魔人大遭遇
ハザマ・ヒデオは昼過ぎに目を覚ました。ベッドから起き上がり、テレビを点ける。そして、手近な場所にあったスナック菓子をボリボリ食べ始めた。
それにしても、この体は本当に不思議だ。どんな傷を負っても、たちどころに再生する。ただし、食事と睡眠の必要はあるらしい。食べなければ腹は減るし、時間が経つと眠くなる。一度、食べなかったらどうなるのだろう、と絶食を試みたことがある。すると、強烈な飢えに襲われ……一日ももたず、ハザマは絶食をやめてしまった。どうやら魔法が使えるようになり、そして傷の治癒能力が高まったからといって、完全に不死身となったわけではないようだ。どうやら、RPGでいうところのマジックポイントのようなもの……そのMPを補給するのに、食事と睡眠が必要なようだ。代わりに、そのMPが残っている限り……体が細切れになっても再生出来るようだが。
ハザマはスナック菓子をボリボリ食べながら、テレビ画面を見つめる。つい二年ほど前までは、自分もテレビカメラに撮影される側の人間だったのだ。シンデレラボーイともてはやされて、世間の注目を集め……それが今では、ただのニートである。世間は自分のことなど、とうに忘れているのだ。
もっとも、それこそがハザマの望むことだったのだが。一時期は功名心に駆られ、手に入れた金を使い会社を創設しゲームを作ってみたりしたものの……有名人の生活は、あまりにも不自由だった。しかし、今は自由だ。コンビニでエロ本を立ち読みしようが、キャバクラで騒ごうが、汚いジャージでうろうろしようが、誰からも文句を言われたりしない。
そう、今は普通に生きられる。あくせく働く必要もない。異世界にいた時のように、魔法を使う必要もない。
ただ何もせず、「普通」に生きられるのだ……ハザマはそう思っていた。だが世間ではそれを「自堕落」と呼ぶことを、彼は忘れていた。
ハザマは他の三人と異世界に行った時……タッスルと名乗る者と出会い、そして助けられた。タッスルは人でなくドラゴンである。だが、気のいいドラゴンだった。途方に暮れていたハザマたち四人の前に現れたタッスルは、何かと一行の世話を焼き、そして外敵から四人を守ってくれた。
その代わり、タッスルは異世界――つまり、こちらの世界のことである――の話を聞かせるようせがんできた。タッスルは好奇心旺盛な青年ドラゴンである。一行の世話を焼くことの報酬は、異世界の話が望みだったのだ。
もっとも、一行としてもその方がありがたかったが……何せ、ドラゴンという最強の怪物がボディーガードなのである。さらには、疑うことを知らぬ素直な若者でもあった。ゴブリンやオーガーなどといった怪物がうろうろしているような中世ヨーロッパ風異世界……そんな場所にトリップしたという今の状況において、これほど心強い味方はいないだろう。
一行はタッスルに頼み、異世界に通じる門のある滅びの山のふもとまで運んでもらった。あとは山を登って門にたどり着き、そして元いた世界に帰るだけだった。
しかし、ハザマは聞いてしまったのだ。
魔王の祭壇の秘密を。
タッスルは間違いなく善人、いや、善竜の部類に属するドラゴンである。気は優しく、弱い者に対する思いやりの心を持っている。また、強者にありがちな傲慢さはまるで感じさせない天性の朗らかさも持っている。だからこそ、祭壇の秘密についてハザマに聞かれた時、何のためらいもなく答えたのだ。
タッスルは経験不足ゆえに気づかなかった。人間の……そして弱者の心に潜む闇を。
ハザマはタッスルに、魔王の祭壇を見てみたいと頼んだ。他の三人も、特に反対はしなかった。もうじき帰れるのであるのなら、少々の寄り道は構わないだろう、と……タッスルの方は喜んで承知し、四人を祭壇まで連れて行ったのだ。
四人……いや三人は祭壇に近づき、恐る恐る覗きこむ。
その時、ハザマは動いた……自分の前で覗きこんでいたクロイワ・シンジを、後ろから奈落に突き落としたのだ。そして叫んだ。
「オレに力を!」
表面にこそ出さなかったものの、ハザマはクロイワのことが大嫌いだった。無職のチンピラ……やたら声が大きくてケンカっ早く、しかも我の強い男である。ここに来てからも、その我の強さで他の三人に迷惑をかけてきたのだ。
だからこそ、ハザマは彼を生け贄に選んだ。
魔王の力を手に入れたハザマ……彼が最初にしたことは、シロタ・ユミとアカザワ・レイコの二人を魔力で制御し、自分の意のままに動く奴隷に変えたのだ。万が一、どちらかがどちらかを生け贄に変え、自分に刃向かうことがないように……。
ハザマはこの世界のあちこちに顔を出して、好き勝手に暴れた。大人の話に首を突っ込む幼児のように、もめ事があると顔を出し、空気を読まない言動で周囲を混乱させ、そして最後には幼稚な正義感を振りかざし、力ずくで解決した。実際には、さらなる混乱をもたらしただけだったのだが……。
ハザマはまるで小説の主人公のように、あちこちで暴れまくった。
しかし……ついにドラゴンの一族が動いた。ハザマに対し、これ以上この世界を荒らすようなら、全ドラゴンを集めての戦争も辞さない、それが嫌なら元の世界に帰れ、と……。
ハザマとしては、ドラゴンなどさほど怖くはなかった。身に付けた力は強大である。ドラゴンの魔力がどの程度のものであろうと、負ける気はしない。しかも、ハザマが一声かければ……魔術師たちが動くのだ。ハザマが魔法石を与えた魔術師たちは、数が揃えばそれなりの力はある。戦争になっても、勝つのは自分だろう。
だが、ハザマはドラゴンたちの言うことを聞き、元の世界に帰ることにしたのだ。
その理由は簡単である。ハザマは、この世界に飽きてしまったのだ。
どんなハーレムを築いたところで、異世界が不便であることに変わりはない。ハザマには破壊の力はあっても、創造の力はなかった。魔法の力で空を飛んだり、瞬間移動したりはできる。だが……美味しい物を作ることも、刺激的な娯楽を生み出すこともできない。現代の食事や娯楽になれてしまっていたハザマにとって、この世界は初めは面白かったが……だんだん苦痛になってきた。
そしてハザマは、置き土産を残して元の世界に帰ったのだ。
置き土産とは……門番のレイコのことである。人間として弱いシロタ・ユミを祭壇に突き落とし、レイコに力を与えた。そしてレイコに、祭壇と門を守らせたのだ。
たとえ何者であろうとも、この世界から自分たちの世界には行かせたくなかった。
戻って来たハザマは、改めて現代日本の生活が便利であることを認識した。向こうの王候貴族など比較にならないほどの贅沢ができる。蛇口をひねれば水が出て、暑さ寒さも調節可能、食事は美味、さらには娯楽も刺激的……まさしくパラダイスである。
ただ、生活するには金が必要だ。ハザマは魔法の力を使い、金を手に入れた。最初は人の財布から拝借する程度だったが、どんどんエスカレートしていった。被害者は自分の金が盗まれたとなると、うるさく騒ぎ立てるが……殺してしまえば静かなものだ。何せ、異世界に居た時には幾千もの命を奪ってきたハザマである。人の命など、害虫の命と同列に扱っていたのだ。ハザマはわずかな額の金を奪うため、人を殺した。何人も殺したのだ。ただ、自分の生活のために……。
だが、別の問題も浮上してきた。当然のことではあるが、この世界では人が死ねば事件になる。警察が動く。もちろんハザマは警察など恐れてはいない。場合によっては日本国を相手に戦争をしても構わない。だが、不安はある……さすがのハザマも、近代兵器を装備した軍隊と戦った場合に勝てるかどうかはわからない。物量で押されたら……あるいは、極端な話であるが核を使われたら……いかに魔王の力を手に入れたハザマと言えども、生き延びられる保証はないのだ。
それに……正直、ハザマは面倒くさくなっていた。少額の金を手に入れるのに、あちこち動かなければならないのが嫌になっていたのだ。
そこでハザマは、裏社会の人間に目を付けた。裏社会の人間ならば、消えても問題ない。さらに、裏社会の金ならば……盗まれたところで被害届は出ない。
こうして、ハザマは裏社会の人間をターゲットにして金を奪うようになった。そして……ヒラタ・ギンジというヤクザの組長が二十億もの金を移動させようとしているという噂を耳にする。
戦いは凄まじいものだった。とはいえ、時間にして数分の出来事だったが……二十人以上の武装したヤクザは全員死亡、しかしハザマはほぼ無傷で金を奪い取った。
そしてハザマは、二十億の金を手に悠々自適の生活を始めたのだ。
だが、ハザマは退屈し始めた。
会社を起こし、ゲームを制作したのも退屈だったからだ。さらに……世間の注目を集めたい、という欲望も生まれていたのだ。
そして、ハザマは有名になった。ニートから青年実業家になったシンデレラボーイとして。一時期は上から目線の辛口コメンテーターとして、レギュラー番組まで持つほどだったのだ。
しかし皮肉にも、有名になってしまったことがハザマにとってマイナスの効果をもたらした。ハザマの資金の出所が怪しいということをマスコミに嗅ぎ付けられ、そしてあちこちから責められ……ハザマは有名人の生活に嫌気がさして、全てから身を引いた。
そして……今のハザマは何をするでもなく、ボーッと生活している。完全なニート……だが、本人はその状態にすっかり満足している。異世界のサバイバル生活……そして有名人になってからの、華やかではあるが不自由な生活……どちもひどいものだった。今は完全に自由だ。目立たず、ひっそりと生活していればいい……。
気がついてみると、既に日は暮れていた。さらに、ハザマの主食である駄菓子が切れかけている。ハザマは久しぶりに歩きたくなった。服を着替えて、外に出る。
ハザマは近くのコンビニまで、のんびりと歩いた。距離にして五百メートルほどか。彼は何も考えず、一人で歩く。日は沈み、辺りは暗くなっている。人通りはない。ハザマは歩きながら、何やら奇妙な違和感を覚えた。上手く言えないのだが、何か変だ。だが自分に害を為せる者など、この辺りにいるはずがない……ハザマは違和感を無視し、歩き続けた。
今のハザマには、警戒心の欠片もなかった。異世界から帰った直後は、多少の警戒心はあったのだ。もしかしたら、自分と同じ力を持つ者がいるかもしれないという……一時期はあちこちに魔法によるレーダーを張り巡らせ、常に警戒を怠らなかった。
しかし……今では、その気持ちは完全に消え失せていた。もっとも、それも仕方のないことだろう。異世界ではレイコが見張っている。自分よりは弱いとはいえ、レイコはあの異世界では最強だろう。ドラゴンが束にならない限り、レイコに勝てる者などいないはずだ。ましてや、普通の人間がレイコを倒す可能性は0だ。
それならば……あの世界で力を手に入れ、こちらの世界に来られる者など、いるはずがない。
だが、ハザマはようやく気づいた……人通りが無さすぎる。車も通らない。しかも……魔法の力を感じるのだ。異世界に居た時に何度となく感知した、あの感覚……今になって、はっきりと甦る。だが、今感じているものは……恐らく、自分と同種の力の持ち主だ。
ハザマは立ち止まった。そして、現れるであろう何者かを待ち受ける。逃げることはできなかった。まるで蛇に睨まれた蛙のように、その場から動けなくなってしまったのだ……もっとも仮に逃げたとしても、追っ手はすぐに自分を見つけるだろう。
恐怖に震えながら待ち受けるハザマの前に、忽然と現れた者……それは一人の少年だった。体は小さく、痩せている。だが、その体から発せられる魔力は凄まじく……質、量ともに自分を遥かに上回っているのだ。ハザマは恐怖のあまり、歯と歯がガチガチ当たるほど震えながら少年を見つめる。魔力は周囲の空気を侵食し、息苦しさすら感じ始めた。決して普通の人間は感知できないであろうものだ……ハザマは観念した。戦ったなら、自分に百%勝ち目はない。もし自分を殺しに来たのなら……。
「あんた……ハザマだな」 少年は尋ねる。とても静かな、それでいて強靭な意思を感じさせられる声だ。さらに、その瞳からははっきりした殺意が感じられる。ハザマは震えながら、必死で言葉を絞り出した。
「ち、違う……人違いだ……」
「いや、違わない」
少年は冷酷な表情のまま、じっとこちらを見ている……ハザマは立っていられなくなった。その場に崩れ落ち、額を地面に擦りつける。
「お願い……許して……助けて……」
だが、少年は無言のままだ。じっとこちらを見下ろしている。
ややあって、少年は口を開いた。
「向こうの世界は……あんたのしでかした事のせいで大変な状況だよ。そのことを、あんたはどう思う?」
「そ、それは……オレのせいじゃない……オレは善いことをしたんだ……オレは悪くない……」
「確かに、あんたは良かれと思ってしたことかもしれない。だけど、結果としてあんたはあの世界の住人に不幸をもたらしたんだ。自分のしでかした事には、責任を取らなきゃ」
その言葉を聞くと、ハザマは震えながら、顔を上げた。
そして次の瞬間、手のひらを少年に向ける。すると、手のひらから光がほとばしる。光は少年の顔めがけて飛び――
だが、少年の顔に当たると同時に、光は打ち消された。
ハザマの顔に浮かぶ、驚愕の表情……。
一方、少年は表情一つ変えていない。
「最期に一つだけ教えてやる。あんたが生け贄にしたのは、ただのクズ野郎だろうが。ぼくが生け贄にしたのは……日本最強のヤクザだ。しかも、その人はな……仲間のために、自分から祭壇に飛び降りた人なんだよ。そんな人に力をもらったぼくが、お前なんかに負けるはずがないんだ」
・・・
ヒロユキは歩いている。やがて、目指す場所を見つけた。そこに真っ直ぐ入って行く。
中にいる者に、持っていたハザマの生首を差し出した。
「ぼくは人を殺しました。逮捕してください」
次回で完結となります。最後までお付き合いいただけると幸いです。




