさんの何を知っているんですか!」
「じゃあ逆に聞こう。お前はコルネオの何を知っているんだ?」
「それは……」
ヒロユキは答えに窮し、口ごもる。
「なあヒロユキ……ここじゃあ、命なんて安いもんなんだよ。ここは日本じゃない。人の命なんかゴミクズ以下だ。人を殺しても、警察に捕まったりはしないんだぜ――」
「そういう問題じゃないだろうが!」
ヒロユキは突然、凄まじい勢いで怒鳴りつけた。
「ぼくは……どんなに惨めでも……どんなに無様でも……生きたい! 生きていたいんだ! 人間の生きたいと思う気持ちに……世界は関係ないだろうが! みんな同じだろうが! その気持ちは貴いものなはずだろうが! それを……あんな簡単に奪っていいはずはない!」
「それがお前の考えか……つくづく甘い奴だな、お前は。だったら失せろ」
そう言うと、ギンジは拳銃を抜いた。
そして、ヒロユキに銃口を向ける。
「オレたちは、この世界から脱出する。そのためには、どんな手段でも使うし、何人でも殺す。タカシもカツミもガイも、その点は同じだ。それがオレたちのやり方だぜ。悪党のやり方だ……それが納得できないのなら、消えろ。ここから先は一人で行くんだな。オレたちと一緒に行くなら……二度とそんな口を聞くな。今度そんな口を聞いたら、オレはお前を撃ち殺す」
「……」
「どうするんだ、ヒロユキ……今すぐ決めろ。オレたちと一緒に行くか、ここでオレたちと別れるか。さっさと決めてくれ」
ヒロユキは無言のまま、銃口を見つめる。
やがて反対側を向き、歩き出した。
「そうか、それがお前の出した答えなんだな……好きにしろ」
ギンジの声。
ヒロユキは歩き出したが――
ギンジの暖かい言葉。
カツミの罵声。
タカシの軽薄な言葉。
そして……ガイの無言の優しさ。
みんな、ぼくに色々なものをぶつけてきた。
人間の感情だ。
(彼らは……人間のまま怪物になってしまった者たちなんだ)
違う!
怪物なんかじゃない!
みんな人間だ! 人間なんだよ!
彼は立ち止まった。
そして振り返り、ギンジの顔をじっと睨みつける。
「ヒロユキ……どうするんだ?」
冷酷な口調のギンジ。
「ぼくは……皆さんと行きます。皆さんに付いて行きます……付いて行かせてください」
「そう……それがいい。ヒロユキくん、私たちと一緒に行こう」
タカシが笑みを浮かべて近づいたが――
「ぼくには……この世界の知識がある! こんな世界だからって、虫けらみたいに人を殺していいはずがないんだよ! ぼくはこの先、自分の……この世界の知識をフルに使う……あなた方に人殺しはさせない!」
「ヒロユキ――」
「あなた方は怪物じゃない! 人間のはずだ! ギンジさんもタカシさんもガイさんもカツミさんも……みんな、ぼくを助けてくれたじゃないですか! ぼくみたいな足手まといのクズを……そんな……そんなあなた方に人殺しなんかさせない! 誰にも怪物だなんて言わせない!」
ヒロユキは何かに憑かれたかのように、喋り続けていた。
しかし――
「だったら連れて行けないな。オレたちにはオレたちのやり方がある。お前は無理だ」
ギンジは冷酷な態度を崩さない。
その言葉を聞き、ヒロユキの顔がさらに歪む。
「ぼくは……あなた方に付いて行く。それが嫌だったら……この場でぼくを撃ち殺してください……コルネオさんみたいに」
「ちょっとヒロユキくん……ギンジさんは本当に撃つよ」
口を挟むタカシ。
だが、ヒロユキには引く気配がなかった。
「ぼくは決めたんだ……あなた方と一緒に行くって! この決断だけは……この世界の全ての国を支配するような……そんな魔王や権力者が現れたとしても……ねじ曲げられないんだよ! ねじ曲げるくらいなら……死んだ方がマシだ!」
恐怖、怒り、哀しみ、そしてプライド……形容のできない、様々なものが入り交じった感情に襲われ、涙を流しながらヒロユキは叫んだ。
その時、彼は確かに感じていた……。
凄まじいまでの恐怖と……相反するかのような、恍惚感を。
血が沸き立つような感覚を。
自分の……生を。
そして、自分が変貌していく瞬間を。
目を閉じた。
「そうか……そんなに死にたいなら、一思いに殺してやる。苦しまずに死ねるようにな」
額に当たる、ひんやりとした感触。
銃口。
コルネオの最期の瞬間が脳裏に甦る。
ギンジさんは、ぼくを殺すのか……。
いや、間違いなく殺される。
つまらない人生だった……。
ぼくは生きていたかった……どんなに無様で惨めな人生であっても。
でも……。
死ぬよりも、ずっと嫌なこともあるんだね。
初めて知ったよ、ギンジさん。
カツミさん、あなたは……怖かったよ。でもあなたは、ぼくをいじめた連中とは違ってた。
タカシさん、あなたは……面白かった。あなたのおかげで、楽しかったよ。
ガイさん、本当にありがとう……あなたには恩返ししたかったけど、出来そうもないよ。ごめんね。
「……止めた。弾丸がもったいない」
ギンジの声。
そして、銃口が離れる感触。
ヒロユキは目を開けた。
ギンジは何を考えているのかわからない、つかみどころのない表情でこちらを見ている。
「ヒロユキ……付いて来たけりゃ好きにしろ。だがな、カツミはオレみたいに甘くないぞ。奴はヤクザだ。お前が今みたいな態度をとったら……覚悟しとくんだな」
その瞬間――
ヒロユキは崩れ落ちる。
そして、意識が遠のいていった。
「そんな事があったのか……こっちも色々あったが、そっちも大変だったな」
カツミは縛り上げた男たちを小突きながら、ギンジに言う。
「しかしギンジさん……あんた凄いな。初めからわかってたのかい」
ガイの不思議そうな声。
「いいや……念のためだったが……まさか、ここまで最悪の方向に転がっていくとはな」
ギンジたちが出かけて間もなく……
ケットシー村は、襲撃を受けたのだ。
武器を持った十数人の男たちの強襲……しかし、ガイとカツミはあっさりと撃退、そのほとんどを生け捕りにした。
そして話を聞いてみると――
コルネオが全ての計画を立てたと言うのだ。
コルネオの計画では、気の良いニャントロ人たちとコボルドたちを戦争させ、その隙にケットシー村を襲い、女子供たちを奴隷として売り飛ばすはずだった。ニャントロ人の奴隷は最近、高く売れるのだという。しかし、ギンジたちの存在が全てをぶち壊した。
「ニャントロ人たちは、みんなショック受けてるよ。コルネオとは十年以上の付き合いだったらしいんだ。なのに……」
そう言うガイも、若干ではあるがショックを受けているようだ。
「裏稼業やってりゃ、よく聞く話だよ。金が絡めば、親でも売る奴はいるんだ……にしても、あのヒロユキがそんなことを言ったのか……」
カツミは感心したような表情だ。
「いやあ、凄かったですよ……ヒロユキくんは、拳銃構えてるギンジさんの前で『ねじ曲げるくらいなら、死んだ方がマシだ!』って……まあ、その後は気絶しちまいましが。運ぶのに苦労しましたよ」
ヘラヘラ笑いながら、肩を回すタカシ。
「もしかして……ヒロユキの奴、覚醒したかもしれないな……奴と組めば、オレももう一度、返り咲けるかもしれん……」
ギンジの意味ありげな言葉に、一同は顔を見合わせた。
そのヒロユキは、一人で泣いていた。
コルネオが悪党の親玉だったなど、聞きたくない話だった……。
(君は真面目な心優しい少年だ。あんな連中と、これ以上関わっちゃいけない)
「あんたは……嘘つきだ……」
某兄弟芸人のお兄さんのエピソードを聞いていたら、タカシというキャラが出来ました。こんな人、いるらしいです。