凶人大団結
ヒロユキは、まだ吐き続けている。
「いやあ、ヒロユキくん……ダメだよ、吐いたりしちゃあ。食料持ってんの? 持ってないでしょうがー。こんな場所じゃ、いつ食い物にありつけるかわからないんだよー」
タカシは、潰れたサンドイッチを食べながら、ヒロユキの吐き戻す様子を楽しそうに見ている。
この男には、他人が吐いているのを見て食欲がなくなる、という至極まっとうな神経がないらしかった。さらに言うなら、吐いている人間を介抱する優しさも持ち合わせていないようだった。
そうこうしているうち、バスの中に三人が戻って来る。
ガイとカツミは、未だ心中にくすぶっているものがある様子であったが、今のところは、殺り合う気はないらしい。
そんな微妙な雰囲気の二人を、愉快そうに見ているタカシ。
真っ青な顔で、呆然としているヒロユキ。吐き気はおさまったが、この四人の中にいると凄まじいプレッシャーを感じ、気分が良くなかった。
そして全員が座っているのを確認すると、ギンジが立ち上がった。
「何の因果か知らないが、オレたちはこのバスに乗った。そして今、この場所にいる。みんな、この状況をどう思う? 覚えていることは? この場所に心当たりは? 何かあるなら言ってみてくれ」
ギンジの言葉を聞き、皆は顔を見合わせる。
「オレは、いきなり眠くなったんだよ、確か……」
カツミが言うと、
「そうなんですよ、私も眠くなりましてね……何て言うか……抵抗不能な眠気とでも言うんでしょうか。そのまま寝ちまったのは確かです。そこの少年二人も、そうですよね?」
そう言って、タカシはガイとヒロユキの顔を交互に見る。
「ああ……しかし、気に入らねえな。この場所は変だよ。空気が違いすぎる……それに、外の猿は何なんだよ――」
「あ、あれはゴブリンだと思います!」
ガイの言葉の途中で、思わず叫び声を上げてしまったヒロユキ。
そのとたん、皆の視線が集中する。
怖い顔をした二人の凶悪な視線と、奇妙な雰囲気を醸し出す二人の不気味な視線からは、凄まじいプレッシャーを感じる。
ヒロユキは何も言えなくなり、口を閉じて下を向いた。
「おい、お前は何か知ってんのか? だったら言ってみろや!」
黙っているヒロユキにイラついたのか、カツミが怒鳴りつける。
ビクンッ! と反応するヒロユキ。
すると――
「オッサンよう、あんたみたいなのが睨みつけてるから、すっかりビビっちゃって、言葉が出ないんじゃねえか、この少年は。あんたは外に出て、猿の死体の始末でもしてくれや。あんたにはお似合いだ」
ガイがからかうような口調で言う。
「てめえ、誰に向かってンな口聞いてんだ……」
ガイの言葉に反応し、立ち上がるカツミ。
しかし――
「止めとけって二人とも。それより少年、あの緑の猿みたいな生物だが……知ってるのか?」
ギンジが、さりげなく二人の間に割って入れる位置に移動しつつ、ヒロユキに尋ねる。
「ゴブリン……です。あ、あの……ゲ、ゲームに出て来る、モンスターに……に、似てます……」
「ゲームだあ? ふざけてんのか、てめえ!」
カツミが怒声を出しながら、睨みつけた。
顔面凶器のようなカツミに睨まれ、ヒロユキは恐怖のあまり、震えながら目を逸らす。
しかし――
「まあ、待てよ。ゲームとか言われると、オレもワケわからんが……そのゴブリンてのは、あんな生き物なんだな?」
次はギンジが尋ねる。
青い顔をしながらも、うなずくヒロユキ。
「じゃあ……あれはゲームの生物なのか……となると一体、どうなってるんだ……いや待てよ」
ギンジは下を向き、誰にともなく呟いた。
「ヒロユキくん……そのゴブリンてのは食えるのかい? 肉の中に毒が含まれているとか、そんなことはないよね?」
今度はタカシが、すっとぼけた表情で尋ねる。
「ちょ、ちょっと待て! お前、あれを食う気か?」
カツミが言うと、
「いざとなったら、食いますよ。つーか、ひどい匂いですな、あれは……ここまで匂うとは。ほっとくと、バスの中まで匂いが充満するかもしれませんね」
タカシは外の死骸を指差す。
「ああまで臭いと、さすがにキツいですな、食べるのは……おやおや、またしても招かれざる連中が来そうですよ、皆さん」
タカシの言葉を聞き、全員窓を見る。
いつの間にか、犬のような生き物が一匹、ゴブリンの死骸に近づき、匂いを嗅いでいる。
さらに、カラスやハゲタカのような大型の鳥たちもやって来て、ゴブリンの肉をついばんでいた。
「おい、ああなってくると……他の肉食獣も引き寄せないか?」
「そうなるでしょうねえ……しかし、あの犬みたいなのは食えそうですよ、ギンジさん」
次々と登場する動物を前に、冷静に会話しているギンジとタカシ。
ヒロユキは震えることしかできなかった。
何なんだ……。
ゴブリンの次は、野生の狼かい……。
こんな展開、ゲーム以外にありえない。
それも、凄くつまらないクソゲーだ!
ん……待てよ。
こんな展開、どこかで見たような……。
そう、外をうろついている犬は、昔プレイした何かのゲームに出てきた、ダイアウルフに似ている。
あれは確か……異界転生ってタイトルだったような……。
ヒロユキがそこまで考えた時――
「おいおい、あの犬、仲間を呼んだみたいだぞ……まためんどくさい展開になってきたな」
そのギンジの言葉と同時に、次々と現れる犬……いや、ダイアウルフ。
ダイアウルフの群れは鳥たちを追い払い、ゴブリンの死骸を漁り始めた。
時折り、こちらを見て、威嚇するような唸り声を上げる。
ダイアウルフは、少なくとも十頭はいそうだった。
「行くぞ、ガイ」
突然、言葉を発したカツミ。
そして立ち上がり、刀を抜いた。
「行くぞ……って、何だよオッサン?」
ガイが不満そうな顔で尋ねる。
「お前、さっき言ってたろが……食い足りないって。奴らを狩れば、少しは足しになるんじゃないか」
「てめえに指図されんのは気に入らねえが……食い足りねえのも確かだな」
ニヤリと笑うガイ。
そして、二人は外に出ると同時に――
凄まじい勢いで、ダイアウルフの群れに突撃して行った。
ダイアウルフの群れは一斉に動いた。
まるで何かに支配されているかのように、素早い動きで、突進して来た二人から離れる。
そして二人を囲むような形で、輪になった。
「何だコイツら?!」
カツミが驚愕の表情を浮かべ、周りを見回す。
「オッサン、コイツらただの犬じゃねえぞ!」
笑みを浮かべたガイが、それに応える。
ダイアウルフの群れは、二人を中心に円を作ると――
二人の周りを、ぐるぐる回り出した。
巨大な狼が群をなし、自分たちの周囲を凄まじい速さで回っている……
並みの人間なら、恐怖のあまりへたりこんでしまうであろう光景である。
だが、二人もそんな状況に怯むような、まともな神経は持ち合わせていなかった。
二人は、その状況に素早く反応し――
まるで申し合わせてでもいたかのように、背中合わせになった。
「何でしょうか、あの犬は……あんな動き、するもんなんですか?」
タカシがニヤニヤしながら、そう言ったとたん、
「あれはダイアウルフですよ! ダイアウルフは、ああやって戦うんです!」
ヒロユキは、思わず声を張り上げていた。
「ダイアウルフ……そいつもゲームか?」
目は外の戦いに向けながら、ギンジはヒロユキに尋ねた。
「え……あ、はい」
「そうか。一体、どうなっているんだ……ゲームの生き物が、なぜ……」
そう言いながらも、ギンジは外の戦いから目を離さなかった。
ダイアウルフは徐々に輪を狭めていく。
それを迎え撃つ二人は、対照的な表情をしていた。
先ほどまでの粗暴な言動が嘘のように、静かな表情で真っ直ぐに立ち、刀を構えているカツミ。
残忍な表情でニヤニヤ笑い、低い姿勢でナイフを構えているガイ。
二人は体格、顔つき、雰囲気……全てにおいて異なるタイプである。
しかし……
なぜか、この状況においては、どこか似通って見えた。
やがて、一匹のダイアウルフが飛びかかる。
凄まじいスピードで、ガイの首に飛び付き、喉を食いちぎろうと――
しかし、ガイは突っ立ったまま。
と思いきや、いきなりダイアウルフの開けた口の中に拳を叩き込み――
地面に叩きつけた。
六十キロはある巨狼の体が、凄まじい力で地上に叩きつけられ、悲鳴のような声を上げる……
しかし、ガイの動きは止まらない。
流れるような無駄の無い動きでナイフを使い――
喉を切り裂く。
一瞬にして、巨狼を仕留めた。
だが、ダイアウルフはまだまだ残っている。
次の一匹が飛びかかって来るが――
今度は、カツミが刀を振るった。
白刃が一閃――
次の瞬間、真っ二つになった巨狼の死骸が転がる。
カツミは機械のように正確な動作で、瞬時に元の構えに戻す。
そして、他のダイアウルフの出方をうかがう。
睨み合う、巨狼の群れと二人の凶人……。
だが次の瞬間、ダイアウルフの群れは、後ずさりを始めた。
そして後ろを向き、一斉に帰って行ったのだ。
「何だ……もう終わりかよ……」
ガイは、心底がっかりした表情で言った。
「いやあ、お疲れ様でしたね、お二人さん! これでしばらくは食料に困らないですな!」
大げさな身振りで、二人を出迎えるタカシ。
ギンジはその横で、何やらずっと考え込んでいる。
ヒロユキは座ったまま、居心地悪そうにしていた。
「ガイくん! お疲れのところ申し訳ないんだけど、もう一仕事いいかな?」
やたら馴れ馴れしく、ガイに話しかけるタカシ。
「え……何?」
「とりあえず、あの犬の死骸を解体しよう! 肉がたっぷり採れる! ガイくんは獣の解体の経験は?」
「いや、無いけど……」
「じゃあ、私が教えましょう! さあ、行きましょうか!」
タカシはガイの腕を掴み、外に出ていった。
一方、カツミは刀に付いた血や脂を、丁寧に拭き取る。
そして、鞘に収めた。
その時――
「思い出したよ、花田克美……どこかで聞いた名だと思ったが、花形組のヤクザだよな」
ギンジの声。
カツミは顔を上げ、ギンジを見た。
「オレも噂しか聞いたことないが……化け物みたいなヤクザがいるって話を聞いた。ケンカ最強のヤクザだと……確かに、お前は最強だよ」
「そう言うあんたも、カタギじゃねえだろ……ギンジさん」
そう言いながら、カツミはギンジのすぐそばの席に座り込む。
「あんたが何者か、オレは知らない。だがな……こうして間近で見て、言葉を交わすとわかるんだ。あんたも同類だってな。ギンジさん、あんたは何者だ?」
「何者って……オレはただの無職のオッサンだよ……しかし、奴ら元気だな」
そう言いながら、窓から外を見るギンジ。
外では異常なテンションのタカシが、ガイと一緒にダイアウルフの肉を切り取っている。
「いやあ、さすがはガイくん! 大したもんだ! 君には解体の才能がある!」
「うるせえな……あんた何なんだよ……」
さすがのガイも、タカシの得体の知れないテンションに圧倒されていた。
「ところでギンジさん……あいつは、ガイのことは知ってるか? ガイも、どっかのヤクザもんか?」
外でダイアウルフの解体を続ける二人を見ながら、カツミが尋ねる。
「聞いたことはないが……あの雰囲気はヤクザじゃなさそうだ。しかし、あんなデタラメな奴がいたとはな……」
「そうか、ギンジさんも知らねえか……じゃあ、あのタカシっていう奴はどうだよ?」
「黒沢貴史……の噂は聞いたことがある。もし奴が……オレの知っている黒沢貴史なら、とんでもない男だぞ」
「とんでもない男?」
「ああ、聞いた話では……いや、止めておこう。ただの噂だしな」
ギンジの言葉を聞き、カツミの表情が変わる。
「おい、何だよ?! 何か知っているなら聞かせてくれよ――」
「オレは噂しか聞いてないんだ。下手なことは言いたくない。カツミ、お前に関する噂だって、結構とんでもなかったぞ。この状況でお前に下手な先入観は持って欲しくないんだ。協力しなきゃならない状況だぜ。一度、変な先入観を持つと……そいつを取り去るには時間がかかる。だから、奴の噂はオレの胸の中だけにとどめておきたい。わかってくれ」
ギンジは諭すような口調で、カツミをなだめた。
カツミは不服そうな顔をしながらも、一応は納得の表情を見せる。
バスの中の二人の話を聞き、同時に外の二人の動きに注意を払いながら――
ヒロユキは更なる居心地の悪さを感じていた。
この人たちはみんな、普通じゃない……ある意味、リアルチートだ。
だけど、ぼくは一般人じゃないか。
何で、ぼくはここにいるんだ?
ぼくは、ただの平凡な人間なのに……。
ぼくは、ここに何をしに来た?
いや、待てよ。
そうだ、このバスの乗客が、って展開は……
異界転生そのものだ。
あのゴブリンやダイアウルフの独特のデザインも、異界転生のものだ。
となると……
ここは、ゲームの世界なのか?