犬人大交渉
「ギンジさん……あんた、本気なのか? オレとカツミさん抜きの……たった四人で、そのコボルドとかいうのと交渉しようっていうのか?」
唖然としているガイ。
「ギンジさん……いくらなんでも、そいつは無茶だ。連れて行くのが、この三人だなんてヤバいだろ……」
カツミはそう言いながら、タカシとコルネオ、そしてヒロユキを示す。
正直、一番納得いってないのは……指名されたヒロユキ本人だった。
ほとんどのニャントロ人たちを家に帰らせ、今残っているのは、一行の他はチャムとコルネオの二人だけである。もっとも、チャムは既にイビキをかき、ヨダレをたらしながら眠っているが。
ガイとカツミは、夜のうちに奇襲をかけようと提案した。コボルドたちは荷物を奪い、上機嫌で巣に戻って戦利品を愛でているだろう。その油断しきっている隙をつけば、簡単に全滅させられるはずだ。
しかし、ギンジはその意見に反対した。
そればかりか、こんなことを言い出したのだ。
「オレとタカシ、コルネオさん……あとヒロユキの四人で、明日コボルドと交渉してみる」
ギンジは未だに納得いかない表情をしているカツミとガイに、諭すように語りかける。
「カツミ、それにガイ……お前らが強いことはわかってる。だからこそ、今回はお前らを温存しておきたいんだ」
「温存?」
カツミが聞き返す。
「そうだ。お前らの力は凄いよ。だからこそ温存したい。こんなザコどもと戦って、万が一にも、どこか痛めたり、刀に刃こぼれが出たりしたら……それに、幾つか確かめたいこともあるしな……だから、今回はオレたちに任せてくれ」
ギンジはそう言いながら、カツミの肩を叩く。
「だったら、せめてヒロユキとオレを交代させろ。オレが行く」
ガイは、なおも粘るが――
「いいか、オレはケンカしに行くわけじゃない。交渉しに行くんだ。交渉なら、お前よりオレの方が上だ。交渉の時の作戦として、ヒロユキみたいなのがいた方がいいのさ」
「けどな――」
「ガイ、お前にはニャントロ人を守ってもらいたいんだ。ニャントロ人は、オレよりお前らになついている。いざとなったら、お前らの方がニャントロ人たちを指揮して戦ったりしやすいだろう。だから、お前ら二人を残すんだ」
「わかったよ……」
ガイは不満そうな顔をしながらも、一応は承知して見せた。
「すまんな、ガイ。そして……タカシ、オレとお前が交渉役だ。コルネオさん、あんたはコボルドの言葉が話せるんだよな」
ギンジから不意に矛先を向けられ、コルネオは困惑の表情を浮かべる。
「ああ、少しは話せるが……私が行かないとダメなのか?」
「当たり前だ。あんたが行かなきゃ言葉が通じないだろうが。巣の場所だってわからないし……あんただって商人だろうが。商売の邪魔されて引っ込んでいるつもりか?」
語気鋭く、コルネオに迫るギンジ。
「わ、わかったよ……」
コルネオは明らかに不満そうな顔をしながらも、首を縦に振る。
「段取り完了ですな。いやあ、まさかギンジさんからのご指名が来るとは……ただ、私に何ができますかねえ……」
真面目な話が終わったと見るや、妙なテンションで喋り始めるタカシだったが……。
突然、カツミがギターケースを担いで持ってきた。
そして、皆の前で開けて見せる。
すると――
「うわあ! 何ですかこれは!」
「何だよ、こりゃあ……」
タカシとガイは、驚きの声を上げる。
ヒロユキも、あまりの光景に言葉が出なかった。
ギターケースの中には日本刀が入っている。
カツミがそれをどけて底板をいじくると、底板が外れた。
その下にあった物は――
大型のハンティングナイフ。
拳銃が二丁。
手榴弾が数発。
銃身を短く切り詰めたショットガン一丁。
そんな、物騒と呼ぶのも生ぬるいような代物が収納されていたのだ。
カツミは、その中から大型の拳銃を取り出し、ギンジに差し出す。
「ギンジさん、あんたなら撃ったことあるだろ。念のために持っていけよ」
しかし、ギンジは首を横に振った。
「気持ちは嬉しいが……そいつはお前が持ってた方がいい。第一、デザートイーグルはオレには大き過ぎるよ。弾数も少ない。オレにはこいつがある」
そう言って、ギンジは上着を脱ぐ。
ワイシャツの上に、拳銃の収納されたホルスターを装着している様が露になった。
ギンジはホルスターから拳銃を取り出し、カツミに見せる。
「グロックか……確かに、弾数も多いし扱いやすいよな。わかった。それならオレも安心だ」
カツミがそう言ったとたん――
「では、私めが」
さりげなく拳銃に手を伸ばすタカシ。
だが、その手はカツミによって払いのけられた。
「お前みたいな奴に渡したら、間違えてギンジさんやヒロユキを撃ちかねない。お前はマシンガントークでコボルドを撃退しろ」
そう言うと、カツミはギターケースの蓋を閉めた。
「カツミさん、あんた……んな武器持って、何しに行くとこだったんだ? 第三次大戦か?」
ガイが尋ねると、
「それはコマンドーだろうが。オレは……ただの鉄砲玉だよ」
カツミの冷静な声が返ってきた。
夜中。
全員、床の上で雑魚寝している。
しかし、ヒロユキはなかなか眠れなかった。
つい、いろいろと考えてしまう。
なぜ、自分がコボルドとの交渉に同行しなくてはならないのか。
そもそも、なぜ交渉などするのだろう。
そんな必要が?
皆殺しにすれば……
待てよ……ぼくは何を考えてる?
これはゲームじゃないんだ。
コボルドだって生きてるんじゃないか。ここのニャントロ人と同じだ。
話し合いで解決できるなら、その方がいい。
ヒロユキがそんなことを考えていると――
誰かの起き上がる気配がした。
そして、足音。
よく見れば、コルネオである。暗くて顔は見えないが、うっすらと見える体型で判別できる。
コルネオは一人、こっそりと外に出ていく。
月明かりを頼りに、ヒロユキも後を追った。
「コルネオ……さん」
ヒロユキは声を出す。
コルネオは、はじかれたように飛び上がった。
恐る恐る、後ろを振り向く。
「君は……」
コルネオの顔に、安堵の色が浮かんだ。
「コルネオさん、どうしたんですか?」
「い、いや……眠れなくてね」
曖昧な笑みを浮かべるコルネオ。
ヒロユキは少し迷ったが――
「コルネオさん、ぼくも眠れないんです。ちょっと……話しませんか?」
そして二人は、井戸のそばに並んで腰掛け、星空を見ていた。
「そうか……君たちは旅人なのか。私もあちこち旅をしているからね。大変だよ……特に近頃は、怪物の数が非常に多く、しかも凶暴化している。知り合いの行商人の中にも、怪物の餌食になった者がいるんだ。ところで、ヒロユキくん……だったね?」
「は、はい」
「君は……あんな連中と一緒にいちゃダメだ」
コルネオは厳しい表情をしていた。
「ヒロユキくん、私は彼らが何者かは知らない。しかし、一つだけわかることがある。彼らは間違いなく悪人だ。それも、とんでもない……私もこれまで、何人もの悪人を見てきたが、彼らほど恐ろしい連中を見たのは初めてだ」
「いや、あの――」
「単純に力が強いとか、そういうことを言ってるんじゃない。彼らは……人間のまま怪物になってしまった者なんだ。姿は人間のままだが、心が怪物化する……そういう人間がいるんだ」
「怪物?」
「そうだよ。君は彼らみたいになっちゃダメだ。彼らみたいに、心が怪物化したら……もう戻れないんだ。私にはわかる。君は真面目で心優しい少年だ。あんな連中と、これ以上関わっちゃいけない。でないと、君もいつか怪物になる」
そして翌日の昼。
ギンジたち四人は、コボルドたちの住処を遠く離れた場所から、身を隠しながら偵察していた。
「あれがコボルドですか……なんか、思ったより可愛らしい奴らですねえ」
タカシが呟く。
コボルドの住処は、岩山にできた自然の洞窟だ。入り口には百五十センチから百六十センチほどの、犬の頭をした人間としか表現しようのない生物が二匹、こん棒のような物を片手に立っている。間違いなく見張りだろう。
「さて……行きますか。コルネオさん、通訳頼むぜ。みんな付いて来い」
ギンジはそう言うと、立ち上がった。
そしてコボルドに向かい、ゆっくり歩いて行く。
その後ろからタカシとコルネオが続き、最後にヒロユキが恐る恐る付いて行くが――
一行の存在に気づいたコボルドは、奇怪なうなり声を上げた。
次いで、こん棒を構えて近づいて来る。
「コルネオさん、コイツらに言ってくれ。オレたちは争いに来た訳じゃない、ボスに会わせろと言ってくれよ」
ギンジの言葉に、コルネオは困った顔をしていたが、おずおずと口を開く。
見張り番とコルネオとの耳障りな言葉の交換。
そして――
「つ、付いて来いと……行っている……」
コルネオは緊張ゆえか、顔が死人のように青くなっていた。
そして一行は、洞窟の中に入っていく。
洞窟の内部は自然そのもののゴツゴツした岩場であるが、ところどころに松明が設置されている点が、わずかながらも住居らしさを感じさせる。
そんな中を、二匹のコボルドの後ろから付いて行くギンジたち。
ギンジは平然とした態度で、コボルドたちのすぐ後ろを歩いている。
タカシは相変わらず、ヘラヘラ笑いながら歩いている。さっきまでは、コボルドの横に並び、体をじろじろ眺めながら歩いていたため、ギンジに下がらせられた。
そしてヒロユキとコルネオは、真っ青な顔でおずおずと歩いている。特にコルネオは、松明の明かりでもはっきり判るくらい顔色が悪い。
やがて、大きく開かれた場所に出る。
そこには十匹を超えるコボルドがいたが、入ってきたギンジたちを見るなり、一斉に威嚇のうなり声を上げた。
しかしギンジたちを案内してきたコボルドが何やら吠えると、皆黙りこむ。
そして全員、洞窟の奥に消えていく。
ややあって――
のっそりと現れた、ひときわ大きなコボルド。身長は二メートルを超える。地面に着きそうなくらい長く太い腕、広い肩幅とたくましい胸板、妙に細い腰回り……全てにおいて、他のコボルドより化け物じみていた。
その周りには、絵に描いたような取り巻きのコボルドたちが、ギャアギャア耳障りな声を上げながらウロウロしている。
ギンジはその様子を見て、脇のホルスターから拳銃を取り出し、安全装置を外した。
タカシは……こんな状況でもヘラヘラしている。横で見ているヒロユキには、本当に頭がおかしいとしか思えなかった。
しかし、そんなことはお構い無しに吠えるコボルドのボス。
「コルネオさん、あいつは何て言ってる?」
ギンジはコボルドたちから目を離さず、コルネオに尋ねた。
「あ、ああ……何だか、ひどく怒ってる……」
コルネオは怯えながら、かろうじて声を出す。
「じゃあ、あいつらに言ってくれ。オレたちは争う気はない、奪った荷物を返してくれ、と。後は……この辺りの行商人には手出ししないでくれ、とな。そうすれば、今回は何もしない。だが、奪った荷物を返さないと、ここに人間とニャントロ人の軍隊を差し向けると……さあ通訳してくれ、コルネオさん」
「……」
ギンジに促され、コルネオは少しずつ、言葉を絞り出していく。
コルネオのたどたどしく発せられる言葉に対し、耳障りな声が返ってくる。
奇妙な言葉の応酬。
ヒロユキはどうしていればいいのかわからず、ふと横のタカシを見ると――
微妙にではあるが、表情が変わっていた。
ヘラヘラ笑いは相変わらずだが、目つきがさっきまでとは違うのだ。
どこか、真剣さを感じさせる目になっている。
そして、ボスの動きや表情をじっと観察している……ように見えた。
コルネオとボスの会話らしきものは続いている。
コルネオがゆっくりと言葉を発し、ボスがわめきちらす、という状況だ。正直、交渉がはかどっているようには見えない。
その時――
「ハイハイ! もう止め止め!」
突然、タカシが叫びながら前に進み出たのだ。
そして――
「コルネオさん、あんた……さっきから変な事ばっかり言ってるね。あんたは通訳失格! 選手交代だ!」