魔力大消失
「な……何で……」
ヒロユキは呆然としたまま、言葉にならない呟きを繰り返すことしかできなかった。他の者たちも同様である。この世界においての救世主であり、また破壊神でもあるらしいハザマ・ヒデオ。その男とギンジとの間に、そこまでの因縁があったとは……。
レイは黙ったまま、ギンジを見ている。ギンジの目にはほんの一瞬ではあるが、怒りと殺意らしきものが浮かぶ。しかし、すぐに元のクールな表情に戻した。そして、レイに対し不敵な笑みを浮かべてみせる。
すると、レイが口を開いた。
「ハザマは魔法石を大量に掘り出し、そして元の世界に帰って行った。権力者たちは大喜びだ。これで魔法という強大な力を意のままにできるのだからな……だが、その時の我々は何も知らなかったのだ。ハザマのもたらした災厄に」
「どういう意味です?」
ギンジの問い。しかし、レイは片手を上げた。待ってくれ、という合図のようだ。そしてもう一度ガラスの瓶を開け、中の液体を飲む。嫌な匂いが、室内に広がった。
ややあって、レイは語り始める。
・・・
始まりは、一羽のロック鳥であった。大空を舞う超大型の鳥……それが突然、街中に落ちてきたのだ。
ロック鳥は街中で騒ぎ出し、巨大な翼を広げて何度も飛び立とうとする。だが、飛べないのだ。ロック鳥はやがて、狂ったような声を上げて人を襲い始める。結局、ロック鳥は兵士たちの弓と魔術師たちの魔法で殺された。
その後、似たような事件は各地で起きる。ロック鳥だけでなく、ワイバーンやグリフォンなども街中に落ちてきたのだ。魔獣や怪鳥は巨大な翼を広げ、飛ぼうと試みたが無駄だった。無駄なあがきを繰り返した挙げ句、最後は人間に襲いかかり……そして兵士たちに殺された。
さらに、賢かったはずのドラゴンが突然理性を失い暴れだしたり、海の中でクラーケンやシーサーペントが船を襲ったり……。
怪物たちと人間とは、これまではどうにか共存できていた。人を襲うことはあったが、それはあくまで怪物の領域を侵犯した時だけだったのだ。怪物と人間とは、きちんと住み分けができていたのである。
なのに、怪物は積極的に人間を襲い食べるようになったのだ。怪物と人間との共存関係は、完全に崩壊してしまったのである。
魔術師たちはなぜこのようなことになったのか、様々な手段を用いて調べたが、原因はわからなかった。
しかし――
・・・
「我々は、魔法石を取りすぎたのだ……もともと魔法石は地下にあった物。地下からまんべんなく魔力を発していた。怪物たちの力の源でもあったのだ。それをどんどん掘り出し、人間が使い勝手がいいように加工する……結果、怪物たちの魔力が失われていった。空を飛べなくなった怪物たちは、地上に落ちた。今はもう、空を飛べるようなものは人里離れた場所にしかいない……いずれは、全ての怪物たちは知能も魔力も失い、ただの巨大な獣と成り果てるだろう……そして、人間に狩り殺されるのだ……」
「レイさん、あなたはそのことを他の人に言わなかったんですか? そして、魔法石の使用や発掘を止めさせなかったんですか?」
ヒロユキが尋ねる。しかし、レイは首を振った。
「もちろん言ったよ……白、赤、黒、全ての魔術師に私は訴えた……このまま魔法石を取り続けていると、世界のバランスが崩れるとね。世界の破滅にも繋がりかねないと……しかし、誰も聞く耳を持たなかった。当然だよ……破滅に繋がりかねない、などというあやふやな言葉のために、巨万の富をもたらす魔法石の発掘を止める者など、いるはずがない。だが現状を見ると……私の説を裏付ける事態が次々と起きているのだがな。皮肉な話だ」
「……」
皆、何も言えなくなっていた。そう言えば、山賊のリーダーであるオックスも言っていたのだ。近頃は怪物が妙に凶暴化していると……さらに遡れば、この世界に来た直後に出会ったゴブリンも、有無を言わさぬ態度だった気がする。
「ところでギンジさん……あんたは元の世界に帰ったら――」
レイは何かを言いかけたが、言葉を止めた。そしてテーブルの上にあるガラス製の球を凝視する。何かが映っているようだが、ヒロユキたちには見えない。
やがて、レイは顔を上げた。
「珍しいこともある……またしても客人だ。恐らく、君たちに用があるのではないのかな」
その言葉の直後、床が光り始め――
そして、もう一人の客人が現れる。だが、その新たな客人を見た瞬間――
「お前は……」
ギンジの口からは、驚きの声が……他の者たちも戸惑っていた。
なぜなら、その客人とは……森の中で一行の前に登場し、集落まで案内した若きダークエルフだったからである。ダークエルフはレイに向かい、恭しく挨拶をすると、一行の方に向き直る。
「お前たちを探しに、妙な人間が我々の村にやって来た。武装し、非常に危険な雰囲気だ。事実、お前たちを必ず探しだし、全員殺すと言っていた。ダラマール様は知らんと言っておいたようだが……今もまだ、森の中を探し回っている。気を付けろ、とのことだ。そして、ダラマール様より託された物がある。役に立つはずだ」
ダークエルフはぶっきらぼうな口調でそう言うと、小さな袋をギンジに手渡した。
「これは何だい?」
「我々一族に代々伝わる、秘密の丸薬が入っている……大抵の傷や病気は一粒飲めば治せる。治せない病もあるがな。すまないが、今の我々にできることは、これくらいしかない……では失礼する。どこかのバカ共がエルフに怪我をさせ、服を剥ぎ取り、持ち物を奪ったのだ……お陰でそやつらの手当てと世話をしなくてはならない。もっとも、そのバカ共のおかげで、しばらくはエルフとの交渉はこちらに有利に運べるがな……」
ぶっきらぼうではあるが、その言葉には感謝の気持ちが感じられた。ダークエルフは再度、一行に一礼した後、光る床の上に乗る。すると奇妙な色の光りに包まれ、ダークエルフは消えた。
「ほう、ダークエルフが人間に秘薬を渡すとはな……珍しいこともあるものだ。その秘薬は貴重な物だ……無駄に浪費するな」
そう言うと、レイは目を閉じた。そして――
「私も、君たちに渡す物がある。破滅の山まで、君たちを導く羅針盤だ」
そう言うと、レイは丸い形状のガラス板のような物を懐から取り出し、テーブルの上に置いた。丸いガラス板の表面には、青い点と赤い点が映っている……青い点はチカチカ点滅しているが、赤い点はそのままだ。二点の距離はだいぶ離れている。
「青い点が現在地……赤い点が滅びの山の位置だ。これさえあれば、君たちは破滅の山まで、迷わずに行くことが出来る。そして門番を倒すことができれば、君たちは元の世界に帰ることができるだろう……その代わり、一つ頼みを聞いてくれないか……」
「何です?」
ギンジは尋ねる。だが、レイの口から出た言葉は、一行を驚愕させるものだった……。
「元の世界に戻ったなら……ハザマ・ヒデオを……殺してくれ」
ヒロユキは、とっさには言葉が出なかった。他のみんなも同様だ。何せ、次から次へと驚愕の真実が飛び出してきているのである。株で儲けて一躍時の人となり、ゲームの制作に関わり、そして表舞台から消えた男……ヒロユキの中では、その程度の認識でしかなかったのだ。
それが実は……異世界にトリップしてチート能力を手に入れ、そして異世界を荒らした挙げ句に元の世界に戻っていたとは……。
しかも、ギンジの部下を皆殺しにしたのだという話も聞いてしまった……ヒロユキの頭では、これらの情報をまだ処理しきれていないのだ。それは他の者も同様だろう。
沈黙する一行。しかし――
「いいよ」
答えたのはギンジだった……いつもと違い、ギンジの感情が露になっている。怨み、哀しみ、怒り、そして殺意……そういった感情がないまぜになった表情で、ギンジは言葉を続けた。
「あんたに言われるまでもない話だ。オレは奴を殺す……必ずな」
殺気のこもった声で、ギンジは言い放った。先ほどまでとは口調も変わっている。いつもの、大胆不敵な喋り方……。
だが、ヒロユキはある事に気がついた。そして――
「ちょっと待ってくださいよ! 仮にぼくたちがハザマを殺したとして……その証拠をどうやってあなたに見せればいいんです? ぼくたちは――」
「ヒロユキくん……ギンジさんとレイさんには証拠なんていらない。ギンジさんは口にしたことは必ず実行するし、レイさんはそんなギンジさんを信じた。君だってわかるだろう、二人の凄さは……」
ヒロユキの疑問に答えたのは、タカシだった。そして――
「少年、ギンジさんは……私に言われなくてもそのつもりのようだ。私はただ、その意志を確認したかっただけ……私はハザマを許せぬ……奴のしでかしたことのために、何万人の人間が命を落としたか……奴は、その報いを受けなくてはならぬ」
レイの体は震えていた。それは体調のせいだけではない。怒りのために震えていたのだ。ヒロユキは呆然と、死に逝く者の最期の怒りを見ていた……。
「奴は幼稚な正義感を振りかざし、大局観のまるでない、目先の善のための行動に強大な力を用いたのだ……恐らく、この世界はもうじき破滅するだろう。微妙なバランスで成り立っていた、この世界……それを滅茶苦茶にしておきながら、奴は言ったのだ……普通に暮らしたいと。強大な力を持つ者には責任がある……その力を行使せねばならんはずだ! 強大な力を持つ者は……断じて普通に生きてはいけない!」
取り憑かれたように語るレイ。ヒロユキはようやく理解した。レイの怒り……その根底にあるものは嫉妬だ。レイは自らの全てを魔法に捧げた……だが、ハザマはそれを軽々と追い抜いていったのだ。レイは未だに、ハザマに対する嫉妬心を消すことができないのだろう……。
もっとも、それが全てというわけでもない。レイの言っていることは、何となくだが理解できた。ギンジたちと一緒にこの世界を旅するうち、ヒロユキはわかったことがある。物事には幾つもの側面があることを……それを見極めずに強大な力を行使すれば、悲劇を招くこともあるだろう。自分たちがそうならなかったのは……ひとえに、ギンジのおかげだ。
いや、ガイ、カツミ、タカシからも……チンピラの視点、ヤクザの視点、さらにはいかれたビジネスマンの視点まであることを教えられた。大切なことをたくさん教わったのだ。
「こんなに喋ったのは久しぶりだ……私は疲れた……すまないが、寝させてもらうよ」
そう言うと、レイはまたしても目を閉じる。確かに、その表情からも疲労が窺えた。私はもうじき死ぬ、と言っていたが……その言葉は嘘ではなさそうだ。ヒロユキは改めて、レイを見つめた。自分よりも小さく、痩せこけた体……そういえば、自分もまた本気で魔法に憧れ、魔法を使おうと試みたことがあった。結局、使うことは出来なかったが……しかし、もし使えていたとしたら?
そう言えば、レイはこんなことを言ったのだ……君は私に似ている、と。レイもまた、いじめに遭っていたのではないか。そして、いじめから抜け出すきっかけになったもの、それが魔法だったとしたら……。
だけどレイさん……ぼくはあなたみたいにはなりたくない。
あなたもギンジさんみたいな人と出会っていれば、きっと……。
それだけじゃない。ぼくにはニーナもいる。
ヒロユキはニーナを見つめた。ニーナは複雑な表情で、レイを見つめている。何を考えているのだろう……魔法石を発見したハザマへの憎しみか、それとも魔法という力に憑かれたレイに対する憐れみか。それとも……レイの痩せこけた体に、己の行く末を照らし合わせているのだろうか。
「ニーナ、どうしたの?」
ヒロユキが尋ねると、ニーナはこちらを向いた。そして、ノートに何やら書き始める。
(ワタシ ドレイ? ドウグ? ドッチ?)
「どっちでもない……君は人間だ……人間なんだよ……ニーナ、こんな世界から早く出て行こう――」
「ヒロユキ、行くぞ……残っているのはオレたちだけだぜ」
ギンジの声。ヒロユキは慌てて周りを見たが、既にみんな消えていた。残っているのは三人だけだ。
「行くとしようぜ。考えるのは後だ」
ギンジはそう言うと、光る床に乗る。続いてニーナ……最後にヒロユキは、眠ってしまったらしいレイの姿を見つめた。レイの姿はひどく痛々しく、憐れに見える。ヒロユキは心の中で語りかけた。
レイさん……ぼくは絶対に、あなたのようにはなりません。




