一行大転移
ヒロユキは、ニーナたちとレイコが相対している場所に向かい歩いていく……自分の体内に、得体の知れない力のうねりを感じた。内部から湧き上がる凄まじい力で、体が爆発してしまいそうだ……自らの内に蠢くものをどうにか押さえつけ、ヒロユキは歩いた。
そして、レイコに接近していく……。
レイコの目には、はっきりとした恐怖が浮かんでいた。彼女はこれ以上ないくらい怯え、後ろにずるずると下がって行く……一方、ニーナの瞳は輝いていた。安堵の笑みを浮かべ、ヒロユキを見ている。そしてガイは……喜怒哀楽、全ての感情が入り混じった表情で呆然としている。
そして、口を開いた。
「ヒロユキ……お前どうしたんだよ……いや、それより……カツミさんと……タカシさんが……死んじまった……あの女に……殺されちまった――」
「ガイさん、話はあとにしましょう。まずは、あいつを片付けてきます」
ヒロユキは、ガイとニーナに笑顔を見せた。
そして、レイコに視線を移す。
レイコは怯えきっていた……彼女が久しぶりに感じる、本物の恐怖。この能力を手に入れてから、レイコは何者も恐れていなかった。異世界への門を守る……それがハザマによって与えられた、彼女の任務だったのだ。
しかも、レイコの任務はそれだけではない。魔王の祭壇……そこを訪れる者を追い払うのも、ハザマによって与えられた彼女の仕事だった。祭壇と門は距離が離れている。人間の足では、半日ほどかかるだろうか……だがレイコなら、数秒で移動できる。
また、レイコは祭壇の方にも注意を怠らなかった。魔力を集中させれば、祭壇の周囲の様子を映像として脳内に映し出すことも可能だ。彼女は異世界への門と魔王の祭壇……その両方を今まで守ってきた。
だが、その生活を続けるうち……レイコの心は荒んでいった。
ハザマによって呪いをかけられ、門と祭壇を守る日々……だが、それはあまりにも退屈でつまらないものだった。いつしかレイコは、幼児が面白半分に虫の足をちぎるように、近づく者の命を奪うことに、何のためらいも感じなくなっていた……。
だから、カツミたちのことを見た時も、また遊び道具が来た……くらいにしか感じていなかったのだ。
しかし、カツミたちの戦い振りは、レイコの想像を遥かに越えるものだった。
まず、ニーナがレイコの魔法を封じた。ニーナ程度の魔力ならば、すぐに打ち消すことができたはず。しかし、その直後にカツミのショットガンによる攻撃……散弾の痛みは、レイコを苛立たせた。さらに至近距離から、続けざまに発射される散弾。レイコの標的は、ニーナからカツミに移った。
カツミはショットガンを弾丸が切れるまで撃った。次は拳銃、そして日本刀……最後には己の額を叩き込んでいったのだ。
しかし、それらの攻撃はレイコに何のダメージも与えられなかった。ただ、レイコの怒りの火に油を注ぐ結果にしかならなかったのだ。レイコは怒りに任せ、カツミを素手で殺した。魔法を使えば、一瞬で塵と化すことが可能だったのに……。
その次に現れたのはタカシだった。タカシはいつものように、飄々とした態度で進み出て行く。争う気などは微塵も感じられなかった。その目にも、戦う意思はなかった。ヘラヘラ笑いながら、こちらに歩いて来たのだ。レイコはその笑いを、こちらに戦意はないですよという意思表示だと解釈した。だからこそ、一撃で殺せたにも関わらず話を聞く気になったのだ。
確かに、タカシには戦意などなかった。彼にあったもの、それは……刺し違えても自分の仲間を守るという侠気だった。
だからこそ、ありったけの手榴弾を抱えての人間爆弾という手段に出たのだ……。
さすがのレイコも、タカシの人間爆弾という狂行の前では……少なからぬダメージを受けた。死にはしなかったものの、再生にはかなりの時間を要したのだ。
その時間こそ、カツミとタカシの欲するものだった……。
そして、最後に登場したのはヒロユキだった。ヒロユキの体から漂う魔力……それはレイコには想像もつかないほど強大なものだった。
「う……嘘……そんな……お前は……」
レイコは恐怖に震え、後退りすることしかできなかった……久しぶりに感じる、圧倒的な戦力差。目の前の少年は、自分と大して変わらないくらいの大きさである。しかし内に秘められた魔力は、大人と子供……いや、それ以上の差があるのだ。巨象と蟻のような……質、量ともに自分を遥かに上回っている。
ヒロユキは歩み寄る。レイコは怯えながら、じりじりと下がって行く……。
だが、ヒロユキは歩みを止めた。そして、腰を降ろす。
そこには、カツミの亡骸があった。胸に穴を空けられ、首をへし折られ、そして爆発に巻き込まれ……ボロボロになり、ほとんど原型を止めていない。しかし、その瞳は開かれたままだった。まるで、死体となった今も戦い続けているかのように……。
「カツミさん……そしてタカシさん……本当にありがとうございました……そして……すみませんでした……ぼくが……もっと早く……」
ヒロユキは声を震わせながら、カツミの亡骸に語りかける。手を伸ばし、カツミの目を優しく閉じた。
そして顔を上げ、レイコを睨みつける。
「殺すことはなかっただろうが……」
レイコは首を横に振りながら、少しずつ後ずさる……次の瞬間、彼女の姿は消えた。
レイコは祭壇に瞬間移動した。人間の足なら、半日ほどかかる距離を一瞬で移動したのだ。彼女には、門と祭壇以外には行ける場所がなかった。したがって、脅威となる者から逃げるにしても……レイコはここに来るしかなかったのだ。
そして、レイコは振り返る。すると――
ヒロユキは、すぐ後ろに立っていた。
「く、来るな!」
絶望的な表情で、その場にへたりこむレイコ……ヒロユキは手を伸ばし、レイコの頭を掴んだ。
そして――
「あんたは……ぼくの仲間を二人殺した。許すことはできない。死ぬよりも辛い目に遭わせてやるよ」
「おいチャム、それにリン……起きろ」
ガイの声。チャムとリンは眠そうな様子で体を起こし、左右を見回した。
「な……なー、もう朝かにゃ?」
チャムの問いに、苦笑するガイ。彼は手を伸ばし、チャムの頭をポンポンと叩いた。
「いや……お前ら二人、急に寝ちまったんだよ。起きるまで待ってたんだよ」
「な!? なー……不思議だにゃ!?」
「不思議ですにゃ……チャム姉さん……」
チャムとリンは不思議そうに顔を見合わせる。その光景はあまりにも微笑ましく、ヒロユキの顔にも笑みが浮かぶ。しかし――
「な? そういやカツミとタカシはどこ行ったにゃ? それに……ヒロユキが戻ったのに、何でギンジは戻らないにゃ?」
チャムの問い……ヒロユキはうつむいた。何か答えなくてはならない。だが、真実を告げるのはあまりにも辛い……すると、ガイが口を開いた。
「ギンジさんと……カツミさんと……タカシさんは……先に……逝っちまった……あの三人は……せっかちだから……俺たちを置いて……」
「な!? なー! なんて奴らだにゃ! 早く追いかけるにゃ! リン、行くにゃ!」
「はいですにゃ! 置いてきぼりは凄く悔しいですにゃ!」
チャムとリンは立ち上がり、いかにも不満そうな表情で駆け出そうとする。だが、ニーナが二人の腕を掴んだ。
そして――
「ああ……本当にひでえ奴らだよな……オレだぢに……何も言わず……がっでにいぎやがっで……ざんにんども……ぶっどばじでやるよ……ぜっだいに……」
ガイは言葉を続けられなくなり、その場に泣き崩れる……ニーナもまた、溢れる涙をぬぐっていた。その様子を見たチャムとリンは慌てふためき――
「な!? 二人ともどうしたにゃ!」
「ガイさん! ニーナさん! お腹でも痛いのですかにゃ!?」
チャムはガイの、リンはニーナのそばに行き、心配そうに見守る。だが、ヒロユキの目に涙は浮かばなかった。悲しいという気持ちはある。ヒロユキはカツミとタカシの最期を見ていないが、二人の死体は見ている――ヒロユキの力で、先ほどカツミの亡骸を地中深く埋めたし、タカシの肉片もまた同じ場所に埋めた――のだ。しかも、ギンジの最期を間近で見ている。
にもかかわらず、ヒロユキの目には涙が湧いてこなかった。
それが何故なのかは、考えたくなかった。
「チャム、それにリン……オレたちは、後からゆっくり行くとしようぜ。あいつらには……いつか追いつける。ところでヒロユキ、あのレイコとかいう女は殺したのか?」
しばらくして、落ち着きを取り戻したガイが尋ねる。すると、ヒロユキは頭を振った。
「いいえ、殺していません……しかし、あいつはこれから、地獄の苦しみを味わうことでしょうね」
そう、ヒロユキはレイコを殺さなかった。代わりにレイコの魔力……その全てを奪い取り、ただの人間として放置したのだ。
このあたりにいるのは、あとは凶暴な野生の獣とミノタウロス、そしてオーガーくらいのものである。水も見当たらない。ただの人間では、一日も生きられないだろう。
「そうか……じゃあ、行くとするか。あと、どれくらいかかるんだ?」
「もうすぐ、みたいですよ。ぼくに付いて来てください……いや、もう歩く必要はなかったんですね」
ヒロユキは苦笑した。そして、体内に蠢く魔力を集中させる。頭の中では、この近辺の様々な場所の映像が浮かんでは消えていき……同時に、門の位置もわかった。ヒロユキは皆の顔を見渡す。
「皆さん、こちらに来てください。魔法で門まで移動します」
その言葉を聞き、全員がヒロユキの周りに集まる。すると、ヒロユキの体内より魔力が放出し――
一瞬にして移動した。
「お、おい……本当にここなのか? 門って、ここにあるのか?」
呆然とした表情で呟くガイ……そう、一行のいる場所は頂上であった。草木のほとんど生えていない、ゴツゴツした岩場。そして恐ろしく巨大で、深い穴が空いている。不思議なことに、穴の中は白く輝く光に満たされている。光はあまりにも眩しく、中を見ることができない。
「ガイさん、ここに間違いありません。この穴が、ぼくたちの居た世界に通じているんです。この穴に入れば……ぼくたちは帰れるんですよ。やっと……帰れるんです」
ヒロユキは笑顔で言うと、ニーナの方を向いた。
「ニーナ……君はやっと自由になれるんだ。もう、君を追いかけて来る者はいない。さあ、行こう」
そして、ニーナの手を取る。ニーナは嬉しそうに微笑み、ヒロユキの手を握り返した。
ヒロユキはニーナに頷いて見せると、ガイに視線を戻した。
「ガイさんも、行きましょう。元の世界に帰れるんですよ」
しかし、ガイの表情は複雑だった。彼はチャムの方を見る。チャムは不安そうな顔で、震えるリンの手を握っていた。
ガイは口を開いた。
「なあチャム……お前、本当にいいんだな。向こうには人間しかいないんだぞ。他のニャントロ人とは、もう会えない――」
「な! チャムはガイと一緒に行くにゃ!」
チャムは不安そうな表情をしながらも、強い口調で言葉を返す。その言葉を聞き、ガイの顔つきが険しくなる。
「言っておくがな、一度向こうの世界に行ったら……もう二度と、こっちには帰れないんだぞ。ヒロユキ、そうだったな?」
言いながら、ガイはヒロユキの顔を見る。ヒロユキは神妙な面持ちで頷いて見せた。
「チャム…ケットシー村のみんなとも、二度と会えないんだぞ。それでいいのかよ?」
「な!? なー……ガイはどうするにゃ?」
「オレは……チャムと一緒にいる。チャムが残るなら、オレも残る。チャムが行くなら、オレも行く。決めるのはお前だ」
「な……」
困った表情で下を向くチャム……だが、ややあって何かを思いついたらしい。顔を上げ、ヒロユキとニーナを見た。
「ヒロユキとニーナは、どうするにゃ?」
「ぼくは……元いた世界に帰る。ニーナはここには居られないし、向こうでやらなきゃならない事もある。ギンジさんと……約束したからね」
「なー……じゃ、チャムも行くにゃ! ガイが一緒なら、どこで暮らしてもいいにゃ! だったら、ヒロユキとニーナと……ギンジとカツミとタカシがいる所がいいにゃ! ガイ、ギンジたちは先に行ってるのかにゃ?」
無邪気に尋ねるチャム。ガイの表情が歪んだ……しかし、それはほんの一瞬だった。
「あ、ああ……奴らは向こうの世界に居るよ」
「わかったにゃ! なら、チャムもみんなと一緒に行くにゃ! リン、チャムに付いて来いにゃ!」
勇ましく言い放ち、胸を張るチャム。すると、
「わかりましたにゃ! 私もチャム姉さんに付いて行きますにゃ!」
リンもチャムの横で、楽しそうにはしゃぎ出した……ガイは苦笑し、ヒロユキに視線を移す。
「そういう事だ……みんなで帰ろうや」
ヒロユキは穴を見下ろした。祭壇とは違い、白く優しげな光に満ちている。ヒロユキは、この光から強大な魔力を感じた。間違いない。この光こそ、時間や空間、さらには次元の壁をも越えられるものなのだ。
そして、ヒロユキはニーナのそばに行く。彼女は怯えた様子で光を見ていた。ニーナにもわかるのだろう、あの光に秘められた膨大な魔力が……。
ヒロユキはニーナの手を握る。そして――
「ニーナ、行くよ……この先、ぼくたちはずっと一緒だ。ぼくが手に入れた力で、君を守るから」
ヒロユキの言葉を聞き、ニーナは顔を上げた。その表情から怯えが消える。彼女は微笑み、そして強く頷いた。
一方、ガイは右手でチャムの手を、左手でリンの手を握る。
「二人とも……一緒に行こう。ずっとオレのそばに居てくれ、チャム。そしてリン……お前もだ。みんなで助けあって生きるんだ」
「わかったにゃ!」
「はいですにゃ!」
チャムとリンは元気よく答える。ガイは嬉しそうに頷き、そしてヒロユキの顔を見た。
「ヒロユキ、ここに落ちればいいんだな?」
「ええ」
「そうか……わかった。チャム、リン、行くぞ」
そう言った直後――
三人は深く息を吸い込み、意を決した表情で飛び降りる。
そして、三人は光の中に消えた。
ヒロユキは穴の淵に立った。ふと、辺りを見渡す。この世界に来て、どれだけの歳月が過ぎたのだろうか……ここに来て、自分は多くのことを学んだ。大切なものを手に入れた。
その代わり、かけがえのないものを失った……。
絶対に忘れない……この世界のことも……みんなのことも……。
カツミさん。
タカシさん。
そして……ギンジさん……。
だが、ヒロユキは視線を移す。感傷に浸っている場合ではない。自分にはまだ、やらなくてはならないことが残っているのだ。
ヒロユキとニーナはお互いを見つめる。
そして、飛び降りた。




