機械・花田克美
荷台の上では、戦利品の品定めが続いている。チャムは楽しそうに、エルフから奪った服や武器などをいじくりまわし、ガイにたびたび叱られている。だが、いじくるのを止める気はないらしい。ニーナも品定めに加わり、ニコニコしながら携帯用の食料を袋に入れている。三人の楽しそうな様子は見ていて微笑ましく、思わず笑みがこぼれてしまう。一方、ギンジとタカシは金貨や銀貨を数えていた。この世界では、金貨はかなり高額な通貨であるらしい。ギンジやタカシの見立てでは、金貨一枚が五万円から十万円くらいの値打ちではないか、ということだ。さらに、装飾品なども調べている。金製品や宝石の付いた物もあるらしい。二人は完全に鑑定士と商人の顔になっている。もっとも、この世界を旅する上では、金はいくらあっても困らないであろうが……。
しかし、戦利品の品定めには一切加わらない男が一人いた。馬車を降り、少し離れた場所でギターケースを開けて、黙々と武器の手入れをしているカツミである。馬車の荷台は品定めのため、足の踏み場もない状態だ。そこでヒロユキは、カツミのそばに行ってみることにした。もしかしたら、ヒロユキにも手伝えることがあるかもしれない。
「カツミさん……何かお手伝いできることありませんか?」
するとカツミは顔を上げて、こちらを見る。その表情……いや、顔つきは人形のように見えた。表情がないのだ。ヒロユキはギョっとしたが、それは一瞬のことだった。カツミはすぐに、普段の豪快な戦士の顔に戻る。
「いいよ。お前に手伝ってもらったら、かえって面倒なことになりそうだ」
その言葉自体は嫌味ともとれる。しかしカツミの表情は暖かい。ヒロユキはその場から離れ難いものを感じ、しゃがみこんだ。考えてみれば、初めて会った日、カツミにはずっと怒鳴られていた。それが今では、多少なりとはいえ認めてもらっている。ヒロユキはふと、自分をいじめていた連中を思い出した。あの当時は、圧倒的に巨大で恐ろしい存在に思えたが、いま目の前にいるカツミに比べれば……いや、比べること自体がバカバカしい話だ。たぶんカツミだったら、あいつら全員を睨みつけるだけで心臓麻痺を起こさせることができるだろう。
カツミはヒロユキの目の前で、黙々と作業をしている。その顔からは、またしても表情が消えているのだ。初めてこの世界に来て、ゴブリンやダイアウルフと戦った時……人形のように無表情で、機械のように精密な動きを見せた。その時と同じ顔をしている。無表情で拳銃の手入れをするカツミの姿は、無機質な何かを連想させた。
その時――
「にゃはははは! ニーナ可愛いにゃ! 凄く似合ってるにゃ!」
チャムのすっとんきょうな声。ヒロユキが馬車の方を見ると、ニーナが革の鎧らしき物を着せられ、さらに細身の剣を持たされ、照れたような笑みを浮かべている。お世辞にも勇ましいとは言えない。出来の悪いアニメのヒロインのようだ。その横では、ガイが笑いをこらえ、しかめっ面をしている。
「あいつらは……楽しそうだな……」
カツミの呟きには、感情がこもっている。ヒロユキが視線を移すと、カツミは手を止めて馬車の方を見ていた。どこか、羨望のようなものが感じられる眼差しだ。ヒロユキは口が軽くなり、思わず――
「カツミさんは……何でヤクザになったんです?」
聞いた直後、ヒロユキは血の気が引くのを感じた。自分は何を言っているのだろう……ガイの身の上話を聞いて以来、様々なことを考えるようになってしまった。しかし、余計な詮索はするべきではないのだ。身の上話はしないし、また互いの身の上は聞かない……これが、彼らの暗黙のルールだったはずだ。
「す、すみません! 変なこと聞いちゃって! じゃ、じゃあ、ぼくは行きますんで――」
「わからねえ」
カツミは力なく呟いた。武器の手入れをしている手が止まり、目は下を向いている。
「何でオレは……ヤクザになったのかな……」
再度、カツミは呟いた。そして、少しずつ語り始める。
ヒロユキには想像もつかないような半生を……。
・・・
「ナンバー二八、これは最後の命令だ……いいか、ここの隠し通路を真っ直ぐ行けば、地上に出る梯子がある。地上で……普通の人間として暮らせ」
その日も、ナンバー二八はいつもと同じ戦闘訓練が行われるものと信じて疑わなかった。彼はずっと地下で生活し、戦闘訓練に明け暮れていたのだ。今日は妙に上――地上だ――が騒がしいが、もしかしたら新しい訓練なのかもしれない。
教官の命令……これには絶対に服従だ。ナンバー二八……いや、カツミはそう教育されてきた。しかし……普通に暮らせ、とはどういう意味かわからない。命令を実行するためには、詳しい説明が欲しい。
「教官殿、質問があります。普通に暮らせ、とはどういう意味でしょうか。詳しい説明を求めます」
カツミがそう言った瞬間……教官の表情が変わる。冷酷な仮面が崩れ落ち、苦悩する中年男の顔が露になった……。
「もういい……命令など聞かなくていいのだ……我々は……お前という男の人生を狂わせてしまった……我々は裁かれなくてはならないのだ……ここでの所業の罰を受けなくてはならない……それが人としての義務……だが、お前は行け。生きるんだ……ここでの生活を忘れ、普通に生きろ!」
カツミは訳がわからなくなった。いつもの教官の命令とは明らかに違う……今日の命令は理解不能だ。
「教官殿、理解不能です。詳しい説明を求めます」
カツミはなおも説明を求めたが――
「いいから行け! これは命令だ! 地上に出て、最初に出会った者に聞けばわかる!」
カツミが地上に出て、真っ先に出会った者……それはボロボロの服を着て、ゴミ箱を漁っている男であった。カツミは尋ねた。
「普通に生きるとは、どういうことですか?」
「食って寝る。それ以外に何がある?」
・・・
「で、オレはゴミ箱を漁って暮らしてた。そしたら、たまたま日本から来ていたオヤジに拾われたんだよ。オレはそのまま日本に行き、ハナダカツミって名前と日本国籍、そしてヤクザの肩書きをもらったってわけさ」
カツミは無表情のまま、淡々と語る。
「あの、オヤジって――」
「ああ、そうか。お前は知らないのか。いや、知る必要もねえことだな。組長のことをオヤジって呼ぶのさ……そうやって、オレはヤクザになったって訳だ」
「……」
ヒロユキには何も言えなかった。幼い頃から戦闘訓練に明け暮れ、そしていきなり世間にほっぽり出されたのだ。人を殺すこと以外は何も知らなかった青年……ヤクザの他に、何ができたというのだろう?
いや、他にもできることは、いくらでもあったはずだ。しかし、彼はヤクザと出会ってしまった……同じ日本人のヤクザに。もし仮に、日本人のプロボクサーやプロレスラー、力士……あるいはその関係者と出会っていたなら、カツミの才能は表の世界で花開いていたのかもしれない。
しかし、カツミは表の世界の人間とは出会わなかった。
「オレは物心ついた時から、ずっと地下で訓練していた。親の顔も知らない……そもそも、親がいたのかどうなのかもしらない。ヒロユキ……オレは、自分が本当に人間なのかわからないんだ」
「な、何言ってるんですか――」
「何か……映画とかであるだろ、人間そっくりに造られたロボットだか、アンドロイドだか……もしかしたら、オレはそういった存在なんじゃないかって」
「そんな……」
「まあ一つはっきりしてるのは、オレは戦うことと、ヤクザ社会のこと以外は何も知らないし、できない……かつてオヤジにも言われたんだ、お前は戦うマシーンだ、ってな。オレはやはり、人間じゃなくて戦う機械なんだ――」
「バカなこと言わないでください! カツミさんは……カツミさんは人間だ! 誰が……誰が何と言おうと人間だ! ぼくは……ぼくはそんな奴認めない! そんな奴をオヤジなんて言わないでください!」
ヒロユキは凄まじい形相で立ち上がり、カツミを睨みつける。あまりの剣幕に、カツミは一瞬ではあるが戸惑う表情を見せた。しかし、すぐに立ち上がり、ヒロユキの肩を叩く。
「わかったから落ち着け……みんな心配して見てるだろうが」
そう、荷台にいた全員が、ヒロユキとカツミを見ている。チャムはなぜか、革の鎧と毛皮のベストらしきものを着て、剣の鞘に自らの尻尾を収めた格好でこっちを見ている……その、あまりに奇妙な組み合わせを見て、ヒロユキは思わず吹き出してしまった。
「なー……ヒロユキ怒ってるのかと思ったら、笑ってるにゃ……おかしな奴だにゃ」
チャムはヒロユキの方をちらりと見たが、すぐに戦利品に視線を移す。
「なー……それにしても、いっぱい取れたにゃ。楽しいにゃ。ガイ、また追い剥ぎやろうにゃ!」
「あのなあ……追い剥ぎはあんまり良いことじゃねえぞ。その……悪いこと……だけど……たまには……いいけど……」
複雑な表情で、ガイは答える。もともと盗みやひったくり、強盗などの犯罪で生計を立てていたガイに、チャムを諌めるのは無理がある。
「本当、オレはガイとチャムが羨ましいよ。あいつらは……生きてる。生きてるのが楽しくてたまらねえって感じだな……」
カツミは、なにやら言い合うガイとチャムを見ながら、ぽつりと呟いた。羨望の眼差しで、二人を見ている。ヒロユキは、改めて自分が何もわかっていなかったことを悟る。一見、豪放磊落に見えるカツミという男……だが、抱える闇は深いのだ。
「それにな……オレには帰る場所もないんだ」
「そんな……」
「ヒロユキ……オレは鉄砲玉だ。鉄砲玉は標的を仕留めてこそ……役目を果たしたことになる。だが、オレは標的を仕留めてないんだよ。この世界に来ちまったせいでな。もう、組には戻れない……オレはどこに行けばいいのか、そして何をすればいいのか……」
「そんな所に……帰らなくていいじゃないですか……カツミさんは、ギンジさんと一緒にヤクザをやれば――」
「ヤクザ……か。結局、オレにはそれくらいしかできないんだな」
カツミの諦めきったような声。顔には自嘲の笑みが浮かんでいる。こんな表情のカツミは初めて見た。ヒロユキは、かけるべき言葉が思いつかなかった。
「ま、仕方ないよな……オレは今まで、何人殺してきたかわからねえ……オレの手に染みついた血の匂いは、どうあがいても消えないんだ。死ぬまで続けるしかないんだろうな……殺人マシーンを。家庭を持ち、平和に暮らすなんて人生は……望んじゃいけないんだよな」
カツミは言い終えると、武器の手入れに戻った。顔からは表情が消えている。
ヒロユキはふと、ギンジの前で言い放った言葉を思い出した。
(ぼくは……どんなに惨めでも……どんなに無様でも……生きたい! 生きていたいんだ! 人間の生きたいと思う気持ちに……世界は関係ないだろうが! みんな同じだろうが! その気持ちは貴いものなはずだろうが! それを……あんな簡単に奪っていいはずはない!)
だがカツミは、何人もの人の命を奪ってきたのだ。本来なら、嫌悪すべき存在のはず。少なくとも、カツミの存在は……悪以外の何者でもない。無慈悲な人殺しなのだ。そして、大量殺人犯でもある。
だが同時に、カツミを嫌いになることもできない。ヒロユキは、冷酷な殺人マシーンであるはずのカツミに複雑な思いを抱いている。それは尊敬であり、親愛であり、恐れであり、憧れであり……人殺しであるという理由で、カツミを憎んだり軽蔑したりすることだけはできなかった。ヒロユキは自身の中に矛盾を感じたが、それでも――
「カツミさん……ぼくはあなたから見れば、ひ弱な甘ったれです。あなたに偉そうなことを言える資格なんかありません。でも、ぼくはあなたが好きです。あなたには……幸せになって欲しいです。あなたの子供と遊んでみたいです……じゃあ、失礼します。生意気言ってすみませんでした」
そう言うと、ヒロユキは立ち上がった。そして馬車の方に歩いていく。
すると後ろから、カツミの声――
「ヒロユキ……お前の気持ちは嬉しいが、オレにそっちの趣味はないぞ」
「ち、違いますよ! そういう意味で言ったんじゃない――」
「わかってる。冗談だよ。でも……ありがとうな」




