異種大会談
ヒロユキは呆然となっていた。ハザマ・ヒデオといえば……ここと非常によく似た世界観のゲーム『異世界転生』の制作に関わった男である。城塞都市ガーレンを探索している時、何気なく飛び出たその名前……聞いた瞬間、ギンジが妙な反応を見せたのだ。その後、子供たちを預けたり、ニーナのことなどで頭がいっぱいになり、すっかり忘れてしまっていたが。
だが、今になってハザマの名前を、しかもこんな場所で聞くことになろうとは……。
「それはともかくとして……ダラマールさん、我々はこのまま森を抜け、魔法使いの住む塔に行きたいんですよ。確かレイとかいう名の……そうだったな、ヒロユキ?」
ギンジが不意にこちらを見る。ヒロユキははっと我に返った。
「は、はい! そうです! レイっていう名の黒魔術師が住んでいる塔――」
「レイ……知っておる。奴は変わり者じゃからのう。まあ、レイならお前たちの助けになってくれるじゃろう……条件次第じゃが」
ダラマールは旧友を懐かしむかのような口調で語った。どうやら顔見知りのようである。ヒロユキはわからなくなってきた。牧歌的な生活を営むダークエルフと仲のいい悪の黒魔術師……正直、理解に苦しむ。
「条件次第と言いますと……何か支払わなくてはならないんですか? それとも何かやらされるんでしょうかね?」
苦笑しながら、尋ねるギンジ。
「たぶんな……レイは何を考えているのかわからん。確かなのは……奴はただで何かをやるということはない。悪い男ではないのじゃが……」
「なるほど……とりあえず、会うと同時に問答無用でカエルにされるとか、コオロギに変えられて丸呑みされるとか、毒リンゴを食わされるとか、そういうことはないわけですね?」
黙っているのに飽きてきたのか、タカシがとぼけた口調でヘラヘラ笑いながら質問した。横にいたカツミが、恐ろしい目付きで睨みつける。だが気づいていないらしい。あるいは気づかぬふりをしているだけなのかもしれないが。
「その心配はない。奴は話の通じる男じゃからのう。むしろ、この森でもっとも厄介かつ危険なのは……エルフじゃ」
エルフ……ダラマールの口から、その言葉を聞いた瞬間、今度はヒロユキが黙っていられなくなった。口を開く。
「ダラマールさん……ぼくたちはさっき、エルフと遭いました。敵意をむき出しにしていて……怖かったです。奴らは……この辺りにいるんですか?」
「そうじゃ……今まで、奴らはこの森を荒らすようなことはしなかった。ダークエルフとエルフ……この二つの種族には、れっきとした境界線があったのじゃ。それが今では、我々の住んでいる領域を……脅かしてきておる」
ダラマールの老いた顔に、苦悩の表情がよぎる。ヒロユキはゲームでの知識は、現実――少なくとも、この世界での現実――とは違うことを改めて認識した。この世界では、エルフは選民思想に凝り固まった狂信的な種族なのだ……そして、人間やニャントロ人などの他の種族を奴隷にしている。さらに、同じ種族でありながらも、立場の弱い純朴なダークエルフたちの住む場所を脅かしている。
まるで、ヨーロッパの白人たちが周辺の有色人種たちの国を侵略していったように……。
「ヒロユキ、よくわからんが……色の白い奴らってのは侵略だの支配だのが好きなようだな。オレたちの世界でもそうだったが……」 ギンジは呟くように言うと、ダラマールに深々と頭を下げた。
「色々ありがとうございました。我々は森を抜け、そしてレイに会ってみようかと――」
「にゃはははは! ほらほら、逆立ち歩きだにゃ! お前らにできるかにゃ!」
突然、けたたましい笑い声が響き渡る。重々しい雰囲気が一気に崩れ去っていった。皆が一斉にそちらを見ると、チャムがダークエルフの子供たちを集め、その前で逆立ち歩きをしていたのだ。どうやら、話を黙って聞いているのに飽きてしまったらしい。その横で困り果てた顔をしているニーナ。だが、実はニーナもしかめっ面をしながら笑いをこらえている様子だ。
「こら! バカ! チャム! てめえは何をやってんだ!」
ガイは顔を真っ赤にして止めに入る。するとチャムはガイに叱られるとでも思ったのか、いきなり傍にあった大木に飛びついて、するすると登り始めた。
ガイの顔がさらに険しくなる。
「チャム! 何やってんだ! 降りてこい!」
ガイは怒鳴りつけるが、チャムは知らん顔だ。そのまま登り続ける。ダークエルフの子供たちは、歓声を上げる。
「あんのバカが……」
小さくなったチャムの姿を見上げたまま、ガイは呟いた。そして、楽しそうに笑っているダークエルフの子供たち……ニーナもこらえきれなくなったのか、笑い出した。
心なしか、ダラマールの顔も少し和んでいるように見える。
「珍しいな、ニャントロ人がここまで人間を信頼するというのは……」
ダラマールの言葉は一人言だったのかもしれない。だが、それを聞いたヒロユキは疑問を感じた。確かに、チャムは初めて遭った時には、いきなり攻撃してきたらしい。しかし、その後はすぐに打ち解けた。しかも、ケットシー村の人々はみんな、ヒロユキたちを暖かく迎えてくれたのだ。警戒心の欠片もなかったニャントロ人たち……。
「いや……ニャントロ人たちはみな、凄く良い人たちでしたよ。警戒心がなくて……逆にこっちが心配になるくらいに……」
ヒロユキのその言葉を聞き、ダラマールは彼の方に顔を向ける。
「少年よ……お前はわかっていないようだな。ニャントロ人には人間を嗅ぎ分ける力がある。自分たちにとって、危険であるかそうでないかを嗅ぎ分ける嗅覚が優れておるのじゃ。そうでなければ、とうの昔に滅ぼされていたじゃろう」
「え……」
その時、ヒロユキの脳裏に浮かんでいたのは……コルネオだった。ニャントロ人たちに災いをもたらすはずだった男。あいつの嘘を嗅ぎ分けられなかったのに……ヒロユキがそんなことを思った時、ギンジが肩を叩いた。
「ヒロユキ、ニャントロ人たちも言っていただろうが……コルネオは十年もの時間をかけて、ニャントロ人たちと仲良くなったんだ。奴も初めのうちは、純粋にニャントロ人たちと交流したかったのかもしれない……最後にはああなったが」
ギンジの言葉を聞き、ヒロユキはコルネオの死に様を思い出した。ギンジの放った銃弾に眉間を貫かれ、息絶えたコルネオ。ギンジとタカシが、いや皆が村にあのタイミングで来ていなかったら……大勢の罪のないニャントロ人やコボルドたちが命を落としていたのだ。ヒロユキは今さらながら、自分たちの果たした役割の大きさに気付いた。同時に運命の不思議さをも感じる。自分たちがこの世界に来たのは偶然なのだろうか?
だが、それよりも――
一つだけ、聞かずにいられない疑問がある。
「ギンジさん、ハザマとはどういう関係だったんですか?」
ヒロユキの問い……しかし、ギンジは口を閉ざしたまま横を向いた。やはり、まだ答える気にはならないらしい。ヒロユキは釈然としないものを感じながらも、それ以上尋ねるのは止めておいた。ギンジに話す意志がない以上、自分のような人間が聞き出せるわけがないのだ。いつか、自分の意志で話してくれるまで、待つしかないのだろう。
「では……我々はそろそろ失礼します――」
ギンジが別れの言葉を述べている途中、いきなり一人のダークエルフが森の中から現れた。どうやら、先ほど一行の前に現れ、ここまで導いて来たダークエルフのようだ。彼はダラマールの前に進み出て来ると、二言三言奇妙な言葉を発する。
次の瞬間、ダラマールの顔色が変わった。若きダークエルフに奇妙な言葉を返す。さらに、相手が何やら言葉を発する。その奇妙な言葉でのやり取りの最中――
「ダラマールさん、どうかしましたか? 我々に手伝えることなどあれば、ぜひ言ってください」
突然、タカシが口を挟んだ。あまりにも呑気な口調に、ヒロユキの顔はひきつり、カツミは恐ろしい形相で睨みつける。
若きダークエルフも、その呑気な態度には憤りを隠せない様子で、タカシを睨みながら口を開いた。
「あんたらには何の関係もない。黙っていてくれないか――」
「まあ関係ない、と言われるとそこでおしまいなんですが……ただ、面倒なことになったなあ、と思いましてね。エルフが森に侵入して来たんですよね? いやあ、あのエルフってのは面倒くさそうですからね」
のんびりした口調で、言葉を続けるタカシ。だが、周りにいるダークエルフたちの顔色が変わる。
「お前は……我々の言葉がわかるのか……まさか、我々の言葉を理解できる人間がいようとは……」
ダラマールの呆然とした顔。ヒロユキは改めて、タカシのチカラの凄さを認識した。こんな、世界の全てを知り尽くしているような老ダークエルフを呆然とさせてしまうのだ。ダークエルフの寿命は人間よりも遥かに長いはず。なのに、タカシのような者とは会ったことがなかったらしい。
「ダラマールさん……このタカシはね、言葉を使わずとも、大抵の種族と意思を通わせることができる変わった男でしてね。ところで……もし厄介事でしたら、我々が力を貸しましょうかね? ここにいるガイとカツミは強いですよ」
ギンジの言葉に、一瞬ではあるが困惑した様子のダラマール……しかし、首を振った。
「ギンジさん、と言ったな……我々は同族同士で戦うようなことはしない。ましてや、同族との戦いに、人間であるあんたらの手を借りることも出来ない。あなた方には関係のないこと。ここは聞かなかったことにしてもらおう」
ダラマールは淡々とした表情で答える。だが……それを聞いた若きダークエルフはあからさまに不満そうな表情になった。彼はダラマールに、エルフ語で何やら怒鳴り、詰め寄る。ダラマールもエルフ語で言い返す。エルフ語での言い合いが始まった。明らかに、穏やかでない雰囲気だ。
「おい、あの二人……何をもめてるんだ?」
カツミがタカシをつつき、耳元で尋ねる。すると、
「若い方は……エルフと戦争だ! 人間と組んでエルフと戦う! みたいなこと言ってますね。一方、ダラマールさんは伝統に従い、同族での争いは許さん! と言ってますが……まあ何と言いましょうか、いつの時代も、伝統にこだわる世代と改革を求める世代とはぶつかりあうわけですな! いやあ、どこの世界も一緒ですなあ!」
ヘラヘラ笑いながら、答えるタカシ。いかにも楽しそうに、二人の言い争いを眺めている。
その時――
「色々と面倒なことになっているようですね。ダラマールさん、オレたちは先を急ぐ身ですので……これで失礼します。さあみんな、行くぞ。さっさと森を抜けるんだ」
そう言ったのは、ギンジだった。周囲を取り巻く空気にも、我関せずといった表情で止めてある馬車の所まで歩いて行った。そして、みんなを促す。
「みんな、行こうぜ……チャム、さっさと降りて来い。早くしないと、ここに置いていくぞ……」
「ギンジさん、放っておいて良かったんですか?」
馬車の荷台でヒロユキが尋ねる。一行を支配している、重苦しい空気……タカシやチャムですら、この空気を感じ取ったのか、押し黙ったままだ。
「ヒロユキ……前にも言ったがな、オレたちは神様じゃない。世界の平和を守る勇者様でもない。今までオレたちが介入したもめ事には……全て人間が関わっていた。ところがだ、今回は人間じゃない。エルフとかいう、全く違う種族だ」
「でも――」
「まあ、黙って聞け。エルフはオレたちとは違う習慣で生活しているんだ。仮にオレたちが味方をしたとなると、ダークエルフたちにあとあと迷惑がかかるかもしれない。人間に助っ人を頼んだクズ共、という不名誉な烙印を押されるかもしれない」
「そんな……」
「ないとは言いきれないだろう? ヒロユキ、オレたちにできることは限られているんだ……タカシ、すまないが馬車を止めてくれ」
「……」
タカシは黙ったまま、馬車を止めた。するとギンジは皆の顔を見渡し、
「みんなに一つ、聞きたいことがある。オレはこのまま、魔術師の住む塔に行くべきだと思うが……寄り道をしたい奴はいるか?」




