悲痛大別離
「いいかヒロユキ、弾丸はこうやって込めるんだ。さあ、やってみろ」
「は、はい……」
カツミは今、馬車に乗っている。そしてヒロユキに拳銃の扱い方を教えているのだ。初めは、村を出ていく一行への見送りのつもりだったようなのだが……しかし、
「途中まで乗せて行ってくれ。お前らに……オレの持つ戦いの知識をできるだけ授けておきたい。特にヒロユキ……お前にだ」
などと言い出し、馬車に乗り込んできた。
そしてヒロユキに対し、戦いの時の心構えや注意点などを、実に細かく指導していた。かれこれ一時間以上……今は拳銃の使い方を丁寧に教えているのだ。
「ヒロユキ……このデザートイーグルには、七発しか弾丸が入らない。だから……狙う時は慎重にな。無駄弾丸は撃てない――」
「カツミ……その銃はヒロユキには無理だろう。大きすぎる。別の銃にしとけ」
ギンジが苦笑しながら、口を挟む。さらに――
「だいたい……あんた、いつまで付いて来る気なんだよ? いい加減、さっさと自分の村に帰れや……ここはもう、あんたの居場所じゃねえんだ」
ガイの苛立ちを露にした言葉が続く。カツミはわずかに顔を歪めた。怒りではなく、哀しさから……しかし、それは一瞬だった。
「じゃあヒロユキ、こっちの銃にするか――」
「もういいですよ」
ヒロユキの声。それと同時に顔を上げ、カツミの顔を見据える。
「カツミさん……正直、ぼくは嫌です。あなたの……考えには納得してません。でも、あなたが決めたことだから仕方ないと……なのに、いつまでいる気なんですか。あなたは村で暮らすと……村に骨を埋めると決めたんですよね。ぼくらとも、お別れすると……だったら、もう村に帰って下さい」
ヒロユキの声は震えていた。だが、それは恐怖のためではない。ヒロユキもまた、心から離れない悲しみと戦いながら、表面上は冷静にカツミのレクチャーを受けていたのだ。
だが、それももう限界だった。
「……そうか」
カツミはそれだけ言うと、顔を歪めて下を向いた。
馬車にいる全員が黙りこんでしまい、重苦しい空気が流れる。だが、その空気は一変した。
「な!? みんな、あれを見るにゃ!? 凄い煙だにゃ!?」
チャムが叫び、同時に全員が振り返った。すると――
村の方角から、黒煙が上がっていた……青い空を黒く染めていく煙。まるで、鎌を持った死神のように蠢いているのだ……。
「おい……何だよあれは……村でキャンプファイアーでもしてんのか……」
唖然とした表情で、呟くガイ。だが次の瞬間、
「タカシ! 馬車を戻せ! 村に戻るんだ!」
ギンジが怒鳴った。次いで、カツミが馬車から飛び出して行こうとするが、ギンジが腕を掴む。
「カツミ……みんなで行こう。何があったかは知らないが……間に合うことを祈ろう」
しかし……。
村に到着した一行の目に飛び込んで来たもの、それは地獄の光景だった。
ホープ村の中央広場では、巨大な炎が上がっている……。
そして村人たちのいたはずの場所には、奇妙な三十人ほどの集団がいた。全員、奇妙な紋章を型どったペンダントを胸から下げ、銀色に輝く甲冑を身に着けている。また、その者たちに混じり、赤いローブを着て杖を持った者も数人いた。
そして、甲冑を着た者の指揮により、男たち――周囲の村から雇われたような、普通の村人に見える――が死体を次々と火の中に投げ込んでいた。
業病患者たちの死体、手足のない者たちの死体、子供たちの死体……。
死体の焼け焦げる匂いが充満している……。
「てめえら……何者だ……何をやってんだよ……」
唖然とした表情で、呟くガイ。かつての悪夢を呼び覚まされたのだろうか、顔つきが完全に変わっているのだ。いつもの好戦的な表情ではない。何かに憑かれたような……。
すると……銀色の甲冑を着た、ひときわ身分の高そうな男が一行を睨む。
「貴様らか……あの熊を殺したのは。貴様らには関係ないことだ……さっさと立ち去るがよい。我々は教義により、無用な争いは禁じられているし、貴様らを殺せとは命令されていない。我々はメモリー教の聖騎士団……この罪人たちの住む村を焼き払うために派遣されたのだ」
静かな口調で語る甲冑の男。落ち着いた雰囲気だ。村人の虐殺を指揮する男のイメージとはかけ離れている。
「なるほど……あんたら、この辺りを仕切る宗教団体の手先ってワケか」
そう言いながら、ギンジがゆっくりと進み出る。同時に、聖騎士団は一斉に身構える。
だがそんな状況を尻目に、ヒロユキは完全に混乱していた……。
待てよ……。
メモリー教って、確か……。
あのガーレンの街にあったじゃないか。奴隷になるはずだった孤児たちを引き取ってくれた……。
(あなた方に、神のご加護があらんこと)
マーガレットという人は慈愛に満ちた笑みを浮かべて、ぼくらにそんな言葉を送ってくれた……。
他の人たちも、みんな優しかった……。
なのに、なぜ……。
ヒロユキは呆然となった……緊迫した状況であるにも関わらず、ふと横を見ると、表情の消え失せた顔で立ち尽くすカツミの姿があった。
「じゃあ……あなた方があのデカイ熊を放ったのですか。よくもまあ、そんな回りくどいことを……」
タカシも進み出る。彼の顔には、いつものようなヘラヘラ笑いがなかった。冷たい瞳で、聖騎士団とその手下らしき者たちをじっくりと見渡す。
「そうだ。我々とて、人殺しは好むところではない。たとえ、相手が罪人であれ……だから、あの熊を放ち村人を全滅させるはずだったのだ……ところが、貴様らが熊を殺したせいで、我々は自分の手を汚す羽目になった。貴様らのやったことは許せないが……貴様らは罪人ではない。今すぐ、おとなしく消え失せろ。そうすれば命だけは助けてやる」
「なあ、一つ聞かせてくれよ……お前たちは本当に人間なのか?」
カツミがようやく言葉を発した。虚ろな目で、聖騎士たちを見つめている。
「貴様……いったい何を言っているのだ?」
聖騎士は訝しげな表情で、カツミを見る。だが、カツミは止まらなかった。
「お前らは……どんな風に生きてきたんだ? お前らはどうやって生まれ、どう育った――」
「いい加減にしろ! 我々はな、貴様ら平民とは違うんだよ! 我々は貴族の家に生まれたんだ! そして厳しい訓練を受け、聖騎士となったのだ!」
一人の騎士がカツミを怒鳴りつける。
「貴族、か……」
カツミは虚ろな目のまま、呟くように言った……だが次の瞬間、カツミの顔に感情が宿る。
「オレはな……殺人マシーンとして生まれ、殺人マシーンとして育ってきた。それでも、ずっと憧れていたんだ……普通の人間の生活ってヤツにな。だがな、お前らは普通の人間として生まれ育ちながら……鬼畜以下の……化け物に成り果てたんだぞ……何の罪もない……小さな子供まで皆殺しにするような……これが……オレが憧れていた……普通の人間のやることなのか……」
カツミは言葉を止める。そして積み重なった死体を指差した。
「あいつらはな……弱い者同士で身を寄せあい、必死で生きてたんだよ……あいつらがどんな罪を犯したというんだ? 教えてくれよ……病気になったり、手足が不自由な体で生まれてきたのが罪なのか……それはどんな罪だ? 誰を傷つけた? 誰に迷惑をかけたんだ?」
「カツミ……もう止めろ。こいつらは、紛れもない普通の人間だ……共同体ってヤツに属するとな、異質な者を排除せずにはいられない……それが人間の生まれ持った性分さ」
ギンジの言葉を聞き、カツミの顔つきがまたしても変化する。
一切の感情が消え失せた、不気味な表情に。
いつもの、戦う時の表情に……。
「やはり、無学な貴様らと我々とは理解しあえぬようだな……無益な殺生は好まんが仕方ない。貴様らにも死んでもらおう」
聖騎士たちは剣を抜き、身構えた。同時に、赤いローブを着た者たちも動く。しかし――
「ニーナ! 奴らの魔法を封じて!」
ヒロユキが叫び、ニーナが杖を振るう。次の瞬間、赤いローブを着た者たちは何やら戸惑うような表情になる。想定していない事態に襲われ、混乱しているような雰囲気だ。
「ギンジさん! 奴らの魔法を封じる結界を張りました! 奴らは魔法を使えません!」
ヒロユキの言葉を聞き、ギンジは頷いた。
「ガイ! カツミ! お前らは単独で突っ込め! タカシとチャムはこっちに来い! 五人で一緒に戦うんだ!」
カツミはバトルアックスを振り回す。バトルアックスの刃はなまくらで、切れ味は悪い。だが、バトルアックス自体の重さは、騎士たちの剣など比較にならない。しかも、カツミの超人的な腕力が、バトルアックスの一撃にさらなる威力を加える……。
騎士たちは甲冑ごと叩き斬られ、次々と絶命していった。
ガイは素手のまま、恐ろしい速さで突進する。聖騎士たちの集団に突っ込んでいき、走りながら、手当たり次第に蹴り飛ばし、殴り倒していく。ガイの人間離れした腕力と素早さの前に、騎士たちは抵抗する間もなく次々と倒されていく……ガイの素手の一撃は甲冑をへこませ、中の人体にダメージを与えられるほど強烈なものだ。さらに騎士たちの着ている甲冑は動きを鈍らせ、スタミナを奪う……ガイの肉食獣のような動きを前に、全く対応できない。
ガイは次々と、騎士たちをなぎ倒していった……。
一方、ギンジたち三人は協力し、巧みな戦術で一人づつ片付けていく。度胸と体力があり、なおかつ笑いながら人を殴り殺せるタカシが棒を振り回す。騎士たちの注意を引き付け、ギンジとチャムが二人がかりで一人を片付けていく。こちらより、はるかに数が多いはずの騎士たち……しかし、チームプレーではギンジたちの方がはるかに上だった。
そしてヒロユキとニーナは、体格がよく背の高い男と向き合っていた。身なりからして騎士ではない。だが、カツミと同じくらいの大きさはある。さらに、農作業などで鍛えられてきたのだろう、自然な筋肉がついているのが皮の服の上からでもわかる。
大男は自信たっぷりな様子で、ヒロユキに近づいて来る。ヒロユキは足の震えを押さえきれなかった。だが、自分の後ろにはニーナがいる。ニーナは魔法を封じる結界を張った。だが、それはニーナの魔法も使えなくなったことを意味するのだ。
つまり、ヒロユキが戦うしかない。
でないと、ニーナが殺られる。
大男はニヤリと笑い、ニーナを見る。そしてズカズカと進んで来たが――
その瞬間、ヒロユキは前転した。またしても、見よう見まねの浴びせ蹴り……ヒロユキの予想外な動きに大男は焦ったのだろう、目をぱちくりさせ、ヒロユキの足を払いのける。
だが、その瞬間――
ヒロユキの手にした短剣が、大男のアキレス腱に突き刺さり――
そして切り裂く。
大男は何が起きたのか理解できず、きょとんとした顔でヒロユキを見る。だが、次の瞬間には獣のような叫び声を上げ、ヒロユキを睨みつけ――
だが、ヒロユキは素早く立ち上がる。そして大男の体に短剣を突き刺した。
ヒロユキは凄まじい形相で、刃を突き刺す。
何度も……何度も……。
相手の流した血で、ヒロユキの顔が、手が、真っ赤に染まっていく。
だが、ヒロユキは刺すのを止めない。
さらに突き刺す。
大男は倒れた。しかしヒロユキは馬乗りになり、さらに突き刺す。刺し続ける――
「ヒロユキ! もういい! こいつは死んでる!」
ギンジの声。同時にヒロユキは襟を掴まれ、引き離される。続いて、頬に一撃……ヒロユキはようやく我に返った。
「ヒロユキ……もういい。終わった……終わったんだよ」
ギンジの声は落ち着いたものだった。その言葉を聞き、ヒロユキは辺りを見渡す。
辺り一面、死体の山だった……。
ホープ村に住んでいた人々も、メモリー教から派遣された聖騎士団も、周囲の村から駆り出されたのであろう人々も、みんな死んでいた。
ホープ村は物言わぬ骸の住む村と化していた……あの、一見すると悲惨でありながらも、弱者が身を寄せあい、暖かい雰囲気を持っていたはずの村が……。
そして……カツミが虚ろな目で一人、穴を掘っていた。まるで、村を離れてしまった自分に罰を与えるかのように……その様子を、ガイとチャムとタカシは黙ったまま、哀しそうな表情で見つめていた。
「ギンジさん……何で……何で……こんなことになったんですか……カツミさんはやっと……やっと……居場所を見つけたのに……何で……」
ヒロユキは聞かずにはいられなかった。昨日までは、みんな生きていたのだ。ホープ村は平和な場所だったはずだ……なのに、たった一日でこんな地獄絵図のような場所に変わってしまったのだ。
「ヒロユキ……人間てヤツは一人じゃ生きられない。どこかの群れに属さなきゃ、生きていけないんだ。だが、群れをまとめるのは、かなり厄介な話なんだよ……一番手っ取り早いのは、みんなにとって共通の敵を作り出すことだ。異質な者を敵にしてしまうことだよ。その中でも、見た目が自分たちと違う者……これは分かりやすいよな」
「異質な者……」
「そうだ。業病患者なんか実に分かりやすい。人間てヤツはしょせん、そういう生き物だ――」
「しょせん、て何ですか……しょせん、て……」
ヒロユキの声は静かなものだったが、怒りに満ちていた。顔つきも変わっている。
「ギンジさん……人間には困っている人を見て、助けたいと思う気持ちがあるはずです……可哀想だと思う気持ちも手をさしのべたいと思う気持ちも……あなたにだって、あるはずですよ……」
ヒロユキの声は、徐々に熱を帯びてきている……彼は言葉を続けた。
「人間の心にあるものは……醜いものだけじゃないはずです。ぼくは人間の優しさを信じます……人間の思いやりを信じます……もし人間の本性がカツミさんの言ってたような、鬼畜以下の化け物であるなら……ぼくはいつでも人間を辞めますよ……」
「……」
ギンジは無言のまま、ヒロユキを見つめた。ヒロユキの目には奇妙な光が宿っている。
ギンジの顔つきも変わった。二人は無言のまま、睨み合う。二人の間で、言葉にならないやり取りが始まり――
だが突然、ヒロユキの顔に布が当てられた。布は動き、ヒロユキの顔の汗や汚れを拭っていく。ニーナだった。ニーナは不安そうな顔で、ヒロユキの体に付いた返り血を拭き始めた。
ヒロユキの顔に、ようやく笑みが戻る。
「ニーナ……ありがとう。ギンジさん……生意気言ってすみませんでした」
そう言うと、ヒロユキは視線を移した。いつの間にか、ガイやチャムやタカシも穴を掘っている。ヒロユキはそちらの方に歩き始めた。ニーナも一緒に歩き出す。
その時、ギンジの声が聞こえてきた。
「ヒロユキ……ヤクザをやってるとな、本当に人間を辞めちまったような奴と出会うこともある。鬼畜以下……本物の化け物のような奴にな。ヒロユキ、忘れるなよ。一度人間を辞めちまったら、もう二度と元には戻れないんだ……」




