若人大特訓
「ヒロユキ……お前はまず、戦い方を考えろ。お前は体格が小さいし、腕力もない。白兵戦を絶対にするな、とは言わない。だが、なるべくならやめておけ」
「は、はい」
馬車を止め、一行が食事を摂り休憩している時……ヒロユキはカツミに戦い方を教わっていた。カツミは体も大きく、一見乱暴に見える。だが、教え方は意外にも細かく丁寧だ。素人のヒロユキにも、実に分かりやすく教えてくれていた。
「いいか……戦いにおいて重要なのは、自分の置かれた状況を把握することだ。ブロックを正拳突きで破壊したり、人の首を一撃で斬り落とせる力と同じくらい……いや、それよりももっと重要だ。お前は体が小さく腕力がない上に、武術の心得もない。戦いにおいて、動きを身につける練習は大切だ。反復練習を積むことにより、意識せずに動けるようになる。しかし、今のお前に基礎的な訓練を積ませる時間の余裕はなさそうだ。だから……」
カツミは立ち上がり、ヒロユキを手招きする。
「さあ、好きなようにかかって来い」
それを見ていた一行は、さすがに驚愕の表情を浮かべる。
「カツミさん……いくらなんでも、そりゃちょっと無茶苦茶では……」
タカシが口を挟む。しかし――
「仕方ないんだよ。本来なら、みっちり基礎の訓練をやるべきなんだ。そうやって、体に動きを覚え込ませる……しかし、今のオレたちにそんな余裕はない。だから……実戦的な訓練で学ばせる。さあヒロユキ、オレを敵だと思ってかかって来い」
だが、言われた当のヒロユキは怯えた表情だ。
「そんな……ぼ、ぼくがカツミさんに勝てるわけないじゃないですか――」
「能書きはいい。能書きだけなら誰でも言える。肝心なのは……実際に自分で戦うことだ。戦ってみてわかることもある。さあ、かかって来い」
カツミの厳しい声。ヒロユキは躊躇したが――
「ヒロユキ……お前はヴァンパイアを倒したんだぞ。忘れたのか? その時のことを思い出せ」
ギンジに言われ、ヒロユキははっとする。
次の瞬間――
「うわあああ!」
叫ぶと同時に、突進していくヒロユキ……だがカツミは、巨体に似合わぬ俊敏な動きでかわす。ヒロユキは目標を見失い、無様に転んだ……。
「にゃはははは!」
チャムがおかしそうに笑ったが、ガイが血相を変えて口を塞ぐ。一方、ニーナは心配そうな表情だ。
「ヒロユキ……お前、オレの言ったことをまるでわかっていないようだな。オレをよく見ろ。オレはお前よりもはるかに大きく、力も強い。真正面から突っ込んで来てどうするんだ? 状況を把握しろ、と言っただろう? まず考えろ」
カツミの言葉を聞き、ヒロユキは考えた。確かにカツミは大きく、力も強い。しかも、その巨体に似合わぬ敏捷性も兼ね備えているのだ。自分の方が勝っている要素は何もない。
では、どうすれば……。
だがその時、ヒロユキの頭に浮かんできた映像があった。先日の戦いで見せた、ガイの動き……。
あれをやってみよう。
ヒロユキは立ち上がる。そして、腕を大きく振り上げた。いかにも、殴るぞ……と言いたげな動き。
だが次の瞬間、ヒロユキは前転した。完全に見よう見まねの浴びせ蹴り……しかし、カツミは意表を突かれたらしい。思わず両手で防御の姿勢をとる。
その瞬間、ヒロユキはカツミの足首を掴んだ。前に見た時、ガイはこの体勢から一瞬で相手の足を取り、そして関節技で足を破壊したのだ。
しかし――
「バカかお前は」
声と同時に、カツミは足を引き抜いた。何の力みもなく、スムーズな動作で足を引き抜く……同時に、ヒロユキの胸の上には足が乗せられていた。カツミの大きな足に押さえつけられ、ヒロユキは身動きが取れない……。
いや、それ以前に……。
苦しい!
ヒロユキは息がつまりそうだった。カツミの足は、ヒロユキのみぞおちのあたりに置かれており、凄まじい力で押さえられている……ヒロユキは力いっぱいもがいたが、カツミの足はびくともしない。
「ヒロユキ、今の動きは……途中までは悪くない。悪くないが……お前は関節技を知らないだろうが。お前はもう少し、自分のできることについて考えろ。今日はここまでだ」
(ヒロユキ ダイジョウブ?)
ニーナがノートを広げ、心配そうな顔をする。ヒロユキは微笑んで見せた。ニーナに心配をかけるわけにはいかないのだ。
「大丈夫だよ、ニーナ。ぼくは強くなる。強くなって……君を守る。君のために戦うよ……」
ヒロユキの声は静かなものだった。しかし、表情には決意がみなぎっている。そう、この程度のことで辛いだの、苦しいだのとは言っていられないのだ。自分がニーナを守らなくてはならない。
そして、戦わなくてはならないのだ。
その二人のやり取りを、少し離れた場所から眺めている者がいる。ギンジとタカシ、そしてカツミだ。
「ヒロユキの奴、えらい変わりようだな……人はあんな短期間で変わるものなのか……」
ギンジの呟くような声。その表情からは、感情を読み取りにくい。しかし、どこか戸惑っているようにも見える。想定外の事態を前にして、戸惑いを隠せない……そんな様子だ。
「恐らく、ヒロユキくんは化けてしまったんでしょうね……ニーナの存在が、ヒロユキくんを化けさせてしまったのでしょう」
言いながら、タカシは二人を見つめる。その眼差しは優しさに満ちていた。普段の異様な――人によっては嫌悪感すら抱く――ヘラヘラ笑いを浮かべながらキョロキョロしている姿とは、まるで違う。
「ニーナが化けさせた? それは愛の力ってヤツか……オレはそんなものは信じていない」
ギンジが言うと、タカシは首を振った。
「まあ、何て言うか……恋だの愛だの、そんな使い古された言葉で語れるものとも、また違う気がします。ヒロユキくんがニーナと出会った……私はそこに、運命を感じるんですよ」
「運命の赤い糸、か?」
ギンジは茶化すように言ったが、タカシはまたしても首を振る。
「いや、そんな可愛らしいものじゃないです。むしろ……見えざる神の手、とでも言いましょうか。神の手によって、ヒロユキくんはニーナと出会い、そして変わった――」
「確かに、あいつは変わった。でもな、今のままじゃ……実戦では三秒であの世逝きだ」
珍しく、カツミが口を挟む。すると、ギンジがニヤリと笑った。
「カツミ……お前はヒロユキがヴァンパイアを殺したところを見ていなかっただろうが。あいつは……お前が思うほど弱くない」
「それは運が良かっただけだ」
「その、運の良さは……戦いにおいて重要な要素じゃないのか?」
「……その通りだ」
カツミは不満そうな顔をしながらも頷いた。
「ま、いずれにしても……オレたちは成り行きを見守るしかない。この先、何が起こるにせよ、な」
そう言うと、ギンジは二人の顔を交互に見る。すると――
「見えざる神の手が我々三人に与えた役目……それは、あの四人を守ることなのかもしれませんね」
タカシが呟き、視線をヒロユキたちに移した。
その守るべき四人は今……。
「にゃはははは! ヒロユキは意外と頑張り屋だにゃ! ガイの次くらいにカッコいいにゃ!」
チャムはヒロユキとニーナの周りをぴょんぴょん飛び跳ねる。慌てて止めに入るガイ。
「バカ! お前は何やってんだ! 二人きりにさせといてやれ!」
「なー? 何でだにゃ? みんなで遊ぶ方が楽しいにゃ!」
「そ、それはだな……あー面倒くせえ! 来い!」
「何でだにゃ! ガイも一緒に遊ぼうにゃ!」
「……チャム、ちょっと静かにしろ!」
ガイの手が伸び、チャムの口を塞ぐ。同時に、視線を別の方向に向ける。先ほどまでと違う、真剣な表情だ。ヒロユキはガイの表情に、ただならぬものを感じた。
「どうしたんです、ガイさん――」
「何か……声と足音がするんだ。こっちに近づいて来るぞ……」
そう言うと、ガイはナイフを抜いた。ガイのただならぬ様子を見て、ギンジら三人もすぐに走り寄っていく。
「ガイ……どうかしたのか?」
ギンジが尋ねると、ガイは遠くに目を凝らしたまま答えた。
「何か……追いかけっこしてるみたいだ。こっちに近づいて来るぞ……」
だが、それは追いかけっこなどという可愛らしいものではなかった……。
マントのような物を着て、頭からフードをすっぽり被っている何者かが、こちらに向かい必死で走って来る。
その後を追いかけて来るのは……数人の男たちだ。粗野で乱暴な雰囲気の男たちが、残忍な表情でマント姿の者に石を投げつけている。石が当たるたび、ドスッと鈍い音が響く……。
「おいおい……こりゃあ、ずいぶんと分かりやすい悪党だな……」
言いながら、カツミは近づいて行く。マント姿の者はカツミを見て、ビクッとした様子で立ち止まる。
「心配するな……オレはああいう奴らが嫌いだ」
カツミは悠然と、男たちの方に歩いていく。カツミの体格を見た男たちは、明らかに怯んでいる。怯えた表情で、互いに顔を見合わせる。
「なあ、お前ら……何があったかは知らん。しかし、お前らのやってることは、あんまり誉められたもんじゃない。それとも何か? このあたりでは、人に石を投げつける風習でもあるのか?」
カツミは男たちに言う。あまりにも冷静な声。体格や人相から受ける印象とは真逆の、淡々とした口調である。だが、その冷静さが一人の男の癇にさわったらしい。
「て、てめえには関係ないだろうが……こいつは天罰を受けた罪人なんだ。こいつの顔を見てみろ。こいつは業病なんだよ」
「ゴービョウ? 知らねえな……何の事だ?」
カツミが尋ねると、男たちは顔を見合わせる。そして次の瞬間、全員が一斉に笑いだした。
「じゃあ、アレか……あんたらは、この辺に来るのは初めてか? オレたちが弱い者いじめをしてると思ったのか? 違う違う。こいつはな、業病にかかってるんだよ! 知らねえようだから教えてやる……業病ってのはな、神様からの罰なんだ!」
そのやり取りを遠くから見ているヒロユキ……なぜだか知らないが、何とも言えない不気味さを感じていた。初めは、粗野で乱暴に思えた……しかし、近くで男たちをよく見ると、悪党に特有の雰囲気がない。むしろ……田舎の村に住む、気は荒いが素朴な若者、といった印象なのだ。ただ……業病について語る彼らからは残忍そのもの、といった印象を受ける。
その時、ヒロユキの心に閃くものがあった。業病……確か、ゲーム『異界転生』に出てきたはず。ただし、呪いの一種として……業病にかかると、街に入れなくなるという設定だったような気がする。
しかし……これは……。
「業病とは何なのか、オレは知らねえ……だがな、そういう下らねえことは止めようや……」
カツミの声は、変わらず淡々としている。さらに、ガイも怒りに満ちた表情で近づいた。カツミの横で男たちを睨む。カツミとガイの異様な風体、そして態度を前に、男たちも動揺している。
「おい! お前らどうすんだよ! 今すぐ全員死んでみるか!」
ガイの恫喝。男たちの顔に浮かぶものが、動揺から怯えに変わっていく。さらにカツミが、バトルアックスを持ち上げて片手で振り回し始めた。見ているヒロユキは初めて、この動作の意味に気づいた。カツミは一見粗暴で暴力的に見えるが、その実、緻密な部分も兼ね備えている。ガイと違い、戦わずして勝つという事の重要性をちゃんと心得ているのだ。片手でバトルアックスを振り回す超人的な腕力を見せつければ、戦う前に怯えさせることができる。怯えた相手には交渉がやりやすい。相手を怯えさせ、ギンジやタカシに交渉を任せる……。
そしてヒロユキは、ギンジとタカシの二人に視線を移した。予想通り、二人が前に出てくる。
「なあ、あんたら……こんな下らんことで争っても仕方ないだろう」
ギンジの言葉には、相手の気持ちを和らげるような穏やかさがあった。同時にタカシが男たちに近づき、ヘラヘラ笑いながら話しかける。そして男たちの肩を叩きながら、半ば強引に遠ざけていく。言葉までは聞き取れない。しかし、マシンガンのように繰り出される言葉の連射に、男たちは完全に圧倒されている。
この三人の流れるような連係プレーの見事さに、横で見ているヒロユキは改めて感心した。一人一人の持っているものは、それだけでも超人的だ。しかし、この三人が揃い、そして各々が状況に合わせて動く……そうなると、効果は絶大だ。ヒロユキはその時、ギンジの言葉を思い出した。
(簡単に人を殺すような奴は……悪党からも信用されねえ。簡単に殺す奴は……自分の世界を狭めていくことになるんだ。忘れるな)
そしてヒロユキは、ガイの方を見る。ガイは不満そうな表情だ。戦えなかったのが気に入らないのだろうか。ヒロユキは、ガイのその表情に危うさを感じた。ガイは確かに強く、勇敢な男である。しかし、あまりにも好戦的なのだ。その勇敢さゆえに、妙なことに巻き込まれなければいいのだが……。
一方、ギンジはマント姿の者に近づき――
「なあ、あんたに聞きたいんだが……業病とは何だ? まあ、何となく想像はつくが……」
マント姿の者はためらうような仕草を見せたが……意を決したように、フードを取った。




