人狼大遭遇
日が沈み、辺りは暗闇が支配しつつある。
そして……まるで吸い込まれていくように、柵に囲まれた場所に入っていく二台の馬車。
少し走ったかと思うと、中央と思われる位置で馬は動きを止めた。先ほどまでの暴走が嘘のように、落ち着いた態度で立ち止まっている。
しかし……。
「おい……何なんだよ……ここは……」
ガイの呟くような声。一行は馬車ごと、奇妙な場所に運ばれていたのだ。一見すると村のようではあるが……人間が生活している気配がまるで感じられなかった。ボロボロに朽ち果てた家屋、あちこちから聞こえる虫や小動物の蠢く音、伸び放題になっている雑草……そして、獣の匂い。
「どうやら、人がいなくなり見捨てられた村のようだな」
ギンジは拳銃を構えながら、ゆっくりと辺りを見回す。ヒロユキもつられて、辺りを見回した。動くものの気配はある。多くの小動物たちの動く気配が……だが、ここに潜む小動物たちが馬を操り、一行をここに導いたとは思えない。
ヒロユキはもう一度、辺りを見回す。何かおかしな点はないだろうか……だが、その時――
「狼だにゃ! 狼がいるにゃ! 怖いにゃ!」
チャムの叫び声が響き渡った……ヒロユキがそちらを見ると、チャムはガタガタと震えながら、ガイにしがみついているのだ。今まで、何者を相手にしても勇敢に戦い、恐れを知らなかったチャムが……。
「チャム……大丈夫……大丈夫だ。オレはお前のそばにいる。オレだけじゃねえ……みんな、お前を守るために戦う。だから……安心しろ」
ガイは油断なく辺りの様子を窺いながら、チャムを抱き寄せた。それを横目で見ながら、ヒロユキは考える。
狼?
そうなると、ぼくたちをこの廃村に導いたのは、ライカンスロープか……。
だが、何のために?
「タカシ……念のため聞いておくが、馬は動かないのか?」
ギンジが尋ねると、タカシは振り返り、
「いやあ……今は私の言うことなんか、聞きそうもないですね。ただ、動かないでいてくれるのが救いですよ」
と答えた。タカシだけは、この状況にもまったく動じていない。ヘラヘラ笑いながら、楽しそうに辺りをキョロキョロしている。だが、こういった状況下では逆に頼もしい限りだ。
「ギンジさん、どうするよ……いっそ、こっちから仕掛けるか?」
日本刀を片手に、囁くカツミ。こちらは怯えこそないものの、焦れてきたような表情をしている。
「まあ、待て……相手の姿が見えない以上、下手なことはできない。ここは様子見といこう」
ギンジがそう答えた時――
「お、おい! あ、あんたら無事か! これはどうなっとるんじゃ!」
マウザーの怒鳴る声。どうやら、今まで状況が飲み込めず呆然としていたようだ。ギンジは立ち上がり、手を振ってみせた。
「マウザーさん、落ち着いてくれ。とにかく、相手の出方がわかるまでは……おとなしくしているんだ」
「わ、わかった……」
ギンジの穏やかな声により、マウザーも落ち着きを取り戻したらしい。もっとも、こちらからでは、向こうの馬車の様子はよく見えないが。
「ギンジさん……一体、どうなってるんでしょうねえ……」
ヒロユキは小声で、ギンジに囁く。しかし、ギンジは頭を振った。
「正直、わからないな……ただ、オレたちを殺すのが目的だとしたら、あまりにも回りくどいやり方だな。生きたまま引き渡そうって作戦かもしれん」
ギンジの言葉を聞き、ヒロユキは愕然となった。生きたまま引き渡す……つまりは、白魔術師たちのことではないのか。
「じゃ、じゃあ……これは白魔術師たちの仕業ですか……ニーナを――」
「いや、そうとは限らないぜ。オレたちはあちこちで敵を作ってるしな……ヒロユキ、一つ覚えておけ。今は戦いの最中だ。戦いの最中には、後悔も反省もするな。そんな暇があるなら、辺りを見張れ。そして……今をどう切り抜けるか考えろ。後悔だの反省だのってのはな、心に余裕のある奴がすることだ」
そう言うと、ギンジは辺りを見回した。
そして、いきなり馬車から飛び降りる。
「ギンジさん! 何やってんだよ!」
怒鳴るガイ。だが、ギンジはそのまますたすたと歩いていく。その時、あちこちで何かが動く音。さらに、光るものが見えた気がした。暗闇の中の、猫の目のような……。
だが、ギンジは平然としている。そのまま歩き、マウザーたちの馬車にたどり着いた。
「マウザーさん……すまないが、ここは全員で協力して切り抜けよう。悪いが、オレたちは全員こっちの馬車に移らせてもらう。構わないな?」
ギンジの言葉に、マウザーは震えながら頷いた。
そして、一行はマウザーたちのいる馬車に移った。
マウザーたちの馬車はかなり大きなものではあったが、さすがに全員が乗り込むとなると、やや窮屈に感じる。しかし、ギンジたちの馬車と違い、屋根と壁が付いている。壁の存在は、物理的には大した役に立たないかもしれない。しかし、精神的には幾らか楽になる。
そして、ギンジたちの一行とマウザーたちの一行は、初めて全員が顔を合わせた。ポロムは物珍しげな表情でチャムを見ている。パロムはまだ完全に回復しきってはいないようだが、だいぶ血色が良くなった。二、三日おとなしくしていれば治るだろう。
ただし、この窮地から逃れられればの話だが……。
「なあギンジさん、一体どうなっておるのじゃ?」
マウザーが尋ねると、ギンジは苦笑してみせた。
「断言はできない。ただ、みんなの話を総合して考えると……どうやら、狼男の仕業らしいんだ」
「狼男?」
マウザーは訝しげな表情になる。すると、
「ライカンスロープ……と呼ばれている種族です。狼のような姿に変身する、危険な連中ですよ」
ヒロユキが横から詳しく説明する。
「……そんな連中が、儂らに何の用があるというんじゃ?」
「さあね……いずれ奴らも顔を出すだろうから、その時に聞いてみるよ」
マウザーの問いに、はぐらかすような答えを返すギンジ。すると、その言葉を待っていたかのように――
「おやおや……皆さん、誰か近づいて来ますよ……人間ですね……少なくとも、今の所は」
御者台に座り、外を見張っているタカシが声を発した。
その言葉を聞き、一行の間に緊張が走る。チャムなどは、端で見ていても気の毒になるくらい怯えてしまい、ガタガタ震えながらガイにしがみついている。ガイはそんなチャムを抱き締め、耳元で安心させるような言葉を囁き続けていた。
そして……チャムの恐怖心は、他の者にも伝染していく。ポロムとパロムの姉弟は不安そうに皆の表情を窺う。ニーナは杖を引き寄せ、不安そうな面持ちでヒロユキの顔を見る。
一方、そのヒロユキは恐怖心に押し潰されそうになりながらも、懸命に平常心を保とうとしていた。震えながらも、カツミに言われたことを思い出す。
(戦いにおいて重要なのは、自分の置かれた状況を冷静に判断し、今の自分にできる最良の行動を見つけ出すことだ……それは、ブロックを正拳突きで破壊したり、人の首を一撃で斬り落とせる力と同じくらい……いや、そんな表面的な力よりももっと重要だ)
今の自分にできる最良の行動は?
まずは落ち着こう。
そして、周りをよく見るんだ。
ヒロユキが立ち上がり、外を見ようとした時――
「お前たち……すまないが、馬車から出て来てもらおうか……全員だ」
男の声だ。よく通る大きな声だが、しかしどこか訛りのある……マウザーは怯えたような表情になり、孫二人を抱き寄せる。チャムにいたっては、子供のようにガイの胸に顔を埋めたままだ。一方、カツミは日本刀を握り、ギンジに目で合図した。そして外に出て行こうとするが――
「いやあ……どなたかは存じませんがね、中には病人もいるんですよ……我々には敵意もないですし、おとなしく、ここから解放していただきたいものですが……無理でしょうかねえ」
一行の緊張をほぐす……いや破壊するかのような、のほほんとした声。タカシだ。タカシはこちらに近づいて来た何者かに対し、単独で交渉を試みるつもりらしい。ヒロユキは思わず苦笑してしまった。こんな危機的な状況ですら、タカシに恐怖を感じさせることはできないらしい。
「……お前、何者だ? 我々が怖くないのか?」
何やら困惑したような声が聞こえてくる。ヒロユキは静かに立ち上がり、御者台へと進んだ。既に外は暗くなっており、満月が出ている。
そして闇の中で、二人の男が対峙しているのが見えた。片方はタカシ、もう片方は……一応は人間に見える。
「何者か、と問われると少々困りますが……強いて言うなら旅人です。ところで、単刀直入にお聞きしますが……我々は先を急ぐ身でして、さっさと解放していただくわけにはいかないんでしょうかね? もちろん、それなりの礼はしますが……どうでしょう?」
ヘラヘラ笑いながら提案するタカシ。ヒロユキは緊張しながらも、タカシのそばに近づいて行く。何よりもまず、現状を把握しなくてはならないのだ。
すると男は、ヒロユキをチラリと見たが、すぐタカシに視線を戻す。近くで見ると、ごく普通の中年男にしか見えない。
「それは無理だ……我々はお前たちには何の恨みもない。しかし、お前たちを引き渡せば……我が一族は陽の当たる世界に出られるのだ。呪われ、忌み嫌われし我が一族……お前たちには済まないが、捨て石になってもらおう」
男は淡々とした口調で語る。先ほど遭遇した者たちとは、明らかに異なる次元の強さの持ち主だ。虚勢を張ることのない態度……それは、圧倒的な自信に裏打ちされたものであろう。見ているヒロユキは背筋が寒くなった。こんな奴らに、勝ち目があるのだろうか……。
「では……嫌だと言ったら、どうなさる気です?」
しかし、タカシの口調は変わらない。のほほんとした、緊張感の欠片もない喋り方。だが、目付きには変化が生じている。何かを見極めようとしているような……まるで大きな勝負をしているギャンブラーのようだ。
「悪いが、お前らには選択の余地はない。お前らでは、我々には勝てない」
「ほう……大した自信ですね。私たちを甘く見ない方がいいです。私たちは……かなり強いですよ」
「だが……しょせんは人間だ。人間では我々には勝てない」
タカシと男のやり取り……その最中に、ギンジとカツミとニーナが馬車から出て来た。カツミは日本刀、ギンジは拳銃を手に油断なく辺りを見渡している。そしてニーナは、ヒロユキの隣に寄り添う。
そしてヒロユキは……。
どういうことだ?
陽の当たる世界?呪われ、忌み嫌われし一族?
いや、そんなことよりも……。
「ちょっと待ってよ……じゃあ、あんたらの狙いはぼくたちか?」
気がつくと、ヒロユキは思わず尋ねていた。
男はチラリとヒロユキを見る。その目付きには見覚えがあった。まるで虫けらか何かを見るような、軽蔑を露にした目……男は面倒くさそうに口を開いた。
「ああ、その通りだ」
「だったら……マウザーさんたちは関係ないだろ! 解放してやれよ!」
震えながらも、怒鳴りつけるヒロユキ。だが、
「そうはいかない。ここに来てしまった以上……彼らには死んでもらう」
「なんだと……ふざけるな! お前らの目的はぼくたちだろうが! 関係ない人間に何の恨みが――」
「黙れ!」
ヒロユキの言葉を、何者かの怒鳴り声が遮った。さらに――
「ふざけているのは貴様ら人間の方だ!」
その言葉と共に姿を現したのは……ホラー映画に登場する狼男そのものだった。ケットシー村の近くで出会った犬人間のコボルドと似てはいるが、大きさといい醸し出す迫力といい、まるきり違う。狼を力ずくで擬人化させたような顔……しかし、それとは不釣り合いな長い両腕。逞しい上半身。二本の足でこちらに歩いて来るそのまがまがしい姿に、ヒロユキは圧倒されて後ずさる……だが、日本刀を構えたカツミが前に進み出た。と同時に、ギンジの手にした拳銃が火を吹いた――
轟く銃声。銃弾は狼男の足元に命中し、土を抉り取る……。
すると、狼男は立ち止まった。狼の顔のため表情や、その心の中までは読み取れないが、明らかに怯んでいるようだ。
「どうやら、あんたらとは話し合いの余地はないらしい……だったら、死んでもらうしかねえな」
ギンジが冷酷な表情で言い放つ。それと同時に、カツミが刀を振り上げ斬りかかろうとしたが――
「待て! お、お前たち……さっさと儂らとその方たちを解放するんじゃ! さもないと……大変なことになるんじゃぞ!」
マウザーの恐怖に震える声……だが、その恐怖は人狼がもたらしたものではなさそうだった……。




